新城カズマ『15×24』
この小説のタイトル『15×24』は、「15人×24時間」のこと。

主人公は自殺志願少年を含めた少年少女15人。舞台は12月31日、東京の24時間。


というのを聞いて、それだけの興味で買いました。うん、面白そうだ。

手に入れて2巻まで読みました(3巻が未だ買えていない)。そして実際に面白かった。
面白かったので、紹介も兼ねて、感想や考えたことをメモしておきましょう。(※ネタバレなし)

ちなみに私は、新城カズマさんの小説を読むのはこれが初めて。
そしてライトノベルは普段はほぼ読みません。以前読んだのは、桜坂洋『All You Need Is Kill』(2004)。その前は、上遠野浩平『ブギーポップ』シリーズ(1998~)をいくつか、という程度。
キャラクター小説としては読まずに、物語の枠組みが面白いという評判を聞いたものだけ読んでいる感じです。



『15×24』はどんなおはなし?


15×24 link one せめて明日まで、と彼女は言った (集英社スーパーダッシュ文庫 し 5-1)15×24 link one せめて明日まで、と彼女は言った (集英社スーパーダッシュ文庫 し 5-1)
(2009/09)
新城 カズマ

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大晦日を迎える東京で、1人の少年が自殺サイトで知り合った人物「17」とともに死のうとしていた。しかし、「17」と連絡を取り合うのに使う携帯電話が盗まれてしまう。そしてその携帯電話の中にある自殺予告のメールは17歳の少年少女に転送されていき、彼らはそれぞれの理由で少年を捜索し始める。その一方で自殺予告のメールはインターネットを通じて拡大していき、暴力団をも巻き込むようになる……。
Wikipedia - 『15×24』あらすじ


12月31日、少年が間違いで出した自殺予告メールをめぐり、クラスメイトや巻き込まれた人たちが、少年を探して東京中を駆け回る。タイムリミットまでに自殺を止めることができるのか、というようなお話。
携帯、メール、ネットを駆使する、東京中を舞台にした24時間鬼ごっこ、という感じです。
今のところ(私が読んだ2巻まで)は基本プロットどおりの展開なので、想定の範囲内であるが面白い。まだまだ話を広げているところなので、ここからどうなるかは分からないけれど、毎度ながら私はそんなのは全く気にしない。

主人公だけでも15人いて、めまぐるしく視点が変わるのがとても楽しいが、15人全てが高校生ほどの少年少女
ライトノベル的には当たり前かも知れないが、はじめは少し抵抗感があった。

なぜ主人公である15人全員が少年・少女なのか


「主人公(視点となる人物)が15人もいるなら、小さな子供や大人や老人も入れたら視点も幅も広がるし、読者側でも感情移入先の幅が広がってバランス良くなるのに」と思いました。第一印象として。はじめはね。

『サマーウォーズ』でも、高校生2人を中心に置きながら、家族をいう形態をとることで意識的に幅広い年齢をカバーしようとしていました。広く遠くへ届くものにするときはその方が良いことが多いはずです。

なぜ、15人もいる主人公が全員、少年・少女なんでしょうか?
「そりゃライトノベルだから、当たり前でしょう」なんて声が聞こえてきそうですが、考え方はともかく結論は同感なので、「うん。そうだね」と私も答えるでしょう。そして、次にこう続けるかな。
なぜなら、この作品はライトノベルが引き受けるべき、正しいジュブナイル(少年・少女向け)だと思うから。

多数のキャラクターをひとつのテーマでつなぐ物語


自殺志願の少年を探して止めようと全員が奔走する中で、15人の少年・少女達は「生と死」について考え直すことになります。
現実の世界でそうであるように、「死生観」については全員がバラバラです。
全員がひとつの目的のために行動するお話なのですが、その行動動機は全く違い、それが各キャラクターの違いになります。
つまり、この物語で、各キャラクターの個性というのは「死生観」によって表現されています
「死生観」が各人バラバラであることでキャラを立てているわけです。

早い話、少年少女15人が
「死ぬっていけないこと?」
「生きるってどういうこと?」
というトークテーマの『真剣10代しゃべり場』をしている物語といってもいいでしょう。

登場人物が多い物語をコントロールする方法のひとつとして、テーマ(抽象的で、絶対にひとつの答えが出ないものがのぞましい)を設定し、登場人物全てに、そのテーマに対する考えを述べさせます。
これによって、多数の登場人物のポジショニングを分かりやすく整理し、キャラクターを立てるわけです。
たとえば、田中芳樹ならトークテーマは「政治」「戦争」「民主主義」あたり、福本伸行なら「金」「勝負」などだったりしますね。
考え方が真逆のキャラクターや、同じ考え方なのに敵味方のポジションに別れるキャラ、テーマに対しておちゃらけて真剣に答えないキャラ、テーマに対する考え方を述べない謎のキャラクターなど、ひとつのテーマに沿っているので、読者にとっても多数のキャラクターを覚えやすくなります。

『15×24』の場合は、トークテーマが「死生観」。
このテーマに対して、どう考えるか、どう行動するか、それが各キャラクターの個性です。

「でも主人公だけでも15人もいるんでしょ?こんがらがりそう。覚えきれるのかな…」

そういう心配はあまり必要ないと思います。
人間なら誰でも関わる根本的なテーマですし、「死生観」を軸に巧みに整理されていますので、必ず主人公達を覚えることができるでしょう。

非常に上手いというか真っ当なつくりだと思います。
15人もいるキャラクターを個性分けするのに、このような手法を使い、いわゆるオタクデータベース的な、類型的なギミックにはほとんど頼っていない。

普段ライトノベルを読まないような人(私もそう)でも、すんなり受け入れることができる構造と強度があることが読み進めるうちに分かってきたので、ならばなおのこと、全員を少年・少女にしてしまうのはもったいない、と思えてきたのだけど、2巻までを読み終えて分かった。

それでもこの『15×24』では、15人全員が少年・少女である方がいい。そうあるべきだ。

大人はわかっちゃくれない――いやわかったことにしてるんだ


15×24link two―大人はわかっちゃくれない (集英社スーパーダッシュ文庫)15×24link two―大人はわかっちゃくれない (集英社スーパーダッシュ文庫)
(2009/09)
新城 カズマ

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ある程度年齢がいった読者(私もそう)であるなら、『15×24』で書かれる少年・少女たちの多様な「死生観」を見ても、驚くことも、新しく発見することも、考えが変わることもないでしょう。
それは、この年齢になるまでに、みんなそれなりに『しゃべり場』を済ませたし、実際の体験もいろいろしたから。

だから、このトークテーマの『しゃべり場』に「参加者としての大人」を混ぜてはいけない。
話が一瞬にして終わってしまう。
それは子供の考えより、大人の方が正しいから――ではない。
大人はその話を終わらせる(折り合いをつける)ことで生きているから。生きることにしたから。

私自身も何か悟ったわけでもない。かろうじて分かったことはわずかに2つ。
1つ、正しい答えなんかない。誰も答えは知らない。
2つ、それを踏まえた上で、自分なりに答えを用意して、生きていくしかない。
(中島敦『悟浄出世』ですよね。要するに)

大人はこのトークテーマの『しゃべり場』に参加する資格がない。すでに失った。
参加資格があるのは、まだこの折り合いをつける前段階を生きる少年・少女達のみ。
だから、パネラーである15人全員を少年・少女にして、「死」と「生」について考えて、討論しながら、行動し続けるのが正しい。

大人は『しゃべり場』のおとなゲストのようにあくまでアドバイザー、または立ち塞がるもの、としてしか、この物語には関わらない方がいいんじゃないかな。

『15×24』における主人公15人全員が少年・少女というのは、きちんと意味があり、またそれが物語中で機能していると思います。
まだ途中だけど、それは最後まで裏切られることは無いんじゃないかな。2巻読了までにそう信じていい、という信頼感が私の中に生まれています。

ちなみに、ジュブナイルとしてすばらしいと、私はいってますが、「死生観」を含めて、大人には食い足りない、子供向け、というわけではありません。
年寄りの私でも充分に楽しんでいます。「死生観」だけでなく、ミステリ、パズル的なタイムサスペンス、現代のコミュニケーション(とすれ違い)ドラマ、ネット(メール、ブログ、掲示板)要素など、多層的に面白さを積み上げているので、さまざまな楽しみ方ができるはずです。

2009年の12月31日には、こん平師匠のカバンと同じくまだ若干の余裕があります。もし興味をもたれたら、ぜひ読んでみることをおすすめします。
今年の大晦日は、『15×24』を知っているかどうかで、いつもと違う大晦日になるかも知れませんよ。

余談:『15×24』はライトノベルであるべきか


15×24 link three 裏切者! (集英社スーパーダッシュ文庫)15×24 link three 裏切者! (集英社スーパーダッシュ文庫)
(2009/10/23)
新城 カズマ

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『15×24』がライトノベルで出たことについて、主に売上の面からネットでいろいろ意見がありましたね。詳しいことは、まとめてくださっている以下の記事で読んでいただくとして。

『15×24』問題まとめ - ウィンドバード
http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20091101/1257034123

サマーウォーズ問題の次は、15×24問題か。日本は今日も問題だらけだ。

その中には「マニアック」「フックが弱い」というご意見もありますね。

主人公は少年少女15人。舞台は12月31日の24時間。携帯やネットを駆使した東京鬼ごっこ。


というのは、フックにもならないのかな。私はこれで読む決意をしたのだけれど。

映画だとこれぐらいの情報で、中身(の面白さ)が伝えられるものを、面白そう!となって見に行くイメージですよね。(ひとことで面白さが伝えられるものに落とし込んでいる)
私がこういう時の説明にいつも使うのは、『スピード』。
「時速80km以下になったら、バスが爆発する!走り続けるバス。乗客の運命は?」
これだけで面白さが説明できる良い映画。この一行で見に行ける。
実際、『15×24』を貸すよ、と言った友達に、上記の一行で説明したけど、なかなか面白そうね、と言ってくれた。

もちろん、映画と小説では形態が違うし、
「『15×24』はキアヌ・リーブスとサンドラ・ブロックがいないんだよ」(そちら側のフックもあるので)
とも言えるかも知れないけれど。

ライトノベルはマンガ雑誌に似ていると思うので、週刊連載マンガのように、耐久性と汎用性のある設定の物語を構築して、あとは人気が続くまでシリーズを続けられるような体制を整える方がいいんでしょう。
初期目標は変わらないけど、道のりは調整できるようにして、人気キャラクターや敵(エピソード)を自由にやりくりできるようにする方が使いやすいはず。
でも、長編人気マンガと同じく、そういう面白さはキャッチーな一言では説明できない(しきれない)と思う。少なくとも私はできない。
外部にまで通じる面白さは、説明が一行で終われるタイプの方が向いていると、個人的には思っています。

ただここまで述べたように、ライトノベルというものに、いわゆるジュブナイル(少年少女向け)という意味と機能がまだきちんとあるのであれば、『15×24』はライトノベルで出すにふさわしい小説だと、私は考えます。

まさしく中学生とか高校生に読んでほしいから、彼らがおこづかいで買えるように、安価な文庫で売ってあげてほしい。
その役割をするのにいちばんふさわしいレーベル(ジャンル?)こそがいわゆるライトノベルじゃないの?
だからライトノベルで出たことは全然間違ってないと思うけどなあ。

もちろん「ライトノベル」というものについては全く無知なので、ジャンルやビジネス的にどうこう言えないけれど、こういう作品を引き受けることにライトノベルの価値があるんじゃないのかな。ちがうの?

それとも面白いのに売れてないらしいと、大人が売り上げを心配して、あれこれ言ってるだけ?
もちろん、いちばん読んで欲しい層(中・高生)が全然買ってくれてない、興味も持っていないということであれば、大変さみしいことだし、そこは問題にしてもいいけれど。
単に売り上げがどうこうを問題にするのはあまり意味が分からないなあ。
それとも売り上げの悪いライトノベルがすぐ絶版になったりするなどの心配なのかな?
それこそ、その際は初期目的は終わったということで、他の出版社などから、違う売り方で出しなおしたりすればいいかな、とも思う。面白いのは確かなんだから、何とでもなるような。何とでもしようよ。

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