ショウ・ザマ「オレが最初に寝たからとか言うんだろ?でも―――」
クローバーがほんの少し長生きすれば、制作状況や時代が変われば、ショウが眠らなければ、違う物語もあったかも知れない。
でも、そうはならなかった。ならなかったんだよショウ。
だから、この話はここでおしまいなんだ。
………ちがうちがう。終わんない終わんない。
おしまいにしないために『聖戦士ダンバイン』の物語を自分なりに再構築してみよう、というのが今回の企画です。
![]() | 聖戦士ダンバイン 1 (2006/08/25) 中原茂土井美加 商品詳細を見る |
『聖戦士ダンバイン』リビルド(再構築)
『聖戦士ダンバイン』は、制作当時の外部的、内部的な要因で、いくつか問題を抱える物語になっています。
外部要因としては、視聴率だったり、スポンサーの売上不振からの路線変更、設定変更であったり。
内部要因としては、バイストン・ウェルという異世界を主役にしすぎたことへの歪みであったり。こちらは以前のエントリ(「なぜショウ・ザマはバイストン・ウェルで眠ってしまったのか」)で詳しく取り上げました。
『ダンバイン』には、本来語られるはずだったプレーンな形の物語が存在していたと想像できます。
しかし、それはさまざまな要因により我々の前には姿を現さなかった。
その「幻の物語」を体験するには、同じ異世界バイストン・ウェルを舞台にした小説、『オーラバトラー戦記』や『リーンの翼』を読むのが一番てっとりばやいだろう。
特に『オーラバトラー戦記』は、個人の作家性を色濃く反映できる小説という形式を利用した、富野由悠季本人によるセルフリメイクだ。と思う。多分。おそらく。
なぜ「多分」かといえば、私が『オーラバトラー戦記』も『リーンの翼』も読んでいないから。
だから、そこで語られ直したであろう聖戦士の物語が、実際にどうだったのかは良く分からない。
確かショウの名前が変わってたりするんですよね?超電子ダイナモが埋め込まれてるような感じの名前に。
読んでしまえば全てが終わる。読むと妄想力(ちから)が弱まる。
だからあえて、これらは読まずに『聖戦士ダンバイン』の物語を自分なりに考え直してみようと思います。
企画意図と注意書き
目的:『聖戦士ダンバイン』の物語を再構成する
・『ダンバイン』が持つ物語上の問題点や課題点を検討する
・私なりに問題点を修正して『ダンバイン』を再構成してみる。
・ただし、できる限りTV版『ダンバイン』の展開とキャラクターはそのまま残す。
ポイント
・小説『オーラバトラー戦記』や『リーンの翼』は未読。あえて読まない。
・OVA『リーンの翼』も未見。あえて見ない。
・「読まず、見ず、wikipediaも調べず」。これらの作品と比べたりはしない。(比較三原則)
・構成上、必然的に『聖戦士ダンバイン』のネタばれが発生します。ご注意を。
・あくまで今現在の私が考えた私なりの『ダンバイン』です。富野監督の考えや意図とは関係ありませんので誤解なきよう。
特に最後のもの。当初は「富野監督が本当にやりたかったダンバイン」を想像しようかな、といろいろ考えていったのだが、考えるうちにこれは「幻の物語」を発掘するものでも何でもなく、自分自身の物語に対する考えを『ダンバイン』を通して整理しているだけだということに気づいた。だから結局「富野ならこうするでしょ?」ということをやっていません。
そんな難しいことはそもそも出来ないし、物語とちゃんと向かい合うには拙くてもいいから自分自身でぶつかる方がいいよね。
…などと言っているが、要するに単なる妄想といった方がよく、表現手段のある方ならこういうのを二次創作作品に発展させるんだろうなと思ったが、私にはそれはできないので、こうするほかない。
さて、では始めましょうか。
まずは、『ダンバイン』の全体の大枠をつかんで、問題点や課題点をピックアップする必要がありますね。
とっかかりとして『ダンバイン』、というか「聖戦士伝説」を、物語の類型のひとつ、「行きて帰りし物語」で考えてみることにしました。
「行きて帰りし物語」で考える聖戦士物語
「行きて帰りし物語」とは、その名のとおり、「行って」「帰る」おはなし。
現実(日常) → 異世界(非日常) → 現実(日常)
と、いった具合に、登場人物が、どこかにでかけ、そして帰ってくる、というお話のパターンの1つです。
この言葉の元になった「ホビットの冒険」「指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)」や、なじみ深いところでは「千と千尋の神隠し」なんかもそういうお話ですね。
千尋ちゃんが、ちょっと不思議な世界へ行って、そこでさまざまな体験をして、元の場所へ帰ってくる。それだけのお話でしたよね。
『ダンバイン』も、東京の高校生である主人公ショウがバイストン・ウェルという異世界でさまざまな体験をするお話ですので、オーソドックスな「行きて帰りし物語」のフォーマットに当てはめてみましょう。
行きて帰りし『ダンバイン』
(1)主人公は現実世界で何らかの問題を抱えている。
(2)主人公は異界であるバイストン・ウェルに行き、聖戦士として戦うことになる。
(3)異界で通過儀礼を受け、見事それを突破した主人公は、世界を救い、大人へ成長する。
(4)役割を終えた主人公は、現実世界に帰還する。
・非日常は、あくまで成長のための仮の世界であって、最終的には元の日常に戻ってこないといけない。
・元の日常に帰ってきたときに、主人公自身が変化しているため、いつもの世界がちょっぴり変わって見える。
という所がポイントでしょうか。
『ダンバイン』ですと、バイストン・ウェルの戦いを終結させて、その後、東京へショウが戻ってくる。
たくましく成長したショウは、両親の問題ですねることもないし、盗んだバイクで走り出すこともない(お金持ちだから元々ないけど)。きっと、これからは両親に対しても、社会や未来に対してもショウはちゃんと向かい合っていけるだろう………おしまい。
別に「行きて帰りし」過程で、必ず成功や勝利をしなければいけないわけではないですが、オーソドックスに、めでたしめでたし、でまとめるならば、こんな感じのお話にはできますね。
しかし『ダンバイン』を見た人ならご存知の通り、この作品はこういうお話にはなっていません。
実際の行きて帰りし『ダンバイン』
(1)主人公ショウは現実世界で何らかの問題を抱えている。
(2)ショウは異界であるバイストン・ウェルに行き、聖戦士として戦うことになる。
(3)その途中で地上(東京)に戻ってしまい、母親と衝突。両親を捨て、帰る故郷を失くす。
(4)やむなく異界に戻り、戦いを続けたが、異界側から拒否されて、またもや地上へ。
(5)現実世界でロボット大戦争(もう日常じゃない)。
(6)ショウはライバル・バーンと相討ちに。シーラ女王の力で全員バイストン・ウェルに帰還。
(7)全てのオーラマシンが無くなった地上には平和が訪れる。でもショウはいないし、帰ってこない。
基本パターンからはずれるのは(3)の、いわゆる「東京上空」から始まる東京三部作から。
まだ異界で何もしてないショウが、その途中で東京に里帰りし、そこで両親と故郷を捨てることになります。
この時点で「行きて帰りし物語」で最後に帰るはずの「日常」がなくなってしまいます。
さらに(4)。異世界側に戻ってはみたものの、おさまることのない戦乱に妖精界の渡辺えり、ことジャコバ・アオン様がお怒りになりまして、ショウはまだ何にもしてないのに、オーラマシンは全て地上世界へほっぽり出されます。(これが「浮上」)
このことで、物語の舞台は完全に地上世界のみとなってしまい、異界(非日常)としてのバイストン・ウェルの出番は終わってしまいます(そのために用意された世界にも関わらず!)。
代わりに、これまでの日常だった地上世界に大量のオーラマシンが溢れ出し、非日常世界に変化してしまいます。
したがって以降は「非日常化した世界を、日常へ戻す戦い」となっています。
(6)最終的にはバイストン・ウェルの軍勢が終結して一大決戦を行い、双方壊滅的な打撃を受けますが、敵方の王であるドレイク、ビショット、そしてオーラバトラー開発者ショット・ウェポンを討ち取ります。しかしショウはライバルの黒騎士バーンと相討ちに。そこへシーラ女王の”浄化"。全てのオーラマシンは消滅し、人々の魂はバイストン・ウェルに帰還する。
(7)全ての非日常がなくなった地上は平和になり、「日常」としての現実世界へ戻っていく。
しかしショウの姿はシーラの浄化の光と共に消えうせてしまい、チャム・ファウ1人が残された。
面白いのは、作品の途中(前半早々)で、主人公ショウが帰るべき日常そのものを失ってしまうことでしょうか。
さらに舞台が現実世界へ完全に移行することで、舞台としての異界(バイストン・ウェル)そのものも失ってしまいます。
その後は、非日常化した現実を救うために戦うのですが、日常を取り戻せたとしても、そこはもうショウが帰ってくる場所ではないのです。
ベタな英雄神話である「聖戦士伝説」が、このようにねじれているところが非常に面白い。
個人的には「これがダンバイン」と感じる部分ですから、この展開自体は変える必要を感じません。
しかし、この流れを生かそうとするときに物語上の問題点、課題点がいくつか存在するように思います。
『聖戦士ダンバイン』の問題点
あくまで私が気になって、今回何とかしたいと考えている問題点です。
これら問題点は、スポンサーや視聴率など外部要因が大きな影響を与えているものも少なくないですが、ここでは問題の発生理由は置いておいて、これらの要素が物語にどういう問題を及ぼしているのか、ということだけ考えます。
『聖戦士ダンバイン』問題点
・ショウが物語のキーポイントで重要な意志決定をしていない。
・ショウとバイストン・ウェルのつながりが弱すぎる。
・だからショウが何の動機で何がしたいのかよくわかんない。
・ジャコバによる、唐突で一方的なオーラマシンの放逐(「浮上」)
・最終回のシーラの「浄化」。シーラが完全にデウス・エキス・マキナ。
だいたい「主人公ショウ・ザマ」です。ショウの問題が解決すれば、他の問題も解決できるんじゃないかな。
ショウ・ザマ(主人公)問題
もともとショウは第一話でいきなりぐっすり眠るような困った主人公なのですが、それが悪かったのか全体を通して問題が多く、第一話以降も彼が何の目的で、なぜ戦うのか、私にはいまいちすっきりしない。
このストーリー展開が悪いわけではなく、要するにショウが「聖戦士の義務」だけで戦うにしては、「ショウがバイストン・ウェルという世界を愛しているようには見えない」というのが問題だと思うんですよね。
他の聖戦士や地上人は、普通に「行きて帰りし」物語の構造を持っている。
元々、地上で不遇な人たちだったけれど、異世界で存在を認められる。
だから地上へ帰ってきたときには凱旋帰国。故郷へ錦を飾る、という感じになっていた。
「ジャンヌ・ダルクの再来」と持ち上げられたジェリル。アメリカをもらってママといい暮らしをしようとするトッド。出世したショット・ウェポンは不幸時代の友人を呼び寄せてポストを与え、世界を見返そうとする。
みんな、エゴ丸出しの行動とはいえ、非常に分かりやすい。
この辺りの地上人の自己実現に関しては、以前書いたエントリ(【聖戦士急募】バイストン・ウェルで君の夢をかなえよう!)でまとめてみました。
でもショウは彼らより一足先に里帰りして、すでに両親と決別。地上世界からも拒絶され、バイストン・ウェルが唯一彼が生きられる世界になった。
そのためショウだけが、他の地上人と違い、普通の「行きて帰りし」の構造をもっていない。
作品中で彼がただ1人、異世界→地上(東京)→異世界 という通常の逆の「行きて帰りし」プロセスが与えられている。
だからショウだけが、成長や変化の場としての「地上」を与えられて、そこで体験したことをバイストン・ウェルに持ち帰るキャラクターなんじゃないかな、と考えています。
地上人なのに、バイストン・ウェルのために生きることを運命付けられているからこそ、ショウは真の聖戦士に一番近い位置にいる。
バイストン・ウェル側に都合のいい理屈でいえば、そうなるんじゃないかな。元の世界を完全に捨てて、自分達の世界のために奉仕してくれる聖戦士ということなので。
ショウ側から見ても、生まれた世界を捨てただけの価値を、聖戦士稼業やバイストン・ウェルの生活に見出すことができれば良いのだけれど。
で、この流れで考えると、『ダンバイン』でのショウとバイストン・ウェルの結びつきって非常に弱い。
ショウは特にバイストン・ウェルという世界自体を愛しているわけでも無い。
現代っ子だと思うので、現代文明の批判者でも無いと思うし、若者が田舎や発展途上国へ行って感動するようなタイプでもないでしょう。
東京三部作で両親と故郷を失って、バイストン・ウェルしか生きる場所がなくなり、聖戦士ショウとして生きることを決意するのですが、消去法的にやむなく選ばされた面が強く、ショウが積極的にバイストン・ウェルを選んだという感じはしません。
何もバイストン・ウェルそのものを愛さなくてもいいのです。ショウの目的や意志がはっきりすればいいので、世界を愛するかわりに、バイストン・ウェルの女性を愛する、というのでもいい。
ショウにとって、バイストン・ウェルが何かかけがえのないものになれば、その理由は何でもかまわないと思います。
しかし実際は、一番近くにいる女性は同じ地上人のマーベルだし、シーラ女王とはお互い立場もあって何も発生しない。
『ダンバイン』ではニー・ギブンとリムルがロミオとジュリエット状態になっていますが、リムルの相手役をショウにするのもひとつの手だな、と思います。ショウが守らないといけないもの、戦わなくてはいけない理由がかなりクリアーになりますね。
OVA『ダンバイン』(私は未見)では、そのカップリングだと聞いたことがあります。OVAゆえの人物と設定の整理かな、と思うのですが、確かショウは転生後か何かで「地上人」では無いんでしたよね?
本当は「地上人」ショウと「バイストン・ウェル」の女性、という世界の異なる2人の組み合わせが最も効果的であると思います。
ジャコバの「浮上」とシーラの「浄化」問題
「浮上」→バイストン・ウェルからオーラマシンを排除する。
「浄化」→地上からオーラマシンを排除する。
役割は同じなので、この2つはセットで考える問題。
2つとも、路線変更や幕引きのためのデウス・エクス・マキナになっていて、色々と事情を知っていると「これしか無かった」と思うのだけれど、純粋に物語として考えるならば批判されても仕方がないかも。
ただし、私は「浮上」と「浄化」の存在そのものに問題があるとは思わない。
ショウの問題とあわせて、いくつかの変更を施すことで、展開は同じままでも、問題解決はできると考えています。
『ダンバイン』リビルド(再構築)のポイント
さて、今回は【問題提起編】ということで、ここでまとめ。
【再構築編】では、ここまで出した問題点に対する修正案を出します。
出来る限り、本編の展開はそのまま生かしたいと思いますし、展開自体に問題があるとは全く思っていないので、全体のストーリーラインは変更しません。
(1)ショウの召還→異世界で戦う
(2)東京上空(東京三部作)→バイストン・ウェルへ帰還
(3)ジャコバの「浮上」→地上編へ
(4)シーラの「浄化」→地上編決着
これら各イベントはそのまま同じにしながら、内容というか意味合いを変える。
また変更点は、基本的に以下の3点に絞ることにする。
・「主人公ショウ」
・「浮上」
・「浄化」
これは話が散漫にならないようするため。
話の主軸と考えるポイントの変更だけを検討します。
本当は変更を加えることによって、その影響はさらに細かい部分に及ぶことになるが、全ての検討はキリがないし、もう趣味の領域だ。私は物語の構造にしか興味がないので、皆さんの脳内でうまいこと整合性をつけていただけるとありがたい。大丈夫。みんなならできるよ。やったらできる子だって私は信じてる。
以上で問題提起編は終了。
次回は、今回のお話をもとに、具体的な再構成案をお送りしたいと思います。
では、後編の【再構築編】へつづく。
※ちなみにすでに、再構成案の概要はあるんだけど、思考の過程で「わ。そこへつながるの?」という自分自身の驚きがあって。正直いうと、自分が想像していた着地点とは違った。それは今のうちから白状しておきます。どうしようも無いので、もうこれで行きますけど。
関連記事
『聖戦士ダンバイン』関連
後編(つづき)に当たる記事
・因果地平から遠く離れて 『聖戦士ダンバイン』リビルド(再構築) 【再構築編】
その他のダンバイン記事
・なぜショウ・ザマはバイストン・ウェルで眠ってしまったのか <『聖戦士ダンバイン』に見る物語の始め方>
・【聖戦士急募】バイストン・ウェルで君の夢をかなえよう! <ダンバイン第18話「閃光のガラリア」より>
- 関連記事
-
- なぜ『タイタニック』は世界中の海を渡れたのか<富野由悠季と映画『タイタニック』にみる「大きな物語」>
- 無数の解釈ができる物語は無敵<宮崎駿『千と千尋の神隠し』にみる「大きな物語」>
- 再びバイストン・ウェルへ 『聖戦士ダンバイン』リビルド(再構築) 【問題提起編】
- 因果地平から遠く離れて 『聖戦士ダンバイン』リビルド(再構築) 【再構築編】
- ノンストップ!! みはるくん!<機動戦士ガンダム「大西洋、血に染めて」より>