ちゃんと新年のあいさつでもしておかないからこんなことになる。
とりあえず広告消すために、冷蔵庫にあるもの(twitterまとめ)でちゃちゃっと一品作ろうと思います。
雑多な過去のtwitter投稿が元ネタなので内容が古くてカオスですが、かなり加筆修正して記事に仕立て直しました。
ゴールデンアバター(Golden Avatar)
昔、押井守が『マトリックス』第一作を見たときに、「若ガキの映画だね」と感想を語った。
どこが?キアヌが思っている現実が実は仮想世界だったというところを中盤までで済ませているから。
面白い映画にするなら、マトリックスの設定がバレるところを映画の最後(クライマックス)に持ってこないといけない。そういうことを言っていた。
言ってることは方法論のひとつとしては分かる。だが当時これを聞いたとき、
「それをするのはアンタだけで充分だよ」と思った。
私は『マトリックス』が仮想世界ネタばらしをさっさと済ませたのを、「思ったより丁寧に処理したな」と感じたほどだ。
個人的に『マトリックス』は、先行するSF小説や、それこそ攻殻機動隊なんかをデータベース的に前提に置いて、世界の説明は可能な限り省力化して、その先にあるパーティタイムを目的にしてる映画だと思っているので、仮想世界ネタばらしは、オチじゃなくて前提だと思う。
ウォシャウスキー兄弟は押井守からの影響も公言しているわけで、同じことをしても仕方ないし、同じことをするのなら、確かに押井守の方が上手いだろう。
そういう意味でも「それをするのはアンタだけで充分だ」というわけだ。
なぜ、こんな話を今頃するかというと、ジェームズ・キャメロン 『アバター(Avatar)』について押井守がどうコメントするのするかなと思って。
『アバター』良く知らないけど、CMを見る限り、ファンタジーやる前に、きっちりSF的にネタの仕込みをして、SFとファンタジーを並行させる感じみたい。世界の説明は初めから順を追って丁寧にされていくっぽい。
押井守「あの青い異星人の1人が、全く別の姿(地球人)になる夢に毎夜悩まされはじめる。青い肌の自分と、夢の中の地球人の自分、一体どちらが本当の自分なのか分からなくなったりしないとね。SFネタばらしは後でいいから」
―とか言い出して欲しいなあ、と思って。
そんなことを公開前に言っていたら、公開後、押井監督のコメントが本当に出た。
押井守「映画『アバター』には久々に燃えたんで、僕ももう少し頑張ろうと思います。キャメロンに勝てるとは言わないけど、僕らにしかできないことをやるしかない。違う戦争ならできるからね」
押井守監督、『アバター』の完成度に衝撃!「10年かけても追いつけない」と完敗宣言でみんなで乾杯!?
押井監督は全然負けてると思ってないよね。そもそも戦争のやり方が違うんで、自分の戦争なら負けないとは思ってる。だから『アバター』という戦場においては簡単に完敗宣言が出せる。
富野監督は、過去の発言を踏まえて考えても、多分、キャメロンと同じフィールド(戦場)で戦わなければならないと思っている。だから完敗宣言は言わないし、言うべきじゃない。
ちなみに『アバター』はいまだに見ていないのです。
動かざること明のごとし
友人と酒を飲んだときのこと。彼が言う。
「この間、永井豪が書いた武田信玄のマンガを読んだんだけど」
豪ちゃん先生の武田信玄?(友人が内容を説明しだすが、全く聞いてない)
それはつまり、全世界の武田騎馬隊を終結させた風林火山軍団と、上杉謙信(顔は飛鳥了)率いる毘沙門天軍団が激突して、気づいたら全裸の謙信の隣で、上半身だけの信玄が眠ってるんだろ?
と、言いつつふと見れば、友人が眠っていた。
検索したところ、友人の言ってたマンガはこれのことかな?
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そういえば「上杉謙信は実は女性だった」という謙信女性説があったけど、飛鳥了ということにすれば何の問題もないな。
ちなみに、この川中島ハルマゲドン後に、信玄を失った謙信の後悔の念が、尾張のスラムキングこと第六天魔王信長を生んだ、ということにすれば、さらに問題はないな。(私の頭以外は)
NHK大河ドラマ『龍馬伝』
今年のNHK大河『龍馬伝』で、勝海舟役が武田鉄矢に決まったことが私含めごく身近で話題を呼んでいる。
完全に武田鉄矢のキャスティングが先で役が後だよね。多分。
決まったからには、どう面白くなるか考えないと損なので、
「勝(武田鉄矢)を殺しに訪ねた龍馬(福山雅治)に、勝がギターを教えて、ましゃ感動」
というのがいいのではないか。
そして、勝の指導のもと、龍馬は初めての自作曲「姉に捧げるバラード」を完成させる。
♪今も聞こえる あの 姉さんの声、僕に 剣道を 教えてくれた 恐ろしい姉さん。
(姉に捧げるバラードより)
勝には、ゴルフも教えてもらう。
「龍馬よ!エゲレス人は棒を穴に入れるのをスポーツとして楽しんでやがる!しかも全部で十八番やるそうだぜ!」
「じゅ、十八番?先生!わしゃ、とてもじゃないが、そんなにもたんぜよ!」
ゴルフレッスンが始まると、それがただのスポーツであり、全然エロいことじゃなかったことに気がつき赤面する龍馬。
そんな龍馬に、自分もカップヌードルにヌード写真が入ってるとエロ勘違いをしたことがあると、笑いながらなぐさめる勝(というか武田鉄矢)。
そしてオリキン…いや勝仕込みのゴルフテクニックを身につける龍馬。飛べバーディー。
最終的には、ギターで弾き語りをしながら、維新志士を説得する龍馬。
襲いかかる新撰組を勝直伝のハンガーヌンチャクで追い払う龍馬。
薩長ゴルフコンペを企画し、西郷と桂と同組で回り、薩長同盟を成立させる龍馬。
そして暗殺の日。風邪気味で、うどんぐらいしか食べる気がしない龍馬。
買い置きの「どん兵衛」ならあるという宿の者に、あくまで「赤いきつね」が食べたいと買いに行かす龍馬。
そこへ刺客が!手を伸ばす龍馬。しかしそこにあったのは耐久性の無いプラスチックのハンガー…。
もちろん、こんな『龍馬伝』を放送すれば、「こんな龍馬ありえない」「ふざけるな」という非難や抗議がNHKに多数寄せられることになるでしょう。
でも大丈夫。勝と龍馬で「J!O!D!…AN!」とやれば何も問題はない。そう何も問題はない。(私の頭以外は)
というわけでは『龍馬伝』。
結構、途中から見たり、見逃したりしてますが。勝が出てからが本番なので、いいよね。
パチンコ『トップをねらえ!』
[CM]
ノリコ「お姉さま、あれをやるわ」
カズミ「ええ、よくってよ」
ノリコ「うわああああああ!」
店内で出る台が1台しかなく、それを複数の人間が打ちたい場合、自分以外を殺して打っても罪には問われない―『カルネアデスパチンコ』システム採用!
ノリコ「奇跡は起きます起こしてみせます!」(血まみれの拳で腕組みするノリコ)
『トップをねらえ!』のパチンコが出るそうだ。
確かこんな感じのCMを見た気がしたのだけど、こうやって動画を見ると全く違う…。おかしい…。
身近にはいないので実感は無いのですが、好きなアニメがパチンコになることに憤りを感じる人ってやっぱりある程度いらっしゃいますね。
それにも色んなタイプがいるんでしょうけれど、私がネットで目にした限りでは、「大好きなアニメ作品がパチンコ業界とその中毒者の消費財になるのが耐えられない」といった感じが多いかな、という気がします。
そんなこといっても今の世の中、自分の好きなものがパチンコ化されていない日本人などもういない。
パチンコをする年齢層の好きなものを片っ端からパチンコ化してるんだから、それは当然のことで、アニメに限らずそうなります。
例えば「パチスロTHE BLUE HEARTS」が出ると聞いたときはなかなかの衝撃でした。
負けたものたちが夕暮れ、さらに負ける台をたたく。
その音が響き渡ったときに、加速するのは果たして何なのか。
この台なんかも、アニメのパチンコ化と同じく拒否反応がありそうですが、実際はどうだったんでしょうね。
私は全然どうでもよく、むしろ面白がっているので、いろんなパチンコネタを考えたりもしました。もちろん『トップ』パチンコもね。
さらに去年の夏。『ヱヴァ破』を観終わったときには、
「みんなもっとエヴァパチンコやろう!もっと!もっとお金を!この映画に募金する気持ちで!みんなやろうよ!打とうよ!私は全くパチンコしないけど!」
という、より積極的な肯定気分になっていました。面白いアニメのためなら、簡単に悪魔に魂を売り渡す気分に。
これは良し悪しの問題ではなく、理屈の問題でもなく、気分の問題なのだが、そんな気分にさせる作品を見るためなら、私は何がどうなってもいい。世界がどうなったっていい。だけど綾波だけは絶対助ける(覚醒)。
バイストンウェル・ベースボール・クラシック
アニメ『聖戦士ダンバイン』の舞台で、富野監督のライフワークでもある異世界バイストンウェル。
バイストン・ウェルもので昔から考えているネタがある。
■概要
召還される主人公は高校教師。
彼は異世界から来た聖戦士として、バイストン・ウェルの人達から何かを求められるが、平凡な自分には与えるようなものが何もないことに気付く。
しかし、呼ばれたからには何か役割があるはずだし、なにより何もしないのでは聖戦士の立場も危うい。
そこで主人公は自分にできることとして、元高校球児、今野球部顧問の経験を生かし、人々に「野球」を教えることにした。
という設定のお話。
つまり、バイストン・ウェル・ベースボール物語。
野球を教えるといっても、バイストンウェルの人は誰もそのスポーツを知らないし、道具もない。
グラウンドやバットやボールを作り、メンバーを集めるところからはじめなければならない。
オーラバトラーとかは出て…これないかな。これは。
もちろん『ROOKIES』や『大正野球娘』がやりたいわけではないし、単に野球を知らない土地へ野球を伝えるというだけではアフリカ奥地の村を舞台にするものと変わらなくなってしまう。
何かバイストンウェルならではの話の軸が必要になる。
とりあえず、ここでは、主人公が呼ばれた国と、その隣の国が緊張状態にあることにし、主人公は隣国との戦争を「野球」で解決できないかと画策することにしてみよう。
「野球」で問題が解決できれば、主人公の勝ち。
解決できずに「戦争」へ突入すれば、主人公は聖戦士として隣国の兵士をおおいに殺すことを求められるだろう。
それが出来なければ死ぬし、それを拒否すれば聖戦士ではないとして味方に殺されるかも知れない。
なんとか「野球」で、戦争を回避しなければいけない。
そこで戦争の代替物として、祭りとして、ゲーム(試合)を肯定的に使う。
「平和にする」のではなく、争い自体は否定せず、その代わりに「死人が出ない戦争」を導入させるという視点にする。
その意味では、野球が何らかの神聖な儀式であるというハッタリを、聖戦士の立場を利用してつくる必要があるかなあ。
聖戦士と野球を利用しようとする王族、戦争回避できるなら手段は何でも使いたい政治家、野球の存在を邪魔に思っている軍人なんかもいるでしょうか。
主人公は、監督としてチームを鍛える一方で、もちろん代表チームの一員としても試合に参加する。
いわば聖戦士は、助っ人外国人選手のようなものだ。
もちろん試合の相手である敵国にも、監督兼選手の助っ人地上人がいる。
レッドソックスのお膝元ボストン出身のトッド・ギネス!
かくしてWBCならぬBWC(バイストンウェルクラシック)の火蓋がきって落とされる!
…という感じ。
バイストン・ウェルものとしては、外伝というか、番外編みたいなものだけど、こういう地に足がついているようなタイプがあるのも悪くないな、と思うんですけどね。どうでしょう?
個人的にはサッカーが好きなのだけど、物語の中でサッカーを表現するのは難しいし、現実でワールドカップが世界規模の代理戦争のようなことをしているので、野球のほうがいいかも知れない。
■話の落とし所
オチとしては、野球を戦争の代替物として利用しながらも、本当に野球が面白いので、いつしか野球そのものが目的になっていく。
毎年開催することが両国間で決められ、そのため両国では野球が人気の競技となり、いつのまにか二国間での練習試合や人的交流もはじまり、崇高な儀式だったはずが、結果的に単なるスポーツに成り下がる。めでたく「成り下がる」。
地上人の召喚もいつしか、外国人助っ人を連れてくるのと変わらなくなってくる。
「打率2割4分。ホームラン6本。…今年の聖戦士はハズレじゃな。」
ハズレ聖戦士は、1シーズンで契約を打ち切られ、地上に返される。
もちろん、二つの国が仲良くなっているわけでもない。
でも、どちらかの国が戦争で滅ぼされることは当分はないだろう。
国が二つないと、国を背負って野球で戦う楽しみがなくなってしまうからね。
「来年はギタギタにしてやる」と思いながら、お互いの国は今日も野球に励む。
という感じでどうかな。なんかレベルEみたいになってきたな…。
野球を代理戦争にしたままだと、戦争と変わらないので、何とかその構図は崩したいなあ。
二国が楽しく堕落してくれたらいいんだけど。
主人公は誰かな。ダルビッシュ有?
いや冗談抜きで、ダルビッシュはバイストンウェルで聖戦士やる条件が揃っているんだよね。
翼を顕現させたハイジャンプオーラ魔球でも投げてもらおうかな。
それをハイパーオーラ打法で打ち返す。いやジャコバ流星打法にすべきかな?