劇場版『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』は、ネット世界で「災害」が発生する物語です。
ネットやコンピューターの大混乱によって、わたしたち現実の社会システムも二次災害的に大いに混乱することになります。

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この作品では「災害」の主体として、ディアボロモンというデジタルモンスターが登場していますが、目的、善悪、敵味方の概念はなく、ただひたすらに人々に迷惑をかける存在です。
すでに起こってしまった「災害」に対するリアクションのみを描いた作品といえるでしょう。

なぜ具体的な目的や善悪の概念を持った敵を、作品に組み込まないのか?
それには、いくつかの理由があるでしょう。

そもそもがいわゆる「2000年問題」という混乱をモチーフにしたもので、ディアボロモンはその擬人化に過ぎません。冬の厳しさを擬人化して表現した「冬将軍」みたいなものと考えてもいいかも知れませんね。
また実利的なことをいえば、わずか40分の上映時間しかないこの作品では、「敵」の存在を描くことを、最初から戦略的に放棄した面が大きかったように思います。
「世界の混乱と、それに対応する人々(リアクション)」のみが必要とされた結果、限りなく「災害」に近い敵として設定されたのでしょう。

大人は見えない夢の島(デジタルワールド)


この「災害」――ディアボロモンによる世界規模の混乱に対して、大人たちは何も解決できません。
それどころかデジモンが原因であることすら大人は見えない、しゃかりきコロンブスです。大人は夢の島(デジタルワールド)までは探せないわけですね。

原因に気付き、対処ができるのは子供たちだけ。まさしく、ごきげんいかが、はしゃごうよパラダイスです。
映画では、主人公・太一を中心とした「選ばれし子供たち」が、世界中の子供たちの支援のもと、仲間のデジタルモンスターと協力してディアボロモンを倒し、問題を解決します。

大人たちは物語に関与できず、子供たちが主役として問題を解決する、というのは東映アニメフェアのデジモン劇場版として全く問題ありません。

確かに大人たちは、原因がデジモンとは分からず、また問題を解決することもできませんでした。
しかし、大人たちも実際に世界の混乱には巻き込まれ、それに対し、それぞれの立場で現実的な対処を強いられたはずです。

子供たちに救われるまでの世界


実際にディアボロモンによって起こされた世界混乱の対処として、例えば、

「警官」は交通整理や治安維持を、事故や火災には「救急隊員」「消防士」が駆けつけ、病院では「医師」が治療にあたり、「水道局員」はライフラインを守り、「自衛隊」も災害出動したかも知れません。

賢明なる読者諸氏はお気づきかも知れませんが、これらは『ぼくらのウォーゲーム!』と同じ細田守監督作品『サマーウォーズ』において、ヒロイン夏美が所属する「陣内家」の大人たちの職業です。

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『サマーウォーズ』に登場した職業以外でも、コンビニやスーパーなどの小売、飲食店、物流、製造などの店舗・企業、学校、公共施設、それからもちろん各家庭でも、ありとあらゆる場所で大なり小なり影響を受け、大人たちはみな、それぞれのポジションで日常を守るための戦いを余儀なくされたはずです。
IT系の企業などは、ネット災害が直接業務に関係するだけに、その対応たるや想像するだに恐ろしいですね…。

つまり『サマーウォーズ』は、大人が出てこない『ぼくらのウォーゲーム!』において、画面に映らないところで世界中の大人たちが社会や日常を守るためにしていたであろう戦いを、基本要素として取り込んでいるわけです。
なぜなら、子供たちの活躍で世界は救われたけど、救われるまでの世界は大人たちが守ったはずだから。

ただ、大人たちにデジモン(デジタルワールド)と子供たちの活躍が見えないのと同様に、もしかすると子供たちには見えない、分かりづらく、面白みのない戦いであったかも知れないけどね。

大人になった『ぼくらのウォーゲーム!』世代


『デジモンアドベンチャー』の主人公・八神 太一が小学5年生(10~11歳)で、『ぼくらのウォーゲーム!』の劇場公開が2000年春。
主人公・太一と同世代だった視聴者のちびっこだと、10年ほどが経過して成人している頃です。

子供たちのための映画として『ぼくらのウォーゲーム!』が見せたものと、見せなかったものは極めて正しいので、あの作品はあれで問題ありません。

だけど、デジモン世代が大人になっているような時期に上映する映画で、「あのとき、みんなが世界を救うまで、実は大人たちも世界を守っていたんだよ」ということを伝えるのは私は悪くないと考えます。
『ぼくらのウォーゲーム!』と基本的なしかけが同じでありながら別の映画になるための、つまり再構築(リビルド)の方法のひとつとして。

もう「選ばれし子供」では無くなった太一が、年長の大人たちと出会いながら別の戦い方を見つける物語になるだろうし、次世代の子供たちがデジタルワールドで活躍する立場を担う物語になるかも知れない。(この新旧三つの世代を、もっとも身近で分かりやすい単位で表現すると、おそらくは「家族」になるでしょうね)

それは、ディアボロモンが混乱をもたらした10年前、「世界を救ってくれた子供たち」と、(当時描かれなかったが)「日常を守ってくれた大人たち」へ送る物語。
恐らくその映画は、基本のストーリーラインや各種ギミックは『ぼくらのウォーゲーム!』と同じものを使っても、多分、意味が違う映画になっているはずです。

『サマーウォーズ』のパッケージング


実際現れた『サマーウォーズ』という作品は、要素を内包してはいますが、特にそういう映画ではありませんでした。
もちろん、『サマーウォーズ』はデジモンの続編でも後日譚でもないですし、そもそも、こうあらねばならないというものでもありません。

『サマーウォーズ』は、作品として、商品として、巧みに要素を選んでパッケージングされた映画です。
私自身の興味は、映画としての出来がどうこうより、この作品のパッケージングにこそあるといっていい。

この作品の枠組みが、なぜこうなっているのか、あるいはなぜこうしなければならなかったのか、ということが最も興味深く、可能性も含めて、考える価値があると思っています。

そのあたりのことを、先ほど書いた「10年前、世界を救ってくれた子供たちへ」という視点での可能性を中心に考えてみました。雑多なメモ形式で書いておきます。

メモ1:主人公とヒロイン


  • 『サマーウォーズ』は「男の子を主人公に」ということでつくられた映画ですが、それにも関わらず、ヒロイン夏美を主人公においた女の子視点の方がいろいろ整理しやすい内容になっています。(この辺りは、上映当時の感想にも書きました)
    ですから「男の子主人公」という前提が崩れますが、女の子主人公にしてしまう、というのはひとつの方法です。

  • 「男」にこだわるのであれば、枠組み自体が変わってしまいますが、大人になったデジモン世代へという意味も含め、「男の子」ではなく「大人の男」の映画にするという方向があります。

  • 例えば、28、9歳ぐらいのシステムエンジニア。もう少し若くとなれば24、5歳くらいか。OZ末端での開発や管理の仕事でしょうか。大学院生で、これからなんの仕事について社会に出ればいいのか悩みながら就職活動中というのでもいいかも知れません。
    かつて数学の天才児でしたが、今ではごく平凡な大人です。仕事に対して、充実しているとはいえない状況です。
    (「10年後のケンジ」をイメージしていただいた方が分かりやすいかも知れません。)

  • 主人公を大人の男性にした場合のヒロインは同年代でもいいですし、少し年下でもいいと思います。
    主人公とヒロインはすでに恋人関係にあり、ヒロインの実家に結婚(または交際)の挨拶に行く、ということにします。
    当然のことながら、主人公とヒロインの間には何らかのトラブルを抱えており、2人は結婚の挨拶に向かいながらも、「これでいいのか?この相手でいいのか?」という疑惑をもっています。
    『サマーウォーズ』は、細田監督が、結婚の挨拶をするために、奥様のご実家(上田市)を訪問したことがひとつのモチーフになっているそうですが、はっきりいえば、それそのままの方が日本映画になると思います。

  • 「男の子」視点がなくなりますが、これにはカズマを使いましょう。
    カズマにとって、ヒロインは、親戚のちょっと憧れていたおねえちゃん、という感じになるでしょうか。そのねえちゃんが男を連れてくる、ということになります。

メモ2:陣内家


陣内家(サマーウォーズ)
  • 陣内家のメンバーが全て「災害時に日常を守るための職業についている」こと自体は別に悪くありません。祖母の家訓という、言い訳もあります。しかし、災害の序盤でその役割を終え、陣内家に集まったときには、ごく一部の人間をのぞいて単に設定上のものでしかなくなってしまいます。

  • また田舎の旧家として、外部や近隣社会との関わりというのが全く不明なので、いっそ家業として、老舗旅館や老舗料亭を経営しているということにしてもいいかも知れません。
    従業員や取引先(酒屋など)、お客様、といった形で、「陣内家」の内部に、外部を存在させることができます。

  • 老舗旅館だけど最近はなかなか経営が苦しく、「温泉でも派手に湧いてくれればなあ…」ということにでもすれば、ラストの伏線にできるかも知れませんね。

  • 後述しますが、「陣内家」というのは、血族というよりマフィア・ファミリーといった場合の「ファミリー」の要素がありますので、家族+構成員=陣内一家、という意味を強めた方がいいかも知れません。娘をもらいに実家に行ったらジャパニーズ・マフィアだったというのも、ある種定番ですが、旅館や料亭といった商売でも「ファミリー」を表現することはできるでしょう。

  • この場合、主人公とヒロインも空部屋に泊めてもらって、お客気分でのんびり…のつもりが、ヒロインどころか初対面の主人公まで旅館の手伝い(一家の仕事)をさせられる、というのも良いかも知れません。

メモ3:陣内栄(ゴッドマザー)


  • マフィアの親分としてのゴッドマザーという位置づけにする。旅館・料亭にするなら、大女将ということになるでしょうか。

  • 血族だけでなく、「身内」と認めたものは、ファミリーの一員としてどんなことがあっても守る。だから侘助や主人公なども、ファミリーの資格がある。
    侘助との断絶は、愛情というより、仁義の問題にするという方向もあるかも知れない(でも結局、愛情がからんでくるのだろうけど)。

  • 扱いがデリケートなのだけど、少し認知症が入っているキャラクターにするという方法はあると思う。

  • ケンジをいきなり承認して、ファミリーの中に入れてしまうことや、災害発生後の各所への電話なども(あくまで作劇上の言い訳として)認知症によるものにしておくが、そのことは伏せておき、死後はじめて主人公(観客)に明かされてもいいのかも知れない。
    そうなると、電話なども普段一緒に暮らしている家族から見れば「また、おばあちゃんは電話して迷惑をかけて…」という扱いになるだろう。

  • 栄の電話は批判も多かった場面ですが、「劇中の人物は感動。でも観客は批判」という構図ではなく、できれば「劇中の人物は批判・反対。でも観客視点では真意を汲み取れるから感動」となるべきのように思います。
    陣内家としては認知症の老人のやることにすぎないのでスルーしがちですが、老人と暮らしていない主人公や作品外部の観客にとってはそうではなく、その行動の意味を汲み取ることになるでしょう。
    結果、主人公(と、多分ヒロイン)だけが、老人の意図を理解して継承するということにする。

  • 主人公を、侘助と勘違いして、ファミリーとして受け入れてしまう手もあるかも知れない。すると、早すぎる根拠なき承認は、単なる老人の勘違い、ということになる。
    「OZにアクセスできないが、陣内家には入れる主人公」と、「ラブマシーンによりOZを自由にできるが、陣内家には入れない侘助」という対比が強調されるかも知れない。

  • 余談だが、私の親戚のおばあさんも認知症で、たまに会うと「○○のとこの、二番目のせがれか?」などと、私ではよく分からない親類の誰かと間違われたりする。でも、元気で明るく楽しい人なので、親族の集まりではアイドル的な人気があったりする。ちょっとそれをイメージした。

メモ4:侘助


  • 『サマーウォーズ』では、ラブマシーンの開発者なので、全ての元凶ともいえますが、あらゆる社会的な責任を免責されるため、「敵」でもない。彼に与えられるのは、個人的なペナルティ(栄の死)。

  • 栄との関係をどうするか、というキャラクターなのだろうけど、私には正直よく分からない。

  • ラブマシーンを開発した侘助が、物語が始まったときにはすでに死んでいるという「帆場暎一」ネタにするのはどうか。そして香貫花・クランシーがコンバット目的で来日すればいい。

  • 主人公とヒロインを、結婚間近のカップルに設定した場合、侘助の「ヒロインの初恋の人」というポジションがもう少し生々しくなるでしょうね。

  • 個人的には、むしろ「主人公と侘助」の関係性に興味がある。主人公をOZの末端に関わるエンジニアと設定した場合、AI開発者としての侘助の存在を、正当に評価できる存在になると思う。
    陣内家の外部から来たことも合わせて、侘助の唯一の理解者になれるかも知れない。

  • その意味で、栄の代わりに侘助を承認するのが、擬似的に栄を継承した主人公、というのはいいかも知れない。で、主人公と侘助が、開発者同士とても仲良くなって、それにヒロインがヤキモチを焼く、という三角関係がよいと思う。

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メモ5:陣内家の戦い


  • 『ぼくらのウォーゲーム!』での戦いは、「選ばれし子供たち」による、いわばノブレス・オブリージュな自発的な行動によるものでした。

  • 2時間の尺がある『サマーウォーズ』でも、『ぼくらのウォーゲーム!』と同じように「敵」とそれに伴う悪意は省略されている。ハッキングAI「ラブマシーン」という存在はいるが、『ぼくらのウォーゲーム!』と同じく、社会的には「大災害」でしかない。

  • OZでは、誰もがネットワークに参加している。大人も子供も。その中で、誰が、何の理由で、リスクを負ってまで最後までラブマシーンと関わらないといけないのか。

  • 『サマーウォーズ』では、陣内家が戦う理由を、身内の侘助がラブマシーンをつくり他人様(ひとさま)に迷惑をかけ、栄が死んだから――つまり完全に「私闘」にしている。良い悪いでも、正義のためでも、世界のためでもなく、身内のため。
    そのために、ラブマシーン災害で直接の死者はいないこととし、陣内家が唯一、身内の死を被ったことに(物語上は)している。

  • 『サマーウォーズ』の状況の場合、「私闘」でないと、きっと戦う理由として成立しないだろう、と考えたことは、『ぼくらのウォーゲーム!』との比較という意味において興味深い。

  • ただし、この「私闘」感が、映画ではうまく伝わっていないようにも思う。前述したように、「ファミリー」としてのオトシマエ、という要素を強調するものが何か必要かも知れない。

メモ6:花札勝負


『サマーウォーズ』における最後の花札勝負は、はっきりいえばフィクションの大嘘としての「奇跡」です。
その意味で、前回記事で書いた『逆襲のシャア』と良く似ているところもあります。

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『逆襲のシャア』と『サマーウォーズ』 奇跡のプロセス
↓世界危機だが、根源は個人の「私闘」でもある(マクロとミクロ)
↓宇宙から、大きなものが落ちてくる。
↓危機に対して、ちっぽけな個人が何とかしようとする。
↓それを見つめる多くの人間たちの意思が集まってくる。【奇跡】が起こる。
↓その副産物として、危機的状況が解決される。


単純な絵面やシチュエーションとしてもそうですし、理屈からはずれた大嘘による解決であることも似ていますが、決定的な違いは、『逆襲のシャア』はタイトルどおり、シャアが人為的に起こす世界危機であることでしょう。

シャアにはアコギなことをしてでも、それをする理由があり、またアムロにはそれを止める理由があり、さらに2人には地球規模のマクロな戦いとは別に「私闘」とも言うべき因縁がありました。

  • 『サマーウォーズ』でも、意思と目的をもった「敵」を立ててもよいかも知れません。
    背後にいるものとして、侘助を立てる手もあるかも知れませんが、ラブマシーンがAIの割には、精神的な進化を感じさせなかったので、神々しくなっていくと共に、何か超越的な目的(それが人類には悪意に観えるかも知れないが)を手に入れるべきなのかも知れない。
    ただ、世界ネットワークを掌握したAIと、田舎の人のつながりの濃いファミリーの戦い、という単純構図になるのは避けたいところ。

また、『サマーウォーズ』では、花札勝負で夏希が代表に出ることに対して、いろいろと意見がありましたが、2つの意味で夏希しかありえないと思います。

  • ひとつは、映画として、観客の応援を受け、奇跡を起こす対象は美少女がふさわしいだろう、というもの。
    もうひとつは、OZでこの戦いを観ているギャラリーに対して、奇跡を起こそうとするキャラクターが美少女(アバターではあるのだが)である必要がある、というもの。
    この2つは、映画の観客と、その映画内のギャラリーという違いはあれど、起こす作用はほぼ同じ。
    シンボルとしてのアイドル(偶像)を応援してもらおう、というものだ。

  • つまり、OZで戦いを見守るギャラリー達の協力を最も得やすいキャラクターを出すのが、この戦いで奇跡を起こすための最低条件になっていると思います。
    陣内家で、その役ができるのは、恐らく夏希しかいない。
    (カズマは既に「キングカズマ」という別の偶像をやっている)

  • だから、この戦いでは花札が最も強いキャラクターを代表として出しても、多分意味がない。
    夏希のタレント力で世界中から人々の協力を集めることができるか、という戦いになっているはずです。

  • OZの守り神、ジョンとヨーコは、戦う前に夏希に幸運のアイテム(着物)を与えてくれたが、あれは実際の効果というより、アイドルの魅力を増すステージ衣装のようなものと考えてもいい。

  • 話は少しずれるけど、例えば、ジャニーズのアイドルが個人で大金を募金する必要はないし、その力を持つ必要もないよね。
    彼らがすべきことは、日本中の女の子から100円ずつお金を集めること。それは彼らにしかできない。
    ジャニーズのアイドルたちには、私の100円を預けるとするなら、あなたたちがいい、と思わせる力があるんでしょう。それはまさにタレントです。

  • 夏希も同じように、みんなのアカウントを集めたのだろうと思います。ネット上の「祭り」のような形ですけどね。もちろん、全てのギャラリーが味方についたわけでも協力してくれたわけでもない。あくまで一部ですが。

  • しかし、この仕事を美少女に委託しなければならないということであれば、やはり男性主人公というのは難しいのかも知れない。
    花札勝負の場合、外部と内部、二重の観客を納得させなければならないが、それは男に可能だろうか。(画面上は個人情報が紐づいているとはいえ、ただのアバターなんだけどね)

  • カズマも、彼の価値は、強大な戦闘力という男性的で分かりやすい評価軸に支えられていた。
    (だからこそ「敗北」で、一気に価値を失ってしまう)

  • 個人的には『サマーウォーズ』での夏希の最大の仕事は、最後のピースである侘助を呼び寄せて、家族を全員集合させたことで、花札勝負ではないと考えています。
    花札勝負は物語上の最大の仕事ではないかも知れませんが、「私闘」にギャラリーを巻き込んで奇跡まで持っていった見せ場ではありますので、これはこれでいいのかも知れません。夏希のアイドル的魅力や、タレント力をどう保証するのかは難しい課題ですが。

脇道:ギラ・ドーガのパイロットについて


クライマックスで協力してくれた人の中には、キングカズマの敗北のとき罵倒していたような人たちも大勢いただろう。なぜ、そんな人達が協力してくれたのか、ということについては『逆襲のシャア』で最後にアクシズを押してくれたギラ・ドーガのことを思い出す。

アクシズを落とそうとしたギラ・ドーガが、なぜ最後にアクシズを押す側に回ったのか。いろいろ内面的な解釈はできると思うけれど、行動から見る事実として、ギラ・ドーガはあのシチュエーションにならないと、アクシズは絶対に押してないはずなんだよね。

敵味方もなく、アクシズを押すというラストシーンはある種の奇跡なんだけど、逆に言えば、あの状況以外では、ギラ・ドーガのパイロットは押す方へ参加していない、ということになる。

それはギラ・ドーガのパイロットが悪いというわけでなく、多分、それが普通の人間ということなのだ。そこには私も含まれる。悲しいけれど、間違ったこともするし、日和見もするし、影響を受けてストーンと転向もする。
『サマーウォーズ』でのOZのギャラリーも同じ。どちらでもあり、どちらでもない。罵倒するし、神と崇めるし、状況や空気を読みながら、ポジションと行動を決める。

でも、東日本大震災のときに、恐らくほとんど反射的に人を助けたり、避難に協力したり、呼びかけたりした人が大勢いたことを報道で知った。
私は被災していないが、その場でそういうことができるかどうか分からない。自信がない。そこまで自分を信じきれない。
ただ、最初のひとりにはなれないかも知れないけれど、誰かがやろうとしてることの協力ぐらいだったらできるのではないか、やるべきではないか、などと甘いことを考えたりもしています(まさにギラ・ドーガ精神)。
アムロ・レイは、最初にアクションをとった人になりましたね。前回記事でも書いたけど、私はニュータイプだからどうかとは一切関係なく、人間としての行動を賞賛します。

メモ6:物語の終わり


  • 『サマーウォーズ』では最終的に、ラブマシーンを撃破し、映画的なカタルシスを得るために一方的にやられて消滅します。

  • ラブマシーンの意味合いをどう変えるか、に関係しますが、侘助は自分の生んだAIを否定すべきではないかも知れません。いや、侘助は栄を失ったこともあり、自分の仕事と生まれたものを全否定していてもよいですが、唯一の理解者である主人公が肯定すべきかも知れません。

  • 主人公は、これからどうしようかな、どう生きようかな、と物語の冒頭で悩んでいたことにしましたが、「好奇心」いっぱいのAIラブマシーンを面白い、と感じて、開発者魂に火がついたことにするのもいいですね。

  • 侘助は、ラブマシーンの責任を取らないといけないですが、AI開発は、主人公が引き継ぐ、または将来的に侘助と一緒に研究者として活躍したり、ベンチャー企業を立ち上げて、など、何でもよいのですが、やることが決まって進みだした、ということにしておくのがよいでしょうか。

  • ベタではありますが、主人公がAI開発者になって、将来生まれるかも知れない「デジタルモンスター」の生みの親になることを示唆するようなオチも、まあ、ありかも知れません。

  • 主人公とヒロインの関係は、これまでの過程で修復されるでしょう。
    ヒロインは、主人公が世界を救うのに重要な働きをしたからではなく、祖母を継承し、ファミリーに承認され、バラバラになりそうだったファミリーをひとつにまとめた、という事実をもって、彼が大事な人であり、自分の選択が間違っていなかったことを再認識するでしょう。

  • ちなみに、これまでの流れでは、軽い認知症にしてしまった栄の電話ですが、全てが終わったあとに、総理大臣から陣内家に電話が入って、侘助の件と、陣内家がやった私闘の後始末はできるだけ手を回す、栄さんの頼みだからな、と伝えられるというのもいいかも知れないですね。
    老人の困った電話と思っていたけど、その中で1本だけ、本当にすごいところに、ばあちゃんの電話が効いていた、と最後に分かって全員びっくり、というような形で。

  • この場合、最後の遺影は、笑顔でなくウインクになるかも知れないけどね。

『サマーウォーズ』が選んだものと選ばなかったもの


以上のように、長々と雑多なメモで、『サマーウォーズ』のありえたかも知れない可能性のひとつを探ってみました。
これは、『サマーウォーズ』批判でもなければ、「こうすればもっといい映画になるよ」という改善案でもなく、ありえたかも知れない可能性の話でしかありません。

はっきりいって、私が思いつく程度のこれらの断片的な案は、制作時の会議などで、すでに出ているものばかりでしょう。
さまざまな作品の可能性が、制作時には検討されているはずです。
そして、皆さんが知っているあの『サマーウォーズ』が形作られ、映画として上映された。
実際の映画で選ばれている各要素は現実的に考えて、多くの場合で正しいものであったろうと思います。実際に結果も出ています。

ただ、「男の子主人公」の「誰も傷つけない」ただひたすら「とにかく楽しめる」映画をつくろうとして、こういう枠組みの映画になったというのは、私にとって、とても興味深いことです。
『サマーウォーズ』が選んだものと選ばなかったもの、それは何なのか、なぜなのか、誰のためなのか、ということを考えてみるのはきっと面白いですよ。

終わりに。『逆襲のシャア』と『サマーウォーズ』


このブログでは上映前後にいくつか『サマーウォーズ』の記事を書きましたが、未だにたまにコメントをいただいたりします。基本的にコメントが少ないブログなので、これはかなり異例のことです。
それらのコメントを見ると、私より若いデジモン直撃世代の方が、もやもやしているように見えて、なかなか罪作りな映画になってしまっているかも、と感じています。

私は『機動戦士ガンダム』いわゆるファーストガンダムを幼少期に見た世代ですので、これを原体験としてのデジモンおよび『ぼくらのウォーゲーム!』の位置に置くなら、『サマーウォーズ』に位置する作品は、おそらく『逆襲のシャア』になるでしょう。

『逆襲のシャア』を見たタイミングでは、私はまだ大人にはなっていませんでしたが、原体験の約10年後に見た映画としては大きな価値がありました。
私は自分の成長過程でこれを体験しているから、『サマーウォーズ』が、『ぼくらのウォーゲーム!』を見たデジモン世代への、10年後のアンサーになってほしかったと、自分勝手に思っているのかも知れないですね。

『逆襲のシャア』については、前回の記事で詳しく書きましたので、それをご参照ください。
アムロ・レイが、宇宙世紀の最後にしてくれたこと。<『逆襲のシャア』で起きた【奇跡】>

いずれにせよ、「ニュータイプ少年」でも「選ばれし子供」でもない私が守れるのは、日常でしかありません。いつか世界を救ってくれるかも知れない子供たちのためにも、まあ、何とか自分のいる位置、手の届く範囲で、日常を守っていこうと思います。

追信:こどもたちへ
大人たちはたぶん、みんなこういう気持ちでがんばっているのですが、中には爆装(ばくそう=爆弾を抱えた状態)してる機体だってあります。
できれば全機(ぜんき)がオーバーロードして爆散(ばくさん)する前に、みんなに大きくなって手伝ってもらえると助かります。そこんとこよろしく(ここんとこごぶさた)。




『サマーウォーズ』関連記事(四部作)

このブログの『サマーウォーズ』記事です。よろしかったらどうぞ。最初の記事はネタバレありません。

■見る前(上映前)のレビュー
日本の夏。『サマーウォーズ』の夏。 < 『ぼくらのウォーゲーム』再構築(リビルド)の価値は >

■見た後のレビュー ※ネタバレあり
サマー"ウォーズ"バケーション <田舎で見た、映画『サマーウォーズ』鑑賞メモ>

■特別編:ゴハン食べるの?食べないの?(フード理論) ※ネタバレあり
世界の危機には「家族で食事」を <『サマーウォーズ』 フィクションと現実で異なる「正しい行動」>

■完結編:『サマーウォーズ』のパッケージングと可能性の検討について(この記事) ※ネタバレあり
10年前、世界を救ってくれた子供たちと、日常を守ってくれた大人たちへ<『ぼくらのウォーゲーム!』と『サマーウォーズ』>

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前回記事と今回の記事について


前回記事の『逆襲のシャア』、今回の『ぼくらのウォーゲーム!』『サマーウォーズ』は、身近な祖父の死と、その直後にあった東日本大震災という、2つの衝撃的な出来事に関連して、頭に浮かんだ作品です。その意味で、前後編のようなつながりを持ちます。

メッセージとしては震災直後の素朴なものなので、二ヶ月も経過した状態で出すような内容でもないんですよね。なので、1年前に書いた『サマーウォーズ』についてのメモを組み合わせて、せめてお得感を増やそうとして…と、やっているうちに『風魔の小次郎』でいうところの“華悪崇”となってしまい、危うく聖剣戦争が勃発するところでした。

ちなみに何の偶然か、亡くなった祖父は『サマーウォーズ』の栄と同じ、89歳でした。
(栄のように90歳の誕生日を迎えられませんでしたが)

今更ではございますが、被災された方々には心よりお見舞いを申し上げます。また被災地の一日でも早い復興をお祈りいたします。
祈りとしては「一日も早く」なのですが、現実問題として長い期間ががかかりますので、被災を免れた日本人としてずっと応援し続けたいと思っています。

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非公開コメント

素晴らしく読み耽ってしまいました。日本語おかしいですが。

すごい。

筆者さんが映画を撮ることがあったらば、是非観てみたいものです。

コメントありがとうございます。

コメントありがとうございます。

> 筆者さんが映画を撮ることがあったらば、是非観てみたいものです。

お褒めの言葉として大変ありがたく思います。
ただ本文中にも書きましたが、こういう断片的なアイデアは、制作会議などでひと通り出ているレベルのものだと思っています。
それらから作品の形を決定し、実際の作品をつくっていくのは完全に別の問題で、残念ながら私にはそれはできません。

できませんが、つくられた作品をもとにテキストを書き、それを少しでも楽しんでいただけたなら、それはそれで本望です。
個人的には「『サマーウォーズ』を、もう1回見てみようか」という動機を作るつもりで書きました。
興味を持たれましたら、ぜひ『サマーウォーズ』をご覧になってください。

Re: 10年前、世界を救ってくれた子供たちと、日常を守ってくれた大人たちへ<『ぼくらのウォーゲーム!』と『サマーウォーズ』>

ぼくらのウォーゲーム直撃世代の者です。

4つのエントリー拝見いたしました。3年の時を経て、ようやく「サマーウォーズ問題」のもやが幾ばくか晴れました。
私もこの問題の原因は、前エントリ『「サマーウォーズ」まとめ』で述べられているように、ウォーゲームのリビルドであるという点ではなく、作品内の諸問題にあると考えております。
鑑賞後のもやもや感は、他の作品(映画という媒体に限らず)にもよくあることです。本作はウォーゲームという過去に放映された思い入れのある映画と構成が類似しているため、その点が多くの人に顕著に感じられてしまい、実の原因がわかりづらかったのではないでしょうか。
とにもかくにも、今年の夏もサマーウォーズは金曜ロードショーで放映され、その地位を固めつつあります。それは喜ばしいことです。私にとっても「良い映画」ですから。

それはそうと、不躾なコメントに対するTOMMYさん慇懃無礼さが、流石!と思ってしまいました。

あ、あと既に調べられたかと思いますが、星新一さんの作品はそのまま「神」でした。先日映像化されたものがNHKで放映されており、大変興味深かったです。星新一さんの素晴らしい先見性は敬服せざるをえないです。


Re: Re: 10年前、世界を救ってくれた子供たちと、日常を守ってくれた大人たちへ<『ぼくらのウォーゲーム!』と『サマーウォーズ』>

コメントありがとうございます。

> 4つのエントリー拝見いたしました。3年の時を経て、ようやく「サマーウォーズ問題」のもやが幾ばくか晴れました。
> 私もこの問題の原因は、前エントリ『「サマーウォーズ」まとめ』で述べられているように、ウォーゲームのリビルドであるという点ではなく、作品内の諸問題にあると考えております。

そうですね。基本プロットが同じであることが問題ではないというのが、私のスタンスです。
でも「プロットは同じで意味が違う映画」にリビルドするという意味では、問題があると思いますね。

> それはそうと、不躾なコメントに対するTOMMYさん慇懃無礼さが、流石!と思ってしまいました。

不躾なコメント?と、思って見返してみたら、なるほど。お二方ほど思い当たるコメントが。
お二方とも、表現方法に少し問題がありましたが、デジモン大好きというのは伝わってきましたので、その辺りを取っ掛かりに返しただけなんですが……しかし私、慇懃無礼でしたか?
そんなつもりは全く無かったので、そう見えたとしたら問題ですね。

> あ、あと既に調べられたかと思いますが、星新一さんの作品はそのまま「神」でした。先日映像化されたものがNHKで放映されており、大変興味深かったです。星新一さんの素晴らしい先見性は敬服せざるをえないです。

ありがとうございます。調べてませんでしたので助かりました。
NHKで映像化というのも知りませんでしたので、機会があれば見てみたいですね。

新幹線男。

勿論サマーウォーズは意味深ですよ。

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