接触篇はこちら→「私の履歴書」富野アニメ体験プロフィール【前編】
<前回までのあらすじ>
- 幼児期、アルバムの写真が全てライダー変身&ウルトラマン光線ポーズになるほど、ウルトラマン&仮面ライダーに狂っていた私だが、ガンダムに出会ってからそれを全てやめる(分かりやすい)。
- その後、順調に冨野アニメに染まっていくが、「はじめて自分のものと言えるガンダム」であるZガンダムを失い、「Zガンダムは、私の母になってくれるかもしれなかったアニメだ」状態になる。
- そして、Zの反動ともいえる路線変更をされたZZガンダム。子供向けにされた展開に「こ、こんなのが欲しいわけじゃない!」と子供らしい反発をして、ついにZZ後半を見ないという事態に。
はたして、このまま富野アニメと決別してしまうのか!
もちろん全然決別してないから、こんなん書いてるんだけど!
アムロの子ら
ZZの後半を見なくなったあと、後番のドラグナーあたりも見たりもしたけれど、ガンダムを含めたロボットアニメ全体から遠ざかりつつあった。
『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』
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そんな流れから現れた逆襲のシャア。劇場では見ていない。
モチベーション的な理由もあったが、田舎だったから、逆シャアを上映する劇場まで子供が行くのはかなりの覚悟がいるというのもあった。そもそも交通費、チケット代を含めたお金も全然無かった。
でも富田靖子が出てくる、公開前特番みたいなのは見た気がする。TVだから。タダだから。
ある程度の年齢から上の人しか分からないと思うけど、その昔、ガンダム芸(能)人といえば、富田靖子でしたよね。好きなアニメに、ドラえもんやディズニーやハウス名作劇場でもなく、「ガンダムが好き」と公言する芸能人(ましてや女優)がまだほとんどいなかったころのおはなし。
「逆襲のシャア」を初めて見たのは、劇場公開から2年ほどたった冬休みか何かの地上波放映時。
見終わって、友人らとしばらく「それはエゴだよ」を言い合っていたのを覚えている。
「数学の宿題写させて」「それはエゴだよ」みたいに、ちょっとわがまま言うと、全部エゴ扱い(もちろんエゴの意味はなんとなくしか分かっていない)。そんなハッピーエゴライフを送っていました。
■永遠のアムロ
当時の私の感想は「うまいこと、アムロとシャアをまとめて殺したな」でした。
この感想は基本的には今でも変わってはいない。
Zガンダムを作ったことで、ガンダムに歴史が生まれて、その歴史の時の流れは、アムロ達登場人物にも平等に年をとらせる。
スター役者であるアムロヤシャアはこの世界で、この先どう生きていくのか。
老いたアムロヤシャアがモビルスーツで、若いパイロットに押されてロートル扱いされるのか。
そんな芸能界のアイドルや、スポーツ選手と同じような、逃れられないせつなさを味わうのかも知れない。
さらにその先。
ブライトのようにアムロやシャアにも子供が生まれて、その子もパイロットになり、ガンダムに乗って人殺しをしたり、殺されたりするのかも知れない。その次の子供も、そのまた子供も敵味方に分かれ、殺しあいを続けていくのか。
それを避けるには、2人の時を止めて、永遠の存在にするしかない。
ジェームズ・ディーンのように。松田優作のように。
だから「逆襲のシャア」のラストで、アムロとシャアの結末がああなったのは、子供ながらに納得がいった。
ああなった以上、アムロとシャアの物語は宇宙世紀のこの先、存在できない。
富野監督はもちろん、サンライズや、バンダイもアムロとシャアの未来をつくることはできない。
アムロとシャアをこれ以上誰も触れないように(もちろんそこには富野監督自身も含まれてしまう)、葬ったんだな、と感じていました。
ところが、その後、友人から小説「ベルトーチカ・チルドレン」を借りて読んだりして、アムロの子供の存在を知ったり、「ガイア・ギア」の存在を知ったり、血のつながりは無いけれど、ハサウェイがアムロとシャア、2人の子供になっていったりするのを見て、よく分からなくなっていった。
「アムロとシャアを葬りたかったんじゃないの?」
「俺(冨野)はいいんだよ!でも他のやつはさわんな!」
というのも、まあ、あったりするでしょうが、そもそも「他のやつ」は「逆襲のシャア」でアムロの子供が登場することに反対したんですよね。
当初書き上げた映画シナリオの第1稿は、内部での審査時に「アニメーション映画の主人公が妻子持ちになるのはどうか?」という批判を受けて改訂が行われた。
機動戦士ガンダム 逆襲のシャア(wikipedia)
アムロに子供がいれば、アムロが身を捨ててでも地球を守りたかった行動がより明確になる。そういう意味でも、「子供を持つアムロ」はとても自然に思える。
だがそういうアムロが存在することは反対されてしまったので、彼は結局、ぼくたちに地球を残してくれたけれども、血を分けた子供は残さずに宇宙世紀から去っていった。
私は映画を見た後で裏事情をいろいろと知ってしまったわけだが、さまざまな思惑や偶然の結果にせよ、アムロやシャアに子供が残されなかったのは良かったと今でも思っているし、「キャラクターにどう始末をつけるのか」という問題としては、非常に示唆に富むサンプルだと思う。
これは今思いついたので、思いつくまま書くけど、庵野秀明は「THE END OF EVANGELION」で、物語とキャラと世界を、全てを終わらせる映画をつくったけど、富野由悠季は「エンド・オブ・ガンダム」は作れない立場なんだよね。ガンダムの世界は続かないといけない。世界は続く。
富野が作るのは「エンド・オブ」じゃなくて、「リング・オブ・ガンダム」なんだよね。
もうそれは、「1周回って」ポジティブなものに感じられるけどね。ターンAも生まれたし。
そういう富野由悠季にとって、アムロとシャアを殺すのは彼に可能だったギリギリの、でも譲れないラインだったんじゃないかな、と思える。実際はどうかは知らない。でももし私なら、アムロとシャアは自分で殺したい。
「逆襲のシャア」はもうひとつ書きたいことがあるけれど、富野体験とは少しずれるし、長くなりすぎるので、独立して記事をつくります。「νガンダムとサザビー、どっちが強いの?」というような記事です。
シャアの動乱以降
『機動戦士ガンダムF91』
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劇場に見に行ったはじめてのガンダム。
この辺りでやっと、自分たちで劇場に行けるようになっていた。公開前特番を見たものの、ほぼ事前情報の無いまま、私の方から友人達を誘い、劇場に行った。
ご存じの通りTVシリーズ化を前提にした企画だったため、物語的にはダイジェスト的になっていて、全てがキレイにおさまる映画ではない。
上映が終わり、館内が明るくなると、友人達が私の顔を見ていることに気がついた。
み、見るな!俺の顔を見るな!俺も、コスモ貴族主義がどうなるかなんて知らなかったんだよ!
世界の風呂敷は全然たたんでないが、シーブックとセシリーの物語としては、うまいことまとまってたじゃないか。な?そうだろ?
「さ、ご飯でも食べに行こうか。」
と、友人たちの視線には鉄仮面をかぶって無視し、劇場を出た。
『機動戦士Vガンダム』
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Vガンについては、カテジナ裁判の記事を書いたので、とりあえずそちらで。
【ガンダム三大悪女】 カテジナ・ルース裁判
この当時は、本当にアニメが無かったし、みんなアニメ見ていなかった。
私もVガンダムとセーラームーンぐらいしか見ていなかった。「アニメがない!」って今ではちょっと考えられないですけどね。ガンダム友人もVガンのときには1人しかいなかった。もともと友達少ないけども。
またこれも今では想像しづらいけど「ガンダム?あったねえそういえば。え?まだガンダムのこと考えてるの?」と言われる時期は何度もあった。みんなガンダムは過去のものとして忘れていたし、そしてそれは自然で当然のことだった。
現在、ガンダムが世代を越えた基礎教養のようになっているのが、ちょっと信じられないという感覚はいまだにある。それは素直にすばらしいことだと思っておくが、正直なところ、リアルタイムの時さみしかったよ、その時にいろいろしゃべりたかったよ、という思いもある。
宇宙世紀の外側
『機動武闘伝Gガンダム』
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富野監督作品ではないけれど、無関係では無いし、Vガンダムの後番だし、リアルタイムでちゃんと見たしで、取り上げておきたい。それに個人的にもガンダムシリーズ内でも重要な位置づけにある。
Gガンダム放映当時のことで思い出すのは、やはり放送前のマイケル富岡と内山君の特番……いや第一話。第一話見た後の感想は「あれ?思ったよりおとなしいな」でした。はじめのうちは暗めで地味なお話が続くんですよね。
今川監督だし、事前に聞いた情報から、もっとむちゃくちゃ破天荒かな、と想像してました。東方不敗が出てくると全て吹き飛ぶのですが。
本放送当時、ネットも無かったので私の周りだけの反応でいうなら、やっぱり「これをガンダムとは受け入れられない」という人もいました。(今もいるのかな)
低年齢層とか、これまでのガンダムを知らない人たちも見れるコンテンツという意味はあったと思います。うちの妹も、これまでガンダム見てませんでしたが、途中からは私が見てる横で見てました。
今だとすっかり「Gガンは熱い」「燃える」で評価が定まった感がありますが、放送中に私が感じてたのは面白いと感じつつも「くやしい」。ひたすら「くやしい」でした。
当時、ガンダムはVまでしか無く、ガンダムで遊ぶのは二次的な創作の役割でした。SDガンダムや、ボンボンの佐藤元さんのマンガ(ぷっつんカミーユ)、そして私たち視聴者が友達とふざけて話すガンダムネタもそう。
でもね、Gガンダムは面白ガンダム博覧会で、しかも今川監督だからパイロットが涙流したら、ガンダムの顔も涙流すんですよ(個人的にはこれが今川監督で、すごいなと思う)。
やられた、と思った。「熱い」「燃える」と言っている場合ではない。
今後、ガンダムで面白ネタを考えても、そのほとんどはGガンダムに回収されてしまう、と思った。
例えば「ガンダムでオリンピックやったときに、各国の代表ガンダムはなに?」なんて、某巨大匿名掲示板のスレッドにいかにもありそうですよね(実際あるかどうかは知らない)。
そのときに「だとするとあれだよね。オランダ代表は風車に手足が生えたネーデルガンダムだよね」「それいいね。採用!」と勝手に考えて、ゲラゲラ笑うのは私たちの役割ではなかったか。
しかしGガンダムでは、こうした私たちのバカ話のようなガンダムを、大河原邦男やカトキハジメがデザインして、1年間のガンダムシリーズとしてガンダムオリンピック(ファイト)を放映して、あまつさえ、それが面白くて、しかもマンダラガンダムがちょっとかっこいい、とか、もうどうすればいいの?
だって、同じようなネタはみんな考えるけど、本当のスタッフとスタジオが本気で面白いものとしてつくってしまったんだよ!オフィシャルが!本気で!
オフィシャルにこのネタをやられちゃあ、おしめえよ!
のちにターンAガンダムがガンダム全肯定するんだけど、その前に面白ガンダムについては、Gガンダムが全肯定した上で全て回収しているんですよね。
そしてそのGガンダムごと、ターンAが全てを回収する。
だから当時は、もちろん楽しんで見てたんだけど、ある意味絶望してた。
当時はなぜみんながもっとGガンダムに絶望したり、悔しがったりしてないのか分からなかった。少なくとも私はGガンを見て以降、ガンダムで思いつく面白いことの何%かは「あ、これはGガン」と、回収されてしまうことに気づかされてしまう。
そしてせっかく”「あの顔」がついてりゃ全てガンダムだ。”
ということをVガンダムの直後のGガンダムが徹底してやってくれたのに、この後のガンダムがなぜかずっと執拗に「戦争」をえがこうとするのか、私には良く分からない。
ガンダム=戦争だとは全く思わないし、しかもそれはオフィシャルのGガンがすでに証明済みだ。
戦争は、あくまでロボットアニメのための都合のいい舞台装置だと思うし、宇宙世紀の冠をはずして、ここまで自由にやっていいとGガンで線引きをしたのに、なぜあそこまで戦争自体をテーマにしたがるんでしょう。
ロボットアニメのために徹底して利用する「戦争」ならいいけれど、むしろ「戦争」をえがくためにガンダムを使っている印象をどうしても私は受けてしまう。
ガンダム出て楽しけりゃどんなでもいいのに「戦争とは」「平和とは」を語りたがるのは不思議だ。
『新機動戦記ガンダムW』
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富野関係ないけど、Vガンダムが選ばなかった「ガンダム戦隊」を背負った作品として。
これも昔書いたが、「もったいない」という思いは当時も今も変わっていない。
多くの人を幸せにするポテンシャルを持っていた作品なのに誰も幸せにしなかったと考えている。
誰でもいいから多くの人を幸せにしてほしかった。その対象に私が含まれていなくても全く構わない。
もったいないと呼ばれたガンダム、「新機動戦記ガンダムW」
2つ目の衝撃
体験としては、ここで「新世紀エヴァンゲリオン」が入る。
これはやはり大きかった。私の作品や物語の見方を変えたり、自覚を促したという意味では、ファースト(ガンダム)に続く、セカンド(インパクト)と言ってよいと思う。
これで、ガンダムや富野作品の見方も変わった。このブログの記事は、基本的にその通過を経たことによって、書かれたものです。
サードは今のところまだない。
「新世紀エヴァンゲリオン」についてはまた稿を改めて。
白富野三部作
『ブレンパワード』
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リアルタイムでは見ていない。のちにビデオ化されてから、レンタルで見た。かなり後のことだ。
うーん、私はあまりこれを語る資格はないな。体に染みついていない。ただ順番は一応守った(笑)。
『∀ガンダム』
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ターンAの記事は独立しては書いてないけど、個人的にはある程度書いたかなと思うのですが。
当時、本放送を見始めたときに思ったのは、やっぱり「Vガンダムのやり直しと救済」。
これはちゃんと独立したエントリ立てたいけど、要するに、ディアナ・ソレルの中にVガンダムの女王マリアを見たし、キエル・ハイムの中にカテジナ・ルースを見たということ。
多分、私はここに至るまでずっとVガンダムが、カテジナ・ルースが、心に引っ掛かっていたんでしょう。だが、ここで解放された。
『キングゲイナー』
WOWOWでの放送だったので見れないはずだったが、ちょうどWOWOWがサッカーのチャンピオンズリーグの放送権を持っていたので、サッカーと富野観戦(観戦?いや観戦でいいな)という二大趣味が揃うということで加入し、リアルタイムで見ました。
放送中は幸せでした。終わってしまうと、連続TVシリーズでも一個の作品として評価されてしまうから、全体の評価としては色々難しいところもあるけれど、毎週毎週リアルタイムで見ている身としては、週刊少年マンガのように次回を常に楽しんでたよ。
Vガンダムの後の作品については、
「リハビリのブレンパワード」「ガンダム卒業のターンA」「新たな世界へエクソダスのキングゲイナー」
という印象が私にはありまして、富野由悠季は今後、ガンダムを卒業して、ちょっと違う方向へ行くのかな、行って欲しいな、と思っていたので、
ゲイン「エクソダス……するかい?」
「する!する!」と、そのときは二つ返事でついていきました。
その後と現在
『Z劇場版』は一作目のみ劇場で。『リーンの翼』はまだ見ていないので、出来る限りリアルタイムで順番に、というのはもう果たされていない。
そんなのでは富野ファンとは呼べないな、と言われるなら、そうかも知れない。
でも、もう大人になったので、作品のリリースタイミングとは別に、自分が作品を必要としたときに見ることにしたい。その日は必ず来るはず。
子供のころ、父が以前買った本があるのに、また多くの本を買ってくるのを見ていて、
「なんで、読んでないのに次々に本を買うの?」と聞くと、
「本を買いたいときと、読みたいときは別だから」と答えられた。
子供のときは、今あるものを今体験したいと思っていたのだけど、年齢が上がれば体験できる作品の範囲が大きくなるのもありますが、自分が必要とするタイミングで作品に接する方が自然じゃないかと思う。
まあ、まだ見ていない作品についての言い訳ですね。これは。
さて、長々と自分語りをしてきたわけですが、富野アニメやガンダム体験の一つのサンプルと思っていただければ幸いです。私はこんな感じですが、皆さんはどんな富野作品体験を持っていらっしゃるでしょうか。良ろしければお聞かせください。ララァも喜ぶ。
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僕と富野監督さん
ハイランドビュー様の記事を読ませて頂いているうちに僕の中で『富野さん熱』が騰がってゆき、今ではTSUTAYAの半額レンタルデーが待ちどおしい毎日です。
で、今回の記事を読ませて頂いているうちに僕も自分の『富野さん作品遍歴』を書きたくなりました、ので、書かせてくださいm(_ _)m
僕が初めて『富野さん作品』を見たのは中学1年生の時です。
その記念となる作品は『ターンAガンダム』でした。
今までガンダムというモノは、幼少の頃からSDガンダムやプラモデル、ときた光一先生の漫画等で触れてはいましたが、リアルタイムで、しかも一年間のアニメで観るのは初めてでした。
(ちなみにVからXまでのガンダムは電波が僕達の地方には届かず全く観る事ができませんでした)
ガンダムが観れる!!もうその情報を知った時はめちゃくちゃ嬉しかったです。
そしてターンAガンダム第一話放送日当日、僕は部活をサボり一直線にTVの前に帰りました。そして観ました!第一話を!!そして僕は!!!
・・・ガンダムから暫く距離をおこうと決めました
Re: 僕と富野監督さん
中学1年生の時に、初めて1年間テレビでガンダムが見れることになったわけですか。
そしてそれがいきなり『ターンAガンダム』であったと。なるほど。
私としては、そういう方のお話にこそ、大変興味があるのですが・・・
> そしてターンAガンダム第一話放送日当日、僕は部活をサボり一直線にTVの前に帰りました。そして観ました!第一話を!!そして僕は!!!
>
> ・・・ガンダムから暫く距離をおこうと決めました
肝心なところが分からない。
ターンA第一話が、お気に召さなかったということなんでしょうか。
あくまで私の想像ですが、ターンAは一話、二話セットでプロローグといった形になっており、第一話では戦闘はおろか、まともにガンダムも出ません。そのあたりが、いわゆる「想像していたガンダム」とのギャップがあった、ということなんでしょうか。
もしよろしければ、詳しくお聞かせいただけると嬉しいです。
僕と富野監督さん2
ありゃりゃ? すみません勘違いをしていたようです。二話まで観た・・・かもしれません。
えと、僕が距離を置こうときめたのは、両方です。
セリフ回しやモビルスーツのデザイン、世界観等々、今まで一年間を通して見ていたアニメは勇者シリーズとかでしたので、『なんじゃこりゃー!?』って感じで全く着いていけなかったのです。
僕には・・・早すぎたんです(゜Д゜)
Re: 僕と富野監督さん2
なるほどなるほど。
『ターンAガンダム』は、ガンダムの予備知識も問われませんし、殺伐とした戦闘が主でもなく、内容的にはどなたが見ても楽しめるアニメになっていると思っています。
ただ、はまーんさんの仰っていることも分かります。
話自体は問題ないのですけど、1話(と2話)ってものすごい情報の圧縮をしているのですよね。
例えば、1話の冒頭から言いますと、
ロランが月から地球へ→地球生活開始→キエルさん成人の儀式→ロランとソシエの成人の儀式
この間、2年。この2年を最低限の背景説明だけで、あっという間に見せる。
この辺りの情報圧縮は、慣れていないと確かに戸惑うかも知れません。
本当は1クールぐらいやってもおかしくない、充分に楽しい内容ですから(ハウス名作劇場として、ですが)。
しかし『Vガンダム』などの、いびつで専門用語だらけの第1話と比べると、きっちりと計画された良い第1話だと思っています。
例えばロランの2年間は、物語の主人公のひとり、女王ディアナを受け入れるための前提条件になっています。
ディアナの登場は、第5話「ディアナ降臨」。彼女が地球に降りた時、物語は動き始めます。
それならばなぜ「ディアナ降臨」を1話にして、彼女が登場するところから始めなかったのか。
ディアナ降臨以前の(ロランの)2年間を、なぜ第1話で圧縮してまで描く必要があったのか?
それは、もう少し先までご覧になると、多分お分かりになるんじゃないかと思います。
もしまた機会があれば、ぜひ再挑戦してみてください。
けして、早すぎるということはないと思いますよ。
僕と富野監督さん3
はい、なので今ではハイランドビュー様の記事もあいまって、富野さんアニメにはまりまくってます。
登場人物の活きが良くてとても好きなのです
これからも記事、楽しく勉強させていただきます。
ありがたうございましたm(_ _)m