今年は、三宅恵介定年を受けての明石家さんま司会。
すなわちタイトル通り「オレたちひょうきん族」ベースということで、世代的にドンズバな私としては注目していたので出来る限りがんばって見た。
それに、さすがに27時間テレビのさんま司会は年齢的にもコネクション的にも最後っぽい気がしていたから、生き証人になるために見ました。
面白ポイントは色々あったのだが、なんといっても「さんま in めちゃイケ」。
これを生で見れただけでも、見た価値があった。見てなかった人は生で見れなかったことを後悔しながら、ネットで補完するべき。
とにかく、放送開始から25時間目に起こった奇跡について紹介しよう。
まず見てなかった人のために、そこへ至るまでの流れを説明しておく。
■伝説再び
・「さんま in めちゃイケ」は19:00ごろスタート。
・さんまが裏のTBS「からくりTV」に出演のため、1時間はさんま抜きでもたせることに。
・めちゃイケメンバーで始まり、ネプリーグ終わりのネプチューン、雨上がり決死隊など芸人達が次々と集合。
・ここでペナルティワッキーに巻き込まれる形で、今田耕司登場。
・今田は「さんま in めちゃイケ」終了後の、21:00スタート「列島カーペット」司会のため、楽屋で休憩中。めちゃイケに出演予定は無かったと思われる(ここ重要)。
・20:00 さんま漁解禁。「27時間テレビ 名場面ベスト5」スタート。1位は当然、伝説のレンジローバー破壊ネタ。
ここまでは単に前フリ。
ここで、ビートたけしが別スタジオにいることが明かされ、カメラを移すと、鬼瓦権造がペインティングアートをしている。
問題は何にペンキをぶちまけているか。サイドミラーなどがチラチラうつり、車であることがモロバレ。さんまの車であることは当然の流れ。
ところが車の全景がうつると、ナイナイ岡村が声を上げる。「完全に僕の車です!」爆笑するさんまと一同。
しかし、さらにカメラを引くと、車の上に、岡村の車が載っていることが明かされる。
岡村の車の下敷きになっているのは、もちろん、さんまの車である。しかもボディ全てにペインティング済み。
さんま「だ、誰か、ヤツを止めなさーい!」
さんまと一同は、たけしのいるスタジオに走る。
飛び込むと、たけしは未だにペインティングの真っ最中。
さあ、ゲームの始まりだ!
■25時間目の奇跡
※ここからは動画見たほうがいいので、あえて略す。(動画あれば追加)
なんだかんだで、さんまの車に乗り込むたけし。
スタジオ内で暴走を始める。逃げ惑う芸人達。
そのとき、暴走する車の前に、今田が!

―――という、感じ。
その後どうなったかって?
簡単にいうと、たけしの乗った(さんまの)車に、今田がひかれました。
(PTAとかには内緒だぜ)
<YouTube動画> (いつまで見れるのか分かりませんが。)
※見直してみたら、今田が一瞬手招きしているようにも見えるな(笑)。
※これの前段階も面白いので見つけたら追加します。
事故ポイントだけでなく、一連の流れのすばらしさに久しぶりに笑い転げましたよ。
ここから先は見てない人には分からないと思うが、何がすごかったか、何が面白かったか挙げていきましょう。
■奇跡前
・何より、久しぶりに「ビートたけし」の暴走を見た。
・「ビートたけし」が芸人として終わっていることは、本人を含め共通見解だと思うのだが、それでもなお画面に映っている彼に我々が何かを期待してしまうのは「こういう事」をする人だと知っているからだ。
・見ていると分かるが、たけしとのペンキの掛け合いのところはグダグダというか、うまく行っていない。
・お笑いウルトラクイズのラストの全員乱闘みたいに「なっていない」。多分、そういうシーンだったと思うのだが。たけし軍団なら想像通りにいったのではないか。でもたけしとからんだことの無い芸人ばかりで誰も前へ出て行かない。
・そんな展開を救おうと前へ出たのが、ホリケン(KY上等)、こじまよしお(周囲に押されて?)、そして今田というのが面白い。
・この一連の流れは、生放送ゆえのぐだぐだ感とそれを阻止しようとする人々の攻防が見れて実に面白い。生ならでは。
・岡村は、今田にたけしが運転している車の窓へ放り込んでもらったのに、何もできず。 ナイナイは大御所とからむのが本当に下手だな。生にも弱いのかも知れない。
・恐らく台本は、車に載ったたけしが車庫入れ(ブロック)のセットに突っ込んで終わる、だったはず(画像を見ると分かる)。だから、たけしの行動は全て打ち合わせ通り。
・ゆえに、それを知っているめちゃイケメンバーはきちんとセット前から逃げる。
・しかし、今田はそんなことを知らない(当然だ。出演予定はなかった)。突っ込むはずのセットの前に立つ。
・たけしは「台本通りの暴走」で、予定通りセットに突っ込んで、結果的に今田をひく。予定ではブロックに突っ込むが、もちろん今田が大ケガするので、そこまでの突っ込みはしない。
・今田はすごいな。逃げなかったが、たけしとアイコンタクトでもあった?完全にやりすぎコージー。やりすぎジーコー(事故)。
・すごいのは、すぐにカメラが倒れた今田をうつしたこと。(そして今田はすぐに足を隠したように見えた。もだえただけか?)※動画見直したら、立ち上がろうとしただけみたい。
・CMに入らなかったのもすごい。てっきり入るのかと思ったが、入らず、今田は元気に立ち上がる。
■奇跡後~エンディング
そしてコーナー終了からエンディングまでがまた素晴らしかった。
・ここまでをノーカットで見せてCM。CM明けは今田司会の「列島カーペット」。たけしにペンキをかけられ、体中真っ青なまま元気に司会をする。
・つとめて明るく振舞う今田。「おいしい思いさせてもらいました」とまで言う。暗いイメージをかけらも見せようとしない。
・同じくペンキをかけられ、真っ赤な(ウソ)の明石家さんま登場。今田と赤青コンビ。
・なんだかんだでエンディング。ひょうきん懺悔室。ここでの懺悔人選は、番組のエピローグとして完璧。「ひょうきんオールスターズ」「今田耕司 」「たけし&さんま&三宅恵介」(予定調和的メンバーの中に、ただ1人飛び込みで今田が入っていることが全てを物語りますね)
・この「今田懺悔」の効果は大きい。今田が全く元気なことを最後に視聴者に印象づけると同時に、MVP今田に晴れ舞台をつくる。アドリブ展開だろうがすばらしい。
・最後の最後に「ひょうきん族」のオープニング曲「ウイリアムテル序曲」がかかり、しっちゃかめっちゃかになって、笑顔のさんまのアップできれいに終了。
以上。
冒頭に言った通り「ひょうきん族」ドンズバ世代なんですが、ひょうきん芸を21世紀に見てもしゃあないことは分かってるんですよね。
確かになつかしキャラクターなんかは見ても仕方ないんですが、やっぱり、こういう場面でのたけし、さんまの立ち回りは本当にすさまじい。
これで最後だと思って見たけど、さんまがまた司会をやらない保証は全くないな!(笑)
あとは、ダウンタウン、たけし、さんま、全てと番組をやってきた今田耕司のすさまじさ。
(ただし今田を番組の大将にするより、常に大御所が上にいる若頭の立場でこそ、最大の効果を発揮すると思います)
さんま率いるひょうきんチームとネプリーグをやった後、めちゃイケに合流したネプチューンが「お笑い第四世代落ち着くわー」としみじみ言ってたのが象徴的だけど、雨上がりにしろ、ナイナイにしろ、基本的には同世代じゃないとダメなんだよね。
同世代で上下関係の幅がほとんど無く、ネタのバックボーンが同じで、空気の読み方が同じでないとできない。
それを破壊したのが初期のダウンタウンだったし、破壊せず全てに適応するのを選んだのが今田耕司といえるかも知れない。
それにしても、基本的に台本通りのはちゃめちゃ劇とはいえ、見てるほうですら一瞬ひやりとする場面をノーカットで放送し、それが全く事故でも何でもなく、ただ単に面白いだけだった、というのは一種の奇跡だった。
恐らく、全て台本に沿って進めた「予定通りの暴走劇」をそのままやるのが一番安全だったろう。苦情は色々くるのは想像できるから、どうせそれを覚悟でやる企画。ただ安全面だけは問題ないように制作側は配慮をしていたはずだ。
しかし本番当日、出演予定の無い今田はこの場にいてしまったし、それによりハプニングが起き、生放送だから、それが全て放送されてしまった(そして何事もなく無事だった)。
何より、今田のおかげで前後を含めた一連の流れは笑いを増したし、救われた。
乱暴な言い方だが、予定より面白くなって、ケガもないなら、結果オーライだ。
私はそういう意味でこれを許容する。今田本人もあの瞬間の直後に許容したはずだから。
最悪の場面を考えると(その後の世論とテレビ界を考えて)ぞっとするが、今はこのわずかな奇跡を喜び、そして大いに笑いたい。
※追記
あの場面の本当の面白さは、生放送ゆえの「この後、誰がどうするの?」を、現在進行形で見守る楽しさだったと思います。だから冒頭で言ったようにリアルタイムでないと本当のドキドキが味わえない。
多分、リアルタイム視聴した人は、最近のショートネタ見せ番組に象徴されるような「いいから、てっとりばやく面白いの見せてくれ」ではなく、ドキュメンタリーというか、集団演劇が進むのを応援するように見てたと思うんですよね。あらすじは大体想像がつくけど、ディティールは分からないアドリブ主体の演劇。
「これ、この後、誰がどうすんの?誰か前へ出て!うまいことつなげて……わー!(今田轢かれる)」
実際、今田が轢かれたあとで、私がまず考えたのは今田の安否でしたが、それは純粋に体の心配だけでは無かったことを正直に告白します。
「ここまでいい場面ができあがったのに、体にさしさわるケガでもしてたら、傷がつく!何事も無かったように立って!そして笑って!」
と、自分が見守った場面が崩壊することこそを何よりも心配しました。
そして、こういう(ある意味狂った)視聴者、スタッフ、演者の気持ちを全て分かっているような、その後の今田耕司のプロフェッショナルな対応に何より感動し、こんな記事を書いているんだよね。
※この場面見たくなりました?なったら私の勝ち。もし他にもネットで名場面の動画見つけたらコメントででも教えてくださるとありがたいです。

「リアルロボット」ものという言葉を作った機動戦士ガンダムは、さまざまな意味で後世に影響を与えた。
だけど子供の頃、なぜガンダムが好きになったのかといえば、その理由は「善悪も無いリアルな戦争」でも「ニュータイプ論」でもなく、すばらしく出来のいい「ロボットチャンバラ」アニメだったからに他ならない。
保育園の頃、なわとびをグフのヒートロッドに見立てて遊んでいたのを未だに覚えている。恐らく相手側は、木の棒か何かをビームサーベルに見立てて、ヒートロッドと戦っていたんだろうと思う。多分、みんなも似たようなことをしただろう。
この頃の自分達にとって、ガンダムは面白いロボットチャンバラが見れるアニメであり、ニュータイプはごっこ遊びのスパイスのようなものだった。
ファーストガンダムは、それまでのロボットアニメとは違うものとして「別格」扱いされることが多いけど、忘れてはいけないのは、ガンダムがロボットアニメ(男の子アニメ)のお約束を全くはずしていないこと。
はずすのではなく、むしろお約束の全てを高いレベルでこなしたからこそ、子供達に人気があったアニメであったことを忘れてはいけない。
というわけで今回は、ガンダムを「ロボットチャンバラ」アニメとして、振り返ってみよう。
「ロボットチャンバラ」とは
「ロボットチャンバラ」、同じような言葉に「ロボットプロレス」があるが、これらの表現はどちらかといえばネガティブなイメージで使われることが多い。
おもちゃ会社のコマーシャルフィルムであるロボットアニメがいかに子供だましであるかを表現するための言葉として使われるのが一般的だ。
(実際、富野監督も自虐的に「ロボットプロレス」という発言を何度もしている)
だがここでは、世代的に富野アニメで産湯をつかった人間として、「子供達を魅了したロボットアクション=ロボットチャンバラ」としてポジティブなイメージで使いたい。
「ロボットプロレス」でなく「ロボットチャンバラ」の方を使うのは、ビームサーベルのためだが、詳しくはこの後を読んでもらえれば分かるだろう。
ファーストガンダムの戦闘名場面大行進
ファーストガンダムのアクションは大変魅力的なのだが、まずは自分にとって思い出深い戦闘アクションを箇条書きで並べてみました。(チャンバラでないシーンも含まれます)
ファーストガンダム戦闘名場面
・1話。爆発させないためにザクのコクピットだけをサーベルで突き刺す(有名なシーン)
・空中のドップ部隊を叩くために最大限のジャンプ→着地(冷却)→ジャンプ。
・グフ戦。ヒートロッドに苦戦。最後の斬り合いで下から入って、腕ごと叩き切る。
・トリプルドム戦。ジェットストリームアタック破り。踏んづけてサーベルを突き刺す。
・ジャブロー。逃げるアッガイを追って全機切り捨てる。白い悪魔伝説のはじまり。
・シャアズゴック戦。ズゴックのビーム砲をシールドで受けるがビームが貫通。やられたと見せかけて、シールド裏から射撃。
・ドレン艦隊戦。当初姿を見せないが、オーラスで直上から登場。正確にムサイのブリッジ、2つのエンジン、主砲をつぶす。白い悪魔伝説その2
・ドレン艦隊のリックドムと格闘。ヒート剣の動きを読むアムロ。「上か下か……下か!」しかしかわされ、ヒート剣をシールドで受ける。が、シールド切られる。あやうしと思いきや、実はシールドの下でもう1本サーベルを抜いていた。
・コンスコン戦。12機のドムを撃破(うちガンダムが9機)。白い悪魔伝説その3。
・テキサスでのギャン戦。フェンシング的な動きをするギャン相手に二刀流サーベルで圧倒。
・ジオング戦。オールレンジ攻撃を封じるために懐へ飛び込む。コクピット位置を胸と読んで射撃(でもはずれ。頭が逃げる)。
・頭と片腕を失ったガンダムでラストシューティング。
「記憶に残っているもの」を出すために、あえて調べたり、映像を見直したりはしないで挙げてみました。(なので、多少の記憶違いや、良い場面のもれがあるかも知れません。)
それでもこれだけの数がぱっと出てくるのは劇中にいかに印象的なアクションシーンが多かったか、ということですね。
特にすばらしいのが、リックドムなど名も無いパイロット相手にも名シーンが続出しているところ。
富野アニメというと戦闘しながらディベート、というイメージを持たれることが多いけど、少なくともファーストガンダムはおもちゃ会社のコマーシャルフィルムとしての仕事を完璧に果たしていますね。(少なくとも私にとってはそう)
ブリッジ→エンジン×2→主砲×2→\(^o^)/
私はドレン(キャメル)艦隊戦の第32話「強行突破作戦」が好きで好きで、ガンダムのエピソードベスト5を決めるときはこれは必ず入れると思うのですが、この回を「アムロ達がプロフェッショナルになったエピソード」として紹介することが多いです。「連邦の白い悪魔」回です。
※この回のダイジェスト動画がありました。
白い悪魔の登場は、4分11秒ごろからです。
冒頭のザクレロ戦(前座)にはじまり、ドレン艦隊戦でのガンダムによる直上からムサイへの全く無駄の無い射撃。リックドムとの格闘、格闘の合間にドレン艦ブリッジへの攻撃、と見所多数。
特にムサイへの射撃は、ブリッジ→エンジン×2→主砲×2とパーフェクト。感動すら覚える。
しかもこれらを、ドレンと木馬を挟み撃ちにするつもりだったシャアのザンジバルが到着する前に全て終わらせるという鮮やかさ。
もし興味をもたれたらぜひ見直してみることをおすすめします。
とまあ、こう書きながら何ですが、実はこの回、全体で見ると色々残念なことになっているのです。もったいない回です。
完全にジオン側(ドレン)視点の物語にして、ドレンが化け物(白い悪魔)に襲われて戦慄する、というお話にリメイクすると相当面白くなると思っています(めぐりあい宇宙でリメイクしてましたが、やはりTVシリーズの第32話としてリメイクしたのが見たい) 。
ダイジェスト動画見ていただくと分かりますが、ムサイ撃沈後にガンダムが登場し、アムロが2カット登場します。最初のカットは目線が見えず素晴らしいのですが、その次に横顔が映っているのがもったいない!
「ドレンを殺すまでは表情を見せない」にするだけでも白い悪魔度が格段に上がったように思います。
ガンダムは出撃シーンも見せず、アムロも最低限しか登場せず顔も見せない。ひたすら「白いやつがいません!」「必ずいるはずだ探せ!」とパニックになるジオン軍のお話。一種のホラー映画だね。
なぜファーストガンダムには格闘戦が多いのか
ちょっと脱線してしまいましたので、話を戻しましょう。
ファーストガンダムはチャンバラ(格闘戦)が多いイメージがありますね。
1話はビームライフル無しでまずビームサーベルですし、その後もグフ、ドム、ビグザム、ギャンと全てビームサーベル決着です。
ララァを死なせてしまった一撃もビームサーベルでした。ラストのジオング戦はシューティングでしたけども。
ファーストの格闘戦の多さは、作品内の理由を適当にいえば、こんな感じでしょうか。
ジオン軍側から見ると
・ガンダムに対し射撃戦があまり役に立たない。格闘戦の方がまだまし。
(ビーム兵器レベルじゃないと歯が立たない)
連邦軍(ガンダム)側から見ると
・射撃でも充分優勢ですが、機動性、運動性の高さ、ビームサーベルという武器の優位性からして格闘は有効な手段だった。
(ヒート剣とビームサーベルが鍔迫り合いするようなシーンが出てきてしまってましたが)
と、一応挙げてみましたが、この辺りは、こじつけというか後付け理由にすぎなくて、制作側として純粋にチャンバラやる意識が強かったんでしょうね。やっぱり。
それは作った人々の世代というものもあったかも知れませんが、なんといってもビームサーベルがスターウォーズ(ライトセイバー)に強い影響を受けたからでしょう。
スターウォーズの公開は1977年(日本公開は1978年)。ガンダムはご存知1979年放送。
どこかのインタビューで、富野監督がライトセイバーを先に出されたのは悔しいというような発言をしていたように思います。
そもそも、スターウォーズ自体が黒澤明のサムライ映画(「隠し砦の三悪人」)を下敷きにしているので、
黒澤明(日本刀)→スターウォーズ(ライトセイバー)→ガンダム(ビームサーベル)
というのが、スペースチャンバラの系譜になっているわけですね。
ビームサーベル戦闘の問題点
ところがライトセイバー(ビームサーベル)戦闘は、素材としてみた場合、結構むずかしいポイントがあるんですよね。
それは「ヒットしたら切れなければいけない」という点。
ライトセイバーはすさまじい切れ味の剣なので、当たったら否応なくスパスパ切れてしまうんです。
「…いや、剣なんだから、すさまじい切れ味は良いことだし、当たったら切れるのは当たり前のことでしょう?」
純粋に戦闘に使う武器としてならばね。
物語の中で使う演出上の道具としては、そう喜んでばかりもいられません。
何が問題なのか。それは「ライトセイバーが戦闘中ヒットすれば、必ず致命傷となってしまう」ことです。
ビームサーベル戦闘の祖、スターウォーズのライトセーバー戦を思い出してみましょう。
ジェダイの騎士同士でしか発生しませんが、人間同士の戦いです。
ライトセイバーがまともに当たればジェダイ騎士といえども、肉体はたやすく切れてしまいます。
エピソード1で、強敵だったダース・モールが、オビ・ワンのクリティカルヒットで、末期の言葉を発する間もなく、あっけなく真っ二つになりましたよね。
ライトセイバー戦をまともにやると決着がああなるしか無いんです。
そうでなくとも四肢を失うことになるでしょう。ルークは父ダース・ベイダーに手首を切り落とされました。
ベイダーの告白も合わせて名シーンですが、敗北したルークはその代償に手首を失うのです(つまり、それぐらいはしないと「敗北」を形であらわせない)。
チャンバラ映画のように「切れた」ということにして倒れる、というのは武器の性質上やりづらいのですね。
そのため、そうしたい時は、エピソード4でオビ・ワンが倒された時のように「突き刺す」という使い方(殺し方)をせざるを得ない。
また激しい攻防を描く中で、四肢が切れてしまうというのも、どうにも後味が悪いものです。
(「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」までいくと面白くなりますが)
このため結局、ライトセイバー戦は、
「何合も打ち合うけどなかなか有効打は入らない」
「勝負を決める一撃をどちらが先に決めるか」
という描写にどうしてもなりがちです。
ライトセイバーの凶悪な殺傷力と、傷つきやすい人間の肉体とのバランスが取れていないわけです。
(防御側のバランスを整えてあげる必要があります)
実際、スターウォーズでも、ジェダイ騎士は限られた存在のため剣同士の戦いは少なく、戦闘の多くは対ザコ戦、対メカ戦になりましたが、そうなるしかないと思います。
メカ相手にバッタバッタと薙ぎ倒すしか、後味の良い爽快感を得る方法が無いからです。
こういったことを考えると「ライトセイバー戦が本当に有効なのはロボット物である」ということが見えてきませんか?
ロボット+ライトセイバーの理想的な関係
【ロボット物でライトセイバーを使う利点】
・どれだけ切っても大丈夫。だってロボットだから。マシンだから。
・やっぱりマシンだ。100人切っても大丈夫。
・四肢を切られても平気。だってロボットの手足だから。
・復活も容易で、矛盾も無い。だってロボットだから。
・致命傷を受けても、それは機体が切られただけ。パイロットの生死とは必ずしも直結しない。
・切られた後、パイロットは脱出するなり、最後の言葉をしゃべったりも自由自在。
・人間形態でないもの、サイズの違うものとの戦闘もできる。(対艦船、対ビグザム戦など)
・敗者は最後に花火(機体の爆発)となって華々しく散り、結果が分かりやすく絵面も悪くない。
どうでしょうか。
精神衛生、倫理面のマイナスもクリアーできますし、ロボット物でこそライトセイバーはその名の通り光輝くのではないでしょうか。
特に「傷つくことを許された肉体」というのは大きい。
刀傷ではありませんが、ラストシューティング時のガンダムが印象深い理由の1つが「片腕、頭を失っていること」なのは言うまでもないでしょう。
頭を失っても戦えるロボットは、激闘の結果として「不具」の姿になることを許された存在なのです。
とはいえ、アニメーション制作の面から見て、傷つくロボットの描写というのは面倒な存在でしょう。バンクフィルム(使い回し)が使えなかったりもするでしょうし。
ロボットが傷ついていい存在だからといって、アニメではやりたい放題できるわけではないということです。
そう考えると主役機が「ほぼ無敵」の設定になっているガンダムは実にすばらしいですね。
実際、TVシリーズにおいて、ガンダム(RX-78)の機体は数えるほどしか傷を受けていません。
でもそれは「ガンダムが無敵」だからしょうがないのです。決して腕が飛んだり、足が切れたりすると、余計な手間が増えるからじゃないんだからね!勘違いしないでよね!
(ガンダムの偉大さは、ロボットプロレスのお約束全てに大人の言い訳をちゃんとしてくれた、ということだと思います)
その意味では最後の最後で、ガンダムが片腕、頭を失うのは、それまで見てきた視聴者へのサプライズでありサービスといえるんじゃないでしょうか。
そして、このガンダムで証明されたとおり、
ライトセイバーという武器は、ビームサーベルへと名を変え、ロボット(傷つくことを許された肉体)というパートナーを得ることで、初めてその真価を発揮したように私には思えるのです。
さて、このようにロボット物でライトセイバー戦が有効であることと、それを生かしてガンダムにすばらしい戦闘アクションが多いことを説明してきたわけですが、これはあくまでファーストガンダムだけのこと。
ファースト以降のガンダムでは魅力的なチャンバラ、戦闘アクションはめっきり無くなってしまいます。全滅といってもいいでしょう。
せっかく「ロボット+ライトセイバー」という最高の舞台を手に入れたガンダムがなぜ?どうして?
長くなりすぎましたので、それはまた別の機会に。
『機動戦士ガンダム』シリーズの舞台である「宇宙世紀」で、「悪女」のレッテルを貼られた3人のキャラクターのことです。「宇宙世紀三大悪女」と言った方が正確な表現になるでしょうか。
ところが友人と話してみると、その3名のうち2名は同じだったが、3人目が一致しない。
(さて、ここで皆さん「ガンダム三大悪女」が誰だか思い浮かべてみましょう。――浮かびましたか?では続きをどうぞ)
一致した2名は、恐らく皆さんの想像通りかも知れない。
・カテジナ・ルース(Vガンダム)
・ニナ・パープルトン(ガンダム0083)

問題は3人目。
私が挙げたのは、ベルトーチカ・イルマ(Zガンダム)
友人が挙げたのは、クェス・パラヤ(逆襲のシャア)
ベルトーチカもクェスも、それなりに納得できる部分があるので、お互い「なるほどな」と思ったのですが、私も友人も三大悪女はネットで見たことがあるというだけにすぎません。
世の中的にはどちらが支持されているのでしょうか。
検索して調べてみると、こんなことが書いてありました。
ガンダムWiki - 宇宙世紀
http://wiki.cre.jp/GUNDAM/%E5%AE%87%E5%AE%99%E4%B8%96%E7%B4%80#.E7.94.A8.E8.AA.9E
ニナ・パープルトン、カテジナ・ルース。あと一人はクェス・パラヤ説とベルトーチカ・イルマ説がある。
あー、なるほど。3人目にはベルトーチカとクェス、両方の説もあったわけですね。
私と友人は、ベルトーチカ説、クェス説をそれぞれ覚えていたというわけか。
つまりは、カテジナ、ニナの2人は固定であることが多いけれど、3人目には不動のメンバーがいないわけですね。
無理に三大にせず、2トップにするなり、四天王にするなりすればいいと思いますが「三大美女」「三大悪女」のように女性を3人1セットにする言葉が元々あったところに合わせたからでしょうか。
3人目に不動がいない以上は、「三大悪女の三番目はあなたの心の中にいます」として空席とし、各自が悪女と思うキャラクターを当てはめればいいんじゃないでしょうか。
普通にシーマ姐さん(ガンダム0083)とか、サラ・ザビアロフ(Zガンダム)とか、シャクティ(Vガンダム)なんかが票を集めるかも知れない。人によっては、バーニィを殺したクリス(ポケットの中の戦争)を挙げることさえできるかも知れません。挙げようと思えば誰でも当てはめることは出来るでしょう。
以下のページで紹介されている「宇宙世紀三大悪女としてのララァ・スン」も大変面白い。
確かにシャアとアムロの人生を狂わせた影響力は『ガンダム』シリーズ最大級と言ってもいいですから。
宇宙世紀三大悪女としてのララァ・スン
http://drupal.cre.jp/node/1900
個人的には、ベルトーチカはどこかで読んだ3人目というだけなので特に推す理由もありません。
というかですね。3人目どころか、不動の2トップであるカテジナ、ニナも別に悪女と思わないんですよね。
ネットを見ると、この2人は蛇蝎のごとく嫌われているのですが、私にはなぜそこまで嫌う必要があるのかよく分からないのです。
今回は、ちょっとその辺りを突っ込んで話してみましょう。
ニナ・パープルトン(ガンダム0083)
ニナ・パープルトンは、アナハイム・エレクトロニクス社のシステムエンジニア。ガンダム開発計画の中で製造されたガンダム試作1号機、ガンダム試作2号機を担当します。兵士ではなく、ガンダムを作る立場のキャラクターです。
ニナの人物について、参照はこちら(wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ニナ・パープルトン
ニナについては、昔、ファーストガンダムと比較する形で書いたことがあります。
ガンダム0083とガンダム0079の比較
http://highlandview.blog17.fc2.com/blog-entry-26.html
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カテジナと並んで不動の悪女とされている彼女ですが、エンジニアですから人殺しのような事は何もしていないのに、ここまで嫌われるのはなかなかすごいですね。
彼女については以前書いたように、シリーズ途中での監督交代などの影響もあって、シリーズ構成や脚本が悪いのであって、ニナ自身はその犠牲になった、むしろ被害者といってもよいと思います。
「あの場面」を生かすのであれば、少なくとも以下の要素が必要だったのではないでしょうか。
・ガトーのガンダム強奪の時点で、ニナがガトーに気付く
・フォン・ブラウン市でニナがガトーに出会ってラストへの伏線をふっておく
・阻止限界点後、ガトーはかばうが、コウには銃は向けない
(コウに殺しをさせたくないのに、彼に人殺しの道具である銃を向けてはいけない。人殺しの道具そのものを否定して止めるべき)
しかし、これらは明らかにシリーズ構成や脚本が悪いわけで、ニナはそのワリを食った格好。
ガンダム0083は、ビデオ作品として第一期、第二期に分けてリリースされたはずですが、売れ行き次第では第一期で販売が終わることもあったのではないか(もちろん好評につき全て制作された)。
そのOVAの変則的なリリース体制が、監督交代に影響を与えたのだろうか、とも思うのですが、私には詳細は分からない。
ニナとガトーの関係描写に変化が生じたのは監督交代の影響のようだが、その詳細も私にはよく分からない。
分かっていることで判断すれば、ニナの「罪状」を全てキャラクターに背負わせるのはあまりにかわいそうだな、と私は思っています。
もちろん裏側で何があったにせよ、視聴者が見ているのはTV画面であるわけで、そこで物語が展開された以上、画面に出ているキャラクターに責任が生じてしまうのも理解はできます。
ですが、それにしたって「ニナがコウを裏切った」とか「裏切っておいてエンディングではちゃっかり微笑みながらコウのところへ戻ってきた」などは、あまりにキャラクターの表面的な行動だけで好悪を決めすぎていて、もったいないとしか思いません。
世の中には、主人公(0083の場合、本当はガトーだけど)にダメージを与えるキャラクターに過敏に反応する人が多いのでしょうか。でもダメージを受けたのは主人公であって、視聴者(あなた)じゃないんだから、そこまで嫌ったり、憎んだりしなくてもと思うのです。
この記事は検索したところから始まって、調べながら書いているわけですが、レコア・ロンド(Zガンダム)も評判悪いと分かって今びっくりしました。
みんな、女の裏切りというだけで許さないのかな? お話が面白くなるかどうかとか、豊かになるかどうかとかは全然関係ないんですかね。
カテジナ・ルース(Vガンダム)
↓人物詳細はこちらで(wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/カテジナ・ルース
ニナが人殺しなしで悪女界入りした女なら、カテジナは人を殺しすぎて悪女界入り。
(あー、でも結局、彼女も主人公サイドから敵サイドへの裏切りキャラとして認識されているのか)
私はカテジナに非常に思い入れがあって、いつかきっちり彼女について書こうと長年思っているのだけど、とりあえずその雛形のつもりで書く。
まずカテジナの「罪状」を整理してみようか。
(1)主人公ウッソの「憧れのお姉さん」から、敵(ライバル)の「女」へ(裏切り)
(2)敵パイロットとして、主人公に立ちふさがる
(3)シュラク隊皆殺し(最終回まで続く)
(4)ウッソの母を捕獲(母の死の遠因)
(5)生身の水着美女部隊(ネネカ隊)をウッソにぶつける
(6)ウッソとクロノクルを戦わせて、残った方を愛すと宣言
(7)最後の最後にオデロに手をかける
(8)ラスボスとしてウッソと対決
………こうして並べるとすごいね。
裏切りや味方キャラ殺しなんかはいくつかのキャラクターがやっているけど、ここまで揃えた人は確かにいない。ガンダム界の松永久秀。
では、これらの「罪状」に対して出された「判決」はどうだったのか。
・愛したクロノクルを失う。
・視力を失う。
・記憶を失う(ここはどちらともとれる)
・ウッソ・エヴィンを失う
(つまり全てを失い、精神と肉体に深い傷を負う)
・生まれ故郷の街ウーイッグへ全てを失って戻る
最大のポイントは極刑である「死刑」を免れたことでしょう。
「死刑」判決が出なかったことに不満を持つ人も多いようですが、そう思うのはとても悲しいことだと私は感じます。
これについては後ほど解説しましょう。
それではまず、ここから私は弁護人として、カテジナの罪状を弁護してみます。
その前に、Vガンダムそのものについてある程度語っておかないといけないが、長くなるので乱暴なのを承知で、1点だけに絞ります。
それは「Vガンダムは狂った世界、登場人物も状況も全て狂っている(ついでにいえばその当時の監督も)」ということ。
カテジナを考えるときに、これを前提とする必要があるということは覚えていて欲しい。
【カテジナの弁護】
(1)主人公ウッソの「憧れのお姉さん」から、敵(ライバル)の「女」へ(裏切り)
カテジナは、ウッソにとっては憧れの年上のお姉さんポジションだったんですよね。
ウッソは成り行きでガンダムに乗り、レジスタンス組織リガ・ミリティアのパイロットになってしまうが、子供をモビルスーツに載せて戦うようなリガ・ミリティアのやり方に反発していたのがカテジナさんです。
リガ・ミリティアのカミオン隊は老人ばかり。その老人が子供に人殺しをさせようとしている。これに嫌悪を表明したカテジナ。どちらが狂っていてどちらがまともなのか。
とにかく、もともとリガ・ミリティア(味方サイド)の理念に共感しているわけでも何でもなかったということは覚えておかなければいけない。
「でも結局、敵であるクロノクルにホイホイついていっちゃった娘さんなわけだよね?」
確かに行動はね。
でもね、彼女を勝手に「憧れのお姉さん」像(アイドル)として見てたのはウッソであって、それはカテジナの実体じゃない。
wikipediaでは「家庭を顧みない父、それにかこつけて愛人を作っていた母に幻滅していた」と紹介されている。カミーユみたいな家庭環境ですね。
多分カテジナは故郷の街(ウーイッグ)を出たかった。こんな家族や生まれ故郷と関係のないところで生きたかった。
そこへ紳士的な好青年クロノクルがやってきた。彼女は新しい世界へ連れて行ってくれるクロノクルについていく。(カミーユがクワトロについていったのと行動は同じ)
カテジナに必要だったのは彼女を孤独から救い外へ連れて行ってくれる存在、はっきりいえば白馬の王子様であって、彼女を幻想のお姫様として崇めたてまつる少年じゃない。
(もっといえば、外へ行くきっかけがあればいいわけで、厳密にはクロノクルでなければいけない必要すらないのだが)
地方の高校生が進学時に地元ではなく東京の大学を選んで、親元を出て、自分の住む世界を変え、自分を変えていこうとするのと根本的には変わらないと思う。
その時に自分を慕ってくれた近所の子供がいるからといって、東京へ行くのをやめる人がいるだろうか。そしてそれは裏切りなのか。
ウッソはこの「憧れのお姉さん(ウッソの幻想)の裏切り」が最後の最後まで理解できない。
そのことがウッソとウッソ以上にカテジナを苦しめることになる。
(2)敵パイロットとして、主人公に立ちふさがる
クロノクルについていったカテジナは、敵パイロットとして登場する。
外の世界に出たカテジナがパイロットとなったのは、もうついていった男(クロノクル)が軍人だからとしか言いようがない。
ここで「クロノクルの女」のポジションに納まり何もしないのは、カテジナの本意ではない。
カテジナは外の世界へ何かを見つけるため、何かに変わるために来たのだ。主婦になるためではない。そのための行動力も能力もある。彼女の状況で男(クロノクル)のために働くと軍人になる。
(カテジナが自分の両親の関係に反発と嫌悪を抱いていることで、男を支える女性になろうと努めたのかも知れない)
(3)シュラク隊皆殺し(最終回まで続く)
(4)ウッソの母を捕獲(母の死の遠因)
(5)生身の水着美女部隊(ネネカ隊)をウッソにぶつける
(7)最後の最後にオデロに手をかける
ここはまとめて「ひどいことした」シリーズ。
この中で私がいらないな、と思うのはオデロ殺しぐらい。あとは、もうどうしようもないかな、と思う。
最初の大前提として「Vガンダムは狂った世界」と書いたが、Vガンダムはとことん成人男性が戦わない世界だ。
ウッソが所属するカミオン隊は、老人ばかり。そこへウッソ達子供が戦闘員として加わり、後に女性だけのシュラク隊が加わる。
まともな成人男性はシュラク隊の隊長オリファーのみ。これは明らかに狂っている。
敵対するザンスカールも、表で戦うエースは、カテジナ、ルペ・シノ、ファラなどが中心で、クロノクル、ピピニーデン、タシロは女を戦場に出し、自分は後方に構える。
(さらにいえば、ザンスカールの実権を握るのはカガチだが、シンボルとして表に出すのは女王マリアである)
Vガンダムは、戦場で女と子供達が殺し合いをする「狂った」お話なのだ。
この戦場では、お互い殺す相手は当然、女性(シュラク隊、ネネカ隊)や子供(オデロ)になるだろう。もうVガンダムの世界ではどうしようもない。
(それでも個人的には最後にオデロを殺すのだけは余計だったんじゃないかと今でも思う)
(6)ウッソとクロノクルを戦わせて、残った方を愛すと宣言
(8)ラスボスとしてウッソと対決
これも狂ったVガンダムの世界が生んだこと。
クロノクルがラスボス(シャア)のポジションに座ればいいのだが、彼は「女王の弟」というポジションだけで精一杯の人間だった。
クロノクルは人が良すぎたし真面目すぎた。彼が女王の弟でなければ、軍人でなければ、カテジナと愛の巣をつくって幸せに暮らしたかも知れない。
だが彼は不向きな軍人も女王の弟もやらなければならない運命だった。真面目だからそれを愚直にこなそうとした(地球クリーン作戦のような狂った作戦すら)。
カテジナは最終回で「……クロノクル、来いっ!」と、クロノクルを呼び寄せ、ウッソと戦わせますが、あれはクロノクルにウッソを討って欲しかったんだろうな。カテジナ自身がウッソを倒すのでは意味がない。愛した男がそうしてくれなければ、何も断ち切れない。
そう考えるとクロノクルvsウッソは、カテジナ"が"愛した2人の男の戦いであり、「勝った方を愛す」という、彼女の宣言はあまりに悲しすぎる。必ずどちらかを失う悲愴の決意であって「男を手玉にとる」ようにはとても見えない。
しかし敗北するのはカテジナが勝ってほしかった(愛したかった)クロノクル。その彼が死の間際に「姉さん、マリア姉さん、助けてよ…マリア姉さん…」と叫んだのもあまりにも悲しいが、彼をこんな目に合わせたのは女王マリアだし、救いを求めたのも姉マリアだった。カテジナではない。
こんな男しかいないVガンダムの世界では女性が頭をはるしかないのだ。
カテジナがラスボスになるのは、こうした状況からも、これまで彼女が殺した人間の数からもどうしようもなかったのではないか。
男達が敵としての役割(人殺し、うらまれ役)を果たさないから、女が引き受けるはめになっているだけで。
以上で弁護を終わる。
一番大きいのは、カテジナが孤独で、自己実現欲の強い積極的な女性だったということじゃないかな。
ウーイッグの麗しき令嬢ということで、経済的にも容姿も能力も不足はなかったはず。でも両親を含めた周りの大人達には絶望していた。脱出したかった。飢えていた。
終盤にウッソとこんなセリフのやりとりがある。
カテジナ「腐らせる物は腐らせ焼く物は焼く、地球クリーン作戦の意味も分からずに!女王マリアは子供達の為に汚い大人達を潰して地球の肥やしにしたいのよ!」
ウッソ「ウーイッグのカテジナさんの言う台詞じゃないですよ!あなたは家の二階で物思いに耽ったり、盗み撮りする僕を馬鹿にしていてくれれば良かったんですよ!」
カテジナ「……男の子のロマンスに、なんで私が付き合わなければならないの!」
ウッソが言うカテジナは、カテジナにとって本当のカテジナではない。だから「男の子のロマンス(幻想)」には付き合うつもりはないと言っている。
だがウッソにはそれが分からない。「カテジナさん、おかしいですよ!」と迫り、彼女を追い詰める。
「ウーイッグのお嬢さん」「二階で物思いにふける」「ウッソのお姉さん役」というのは、カテジナにとって捨ててきたものだというのに。
ただカテジナは「ウーイッグのお嬢さん」から「ザンスカール帝国の軍人」へクラスチェンジすることで、多くのキャラクターを殺した。それは事実だ。
普通、ガンダムでは何人かのキャラクターに分散させる「キャラ殺し」をただ1人で背負った格好だ(なぜここまでさせたのだろうとは思う)。
例えば全滅ラストのZガンダムですら、カミーユと因縁の深いジェリド、野蛮なヤザン、ラスボスのシロッコなどに「キャラ殺し」を分散させているのに。
物語で犯した罪にはそれ相応の対価を支払わなければならない。
つくりものの世界だからといって何をしてもよいということは決して無い。因果は応報する。
では、ここまでの罪を犯したカテジナがなぜ「死刑」ではないのか。
私は裁判長(富野監督)が下した判決は極めて妥当だと考えています。それはなぜか。
【カテジナ裁判判決の妥当性】
私は本放送中、終盤でカテジナが「死ねなくなった」と感じたのを覚えています。
あまりに罪が多すぎて、「死」ですらそれをあがないきれないほどの業(ごう)を背負ってしまったからです。
「死」は現実では最大の罰ですが、物語のキャラクターにとって最大の罰とは限りません。物語の中の「死」といえば、そのキャラクター最大の見せ場になることも多いからです。
こうして憎まれるキャラクターが死ぬことで、視聴者はカタルシスを得て満足し、ようやく許される場合もあります。
しかしカテジナは死んで罪をつぐなう限度すら越えてしまった(と、私は見ていて感じました)。 だから「死ねなくなった」。
このためVガンダムの終盤での私の関心事は「カテジナを殺してしまうのかどうか」でした。
カテジナを死なせてしまったら、富野監督を見損なうな、と思っていました。
そこへあのエンディング。富野監督はカテジナを殺さなかった。
ごめんなさい。さすがです。疑ってすみません。と感動しながら思いました。
wikipediaにはラストについてこういう記述があります。
死亡せずに生き残った理由は富野由悠季総監督の意図であり、「死よりも重い罰を与えたかった」とコメントしている。
この発言、出典が明らかでないですが、特に間違っているとは思えません。
エンディングでのカテジナの扱いは、まさに死より重い罰といっていいでしょう。
彼女は、肉体と精神に深い傷を負い、全てを失った上で、あれほど出たかったはずのウーイッグに戻り、これから先の人生を生きていくことになります。
ただね、このカテジナのラストは「死よりも重い罰」と同時に「救い」なのだと、私には感じられる。富野監督は、カテジナを絶対殺したくなかったんじゃないかな。
カテジナを殺さないためには「死よりも重い罰」を与えるほかない。
Vガンダムは、まるで「名作物」のような感動のエンディングになっているが、こんなガンダムのラストは史上初めてだった。
この感動のエンディングの主役は、シャクティとカテジナの両ヒロイン。
視聴者に憎まれ、あれほど死を渇望されたカテジナにあんなエンディングを用意するなんて!
あれはもう「死より重い罰」と同時に最高の愛であり、カテジナの救済であると私は信じる。
富野監督はあのラストについて、対外的には「死よりも重い罰を与えたかった」と言っているかも知れないが、それは一般的に憎まれ役になっているカテジナのことを配慮した表現であって、実のところ、最大限の罰を与えることで、最大限に彼女を救いたかった、というのが本当のところなのではないだろうか。
救うにはあの方法しかなかった。殺してはダメ。それでは救えない。だからVガンダムのエンディングはあれしかない。あれ以外のラストがあると思えない。
それはVガンダムの中でたった一人、「死ねない」ところまで追い込んだキャラクターに対してのつぐないかもしれない。
ちなみにシャクティとのラストシーンも色々解釈できるつくりになっているので、どうとでも取れますがここでは深入りはやめておきましょう。また別の機会に。
というわけで、以上が私がカテジナを悪女と思わない理由です。
いや、悪行三昧なのは事実なんだけど、「悪女」のレッテルで片付けたくない理由、といった方がいいかな。
これほど作品の中の重いものを背負わされ、その背負ったものに対する代償を払わされたキャラクターはガンダムではいないんじゃないでしょうか。
「ガンダム三大悪女」(またはその候補者たち)のレッテルが、主人公を裏切った女に与えられている傾向があるのは、ちょっとあまりに男性の身勝手な視点すぎる気がしますね。なぜそこまで憎めるのかちょっと不思議に思います。
(女性の選ぶ「ガンダム三大悪女」を聞いてみたい気がします)
私は、創作物のキャラクターを憎むということが基本的にないのでその気持ちが良く分かりません。
キャラクターを上手く扱ってくれなかった制作者をうらんだりはしますけどね。
(ジャイアントロボとかジャイアントロボとかジャイアントロボとか!)
巻き込まれフォールドきた!
そろそろと言われ続けてきましたが、ついに来ましたね。
まー、そのせいで前回登場したブリタイ、エキセドル、カムジン(もどき)も一瞬で蒸発したようですが、気にしない。気にしない!気にしない!
わからんちんどもは、とっちめちんしたらいいんだよ。
それが当たり前!当たり前!当たり前!(肉の小西←ミスター味っ子)
ブリタイ→オゴタイ、カムジン→テムジン (エキセドルは耶律楚材?)
戦闘種族ゼントラーディをモンゴル騎馬民族に例えてるのはちょっと面白いな。
これ初代マクロスの時にすでにそういうイメージでネーミングされてたんだろうか。
モンゴル帝国の猛攻にさらされた国々は、国で一番きゃわゆい女の子にアイドルソング歌わせて、デカルチャーさせれば良かったんだね。日本もきっと元寇のときに北条時宗が、日本一の歌姫に歌わせたおかげでモンゴル船団が壊滅したに違いないよ。歴史には残っていないけど!
見終わったあと、マクロスF仲間の友人と話す。
友人曰く「ランカちゃんは全然(心に)こないね」
思わず同意してしまいました。君もか。私もこないんだ。デカルチャー回路が故障してるのかな。
前回、vsシェリル戦で初めて勝利するという、言わばランカの見せ場だったんだけど、私ら全然ダメでした。超時空シンデレラらしいんだけど。松本隆作詞らしいんだけど。
いや悪いわけじゃないんですよ。曲も画(キラッ☆含め)も、うまいことやってると思うけどこない。なんでエレクチオンしないのーっ!と、自尊心とラブライフを取り戻さないといけないんでしょうかね。
今後、私らED患者もゼントラーディのように、ランカちゃんのステージでデカルチャーする日は来るんでしょうか。
かといって別にシェリル派でもないしなあ。というかマクロスFの曲で心にクリティカルヒットしたのがいまだに無いんだよね。
今のとこ一番良かったのは「インフィニティ」でしょうか。前半の戦闘ヤマ場回(第7話「ファースト・アタック」)で使われたもの。映像込みで(少し快楽が足らないけど)
いつまで見れるのか分からんけど貼っておこう。
マクロスF挿入歌 - インフィニティ
マクロスFの戦闘シーンはクオリティの高いCGですが毎回戦闘シーンというわけにはさすがに行かず、このような戦闘は数話に1回です。
この割り切りは結構すごくて。
ファーストガンダムのTVシリーズなんかはおもちゃ売らないといけないから、申し訳程度でもきっちりとガンダムが出てザク倒すシーン入れるのですが、マクロスFはバルキリー出ない回は完全に出ません。
でも当然その間もCGパートの作業は止まっているわけではないので、コメディ回やドラマ回で時間稼ぎしてもらっている間に戦闘シーンを制作しているわけです。
つまり「クオリティの低い戦闘を毎回」より、「クオリティの高い戦闘を数話に1回」を選択しているわけですね。
だからコメディ回なんかを見てると、2回分溜めたし次の回あたりが「戦闘回」か?と判断できて面白いですよ。
マクロスFは別におもちゃ売るのがメインでもないので、個人的には今のローテーションの組み方でいいと思います。戦闘シーンは戦闘回に固めた方がいい。DVD収録時に満足できる戦闘回が1回は入るバランスでいいんじゃないでしょうか。
この割り切り自体はすばらしいんだけど、唯一にして最大の欠点は、マクロスFのコメディ回、ドラマ回が基本的に面白くないということだな。
特にひどいと感じたのは、シェリルが転校してきた回(第8話「ハイスクール・クイーン」)。シェリルノーパン回と言った方が早いようなコメディ回なのに何も面白くない。
脚本というか、特に演出レベルで良くない気がします。
私はターンAガンダムの「貴婦人修行」が大好きなロボットアニメのコメディ回大好きっ子なので、コメディ回が下手なのは残念ですね。
こういう日常パートが面白かったら、うまく戦闘回とのローテーションが組めるのに。
ちなみに過去のマクロスネタ全部入りにしてるマクロスFですが、マクロスプラスだけはまだ出てきてない(と思う。何か出ました?)。プラス好きの私らとしては出して欲しいのですが、楽曲は菅野さん的に出したくないとかあるんでしょうか。
そしたら前述の友人曰く「きっとそのうちアルトが竜鳥飛びやるよ」
あー、確かにね。それはありかも。今のとこ必殺「歌舞伎飛び」しかやってないけどね。
アラゴネス監督の次回作にご期待下さい!
決勝の前に(感想を書いてない)準決勝からスペインの戦いを振り返ってみましょう。
準決勝
■ロシア 0-3 スペイン
終わってみればスペインの圧勝でした。
試合から日にちが立っているので、記憶が薄れかけているのですが、その中でもいまだ印象に残っていることを。
・イタリア戦で抑え気味だったセルヒオ・ラモスも積極的に上がる。やはり上がってこそラモス。
・セナすばらしい。イタリア戦も(この後の決勝も)すばらしかった。開催前「アルベルダいるんじゃない?」と言ってごめん。めんごめんご。
・ビジャがケガなんて!息子は!息子は決勝には出れるんですか先生!(出れませんでした)
・代わりにセスクが入って「クアトロ・フゴーネス(4人の創造者)」の4-1-4-1へ移行。
・先取点取った後のスペインは無敵だな。パスワークの高さが最大限に発揮される。
・1-0でリードの展開で、早々と3枚のカードを全て切るアラゴネス。ここは後述しよう。
・セスクのダイレクト浮きスルーからグイサが追加点。采配的中。グイサはいい顔をしてるなあ。
・最後にイニエスタからシルバがとどめ。シュートの意識が強かったのに入ってなかったシルバなのでこれはうれしい。
前半はロシアも何とか耐えましたが、先取点を取られて全てが終わった感じですね。
やっぱりチーム地力として、先制されて2-1に逆転する力はないのは確か。オランダ戦のように先取点を取ることこそが勝利の絶対条件だったように思います。
スペインはアラゴネスの交代策のみ語りましょう。
34分 ビジャOUT→セスクIN
69分 シャビOUT→シャビ・アロンソIN
68分 トーレスOUT→グイサIN
セスク投入はビジャのケガのため当然の処置。問題は1-0で迎えた69分に2枚のカードを切ったところです。
1トップで疲労したトーレスを代えるのは分かるのですが、シャビも代えて2つの交代枠を全て使い切るとは。
残り20分あるので同点に追いつかれたら延長→PK戦も考えられます。延長にフレッシュな選手を投入できないし、GKにアクシデントがあっても対処のしようがない。
負けてる側ならなりふりかまわぬ交代策もやむなしですが、リードしてる方が3枚目の「保険」を捨てるのはあまり無いことです。
この交代はね、もう論理的に考えても説明がつけられない。論理的に説明がつかないことをやって成功させた時、それを「マジック」というんじゃないかな。
「マジック」といえば、ヒディングの代名詞だけど、ヒディングのストーリー(と言うのがふさわしい)は論理的に納得できることが多い。
でもアラゴネスのこの交代は分からない。少なくとも私には分からない。
結果的に成功したので、その理由は後付けで色々つけられるけど、あからさまにリスクがあったギャンブルだった。勝負勘が働いたとしか思えない。
しかしリスクを背負ったギャンブルが成功するのを見るのは何とも快感だ。
世界はそれを「マジック」と呼ぶんだぜ。(サンボマスター)
決勝
■ドイツ0-1スペイン
そして決勝。「勝ったことない無敵艦隊」の汚名を返上しましたね。
・ビジャがいないので、スペインは「クアトロ・フゴーネス(4人の創造者)」の4-1-4-1。
・セルヒオ・ラモスはこの試合もすばらしい運動量。やはり高い位置にいないと面白くない。
・セナも同じくすばらしい。そりゃアランとプロストも謝るわ。ほんとごめんなさい。
・トーレスは速いな。元々ドイツのセンターバックコンビはスピードに難があるので、試合を通じて、てんてこまいマイマインド。
・得点シーンはそのセンターバックではなくラームも振り切って。すてき。抱いて!生んでやる!生みまくってやる!あなたを殺して私も死ぬ!
・この日もアラゴネスは、リードしてるのに、シャビとシルバ下げて、トーレス下げてグイサ投入。3つの交代枠を使い切る。分からん。分かった。この爺さんこういう人なんだ。
・投入したシャビ・アロンソ、カソルラ、グイサは効果的に効いてました。シャビ・アロンソは途中交代ばかりだけど全て良かった。
・80分すぎ、カソルラのすばらしいクロスからグイサはヘッドで折り返しを選択。しかしセナは惜しくも間に合わない。
・グイサは自分で決めれたかも知れないけど、ここでセナが決めたら、影のMVPが最後を締めるいい展開になったろう。グイサあんたええ人や。
・それにしてもスペインのディフェンスがこんなにゆるくないのは初めて見たような。プジョルのアンドレ(ザ・ジャイアント)ぶりも頼もしい。後半になって汗だくになるとアンドレカンドレ感が増すよね
ということでスペインの優勝です。44年ぶりとのこと。
アラゴネス爺はこのまま死ぬんじゃないでしょうか。それほど神がかってました。
優勝の瞬間。ベンチから飛び出す選手達。しかしなぜかアラゴネス監督は腕組みして座ったまま動かない。横にいるコーチも感極まって監督と握手しようとするが、なぜか腕組みのまま手を差し出さないアラゴネス。
「優勝ですよ監督!交代枠を使い切った時はどうなるかと思いましたが、やりましたね監督!………監督?…監督?…か、か、監督ー!」(バリバリバリバリ、バリバリロケンロール)
一方のドイツは最後まで何かやってくるような国ですが、この試合に限っては何かが起きる予感が全くしませんでした。スペインは最後まで前線からのプレスも効いて、苦し紛れのパワープレイすらさせませんでしたね。
シュバインシュタイガーも決勝ではダメでしたね。
必殺のシュバインシュタイガーショットも不発。
「喰らえスペイン、これが俺のネオシュバインシュタイガーショットだーっ!」
「あーっと、キーパーカシージャス君、軽々とワンハンドキャーッチ!」
「な、なにィーッ!」
あれですよ。きっとユニフォームの袖をまくってなかったからダメだったんですよ。
守備的なリスクはあっても何かやってくれるかも知れない(そしてトルコ戦で実際やってくれた)ラームを早々と下げてしまったレーブ監督の采配は、そういう意味ではアラゴネスと正反対でした。
でもアラゴネス爺が名将でレーブ監督がそうじゃない、とか単純にそういう問題でもないよね多分。でも結果を出したのはアラゴネス。結果論なんだよ。結果論は正義で結果イズパワーなんだもん。爺はやることなすことうまくいって結果出したんだから仕方ないよね。
スペインの何がいいって、2010年のワールドカップもこのままいけることですよ。
「クアトロ・フゴーネス」を中心に、トーレス、ビジャ、セルヒオ・ラモス、カシージャス。みんなまだまだ若い。
ユーロで終わりじゃない。夢はまだまだ続く。