◥◣______◢◤
— 映画『スパイダーマン』シリーズ公式 (@SpidermanMovieJ) June 15, 2023
🕷️本日公開❗️
◢◤ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄◥◣#スパイダーマン シリーズ最新作🎞️
『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』
運命なんてブッつぶせ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
▼お近くの映画館はこちら📽️https://t.co/59Kvfb1MOf#今年一番スゴいアニメの話をしよう pic.twitter.com/YYHy0ycnjn
いずれも物語のキャラクターとして定められた運命と、どう向き合うか、どう戦うか、という点で似たテーマを取り扱っており、とても興味深く鑑賞しました。おすすめです。
と、いうことで今回は、ゲーム『ドラゴンクエスト』ネタでお送りします……どういうこと?
火事とビアンカ・フローラ論争は江戸の華
堀井雄二さんとドラクエ5ゲーム実況生配信
— 🍉中川翔子🍉🐈⬛ (@shoko55mmts) May 15, 2023
一晩明けたけど伝説の発言いっぱいでした 30年以上論争続くビアンカ派フローラ派の議論を神の目の前でみんなで出来たし
ビアンカが独身のままでいる理由は主人公が忘れられなかった、心が動かなかった、と堀井さんが発言したの歴史が動いた凄かった! pic.twitter.com/pf8Sq0koCX
中川翔子さんと堀井雄二さんとドラクエ5ゲーム実況生配信の動画はこちら。
(動画の開始位置を「独身のままでいるビアンカの話」が始まるあたりにしてあります)
『ドラゴンクエスト5』といえば、やはり話題になるのは、ビアンカ・フローラ論争。
ゲームの中で主人公(プレイヤー)が結婚相手として選ぶ2人のヒロイン、ビアンカとフローラ。
どちらを選ぶのか、ビアンカ派とフローラ派で激しい論争になることもありますね。
あくまでゲーム上の選択ではあるのですが、その人のゲームや物語に対するスタンスを考える上でよいサンプルとなるでしょう。
この『ドラクエ5』のビアンカ・フローラ論争で、私が個人的に思うことはふたつ。
ひとつは、作者・堀井雄二がビアンカを選ぶストーリーを「本筋」と定め、物語上の扱いにかなり差をつけたということ。主人公(プレイヤー)はどちらでも選べるが、そもそも等価な選択肢として用意されていない。
もうひとつは、それにより、堀井雄二の本意どおりにビアンカを結婚相手に選ぶことが物語的に「普通」「当然」「正解」であり、それを選ばない人はおかしいのでは、と語るユーザーを生んだことではないだろうか。
「フローラ」を選ぶことはおかしいのか
この「ビアンカ・フローラ論争」の話を進める前に、まずは私自身の選択を示さないわけにはいかないだろう。
私は、スーパーファミコン版『ドラゴンクエスト5』では「フローラ」を選択しました。
生まれてくる子供の髪の色というのが、大きかったと記憶しています。
(これぐらいしか、選択によって子供に影響を及ぼす要素が無かったりする)
その後の2回目またはリメイク版などは未プレイです。
仮にプレイすると「今度はビアンカ選択ルートやってみるか」となりそうですし、やはり初回プレイでの選択が重要になってくると思います。
ちなみに「フローラ」を選んだことを話すと、「物語上はどう考えてもビアンカ選ぶのが普通でしょ。おかしいよ」みたいなことを平気で言う人もいる。私も身近な友人に言われたことがある。
同じようなことを言われた人は、結構いるのではないかと思う。
昔、「ビアンカかフローラか」という話題を振ったら、「そんな発想自体がおかしい。ストーリー的にビアンカしかありえないし、制作者もビアンカを正解として作っていることは明らか。論ずること自体が間違っている」と説教されたことを思い出しました。そのサブストーリーをプレイさせたい。
— ゲームラボ@2022年12月最新号発売 (@GameLabo_sansai) November 2, 2022
「ビアンカかフローラか」という話題を振ったら、「そんな発想自体がおかしい。ストーリー的にビアンカしかありえないし、制作者もビアンカを正解として作っていることは明らか。論ずること自体が間違っている」
さすがに、ここまで過激に言われたことはないが、Twitterだけでさえ同じようなことを言われたという人はそれなりに見かけた。
フローラを選んだ人たちを、「ビアンカを選ばないのはおかしい」と批判する根拠の多くは、「ビアンカを選ぶしかないストーリーになっており、それが制作者の本意(正解)だから」というあたりになっていると思われる。
フローラを選んだ私ですら、それは事実として正しいと思うし、ゲームでの実装、宣伝、制作者の発言などを含め、ビアンカの扱いが正ヒロインで、物語的にも「本筋」であることは、ほぼ明らかであると思う。
少しこのあたりを復習も兼ねて、確認してみよう。
とはいえ、この記事を書くにあたりドラクエ5をプレイし直しているわけではないので、インターネットの知見を利用させてもらうことにする。
また、以降の話はオリジナルであるスーパーファミコン版『ドラゴンクエスト5』を基本として進めることにします。
ビアンカとフローラ、ゲーム上での比較
以下のWikiを参考にさせてもらったが、大変ボリュームがあるため、要点をまとめてみる。
ドラクエ用語まとめwiki
https://wikiwiki.jp/dqdic3rd/
★能力やアイテムなどゲーム的要素での比較
- ステータスなど能力面では一長一短で特に大差ない
- 習得魔法という面では、ビアンカが覚えないイオナズンも使えるフローラが有利
- さらにフローラならアイテム「やまびこのぼうし」を使っての山彦ベホイミ、山彦イオナズンが可能
- フローラルートだと、2000Gと「みずのはごろも」が手に入る
箇条書きにすると、フローラ有利であるように見えるが、『ドラクエ5』のパーティメンバーは固定ではない。
優秀な「息子」と「娘」がいるほか、モンスターも味方に加えてパーティメンバーにできる上、そもそも3人パーティなので一家4人ですら同パーティを組めない。
ゴールドやアイテムの援助も、無いよりはありがたいが、ゲーム進行自体には影響がないレベル。
要するに、フローラ側のメリットである「富豪の娘」「イオナズン習得」などはゲーム的な影響は軽微でしかなく、無視して好みで選べるような要素でしかない、ということになる。
では、ストーリー上のキャラクターとしての2人はどうだろうか。
☆物語要素での比較
- ビアンカは「幼なじみ」として、子供時代から関わる場面が多い
- 一方、フローラは子供時代の出会いも無く、関わりも薄い
- 結婚相手に選ばなかった場合、ビアンカは独身のままだが、フローラは別の男性と結婚するストーリー(主人公が選ぶ以外にビアンカが結婚する未来が用意されていない)
- フローラに結婚を申し込むと、「本当にわたしでいいの?」と二度目の確認選択肢が入るのに対し、ビアンカの場合は確認はない
子供時代から物語に関わり、プレイヤーの情が移るよう処理されているのはビアンカのみ。
この扱いの違いは、そもそもビアンカルートが制作者の意図した「本筋」である以上、当然のことと言えるのでしょう。フローラに物語性が弱いのはシナリオのミスではない。
ちなみに花嫁選択時の「確認」の有無についてだが、結婚相手を選ぶ時に、フローラを選ぶと、最終確認の選択肢が出てくる。
しかしビアンカを選んだ場合は確認無しで、そのまま結婚、という仕様になっているそうだ。
つまりこのゲームは、フローラを「気の迷い」や「好奇心」で選んだ場合、「本筋」のビアンカに戻れるようにやり直しの機会を与えている(しんせつー)。
それがビアンカに無いのは、その選択がやり直しなど必要のない「本筋」だからだろう。つまり選び直しの機会でフローラに変えるような事態は、制作者が望んでいない。
これについて、Twitterではこのような意見も見た。
でもフローラには最終確認があって、ビアンカには最終確認がないってこれまで知らなかったから知れてめちゃめちゃ嬉しいね、より必死な方が勝った……!
— けしかす@元神レベル店長 (@ThreePlains) March 19, 2022
フローラには最終確認があって、ビアンカには最終確認がないってこれまで知らなかったから知れてめちゃめちゃ嬉しいね、より必死な方が勝った……!
個人的には、この選択肢の仕様に対して、そのような視点では見れないな……。
前述したように、プレイヤーに任された自由な二択に見えるだけで、結局は制作者の考える「本筋」に誘導させるためのデザインでしか無いものを、ここまでありがたがる気には私はなれない。
そもそも、こちとら「キャンセル」可能なフローラ選択に、最終確認出されても「はい」と答えているわけで。
より必死という意味では、2回フローラを選び、意志を変えなかったプレイヤーこそがそう言えるのかも知れない。(言えることにしよう)
ただ、今から思えば、この世界の神であり父でもある堀井雄二への反発心は強かったような気がする。
ビアンカに罪は無いけれど、父であり神にお膳立てされた正しい花嫁を選ばなくて何が悪い。
イオナズンや、子供の髪の色で選んで何が悪い。
世界の神「おお、フローラを選ぶとは……そうか、一度は真逆の答えを選んでみるという戯れじゃな。好奇心旺盛なやつめ。よいよい、もう一度チャンスを授けよう。キャンセルして、ビアンカを選ぶがよ……それでもフローラを選ぶと申すか!」
フローラを選んだ時から、もう神への反逆は始まっている(闇の反逆軍団編)。
独身ビアンカを見るのは誰なのか
ちなみにビアンカとフローラの非対称性という意味では、結婚後にも違いがある。
ビアンカと結婚すると、フローラは他の男性と結婚するが、フローラと結婚すると、ビアンカは独身のまま。
これをキャラクターの性格の違いとして説明するのは、はっきりいえば建前に過ぎないだろう。
ビアンカがフローラのように、プレイヤーと無関係に自分で幸せになる可能性を作られていないのは、当然、意図的にデザインされたもの。
ビアンカが男性と結婚し、子供も産み、彼女の家庭を作るには、プレイヤーと結婚する以外の方法が用意されていない。
これはよく言えば「ビアンカを幸せにできるのは俺しかいない!」だろうが、むしろそう思わせるためにビアンカの境遇がデザインされているに過ぎない。
ビアンカが結婚もせず独身のままであるのを目撃するのは一体誰なのか。
ビアンカを選んだプレイヤーはそれを見ることはない。
見るのはもちろん、フローラと結婚したプレイヤーだけだ。
自分はフローラと結婚したので、ビアンカが父ダンカンとともに山奥の村に住み続けるのを見た。
現実でもそうだが、別に独身だろうが子供がいなかろうが、幸せであれば一向に構わないわけだが、正直そのようには見えない。
それを見て後悔し「ビアンカを幸せにできるのはやっぱり俺しかいなかったんだ!」と、結婚前のセーブデータに戻ってやり直してくれてもええんやで。ただし、それでもフローラルートを続けるのであれば、ビアンカが独身のまま物語が終わるのを見せるまで、といったところか。
独身ビアンカを見るのは、フローラを選んだプレイヤーに限られるので、神が「君の選択は正しかったのかい?」と突き付けるために、ビアンカを独身のままでいさせている、という印象が私には強い(闇の反逆軍団なので)。
もちろん「本筋」ヒロインとして用意したビアンカが、プレイヤー以外の男性と幸せな家庭を築く、ということがタブーだという意識もあったかも知れない(今で言うところの、ヒロイン寝取られ的なニュアンスになる?)。
いずれにせよ、フローラと結婚する=ビアンカは独身のまま終わる。
結婚や出産が女性の全てでは全く無いが、ゲーム世界に用意されたものとしては、ビアンカはその人生がどうなるかをプレイヤーの選択に依存させられている、ともいえる。
その意味では私には、ビアンカは気の毒な、かわいそうなヒロインに思えてならない。
そしてそれとは逆に、フローラ自体に用意された物語はほぼ無いのだが、メタ的に堀井雄二を父あるいは神的なものと考えれば、父(神)への反逆としてのフローラを選ぶ物語は、それなりに面白く、意義のあるものになっていると個人的には感じている。
圧倒的なビアンカとの結婚率
ちなみに、過去、複数の雑誌において「あなたはビアンカとフローラのどちらと結婚しましたか?」というアンケートが行われていて、以下のページにその結果が書いてある。
ドラクエ用語まとめwiki 【フローラ】
https://wikiwiki.jp/dqdic3rd/%E3%80%90%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%80%91#i936c7ba
ファミコン通信(1993年3月12日号)
ビアンカ 81.6%
フローラ 18.4%Vジャンプ(2000年7月号)
ビアンカ 68.4%
フローラ 27.7%
PS2のリメイク版の発売が2004年なので、単純にSFC版の時間経過による変化ということになる。
それぞれの質問の仕方は不明だが、複数回プレーした人はビアンカの次にフローラを選んだりしているだろうと考えると、のちのアンケートでフローラとの結婚が増えているのは理解できる。
だが、発売翌年アンケートの「ビアンカ 81.6%」が示すとおり、やはり圧倒的多数で選ばれているののはビアンカ。
上記ページによれば、堀井雄二は以下のように発言しているらしい。
「SFC版では9割がたのプレイヤーがビアンカを選ぶと思っていたが、意外とフローラを選んだという反応も多かった」
9割ビアンカ想定であれば、81.6%は大差といえど、思ったよりは低い数字だったようだ。
ビアンカとフローラはそもそも最初からフラットなキャラクターでは無かっただろうが、さらに堀井雄二のような巧みなクリエイターの手にかかると、「ビアンカが正解」とユーザーに思わせる物語の流れが出来上がってしまう。
9割想定で、81.6%ビアンカは十分に狙い通りだとはいえるだろう。
ここまでビアンカを選ばせるつもりなら、一応、選択肢を用意しつつ結局は「本筋」のビアンカルートに流れるようにしてもいいような気がするが、実際に分岐するルートを作っておいた上で、それでもプレイヤーの9割にビアンカを選ばせる、というのが堀井雄二の目標、というか挑戦だったのかも知れない。
ともかくプレイしたユーザーは、ビアンカを選ぶしかない流れに置かれるが、フローラというもう一人の候補が現れる。
彼女はお金持ちの生まれで、イオナズンやベホイミも覚え、資金やアイテムの援助もある。
恋愛ドラマやマンガでもよくある、距離が近い異性と、距離は遠いが多くのものを持っている異性との対比。
私の世代で馴染みが深いのは、男女が逆転するけれど例えば高橋留美子『めぞん一刻』での音無響子に対する五代と三鷹。(例が古い)
五代は、冴えない貧乏学生(物語当初)だが、同じ一刻館で暮らすうちにあれこれと。
三鷹は、容姿端麗、スポーツ万能、一流大学卒、実家も資産家。声が神谷明。テニスクラブでの付き合い。
こんな2人の異性に好意を寄せられて、さてどうしましょう?という、皆さんおなじみのアレです。
古来より数多くの例がありますね。
パターンとしては、持てる者ではなく、持たざる者を選んで幸せに、という展開が多いのではないかと思います。
現実とは違いフィクションですので、客観的あるいは世俗的な幸せの形を、キャラクターの心が飛び越えていくところが見たいですからね。
この場合、家がお金持ちで、容姿端麗で、成績優秀で、といったキャラクターの要素は、本当に好きな相手を選ぶためのスパイスのようなもの。
フローラに与えられたステータスもその部類。
要は本命ビアンカを引き立てるための「当て馬」「引き立て役」であって、ビアンカ 81.6%という結果から見ると、その役割を十分に果たしていたのだと言えるだろう(これでも想定より低いわけだが)。
だから堀井雄二の誘導どおりにビアンカを選ぶのは、用意された物語、意図された選択肢という意味では正しいのは間違いない。
ただしゲームというメディアで、プレイヤーが選んだ選択はすべて正しく尊重されるべき、というのもまた事実。
例えば、Twitterでフォローしてる方のこんなツイートに感動したことがある。
#ファイアーエムブレム #紋章の謎 1章クリアしたぞおおお!!!最終的にマルス含めて3人しか残ってなかったり…いやー激闘であった…
— kiyo🍥 (@kiyooooooooooo) February 18, 2023
#スーパーファミコン #NintendoSwitchOnline #NintendoSwitch pic.twitter.com/Hq7yi3tvj4
『ファイアーエムブレム』では多くのプレイヤーが、味方の戦死者ゼロでのクリアーを目指す。
もちろん、それもひとつのゲーム体験だが、「計40名 戦死37名」の死闘でしか味わえない至高のゲーム体験というものもある。
私は素直に心底うらやましかったし、感動した。
どのような形であろうと、プレイヤー自身が選んだゲーム体験はその人のものであり、常にすばらしいものだと思う。
よって、ビアンカ・フローラ論争で唯一正しくないのは、他のプレイヤーの選択を「正しくない」と決めつけたり、「おかしい」と貶めたりするような行為、ということになるだろう。
フローラというキャラクターをどう強化するべきか
フローラは、あくまでもビアンカの当て馬で用意されたキャラクター(選択肢)で、彼女の背景である「富豪」もそれでしかないのだが、個人的にはそれをもっと尖らせたような方向性でも面白いのではないかと思う。
例えば、フローラと結婚しない限り、絶対に手に入らないレアアイテムなどがあってもいい。
ゲーム上最強の武器や防具とかね。ビアンカvsフローラ&最強剣 のような選択になる。
その程度では天秤はビアンカから傾かないかな。
では、富豪であることを活かして、色々と複合的なメリットで攻めてみようか。
レアな武器や防具、だけでなく、世界にひとつしかないような回復アイテムなども世界中から取り寄せてみよう。
商人のネットワークから、貴重な情報を集めることができてもいいかも知れない。
例えば、小さなメダルの知られざる隠し場所とかね。
そういったものをゲーム終盤までサポートしてくれる。
つまりいっそのこと、徹底的に
「物語上の必然(ビアンカ)」 vs 「ゲーム攻略上のメリット(フローラ)」
の対立軸で攻めてみる。
もっともゲームでは、フローラと結婚した場合のゲーム的なメリットの全体像が全く推測できない。
それは結局、選択に関わるほどの価値が無いからだが、ここまで豊富な富豪メリットを用意する場合は、フローラとの結婚で得られる具体的なゲーム的メリットは当然、結婚前に提示する必要がある。
彼女本人の資質(スキルや呪文など)もオープンにし、数々のメリットも結婚前に把握できるようにしておく。
何ならフローラ自身も全く主人公に興味が無いというレベルにチューニングしてもいいかも知れない。でも勇者誕生とお家のために結婚することは覚悟決めてるような女性ぐらいのチューニング。つまり2人の女性から同じように好意を寄せられているわけではないことにする。
しかし、ゲーム攻略上のご褒美目録は充実のラインナップ。課金で得られるようなVIP待遇。
例えば恋愛に興味と関心がまださほどない小学生男子などは、ゲーム的なメリットを吟味して「最強の剣?フローラ一択だろ!」と迷わず選ぶかも知れない。
それが「当然」で「普通」で「正解」として。
のちに発売されたリメイク版ではフローラのイベントなどを増やしていると聞く。
つまりフローラの「キャラクター」や「物語」を追加して、選択の不平等さを多少是正するという方向だろうと思う。
それをするのは理解できるが、個人的にはどうせなら「物語上の必然」vs「ゲームメリット」の方向を突き詰めるような形でパワーアップさせるのが好みかも知れない。
そして、さらにピーキーに調整するなら、こんな感じか。
例えばビアンカは勇者2人を産むが産後の肥立ちが悪く(この言い回し久しぶりに聞いた)、病に倒れて戦闘では輝けなくなる。でも健気で気丈で。病床にあっても子供たちや夫(プレイヤー)を愛し、常に心配してくれる。
(ゲーム的な価値をほぼゼロにしつつ、キャラクターの魅力は最大化する調整)
フローラの場合、前述したように主人公に特に好意は無いが、社会的使命も踏まえて結婚し、子供を産む。その後、ルドマンと共に商会をさらに発展させ、政治力も発揮、世界中からレアアイテムや貴重な情報を集めるネットワークを構築していく。
(ゲーム的な価値を可能な限り増やし、物語的なキャラクターの魅力やプレイヤーへの好意などは足さない)
健気な病床の愛妻ビアンカと、辣腕の豪商にして公私のパートナー、フローラ。
(なぜか、この場合のフローラの声が榊原良子さんのような気がしてきた)
さあ、どうする? どちらを選ぶ?
もちろん、どちらを選んでもいい。プレイヤーの選択はすべて正しいのだから。
悪役令嬢フローラの細腕繁盛記
ここまで書いたのは、あくまでも「ピーキーに調整する場合のフローラ」の例でしかない。
ただ現在の視点から見ると、フローラの存在はいわゆるジャンルとしての「悪役令嬢もの」との親和性が高いのではないかと思う。
貴族階級とか、ルックスや性格の問題ではなく、「選ばれないために用意されたキャラクター」として。
私は「悪役令嬢もの」はアニメになった有名なやつを見たことがあるぐらい。
あとは、Kindle Unlimitedで、お試し1巻無料で「悪役令嬢もの」をいくつか読んでみたことがある程度。
「悪役令嬢もの」というジャンル自体に詳しいわけでは無いので、Wikipediaを参照してみることにする。
「悪役令嬢」とは、フィクション作品世界の中でヒロインの敵対者として登場し、家柄や身分、容姿、資産などで有利な位置に立って、ヒロインの恋路に立ちはだかる役柄であり、権力や取り巻きを使ってヒロインを攻撃するが、ヒロインやゲームでの攻略対象(王子や公爵家子息、騎士団長嫡男など)に反撃され、最終的には敗北し破滅(バッドエンド)してしまうこともある存在である。
Wikipedia:悪役令嬢
「悪役」と入っているように、基本的にはヒロインの敵対者やライバルで、物語上は障害(スパイス)の役割でしかない。
ジャンルとしてはさまざまな経緯やバリエーションがあるが、Web小説としては
・異世界転生もの
・乙女ゲームもの (主人公が女性の、女性向け恋愛ゲーム)
これらのジャンルが合流しながら発展していき、
「乙女ゲーム世界の悪役令嬢に転生した主人公が、ヒロインに敗北し破滅する運命を避けるため悪戦苦闘する」
といった物語ジャンルとなったようだ。
この「悪役令嬢」は、いわゆる社会的ステータスは高く、王子(的なヒーロー男性)と結ばれるにふさわしいが、結局のところ、王子に選ばれないキャラクター。
王子と結ばれる真のヒロインを引き立てる役割として物語に存在し、「普通」「自然」「必然」の物語に負ける配役のキャラクター。
こうしたキャラクターに、転生者という客観視(メタ視)できる第三者の内面を与えて、その「物語の必然」というものを変えていこう(王子に選んでもらう必要のない人生も含めて)という意思が、悪役令嬢ものにあるのだとしたら、フローラは基本的に同じようなポジションのキャラクターになると思う。
もっともフローラは「悪役」でも「令嬢」でもないが、ゲーム的に選ばれないことを前提に物語が組まれているのはここまで書いてきた通り事実で、そこにこそ想像力の介入する余地があるのは確かだと思う。
物語の作者に与えられた役割(選ばれないこと)が運命だとするなら、その運命から逃れること、逆らうことは可能か。
だから私が知らないだけで、『ドラクエ5』のフローラに転生して、与えられた「物語の必然」と戦うような二次創作のWeb小説がきっとどこかにあるのだろうと思う。
そして、そういった転生フローラ小説があるのだとしたら、恐らくビアンカ、フローラ双方が救われる物語にするのではないか。
神に定められた運命(ルート)に逆らいながら、それでも幸福を得る物語であれば、いずれか片方の幸せでは神が用意した物語を越えたことにはならないので。
もしかすると、フローラと主人公(ドラクエ5)が結婚しなくてもいいのかも知れないし、ビアンカ、フローラ共に主人公と結婚してもよいのかも知れないし。
フローラは主人公と結婚するが、ビアンカも素敵な誰かとパートナーになって、良き友人になるのかも知れない。
いっそ主人公も女性で、3人とも女性のシスターフッドのようになってもいいのかも知れない。
(子供は何か方法を考えればいい。「しんかのひほう」があるなら、「かいにんのひほう」もあるかも知れない)
これらは当然『ドラクエ5』のゲームとして用意されていない展開だが、だからこそ世界の神・父に反逆する展開として、あえていくつか例を出してみた。
アカシックレコードのようなWeb小説界には、恐らくすでに存在するはずのドラクエ二次創作小説『転生フローラ細腕繁盛記』が本当に読みたくなってきたかも知れない。
存在してないなら誰か書いて欲しい。まあドラクエ二次創作でなければ、色々該当作がある内容だと思う。
前述したように、主人公に好意があって結婚したわけではく、辣腕を奮いながら世界のために主人公をサポートしてきたけれど、その終盤あたりで、それぞれかけがえのないパートナーとして、愛情を感じるような物語になっているのも個人的に好みだ。
好きで結婚(もちろん、これもこれで構わない)の対比、対極としての、ゆっくり好きになっていくパターン。
『ファイナルファンタジー5』のチキンナイフとブレイブブレイドもゲームに対するスタンスの選択肢だが、ビアンカとフローラは当然それより扱う問題の大きさと幅が広いので、さまざまな方向で思索を巡らすことが出来て面白いと思う。
もっとも、「ビアンカこそが正しい」「ビアンカを選ばない奴はおかしい」などと、用意された「正しさ」に固執していると、その楽しさを味わうことは出来ないかも知れない。
それはもったいない気もするが、何をどう選ぶかはその人の自由だ。

『ドラゴンクエスト』公式サイトへ
私は初代『ドラゴンクエスト』をリアルタイムで体験した世代だが、シリーズとしては6までしかプレイしていない(つまりSFCまで)。
「RPG」という言葉や存在を知ったのは恐らく本や雑誌(ベーマガとか)で、それは『ドラゴンクエスト』より少し前のことだと思うが、実際に自分で購入しクリアまでした最初のRPGは『ドラゴンクエスト』のはず。
そんな私がこれからする話は、当然ながら今更ゲームシステムや物語の考察でもなく、作品レビューでもなく、『ドラゴンクエスト』にまつわるいくつかの思い出話になる。
無知な素人が例えば、ゲームの歴史とか革命とか、やたら大きなものを語っても意味のあるものにはならないだろう。
ということで要するに“『ドラゴンクエスト』思い出語り”をするわけだが、個人が今更『ドラゴンクエスト』の話をWebに追加するとしたら、こうしたマイナーでローカルで、個人の実体験に基づくエピソードの方が価値があるのではないだろうか。
「ない」と言われると終わるしか無いので、「ある」ことにして先を書き進めることにする。
『ドラゴンクエスト』(FC:1986年5月27日発売)
『ドラゴンクエスト』第一作目を、私は友人のファミコン版で見たはずで、ぜひこれは手に入れなければ、と思ったのだろう。自分でも購入することになる。MSX版をな!
(このあたりの難儀さと悲哀があるが割愛)
Wikipediaによると、MSX版の発売はファミコン版の半年後あたりであったらしい。
『ドラゴンクエスト』(FC:1986年5月27日発売)
『ドラゴンクエスト』(MSX:1986年12月18日発売)
半年後とはいえ同年に発売してくれて御の字であろうし、発売日を見る限りクリスマスプレゼントでの購入だろう。
手に入れた『ドラゴンクエスト』を熱中してクリアしたことは、今も断片的だが覚えている。
(スタート時、たけざおで何とか乗り切る派だった気がする)
「ふっかつのじゅもん」って知ってるかい?
自分でも『ドラゴンクエスト』をクリアしたあとの出来事。どのくらいあとのことなのかは覚えていないが、発売翌年とかそういうレベルだと思う。
自宅から車で少し行ったところに祖父・祖母の家があり、歩いてすぐの距離に親戚の家があった。
そこにはひとつ年上の男の子がおり、兄貴分的な感じで当時たびたび遊んでもらっていた。
その日も歩いて遊びに行ったが、あいにく不在だという。
ただ、そのうち帰ってくるだろうから待っていたら?とのことだったので、勝手知ったる親戚の家。上がり込んで、待たせてもらうことにした。
リビングに入ると、親戚の子の姉にあたる、お姉ちゃんがファミコンをしていた。
それが『ドラゴンクエスト』だった。
お姉ちゃんはもう中(もう中学生)で齢も離れていたし、特に親しく遊んでいたわけでは無かったし、すでにクリアした『ドラゴンクエスト』だし、1人用のゲームだし、ということで、横目で見ながら、マンガでも読んで帰りを待つことにした。
姉ちゃんのドラクエは、私が訪れる前からプレーしていたのもあって結構進んでいたと思う。ファミコンで遊んでいるところを見たことが無かったので「へー、ゲームするんだ意外だな」という感じだった。
しかし、あるタイミングで驚くべきことが起こる。
姉ちゃんはプレー中、おもむろにファミコンの電源を落とした。
「!!?」
衝撃を受ける子供の私。
確か「ふっかつのじゅもん」を表示していなかったし、書き取った形跡もない。
つまり、それなりにプレーが進んでいるドラクエを保存もせず、いきなり終わらせた。
いまだ動揺する私をよそに、姉ちゃんは立ち上がり
「今日は呪文○つまでしかいけなかったな」
と、つぶやいて部屋を出ていった。
○には数字が入るが、記憶がすごく曖昧で、よく覚えていない。
そこで、FC版『ドラゴンクエスト』序盤の呪文習得レベルについて検索してみると、こんな感じ。
習得レベルと呪文
レベル3 ホイミ
レベル4 ギラ
レベル7 ラリホー
レベル9 レミーラ
レベル10 マホトーン
かすかな記憶と、レベル9、10ってスタートから普通にプレイして何時間かかるんだろう?と考えると、レベル7のラリホーあたりまで進んでいたのでは、という気がする。
そこから推測すると、姉ちゃんのつぶやきは以下のようなものだったのではないか。
「今日は呪文3つまでしかいけなかったな」
レベルではなく、呪文をいくつ覚えていたかを進行度の目安にしていたことも面白いが、「今日は」という台詞からは、何度かこういう遊び方をしていることを伺わせる。もしかするとレミーラやマホトーンを覚えるまで行ったこともあったかも知れない。
……何度か?
最初からドラクエを始めて、それなりにゲームが進んだあとに、おもむろに電源を切る遊びを?
何度か?
多分、そうなんだろうと思う。
今から考えるとなぜ?と不思議に思うかもしれないが、そもそも「RPG」という遊び方になじみがまだまだ薄い時代。
しかも、いつもはファミコン(ゲーム)やらないお姉ちゃんが、説明書や攻略本などを見てる形跡もない。
RPGとはどういうゲームで、どのくらいのボリュームがあり、どこまで遊ぶのか、白紙の状態で遊ぶと結構分からないものなんじゃないか、という気がする。
RPGはじめて物語というか、明治維新の文明開化で、よく分からないものに初めて触れる日本人のおもしろエピソード的な。
ちなみに、姉ちゃんがドラクエをやめてリビングを出ていってから、しばらくして親戚の兄ちゃんがご帰宅。
私は、驚きのドラクエいきなり電源OFFについて話した。「ふっかつのじゅもん」を知らないんだろうか?
すると「バカじゃねーの?どうせ知らないんだよ。いいよ、それより遊ぼうぜ」みたいな答えが帰ってきたと思う。
『ドラゴンクエスト』による、より開かれたゲームの世界
とはいえ。
『ドラゴンクエスト』では、「ふっかつのじゅもん」というパスワードをメモして、ゲーム進行を保存することについて、ゲーム内で(というかスタート時に)チュートリアルとして情報は与えられてたはず。(プレイ環境が無いのでセリフは覚えていないが……)
仮に推測通り、何度かノーセーブプレイをしているだとしたら、なおさら全くその存在を知らないというのはありえないのではないか。
私の推測では、「ふっかつのじゅもん」システム自体は知っていた可能性は高いと思う。
恐らく、そもそも特別ゲームが好きでもない姉ちゃんにとっては、弟がいない(ファミコンが空いてる)時にやる、気まぐれの遊びでしかなく、その中でシューティングやアクションのような反射神経と慣れが不必要なゲームとして『ドラゴンクエスト』が選ばれたのではないか。
その『ドラゴンクエスト』も、「ふっかつのじゅもん」をメモまでして、何度も再開し、最後まで遊ぶつもりはなく、それなりに戦闘や冒険を楽しんだら、あー面白かったと電源を切るような遊び方で満足していたのではないかと思う。
(そう考えると、SFC時代になるがドラクエにしてローグライクである『トルネコの大冒険』がぴったりな気がする)
経験値1も1ゴールドも血の一滴、と思っていた小学生の自分にはあまりにもショッキングな遊び方だったが、大人になった今ではそういう遊び方もありだし、何も問題は無いと思える。
というか、Steamでインディーゲームをいくつも買ったあげく、少しだけ遊んで「なるほどなー、こういうゲームか。面白いな」と言いつつ、浅瀬でゲームをやめてしまうのを続けている今の自分は、限りなくそれに近いのでは――(考えるのをやめた)。
この記事を書く少し前。
法事で親類の集まりがあり、そこに親戚の兄ちゃん(というか、お互いおじさんだが)が来ていた。姉ちゃんは不在。
昼食の後、お茶を飲みながら世間話をしている時に、ふと思い出して、この「ドラクエいきなり電源オフ」について訊いてみた。
やはりというか覚えていなかったが、いくつか当時の情報を手に入れた。
(これが、今回いきなりドラクエの記事を書いた理由ときっかけでもある)
・そもそも姉がファミコンをやっていたという記憶がない。
・ゲームに興味ないと思っていた。
・ドラクエをプレイしていたという記憶も特に無い。
・恐らくクリアするまでドラクエをプレイしていないんじゃないか。
ファミコンはこの兄ちゃんの所有物だったので、そもそも弟がいる時にわざわざゲームをやってなかったのだと思う。まあ姉弟間で、オレのファミコン勝手にやるんじゃねーよ的な色々があったのかも知れない。
実際に、私が兄ちゃんとファミコンと、アクションやシューティングなどで遊んでいる時に、参加することは無かった(今から考えると、小学生男子2人の『ツインビー』とかに、中学生女子がわざわざ混ざる理由がそもそも無いけど)。
たまたま、兄ちゃん不在時に私が訪れたことで、姉ちゃんの「ドラクエおもむろ電源オフ」というレアプレイが見れたわけだ。
結果から見れば、弟の不在を選んでゲームをしていたわけで。
弟には観測されなかっただけで、ゲームには興味はあったのだろう。
ただ当時プレイしていた『アーガス』だの『マッハライダー』だの『スーパーチャイニーズ』だのに興味があったわけではなく、やっぱり『ドラゴンクエスト』というか、RPGに興味があったのではないだろうか。
いわゆるゲーム慣れしていないと、アクションやシューティングは楽しみを得づらい。
しかし『ドラゴンクエスト』に反射神経や巧みなコントロール操作は必要ないし、剣と魔法の世界としてちゃんと物語があり、冒険があり、選択肢を選ぶだけで戦えるバトルがあり、それを積み重ねればゲーム内のキャラクターが成長して強くなってくれる。
弟が『ドラゴンクエスト』をプレーするのを横目で見ながら、「面白そう」「私にもできそう」と思っても不思議ではない。
『ドラゴンクエスト』を代表とするファミコンでのRPGが、我々小学生男子に与えた影響は本当に大きかった。
でもそれ以上に、小学生男子的な身体性やスコアや勝負も必要のないゲームとしてのRPGが、女の子や大人に与えた影響はもっと大きいのかも知れない。いやアクション系が苦手な(好きでない)人全般と考えれば、ゲームが下手な私自身もそこに含まれる。
当時、RPGの利点として、プレーを続ければゲーム内のキャラクター側がどんどん強くなってくれるから、がんばれば誰でもクリアできることが、よく唱えられていたような気がする。
それぐらい「ゲームクリア」は一部の人のものだった。
もちろん実際は、レベルさえあげればクリアというほど単純なものでは無かったが、初期にファミコンでRPGという概念を普及させるにあたっては「万人に開かれたゲーム」というイメージに一役買っていたのだろうとは思う。
ちなみに、法事で会った兄ちゃんには別れ際に、「姉ちゃんにドラクエ1クリアしたかどうか、訊いてみて」と頼んでおいたけど、恐らく答えは「覚えていない」か、もしくは覚えていても「クリアしていない」だろう。
でも、毎回最初から初めて、満足したら電源ごと切る『ドラゴンクエスト』。
それでよかったんだろうと思う。多分ね。
『ドラゴンクエスト』 のテキストで物語を作る「ドラクエ文体」事件
もうひとつ、思い出話。
時代や教科書にもよるのだろうが、私が小学校の時に「空想の物語を書いてみよう」という授業があった。確か教科書には、架空の地図のイラストが載っており、それを見ながら空想の翼を広げてみよう、というものだったような気がする。
グループSNEの安田 均さんが「ファンタジーの本質は地図にある」と語っておられたが、その意味ではなかなかよい課題だ。
本来は、教科書掲載のサンプルとしての架空地図から、子供たちがそれぞれ物語を作り、同じ地図をもとにさまざまなバリエーションの物語ができるね、というものだと思う。
だが私の担任は、地図からの空想でなくともいいので、なにか短い物語を書いてみようと、地図制限のない課題に変更していたような気がする。
でも、物語をどう書くかみたいな授業は無かったと思うんですよね。
ノウハウは全く教えず、子供に自由に書かせてみようという、読書感想文のようなやり方。
今から考えれば、事前にある程度ノウハウ教えたり、フォーマットを用意して埋めていくようなやり方の方が多少まともな作品が書けるのでは、と思うが、これらが全く無いことが面白い方に作用することを当時の私は知ることになる。
多分、1週間ぐらい猶予があり、先生に提出し、授業で少し発表などもあった後、それぞれが書いたノートが手元に戻ってきた。
当然、他のみんながどんなお話を書いたのか気になり、ノートを交換して読み合いなどが始まる。
その中にひとり、私が衝撃を受けたお話を書いたクラスメイトがいた。
とりあえず文中で呼びやすいように「Aくん」と呼称することにする。
Aくんのお話は、読んで一目瞭然。
ほぼ『ドラゴンクエスト』 に登場するテキスト、特に戦闘シーンのテキストだけで組み立てられていた。
もちろん彼が書いた内容の詳細は覚えていないが、普通にドラクエの戦闘シーンのテキストを連想してもらえばいいと思う。
あくまでイメージだし、ドラクエ1テキストの正確な引用でもないが、Aくんの小説を少し再現してみよう。
スライムがあらわれた!
○○○のこうげき (※Aくんの設定した主人公の名前。ひらがな表記)
○○○は、3のダメージをあたえた!
スライムのこうげき
スライムは、2のダメージをあたえた!
○○○のこうげき
○○○は、3のダメージをあたえた!
スライムをたおした
ほぼ、このようなテキストがノートにびっしり書いてあったと思う。
いわゆるドラクエの戦闘シーンで表示されるメッセージをそのまま使って、バトルを表現しているわけです。
ドラクエをベースにしているので、主人公のセリフも、モノローグも何もない。
戦闘シーン以外をどう表現していたのかは、ぼんやりとしか覚えていないが、昔のアドベンチャーゲームのようなシンプルなテキストだったように記憶している。
・北へすすんだ。南へすすんだ。
・△△△のまちに入った。
・王様と話した。
・やくそうを買った。
実際に文章で使われていたのかは分からないが、ニュアンスとしては上記のようなイメージ。
『ドラゴンクエスト』 以後のことなので、私を含む読んだクラスメイトたちは当然、ドラクエのテキストだ!と気づく。
別にゲームブックになっているわけではないので、「にげる、しかしまわりこまれてしまった!」も、Aくんのさじ加減ひとつやないか、と思いながらも、ゲームでなじみのある文体なので、プレイしている子供にはある意味とても読みやすい。
何が行われて、何が起こったのか。ドラクエプレーヤーには分かりやすく、高いリーダビリティがある。
いや正確に言えば「読んでいない、読みやすさ」か。
『ドラゴンクエスト』=文字をたくさん読むゲーム
戦闘テキストについては、私が『ドラゴンクエスト』 をプレイしていた時に、画面を見ながら母親がつぶやいた一言を今も覚えている。
母「こんなに文字ばっかりたくさん出てきて、しかもすごいスピードで流れて、よく読めるね。楽しいの?」
母親は『ドラゴンクエスト』のことを、「たくさん文字を読むゲーム」だと認識しており、だからこの一言になるわけだが、実際のところ、プレーヤーはすべての文字をきっちり読んでいるわけではない。
特に戦闘シーンでは、テキストのフォーマットはきちんと決まっている。
先程、Aくんの小説にも使われていたように「○○○は、3のダメージをあたえた!」で、変動するのはダメージの数値だけだ。
戦闘の流れとしてテキストは流れていくが、一言一句読む必要はない。
どちらが先手か、攻撃は当たったか回避されたか、敵から逃げられたか、敵を倒したか。
戦闘の流れを掴みながら、あとは変動する数値でも把握すればよい。
だから慣れてしまえば、いわゆる文字、文章としてはほとんど読んでいないということになる。
あくまでゲームデザイン上の情報表示であり、小説などとは言葉の役割が違うからこそ、『ファイナルファンタジー』シリーズのように情報表示の置き換えができることになる。
例えば『ファイナルファンタジー』では、攻撃キャラクターが実際に剣を振るアクションをし、その攻撃が命中した敵キャラクターの上に「9999」とダメージ数が直接表示されたりする。
これにより「○○○のこうげき、○○○は、3のダメージをあたえた!」が、文章が不要な情報表示に置き換えられている。

ファンタジー小説ではなくゲーム小説
話が逸れたので、Aくんの「ドラクエ文体」小説の話題に戻ろう。
Aくんの小説は、大きなインパクトがあり、ゲーム好きのクラスメイト(私含む)に好評だったが、正直なところ、ドラクエの戦闘テキストでノートを埋めた感があり、構成としてはかなり単純だったと思う。
要は、移動→戦闘(ドラクエ文体)→移動→戦闘(ドラクエ文体) のような形で、同じことの繰り返しが書いてあり、時間切れのような形で話は終わっている。
(終わりに関しては私含め皆似たようなものだったろうが)
ノートをチェックした先生はどう評価したのだろうか?
定型文のようなテキストが繰り返されているし、もしゲームのテキストであると気づいたのではあれば、自分の空想を物語にするという課題にはそぐわないと思ったのかも知れない。
(それなら物語の書き方の基礎みたいなところを教えて欲しいけれど)
当時の私も、Aくんのドラクエ文体小説を楽しんで読みつつも、私自身は一応、課題どおりにオリジナルの話を四苦八苦して書いたので「ちょっとずるいな」と思った覚えはある。
ただ、そんな自分がそれなりにがんばって書いたものは一切覚えていない。
恐らくまともな話の形にもなっていなかっただろう。
でも、Aくんの「ドラクエ文体」小説は、今こうして書いているように印象深く覚えている。
ある意味、もっとも強いインパクトを受けた「ドラクエ小説」であることは間違いない。
タイトルや固有名詞はさすがにそのままでは無かったような気がするが、ある種の「リプレイ小説」にも近いのではないか。(私がTRPGのリプレイ小説の存在を知るのは、もっと後の話)
そして、あえて大げさに書くなら、このあたりの想像力や発想力の延長上に、いわゆる「ゲーム的な小説」があるように思う。
ファンタジー世界を描く手法の一種ではなく、まずゲームという存在ありきで、そのゲームの世界を描く物語。
ファンタジーなのは、そのゲームの世界観がファンタジーだからであって、描くもの自体はあくまでもゲームの世界。
そして、それらの認識や知識が成熟し、共有化されながら、いわゆる「なろう小説」などのゲーム的ファンタジーノベルの隆盛の土壌となっていったりしたのだろうか。(この方面、全く詳しくないので、あくまで土壌としての話)
それにしても。
いきなり「物語を書け」と言われて困惑するのは、同じ課題を出されたものとして分かる。
当時流行りのRPG風冒険ファンタジーみたいなものを題材に選ぶのもすごく分かる。
しかし、自分の中でドラクエぐらいしか材料が無いから、ドラクエ文体そのままで書いてしまおうというのは、やはり今考えてもなかなかすごいと思う。
(これは私の推測だが、Aくんの人となりを知っているので恐らくそうではないかと思う)
もしかすると単なる、宿題の文字数を何とか埋めるための奇策だったのかも知れないが、私には無い面白い発想だった。
だから、あの時に私が本当にすべきことは、この「ドラクエ文体」小説のフォロワーとして、自分も書いてみたり(すぐにマネできるわけだから)、例えば『桃太郎』のような童話をドラクエ文体で書いてみたり、戦闘以外の部分をどうドラクエっぽく表現するか考えてみたり、ドラクエ風ゲームブックを作ってみたり、とにかくクラスに「ドラクエ文体」小説ブームをつくることだったような気がする。
「ドラクエ文体」小説のフォロワーになれなかったことを今でもたまに悔やむことがある。
機械仕掛けの王に仕える、命ある暴力装置<ゲームにおける暴力コントロールのアイデアメモ>
ゲーム物語妄想無限の住人グランド・セフト・オートバイオショックターミネーター2BLEACHFateヴィンランド・サガ
2016-07-08
確か正月で、祖父の家に親類が集まって食事をしたあと、私は居間で何人かとTVを見ていた。
そこへ、親戚の幼児(当時2~3歳ぐらいか?)がトコトコ歩いてきて、あぐらを組んで座っていた私のひざにちょこんと座って、私の体にもたれかかり、一緒にTVを見始めた。私は驚いた。なぜか。
関係が日常的で、深ければわかります。
でもこれまで、せいぜい盆と正月に何度か遊んであげた程度の、覚えているかどうかも怪しいレベル。
そんな人間の膝に、こうも屈託なく座り、全幅の信頼を寄せるように体を預けられるものかと、幼い頃から人見知りで警戒心の強い子供だった私は少し驚いた記憶があります。
もちろん子供が飽きて、どこかへ行くまでの間、私はおとなしく座っていました。
チンピラ主人公のズボンの端
『グランド・セフト・オート(GTA)』という超人気ゲームシリーズがありますね。
アメリカの架空都市を舞台に、車を盗んでイカした(イカれた?)チンピライフを満喫する自由度の高いゲームです。
売り上げランキング: 37
私は『GTA3』を途中までプレイしたことがあるだけですが、このゲームをプレイして何より感動したのは、オープンワールド(箱庭世界)のつくりこまれた架空都市が、反社会的な存在であるチンピラ(犯罪者)に与えられていたことです。
現代社会的なゲーム舞台で心から自由に遊ぶには、反社会的な存在になるしかない。
ゲーム上、自動車泥棒や暴行・殺人がシステムとして用意されているからそれをするのではない。
自分(プレイヤー)がどうしようもないクズだからこそ、それをするのだ。楽しむのだ。
少なくとも私には、そういうゲームでした。
こうした『GTA』的なゲームで、「チンピラ主人公のズボンの端を、いつの間にか見知らぬ幼児が握っている」というシチュエーションはどうでしょう? その姿をちょっとイメージして欲しい。
主人公が歩くと、幼児もそのまま拙い歩き方でついてくる。
止まれば、幼児も止まる。
このようなギミックを追加するだけで、ゲーム内容が変化したりはしないだろうか。
もちろん暴力的なプレイに何も制限はしない。
だが、幼児が巻き込まれた場合、たやすく死んでしまい、二度と主人公のズボンの端は握らないだろう。
ちなみに、Twitterで(間接的に)頂いた反応によると、GTA+幼児は『BioShock(バイオショック)』というゲームで、似たようなシチュエーションは体験できるらしいです。
バイオショック的なやつ
— ityou (@ityou) 2016年2月25日
だいたいバイオショック
— かすか (@kasuka37) 2016年2月25日
私はこのゲームを全く知らないので、少し検索してみたのだけど、プレイヤーの選択で「助けるか」「能力強化の犠牲にするか」を選べる、リトルシスターというキャラクターがそれにあたるのだろうか?
病弱な妹の薬代を稼ぐ兄
考え方的には、先程の幼児とむしろ逆になるけれど、「GTA的主人公に盲目で病弱な妹を追加する」というのは、どうだろう。
妹には日々の生活費と莫大な手術費用が必要になる。
兄は反社会的な活動でそのお金を稼ごうとする。それが最も手っ取り早く合理的だ(おまけに楽しい)。
だからゲームプレイ内容は、通常の『GTA』と全く変わらない。
いや、むしろ積極的に犯罪や殺人などをすればするほど、それだけ妹の為になるはず。
いつもの自由な行動(犯罪や暴力)の結果、「盲目の妹」の命が助かっている、という要素だけがゲームに追加され、制限は何もない。
もちろん盲目の妹は、兄の仕事を知らず、自分の為に無茶をしているのではないかと、いつも主人公を心配している。
AI王様と私
いくつか思わせぶりなイメージを書いてきましたが、ここまでのあれこれを踏まえて、もう少し具体的な妄想ゲームを考えてみましょうか。
もちろん、ゲームを実際に作るでもなく、リアルにゲームを設計するわけでもなく、面白おかしくコンセプトだけを提示して、ゲームを考えるふりをしながら「物語」について考える、という、このブログで何度もやってるいつもどおりのアレです。
単なる妄想にすぎないので、ここからは読者諸氏の豊かなイメージ力(ちから)に頼ることになります(それもいつもどおり)。
さて、どんなゲームか。
実は、『ターミネーター2』的な「暴力装置とその主人のコンビ」という構造のゲームで、面白いことができないかな、と以前から考えていました。
売り上げランキング: 1,332
ただ、プレイヤーが担当するのは、暴力をコントロールする側(主人)の想定で考えていました。
でも、ゲームにおけるプレイヤーという存在は、むしろターミネーターに近いのではないのか。
プレイヤーは暴力を担当するキャラクターとして、コンピューター(AI)の主人とペアを組む。
その方が、構造的にも、内容的にも興味深いものになるかも知れない。
プレイヤーは暴力の象徴的なキャラクターになります。
ターミネーターのような存在でもいいし、サムライや騎士でも、魔法使いや超能力者でも何でもいい。
キャラクターとして大事なことは以下の3つ。
- 比類なき戦闘力をもっていること(暴力装置)
- ある目的のために、仕えるべき「王(主人)」をもっていること
- 暴力は「王」の許可を得ることで初めて使用できること
ゲームでは、プレイヤーは自分が仕えるべき主人となる「王」(AIキャラクター)を、用意された何人かの中から選択できるとよいですね。
それぞれの「王」はそれぞれ自分の目的を持ち、暴力装置である主人公(=プレイヤー)を、どのような目的で、どのように使うか、という利用目的、倫理基準、判断基準などが異なります。
ある「王」は復讐のために。別の「王」は逃避行のために。また別の「王」は何かを手に入れるために。
個人として達成したい目的を持っており、そのために主人公(=プレイヤー)の力を必要とします。
主人公(=プレイヤー)の暴力(戦闘能力)は、何段階かのレベルに分けて制限がかけられており、その制限が解除できるのは、自らが仕える「王」のみ。
「王」が制限を解除することで、圧倒的な暴力をゲーム内で振るうことが出来ます。
要するに「三蔵法師(王)に対する孫悟空(暴力装置)」、「水戸のご老公(王)に対する助さん(暴力装置)」をするゲームといえば、分かりやすいでしょうか。
アスタエンタテインメント (2011-08-03)
売り上げランキング: 55,791
ご老公が「懲らしめてやりなさい」と言った時だけ、助さんの暴力は解放され、「それぐらいでよいでしょう」と言った時点で、暴力はまた制限される。そういうゲームです。
暴力の使用はプレイヤーではなく、仕える「王」に委ねられますが、暴力が制限される方向だけで不自由になるとは限りません。
仕える「王」によって、暴力の使用基準は異なりますので、「ちょっと、足になる自動車を調達してこい」「この村を住民ごと焼き払え」などという倫理基準でプレイヤーを使おうとする「王」もいるはずです。
場合によってはプレイヤーが望まぬ状況で暴力を振るうことを命じられる可能性もあるでしょう。
それでも基本的には暴力装置に徹して、忠実な「王」の剣となり、「王」の目的を達成することがプレイヤーの役割になります。
『Fate』シリーズでの「サーヴァント(英霊)」側をプレイするゲーム、とも言えるかもしれないですね。
売り上げランキング: 1,653
ここまでの基本ルールまとめ
ここまでいかがでしょうか。
所詮、妄想にすぎないので、コンセプトだけ把握して頂ければ大丈夫ですが、ここまでの基本ルールを簡単にまとめておきます。
- 主人公(=プレイヤー)は、自分が仕える「王」(AIキャラ)を決め、その従者となる。
- 「王」はそれぞれ背景も個性も異なるが、目的のために主人公を利用するという点では同じ。
- 主人公の戦闘能力は「王」に捧げたもの。勝手に暴力をふるうことはできない。
- 主人公の戦闘能力にはリミッターが設定されており、これを解除できるのは「王」のみ。
- 「従者」として、「王」の目的をサポートし、それを達成することでゲームクリアとなる。
では、この「王(主人)と暴力装置(従者)」コンビによる、ゲーム全体のプレイイメージを考えてみましょうか。
多分、このゲームを考える上でもっとも分かりやすく、相性も良さそうな物語は「復讐劇」ではないかと思われます。
以後は、「復讐劇」をサンプルとして話を進めましょう。
復讐するは我でなし。王の望みなり。
このゲームの場合、「復讐」はプレイヤーの目的ではなく、プレイヤーの主人たる「王」の目的です。
両親の仇、恋人や子供の仇、同胞の仇、何かは知りませんが、あなたの主人は「復讐」を望んでいます。
主犯を含めた、n人の仇が「復讐」のターゲット。
それを共に旅しながら追い、主人を守りながら、ターゲット全員をひとりずつ殺していくのがこのゲームでのプレイヤーの役割です。
こういう設定では、復讐すべきターゲットにも、それぞれ人間模様があり、複雑な事情があり、というのがセオリーなので、標的を追う中で、主人と従者(プレイヤー)は、ターゲットの個人的な背景を深く知ることになるでしょう。
命を狙われていることに気づいたターゲットが、あわてて雇った何十人もの用心棒。
「王」によってリミッターを解除された主人公が、圧倒的な暴力でそれを粉砕していく。
そして、追い詰めたターゲットをどう「処理」するのか。
このゲームでは、主人の命令(制限解除)なしでは、プレイヤーは暴力を振るうことが出来ないので、ターゲットの背景を知った上で、主人が下した判断に従うことになるでしょう。
あなたが仕えることを決めた「王」は、ターゲットを殺すのか。見逃すのか。
この生殺与奪の権利を、プレイヤー(人間)ではなく、パートナーである主人(AIキャラ)に完全に預けてしまうという点がちょっと面白いかな、と思っています。AIの言うとおりにターゲットの命を奪う人間。
あくまでも構造上の面白さなので、コンピューターゲームとして実際にあったとして単純にどうだろう?とは思いますが。
復讐劇にスポットを当てれば、これは『無限の住人』で少女・凜(主人)に雇われた用心棒・万次(暴力装置)をプレイするゲームでもあります。
万次は凛の仇である逸刀流には何の恨みも因縁もありません。
実行者こそ万次ですが、凛の殺意が逸刀流を殺すのです。
その万次の視点と役割で物語に関わる、というのをちょっとやってみたい気がします。
よその世界の他人事を救う英雄
そもそも、ゲーム世界での魔王の危機も、銀河系の危機も、個人的な復讐も、現実世界からコントローラーを通じて介入するプレイヤーにとっては、はっきりいって、よその世界の他人事なわけです。
プレイヤーは究極的にいえば、このゲーム世界の誰にも義理もなければ、恨みも利害関係もない。
でもだからこそ、その世界の論理に縛られず、憎しみの連鎖にも囚われず、綺麗事の理想を押し通したり、メタ的な視点で解決法を探すことも出来る。
今回のゲームでは、復讐に燃える主人(AIキャラ)こそが、真にこの世界で生きるキャラクター。
それに仕える従者(プレイヤー)は、誰にも恨みもなければ、義理も利害関係もない……でも殺そうぜ!
他人事気分で関わりながら、圧倒的な暴力で、よその世界を決定的に変えていく。
それこそゲームにおけるプレイヤーなのだから。
AI人格いじりによる不確定の未来
さて前述したように、プレイヤーに、目の前の標的を殺すかどうかの権利はありません。
ですから、どうしようもないクズに対して「見逃せ」と命じられるかも知れないし、改心して真面目に暮らし女房子供もいる人間を「殺せ」と命じられるかも知れない。
全ては仕えた「王」の選択次第。
なのですが、AIキャラクターが登場するゲームなら、プレイヤーが干渉することでAI人格に影響を与えて変化させていくのも、ひとつの重要な楽しみ。
旅の中で、状況によっては「王」はプレイヤーに相談をしてくることもあるでしょう。
どう返答するかはプレイヤーの自由で、暴力とその支配について、諭すことも誘惑することもできるはずです。
コミュニケーションとプレイヤーの行動、そして行動の結果として、復讐の中で「王」が実際する体験。
それが、AIキャラである「王」の人格に影響を与えながら、ゲームは進行していきます。
ですからゲームシナリオ上、ターゲットの誰を殺して、誰を助けるか、というのは当然確定していません。
そのときの主人のAI人格と感情的なブレによって、プレイごとに選択は異なっており、恐らくプレイヤーも完全にコントロールすることはできないのではないでしょうか。できないといいですね。
用意された「命令違反」
あと必要そうなギミックは、「従者による命令違反」を可能にしておくことでしょうか。
主人公の暴力は「王」によって管理されているわけですが、何かのデメリット(ペナルティ)と引き換えに、自らの意思で暴力をふるえるようなゲームシステムを組み込んでおくべきでしょう。
例えば、これにより、「王」が「見逃せ」と判断したターゲットを、「御身を守るために仕方なく」殺すことができたりする。
これは「王」の命に逆らった命令違反になるので、2人の関係に大きな影響を与えるかも知れない。
他にも、「王」がさらわれ、リミッター解除をしてもらえない状態で、救いにいくためにやむなく暴力を解禁したり。
「王」がかわいがっていた野良犬に協力をお願いして、おいしい串焼きをゲハハとつくったり……いや、これはやりすぎだな。
プレイヤーにとって、暴力を管理されるストレスを解消する手段であると同時に、シナリオ上の自由度を得るためにもぜひとも必要なシステムだと思います。
はたして、「王」と「従者」の復讐の旅の結末はいかに。
『ヴィンランド・サガ』的な要素もありますね。多分。
擬人化されたゲームシステム
以上で、大体このネタで考えていたアイデアは出しきりました。
このゲーム、再三書いているようにコンセプトだけのものなので、実際にゲームにしたさいにどうなのか?どうするのか?という事はあまり具体的には考えていません。
最初に書いたとおり、ゲームを考えるふりをしながら「物語」について考える、というのが最大の目的であるように思います。
もしゲームが実在していたら、ストレスが溜まりそうな気もしますが、例えば用意したシナリオで物語を誘導するタイプのゲームでは、そもそもプレイヤーの暴力はゲーム側にきっちり管理されているわけです。
ここはイベントシーンだから人は殺せない。ここはバトルステージがだから殺せる。それが終わるとイベントだから殺せない……といった具合に。
もっといえば、シューティングゲームや格闘ゲームでさえ、暴力をふるうためのルールやタイミングは、ゲーム進行によってきちんと管理されている、とも言えないこともない。
であれば、今回のネタに出てくる「王」とは、プレイヤーの暴力を管理するゲーム側のシステムが擬人化され、人格を持ったキャラクターのように考えることもできるかも知れません。
ある場面では「誰も殺さず、情報を集めろ」と、シナリオ進行させる。
ある場面では「50人敵がいるぞ。全員やっつけろ」と、ステージミッションを設定して戦わせる。
ある場面では「仇だが、この男は見逃すことにする……」と、ゲームの不確定要素として変化を与える。
一種のゲームマスターであり、審判であり、出演俳優であり、すばらしいゲーム体験を共につくるための正にパートナーでもあるわけです。
あとがき・まとめ
ゲーム世界ではプレイヤーこそが圧倒的な暴力を持ちますが、それをメタ的なゲーム進行(システム)ではなく、もっと自然な形でコントロールできないだろうか、というのが、アイデアの発端だったと思います。
それでこんな不自由な制限があって、普通のゲームでは当然のように与えられる「暴力をばらまき、誰を殺すのかの自由」がないゲームを考えてみました。
恐らく擬人化したことでストレスは増大するとは思うのですが、その代わり、我慢に我慢を重ねたあげく、「存分に暴れ回れ!」と、主人から全てのリミッターを解除されて振るう暴力の嵐は、いつでも撃てる銃とはまた別の意味での気持ちよさを与えてくれるのではないかという気はします。
ああ。そういえば、『BLEACH』では、死神が現世に来る際に霊力を封印されるため、「限定解除」を行うことで本来の戦闘能力を発揮できるというシステムがありましたね。
暴力リミッターの解除という意味では、ああいう感じに近いかも知れません。
今回、意図的に映画やマンガなど、さまざまな作品を持ち出しましたが、感情や選択を司るイデオロギー型のキャラクターと、破壊と問題解決を司る暴力型のキャラクターの組み合わせによる、バディ関係というのはよく使われるパターンです。
その関係をゲームで再現しつつ、プレイヤー側に暴力型主人公をやらせてみてはどうか?というのが、今回のネタの肝ですね。
妄想なので私が考えるのはあくまでコンセプトアイデアだけなのですが、このコンセプトを元に色々考えてみるのは面白そうです。何かよいアイデアが浮かべばまた何か書きますし、これを読んだ方で何かアイデアや情報などがあれば教えて頂ければ幸いです。(これと同じ体験ができるゲームがあるなら、プレイした方が早くて楽なのでやってみたい)
それではまた、次回お会いしましょう。(特にオチフレーズ思いつかず)
ゲームが好きだと耳元で言った、そんなヒロシにだまされたと思って、ご覧ください。
(読んでから、ほとんどが妄想で実体のあるゲームの話がないことに、だまされたと思うことでしょう)
例によって長文なのですが、ネタやゲームアイデアが主なので全て読むことはあまり想定していません。
面白そうなブロックだけ読んでいただければ結構です。
面白い部分が見つからないという方には「こんな長いのに読むとこ無いってある意味爆笑エントリだな」と笑うことで、笑顔でページを去ることができるというライフハックをお教えしておきます。
それではまず、実体のあるゲームの話題から。
『スカイリム』のスカイ無理な話
『スカイリム (The Elder Scrolls V: Skyrim)』って知ってるかい?
少し前に発売されて、ゲーム好きの間でイキに暴れまわってたって言うぜ。
![]() | The Elder Scrolls V : Skyrim (2012/01/26) Windows 商品詳細を見る |
そんな噂の『スカイリム』は、海外の人気ゲームシリーズ最新作で、オープンワールド・アクションRPG。
私は『スカイリム』の前作『オブリビオン』の話を聞いてこのシリーズに興味を持ちましたが、どちらもプレイしたことも見たこともありません。
どっち(スカイリム)もどっち(オブリビオン)も。どっちもどっちも!
そんな中、とある情報筋から友人が『スカイリム』をプレイしていると聞き、たまらないぜハニハニな我々取材班は、どんなゲームか見せてもらうことにしました。
……うーむ、確かに体中にビートが駆け巡るほどすごいゲームだ。
友人が発売日にゲット・イン・ストレートしたのもうなずける。
(もう言いたいだけの意味ゼロで進行しているテキスト)
友人がプレイしながら、あんなこともできるこんなこともできると説明してくれた。
海外のゲームらしくさまざまな自由がユーザーに任されている。
ただこのとき、友人がひとつの例として見せてくれたのが、シェフのきまぐれ村人大虐殺などのグランド・セフト・オート的社会的逸脱だった。
構築したひとつの世界の中で遊ぶオープンワールド型ゲームでは、箱庭の中でやりたい放題して遊ぶことになるわけだが、自由を保証するということは社会ルールからの逸脱の自由も保証することになる。
となると、ゲームの主人公は社会のモラルやルールを無視できる存在であることが望ましい。
それはつまり犯罪者やチンピラだったり、軍人だったり、文明レベルが低い(例えば古代・中世の)人間だったりするだろう。
私が初めてこういうタイプのゲームのひとつである『グランド・セフト・オート3』を遊んだときに感動したのは、街の中で自動車泥棒も暴力も殺人も自由であることではなく、主人公がどうしようもなく犯罪者でチンピラであることだった。マフィアの命令で簡単に人殺しもするような人間。
だがそれこそが必要で、プレーヤーキャラが社会ルールを守らないチンピラであることで、初めて私は自由にプレイができた気がする。
もちろん、ひとつの世界を構築した箱庭世界だからこそ、現実と同じく法の逸脱に対するペナルティもある。
『スカイリム』でも警備兵(警察)が止めに来ていたが、友人はそれすらも惨殺して馬を盗み最後はゲハハと尸良さんのように笑いながら逃亡していった。
それを見ていたらだんだん気分が荒んできて、心のバランスを取ろうとしているのか、発作のような衝動が湧きおこってきた。
友人「……こんな感じで冒険や成長や犯罪とか、いろいろ自由なんだよ」
私「確かにすごい。すごいよ。けど、今はとにかく、いいことがしてえ。とにかくいいことがしてえ。そして極楽浄土さ行きてえ」
友人「は?」
私「だから、ぎゃあてえ、ぎゃあてえ、はらぎゃあてえ的なことがしたいんだよね」
友人「例えば?」
私「こんなに自由ということは、陣痛の妊婦を病院に運んだり、老婆をおんぶして歩道橋渡ったりできるよね?子供たちにも夢を与えられるよね?学校を建設したり、靴磨きの黒人の少年にトランペット買ってあげたり。で、その少年が成長して世界的なジャズミュージシャンになるよね?」
友人「いや、さすがにそういうのは……。あ、ほら、ドラゴンが飛んできた」
私「ドラゴンなんかどうでもいいよ。ネコは?どしゃ降りの雨の中で捨てネコが拾いてえ。しこたま拾いてえ。両脇にかかえてえ」
友人「(私を無視し、ドラゴンと戦闘を始める)」
私は特別善人というわけでもありませんから、純粋に地獄を見たので、心が渇き、戦いに飽きたというだけのことなんでしょう
PC版『スカイリム』だと、MOD(改造データ)を用いて、世界そのものを改造する自由度がありますから、そんな「やさしい世界」も実現できるのかも知れません。こういうゲームでの本当の自由度とは、こういうレベルにも介入できることを言うんでしょうしね。
そういえば「やさしい世界」で思い出したゲームがひとつあります。ゲームといっても別の友人が昔考えたゲームアイデア(ネタ)です。
10年以上前のネタですが、私はすごく気に入り、今でも憶えています。これを紹介しましょう。
おいでよ!やさしさの森
『スカイリム』見ながら「やさしい世界」を連想して思い出したのは、こんなゲームです。
・あなた(プレイヤー)は森に迷い込みました。
・すると森の動物たちが現れ、あなたを「やさしさ」で攻撃してきます。
・あなたが「やさしさ」を受け入れると、HP(生命力)が減ってしまいます。
・HPがゼロになってしまったら、ゲームオーバーです。
・さあ、はたして無事に森を脱出できるでしょうか?
メルヘンチックで分かりやすい設定ですね。
しかし敵……というか動物たちがしてくる「やさしさ」攻撃って、どういうものなんでしょうか?
![]() | おいでよ どうぶつの森 (2005/11/23) Nintendo DS 商品詳細を見る |
森の動物たちは、あなたに、笑顔であいさつし、イスにお座りよといい、くだものをすすめたり……つまり「やさしさ」で攻撃してきます。
これを受け入れると、HPが減っていきますので、あいさつは無視し、イスは蹴飛ばし、くだものは足で踏み潰す必要があります。
プレイヤーが「やさしさ」を拒絶しても、恐ろしいことに森の動物達は無限の愛で「やさしさ」攻撃してきます。
夜の森で動くのは危ないからと、木の葉をいっぱい集めてつくったふかふかのベットを用意してくれます。
間違った方向へ進んでいるあなたの前に出て、「こっちは危ない。森の出口はあっちだよ」と指さします。
何もあげられるものがないウサギさんは、自ら焚き火に飛び込みます。
これらの「やさしさ」を振り払い、森から脱出できたらクリアーです。
面が進むと、「やさしさ」は増していきますが、屈してはいけません。踏みにじりましょう。
すごく簡単なゲームですよね。
この「やさしさの森脱出ゲーム」を、『スカイリム』や『グランド・セフト・オート』のようなオープンワールド型のゲームでやってみたいですね。
箱庭世界でやりたい放題なゲームが好きな人にはぴったりです。
世界はあなたに無限にやさしいが、それを拒絶できる人はゲームオーバーにならないはずですから。
うっかり屋さんの私は、恐らく「何か」を撃つために持ってきた銃をどこかに落としてしまい、それを対象いや住人に親切に拾って届けてもらうでしょう。
会釈しながら銃を受け取って「あー、どうもどうも。すいません……あ!」で、ゲームオーバーです。
『火の鳥<鳳凰編>』を今、ゲーム化するとこんな感じになるかも知れない。主題歌は渡辺典子の愛したら火の鳥のままで。シルバーウィーン。
もしくは「やさしさ」攻撃を、ストレートに主題にすえれば、母性社会のやさしさを振り払って脱出するゲームに仕立てられるかも知れない。
それにしても『スカイリム』。噂通りのすごいゲームだったが、子供たちに夢を見させる自由さえないゲームとはなんて不自由なゲームなんだ、と思いつつ、村人の虐殺遊びをやらせてもらった。うわ。なにこれ。楽しい。
![]() | 火の鳥 鳳凰編 [DVD] (2008/04/25) 古川登志夫、大塚周夫 他 商品詳細を見る |
宇宙船のエネルギーコントロール問題
昔、ニンテンドーDSの『無限航路』という宇宙戦艦RPGを遊んだのだけど、途中でリタイアしてしまいました。
![]() | 無限航路 (2009/06/11) Nintendo DS 商品詳細を見る |
宇宙船の内装エディットなど新しい要素が目立ちましたが、ゲームの基幹部分はかなりクラシック。
個人的には戦闘の魅力が乏しかったのが大きかったです。3すくみというか後出しじゃんけんみたいな感じでしたが、コンピューター相手に延々それするなら、友達と普通にじゃんけんした方が楽しいんじゃないかな、と私は思っているので。
ゲーム全体に対して思いますが、3すくみ入れると確かに簡単に駆け引きっぽくはなります。ですがそれは、じゃんけんのすばらしさであって、そのゲームのすばらしさではない。安易な3すくみや属性は好きになれません。
もちろん途中でやめてしまったので、このゲームの魅力の全てを体験できたわけではないでしょう。
ただ要素がいくつか加わるとしても根本的にあまり好みではありませんでした。
ストーリーがよいというお話も聞きますが、私はゲームシステムにお金を払う意識が強い人間なので、ストーリーのために我慢してゲームを続けるということをあまりしません。
個人的な好みではなかったとはいえ『無限航路』も移動を前後だけにしたり、回復と資金稼ぎを省略していたり、かなり割り切った工夫をいろいろしていました。そうした方向性は正しいと思います。
宇宙戦闘は思い切って単純化したり、ある要素だけクローズアップ(強調)する方がポイントが絞れて良いと思います。
個人的には昔から「エネルギーコントロール」だけに駆け引きを集約する宇宙船ゲームはどうかな、と考えていましたので、いつものように妄想を書き散らしてみましょう。
【ゲームの概要】
あなたは宇宙船(宇宙戦艦)の船長(艦長)です。
宇宙船に乗って、宇宙を旅したり、戦闘したりします。
でも、あなたの宇宙船の動力炉(エンジン)でつくられるエネルギー量は決まっています。
移動にも、ワープにも、ビーム砲にもバリアーにも、船内の空調や生命維持装置にも、何でもエネルギーは必要です。
あなたは艦長としてその場の状況に応じて、適切にエネルギーを使えるでしょうか?
このゲームは「限られたエネルギー量をどう使えばいいか?」という駆け引きやジレンマに悩むゲームです
ですから戦闘のメインシステムのほとんどを、この「エネルギーコントロール」の問題として単純化して処理するというゲームになるでしょう。
【エネルギーについて】
宇宙船のエネルギーは、移動、攻撃(ビーム)、防御(バリアー)はもちろん、艦内の生活・生命維持にも使われます。ですから、戦闘していなくても、停止していても、エネルギーは一定量使われていることにします。
ちょうど、私たちの体が夜寝ているときでもエネルギーを消費しているようにね。
エネルギーは使えば無くなりますが、動力炉(エンジン)を動かしている限りは、また生み出されていきますので、時間が経過することで回復はしていきます。
このエネルギーを、状況に応じて上手く割り振っていくのが、プレイヤーの主な仕事です。
エネルギーの使い道について、ここでは大雑把に4つに分けて紹介しましょう。
【エネルギーの使い道】
移動
・宇宙船で移動するにもエネルギーが使われます。
・移動スピードのギアを一段階上げるたびに、エネルギーの消費量が段階ごとに上がって行きます。
・SFの定番「ワープ」もあってもいいかも知れませんが、エネルギーのほとんどを一気に使い切るという感じでしょうね。
攻撃
・戦闘時に撃つビームにも、当然エネルギーを消費します。
・ビームの本数や出力(威力)を上げれば、それだけエネルギーを多く消費します。
・波動砲やハイメガ砲的な主砲のエネルギーチャージにも、エネルギー出力の一部を回す形で消費します。チャージは時間をかけて、貯金のように少しずつ100%めざして貯めていきます。出力何%で撃つかどうかは艦長の判断次第といったところです。
・ミサイルなどの実体弾兵器は、エネルギーを使わないという意味で貴重なものという扱いになるでしょう。
・艦載機も同じく、エネルギーを使わず攻撃できるファンネルみたいな兵器になるでしょう。
防御
・敵からの攻撃は、防御スクリーン(バリアー)を張って防ぎますが、もちろんこれにもエネルギーを使います。
・これも防御スクリーンのレベルを上げることで、より多くのエネルギーが必要になります。
・敵の艦載機やミサイルに対して、迎撃のための弾幕を張るにもエネルギーが必要ですし、防御スクリーンのレベルも上げなければいけないでしょう。ミサイル・艦載機攻撃の主目的は、こちらのエネルギーを使わず、相手のエネルギー消費を増やすことです。
生活・生命維持
・宇宙船の中を人間が生きられる環境にするために、一定量のエネルギーが必要です。これは自動的に消費されます。
・また人間が食事したり、洗濯したり、お風呂入ったりなど、生活のためにも同じく一定量のエネルギーが必要です。
・エネルギー消費量は、宇宙船の規模や乗組員の人数などによって変化します。
・エネルギー不足で生命維持系に回すエネルギーすら無くなると、宇宙では生命の危機に直結してしまいます。
プレイヤーは状況に合わせて、これらの要素にどれくらいエネルギーを使うか、という「エネルギーコントロール」に集中しながら、冒険を進め、戦闘では勝利をめざすという感じになるでしょう。
作られるエネルギー量自体は決まっているので、それをどう配分するかという、割合調整という感じですね。
【移動中でのエネルギーコントロール例】
・エネルギーは基本的に「移動」「生活・生命維持」にしか使われません。消費量と回復量とのバランスが取れている状態です。
・未使用のエネルギー割合が多いでしょうから、急なトラブルや戦闘にも対応できます。
・目的地まで急ぎたければ移動スピードを上げましょう。エネルギー出力は上がってしまいますけどね。
【戦闘中でのエネルギーコントロール例】
・戦闘になれば、ビーム攻撃や防御スクリーンにもエネルギーを使うので、エンジンに無理させて目一杯ギリギリまで使うことになるでしょう。
・攻勢に出る場合は、ビームの出力を上げて畳み掛けましょう。その分、防御に回すエネルギーを削ることになるとは思いますが、攻撃は最大の防御ですしね。
・移動スピードと防御レベルを最大に上げて、一気に敵艦に近接し白兵戦を挑むというのも面白いかも知れません。
・主砲のチャージに多くのエネルギーを回して、決着をつけるのもいいでしょう。
・守勢時は、弾幕や防御レベルを上げつつ逃げて、小惑星の陰に隠れたりしてエネルギーバランスを回復する機会をつくりましょう。艦載機やミサイルなどエネルギーを消費しない兵器に頼るのもいいかも知れません。
エネルギーの利用選択という意味では『サイキックフォース』がイメージに近いですが、格闘ゲームの速い展開の中で、あんな忙しくて難しいことは私にはとてもできません。
宇宙船、艦隊戦ぐらいのテンポで、さらにエネルギーコントロールに注力する形なら何とかなるかも知れません。
個人的には、このような形で『ふしぎの海のナディア』のレッドノアvsNノーチラス号に近いことができないかな、と思ったりしています。縮退炉に勝てるのは縮退炉だけです。
このゲームが何に似ているかというと、家庭での電力消費なんですよね。
エアコンつけながらTVつけてゲームしたいけど、お母さんは電子レンジ使いたくて、お姉ちゃんはドライヤー使おうとしている。
ブレーカーを落とさずに、電力消費をできる限り抑えて、どう電力(エネルギー)のやりくりをするか、というイメージで考えてもらうのがいちばん近いと思います。
家庭でいう戦闘といえば、夕飯の準備でしょうか。炊飯器、電子レンジ、ホットプレート……などの大型兵器を上手く使う必要があります。すべてを同時に使うとエネルギーが足りなくなってしまうかも知れませんからね。
震災後の夏、空前の節電ブームの頃、昔考えたこのエネルギーコントロールだけに要素を絞った宇宙船ゲームを思い出したのでした。
生活する宇宙船をひとつの家だとすると、家の中に原子力発電所があって、外から攻撃を受けたり、無茶なエネルギー運用をすると爆発するようなものなので、これはもう緊張感ただよいますよね。
逆襲のシャア×ソーシャルゲーム
ガンダムを題材にしたソーシャルゲームはいくつかありますが、『逆襲のシャア』だけをテーマにしたゲームを新たにつくりましょう。
![]() | 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア (初回限定版) [Blu-ray] (2011/06/24) 古谷徹、池田秀一 他 商品詳細を見る |
ジオンとロンド・ベルに分かれて戦いますが、現実時間で1週間など一定期間ごとにシャアさんが小惑星(アクシズなど)を落としてきます。
小惑星の落下を食い止めるには、多くのプレイヤーが取り付いて支えなければならない。
アクシズの阻止限界点までに、どれだけ人を集められるか。
「阻止限界点まであと7日と14時間。軌道変更まで、あと483人必要」と表示されますので、友人をだましてでもゲームに招待し、アクシズ落下を食い止めてください。
というようなことを、Twitterで書いたら、
「それなら俺は課金してロンド・ベル隊に核ミサイル提供しますわ」
「じゃあワシは課金でサイド6の監察官やってブライトさんに情報を流す(ロンド・ベルが少し早くアクションできる)役やるわw」
といったリアクションをいただいた。面白い。みんなやりたい役があるんだな。
人数調整のために、阻止限界点の瀬戸際で、敵方であるネオ・ジオンのプレイヤーを買収することができるようにしようか。
もちろん見返りに何を与えるのかは交渉次第。買収相場はゲームの進行と展開によって上下するだろう。
ひと儲けしたいネオ・ジオンのプレーヤーが自分を高く売るにはギリギリまで待った方がいいのだが、それまでにアクシズが落下してしまっては元も子もない。かといって、小惑星を支える人数が過剰になれば相場は崩壊する。
アクシズを支えるジェガンが増えるにつれ、ロンド・ベルの戦力が落ちていくが、ネオ・ジオンも「どうしうようかなー」と様子見するプレイヤーが増え、双方の戦力はそれなりに拮抗する。とまでは、簡単にはいかないが、そういう駆け引きがあってもいいかも知れない。
いっそのことゲームのフェイズを「アクシズの譲渡」からはじめて、譲渡金額交渉をする。
アクシズを譲渡して得たお金で、ロンドベルは戦力を整えることができる。
アクシズ以前に落とす5thルナなど他の小惑星落下の可否によって、交渉金額(どちらが優勢か)に影響してもいいかもしれない。
昔、3層レイヤーのガンダムオンラインゲームネタを考えたけど、これを1層のガンダムソーシャルゲームにするなら、ロンド・ベル側は地球のエリアに家族が住む家(マイページ)を持つことにする。これが各プレイヤーにとってのベルトーチカとその子供。
小惑星の落下エリアによっては、地球は壊滅的な打撃を受け、大事なものは消滅する。だから、がんばって課金しよう。人の心の光、みんなで見せよな!(アンジェラ・アキで)
ダメだ。どう考えても、人の心の闇しか見せられないよ。
∀ガンダム×ソーシャルゲーム
そういえば『∀ガンダム』放送当時、友人と「マウンテンサイクル発掘ゲーム」の話をしていたことがある。
地層に埋もれたモビルスーツや戦艦など、ガンダム世界の遺産を地中から掘り起こす山師ゲーム。
今だとこれはソーシャルゲームのシステムで出来てしまう。マウンテンサイクルという巨大なガチャを舞台に。
![]() | ∀ガンダム I 地球光& II 月光蝶 (初回限定版) [Blu-ray] (2011/07/22) 朴ろ美、高橋理恵子 他 商品詳細を見る |
『∀ガンダム』マウンテンサイクル発掘ゲーム体験レポート
とりあえず軽い気持ち、スナック感覚で【発掘】してみようかな。
ロラン「発掘ポイントを選んでください。……このポイントを掘りますか?」
掘る。掘ります。
ロラン「……おや?地中からゼータの鼓動が聴こえてきましたよ!さらに掘りますか?」
ゼータの鼓動?掘る!掘るよロラン!掘りまくるよ!
ロラン「ゼータの鼓動はどんどん大きくなってきました!さらに掘りますか?」
もちろん掘るよローラ!
シドじいさん「うーむ。硬い岩盤に突き当たってしまった。この地層を掘るには資金400が必要じゃ」
……仕方ないな。それぐらいなら出しましょう。
シドじいさん「発掘にはあと8時間30分かかるが、人出を集めることで時間が短縮できるぞ。もちろん費用はかかるが」
……。(恨みがましい目でサイフを出す)
うーん。これはシドに渡す発掘資金で、御曹司のノックスが崩壊するかも知れないですね。キースの札束など紙切れ同然ですよ。
ロラン「ちなみに先ほどの発掘が終わりましたよ。モビルスーツを発掘できました!」
おお!ラッキー!月光蝶中畑清です!で、そのモビルスーツというの
ロラン「メタスです!(屈託のない笑顔で)」
は……?
ロラン「メタスです!おめでとうございます!」
シドじいさん「もっと深くの地層まで掘ればあるいは……。資金800が必要なんじゃが……」
……。
シドじいさん「仕方ないの。ボルジャーノ公にスポンサーになってもらうとするか」
ロラン「いいんですか本当に?リリ様にまたバカにされますよ?」
わ、わかったよ。わかりましたよ。(泣きながら、サイフを出す)
……ダメだ。悪魔のゲームにしか思えない。小生のノックスも崩壊寸前ですよ。
家計簿アプリ「マイナスをプラスに」
ソーシャルゲームもいいけれど、家計の範囲内で計画的にご利用する必要がありますね。
一年ほど前スマートフォンに変えたとき、これを契機に家計簿をつけたいなと思って、いくつか家計簿アプリを試してみました。
ただ長続きしなかった。アプリに問題があるわけではなく、私自身に問題があるのは私との付き合いが長い私がいちばんよく分かっているので、ダメ人間でも続けられるような家計簿アプリが欲しいと考えました。
当時考えたのは、出費を入力すると、その内容に応じてアプリ内の世界に影響を与えるというもの。
いくつかパターンを考えたが、最も親和性が高く、分かりやすい例は、アプリ内に「街(カケーボシティ)」があって、ユーザーの出費入力によって、この街が成長し変化していく。
要するに「家計簿シムシティ」。
現実世界での出費は、この架空の街での開発予算に変換される。
![]() | EA BEST HITS シムシティ4 デラックス (2011/03/17) Windows 商品詳細を見る |
例えば食費としての出費を入力すれば、ゲーム内の「街(カケーボシティ)」の市場やスーパーマーケットの数や規模が発展していく。
他のカテゴリの出費も同様に、街の要素に変換される。
・家賃 → 住宅・マンション
・交際費 → 飲食店(レストラン)
・教育費 → 学校
・医療費 → 病院
・遊興費 → 遊園地・ゲームセンター
・交通費 → 街のインフラ(電車や道路)
・貯蓄 → 銀行
出費を入力すると、それに対応する街の施設が発展するので、どんな特徴のある街に育つかはユーザーの家計次第。
例えば、映画をたくさん見に行く人の街には巨大なシネコンが建っているかも知れないし、おしゃれな人の街には、ファッションビルがたくさん建っているかも知れない。
ゲーム的には、街のバランスはあくまで予算に対する割合で変化するべきかな?
収入(出費)が多い人は大都会島になって、少ない人は小都市になるのでは、私の街はペンギン村にしかならない。
あらかじめ街の予算(月収)を設定した上で、その予算をどう街に配分したかで、開発状況が変わるべき。
予算の割合と毎月の継続(積み上げ)を、街の成長という形で評価することになるでしょう。
月間収支が赤字になれば、市の財政を悪化させたわけですから、市長としては失敗。
支持率が下がったり、トラブルが起きたり、何かゲーム的なペナルティを与えるべきですね。
逆に予算内で街を運営すれば、なにかゲーム的なボーナス(ごほうび)はあげてもいいでしょう。
Twitterで書いたときには、リアクションをいただきました。
家計簿の目的としては1)家計の見える化(無駄を発見、抑止)2)家計の健全化(浪費の防止、貯蓄の増加)3)資産の見える化などで、ゲームとするなら収支バランスの他に交遊費などの割合や無駄がある場合に警告を出すとか、貯金が一定割合を超えたらボーナスを出すとかがいいかもしれない。― fukasawa takuyaさん (@fukasawa_takuya) 2月 5, 2012
@fukasawa_takuyaさんには加えて「あらかじめ決めておいた購入目的の商品や貯金額の目標を達成したらやはりボーナスを出す」や「名目が家計簿である以上、浪費よりも貯蓄や健全化をしやすくした方が喜ばれるのではないか」などのアドバイスもいただきました。
ゲームのために浪費するのは本末転倒ですから「健全な家計簿をつくる」という方向性であるべきだと私も思います。
家計簿データは単なるデータに過ぎませんが、それを「街」のビジュアルに置き換えることで、消費傾向を視覚的にとらえることができます。
育った街を眺めるのは楽しいですが、消費の特徴(またはいびつさ)は、街の状態として視覚化されてしまう。
街のデータやスクリーンショットをソーシャルサイトなどで共有してもいい。
前述のように消費金額でなく予算の割り振り(割合)方式ならば、具体的な金額は完全に伏せたまま、街のバランスだけ公開されるので、他人に見せてもいいし、相手のも見てもいいはずです。
お互いの街を見ながらアドバイスしあったり、人の振り見て我が振り直せ的なことをするのも健全な家計簿化に貢献できるかも知れません。
さて、あなたは市長として、街の予算を使って、どんな街をつくるでしょうか?
「マイナスの行動」を「プラスの行動」に
要するに家計簿をゲームにしましょう、ということです。そうでもしないとできない私のために。
ただ、なぜ家計簿をゲーム形式にするのかというのは、私がダメ人間であること以外に、家計簿自体にも問題はあると思います。
家計簿におけるプラスは、基本的には毎月の月収。
これは金額もタイミングもほぼ一定で、このプラス以外は、日々のマイナス=出費を入力していく作業になります。
お金が手に入ってから、その範囲内で日々お金を使う……。
当たり前のことなんだけど、そのひたすらマイナスを続けていく作業が非常にやるせない。
だからマイナス作業を、せめて家計簿上ではプラスの行動に変換したいと考えました。
その方法のひとつとして考えたのがこの家計簿シムシティ。
この家計簿アプリ上では、出費こそが街を動かす原動力。
出費が無ければ街が成長することはなく、この世界では出費(街への投資)はプラス行動として肯定される。
いわばソーシャルゲームの「課金」みたいなもの。
ゲーム内の映画館を大きくするには、映画を見に行く、つまり現実の映画館に「課金」すればいい。
とにかく出費というマイナスの事実を、ゲーム内でプラスとして利用し、入力のモチベーションを保ったり、罪悪感を軽減したいと考えました。
大事なことは、この家計簿アプリを利用してまで得たいものは「成長した街」でなくあくまで「家計簿データ」だということです。
例えば、街の特定の施設を成長させるために、実際には使っていない出費を入力することはできます。
ウソ出費入力ですね。あくまで家計簿なので、システム上そういうことはできてしまいます。
ゲームとして見れば「ずるっこ」ができるのは確かなので、個人的にはもしズルがしたければいくらでもやればいいと思っています。
なぜなら、ここまでの仮定ですと、予算に対する割合が問題なので、架空出費をどんどん入力しても投入金額の大きさは街の発展とは関係ありません。
そして何より、街の裏側にある本当の目的「家計簿」が手に入らない。
ダメ人間ゆえにゲームっぽくしてまで入力を続けて、手に入れようと思った家計簿が、正しいデータでなくなり、価値を失ってしまう。
ですからシステム側で架空出費を防止するというより、各市長の政治倫理に任せるという形でいいのではないかな、と思っています。
これに関してはもうひとつよいアイデアがあればさらにスマートになるかも知れません。
(ただしダメ人間想定なので、入力の手間が増えたり、システムの複雑化は避けたい)
「ゲームスキン」のバリエーション
というわけで、家計簿との親和性が高いシムシティパターンをご紹介しました。
冒頭で「いくつかパターンを考えた」と書きましたが、この「現実でマイナスである出費を、ゲーム内でプラスに変換する」というコンセプトで、他のゲームスキンも家計簿にかぶせることができます。
シムシティ以外にも、例えばこんなのが考えられます。
・コーエー的な、国づくり戦争もの(出費で国づくりをして、毎月、月末に一度戦争をする)
・シヴィライゼーション的な、文明発展もの(原始時代から始まり、出費で文明技術を発展させ、世界を広げていく)
・かわいい女の子と共同生活もの(出費は、同居する女の子との生活費に変換される)
・足長おじさんもの(出費は仕送りに変換され、仕送りで女の子が成長し「おじさま、ありがとう」の手紙を送ってきてくれる)
他にも「アイドル育成もの(THE K@KEIBO MASTER)」「ホストに貢ぐゲーム」なんかもリアクションでいただきました。
あなたがプロデュースするアイドルが太ってしまったのは、現実のあなたが暴飲暴食するからだ。というわけなので、来月は一緒に節制(ダイエット)しようね、とがんばればいいわけですね。
ホストものは浪費イメージで怖いですが、こまめにお店に通って出費(を入力)しないと、お気に入りホストが機嫌を損ねたり距離が離れると考えれば(家計簿的には)健全に使えるかも知れません。
とはいえ、ゲームはやっぱりどこかで飽きるもの。しかし家計簿(収入と消費)は生きる限り続いていくもの。
ひとつのゲームに飽きるのを最初から前提にして、家計簿データはそのままに途中で別のゲームに変更できる形にしておくのが良いと考えています。
ブログのデザインテンプレートを変えるように、家計簿のゲームスキンを付け替える。
だから本当は、アカウントを作成して利用する登録制家計簿サービスみたいなところが、これまでのデータと、これからの入力はそのままに、家計簿データでゲームが楽しめますという導入をするのが理想的だと思っています。
もともとは私みたいなダメ人間がどうやれば家計簿を長続きさせることができるのか、ということで考えたものですが、ゲームはこういう問題をクリアできる力があると思います。
ゲームを現実と接続させて、ダメ人間が生きやすいようになるといいですね。
しかし南極の寒さときたら、こんなものではないのです(行ったことも、行く気もないけれど)。
ワタシハ、魔犬タロ・ジロ。コンゴトモヨロシク……。(ブフ系に強い仲魔)
TBS開局60周年記念番組 日曜劇場『南極大陸』。回ごとに見たり見なかったり、部分的に見たり。
![]() | 南極大陸 Blu-ray BOX (2012/04/11) 木村拓哉、綾瀬はるか 他 商品詳細を見る |
ということは最終回のクライマックスは、感動の名場面である犬たちとの再会シーンですね。
生き残ったタロ、ジロを見つけたキムタクは、涙ぐみながら、大きな声で犬たちの名を叫ぶ。
タロ、ジロは、キムタクの元へ一目散に駆けていき、抱きしめるために両手を大きく広げたキムタクの胸に飛び込んで、その喉笛を噛み千切る。
飢えと、過酷な環境と、死んだ仲間たちの怨念が彼らを魔犬にした。
二頭の魔犬は倒れたキムタクをそのままに、観測船に乗り込み、乗員をひとりづつ牙にかけていく。
タロ、ジロが観測船のブリッジを強襲し、乗員が逃げ惑った際に、はずみで船が動き出してしまう。
瀕死の中、何とか立ち上がったキムタクが見たのは、自分を置いて南極を去っていこうとする観測船の姿だった。
甲板には返り血を浴びて赤い魔犬と化したタロ・ジロが悠然とキムタクを見下ろしている。
「ちょっ、まてよ!」またない。船はそのまま南極大陸を離れていく。
この後、キムタクの代わりに日本へ戻ったタロ、ジロが、綾瀬はるかと結婚。
翌年、懐妊した綾瀬はるかが割腹し、八つの玉がはじけ飛ぶ。
その玉を持って生まれたひとりが堺雅人であり、彼はのちに料理人として南極に赴く。
そこには彼を含め8名の越冬隊員がおり、全員がそれぞれ別の文字が刻まれた玉を持つ不思議な因縁で結ばれていたのだった……。
という感じで、TVドラマ『南極大陸』と映画『南極料理人』を結ぶ、『南極里見八犬伝』をつくればいいと思うよ。
![]() | THE八犬伝~新章~ [DVD] (1998/12/22) 日高のり子、山寺宏一 他 商品詳細を見る |
![]() | 南極料理人 [DVD] (2010/02/23) 堺雅人、生瀬勝久 他 商品詳細を見る 『南極料理人』に登場する越冬隊員の人数は、 ぴったり8人八犬士。 |
『南極料理人』主演の堺雅人は『南極大陸』にも出演しており、キムタクの大学時代の同期にして、南極大蔵省事務補佐官として南極に同行しています。
帰国後、再び観測隊への参加を希望するがかなわないという役どころですので、ハ玉の持ち主のひとりとして転生し、念願である南極の地を踏んだということにしましょう。
これにより堺雅人は、けっきょく南極料理人として夢大陸でアドベンチャーする運命だということが『南極里見八犬伝』で確定的に明らかになったわけです。
今、『南極大陸』のWikipediaを見たら、キムタクの部下?で犬担当だった山本裕典の役名が「犬塚夏男」らしい。彼も転生体かも知れない。
八つの玉に刻まれた文字は、「日」「曜」「劇」「場」「南」「極」「大」「陸」かなと思ってましたけど、「木」「村」「拓」「哉」「S」「M」「A」「P」でもいいかも知れない。
もしくは、「ま」「ま」「満」「足」「一」「本」「満」「足」の八文字にすれば、うまいandでかいandヘルシーで、南極の非常食としてタロ・ジロも満足してくれると思います。仮に満足できずに噛み千切られるとしても草君は「いいひと」なので大丈夫です。
『南極里見八犬伝』によって『南極大陸』が『南極料理人』につながっていくと仮定したら、人はすべてを許せるんじゃないだろうか?許せない?そんなことよりラーメンだ?まあ許せないなら仕方ないので、のびないうちにラーメン食べましょう。
ともかく日曜劇場『南極大陸』感動の最終回は、明日12月18日放送です。ぜひともお見逃しなく!
私は見るかどうか、その日の気分次第だと思いますが、ぜひともお見逃しなく!
ちなみに因果応報の木村先生は、タロ、ジロだからネックローリング程度で済みましたけど、もしリキが生きていたら「絶・天狼抜刀牙」で首が飛んでいます。
最大104人の大規模同時対戦『機動戦士ガンダムオンライン』
モビルスーツのパイロットになって戦うPCオンラインゲーム『機動戦士ガンダムオンライン』が発表になりました。
ガンダムゲーム史上最大の同時対戦ゲームだそうですが、104人という人数が中途半端ですよね。
これは両軍2人ずつの戦術指揮に専念する、指揮官役を含むからのようです。つまり、
連邦(パイロット:50名+指揮官:2名)VS ジオン(パイロット:50名+指揮官:2名)
=104人対戦
ということになりますね。
戦闘レベルをプレイするパイロットだけでなく、戦術レベルをプレイする指揮官役が存在するのが興味深いところ。
こうなれば、あとは戦略レベルをプレイする政治家が存在すれば、私が昔妄想したイメージどおりのゲームに限りなく近くなってくれそうです。
【政治家】をプレイするガンダムゲームがどのようなものなのかは以下をご覧ください。
【政治家】ほど楽しいゲームはない<ガンダムオンラインゲームのアイデアメモ>
ぜひ、この『機動戦士ガンダムオンライン』と連携するモバイルゲームをリリースして欲しいな。
パイロットにはなりたくないが、1日1回モバイルゲームをチェックする程度でいいなら、一年戦争に介入したい。そしてみんなで楽しい民主主義して衆愚を極めたい。
メビウスの輪から抜け出す富野由悠季ゲーム
妄想ガンダムゲームといえば、「ガンダムゲーム」ではなく「富野由悠季ゲーム」があるとすれば、どんなものになるか記事を書いたことがあります。
メビウス(双方全滅)の輪から抜け出せなくて<「富野由悠季シミュレーションゲーム」>
このゲームのポイント
2つの勢力でおこなわれる戦争が舞台。だが、この戦争の終着点は「双方全滅」と決められている。
それを何度も何度も工夫しながらやり直して、全滅の輪廻から逃れるのがゲーム目的。
これを、ルート分岐型のコマンド選択アドベンチャーではなく、AIキャラ(富野AI搭載)を使ったアドベンチャー、シミュレーションゲームにする。(「ガンパレードマーチ」、PS2「魔法先生ネギま!」のイメージ)
自分以外は、AIキャラが勝手に行動するので、AIキャラ同士で、好き合う真似ごとや、傷を舐めあう道化芝居が始まったりする。
AIキャラが勝手に命令違反でロボットで出撃したり、そのまま敵に捕まって洗脳されて帰ってきたりする。
さらに和平会談がAIキャラのせいでダメになったり、勝手に暗殺をしたりされたりするかも知れない。
要するに主人公が「戦争ダメ!」と思っても、各キャラが個別のエゴで勝手に動くので、ちっとも戦争が終わらない。
要は、富野宇宙を舞台にした箱庭AI遊びですね。ガンダムパレードマーチ。
この記事を書いた後、富野ゲームらしさをAIいじり遊びで表現するために「因縁システム」の要素を入れると面白いかも、と考えていたのを先日思い出したので、書いておきましょう。
「因縁システム」とは?
富野AIゲームは、AIキャラとの人間関係で戯れるゲームですが、その人間関係の要素として「因縁」という概念を取り入れる。
「因縁」はプレイヤー、AI問わず、すべてのキャラクター間で発生する。
例えば、プレイヤーがある敵キャラクターを殺したとする。
すると、殺した敵キャラクターに関わりの深いキャラにプレイヤーとの「因縁」がつく。
この場合、プレイヤーに「親しい人、大事な人を殺された」という因縁になる。
この「因縁」がついたキャラは、プレイヤーやまたはプレイヤーに関わりの深いキャラを殺そうと、戦場で執拗に追い回し始める。
つまり復讐を行動原理にするキャラクターに変異する。
もし、それで味方の誰かが殺されると、今度は味方側のキャラクターに敵への「因縁」がつく。
具体例を上げれば、お互いの大事な人を最後まで殺しあったカミーユとジェリドであり、父を殺されたことを行動原理にして戦うソシエお嬢さんだったりする。
殺したり、殺されたりの「憎しみの連鎖」が深まったり、より多くの人物間に広がっていく。
つまり「因縁」はAIキャラクターの行動原理を規定し、またそれを他のキャラクター間に影響を広げていくシステムといえる。
さまざまな因縁パターン
分かりやすいので復讐の連鎖を例に出したが、殺す殺さないだけでなく、いくつかのパターンを「因縁」で表現してみよう。
恋人関係の因縁
例えば、恋人関係になったキャラクター同士が別れた場合に、それぞれのキャラに、元カレ、元カノとしての「因縁」がつく。
因縁がついたキャラに対してどう反応するのか、というのはキャラクターごとの個性の問題としてもいいが、ハマーンとシャアの関係などはこの元恋人という「因縁」で処理する。
ゲームだからと、やりたい放題で暴れまわると、さまざまな「因縁」がくっついてきて、人間関係がえらいことになってしまうかも知れない。
落ちぶれの因縁
富野アニメには、ライバルを中心に落ちぶれるキャラクターがよく出てくる。バーン・バニングス(黒騎士)や、ギジェが代表例だろうか。
敗北による屈辱であったり、作戦失敗の責任を取らされた左遷や降格であったり、もっと大きく、うまくいかないことへの苛立ちや絶望かも知れない。
彼らを落ちぶれさせた「因縁」の何かに執着するキャラクターになるだろう。その意味では「因縁」の対象はキャラクターに限らない方が面白いかも知れない。
肉親の因縁
親子、兄弟、姉妹などは、ただそれだけなら単なる人間関係のひとつに過ぎないが、敵味方に分かれたときに「因縁」化するとか。
兄弟や父、子を殺すことに執着したり、逆に手加減が発生したり。
具体例でいえば、親子ならばルーザ・ルフトとリムル・ルフト。兄弟ならば、シャアとセイラ、ハルルとカララ、ウルルとサララなど。
ちなみにウルルとサララはダイキンエアコンです。湿度と乾燥は切っても切れぬ因縁といっても過言ではない。ムーン・ムーンの人はサラサで、石田ひかりはサラダひかりです。
このゲームは全滅リプレイすることが前提のゲームなので、これらの中でも深い因縁は転生(リプレイ)した先でも初期ステータスとしてくっついてくることにしてもいい。前世からの因縁というやつですね。
あとは「因縁」同士のコンフリクトがポイントになるでしょうね。
肉親だけど、恋人を殺した憎むべき敵とか。命の恩人だけど、父の仇とか。2つ以上の因縁の衝突。
「因縁」と「因縁」が衝突して、疑似葛藤をつくるような形。その上でAIキャラがどういう動きをするのか、というのがAIドラマとして現れてくれば面白いかな。
所詮、表に出てくるものは処理結果でしかないんだろうけれど、それに影響を及ぼす「因縁」自体はゲーム上存在していると。
目の前で因縁は生まれ、連鎖していく
プレイヤーは、2つの勢力間の戦争を終わらせようと奔走するけれど、戦争の理由などゲームの場合、戦い合っていることを説明するための設定でしかないので、実際にゲーム中で繰り広げられるゲームシステム上では「因縁」ということで処理してしまうのもひとつの手。
各個人を対象にしたものだけでなく、何か概念的(名誉・出世・自由など)なものや、勢力・組織への「因縁」もあってもいいかも知れない(「ザビ家」への因縁とか)
戦略的な設定があった上で、AI感情的には「そちらが先に手を出した」「そちらがやり返した」だけで戦争を続けるとかね。
戦争が続いている本当の(ゲーム上)の理由が、敵のAI総司令がもつ個人的な「因縁」である「娘(妹)が敵に寝取られた」と「優秀な軍人の娘(姉)が、男じゃなかった」みたいなことになってたらいいんじゃないかな。リアルな戦争からはかけ離れるが、それよりもドラマが欲しい。AIキャラクターに損得を越えた行動原理が欲しい。
そして、プレイヤーはその因縁を解き放つための存在として何かゲーム上の仕組みがいる。「俺は人は殺さない。その因縁を殺す」ができればいいのだけど、いいものが思いついていない。
(全滅輪廻から解脱しなくてよいゲームであれば、特に何もいらないのだけど。)
まあ全滅回避はゲーム上のお題目でしかないので、敵に殺された仲間の仇を討って、今度は敵に恨まれて、また殺して、また殺されて、というどうしようもない「因縁」の憎しみの連鎖もしたい。
アムロも、イセリナだの、ハモンだの、シャアだの色々やられたあれ。
ゲームに限らず、過去のトラウマがあって現在の人格になったキャラクターをカウンセリングするというパターンの物語が多いですが、個人的にはあまり好みではありません。
現在進行形で、自分の目の前でトラウマが生まれるドラマの方が圧倒的に好きです。それがプレイヤーには制御しきれないAI世界の中で生まれるといいんですけどね。
因縁と叔父貴のグランド・セフト・オート
「因縁」システムについては『グランド・セフト・オート(GTA)』で導入するのが手っ取り早いので、マフィアもので使うのもいいですね。
『GTA』シリーズは、アメリカの架空都市を舞台に、車を盗んでイカした(イカれた?)チンピラライフを満喫する自由度の高いゲーム。
![]() | グランド・セフト・オートIV PLAYSTATION 3 the Best【CEROレーティング「Z」】 (2009/08/27) PlayStation 3 商品詳細を見る |
私は『GTA3』が出た頃にこのゲームの存在を知りました。
実際にプレイしたのも『GTA3』だけですし、しかもアクションが苦手でクリアできず途中で断念したぐらいなので、雰囲気が分かる程度ですが、さまざまな面で非常に興味深かった。
調べてみると作品によって、ミッションの進め方で街にあるいくつかのギャング勢力に信頼されたり、恨まれたりするシステムがあるようですし、ギャング抗争として縄張り争いをするシステムもあるようなので、要素としては近く「因縁」システムとの相性もよさそうです。
大恩ある「叔父貴」こと若頭との、プラスの「因縁」とか、その若頭をよそのギャングに殺された「因縁」とか、派手に暴れまわったせいで特定のマフィアの構成員全員に報復の「因縁」がついて、見つかる度に襲われたり、任侠物的に「因縁」システムを処理した方が、かえってシンプルで分かりやすいのかも知れません。
ひとつの街にいくつかのマフィアが同居しながら、縄張り争いしたり、同盟組んだり、暗殺したり、報復したりするのはいいですね。
若頭であるプレイヤーが報復は絶対するなと命じていたのに、部下のマサ(AIキャラ)が勝手に敵ギャングの幹部に鉛玉撃ちこんだりして、泥沼の抗争になるのは楽しそうです。
箱庭AIゲームは要するにAIいじり遊びなので、いじるための何か面白いルールがあればいいんですよね。
浦沢直樹『MONSTER』のヨハンのように、プレイヤーがAIキャラ同士の憎しみの「因縁」を煽ることで、何十人もの人間が殺しあうのを、 ただ眺めていることも可能かも知れません。
以上、色々考えてきましたが、「因縁」システムはあくまで概念というかコンセプトの提示に過ぎないので、現実的に考えてどうなのか、というのはあまり考えていません。
ただ「富野由悠季」ゲームというのを考える上で、運命とエゴに振り回される人間を「因縁」でまとめるというのは、面白そうな方法のひとつではないかな、と考えています。
以前の記事でいただいた皆さんのリアクションや、今回の「因縁」要素などを含めて、またいつか「富野由悠季ゲーム2」(影も形もない妄想ゲームの続編)の記事が書けたらいいですね。