『機動戦士ガンダム』シリーズの舞台である「宇宙世紀」で、「悪女」のレッテルを貼られた3人のキャラクターのことです。「宇宙世紀三大悪女」と言った方が正確な表現になるでしょうか。
ところが友人と話してみると、その3名のうち2名は同じだったが、3人目が一致しない。
(さて、ここで皆さん「ガンダム三大悪女」が誰だか思い浮かべてみましょう。――浮かびましたか?では続きをどうぞ)
一致した2名は、恐らく皆さんの想像通りかも知れない。
・カテジナ・ルース(Vガンダム)
・ニナ・パープルトン(ガンダム0083)

問題は3人目。
私が挙げたのは、ベルトーチカ・イルマ(Zガンダム)
友人が挙げたのは、クェス・パラヤ(逆襲のシャア)
ベルトーチカもクェスも、それなりに納得できる部分があるので、お互い「なるほどな」と思ったのですが、私も友人も三大悪女はネットで見たことがあるというだけにすぎません。
世の中的にはどちらが支持されているのでしょうか。
検索して調べてみると、こんなことが書いてありました。
ガンダムWiki - 宇宙世紀
http://wiki.cre.jp/GUNDAM/%E5%AE%87%E5%AE%99%E4%B8%96%E7%B4%80#.E7.94.A8.E8.AA.9E
ニナ・パープルトン、カテジナ・ルース。あと一人はクェス・パラヤ説とベルトーチカ・イルマ説がある。
あー、なるほど。3人目にはベルトーチカとクェス、両方の説もあったわけですね。
私と友人は、ベルトーチカ説、クェス説をそれぞれ覚えていたというわけか。
つまりは、カテジナ、ニナの2人は固定であることが多いけれど、3人目には不動のメンバーがいないわけですね。
無理に三大にせず、2トップにするなり、四天王にするなりすればいいと思いますが「三大美女」「三大悪女」のように女性を3人1セットにする言葉が元々あったところに合わせたからでしょうか。
3人目に不動がいない以上は、「三大悪女の三番目はあなたの心の中にいます」として空席とし、各自が悪女と思うキャラクターを当てはめればいいんじゃないでしょうか。
普通にシーマ姐さん(ガンダム0083)とか、サラ・ザビアロフ(Zガンダム)とか、シャクティ(Vガンダム)なんかが票を集めるかも知れない。人によっては、バーニィを殺したクリス(ポケットの中の戦争)を挙げることさえできるかも知れません。挙げようと思えば誰でも当てはめることは出来るでしょう。
以下のページで紹介されている「宇宙世紀三大悪女としてのララァ・スン」も大変面白い。
確かにシャアとアムロの人生を狂わせた影響力は『ガンダム』シリーズ最大級と言ってもいいですから。
宇宙世紀三大悪女としてのララァ・スン
http://drupal.cre.jp/node/1900
個人的には、ベルトーチカはどこかで読んだ3人目というだけなので特に推す理由もありません。
というかですね。3人目どころか、不動の2トップであるカテジナ、ニナも別に悪女と思わないんですよね。
ネットを見ると、この2人は蛇蝎のごとく嫌われているのですが、私にはなぜそこまで嫌う必要があるのかよく分からないのです。
今回は、ちょっとその辺りを突っ込んで話してみましょう。
ニナ・パープルトン(ガンダム0083)
ニナ・パープルトンは、アナハイム・エレクトロニクス社のシステムエンジニア。ガンダム開発計画の中で製造されたガンダム試作1号機、ガンダム試作2号機を担当します。兵士ではなく、ガンダムを作る立場のキャラクターです。
ニナの人物について、参照はこちら(wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ニナ・パープルトン
ニナについては、昔、ファーストガンダムと比較する形で書いたことがあります。
ガンダム0083とガンダム0079の比較
http://highlandview.blog17.fc2.com/blog-entry-26.html
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カテジナと並んで不動の悪女とされている彼女ですが、エンジニアですから人殺しのような事は何もしていないのに、ここまで嫌われるのはなかなかすごいですね。
彼女については以前書いたように、シリーズ途中での監督交代などの影響もあって、シリーズ構成や脚本が悪いのであって、ニナ自身はその犠牲になった、むしろ被害者といってもよいと思います。
「あの場面」を生かすのであれば、少なくとも以下の要素が必要だったのではないでしょうか。
・ガトーのガンダム強奪の時点で、ニナがガトーに気付く
・フォン・ブラウン市でニナがガトーに出会ってラストへの伏線をふっておく
・阻止限界点後、ガトーはかばうが、コウには銃は向けない
(コウに殺しをさせたくないのに、彼に人殺しの道具である銃を向けてはいけない。人殺しの道具そのものを否定して止めるべき)
しかし、これらは明らかにシリーズ構成や脚本が悪いわけで、ニナはそのワリを食った格好。
ガンダム0083は、ビデオ作品として第一期、第二期に分けてリリースされたはずですが、売れ行き次第では第一期で販売が終わることもあったのではないか(もちろん好評につき全て制作された)。
そのOVAの変則的なリリース体制が、監督交代に影響を与えたのだろうか、とも思うのですが、私には詳細は分からない。
ニナとガトーの関係描写に変化が生じたのは監督交代の影響のようだが、その詳細も私にはよく分からない。
分かっていることで判断すれば、ニナの「罪状」を全てキャラクターに背負わせるのはあまりにかわいそうだな、と私は思っています。
もちろん裏側で何があったにせよ、視聴者が見ているのはTV画面であるわけで、そこで物語が展開された以上、画面に出ているキャラクターに責任が生じてしまうのも理解はできます。
ですが、それにしたって「ニナがコウを裏切った」とか「裏切っておいてエンディングではちゃっかり微笑みながらコウのところへ戻ってきた」などは、あまりにキャラクターの表面的な行動だけで好悪を決めすぎていて、もったいないとしか思いません。
世の中には、主人公(0083の場合、本当はガトーだけど)にダメージを与えるキャラクターに過敏に反応する人が多いのでしょうか。でもダメージを受けたのは主人公であって、視聴者(あなた)じゃないんだから、そこまで嫌ったり、憎んだりしなくてもと思うのです。
この記事は検索したところから始まって、調べながら書いているわけですが、レコア・ロンド(Zガンダム)も評判悪いと分かって今びっくりしました。
みんな、女の裏切りというだけで許さないのかな? お話が面白くなるかどうかとか、豊かになるかどうかとかは全然関係ないんですかね。
カテジナ・ルース(Vガンダム)
↓人物詳細はこちらで(wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/カテジナ・ルース
ニナが人殺しなしで悪女界入りした女なら、カテジナは人を殺しすぎて悪女界入り。
(あー、でも結局、彼女も主人公サイドから敵サイドへの裏切りキャラとして認識されているのか)
私はカテジナに非常に思い入れがあって、いつかきっちり彼女について書こうと長年思っているのだけど、とりあえずその雛形のつもりで書く。
まずカテジナの「罪状」を整理してみようか。
(1)主人公ウッソの「憧れのお姉さん」から、敵(ライバル)の「女」へ(裏切り)
(2)敵パイロットとして、主人公に立ちふさがる
(3)シュラク隊皆殺し(最終回まで続く)
(4)ウッソの母を捕獲(母の死の遠因)
(5)生身の水着美女部隊(ネネカ隊)をウッソにぶつける
(6)ウッソとクロノクルを戦わせて、残った方を愛すと宣言
(7)最後の最後にオデロに手をかける
(8)ラスボスとしてウッソと対決
………こうして並べるとすごいね。
裏切りや味方キャラ殺しなんかはいくつかのキャラクターがやっているけど、ここまで揃えた人は確かにいない。ガンダム界の松永久秀。
では、これらの「罪状」に対して出された「判決」はどうだったのか。
・愛したクロノクルを失う。
・視力を失う。
・記憶を失う(ここはどちらともとれる)
・ウッソ・エヴィンを失う
(つまり全てを失い、精神と肉体に深い傷を負う)
・生まれ故郷の街ウーイッグへ全てを失って戻る
最大のポイントは極刑である「死刑」を免れたことでしょう。
「死刑」判決が出なかったことに不満を持つ人も多いようですが、そう思うのはとても悲しいことだと私は感じます。
これについては後ほど解説しましょう。
それではまず、ここから私は弁護人として、カテジナの罪状を弁護してみます。
その前に、Vガンダムそのものについてある程度語っておかないといけないが、長くなるので乱暴なのを承知で、1点だけに絞ります。
それは「Vガンダムは狂った世界、登場人物も状況も全て狂っている(ついでにいえばその当時の監督も)」ということ。
カテジナを考えるときに、これを前提とする必要があるということは覚えていて欲しい。
【カテジナの弁護】
(1)主人公ウッソの「憧れのお姉さん」から、敵(ライバル)の「女」へ(裏切り)
カテジナは、ウッソにとっては憧れの年上のお姉さんポジションだったんですよね。
ウッソは成り行きでガンダムに乗り、レジスタンス組織リガ・ミリティアのパイロットになってしまうが、子供をモビルスーツに載せて戦うようなリガ・ミリティアのやり方に反発していたのがカテジナさんです。
リガ・ミリティアのカミオン隊は老人ばかり。その老人が子供に人殺しをさせようとしている。これに嫌悪を表明したカテジナ。どちらが狂っていてどちらがまともなのか。
とにかく、もともとリガ・ミリティア(味方サイド)の理念に共感しているわけでも何でもなかったということは覚えておかなければいけない。
「でも結局、敵であるクロノクルにホイホイついていっちゃった娘さんなわけだよね?」
確かに行動はね。
でもね、彼女を勝手に「憧れのお姉さん」像(アイドル)として見てたのはウッソであって、それはカテジナの実体じゃない。
wikipediaでは「家庭を顧みない父、それにかこつけて愛人を作っていた母に幻滅していた」と紹介されている。カミーユみたいな家庭環境ですね。
多分カテジナは故郷の街(ウーイッグ)を出たかった。こんな家族や生まれ故郷と関係のないところで生きたかった。
そこへ紳士的な好青年クロノクルがやってきた。彼女は新しい世界へ連れて行ってくれるクロノクルについていく。(カミーユがクワトロについていったのと行動は同じ)
カテジナに必要だったのは彼女を孤独から救い外へ連れて行ってくれる存在、はっきりいえば白馬の王子様であって、彼女を幻想のお姫様として崇めたてまつる少年じゃない。
(もっといえば、外へ行くきっかけがあればいいわけで、厳密にはクロノクルでなければいけない必要すらないのだが)
地方の高校生が進学時に地元ではなく東京の大学を選んで、親元を出て、自分の住む世界を変え、自分を変えていこうとするのと根本的には変わらないと思う。
その時に自分を慕ってくれた近所の子供がいるからといって、東京へ行くのをやめる人がいるだろうか。そしてそれは裏切りなのか。
ウッソはこの「憧れのお姉さん(ウッソの幻想)の裏切り」が最後の最後まで理解できない。
そのことがウッソとウッソ以上にカテジナを苦しめることになる。
(2)敵パイロットとして、主人公に立ちふさがる
クロノクルについていったカテジナは、敵パイロットとして登場する。
外の世界に出たカテジナがパイロットとなったのは、もうついていった男(クロノクル)が軍人だからとしか言いようがない。
ここで「クロノクルの女」のポジションに納まり何もしないのは、カテジナの本意ではない。
カテジナは外の世界へ何かを見つけるため、何かに変わるために来たのだ。主婦になるためではない。そのための行動力も能力もある。彼女の状況で男(クロノクル)のために働くと軍人になる。
(カテジナが自分の両親の関係に反発と嫌悪を抱いていることで、男を支える女性になろうと努めたのかも知れない)
(3)シュラク隊皆殺し(最終回まで続く)
(4)ウッソの母を捕獲(母の死の遠因)
(5)生身の水着美女部隊(ネネカ隊)をウッソにぶつける
(7)最後の最後にオデロに手をかける
ここはまとめて「ひどいことした」シリーズ。
この中で私がいらないな、と思うのはオデロ殺しぐらい。あとは、もうどうしようもないかな、と思う。
最初の大前提として「Vガンダムは狂った世界」と書いたが、Vガンダムはとことん成人男性が戦わない世界だ。
ウッソが所属するカミオン隊は、老人ばかり。そこへウッソ達子供が戦闘員として加わり、後に女性だけのシュラク隊が加わる。
まともな成人男性はシュラク隊の隊長オリファーのみ。これは明らかに狂っている。
敵対するザンスカールも、表で戦うエースは、カテジナ、ルペ・シノ、ファラなどが中心で、クロノクル、ピピニーデン、タシロは女を戦場に出し、自分は後方に構える。
(さらにいえば、ザンスカールの実権を握るのはカガチだが、シンボルとして表に出すのは女王マリアである)
Vガンダムは、戦場で女と子供達が殺し合いをする「狂った」お話なのだ。
この戦場では、お互い殺す相手は当然、女性(シュラク隊、ネネカ隊)や子供(オデロ)になるだろう。もうVガンダムの世界ではどうしようもない。
(それでも個人的には最後にオデロを殺すのだけは余計だったんじゃないかと今でも思う)
(6)ウッソとクロノクルを戦わせて、残った方を愛すと宣言
(8)ラスボスとしてウッソと対決
これも狂ったVガンダムの世界が生んだこと。
クロノクルがラスボス(シャア)のポジションに座ればいいのだが、彼は「女王の弟」というポジションだけで精一杯の人間だった。
クロノクルは人が良すぎたし真面目すぎた。彼が女王の弟でなければ、軍人でなければ、カテジナと愛の巣をつくって幸せに暮らしたかも知れない。
だが彼は不向きな軍人も女王の弟もやらなければならない運命だった。真面目だからそれを愚直にこなそうとした(地球クリーン作戦のような狂った作戦すら)。
カテジナは最終回で「……クロノクル、来いっ!」と、クロノクルを呼び寄せ、ウッソと戦わせますが、あれはクロノクルにウッソを討って欲しかったんだろうな。カテジナ自身がウッソを倒すのでは意味がない。愛した男がそうしてくれなければ、何も断ち切れない。
そう考えるとクロノクルvsウッソは、カテジナ"が"愛した2人の男の戦いであり、「勝った方を愛す」という、彼女の宣言はあまりに悲しすぎる。必ずどちらかを失う悲愴の決意であって「男を手玉にとる」ようにはとても見えない。
しかし敗北するのはカテジナが勝ってほしかった(愛したかった)クロノクル。その彼が死の間際に「姉さん、マリア姉さん、助けてよ…マリア姉さん…」と叫んだのもあまりにも悲しいが、彼をこんな目に合わせたのは女王マリアだし、救いを求めたのも姉マリアだった。カテジナではない。
こんな男しかいないVガンダムの世界では女性が頭をはるしかないのだ。
カテジナがラスボスになるのは、こうした状況からも、これまで彼女が殺した人間の数からもどうしようもなかったのではないか。
男達が敵としての役割(人殺し、うらまれ役)を果たさないから、女が引き受けるはめになっているだけで。
以上で弁護を終わる。
一番大きいのは、カテジナが孤独で、自己実現欲の強い積極的な女性だったということじゃないかな。
ウーイッグの麗しき令嬢ということで、経済的にも容姿も能力も不足はなかったはず。でも両親を含めた周りの大人達には絶望していた。脱出したかった。飢えていた。
終盤にウッソとこんなセリフのやりとりがある。
カテジナ「腐らせる物は腐らせ焼く物は焼く、地球クリーン作戦の意味も分からずに!女王マリアは子供達の為に汚い大人達を潰して地球の肥やしにしたいのよ!」
ウッソ「ウーイッグのカテジナさんの言う台詞じゃないですよ!あなたは家の二階で物思いに耽ったり、盗み撮りする僕を馬鹿にしていてくれれば良かったんですよ!」
カテジナ「……男の子のロマンスに、なんで私が付き合わなければならないの!」
ウッソが言うカテジナは、カテジナにとって本当のカテジナではない。だから「男の子のロマンス(幻想)」には付き合うつもりはないと言っている。
だがウッソにはそれが分からない。「カテジナさん、おかしいですよ!」と迫り、彼女を追い詰める。
「ウーイッグのお嬢さん」「二階で物思いにふける」「ウッソのお姉さん役」というのは、カテジナにとって捨ててきたものだというのに。
ただカテジナは「ウーイッグのお嬢さん」から「ザンスカール帝国の軍人」へクラスチェンジすることで、多くのキャラクターを殺した。それは事実だ。
普通、ガンダムでは何人かのキャラクターに分散させる「キャラ殺し」をただ1人で背負った格好だ(なぜここまでさせたのだろうとは思う)。
例えば全滅ラストのZガンダムですら、カミーユと因縁の深いジェリド、野蛮なヤザン、ラスボスのシロッコなどに「キャラ殺し」を分散させているのに。
物語で犯した罪にはそれ相応の対価を支払わなければならない。
つくりものの世界だからといって何をしてもよいということは決して無い。因果は応報する。
では、ここまでの罪を犯したカテジナがなぜ「死刑」ではないのか。
私は裁判長(富野監督)が下した判決は極めて妥当だと考えています。それはなぜか。
【カテジナ裁判判決の妥当性】
私は本放送中、終盤でカテジナが「死ねなくなった」と感じたのを覚えています。
あまりに罪が多すぎて、「死」ですらそれをあがないきれないほどの業(ごう)を背負ってしまったからです。
「死」は現実では最大の罰ですが、物語のキャラクターにとって最大の罰とは限りません。物語の中の「死」といえば、そのキャラクター最大の見せ場になることも多いからです。
こうして憎まれるキャラクターが死ぬことで、視聴者はカタルシスを得て満足し、ようやく許される場合もあります。
しかしカテジナは死んで罪をつぐなう限度すら越えてしまった(と、私は見ていて感じました)。 だから「死ねなくなった」。
このためVガンダムの終盤での私の関心事は「カテジナを殺してしまうのかどうか」でした。
カテジナを死なせてしまったら、富野監督を見損なうな、と思っていました。
そこへあのエンディング。富野監督はカテジナを殺さなかった。
ごめんなさい。さすがです。疑ってすみません。と感動しながら思いました。
wikipediaにはラストについてこういう記述があります。
死亡せずに生き残った理由は富野由悠季総監督の意図であり、「死よりも重い罰を与えたかった」とコメントしている。
この発言、出典が明らかでないですが、特に間違っているとは思えません。
エンディングでのカテジナの扱いは、まさに死より重い罰といっていいでしょう。
彼女は、肉体と精神に深い傷を負い、全てを失った上で、あれほど出たかったはずのウーイッグに戻り、これから先の人生を生きていくことになります。
ただね、このカテジナのラストは「死よりも重い罰」と同時に「救い」なのだと、私には感じられる。富野監督は、カテジナを絶対殺したくなかったんじゃないかな。
カテジナを殺さないためには「死よりも重い罰」を与えるほかない。
Vガンダムは、まるで「名作物」のような感動のエンディングになっているが、こんなガンダムのラストは史上初めてだった。
この感動のエンディングの主役は、シャクティとカテジナの両ヒロイン。
視聴者に憎まれ、あれほど死を渇望されたカテジナにあんなエンディングを用意するなんて!
あれはもう「死より重い罰」と同時に最高の愛であり、カテジナの救済であると私は信じる。
富野監督はあのラストについて、対外的には「死よりも重い罰を与えたかった」と言っているかも知れないが、それは一般的に憎まれ役になっているカテジナのことを配慮した表現であって、実のところ、最大限の罰を与えることで、最大限に彼女を救いたかった、というのが本当のところなのではないだろうか。
救うにはあの方法しかなかった。殺してはダメ。それでは救えない。だからVガンダムのエンディングはあれしかない。あれ以外のラストがあると思えない。
それはVガンダムの中でたった一人、「死ねない」ところまで追い込んだキャラクターに対してのつぐないかもしれない。
ちなみにシャクティとのラストシーンも色々解釈できるつくりになっているので、どうとでも取れますがここでは深入りはやめておきましょう。また別の機会に。
というわけで、以上が私がカテジナを悪女と思わない理由です。
いや、悪行三昧なのは事実なんだけど、「悪女」のレッテルで片付けたくない理由、といった方がいいかな。
これほど作品の中の重いものを背負わされ、その背負ったものに対する代償を払わされたキャラクターはガンダムではいないんじゃないでしょうか。
「ガンダム三大悪女」(またはその候補者たち)のレッテルが、主人公を裏切った女に与えられている傾向があるのは、ちょっとあまりに男性の身勝手な視点すぎる気がしますね。なぜそこまで憎めるのかちょっと不思議に思います。
(女性の選ぶ「ガンダム三大悪女」を聞いてみたい気がします)
私は、創作物のキャラクターを憎むということが基本的にないのでその気持ちが良く分かりません。
キャラクターを上手く扱ってくれなかった制作者をうらんだりはしますけどね。
(ジャイアントロボとかジャイアントロボとかジャイアントロボとか!)
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Vガンダムの再評価
コメントありがとうございます
私の場合、この記事の原型は10年以上前に書いたやつなので、今公開したのは単なる自分のタイミングなのです。でもそういうのも含めてタイミングの一致なのかも知れませんね。
私個人の意見としては、その後、ブレン、ターンA、キングゲイナーの三部作が生まれたことで、もうVガンダムの役割は果たされているので、愛すべき作品であるけれど、当時の状況を含めてこのままにしておくべきかな、と考えています。
正直、新約Zも反対だったので。キングゲイナー見たらラストがああなることは分かるから、もうやらなくてもいいだろうと。出来れば一作でも多く(できればオリジナルの)新作を作って欲しい、というのが願いです。
Re: 【ガンダム三大悪女】 カテジナ・ルース裁判
アニメを見てて主人公に感情移入、もしくはなりきった感覚で見るのは当然であって、そこら辺まったく度外視してる時点で説得力を感じないどころか人間性を感じない。
どこか根本を間違えてアニメ見てるんじゃないか。
Re: Re: 【ガンダム三大悪女】 カテジナ・ルース裁判
大変興味深く貴重なご意見をいただいたと感じていますが、未熟な私のために2点ほど質問にお付き合いいただければ幸いです。
(1)私は、ガンダムシリーズにおいて「主人公サイド→敵軍サイドへの移行」をした女性が、その行動の理由や物語上の構造とは関係なく「裏切り」として悪女のレッテル貼られることを不思議に感じているのですが、dさんにとっては不思議でも何でもない当たり前のことなのでしょうか?
(2)「どこか根本を間違えてアニメ見てるんじゃないか。」というご指摘をいただいたのですが、私が間違えている「根本」と言う部分がよく飲み込めていません。私はどう間違えてアニメを見ているのでしょうか?または逆にdさんのお考えになる「こう見るべき」という「正しい根本」がおありでしたら、教えていただけないでしょうか?
お手数ですが、もしよろしければお願い致します。
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私の文章力の無さや説明不足で誤解が生じている部分があると感じましたので、その部分だけ説明させてください。
私は「アニメを見てて主人公に感情移入、もしくはなりきった感覚で見る」ことは、スタンダードだとは思いますが、当然だとは考えていません。
「主人公になりきった感覚」で主人公の視点から作品をとらえるのはもちろん正しくて、私もそういう見方はするのですが、それ以外の見方もたくさんあり、そしてそれが許されると思っていますので、こうした自分なりの見方としての記事を書いています。
世の中(ネット)にはさまざまな考え方があり、私の考えはその中のひとつでしかありませんから、ひとつの記事内でのバランスというより、さまざまな記事を見た方が、ご自分の中で考え、バランスをとり、スタンスを決める、というのが良いのではないかと思っています。
こういう考えですので説得する気持ちではなく、他の方のご意見と併存することに意義がありますし、考えの差異に価値があると考えております。
Re: 【ガンダム三大悪女】 カテジナ・ルース裁判
ガンダムという作品は少年をターゲットにしているので、主人公は感情移入しやすいよう近しい年齢または容姿及び精神構造です。
そして主人公は憧れのかっこいいロボや能力を持っているのに些細なことや大人との関係で悩み苦しむ、視聴するガキんちょにとって大変よく出来た写し身でしょう。
当然そんなガキンチョらにはリアル女性は守って怒って側に居てくれる家族や周りの人々なので、件の彼女らを「悪女」としてしまうのは致し方ないのかなあと思う所です。
端的に言えば「実際ガキの時悪女と思った。それにアニメを想定された子供の目で見るのは間違いじゃないだろう」でしょうか。
行動の理由や物語の構造上「悪女」とは言えないのでしょうが、主人公に感情移入して限定された物語内の視点で見ると「悪女」になってしまうのだと思います。
主人公はそうでなく見れるメタ視点を持っていない訳ですから。
とはいえ、むしろここまで悪く言われるのはキャラの魅力とも言えるんで、何の批難も擁護もされず忘れられる膨大な数のキャラ達よりずっと幸せなのやもしれません。
Re: 【ガンダム三大悪女】 カテジナ・ルース裁判
自分はVガンダムをはじめて視聴したのが二十歳を過ぎた大人になってからだったので、だからなのか、最終話を見終わった後もカテジナさんのことをそこまで嫌いにはなれませんでした。
“悪人”ならわかるけれど、“悪女”というのは少しニュアンスが違う気がする。そもそも戦時下において絶対的な悪なんているのか、という疑問すら沸く。カガチやタシロのような謀略家ならともかく。
彼女に対して“序盤は良い人だったのに……”というような感想をいろんな場所で見かけるけれど、それは違うと思う。カテジナさんが序盤、リガ・ミリティアに身を置いていたのは成り行き以外の何でもなく、そこに彼女の意思はなかった。一方ザンスカールへ行ったのは彼女の意思であり、自発的な行動。それを「裏切りだ!」と非難されるのは彼女にしてみればひどく心外だったでしょう。
ウッソに感情移入し、彼の視点でカテジナさんを見れば「裏切りだ」と思い、「おかしいですよ!」と糾弾したくなるが、カテジナさんの視点に立ってみればそういった批判こそ、的外れな「男の子のロマンス」でしかなかったのかなあ、というようなことを感じました。
戦争で軍人が人を殺すのは当たり前だし、それは主人公たちだって皆等しくやっていたこと。むしろしていたことだけを見るならカガチなどの方がよほど極悪人なのに、ラスボスという役割を与えられてしまったばかりにすべての“悪”を背負わされてしまった彼女は、もしかしたら一番かわいそうな人だったのかもしれない、とすら思います。
「富野監督と庵野監督の対談」では、そのような直接的な表現はなされていなかったと記憶しています。
ただ、富野監督自身、罰と言うか死ではなくああいった最後にすることで
カテジナに背負わせてしまった罪を救ってあげたかった、というような事は仰っていましたね。
私もカテジナのみならずニナまで悪女と言われるのは、少なからず違和感を覚えていました。
それがこのような形で、文章として読むことが出来てすっきりしました。
なるほど。この記事を参考に、いつかまたVガンダムを見直してみたいと思います。
一方的なメッセージで申し訳ありませんが、送らせて頂きます。
Re: 【ガンダム三大悪女】 カテジナ・ルース裁判
Vガンダムは子供の頃視聴していましたが、当時はほとんどストーリーの筋も理解出来ていなかったような気がします。
そしておそらくカテジナさんのことであったろうと思うのですが、怖い女の人が出ている、程度の認識だったと記憶しています。
今になって思うに、カテジナさんは可哀想だったと感じています。
実は深い考察とか作者の意図とかは関係なくて、ただ単に戦争に翻弄されて悲劇的な結末を辿った女キャラ、という意味で。
こういう人気的に報われない敵の女性や脇役サブヒロインが好きだったりします。
逆にニナ・パープルトンはアニメを初めて観たときから二股女、腹が立つ女、としか感じることが出来ていません。
この記事を読んで色々と考えさせられました。
どうにもまとまりのない書き込みで申し訳ありません。
Re: Re: 【ガンダム三大悪女】 カテジナ・ルース裁判
> Vガンダムは子供の頃視聴していましたが、当時はほとんどストーリーの筋も理解出来ていなかったような気がします。
> そしておそらくカテジナさんのことであったろうと思うのですが、怖い女の人が出ている、程度の認識だったと記憶しています。
なるほど。子供から見て、怖い女の人ですか。そうだと思います。
一方その頃、カテジナは、怖い子どもに追い回されていたという……。
> 今になって思うに、カテジナさんは可哀想だったと感じています。
> 実は深い考察とか作者の意図とかは関係なくて、ただ単に戦争に翻弄されて悲劇的な結末を辿った女キャラ、という意味で。
> こういう人気的に報われない敵の女性や脇役サブヒロインが好きだったりします。
カテジナさんは人気あるんじゃないですかね?支持のされ方は別として。
私は大人になる一歩手前ぐらいでVガンダムだったので、カテジナを見て思うのは、社会に出るやり方を間違えるとえらいことになるな、という感じでした。
新興宗教法人のまがいものに人生をかけるぐらいならいっそ、本物の国家の象徴(ディアナ・ソレル)を間近で見た方がいいようです。
> 逆にニナ・パープルトンはアニメを初めて観たときから二股女、腹が立つ女、としか感じることが出来ていません。
ニナは本当に恨まれていますね……。
実際にそうなるだけの理由はあるのですが、私はそうしてしまった作り手側が恨めしいです。
Re: 【ガンダム三大悪女】 カテジナ・ルース裁判
カテジナさん信者から一言だけ
カテジナさんが三大悪女に数えられるのはまあしょうがないとは思うのですが
彼女はどちらかというと戦争という状況の被害者であったという印象があります
彼女は状況に押しつぶされて修羅道に力いっぱい突入してしまいましたが
しかし彼女の行動自体は(過激ではあるが)まっすぐであり
周囲の状況から考えれば道理にも適っています
男性だったら『冷酷だが有能なエース』という評価が取れるかも知れないレベル
自分の力で人生を切り開こうとする魂の高潔さを感じるのです
むしろ問題はシャクティの方にこそあります
彼女が勝手に動き回らなければVガンダムの死亡者は半分位になっている筈
一度だけならまだしょうがないとも思いますが
多大な犠牲を払って救出されたにもかかわらず二度三度とザンスカールの元へ走り
最後にはエンジェルハイロウを起動して世界中に被害を与える有様
そしてさらに最悪な事にシャクティ自身は多分自分の事を悪いと思ってない
彼女自体は最初から最後まで善良です
(あのラストシーンはどう取るべきか微妙だとおもいますが)
こんな自覚の無い災厄女に引導を渡されてはカテジナさんがあまりにも報われない
中学生のときの私はテレビ放送を見てそう思いました
それとも、それすらもカテジナさんに対する罰なのでしょうか
ジョジョの台詞にある
『君には敵意もなければ悪気もないし
誰にも迷惑なんかかけて無いと思っている
自分を被害者だと思っているし他人に無関心のくせに
誰かがいつか自分を助けてくれると望んでいる
だが、それこそ悪より悪い「最悪」と呼ばれるものだ
他人を不幸に巻き込んで、道づれにする「真の邪悪」だ』
これをシャクティはまさに体現していると思うのです
ガンダム世界随一の悪女の名はシャクティ・カリンにこそふさわしいと考えます
彼女を差し置いてカテジナさんが悪女なんてとんでもない!
とか思うのですよねわりとマジで
これが所謂女性的感覚ってやつなのかな。
ガンダム三大悪女ってリアルの女性より数段マシだよね
Re: 【ガンダム三大悪女】 カテジナ・ルース裁判
ニナは現実にいそうな傍迷惑な馬鹿女(所謂スイーツ(笑)脳ってやつ?)のテンプレだから、嫌われるんじゃないかと。
そして上のほうのコメントを読んで、昔(Wの頃)高河ゆんがシャクティを蛇蝎のように嫌っていたなあ…というのを思い出したりしました。
Re: Re: 【ガンダム三大悪女】 カテジナ・ルース裁判
> そして上のほうのコメントを読んで、昔(Wの頃)高河ゆんがシャクティを蛇蝎のように嫌っていたなあ…というのを思い出したりしました。
高河ゆんが……これは知りませんでした。
のちに『ガンダム00』のキャラクター原案(プリンセスも1人)を担当することを考えると面白い気もします。
シャクティが好きではない人は性別問わず多いですね。
Re:【ガンダム三大悪女】 カテジナ・ルース裁判
ジョジョのセリフはシャクティとはまた違うだろ。
シャクティは別に他人に無関心なわけじゃないし、誰かに救って貰いたいと思ってるわけでもない。
ただただ平和な世界で自分とウッソだけは幸せに暮らしたいと願っていただけ。
それは人間なら当たり前の事。
リガミリティアの大人達はシャクティからウッソを奪って戦争に狩りだそうとしたのだから、それを取り戻そうとするのも当たり前。
でもリガミリティアの人達と一緒に行動するうち、世界の現実を目にして、自分とウッソだけが平和で幸せに暮らせればそれでいいなんて考えではいけないと思うようになって、自分なりに世界を良くしよう、戦争を止めようと頑張って行動しただけ。
ただし、心がけだけは立派だけど、子供ゆえの浅はかな考えと、その浅はかさを利用する汚い大人のせいで結果的に多くの人が死んでしまっただけ。
まさに無知ゆえの罪とでも言うべき物であって、単なる被害妄想の塊のようなジョジョのソレとは全然意味が違う。
あんたはジョジョにせよ、Vガンにせよ、読み込みが足りなさ過ぎ。
Re:【ガンダム三大悪女】 カテジナ・ルース裁判
>>アニメを見てて主人公に感情移入、もしくはなりきった感覚で見るのは当然
とか言ってる馬鹿はジャンプ漫画なり禁書なりSAOなりその辺の中二病作品でも読んでろと言いたいね。
こんな馬鹿にVガンは10年早い。
ガンダム、特に富野のガンダムというのは、こういう様々な視点・考えから読み解く面白さがあり、決して一方的な価値観の押し付けで終わらないところが魅力なのに、それを否定とかアホかと。
主人公にしか感情移入できないような幼稚なガキはラノベとジャンプだけ読んでろ。
Re:【ガンダム三大悪女】 カテジナ・ルース裁判
アニメは子供が見るもので、大人になったらさっさと忘れなさいと富野自身が言っているのにガキは~とか言うのは正直どうかと思う。
いろんな見方があるのはいいが、君の言い方は同じガンダムファンとしては悲しくなる。
Re:【ガンダム三大悪女】 カテジナ・ルース裁判
人間のくず
非常に素晴らしい考察です!!
大概の読者や視聴者は主人公視点で物事を見てしまうと思います。それが大多数であることと正しいかどうかは別の話。(エマさんは誰も裏切り者と罵らないですからねぇ)
この文章はカテジナ側からの視点で考察してるだけであって、擁護や弁護してる訳でもないかとは感じます。(弁護て言葉は使われてますが・・)
>死より重い罰」と同時に最高の愛
この辺はワタシも放送当時が高校生だったため、当時は理解出来ませんでしたが、今振り返れば、よく分かる話です。(カミーユ風)
>地方の高校生が進学時に地元ではなく東京の大学を選んで~
て例えも、なかなか言いえて妙ですね。分かります。クロノクルが本人の器以上の過剰な役割を期待されてしまった事もスンナリ同意出来ますね。
Re: 非常に素晴らしい考察です!!
今は違いますが、この記事のベースを書いた放送当時は身の回りを見てもカテジナへの風当たりはかなり強いものがありました。(まあ、そもそもこの頃は、周りはほとんどガンダム見てなかったんですけど)
弁護というのは、記事のスタンスを明らかにするためのものであり、手法に過ぎません。
ですからウッソ側に立って、カテジナを責める検事の記事を書くことも当然できるわけですが、私がするまでもなく検事の数は足りていたようでしたので、弁護側にまわりました。
カテジナをただ罵倒していたような人でも、多分、大人になって社会へ出ると、カテジナさんの見え方が変わってくる人が多いんじゃないでしょうか。そんな印象です。(変わらずひたすら罵倒を続けるタイプの方とはあまり関わらないようにしていますけど)
腑に落ちました
以前から3大悪女 といった書き込みを見るたびに違和感を感じていたのですが、この記事を読んでわかりました。
つまり、悪女とは、作品は違いますがルパンの峰不二子のように、「自分の欲望のために、場合によっては男性の下心なんかも使って周りを利用してのし上がる」という人に対して贈られる称号であって、単に「裏切った」とか「人をたくさん殺した」とかいう人は女性であってもただの「悪人」でしかない、ということなのではないでしょうか。
そういう意味で、カテジナさんは周りの状況や抑圧から「悪人」にはなったが「悪女」ではないのではないか。
また、ニナも、自分の欲望を満たそうとしての行動でない以上、あれをもって「悪女」とするのも違和感があります。
ただ、もし、クロノクルが本当の意味で野望も能力も備えていた人間だったなら、その時初めてカテジナさんは「悪女」と呼ばれることになったんじゃないかな、と妄想します。実際にはあのヘタレには利用価値などなく、むしろカテジナががんばって引っ張り上げようとしていたわけで…。
もう見も蓋もなくないですか?
ニナが悪いんじゃない、制作サイドがそうしたからだ!って(笑)
ならシャアも強くない、設定した人間がそうしたからにすぎない
ドズルはブサイクではない、描写した人間が以下略
いや、本当に思考が凄い