『雨格子の館(仮) 』 PS2で出る推理アドベンチャーゲーム
http://plusd.itmedia.co.jp/games/articles/0607/21/news007.html

私が以前、妄想していた推理ゲームとの共通点がいくつかあり、大変興味深い内容となっています。個人的には大注目です。
なんとか伝説殺人事件 【前編】
なんとか伝説殺人事件 【後編】



■ゲームのポイント

・謎の洋館に閉じこめられる男女。
・1日に1人ずつ、見立て殺人で殺される。
・プレイヤーは殺人を止めながら、犯人を推理していく

ゲームはバイオハザード的に洋館を歩き回って捜査するモードもあるようで、なかなか面白そうな感じです。

1日に1人殺されて、容疑者(生き残る方)と脱落者(死んじゃった方)とに別れていくのをゲームとして体験する。
というのは、対戦型推理ゲームで考えたものと似てますね。(【後編】の方)
ウルトラクイズシステムですね。「最終日に行きたいかー」的な。

で、1日1殺の中で(殺人犯でなく)プレイヤーが登場人物の生死をコントロールする。
という要素は、最初に妄想したゲームでも考えたものに似てますね。(【前編】の方)

「雨格子の館(仮)」ではプレイヤーが主人公=探偵と決まっているようですが、妄想した部分の何%かは確実に味わえそうです。妄想したことが本当に面白いのかどうか、実証できるわけですから楽しみですね。

誰を助けられたか、誰が死んだかで、ストーリーが分岐し、複数回でのプレイも楽しめる。
と、書いてあるところから見ても、恐らく「犯人」は変動でしょうね。
変動といっても、ルートによって犯人が決まる、という感じなのだと思いますが、ルート分岐が基本的に人の生死のようなので、結構複雑になっていそうですね。



■名探偵は人を助けない

ポイントは、やはりプレイヤー(=探偵)による生存者コントロールでしょう。
ゲームに限らず「ミステリー」は、大なり小なり悲劇を楽しむもので、物語が進むというのは悲劇が増える、ということでもあります。

名探偵がいて、彼は何とか連続殺人を食い止めようと推理(=物語)を進めるのだけど、物語を進めるということは殺人が増えていくことにどうしてもつながってしまう。

ちょっとメタ視点になってしまうけども、名探偵は「状況を悪化させる」ために登場しているキャラクターということになるわけです。皮肉なことに。

これはゲームだけでなく、マンガや小説でもそう。

マンガ「名探偵コナン」では、劇中で「コナンの推理はいたずらに犯人を追いつめ、次の殺人を発生させている(=状況を悪化させている)だけだ」という問題提起があった。

これは名探偵登場の皮肉や矛盾を劇中で取り上げたものとして評価してるけど、劇中でどう解決したのかは全く覚えていない。ただ、問題提起したことだけははっきり覚えている。

つまり「推理は完璧。トリックも分かった。犯人も捕まった。でも4人死んだけどね」というやつ。コナンだけでなくミステリにこういう形多いですよね。

なぜこうなるかというと、ミステリの目的が「推理」であって「人助け」ではないから、だろう。



■犠牲者ゼロの連続殺人

そこで、この「雨格子の館(仮)」の出番となるわけだ。
このゲームでは、そういった名探偵が持つ逃れられない宿命から自由になれる可能性がある。

物語スタートとなる第一の殺人はもちろん止められないだろうが、それ以降はプレイヤー次第なのだから。

例えば、想像するにもっともすばらしいグッドエンディングは、最初の殺人の後、次々と起こる犯人のトラップをかいくぐり、全ての人間を助け、犠牲者ゼロで犯人を捕まえてしまうことだろう。

多くの名探偵が達成できなかった「犠牲者ゼロの解決」が達成できるかも知れない。
そういう意味で、このゲームはとても面白そうだ。

期待の一作になりそうだよね!(ファミ通的アオリ)



■2つのグッド

と、まあ、ゲームの紹介としては、ここで終わってもいいんですけど、これをきっかけにさらに踏み込む。

先ほど想像するグッドエンディングを「犠牲者ゼロでの事件解決」と書いた。
このゲームを買ったプレイヤーは、多分とりあえずはこれを目指すんだと思う。

達成目標としては、これが最も難易度が高く、ゲーム的にはこれが出来れば確かに「真のグッドエンディング」でしょう。では物語的には?全員助かるのがグッド?

僕はあまりそうは思わない。
前述したように、ミステリの醍醐味の一つは、その悲劇性にある。
全員助かるストーリーでは、悲劇性は犯人にのみ集約されるが、殺そうとして全て失敗する犯人にそれを背負えるのかどうか。

物語としたら、助けたい人(美人とかね)があと一歩及ばず死んでしまったり、死なないと思っていた人があっさり死んでしまったり、いい人ほど早く死んでしまったり。
それらの悲劇が積み重なって、さらに残された者の恐怖が倍加してそれ自体が悲劇となる方がいい。ドキドキという名の汽車に乗って夢工場行った方が全然楽しい。

これは要するに、ゲーム的な「グッド」と、物語的な「グッド」の意味が違うからなんですよね。
ゲームのグッドは、「うまい」(うまくやるのが面白い)
物語のグッドは、「面白い」 (それが悲劇であれ喜劇であれ)

例えば「ファイアーエムブレム」というゲームは、いっぱいキャラクターが出てくる、シミュレーションRPGですが、こいつがどえらいシミュレーションで、全員を生かしたままクリアーしないと真のエンディングを迎えられない。
これはとても歯ごたえのあることで、ゲーム的には極めて正しい。
しかし実は、それを達成するために、成長をほとんどしない老将ジェイガン(=ゲーム的に使えないキャラ)は、1度も戦場に出ることなくクリアーを迎える、といったような状況が発生する。母ちゃん達には内緒だけど!

お話として見るなら、こういった「死んだ方が映えるキャラ」は途中で死んでくれた方が断然盛り上がるはずだ。
「王子!ここはこのジェイガンに任せて、早くお逃げを!」
「ダメだ!一緒にいくんだ」
「…王子、立派になられましたな。この老骨が最後に役に立てて、光栄でございます。では!」
「ジェイガーンッ!」
とか言って死んだらいい。華々しく散ったらいい。
ジェイガンはゲーム的には役に立たないかも知れないが、物語的には全然使えるキャラクターだからね。

ゲーム的には、使えないジェイガンは戦場に出さずに犠牲者ナシで終わらせるのが「グッド」
でも物語的には、老将ジェイガンに最後の見せ場を作って戦死させたほうが「グッド」

この2つの矛盾する「グッド」を何とかイコールで結ぶ方法はないのかな、と、昔からあれこれ考えています。つまりは物語の「面白い」をそのままゲームで表現出来ないかなあ、ということなんですが。(これについては、また別の記事で)

まあ、この雨格子の館(仮)について言えば、多分難しくて、何度も悲劇的な展開を味わうことになるんだろうから、その悲劇からの脱出という意味で「犠牲者ゼロ」の解決があるんでしょう。

でも多分、ストーリー的に一番面白いのは「この人とこの人が死んで、犯人がこの人のルート」というのがあるはずだ。多分ゲームのグッドと物語のグッドがイコールで結ばれていないと思う。そういう目的のゲームじゃないので結ばれてなくてもいいんだけどさ。



と、まあ、ここで終わって本当に良くて、こっからはメモ。

・「プレイヤーによる生存者コントロール」について
ゲーム設定的には「犯人が殺す」というように見えるが、生死はプレイヤーで制御可能なため、実際はプレイヤー自身が殺人をコントロールしていることになると思う。
プレイ回数によっては「別ルートに行くために、悪いけどこのおっさんには死んでもらおう」と、文字通り残酷にコントロールしてプレイする必要が必ずあるはずだ。

・悲劇と恐怖について
悲劇と恐怖をどれだけ与えても、プレイヤー=名探偵=死なない、という構造の元では無意味だ。だからその特権を剥奪して、プレイヤー→死ぬかも。それどころか犯人かも。という「次に殺されるのはオレかも知れない」「このままだとオレが犯人だと疑われる」というシチュエーションをつくったのが、以前、妄想した対戦推理ゲーム。

・ニンテンドーDS用対戦推理ゲーム。
ニンテンドーDSは、個人個人の別画面を持ったまま、同じゲームをプレイできるので向いてそうだ。洋館を分かれて探索して、一方が「キャー!」で、もう一方が「今の悲鳴は!」といって駆けつける、というような。1人だけ犯人を見てて(画面に映った)、もう1人は見てない、というようなことが簡単にできるんじゃないかな。
その場合、1人がもう1人に「特徴は?」とか聞き込みが出来て面白いな。見た方はそれをペンで書いたりして。



とにかく『雨格子の館(仮) 』がどんなゲームになるのか楽しみですね。
一般的な選択式推理アドベンチャーゲームが、物語を見せる形式として好きではないので、新しいことをしてくれるゲームに期待したいです。
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