どうやら週刊少年サンデー連載の長編マンガ『MAJOR』が連載を終えようとしているようだ。
やるべきことはもうほぼ全て終わっているので、今連載しているパートはエピローグと思っていいでしょう。

MAJOR(メジャー) 73 (少年サンデーコミックス)MAJOR(メジャー) 73 (少年サンデーコミックス)
(2009/09/17)
満田 拓也

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連載が終了してしまう前に言わなければいけないことがあるので、すべりこみで書いておきたい。
(最近の例によって、twitterのまとめ直し記事なのですが、天国のおとさんに免じて許してほしい。)



『MAJOR』ってどんなマンガ?


Wikipedia:『MAJOR』によれば、連載開始は1994年、現在までにコミックス73巻(少年サンデー最多巻数)、さらにNHK教育テレビでもアニメ化されたので、説明するまでもなく幅広い層に人気のあるマンガです。
アニメ化されたのもあって、平成生まれや子供たちにはメジャー(有名)なのかも知れないですね。ここではむしろ、世代的に読んでいなかったという昭和生まれHIPHOP育ちの人のために簡単に紹介しておきましょう。

よくわかる『MAJOR』概要
父親をプロ野球選手にもつ主人公の野球少年吾郎君の球けがれなく道けわしを地で行くベースボール半生記。
父を試合中の事故で殺された少年吾郎は復讐を誓い、とっちゃの仇を討つため宿敵の待つ柳生の里へ向かう……のは週刊少年サンデー連載でも『六三四の剣』。
『MAJOR』は「とっちゃ」やない!「おとさん」や!


『六三四の剣』と基本設定が似ているので、「とっちゃ」に対しての「おとさん」、六三四(剣道)に対する吾郎(野球)のマンガ、と言った方が、70年代生まれには分かりやすかも知れない。
ちなみに吾郎君の誕生日は11月5日だそうなので、6月5日生まれではないみたいよ(6時生まれ?)。

『MAJOR』。その物語の価値は?


さてその『MAJOR』。
私は連載分を毎週毎週読んでいます。
コミックスで読んだことはありません。今後も全てを通して読むことはないでしょう。
なぜなら『MAJOR』のストーリーをまとめて読むと、恐らく私には主人公吾郎君が精神分裂症か人格破綻者か何かに思えてくると思うから。

現在まで73巻の大長編マンガとなっている『MAJOR』ですが、その物語はしっちゃかめっちゃかで、「ひとつの物語」としての価値が高いとはお世辞にも言えない、というのは毎週読んでる私から見ても思う。

だが、『MAJOR』の価値を否定しているわけではない。むしろその逆だ。

私は『MAJOR』をすばらしいマンガだと思っている。
なぜなら、吾郎君は私を絶対に裏切らない。だから私は吾郎君を心から信頼している。


それはいったいどういうことなのか。

なぜ私は吾郎君を心から信頼しているのか


『MAJOR』でのストーリーの方向性は、主人公である吾郎君本人が決めています。
つまり「吾郎君の選択で周りが動く」という天動説マンガです。
世界の中心にして地球たる吾郎君は、はっきりいえば来週のヒキのことしか考えていません。

たとえば、「無難」と「困難」の道があれば必ず「困難」を選ぶし、「安全」と「ケガ」があれば「ケガ」を選ぶ。「回避」と「激突」があれば「激突」を選ぶし、「可能」と「不可能」があれば「不可能」を選ぶ。

自信家なのでハッタリもかますし、嵐を呼ぶ球児なので敵味方問わず大混乱も巻き起こします(魔法効果範囲:敵味方全員)。
やっていることはむちゃくちゃで、振り回される家族や友人やチームメイトのことは考えていない。

では誰の顔を見てこんなことをしているのかと言えば、もちろん私たち読者の顔を見ている。
というより、私たち読者のことしか考えていない。そういう主人公なのです。

私たち読者は吾郎君の無茶っぷりに「うわー、えらいことになった。これ来週どうすんの。面白くなってきた!」となりますが、作中での吾郎君の周りの人々はとことん振り回されます。
吾郎君の親友である佐藤寿也(寿君)なんて、吾郎君に「バッテリー組んで天下取ろうぜ」と言われて名門の強豪高校へ入学したんですが、なぜか吾郎君だけ自主退学。理由は「この最強の高校を倒す方にまわりたい(その方が面白い)から」
こういう彼の行動を普通に考えれば、吾郎君はとてもひどい人間だ。友達にはなりたくない。

だが我々読者にとっては、吾郎君はすばらしい人間という他ない。
彼はどの選択よりも「ひどいこと」になるように、「面白く」なるようにしか行動しないんですから。(最近でも「目にゴミが!」はすばらしい名演でした)
面白そうな匂いがしたら、常識やセオリーは無視、空気も読まない、人の和や想いも顧みず飛びつく。
だから彼は常に私を裏切らず、結果、私は彼を信頼する。
いい大人になっても、きっちり「おとさん」と言い続けることを忘れない主人公をね。

次の週まで興味をもたせるだけのマンガ


しかし、その結果として残されたストーリーはどうしても「吾郎君ひどいなあ。むちゃくちゃだ。」と思われるようなものになっている。まあ、吾郎君みたいなことを73巻分続けて、そうならないわけがない。
ひとつの物語として見たときに、お世辞にも質が高いとはいえないが、このマンガはそうい部分での「質」は最初から目指していないはずだ。

週刊少年マンガとしてはバランス良くお上品な作品の多いサンデーの中で、『MAJOR』は貴重な役割を果たすマンガで、吾郎君はその役割をきっちり果たした。
もしも、最終回を終えたあとの主人公吾郎君にインタビューすることができるのならば、

吾郎「毎週楽しんだか?楽しんだならそれでいいよな?」


と満足げに答えてくれるかも知れない。
そして私はその答えに大きくうなづくだろう。

ストーリー完成度至上主義者のような人からみると、こういった『MAJOR』のストーリーは何の価値もないかも知れない。
だが、そんなことは私に言わせればナンセンスだ。
吾郎君が毎週毎週、長年の間、どれだけ我々を楽しませてきたか知らないのか?と言いたい。

マンガの価値は、物語の質が高い低い、キャラクターが良い悪い、画が上手い下手というだけではなく、もっと懐が深くて、多様な価値に満ちている(と思う)。

週刊雑誌に掲載されるわずかなページで、次の週まで興味をもたせるだけのマンガ。
そういう言い方を『MAJOR』に対してできないことはない。
ただ私には、それが褒め言葉の表現のひとつに過ぎないと思えるな。だってそういうマンガって、要するに充分価値が高いマンガじゃないか。ねえ?



以上のようなことを連載終了前に書いて残しておきたかった。
終了後では、故人に対して没後に「惜しい人を失くした」「いろいろあったが、すばらしい人だった」と善人にしてしまうような気がして、あくまで連載中に書いておきたかった。
ギリギリだが寿君のタッチをかいくぐって、すべりこみセーフできたかな。

この辺りの話は、以前に『ブラックラグーン』9巻のことを書いたときの話と関連しています。
もし良かったらそちらも読んでみてください。

ちなみにここまで書いたような考えなので「『MAJOR』はもうすぐ最終回になりますが、とても面白いのでコミックスでまとめて読んでね」とは全く思わない。
私も買ってないし、今後も買うことはない。連載分を読んだらサヨナラだ。
だけどそこには次の週まで7日間を楽しませるものが確かにあった。
私にはそれで充分の価値があり、そしてそれが私と『MAJOR』の付き合い方だった。



さて本編はおしまい。ここからは余談として、もうひとつ。
『MAJOR』が少年マンガらしくてすばらしいな、と思うところを書いておきましょう。

吾郎君を理解するのは読者だけ


『MAJOR』の主人公吾郎君の言動はかなりむちゃくちゃなんですが、読者には理解ができる。
なぜなら、物語の主人公が進むべき、そして我々読者が見てみたいと思う道だから。
しかし、作中の登場人物たちには、吾郎君の決断が理解できない。彼らの常識の範囲外だからだ。

つまり[主人公の選択と行動]について、読者とキャラクターで逆の構図になる。
【読者】理解できる
【キャラクター】理解できない

キャラクター達は主人公の行動が理解できず反対したり敵対したりするが、読者は理解者・応援者となって主人公を見守り、主人公はそんな読者との約束を果たす。
これは少年マンガが基本的にもっている構造だと思いますが、『MAJOR』は典型的なこのパターンのマンガですばらしいな、と思います。

もちろん主人公と受け手が共犯関係になるのは、物語としては基本といえます。

NHK朝の連続テレビ小説『おしん』にこんな感じのシーンがありました(記憶曖昧ですが雰囲気ね)
主人公おしんが奉公先でお金を盗んだと疑いをかけられる。視聴者はもちろん、おしんが盗むような子でないと分かっているし、実際盗んでいない。濡れ衣だ。

おしん「おら、金なんかぬすんでねえ!」
女中「まだそんな口きくか!おしん!おめえに食わせるタンメンはねえ!」


などと、理不尽な困難や逆境に合う。
無実を知っているのは視聴者だけなので、ますます主人公の支持者となり肩入れしていく。

少年マンガ、特に主人公が物語をまわす天動説マンガの場合、主人公自らが困難や逆境を選び、宣言(約束)するのが違いといえるでしょうか。
主人公は自業自得的に険しい道を行く。たとえば「野球部が無い学校で甲子園優勝」とかね。周りは不可能というが、主人公は読者とのマニフェストを守るために行動し、読者はそれを応援する。

主人公と読者の間にいかにステキな共犯関係を結ぶのか、というところに少年マンガらしさのポイントのひとつがあるかもしれないですね。
そのためには主人公は読者と約束をしなければいけないし、その約束を守ろうとしなければいけない。
そういう意味では『MAJOR』の主人公吾郎君はステキで理想的な共犯者でした。

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