ナナイ・ミゲルからシャア・アズナブルへの質問と確認と安堵と絶望 <映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』でのすれちがい宇宙>
アニメ富野由悠季映画逆襲のシャアシャア・アズナブルナナイ・ミゲルガンダム
2022-10-27
劇中、ネオ・ジオン総帥となったシャア・アズナブルと、その部下にして恋人ナナイ・ミゲルが、シャアの私邸?で会話するシーンにこんなやりとりがある。
ナナイ「クェス、よろしいんですね?」
シャア「あれ以上の強化は、必要ないと思うが?」
ナナイ「はい。あの子はサイコフレームを使わなくとも、ファンネルをコントロールできるニュータイプです」
シャア「そうだろうな」
このすれ違い!
このすれ違い会話がいつ見てもたまらない。
ナナイの質問は明らかに複数の意味を込めている。
だから、シャアの回答でも間違いではない。
間違いではないが、コミュニケーションとしては完全にすれ違っている。
はたしてナナイは何を確認したかったのか?
今回は映画『逆襲のシャア』から、ナナイとシャア、大人の男女2人がお酒を飲むこのシーンだけに絞り、公私ともにパートナーであるはずの2人がする、すれ違いの会話を丁寧に追ってみたい。
なのでモビルスーツやファンネルの血湧き肉躍る話は一切出てきません。
(もうファンネルのことは書かんでええやろ!)
※小説などもありますが子供の頃に読んだきりですし、あくまで映画を材料に話を進めます。
公私共にシャアを支えるパートナー、ナナイ・ミゲル
伊東マンショ、中浦ジュリアン、ナナイ・ミゲル、そしてブルーノ・サンマルチノ。
※よいこのみんなへ
4人並べるネタで、2人ボケちゃダメ。半々になってフリもボケもブレるから。
しかもナナイじゃなくて、サンマルチノがいちばん言いたいからって最後に置くのもっとダメ。
本題に入る前に、人間発電所ブルーノ・サンマルチノの基本プロフィールを確認しておこう。
ナナイ・ミゲル(声 - 榊原良子)
ネオ・ジオンの戦術士官で大尉。ニュータイプ研究所の長も務める。シャアと個人的にも親しく、思いを寄せている。軍事では参謀として、私的な場では恋人として、彼を公私にわたってサポートする。軍人としては部下に厳格な面を見せる。シャアが連れてきたクェス・パラヤをシャアから任され彼女を強化するが、彼女に対して多少の嫉妬も抱いており、何かとクェスをかまうシャアに苛立ちを見せることもあった。
Wikipedia:機動戦士ガンダム 逆襲のシャアの登場人物
ナナイ・ミゲルは、シャアの公私を支えるパートナーという重要なキャラクターだが、『逆襲のシャア』にて初めて登場する。
ハマーン・カーンを映画用に、可愛げと従順さを強化した(強化人間!)ようなキャラクターと思って頂ければよいだろう。
演じるのは、ハマーンと同じく榊原良子さん。
『逆襲のシャア』は、アムロとシャアが決着をつけるための映画。
ナナイは、シャアにとって都合の良いパートナーとしての「いい女」としてデザインされているので、映画の主旨をよく理解して、話をかき回したりすることはない。
シャアのパートナーとして見れば、改良型ハマーンとして完璧だと思うが、ハマーンが不適格というよりも、シャアがあまりにシャアすぎるので、ナナイぐらいの調整して合わせてあげないとダメだったと考えるべきだろう。
とすると、むしろ浮き彫りになるのはシャアの「変わらなさ」だと思う。
個人的には、シャアの思いどおりには動かない「やっかいな女」であるハマーンの方がキャラクターとして好みだ。
もちろんこの映画での役割として、ナナイというキャラクターのデザインには何の問題もない。
そして、そのナナイに榊原良子さんがキャスティングされているのは、ハマーンは「シャア無き欠損」を抱える空虚なキャラクターでもあったが、あの声はそうではないという事だと思う。
声と中身のバランスを取ったキャラとしてのリメイクともいえるかも知れない。
『機動警察パトレイバー2 the Movie』での、南雲隊長にも何らかの影響を与えているような気がしている。
押井守監督が『逆襲のシャア』結構好きで、声が同じく榊原良子さんで、というだけでなく、過去に囚われたテロリストの幻想に巻き込まれる女性として。
連邦側に属してシャアに手錠をかける方のナナイ。
会話シーンを語る前の前提(ここまでの逆シャア)
『逆襲のシャア』は約2時間(1時間59分)の映画で、本題の会話シーンは約45分経過したあたり。ここまでの展開のうち、会話に関係するポイントだけは前提として抑えておきたい。
冒頭の会話に出てきた名前、クェス。クェス・パラヤ。
地球連邦の高官アデナウアー・パラヤの娘にして、13歳の少女。民間人。
コロニー・ロンデニオンで、シャアとアムロの罵り合いながらの格闘(有名な巴投げシーン)で、シャアに加勢し、シャアの「行くかい?」で、本当にシャアについていってしまう。
その後、ニュータイプ研究所(ナナイが所長)で訓練を受け、ニュータイプとしての才能を開花させる。

わずかな訓練で、ファンネル攻撃を成功させるクェスを見て、シャアがつぶやく。
シャア「あの子と同じだ」
「あの子」に該当する人間が、複数人存在するのがシャアのやばいところだが、この映画では最初のひとりであるララァ・スンのことであると思ってよいでしょう。つまりララァの再来のような才能だ、ということですね。マラドーナ2世です。
次のシーンが有名な電車のシーン(この映画、有名なシーンしかないな)。
シャアを「ドブ板選挙のできる男」と評したのは、あでのいさん(@adenoi_today)だが、まさしくその象徴のようなシーン。
ここでのクェスは初めて軍服姿で登場する。もはや民間人でもゲストでもないことが分かる。
そして高級ハイヤーで、ギュネイにクェスを送らせる。
先に降りるシャアは別れ際にクェスに優しい言葉をかけ、彼女の手にくちづけをして別れる。
シャア「大丈夫か?明日からの作戦は遊びじゃあない」
クェス「勿論、あっ」
(手にくちづけをする)「大佐」
シャア「今夜はよく休め」
明日からの作戦とは、もちろん軍事作戦を指す。
つまりクェスはいよいよ軍人として実戦に投入されるということだ。
緊張するクェスに優しい言葉をかけ、お姫様のように扱うシャア。
だが彼はなぜ先に車を降りたのか。それは私邸でナナイと過ごすため。
そして、シャアとナナイの2人だけの会話シーンが始まる。
ナナイ・ミゲル酒豪伝説
バーカウンターもある一室。
2人ともナイトガウンを着てリラックスした状態であり、完全なプライベート空間だ。
ナナイが酒を用意し、シャアに持っていく。

ちなみに、シャアがロックグラスで、ナナイがロンググラス。
ナナイは水割りかな?と思ったら、色指定的には同じ(濃さが同じ)に見える。
シャアがストレート(そのまま)だとすると……ナナイ酒豪だな、と思った。
ここからは、シャアとナナイの会話をすべて順に追っていこう。

ナナイ「アクシズを地球にぶつけるだけで、地球は核の冬と同じ規模の被害を受けます。それは、どんな独裁者でもやったことがない悪行ですよ」
「それでいいのですか?シャア大佐」
シャア「いまさら説教はないぞ、ナナイ。私は、空に出た人類の革新を信じている。しかし、人類全体をニュータイプにする為には、誰かが人類の業を背負わなければならない」
ナナイ「それでいいのですか?」
(シャア、黙ってうなづく)
もちろん親しい仲での雑談ではあるが、いきなりナナイは確認から入る。
アクシズ落としは、どんな独裁者でもやったことがない悪行だが、それでいいのですか?と。
シャアはブレない。シャアが述べていることが世迷言でも、インテリの世直しでも、ニュータイプという蜘蛛の糸にすがるカンダタでも何でもいい。問題は目的遂行のために迷いがないかだ。
この会話シーン全体に言えることだが、ナナイは基本的に、シャアを見つめながら話をする。
しかしシャアは他を見ているか、もしくはナナイとは真正面から視線を合わせない。きちんとナナイの目を見て話すのはごくわずかである。
もちろん現実でも、視線を見つめ合って話をすることは結構少ない。たとえ親しい仲や家族でも。
だから、ある種のリアルだとは言えると思うが、一方が見つめることが多く、もう一方はそれを見ないことが多い、という非対称性は映像としての会話のデザインであろうと思う。
ここではナナイがシャアを見ている一方で、シャアは別のところを見たり、視線をはずしたりするというのが、2人の関係性ということになる。
それを踏まえて見ていくとなかなか面白い。次の会話。

ナナイ「大佐はあのアムロを見返したい為に、今度の作戦を思いついたのでしょ?」
シャア「私はそんなに小さい男か?」
ここでは、ナナイが窓際に歩いて、手前にナナイ、奥にシャアという構図に変わる。
早速、ナナイがシャアから目線を切っているじゃないか、となるわけですが、会話の内容を見て欲しい。
ナナイはまた確認の質問をする。
「大佐はあのアムロを見返したい為に、今度の作戦を思いついたのでしょ?」
つまり、結局はシャアの個人的な動機なんでしょ?と問う。
シャアが「私はそんなに小さい男か」と答えるが、このタイミングでナナイは目線をはずす。
当初から質問しかしていないことに加え、この芝居を見る限り、ナナイは、ジオン・ダイクンの息子としてスペースノイドを導く指導者を最後までやってくれるのかどうかについて、かなり疑っている。いや不安に感じているといった方がよいか。
歴史に最大の悪行を残してでも、人類のニュータイプ覚醒といった大義のために大仕事にやり遂げる覚悟は本当にあるのだろうか。
最後の最後に全部ほっぽりだして、ただのモビルスーツ乗りとして恋人(宿敵)との楽しいダンスに興じてしまわないだろうか。(鋭い。当たりです)
もちろんシャアは「私はそんなに小さい男か?(笑)」と、ナナイからの否定(フォロー)を求めるような返しをするのだが、ナナイはその顔を見ないし、答えない。
そして目線をはずしたまま、つぶやくように言う。
ナナイ「アムロ・レイは、やさしさがニュータイプの武器だと勘違いしている男です。女性ならそんな男も許せますが、大佐はそんなアムロを許せない」
これ、かなり重要な台詞だと考えています。
ナナイが、アムロのことを「やさしさがニュータイプの武器だと勘違いしてる男」として批判していると捉えている解釈を見かけたりしますが、私は違うと思います。
ナナイにはアムロと何の因果も因縁もありません。会ったことも話したこともないでしょう。
ナナイが知るアムロというのは基本的に「シャアが語るアムロ」になるはずです。
であれば「やさしさがニュータイプの武器だと勘違いしている男」は、シャアによるアムロ評でしょう。
シャアの認識では、アムロは戦場で出会った敵(ララァ)とふれあい、深くつながろうと互いを理解し合おうとした男です。
一方のシャアは「戦いをする人ではなかった」ララァを戦場に連れ出して、戦争の道具として利用しましたが、アムロはそうしなかった。敵であるはずのララァと2人だけの密会をして、分かり合おうとした。
しかし結局は、アムロによってララァは喪われてしまった!
やさしさアプローチで近づいて、ニュータイプNTRしてきたアムロのせいで!
シャアとしては自身の罪に向き合うのでなければ、シャアがしない(できないともいう)ニュータイプ能力の使い方をしたあげく、ララァを殺めたアムロを否定するしかない。
かくして、アムロは「やさしさがニュータイプの武器だと勘違いしてる男」というインディアンネームを与えられ、恐らくナナイもシャアから何度も聞いていたことでしょう。
しかしナナイは「女性ならそんな男も許せますが、大佐はそんなアムロを許せない」と続けている。今の話の流れで行けば、この許せる女性はララァ・スンのことになるでしょう。
しかしシャアにとっては、ララァが許しても、私が許さんわけです。
個人的には、ナナイが意図する「女性」とは、ララァだけでなく、ナナイ自身も含まれていると思っています。いや下手したら女性全体ぐらいを想定している可能性すらあるかも知れない。
もしそうであれば、「光る宇宙」でのアムロについて、被害者のララァどころか、私(ナナイ)も別に許せるし、もし全ての女性にアンケート取ったら多くの女性はアムロを許せるかも知れない。
シャア相談員「許せない」、上沼相談員「許せる」、ゲストの瀬川瑛子相談員「許せる」。
アムロを許せないのはつまりはシャア大佐、あなただけでしょう? という意味になる。
これを最初の質問とつなげれば、あなたは自分が許せないからこそ、アムロが生涯許せないし、だからネオ・ジオン総帥として道化を演じてまで対決を望んでいるのでしょう?でも、あなたについてきた多くのスペースノイドや私達のために嘘でも違うと言ってください。
……ぐらいの超意訳ができるかも知れない。
それなのにですよ。ナナイのこの台詞を聞きながら、なんとシャアは「光る宇宙」の回想に突入してしまうのです。
「光る宇宙」で悪いの誰だ? 誰が「白鳥」殺したの?
『機動戦士ガンダム』第41話「光る宇宙」での場面、映画が直接引用するのは、ファーストの劇場版である『めぐりあい宇宙』ですが、とにかく、アムロがララァを誤って殺めてしまう場面が、シャアによって回想される。
基本的には、アムロとシャアの因縁を明示するための過去回想で、観客のために挿入されたシーンになるだろう。この映画で挿入される回想はこれだけであり、その重要さが分かる。
(もっとも、この映画を見るような人には、このシーンの紹介が必要ない人も多いだろうけれど)
場面としてはおなじみではあるが、宇宙世紀0093年のシャア・アズナブルによる回想であることに意味がある。
シャア自身が当時のことを今現在どう捉えているのか、という点こそが重要なので、その視点で見ていこう。

シャア『ジオン独立戦争の渦中、私が目をかけていたパイロット、ララァ・スンは、敵対するアムロの中に求めていたやさしさを見つけた。あれがニュータイプ同士の共感だろうとはわかる』(回想突入)
シャア「む?」
アムロ「ララァ」
ララァ 「アムロ」
シャア「ララァ、敵とじゃれるな」
ララァ 「大佐、いけません」
シャア「何?」
シャア『あの時、妹のアルティシアがいなければ』
ララァ 「ああーっ」
アムロ「しまった」
シャア「ララァ」
『ああ、私を導いて欲しかった。なまじ、人の意思が感知できたばかりに』
見ての通り、語りどころが色々とある。
『あれがニュータイプ同士の共感だろうとはわかる』の箇所。
これ結構重要で、シャアは恐らく死ぬまで、アムロがララァとしたような、カミーユがハマーンとしたようなレベルでの、ニュータイプ同士の共感というものをしていない。
なので「だろうとはわかる」という言い方になる。

これについては、過去に記事を書いているので、あとで興味があれば読んで下さい。
(記事の終わりに、関連記事として紹介します)
次、『あの時、妹のアルティシアがいなければ』。
「光る宇宙」において、アムロ、ララァ、シャアの3人だけが注目されがちだが、セイラ(アルテイシア)もその現場に居て、かなり重要な役割を果たす。
これも、過去にこの話で記事を書いているので、あとで興味があれば読んで下さい。
(2度目。記事の終わりに、関連記事としてまとめて紹介します)
『あの時、妹のアルティシアがいなければ』のあとに続く言葉は、当然「ララァは死なずに済んだのに」である。
実際はどうだったか。
悲劇の直前、アムロと兄キャスバルの間に割って入ろうとするセイラのGファイター(映画、回想ではコアブースター)。シャアのゲルググは斬ろうとするが、寸前でナギナタの刃を止め、相手が妹アルテイシアだと気づく。
だが、そのスキをアムロに突かれて片腕を斬られてしまい、さらにとどめを刺されようかという絶体絶命のピンチをララァにかばわれ、彼女は命を落とします。
ニュータイプ・アムロとララァによる心の交流を表現する上での対比・強調の問題だと思いますが、この場面でのシャアは、肉親であるセイラの存在に徹底的に気づかない。
赤の他人でロクに会話すらしたことがないアムロとララァが感じ合い、分かり合ったのと比べて、血が繋がっているはずのシャアとセイラの通じなさは極めて象徴的だと思う。
そもそもシャアがナギナタの刃を止めることができたのは、先にララァがセイラを感じ取り「大佐、いけません!」と止めたからに過ぎません(だから刃を止める→気づくの順番)。
つまりララァは、アムロが「取り返しのつかない過ち」を犯す前の段階で、シャアが「取り返しのつかない過ち」を犯す所だったのを止めてくれてるわけです。
しかもこの際に、シャアがコクピット内のセイラを目視して「アルテイシアか!」と気づく主観のカットをわざわざ入れている。この目視のカットの挿入が実にすばらしい(回想では省略)。
この戦場でセイラを認識していないのはシャアだけ。彼だけにはこのカットが要るのです。
風が吹けば桶屋が儲かるといいますが、物事は連鎖しますので『妹のアルティシアがいなければ、ララァは死なずにすんだのに』といえないことはないですよ。そりゃあ。
でもこの時、宇宙世紀0093年です。事件から10年以上経過しています。それでなお、妹のせいだという認識なんです。
そして『ああ、私を導いて欲しかった。なまじ、人の意思が感知できたばかりに』
シャアがララァに導いて欲しかったのはまぎれもない本心だと思います。
ジオンの遺児という己の生まれからの逃走という意味では、キャスバル→エドワゥ→シャア→クワトロと何度も別の人間になろうとしたが、成りきれないシャアにとって、ララァは自分が「ジオンの息子」ではない何かに生まれ変わる為に必要な存在だった(そのための母)。
ただ『なまじ、人の意思が感知できたばかりに』が問題で、ララァがアムロの意思をキャッチできて、それを受け入れる包容力があったことが問題だと言っているに等しい。
シャアは、ララァと男女の関係になったとしても、その体験はしていない。それは、シャアの嫉妬を生み、そこから悲劇が始まった。
でもシャアにとっては、人の意思が感知できたせいで起こったことであり、いわばララァのせいなのです。
人のニュータイプへの革新を信じ、アクシズを地球に落としてでもという男が、宇宙世紀0093年に言うことかとお思いでしょうが、私もそう思います。(だからナナイも不安がるわけです)
では「光る宇宙」回想について、シャアの認識をまとめましょう。
・アムロのせい (ララァにやさしさで接触し、最終的に手をかけたので主犯。許さん)
・アルテイシアのせい (なんであんなとこに飛び込んでくるんだよ。ララァが言うまで気づかなかったじゃん!)
・ララァのせい (ニュータイプ同士で意思を感知できるからって、俺を無視してアムロとつながんなよ!)
以上が、10年以上経過した宇宙世紀0093年での認識です。
これは、もう、なんというか、あれです。まさにあれとしか言いようがありません。
もちろん、そもそも「戦いをする人ではない」ララァ・スンをニュータイプとして訓練し、戦場に連れ出した張本人が誰だったのか、という根本的な原因についての追求はありません。
誰が白鳥殺したの?
「わたし」とアムロが言いました。
わたしのビームサーベルで、わたしが白鳥殺したの。
誰が白鳥殺したの?
「妹」とシャアが言いました。
木馬を降りずに戦うので、妹が白鳥殺したの。
誰が白鳥殺したの?
「ララァ」とシャアが言いました。
敵と戦場でじゃれあって、ララァが白鳥殺したの。
誰が白鳥殺したの?
「アムロ」とシャアが言いました。
やさしさを勘違いしてるから、アムロが白鳥殺したの。
ここで、ミライさんが「さあ、みなさん、お手を拝借!」とやり、カイ・シデンが歌い、ワッケイン司令が踊ってくれたら、白鳥も成仏できるかも知れないし、できないかも知れない。(常春のコロニー・マリネラ)
シャアの瞳にうつるララァに乾杯

…………。
ナナイ「どうなさいました?」
わ!そうだった。ナナイにアムロの話されて、ナナイほっぽりだして回想してたんだった。
シャア「似過ぎた者同士は憎みあうということさ」
ナナイ「恋しさあまって憎さ百倍ですか?」
シャア「ふん、まあな。明日の作戦は頼むぞ」
ナナイ「…」
シャア「私はアクシズに先行してお前を待つよ」
このシーン。
ここまでを踏まえると、シャアが、自分とアムロを「似すぎた同士」と語っているのもツッコミポイントだが、画面も面白い。
自分を見ていない(そりゃそうだ。回想してたからね)シャアに乗りかかるようにして、シャアの正面へ。
これでシャアもナナイを正面から見るしかない。

と、思いきや、微妙に体をずらして、真正面からは向き合わないシャア。
このあとすぐカットが切り替わるし、見てのとおり表情が描き込まれないサイズなので、顔を見せるというよりは本当に姿勢(視線)をずらしているだけ。
この動き。意図(真意)はともかく、この記事をここまで書いてきた私としては十分必然性に納得はできる。

そして、シャアは自分のロックグラスをナナイに預け、席を立ってしまう。

ソファの正面に立ち、肘掛けに両手をついて、逃がさないポジションを取ったナナイからすると、ロックグラスを渡されて左手が塞がり、スペースが開いたところをスルッと逃げられた形。
両手を広げてディフェンスしているナナイだが、シャアにグラスを渡されたら無視せず受け取ってしまう従順な習性を利用されて、逃げ道を与えてしまった。(ハマーンなら全無視で逃さないのだろうか)
そしてナナイは、退室するためドアに向かって歩くシャアを目で追いながら、最後の質問をする。
ここでようやく、冒頭で紹介した会話にたどり着く。
「クェス、よろしいんですね?」でナナイは何を聞いているのか

ナナイ「クェス、よろしいんですね?」
言葉をあえて補えば、「クェスを実戦投入して、よろしいんですね?」になるだろうか。

ドアに向かって歩いていたシャアは、ナナイの質問に振り返る。
シャア「あれ以上の強化は、必要ないと思うが?」

ナナイ「はい。あの子はサイコフレームを使わなくとも、ファンネルをコントロールできるニュータイプです」
シャア「そうだろうな」
シャアはそのまま部屋を出ていく。
冒頭に書いたように、ナナイの台詞「クェス、よろしいんですね?」には複数の意味が込められているはずだ。
その中でも特に、兵士として実戦に投入されることが、クェス・パラヤという少女にとって、ポイント・オブ・ノーリターン(回帰不能点)になることをシャアに確認している。
それに対するシャアの回答は「あれ以上の強化は、必要ないと思うが?」である。
シャアは、ナナイが訓練や強化の不足を危惧して、そんな質問をしたと解釈した。
だから、あれ以上の訓練・強化をしなくても、もう戦場に出せる戦闘力を持っているから大丈夫だよ、と返している。
これがつまりシャアの認識であって、クェスを兵士、もっといえば戦闘マシーンぐらいにしか思っていないことを意味する。
シャア「そうか、クェスは父親を求めていたのか。それで、それを私は迷惑に感じて、クェスをマシーンにしたんだな」
のちのこの台詞が無ければ、全てわかっている上ですっとぼけているという解釈の余地もあったかも知れないが……。
そもそもニュータイプ研究所の所長であるナナイには、クェスが実戦投入できるレベルであることなどもちろん分かっているだろう。わざわざそれをシャアに確認する必要などない。
この直前にララァの回想を挟んでいることから分かるとおり、ニュータイプの素質のある少女を訓練し実戦投入して一生もののトラウマを引きずるシャアに対して、新たなニュータイプ少女クェスの実戦投入について最終確認をしている。
本当に、本当によいのかと。
そう考えると、シャアの返答 「あれ以上の強化は、必要ないと思うが?」 は、完全に勘違いのすれ違いだが、会話はそのまま続く。
ナナイは言う「あの子はサイコフレームを使わなくとも、ファンネルをコントロールできるニュータイプです」と。
訓練を担当したニュータイプ研究所所長として、シャアの判断に太鼓判を押したように見える。
問題は「サイコフレームを使わなくとも、ファンネルをコントロールできるニュータイプ」のところ。ギュネイのような強化人間と違い、本物のニュータイプの素質のある少女だと言っている。つまり「ララァ・スン」のようなニュータイプだと。
それはクェスがファンネルを操るのを見たシャアの「あの子と同じだ」という感想と重なる。
だから「そうだろうな」と、ナナイの評価に同意し、そのままシャアは退室する。
そしてこのあとクェスは実戦投入され、初陣で父アデナウアーを殺害。回帰不能点を越える。
アデナウアー→アムロ→シャアと流れてきたクェス・パラヤの避難所(アジール)はかくして、巨大モビルアーマーだけになる。そこへ追い込んだ当人の自覚なしに(これが本当にひどい)。
ナナイ「……、ジオン・ダイクンの名前を受け継ぐ覚悟が、大佐を変えたと思いたいが。くそっ」
「あんな小娘に気を取られて」

部屋に残されたナナイは、シャアに手渡された(ここ重要)ロックグラスを床に投げつけて、イライラするように髪をかき上げて、このシーンは終わる。
シャアのグラスを投げて 「あんな小娘に気を取られて」だから、シャアがクェスに気を取られている、という台詞なのだろうが、実際はここまで見てきた通り、シャアはクェスのことを道具ぐらいにしか認識していない。
せめて、本当にクェスに「気を取られていたら」どれだけ救いがあっただろうか。
だから実質、気を取られていたのは、シャアではなくナナイということになるだろう。
わずか3分程度の会話シーンだが、ナナイとシャアという公私ともにパートナーであるはずの2人の(視線を含めた)会話がここまですれ違っており、それでいながら見かけ上ごく普通の会話のように進行していくのは見ごたえがあり、大変すばらしい。
ナナイは確認はとるが、シャアには反論しない。
なぜならシャアの「いい子」だから。
シャアの「いい子」と、ハサウェイの名前
『逆襲のシャア』には、シャアによる「いい子」という台詞が2つある。
ひとつはクェスに対して。
有名な(有名なシーンしかない)生身で宇宙に出るシーン。
シャア「クェス、パイロットスーツもなしで」
クェス 「ほんとだね?ナナイを折檻してやって」
シャア「ああ、本当だ」
クェス 「なら、少し働いてくる」
シャア「調子に乗るな」
クェス 「でも」
シャア「実戦の恐さは体験しなかったようだな」
クェス 「恐さ?」
シャア「ああ」
クェス 「気持ち悪かったわ、それだけよ。なのに、ナナイはやさしくなくって」
シャア「それで、私の所に来たのか」
クェス 「大佐」
シャア「その感じ方、本物のニュータイプかもしれん。いい子だ」

「大佐」と胸に飛び込んでくるクェスを抱くが、当然、視線はクェスを見ていない。
もうひとつがナナイに対して。シャアがサザビーで出撃する直前のシーン。
ナナイ「四番艦、アクシズに入りました」
シャア「よし、核爆弾は地球に激突する直前に爆発するようにセット、クルーは収容しろ」
ナナイ「大佐、もうお止めしませんが、アムロを倒したら?」
シャア「ああ、あとはナナイの言う通りにする。戦闘ブリッジに入ってくれ」
ナナイ「はい」
シャア「いい子だ」
2人に対して同じ「いい子」を使っていることで分かる通り、本質的にクェスもナナイも、シャアにとって同じ扱いであることが分かる。
当然、対等ですらない。対等な相手を「いい子」などとは呼ばない。
クェスはもちろん、公私共にパートナーを務めてきたナナイに対しても「いい子」である。
ララァ以後のシャアにとって、全ての女性は「いい子」までにしかならない。
その上、シャアは宇宙世紀随一の「貧しい愛」の使い手なので、愛と引き換えに「いい子」の女性たちに何らかの奉仕をさせてしまう。シャアが本当に欲しいのはそうでないだろうに……。
そうなればますます対等ではありえない。
クェス 「あたし、ララァの身代わりなんですか?」
シャア「クェス」
「誰に聞いた?いや、なんでそんな事が気になる?」
クェス 「あたしは大佐を愛してるんですよ」
シャア「困ったな」
クェス 「なぜ?あたしは大佐の為なら死ぬことだってできるわ」
シャア「わかった。私はララァとナナイを忘れる」
クェス 「……なら、あたしはαで大佐を守ってあげるわ、シャア」
『逆襲のシャア』においての「貧しい愛」の例。
少女が「あなたのためなら死ぬことだってできるわ」と言い、それを言われた大人の男性が「わかった。過去の女を忘れるよ」と返す。つまり取引だ。
これで少女は愛する男に「過去の女を忘れてもらう」代わりに、死ぬことも辞さない奉仕をすることになる。
時を越えて、作品を越えて。
『∀ガンダム』において、キエル・ハイムと仮面の男ハリー・オードの男女が、同じようにコクピット内で以下の会話をする。
キエル「わかりました。なら、私をディアナにしてミドガルドに預ければ、アグリッパ達と刺し違えればよろしいのでしょ」
ハリー「ギム・ギンガナムが出てきたのです。まっすぐにアグリッパの所には行けそうもありません」
キエル「ハリー大尉にとってキエル・ハイムは、ディアナ様の影武者にもならない女でしょうか?」
ハリー「どういう意味でしょう?キエル嬢はご立派に」
キエル「私は、ハリー殿が好きなのです」
ハリー「ありがたいことです」
キエル「そういうことではありません、ハリー・オード」
ハリー「自分は親衛隊の隊長でありますから、ディアナ様以外に心を動かされることは……」
キエル「ハリー殿!」
ハリー「動かされることはござい……」
キエル「ハリー!」
「好きだとおっしゃってくだされば、アグリッパを暗殺する事だってやってのけましょうに」
ハリー「キエル・ハイム、いかように私をなぶっていただいてもよい」
キエル「……」
ハリー「あなたには、ディアナ様の盾になっていただきたい」
キエル「……」
ハリー「そのかわり愛するという愛では、それは貧しいでしょう」
『∀ガンダム』第38話「戦闘神ギンガナム」より
キエル嬢は、ハリー大尉が好きと言ってくれさえすれば、危険な暗殺だってやるという。何でもやる。命だって惜しくはないと言っているわけです。
だがハリーは、これをするから、代わりにこうしてほしい、という契約と取引による「その代わりの愛」、それでは貧しいときっぱりと本人に告げる。
あなたとの関係を「貧しい愛」にはしたくないと。
『∀ガンダム』はさまざまな意味で、『機動戦士ガンダム』という巨大な何かを終わらせる作品だが、仮面の男が始めた「貧しい愛」を、仮面の男が否定するという意味でも、大きな価値がある作品だ。
話を『逆襲のシャア』に戻す。
クェス・パラヤは、シャアとの取引を守り、モビルアーマーα・アジールを駆って戦場で戦い、最終的に命を失ってしまう。
まさに「大佐の為なら死ぬことだってできる」わけだが、そんな彼女の前に現れたハサウェイに対しての呼び方に注目したい。
ハサウェイ「クェスだろ?これに乗っているの」
クェス 「なれなれしくないか?こいつ」
※中略
ハサウェイ「駄目だよクェス、そんなんだから敵だけを作るんだ」
クェス 「あんたもそんなことを言う。だからあんたみたいのを生んだ地球を壊さなくっちゃ、救われないんだよ」
※中略
ハサウェイ「クェス、そこにいるんだろ?わかっているよ、ハッチを開いて。顔を見れば、そんなイライラすぐに忘れるよ」
クェス 「子供は嫌いだ、ずうずうしいからっ」
と、ここまでさんざん「こいつ」「あんた」「子供」呼ばわりしたあげくに
クェス 「直撃!? どきなさい、ハサウェイ!」
ここで咄嗟に、思わず「ハサウェイ!」と名前を叫んでしまうのは本当に最高だと思う。
私はここがあるから、クェスのことは絶対に嫌いになどなれない。
これについて監督の富野由悠季は「クェスのように最後の3秒間だけ人の気持ちを考えても遅いんです」と語っていたような記憶がある。
それは事実かも知れないが、「貧しい愛」の契約に囚われた少女が最後に、思わず名前で呼んでしまう少年のために死んでしまうというのは、絶望の中の救いでもあると思う。
シャアから愛をもらう為だけに、死ぬことだって厭わないはずの少女が、本気でクェスのことを見てくれる少年のために命を使えたのだから。
最後にそういうクェスであったことだけが、わずかな救いになる。
だから、この場面の結末が異なる『閃光のハサウェイ』は当然、意味が違ってくるし、『GUNDAM EVOLVE』で富野由悠季がストーリーを書き下ろしたのが、この場面の変奏、クェスを導くアムロとそれによって変化したクェスだったことにも注目したい。
『GUNDAM EVOLVE』自体はプロジェクト的に3DCG技術を用いた戦闘シーンが主目的であったとは思うが、富野監督がストーリーを書き、変化させたのが、アムロとシャアの戦闘やその結末などではなく、このクェスとハサウェイの場面であったことは、この物語で何が必要で何が重要かを示していると思う。
(世の中は広いので、この映画にクェスやハサウェイが必要ない、と仰る方もいらっしゃいます)
ナナイが確認したかったものと得たもの
いつものように脱線してきたので、ナナイ・ミゲルの話に戻そう。
ナナイは、この場面で質問(確認)ばかりしている。
・どんな独裁者でもやったこともない悪行(アクシズ落とし)をしますけど、いいんですか?
・アムロを見返したい為に、今度の作戦を思いついたのでしょ?
・(アムロへの)恋しさあまって憎さ百倍ですか?
・クェス、(実戦投入して)よろしいんですね?
こうしてみると、ナナイは本当にシャアのことがよく分かっているのだと思う。
分かっているのだとしたら恐らく、ネオ・ジオン総帥としてのシャアに対して、ここまでついてきた私達を見捨てないで、という気持ちと、恋人としてシャア本人が本当にやりたいことは止めようがない(諦めにも似た)から自由にやらせてもあげたい、という思いが同居していることだろう。
だからこそ「クェス、よろしいんですね?」に込められた意味は重い。
これは、大佐が後悔し続けているララァ・スンのような少女を戦場に出すのと同じようなことをしようとしていますよ。それでいいんですか?という問いだ。(ハマーンで繰り返し、カミーユもある意味そうだし、ナナイ自身も該当するかも知れない)
ポイント・オブ・ノーリターン(回帰不能点)はクェスにとってだけではない。
シャアもそうだろうし、彼と共に進むつもりのナナイにとってもそうだ。
またニュータイプ少女を貧しい愛で消費するというポイントを越えるんですけど、いいんですよね?大いなる目的のためですから、いいんですよね?
ナナイは彼女自身100%答えが分かっている質問をしているだろう。
彼女が質問する相手は、アムロ・レイを「やさしさがニュータイプの武器だと勘違いしている男」というのだから。
10年以上前のララァの死は、アムロとアルテイシアとララァ自身のせいなのだから。
そしてシャアは、恐らく彼女の予想通り、期待通りの返答をした。
「これでこそシャア・アズナブルだ」と、ナナイは思ったかも知れない。安堵といってもいい。
貧しい愛を振りまいて、ニュータイプを戦争の道具に使い、それでもスペースノイドを導く道化を演じるジオン・ダイクンの遺児。
それでこそ、私の愛するシャア大佐。
そして、そう安堵をしたならば、同時に絶望もしたろう。シャアという男の変わらなさに。
ナナイが質問と確認で得たものは、この安堵と絶望だったのかも知れない。
ナナイ「私は大佐に従うだけです」
シャア「いいのか?」
ナナイ「愛してくださっているのなら」

まとめ、もしくはあとがき
この記事で取り上げた会話シーンは、2時間の映画でわずか3分ほどですが、こうして記事が1本書けるほど、濃密で見ごたえのある場面になっています。
恋人関係にある2人の会話でありながら、決定的にディスコミュニケーションであり、それでいながら見かけ上は普通に進行していく会話。面白いですね。
この記事では、ナナイの視点から見る関係上、シャアにはかなり厳しい言葉を連ねましたが、私は『機動戦士ガンダム』のシンボルとなるキャラクターはシャア・アズナブルだと思って、愛しています。
シャアについては、色んな視点から色々な記事を書いていますので、興味があればぜひ読んでみて下さい。この記事でのシャアは、彼のひとつの面でしかありません。
また、この記事を何日かに分けて執筆していた時に『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 公式記録全集』の発送通知が届きました。
正直なところ、届いて色々気になるところを確かめて、それを記事に反映させようか迷いましたが、資料としても膨大ですし、記事をアップするのがかなり遅れそうだったので、一切見ないことにしました。
商品は届いたけれど、記事アップ後のご褒美ということにしましたので、これでやっとご褒美にありつけるという思いが大きいです。今は。
小説版も同じですが、公式記録全集を資料として参考にすることはあっても「答え」が書いてあるわけでもないので、映画を見てどう感じたか、どう読み取ったかということ自体は、自分がフィルムと向き合うしかありません。これで良かったと思います。
※追記。
『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 公式記録全集』の絵コンテ情報によると、舞台となる私邸は、ナナイの私邸であるようだ。しかし、その情報は物語に特に必要ないため映画に盛り込まれず、従って本記事の内容にも一切影響を与えることは無い。
ちなみに『逆襲のシャア』という、ひとつの映画作品としてはこれで全く問題がないですが、シャア・アズナブルというキャラクターの連続性として見た場合、この映画のシャアはやはり本人のいうとおり道化を演じていると言わざるをえないところがあります。
アムロとシャアの決着、初のオリジナル劇場映画、ということで、現在の言い方でいえば、魔王を演じて、無理やり舞台に勇者を引っ張り出すようなところがどうしてもあります。
だからシャア・アズナブルとしては、一世一代の大舞台を富野監督にオファーされ、それでも渋るシャアに「アムロとはたっぷりいちゃいちゃさせてやるからさ」と口説かれたような感じでしょう(最後に死ぬことは伝えてない)。
個人的には、映画を成立させるために、その程度のことは当然必要であると思っています。
そして作られたこの映画は、今なお鑑賞に耐える濃密さを抱えており、こうして私は21世紀になっても長文記事を書いているのです。
今だと各配信サイトなどで気軽に見ることができます。
初めての方も、そうでない方も、『逆襲のシャア』を楽しんでください。
それではまたお会いしましょう。
関連記事紹介コーナー
では最後に、このブログで過去に書いた記事から、関連あるものを紹介して終わりにします。
文中であとで紹介すると書いた、関連記事です。
アムロはシャアを、いつニュータイプだと認識したのか?<TV版『機動戦士ガンダム』での相互不理解と「貧しい愛」>
アムロとララァはニュータイプ同士で深くつながったが、シャアはその体験をしていないという話がありましたが、そもそもシャアはいつ「ニュータイプ」だと、アムロに認識されたのか?という記事です。
そして記事タイトルに入っているように、相互不理解と「貧しい愛」の話もしています。
僕達は分かり合えないから、それを分かり合う。<『機動戦士ガンダム』シャアとハマーンのニュータイプ因果論>
「光る宇宙」にはシャアの妹セイラも関わって、重要な役割をしていると書きましたが、その話はこの記事で。
全体としては『ガンダムZZ』に至るまでの、シャアを中心としたニュータイプを巡る因果応報の話です。
落ちるアクシズ、右から見るか?左から見るか?<『逆襲のシャア』にみる『映像の原則』>
想定以上にこの記事が読まれて、初めて訪問された方がかなり多いようなので紹介記事を追加。
『映像の原則 改訂版』発売記念の応援記事として、2つの小惑星およびサザビーとνガンダムの戦いを「上手・下手」の原則で解説したもの。富野アニメ系の記事では多分、私の名刺代わりの記事。
「画面構成がこうだから、ここはこういう場面なんです」という画面ありきの読み解きではなく、「こういう物語構成だから、映像を流れにしたときにこの画面構成が選ばれた」という記事になるようにこころがけました。
アムロ・レイが、宇宙世紀の最後にしてくれたこと。<『逆襲のシャア』で起きた【奇跡】>
「ララァ以後」のアムロとシャアの女性観を軸に、『逆襲のシャア』で起こった【奇跡】とはいったい何だったのか?を考えます。
この物語での【奇跡】とは、アクシズが地球に落ちなかったという些末なことではない、という話です。
サザビーのサーベルはνガンダムを切り裂いたか <『逆襲のシャア』 νガンダムvsサザビー戦のルール>
「νガンダムとサザビーはどっちが強いの?」という質問はよく提示されますね。みなさんは、どちらが強いと思いますか?
この問いと「アムロの完全勝利」という実際のフィルム上の結果との関係から、νガンダムvsサザビー戦を考えます。
ほかにも『逆襲のシャア』や、シャア・アズナブルについての記事を色々書いていますので、目次ページで興味を引くものがあればご覧頂ければ幸いです。
【目次】富野由悠季ロボットアニメ 記事インデックス
最後にもうひとつ。
私の記事ではありませんが、クェスの最終的な避難所となった「αアジール」については、おはぎさんのすばらしい記事をおすすめ致します。
逆襲のシャアにおける、αアジールの機体名の意味から考えるクエス・パラヤ論
http://nextsociety.blog102.fc2.com/blog-entry-2144.html
なぜハマーンはファンネルで決着をつけなかったのか <『機動戦士ガンダム』から『逆襲のシャア』までのサイコミュ兵器四方山話>
アニメ富野由悠季ガンダム物語ZガンダムガンダムZZ逆襲のシャアファンネルニュータイプハマーン・カーン
2022-10-11

『機動戦士ガンダム 水星の魔女』公式サイト
私はプロローグを含め、まだ全く見ていない(録画はしている)が、主人公機にファンネルが搭載されているそうで。恐らくそれを契機に、Twitterでファンネルの話が色々出ており、それに刺激を受けて、自分でもツイートしたし、こうして記事に仕立てることにもしました。
前述のように水曜日の魔女たち(金妻みたいにいうな)こと『水星の魔女』は見ていないので、同作品でのファンネルについての話はできないのでしません。
私にできる話ということで、『機動戦士ガンダム』から『Zガンダム』『ガンダムZZ』、そして映画『逆襲のシャア』までの限定的な話に留めておきます。
さらにいえば「ファンネル」話の総論的なものは、あでのいさん(@adenoi_today)が、すでに記事をまとめておられます。ファンネルの基本と網羅的な理解はこちらで。
機動戦士ガンダム水星の魔女1話感想??〜主人公機1話からファンネルってどうなん?問題の話〜
↑この記事自体に、私がしたツイートの内容も一部盛り込まれてはいるのですが、同じ話をしても仕方ないので限定的がゆえの話に努めることにしましょう。
「ファンネル」「ビット」とは何か?
冒頭から説明なしに、さらっと出てきた「ファンネル」というワード。
これは、東証一部上場の無添加化粧品/サプリメントの企業ではなく、『機動戦士ガンダム』シリーズに登場する架空兵器の名前です。
「ファンネル(ビット)」は、モビルスーツ(ロボット)などに搭載されて、四方八方肘鉄砲の「オールレンジ攻撃」と呼ばれる攻撃をしかけます。
最大の特徴は、この兵器は脳波でコントロールされていることです。
ニュータイプと呼ばれる人たちが脳波で操るため、総じて「サイコミュ兵器」とも言われます。
『ガンダム』を見たことない方は、超能力バトルで無数の石を浮かせて、それをコントロールして、相手にぶつけるようなよくあるシーンを想像してもらえると近いでしょうか。
超能力バトルを見たこともないお嬢様方は、現実世界の「自爆型無人ドローン」でも想像してください。あれを脳波でコントロールして目標にぶつけるようなものです。
実際のところ、自爆型ドローンが現実に存在し、脳波コントロールも研究されていることも考えると、この2つが結びつけば近いものにはなる気はする(ファンネルミサイル方面だが)。
『ガンダム』という物語世界としては必然的にモビルスーツが先で、それに搭載するビットやファンネルなどサイコミュ兵器はあとで実用化されたが、本来のテクノロジーツリー(Civilization)でいけば、「モビルスーツ」と「サイコミュ兵器」は当然別系統で、現実での実現度が高いのは「サイコミュ兵器」(的なもの)になるだろう。
ただ現実で考えると、自律型(AI)でいいだろとはなっても、なぜ兵器のコントロールにわざわざ人の脳波を使わなければいけないのか?という話には当然なりますね。
その当然の疑問について、『機動戦士ガンダム』では前提として、電波障害(ミノフスキー粒子)という存在があります。
ガンダム宇宙は、ミノフスキー宇宙
「ミノフスキー粒子」とは、『機動戦士ガンダム』に出てくる架空の物質。
役割だけいうと、ガンダム世界(宇宙世紀)というフィクションを支える、言い訳用の架空物質でエクスキューズ粒子といってもいい。
SF的な荒唐無稽の言い訳をほとんどをこの粒子でまかなうので、説明しようとすると膨大かつ多岐に渡ります。よって今回の記事に関係するものだけに絞って、簡単に説明します。
「ミノフスキー粒子」とは?
「ミノフスキー粒子」は電波障害を引き起こすよ
▼
だから戦場に散布されると電波障害が起きて、無線やレーダーが使用不能になるよ。
誘導ミサイルなんかも使えないんだ。
▼
じゃあ機動兵器(ロボット)で近づいて、目視で斬り合うしかないね。
というもの。もちろん因果は逆で、ロボットアニメだから同一フレーム内でチャンバラして欲しい、が先。欲しい結果が先で、理由はそのためにあとで作られたもの。
ここで「ファンネル(ビット)」の話に戻ろう。
ニュータイプが脳波でコントロールするサイコミュ兵器は、このミノフスキー粒子散布の戦場を大前提にして戦ってきた『機動戦士ガンダム』終盤で登場させた、びっくり兵器。
脳波でコントロールするサイコミュ兵器は、電波障害を受けない。
誘導兵器が使えない戦場で登場した、ひとつだけ誘導ができる兵器。それがビット(ファンネル)です。誘導力が落ちない、ただひとつの掃除機。
※識者諸兄へ。サイコミュの設定自体にミノフスキー物理学が絡んできますが、本筋の理解に関係ないので省略します。
ただし、この兵器が使えるのは強い脳波をもつ、作中で「ニュータイプ」と呼ばれる特別な能力を持つ人達だけです。
ミノフスキー粒子散布下が前提の戦場において、ニュータイプ能力の軍利用という意味で大きな価値を持つのは「通信」でしょう。
ですからニュータイプ&サイコミュ兵器の組み合わせによって、電波障害の中、通信して誘導兵器をコントロールできる、というのが本来のビット(ファンネル)の第一の価値だと思います。
ニュータイプ・ララァと、モビルアーマー・エルメス
『機動戦士ガンダム』において、完全な無線でのサイコミュ兵器は、ニュータイプであるララァ・スン専用モビルアーマー・エルメスが持つ「ビット」だけです。
このララァ&エルメスが連邦軍に占領されたソロモン要塞でやっていたように、「本体は見えないのに、どこからか謎の攻撃を受けている」というのが、サイコミュ兵器の利用としては、最も理にかなっていると思います。
エルメスは指令を出す送信機の役割で、レシーバー(受信機)であるビットが攻撃を担います。
技術的に小型化が困難なせいもあって、エルメスを始めとしたサイコミュ搭載機はどれも大きく、いわゆるドッグファイト、近距離での格闘戦(作品として望まれたバトル)ができるような機体ではないし、そもそもそれを想定していません。
戦場に接近する必要はあるでしょうが、最大の役割はサイコミュの送信機。
攻撃兵器としてはビットが本体で、機体はおまけのようなものです。
ジオングに脚が必要かどうか、というのは本編内でもいじられたぐらいだが、サイコミュ送信機という観点から見れば、確かに脚は不要であって、あの技術士官の言っていることは正しい。
このあたり『機動戦士ガンダム』でのバトルの元ネタのひとつである、チャンバラや忍者物の文脈で言えば
・姿は見えないが、手裏剣や小石が自分めがけて飛んでくる
・術者は見えないが、催眠で操った人間たちをけしかけて攻撃してくる
といった敵役とのバトルになるでしょう。
今でもネットの世界では、自分で動かず他人をコントロール(扇動)して攻撃させることを指して「ファンネル」と言われることがありますが、まさしくそのような兵器です。
この種のバトル、基本的には操っている本体を探し出す駆け引きになることが多く、本体自体にそこまで戦闘力はない(あればこの手法を使う必要が無い)というのがパターン。
『機動戦士ガンダム』だと、マ・クベがまさしくそのようなタイプなのですが、ニュータイプ能力は無いので古典的な小細工のみで、むしろニュータイプという新しい存在に蹂躙される役割になっています。
第39話「早すぎる修正パッチ」
さて、これまでの話から分かる通り、エルメスやブラウ・ブロには必然的に護衛のモビルスーツが必要になることが分かりますね。
しかし、ここからが『機動戦士ガンダム』の本当に巧妙かつ周到なところ。
第39話「ニュータイプ、シャリア・ブル」において、初のサイコミュ搭載機であるブラウ・ブロは単騎で出撃して、ニュータイプとしてガンダムの性能をも上回りつつあるアムロに敗れます。
アムロが目を閉じ心眼殺法みたいなことするのが、いかにもチャンバラ、忍法文脈。
もちろん相手がアムロでなければ単騎でもやすやすと撃破されてはいないでしょう。
オールレンジ攻撃を避け、本体を察知し、そこまで近づけてしまうガンダムは、まさしく天敵といえる。あまりに相性が悪すぎる。
先ほどの忍者物の例えだと、目を閉じ心眼で「そこだ!」と隠れている本体に対して、手裏剣を投げて当てれるタイプ。
それにしても、なぜシャアは、ブラウ・ブロに護衛をつけなかったのでしょうか。
劇中のセリフを引用してみましょう。
ララァ「なぜ(シャリア・ブル)大尉だけおやりになるんです?」
シャア「律儀すぎるのだな。ブラウ・ブロのテストをしたいといってきかなかった」
ララァ「そうでしょうか?」
シャア「不服か?私はエルメスを完全にララァに合うように調整してもらわぬ限り、ララァは出撃はさせん」
シャリア・ブル、止めるの聞かず、発ったんだわ。
そして、ブラウ・ブロが撃破され、シャリア・ブルが敗死したあとのやりとり。
シャア「シャリア・ブルまで倒されたか」
ララァ「今すぐエルメスで出ればガンダムを倒せます」
シャア「あなどるな、ララァ。連邦がニュータイプを実戦に投入しているとなると、ガンダム以外にも」
ララァ「そうでしょうか?」
シャア「戦いは危険を冒してはならぬ。少なくともソロモンにいるガンダムは危険だ。それに、シャリア・ブルのことも考えてやるんだ。彼はギレン様とキシリア様の間で器用に立ち回れぬ自分を知っていた不幸な男だ。潔く死なせてやれただけでも彼にとって」
ララァ「大佐、大佐はそこまで」
シャア「ララァ、ニュータイプは万能ではない。戦争の生み出した人類の悲しい変種かもしれんのだ」
とまあ、本来ならしないであろう一騎打ちの理由を、パイロット側(シャリア)の個人的なところに落ち着けている。
さらにこの回には、ララァに関する以下のやりとりがある。
シャア「わかったのか?ララァが疲れすぎる原因が」
フラナガン「脳波を受信する電圧が多少逆流して、ララァを刺激するようです」
シャア「直せるか?」
フラナガン「今日のような長距離からのビットのコントロールが不可能になりますが?」
シャア「やむを得ん、というよりその方がよかろう。遠すぎるとかえって敵の確認がしづらい」
フラナガン「そう言っていただけると助かります。なにしろ、サイコミュが人の洞察力を増やすといっても……」
先にソロモン要塞での長距離ビット攻撃が、もっともサイコミュ兵器の有効な使い方である、と延べたが、それについて修正パッチを当ててきた。なぜなら、次の回は第40話「エルメスのララァ」。アムロのガンダムと、シャアゲルググ&エルメスが交戦する回。
見えない場所からのオールレンジ攻撃は、ブラウ・ブロ戦を見てもアムロには通用しないし、そもそもそれではミノフスキー粒子をまいてまで接近戦をやれる戦場を設定した意味がない。
アムロとシャリア・ブルとの間に、特に何もドラマが発生しなかったのは……直接的には話数短縮の影響大だろうが、逆に言えば、特にドラマ無しで終わらせるなら、あの戦いでいいわけです。
だがララァというキャラクターが背負うドラマは、それこそ話数短縮の影響もあって、より大きい。
ミノフスキー宇宙の戦場に対する、ただひとつの誘導兵器として登場させていながら、結局のところ、こうしてドラマの発生する近距離で戦闘するために外堀が、早々に埋められていく。
矛盾のように思えるかも知れないが、これで分かるのは、SFガジェット的な世界設定中の特異点兵器を描くことよりは、近距離に敵味方をおさめる分かりやすい絵面にしつつ、コクピット同士でしかない宇宙戦闘で何とかドラマを発生させることを優先している、という事実だ。
私は「ニュータイプは戦争(ロボットアニメ演出)のための道具でしかない」と度々、このブログでは書いている。
ニュータイプの使うサイコミュ兵器も、当然その例外ではない。
その最初期から、つまりブラウ・ブロ、エルメスの時から、SFガジェットとしての設定より、TVアニメとしての「劇」が描きやすい距離が優先されたことに注目してほしい。
SF的想像力は存在するが、SF的な描写は良くも悪くも最優先されない。
ベテランパイロットたちのサボタージュ
第40話「エルメスのララァ」では、さらに周到な外堀埋めが行われる。
シャアの部隊は、ホワイトベース隊の前に、連邦の戦艦マゼランやサラミスと接敵し、ララァは出撃する。シャアは護衛に2機のリックドムをつける。
シャア「ララァ、恐くはないか?」
ララァ「は、はい」
シャア「初めての実戦だ、リック・ドム2機のうしろについて援護をすればいい」
ララァ「はい」
しかし結果的に言えば、この護衛のドム2機は役割を果たさない(サボタージュする)。
ドムパイロット(バタシャム)のセリフは興味深いので引用してみましょう。
バタシャム「……エルメスのビットが?ま、まるでベテランパイロットじゃないか。あれが初めて戦いをする女のやることなのか?」
ララァ「よーし、もう1隻ぐらい、あっ!」
「あっ! ドムが援護を?」
「あっ! ドムがうしろに下がる」
「なぜあたしのうしろにつこうとするの?初めて戦いに出るあたしを前に出して」
「あたしがやるしかないの?」
「ああっ、援護がなければ集中しきれない」
シャアがゲルググで出撃し、ララァのあとを追う。

シャア「ん?どういうことだ?」
「バタシャムめ、貴様が前に出るのだろうが」
バタシャム「馬鹿言え、エルメスがいたら俺達が前に出ることはないだろ」
シャアのサポートもあり、ララァは無事に帰還する。
当然、ドムのパイロットたちは、シャアから呼び出しを受け、説明を求められる。
バタシャム「ひょっとしたらエルメスはシャア大佐のゲルググ以上でありましょう」
シャア「歴戦の勇士のお前達がそう言うとはな……」
バタシャム:「我々はニュータイプの能力というものを初めて見せられたのです。あれほどの力ならばララァ少尉はお一人でも戦闘小隊のひとつぐらいあっという間に沈められます。その事実を知った時、我々は馬鹿馬鹿しくなったのであります。ララァ少尉ほどのパイロットが現れたなら、我々凡俗などは……」
シャア「ララァに嫉妬しているのではないのか?」
バタシャム「心外であります。……いや、皆無とはいえませんが、なによりもニュータイプの実力に驚きました」
シャア「うん」
バタシャム「軍法会議も覚悟しております。が、エルメスの出る時、後衛にまわることだけは認めてください!」
シャア「できるか?少尉」
ララァ「中尉のおっしゃることはわかります」
シャア「そうしてくれ」
「中尉、いいな?」
バタシャム「は、大佐」
面白いよねこの会話。
ベテランパイロットがこう答えたのにはいくつか感情があったと思うが、大事なことは、彼らはここまで説明してきたようなサイコミュ兵器の本質を全く理解していない、ということ。
もちろん戦争末期にいきなり登場したびっくり兵器なので仕方ない部分もあるのだろうが、そもそもどういう運用がされるべき兵器なのか全く分かっていない。
シャアは理解してるはずなので、部下がここまで全く分かっていない責任は上官のシャアにある。
ただ物語として必要なのはシャアの責任どうこうではなく、ドムがエルメスの後衛に回ってもOKになったこと、そしてシャアがララァのサポートをするしかない、ということだ。
これで次回、第41話「光る宇宙」という城の外堀は完全に埋まった。
ここまで読んできた人であれば、せっかく姿を見せずに長距離誘導攻撃ができるはずのエルメスが、この回「シャアがくる」をバックに颯爽と片腕落とされたシャアゲルググを護衛に、アムロのガンダムと近距離戦をやらされることの恐ろしさが分かるだろう。
まさしく翼をもがれた状態いや、翼の折れたファンネル。
“もし私がニュータイプだったなら、ガンダムを近づけやしないのに……”
そんな大佐のつぶやきにさえ うなづけない 心がさみしいだけ
(これがやりたいだけだろ、とか言ってはいけない)
シャアはこの時点で最もニュータイプの実用性を信じ、サイコミュ兵器の意味も理解している男のひとりだが、最大の問題は、連邦に白いやつがいること。
ミノフスキー粒子が散布された戦場で、全兵器に対するアンチユニットになれるはずのエルメスに対する、ただ唯一のアンチユニット。それがアムロとガンダムの組み合わせ。
ドムパイロットの「ビット強すぎじゃん、お前一人で戦争やればいいだろ」に対する最悪の答え。
だからエルメスで近距離戦などもちろんするべきではないが、ビットの攻撃をさばきながら接近できてしまうのだから仕方がない。
シャアが護衛の役割を果たすべきだが、アムロの戦闘力はシャアをも上回り、むしろシャア守るためにビット使わされて「邪魔です」と言われる始末。
このあたりの来たるべきポイントへの周到な用意とパワーバランスの妙。
でもフラナガン機関とジオン開発者の目論見は全く間違ってないはず。
ミノフスキー粒子散布下での「通信」の保持とコントロールにこそ、ニュータイプ能力を使うというのは妥当のはず。
ただ実際は、ブラウ・ブロもエルメスもジオングも全部、アムロ(ガンダム)が叩き潰している。
研究と開発の責任者には心から同情する。
あと、ここまで外堀を丹念に埋められて、翼を折られたララァ・スンにも。
ゆるふわインド少女最強伝説
ニュータイプ能力に目覚めたものの存在と、サイコミュ兵器。
『機動戦士ガンダム』では諸事情もあって、ララァ・スンがその身に背負うことになる。
ララァはそもそも軍人ではないし、軍人として戦おうとも思っていない。
ただ出会い拾ってくれたシャアへの恩義と情愛で訓練を受け、戦場に出る。
結果として、エルメスは短時間に絶大な戦果を上げ、ベテランパイロットどころか、赤い彗星以上の存在となった。
ニュータイプ能力とサイコミュ搭載ニュータイプ専用機のおかげで、屈強なジオンのおっさん軍人より、ふわふわインド少女の方が戦場で活躍できるようになったわけで、『ガンダム』世界では最強パイロット表現に、性差と年齢は関係ないことになった。
「あたしは絶対にイングラムを否定しないんだ。あたしの筋肉だからね!」と言い切ったのは、『機動警察パトレイバー』の泉野明だが、たしかにロボットであれば女性でも戦うことができるだろう。本人の筋肉量と関係なく。いわんやサイコミュをや。
それは現在のフラットな視線から見れば「当たり前」としてしかるべきで、特に理由なくパイロットに男性も女性もいる、ということになるだろう。
実際に『機動戦士ガンダム』以降のシリーズでは、職業軍人として普通に数多くの女性パイロットが登場する。
ただその一方で、サイコミュ兵器を操るニュータイプのパイロットにはファースト以後も少女が多く、『Zガンダム』からは「強化人間」という人工ニュータイプにも少女が多く登場する。
正直に言えば、これはフラットということではなく、少女であることと、強い戦闘力(ニュータイプ能力)をもつことが、同時に求められたのだろうと思う。作品の中で、というより作品の外で。
ララァ・スンが結果としてアムロとシャアの間のファム・ファタール的な悲劇のヒロインになったとすれば、強化人間はそうなるように、まさしく人工的に作られた存在といえるだろう。
ニュータイプ能力が必要なファンネルやビットは、性差や年齢を超越した兵器ではあるけれど、それを操るニュータイプ(強化人間)に関しては、ドラマの道具立てとしてはどうしても性差や年齢は超越していないと思える。
もちろんこれはあくまで、本記事が取り扱う範囲である、何十年も前の少年主人公アニメでのお話。Twitterの反応やインタビュー記事などを読むと、今回の『水星の魔女』はいろいろと違っているようなので、楽しみにしておきたい。
ニュータイプ・ハマーンと、モビルスーツ・キュベレイ
『機動戦士ガンダム』から7年後の世界『機動戦士Zガンダム』での、ビット(ファンネル)搭載機は、キュベレイ。
いわずとしれた、ハマーン・カーンの乗機にして、アクシズ(ジオン)の象徴のような機体だ。
もともと「ファンネル」とは、キュベレイの装備する小型版ビットで、東証一部上場の無添加化粧品/サプリメントの企業とは関係なく、形が漏斗(ろうと、じょうご)に似ているから、そう名付けられた。
しかしこれ以降、同タイプの兵器は形状関係なく「ファンネル」と呼ばれることになる。
元々は形状を示していたのに、その意味が抜け落ちて呼び名だけが残った、というのは例えるなら、あれだ。あれ。我々で言うところのあれ。まさにあれみたいなものだ(この部分、このまま公開時に残っていたら何も思いつかなかったと思ってください)。
今回の話の流れとして、このキュベレイの何がすごいかといえば、キュベレイ単体でちゃんと戦えて強い、ことでしょう。
小型化にも成功してモビルスーツサイズとなり、ビームサーベルもあり近接戦闘も出来る。
パイロットであるハマーンの能力も相まって、ファンネル攻撃はもちろん、本体のモビルスーツとしても普通以上に戦える。
いわばララァとアムロの良いとこ取りのファンネル搭載機で、ジオン系開発者のガンダムへのトラウマが見えるようで面白い。
エルメスのビットには、熱核反応炉が内蔵されており、稼働時間も長く、ビームの出力も高いが、その代わりサイズが大きい。
キュベレイのファンネルは、バッテリー式でビットに比べれば、稼働時間や出力は低いが、小型化に成功した。
バッテリーがなくなったら本体に戻し充電が可能なので、現在の目で見れば、ルンバ(ロボット掃除機)の充電のようなイメージだろうか。
ファーストの頃から近距離戦を余儀なくされたサイコミュ兵器だが、ファンネルではこの仕様の変化もあり、戦闘の形式自体も最初から違っている。
忍者物の例えで言うなら、もう本体は隠れていない。
本体は見せたまま、でも見えない角度から攻撃が飛んでくる敵、みたいな感じになる。
または、攻撃方向が多数方向すぎて、対処しきれないタイプの敵。
こうなると戦闘の駆け引きは本体探しではなくなるし、分かりやすい攻略法はない。普通に強い。
さらに重要なことは、キュベレイのパイロットがハマーン・カーンであることだ。
そもそも、ファンネル搭載機をモビルスーツサイズに出来たからといって、ファンネルとモビルスーツのコントロールを両方高いレベルですること自体が困難なのであって、その意味でまさしくハマーンはモビルスーツで15勝、ファンネルで34HR、大谷翔平クラスの二刀流ユニコーンといってもいいだろう。
それだけではない。
ララァが敵であるアムロと戦場で精神的に強くつながり、それをシャアに嫉妬された上に彼をかばって命を落としたことを思い出してもらいたい。
ハマーンはララァと違い、敵対するニュータイプと接触し、互いの心が深くつながってもそれを拒絶するニュータイプだ。
ハード(モビルスーツ)、ソフト(パイロット)の両面でスキはない。
※全然褒めてない。そんなハマーンに誰がした。なあノースリーブよ。
ちなみに『Zガンダム』では、ファンネル搭載機がキュベレイ一機しか登場しないが、その持ち主がハマーンであることは興味深い。
本体(キュベレイ)とファンネルは支配・被支配の関係にある。
ハマーンの人間関係の基本がそこにあり、彼女が使うモビルスーツがファンネル搭載機なのは象徴的だ。ハマーンの象徴。(これが言いたいだけだろ、とか言ってはいけない)
また別の視点として、ファンネルがエネルギー充填のために本体にお乳を吸いに戻ることを考えれば、キュベレイとファンネルはある種の親子関係とも言うことができよう。
ハマーンはキュベレイのファンネルで四肢をぶった切って、百式をダルマ状態にしてでも、シャア(クワトロ)に自分の元に戻るように迫る。

支配・被支配の関係、さらに私が昔から提唱している「ハマーン=アクシズのシングルマザー」文脈での逃げた元亭主の首根っこを掴む視点から見ても興味深い。
まあそれでもシャアは逃げるんですが。
なぜハマーンはファンネルで勝負をつけなかったのか
『機動戦士ガンダムZZ』最終回「戦士、再び……」での、主人公ジュドーとハマーンの一騎打ちは、最終的にビームサーベルの斬り合いでジュドーが勝利する。
決着後ジュドーが、なぜもっとファンネルを使わなかったのか、と尋ねると、ハマーンは「一騎討ちと言ったろ」と答える。
実際、この戦いの勝敗自体に特に意味はないので、彼女の精神的な決着の為だけにあるはず。
だから、ハマーンがファンネルを使わず、剣での決着を望んだ、ということになるだろう。
ファンネルは被支配の兵器であくまで主体からコントロールされたものでしかないので、精神的決着にハマーン(つまり主体)の気持ちが乗らなくてどうする、つまりキュベレイが握るサーベルに意思を乗せるしか無いだろう、ということだ。
他にも、もうキュベレイのファンネル戦闘で面白い絵面も無さそうだし、ハマーンの自殺願望とか、あのオカルト空間でどうせファンネルなんかどうせ効果ないし、とか色々言えてはしまうのかも知れないが。
結局のところ、サイコミュ兵器やファンネルとしての利点を、SFガジェットや軍事的な思考で突き詰めるよりは、TVアニメーションとして同一フレーム内で接触すること(それはキャラクターの意思を直接表現すること)がここでも優先されているといえる。
ただその上で、ハマーン・カーンというキャラクターに寄り添った解釈をしてあげるなら、前作『Zガンダム』の時に、ファンネルで百式をダルマにしてもシャアに拒まれたという経験がすでに存在している、というのがひとつ。
ファンネルでモビルスーツ戦に勝利したとしても、シャアに言うことを聞かせることはできず、彼女が欲しかったものは得られなかった。
もうひとつは、アクシズの指導者として『Zガンダム』から『ガンダムZZ』まで、ミネバと彼女の信奉者をファンネルのごとく上手く操ってここまで来たが、グレミー離反と、ジュドーの抵抗もあって全ては水泡に帰した。
この期に及んで、何かを操るような方法(=ファンネル)をようやく意識的にやめたのかも知れない。まあ操るものはこの時点でファンネル以外に何も残っていないのだけど。
ハマーンはファンネルがごとく、人と人との関係も上手くコントロールし、支配する。
だからこそ彼女は「ハマーン様!ハマーン様!」と叫ぶ崇拝者に囲まれていながら、常に孤独にならざるを得なかった。
そして大事なことは、彼女の孤独を救ってくれるはずのシャアもジュドーも、けして自分の思い通りにはならない存在であることだ。
それを味わった百式ダルマ戦を踏まえた上での、ジュドーとの最終決戦で「ファンネルで決着をつけることを選ばなかったハマーン」という視点を加えると、物語の豊かさがより増すのではないだろうか。
手に入れたいものは、手に入らないもの
もうすでにファンネルの話というか、完全に単なるハマーンの話にスライドしているが、このあたりがいちばん書きたいところなので、このまま脱線を続ける。
「戦士、再び……」では最終回なので珍しくハマーンが色々と気持ちを吐露するけれど、個人的にはそこに意味があるようにはあまり思えない。
ジュドーは言う。
「そんなに人を信じられないのか!?」
「憎しみは憎しみを呼ぶだけだって、分かれ!」
「憎しみを生むもの! 憎しみを育てる血を全て吐き出せ!」
これに対して
ハマーン「吐き出すものなど……ない!」
こう突っ張るけれど、無いわけがない。
どう考えても山程ある。吐き出す相手がいないだけで。吐き出す素直さが無いだけで。ついでにいえば吐き出してどうにかなる余地もないだけで(最終回だからね)。
これを見て、この矜恃、さすがハマーン様!みたいな事は全く思えない。
決着後もジュドーが本当に欲しい答えをはぐらかすように話していて、ここのハマーンの台詞にも特に意味がある感じはしない。
むしろ、最後までやせ我慢して、この期に及んでこの人は……と思ってしまう。
要は、ここで必要なのはただひとつ。コクピットハッチを開いてジュドーの方へ飛び込んでいくことなんだけど、もちろんハマーンにはそれが出来ない。
実際に前話「バイブレーション」でクインマンサのプルツーがそれをやっている。
ハマーンのシャドウたる子供のプルとプルツーは出来た。
だけどハマーン本人にはそれが出来ない。年齢も立場もプライドも己が今までやってきた事も全てひっくるめて出来ない。
結果的にジュドーとは逆方向に彼女は飛んで、そして自ら命を絶つことになる。
敗北したキュベレイと同じくダルマ状態にされた百式で、クワトロが池シャアシャア(池田秀一とシャアにしか使えない特殊表現)と生き残った事に比べれば、大変潔い。あまりに潔すぎる。
色々都合よく始末をつけすぎるのは、ジュドーが木星にいくのと同じで、制作も決まった映画『逆襲のシャア』の下準備という側面もあるけれど。

有名なシャアと少女時代のハマーンとの写真。
どれだけ意図されたものかは分からないが、意図のあるなしとは無関係に私はよくできた写真だと思ってるんですよ。
シャアより7歳下でこの時まだ少女であるハマーンだが、年上の男性であるシャアの胸に自分を預けるのではなく、背伸びしてでもシャアと同じ高さ、目線で映ろうとしている。
シャアをパートナーと考えていたハマーンにとって「対等」である事は重要だったのではないか。
だからこそシャアと対立し、ハマーンを政治と戦争に担ぎ出した張本人であるシャアは逃げ出す。
(ララァは戦いをする人ではなかったのに、誰かが戦場へ連れ出したことを思い出して欲しい)
シャアは子供の、いや女性(といった方がよいか?)に合わせて頭(目線)は下げてくれない。
だからこそジュドーとの関係で必要だったのは、ハマーンがジュドーの目線に合わせることなんだけど、最後の最後まで出来ない。
ジュドーは14歳の子供。それでも10歳のプルとプルツーなら飛び込める彼の元へ、ハマーンは最後まで行けない。
シャアの時と同じく私の所へ来いとは言うのだが、もちろん失敗する。
(勘違いするような人などいないと思いますがこれ、行けないのが悪いという話ではないですよ)
少女時代を捧げたのに逃げられた年上のシャア(追いかけて包丁突きつけても拒否される)。
そのシャアと似ている男をやっと見つけたと思ったら、年下の14歳。まっすぐな魂をもっていて、ハマーンの心に土足で踏み込まずにストレートに言葉で気持ちをぶつけてくる。好ましく強い子だ。だけど悩ましい。
最後の「強い子に会えて……」の気持ちに嘘は無いと思うが、自分がシャアと同世代だったらと思ったように、ジュドーが自分と同世代だったら……と思わずにはいられなかったのでは。
年下のジュドーに対して素直になれない自分である以上は。
サーカスの子供がたった一人、ガラスのロープを目隠しで渡るんじゃない。
結局どれだけ多くのものを支配下においても、本当に手に入れたいものは、自分ごときに支配などされないもので、恐らくそれだけが彼女と対等の関係を結び、孤独から解放する存在。
だけど彼女はその相手と関係を結び、維持する方法を知らない。最後まで。
それがハマーン・カーンというキャラクターです。
個人的には、無理やりでも目線を対等に持っていこうとするハマーンを好ましく思っています。
改良型ハマーンであるナナイの方が、シャアから見てかわいげがあるのだろうけど、個人的にはハマーンの方がいいですね。(これも勘違いのないように書けば、劇場用に用意されたキャラクターとしてはナナイで問題ない)
『逆襲のシャア』でのファンネルvsファンネル
さて。シャアが絡む話になるといつも脱線するが、本筋の「ファンネル」の話に戻す。
ともかくキュベレイとハマーンの組み合わせは、エルメス路線での本来の意味でのサイコミュ兵器運用とは別で、キュベレイがその後のファンネル搭載兵器のひとつのスタンダードになる。
もちろんエルメス路線も、ここまで説明した通り、護衛ドムのサボタージュや役に立たない護衛(シャア)など丁寧に下ごしらえした上で、エルメスとガンダムのドッグファイト状態にしたわけで、結局は「あんた達、同じフレーム内で戦闘しなさいよ!めんどくさいのよ!」という話ではあるんだろうけど。
そして映画『逆襲のシャア』では、シャアとアムロがモビルスーツ本体で戦闘しながら、ファンネル戦闘するにまで至る。
ザザビーとνガンダムのファンネルが飛び回りながら、絡み合いながら、くんずほぐれつ、くんずほぐれつ。
まあいやらしいったらない。
作画、演出的にもまさしく劇場版の豪華さで、νガンダムvsサザビーこそ達人同士の忍術合戦。戦闘の全プロセスに白土三平調のナレーションを入れて解説できるはず。
チャンバラと忍術がベースになっているのは、はっきりいえば制作者の世代によるところが大きいとは思う。静と動のメリハリがあってアニメ向きというのもあるのかも知れないけど。
富野由悠季作品としてのファンネル演出は、この作品がひとつの到達点で、以降は別の工夫が必要になるフェイズに入ったんだろうと思います。
その工夫は、他の監督たちが模索していくことになり、恐らくその先に『水星の魔女』でのいきなり主人公機がファンネル、にもつながっていくのでしょう。
挑戦者たちの勇気がファンネルの未来を開くと信じて……!
ご愛読ありがとうございました。
まとめ、もしくはあとがき
先行している総論的な記事(あでのいさん)がある以上、そうではない記事を書くことを意識したというのはあります。
が、結局いつもの、シャアとハマーン大好きっ子(ラジオネーム)さんからのお便りになってしまった……。だが私は後悔していないし、謝らない。
ちなみにハマーンのところは、昔のハマーン&シャアツイートなども加えて、さらにボリュームを増やそうと思っていましたが、ファンネル部分だけでも想定より分量が増えてしまったのでカロリミットして、また別記事で書くことにしました。
シャアとハマーン大好きっ子(ラジオネーム)さんからのお便りをまたお待ち下さい。
ファンネル(ビット)に関していえば、結局のところ『ガンダム』最初期から、兵器の特性よりはTVアニメでドラマを組むことを優先されているわけです。そこが富野由悠季らしく、個人的にはドラマ重視で好みではあるのですが、それは当時の制作者としてのひとつの選択であって、単純にそれが正しいわけでもなければ、悪いわけでもありません。
ただ、制作者が変われば、時代が変われば、表現技術が変われば、他にもさまざまな表現ができるロボットアニメバトルのすばらしい道具であることは間違いなく、実際他のいろいろなガンダム作品で工夫と活用がされてきました。
ファンネルの面白い表現や演出にこれからも期待したいと思います。
とりあえず私は、この記事をまとめるまでは、思考がとっちらかってファンネル制御の思念波に乱れが生じる恐れがあるため視聴を控えた、水星狸合戦ぽんぽこ、こと『機動戦士ガンダム 水星の魔女』を楽しみに見てみようかと思います。
それではまたお会いしましょう。
関連記事紹介コーナー
では最後に、このブログで過去に書いた記事から、関連あるものを紹介して終わりにします。
僕達は分かり合えないから、それを分かり合う。<『機動戦士ガンダム』シャアとハマーンのニュータイプ因果論>
ニュータイプの因果の中心に関わったシャア・アズナブルと、ハマーン・カーンを中心にした話。
基本的にSFガジェットであり、また人によってはニューエイジの影響といわれる「ニュータイプ」だが、結局のところその方面で強化されることはなく、人間ドラマ上の道具でしかなっていない(それが私の好きなところ)。そしてそれはシャア・アズナブルという男のささいな嫉妬から始まり、それがハマーンがカミーユを拒絶する瞬間に結実する。映像の世紀、バタフライエフェクト。
空虚なハマーン・カーンを救うことは可能か<『機動戦士ガンダムZZ』感想戦>
ハマーン・カーンのキャラクターについてと、彼女を救済する可能性について検討しています。「救済」というものがどういう意味を指すかは、ぜひ記事をご覧ください。
お、おま、ファンネルじゃなくて、ハマーン関連記事ばっかりじゃねーかとお嘆きの諸兄。
そのとおりです。
サザビーのサーベルはνガンダムを切り裂いたか <『逆襲のシャア』 νガンダムvsサザビー戦のルール>
ファンネルにだけ注目したわけでないですが、本記事でも触れた、マスターニンジャであるサザビーとνガンダムの戦闘についての記事です。どのようにこの戦いの目的が設定されているか、が主題でしょうか。
スペックや武装なども細かく設定されており、ファンはミリタリー的な楽しみ方をすることが出来ます。
プラモデルもかつてその要素を取り入れて発展しましたし、現在でもネットでは「どのガンダムが最強か」などの議論が発生し、検証するためにミリタリー的な見地が持ち込まれたりもします。
私は残念ながら、プラモデルも買いませんし、ミリタリー的な知識も素養もないので、そういう対象としてのモビルスーツには全く興味がありません。
興味があるのはやはり、物語内に登場する「キャラクター」としてのモビルスーツということになります。
フィクションに登場させるためにつくられた架空兵器なのですから、登場人物(キャラクター)と同じように、当然そこには登場させる意図と、物語上で果たすべき役割があるはずです。
機械であり兵器であるモビルスーツを、どうすれば物語中で「キャラクター」にできるのでしょうか。
今回は、いくつかのサンプルをもとにあれこれ雑多に考えてみましょう。
(いつもどおり、当然いろいろ脱線します)
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『ガンダム』シリーズに、主役ロボット「ガンダム」が登場する意味とは
先日とあるきっかけで、『機動戦士ガンダム』シリーズにおいて主役ロボットが「ガンダム」である意味についてツイート連投しました。
一連の流れに関しては、あでのいさん(@adenoi_today)が、Togetterでまとめてくださいましたので、ぜひご覧ください。私はともかく様々な方の発言が集まっており、興味深いものになっていると思います。
ガンダムが「ガンダム」である意味
http://togetter.com/li/630810
詳細は読んで頂くのが良いですが、私のパートは基本的に『機動戦士Zガンダム』についてのもの。
簡単にまとめると以下のような感じになります。
(1)「ガンダム」の名を継いだ主役機ガンダムMk-IIが、突出した性能を持たないのは「7年後の世界」の現状認知としては普通のこと。
(2)Mk-IIは「ガンダム」の顔と名前を利用しているだけのガンダム。
(3)Mk-IIに限らず『機動戦士ガンダム』以降のガンダムは、全てガンダムのフェイク(偽物)。
(4)Mk-IIに対してのZガンダムの価値は「父から与えられたガンダム」ではなく、カミーユが開発に関わったこと。
『機動戦士ガンダム』以降のシリーズでのガンダムが、いかに「ガンダム伝説」を利用したフェイクであるか、というのは『ガンダムF91』『Vガンダム』を中心に、あでのいさんが語ってくださっています。
私は『機動戦士Zガンダム』をリアルタイムで見ていた子供のひとりでしたが、ガンダムMk-IIが主役機にふさわしい強いロボットであると思ったことはありません。
これは私や周りの友人を含めた当時の子供の共通認識だった思います。
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確かにガンダムMk-IIは、初代ガンダムのようにスペシャルなロボットではなく、普通のロボットに過ぎませんが、『Zガンダム』において、それが間違っているとは思いません。
作品上の必然から来る「偽物のガンダム」という微妙なポジションのキャラクターをきちんと果たしています。
無論すべてが上手く表現できているとは思いませんが、意味なくMk-IIがああいうモビルスーツになったのでは無いのは確かだと思います。
まあ、そもそもタイトルが二代目主役機の名を冠した『機動戦士Zガンダム』でしたしね。
同じように二代目機が登場する『ザブングル』『ダンバイン』『エルガイム』はタイトルが初代主役機名になっていました。
その番組名を冠した正真正銘の主役機「Zガンダム」については、Twitterで興味深い情報を知ることができました。
「カミーユはその力を表現してくれるマシーンに乗っている」「Zガンダムにね」
カミーユとZガンダムの関係については、ZガンダムのLDライナーで庵野さんが富野さんにインタビューしていた時の、ロダンとカミーユ・クローデルの関係から紐解くのが一つのセオリーなんだろうなぁ。
— おはぎ (@ohagi23) 2014, 2月 16
『Zガンダム』の主人公カミーユ・ビダンのモデルが、彫刻家カミーユ・クローデルであることは有名ですが、ロダンとクローデルとの関係と「Zガンダム」という機体とカミーユとの関係との関連というのは初耳でした。
そこで早速、LDライナーのインタビューについて検索してみると、さすが!ひびのたわごとさんが紹介してくださっていました。関連箇所だけ引用させて頂きます。
ZガンダムLDライナー富野インタビューby庵野
http://dargol.blog3.fc2.com/blog-entry-3937.html
庵野:カミーユ・クローデルって、その後映画にもなりましたけど、その頃は誰も名前知らない人ですよね。半生を精神病院で過ごした女性(ひと)で。カミーユも最終回で精神をやられちゃいましたが、それもクローデルに影響を受けて?
富野:もちろんです。あの時は「エルガイム」の反動で本能的にクローデルみたいな人をモデルにしたんだけど、今ならうまく説明できる。カミーユ・クローデルにとっての師ロダンの位置づけが、カミーユ・ビダンにとってのZガンダムだってっていう。その構造が僕にとって一番シンプルにとらえられる。クローデルとロダンの関係というのは、愛人関係でありながら、じつはロダンの半分くらいの作品を彼女が作ってたんじゃないかという。でも世間的には、クローデルの作品もロダンが作ったんだと見なされて、失意の中で彼女は精神をやられる。反対にロダンという人はそのおかげで美術史に残っていったわけ。でもひとりの人間として考えると、ロダンが自分ひとりで成立していったかといえば決してそうではない。クローデルみたいな人もいたんじゃないか。と同じように、ガンダムだけで「ガンダム」が出来るわけではない。要するに「表現される人と物の関係」を、クローデルとロダンの関係は象徴的に表しているサンプルだったんです。だからカミーユに惚れこんじゃた。
インタビュー読むと色々連想されて面白いですね。
例えばベルトーチカに「アムロにガンダムを譲れ」と言われたこと。
つまりこれは、アムロが乗ってないと『機動戦士ガンダム』じゃないでしょ?ということですよね。
だがカミーユは、アムロにガンダムパイロットの座を譲らなかった。
あとは、エマさんによる「私の命を吸って」問題。
エマは最終回「宇宙を駆ける」で、Zガンダムは人の意思を吸い込んで、自分の「力」にできるとカミーユに伝えています。だから、死にゆく私の命を吸って、とカミーユに頼み、そして死んでいく。
Zガンダムが持つ「力」というのは、同じく最終回シロッコ戦で、フォウとロザミアも語っています。
フォウ「カミーユはその力を表現してくれるマシーンに乗っている」
ロザミア「Zガンダムにね」
エマもフォウも、Zガンダムというマシンにその「力」があると言っています。カミーユではなく。
もちろん、アポリーの乗ったZガンダムに同じことが出来るかといえば、出来ないでしょう。
ですが、やはりこれは「ガンダム」の力なんでしょう。ただし、それには人の命とマシンとをつなぐ、霊媒体質のパイロットを必要とする。
そう考えるとカミーユは、神に捧げられた人身御供の巫女(というとカミーユに殴られるけど)だよね。
自分自身のというより、多くの人の意思を背負って、神にその願いを伝える役割。
そしてエマは、カミーユに与えられたのがその役割であることを、最終回で告げる役だよね。
エマは「命を吸って、力にして、戦いを終わらせなさい」と言います。
それはエマさんらしい正しさに則った言葉です。姉として最後の励ましでもあります。はっぱかけたげる、さあカタつけてよ!です。最終回にふさわしい正論といってもいい。
でも、カミーユはここまで来るまでに、死んだ多くの人たちの命を吸ってきています。背負う荷物はもう限界ギリギリです。そこにさらにひとつ荷物を載せて、さらにここまで誰も直接本人には言ってなかったのに、カミーユが最後にすべき事を具体的に伝えてしまう。
繰り返すが、エマさんの言うことは正しい。
作劇上も、最終回冒頭でラストのために、あらかじめこれを言っておくのは正しいと思う。
でも残酷だ。正しいが残酷だ。カミーユはエマに言われたとおりのことをして『Zガンダム』は終わる。
『機動戦士ガンダム』いう作品がなければ『機動戦士Zガンダム』は当然生まれなかったし、カミーユも「ガンダム」によって生み出されたキャラクターです。
相田みつをに言わせれば「Zガンダムはねぇ カミーユのために この世に生まれてきたのでないんだよ Zガンダムがさき カミーユはあと」。
主人公としてガンダムに乗り、多くの人を殺し、多くの人を殺され、そして1年でその主役を降り、翌年に始まる『機動戦士ガンダムZZ』への道をつくって、主役をジュドーに譲りました。
まさしく「ガンダム」のために生まれ、命を使ったキャラクターだったな、と思います。
これを考えると『ガンダムF91』で、カロッゾ・ロナが「人をいっぱい殺しなさい」と言われて、鉄仮面をかぶり、自らを強化改造して、マシン(ガンダム)に近づいていったというのが面白いよね。
バグを使った虐殺を、カロッゾが「誰も良心を痛める事のない良い計画」と言う意味が分かるというか、カミーユみたいに人の命を吸いたくなければ、ああいうのを使うしかないかも知れない。
『逆襲のシャア』終盤でも、ナナイが「大佐の命が、吸われていきます……」と語っていましたが、「ガンダム」というコンテンツがこれまでにどれだけの人の命を吸ってきたのでしょうか。
これからも吸い続けるでしょう。
MAは城、MAは石垣、MAは堀、情けは味方、仇は敵なり
ティターンズは、ガンダムMk-IIを奪われたあとも、サイコガンダムというモンスターのようなフェイクガンダムを開発しています。
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パイロットは、ニュータイプのフェイクである強化人間のフォウ・ムラサメ。
名前も記憶も何も持っていないフォウは、それを取り戻そうと巨大なモビルスーツ・サイコガンダムに乗り込み戦います。
ガンダムの強化人間少女たちは、少女たちのイメージとは真逆な、巨大で暴力的なマシンに乗り込むことが多いですね。例えばこんなメンバー。
・サイコガンダムのフォウ・ムラサメ
・サイコガンダムMk-IIのロザミア・バダム / プルツー
・クィン・マンサのプルツー
・α・アジールのクェス・パラヤ
並べてみただけで恐ろしいラインナップですね。
以前書いたことがありますが、これら巨大なモビルアーマーはその名のとおり彼女たちの心の「鎧」いや、彼女たちが囚われている心の「城」です。
思春期の少女たちは、それぞれの理由で不安定。
アイデンティティに悩み、自意識が肥大した少女ほど、その「城」は堅牢巨大な要塞となります。
モビルアーマーの巨体は、触るものみな傷つける不器用なギザギザハートの現れであるかも知れず、少し動いただけで世界とそれと同時に中に囚われた少女自身を傷つけてしまいます。
これらのモビルアーマーは全て拡散メガ粒子砲を持ち、ビームを四方八方肘鉄砲にまき散らしながら大暴れしますが、これはつまり少女の大号泣です。
女の子が泣きじゃくっているわけです。他傷・自傷行為しながら、ぎゃんぎゃん泣きじゃくっているわけです。めちゃんこかわいいね!(崩れゆく街並み)
『イデオン』の全方位ミサイルみたいなのと同様に、兵器による感情の発露ですね。
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モビルアーマーに籠城している彼女たちを解放するために、ガンダムの主人公たちは攻城戦に挑みます。
城攻めの方法として、暴力で屈服させようと言う人もいますが、やはり接触して(体をくっつけて)話しかけて、落ち着かせるべきでしょう。
しかし、カミーユやハサウェイを見て分かるように城門を開かせる(コクピットを開かせる)のは容易ではありません。
カミーユは結局、サイコガンダムがジェリドのバイアランの攻撃から庇ったことでフォウを失っています。
エルメスに庇われてララァを失ったシャアと同じような体験をしたわけですが、エルメスならともかく人型のサイコガンダムがなぜコクピットのある頭部で庇って一撃で死ななければならないのか、ということはよく言われますね。
またサイコガンダムMk-IIのロザミアの場合では、「かわいそうだが、直撃させる!」のセリフと共にカミーユ自身が葬り去っています。
こちらは「殺す側」という意味では、アムロがララァを殺してしまったのと同じような体験といえます。
カミーユはこのとき頭部コクピットを一撃で撃ちぬいていますが、フォウを同じように頭部への一撃で失った体験が、この見事な射撃につながっているのだとしたら、こんなにやるせなく、不条理なことはないと思います。
一方、ジュドーは攻城戦が巧みで、終盤でもクィン・マンサのコクピットを開けさせたことが、グレミー・トト直接の敗因にもなっています。
(結果的に、少女を救い切れてないのがやるせないところなのですが)
以上、メガ粒子が乱舞する巨大モビルアーマー戦は「号泣少女とそれに困る男子」のアングルで見るとより楽しいよ、というお話でした。かわいいね!(廃墟の中で)
もちろん作品の性質上、搭乗するモビルアーマーが先に決定しているような場合の方が多いのではないかと思います。
ただ、このような巨大で暴力的でバカげたマシンにどのような人物をパイロットとして乗せるのがふさわしいのか、ということを考えたとき、極めて精神的に不安定な少女たちが選ばれたのは組み合わせの妙を感じます。慧眼と言うほかないですね。
単なる兵器であるモビルアーマーが、強化人間の少女たちを得ることで、ひとつのキャラクターとなり、私達に強烈な印象を残すものになったのですから。
ちなみにこの流れで見たときに『ガンダムF91』で、モビルアーマー「ラフレシア」に搭乗するのが、ベラ・ロナ(セシリー)ではなく、その父カロッゾ・ロナ(鉄仮面)であることがやっぱり面白いよね。モビルアーマーにふさわしい精神的に不安定なパイロットは娘ではなく、自らを強化人間の手術を受けた父の方だという。
アムロとシャア、2人の初めての共同作業です
号泣少女のひとりであるクェス・パラヤのα・アジールが登場する『逆襲のシャア』。
主役となるモビルスーツは、もちろんアムロ・レイの乗機、νガンダムです。
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ガンダム以降のガンダムは全てフェイクと述べましたが、それでもこのνガンダムに関しては、単なるフェイクとは呼べないものを感じます。
それはなぜかと考えてみると、やはりνガンダムが「アムロとシャアの子供」だからではないでしょうか。
νガンダムは、パイロットとなるアムロ・レイ本人による設計と、そのアムロと互角の決着をつけたいと望んだシャアによる技術提供によって生まれたモビルスーツです。
ガンダムのマスクと名前を持ち、ジオン系技術であるサイコミュ兵器を搭載したモビルスーツであり、アムロとシャア、2人の遺伝子を使った愛の結晶と言ってもいいでしょう。
そしてνガンダムという肉体の誕生に、アムロとシャアの2人が関わっていたことは『逆襲のシャア』ラストに形となって現れてきます。
物語の終盤、大破したサザビーから射出された脱出コクピットを、アムロのνガンダムはトリもちで捕らえて手につかみます。(よくサイズがおかしいと突っ込まれる丸いボールです)
この「トリもち」というものを媒介にして、νガンダムの手と脱出コクピット(もちろんシャア大佐入り)がくっついて、一体となることがとても面白い。
このトリもちで、アムロとシャアはもう離れられない関係になってしまったわけです。
そう、まさに最後の瞬間まで。
実利的なことをいえば、トリもちはアムロとシャアを一体化して通信状態を保つ言い訳でもあるし、ネオジオン兵によるシャア奪還とアクシズを押す無防備なνガンダムの撃破を不可能にする言い訳でもあるでしょう。
シャアの命を見捨てればνガンダムは倒せるでしょうけど、アクシズ落下の状態でそれをやる意味は特に無いだろうし、この映画でそれができる唯一の存在ギュネイはもう死んでいる。
さて、トリもちで脱出コクピット(シャア)とνガンダム(アムロ)が文字どおり一体化して、三位一体、一心同体三銃士となったことで、どうなったのか。
肉体(νガンダム)に対し、心(アムロとシャア)が2つになりました。この2つの心は口論を始めます。
心の中にいる天使と悪魔のケンカのようなものですね。
体のコントロール権はアムロにあるので、νガンダムはアクシズを押し始めるのですが、その最中もずっとνガンダムの肉体の中で、2つの人格がせめぎ合います。
シャア「ふふふふ、ははははっ」
アムロ「何を笑ってるんだ?」
シャア「私の勝ちだな。今計算してみたが、アクシズの後部は地球の引力に引かれて落ちる。貴様らの頑張りすぎだ」
アムロ「ふざけるな。たかが石っころひとつ、ガンダムで押し出してやる」
シャア「馬鹿な事はやめろ」
アムロ「やってみなければわからん」
シャア「正気か?」
アムロ「貴様ほど急ぎすぎもしなければ、人類に絶望もしちゃいない」
シャア「うわああっ……アクシズの落下は始まっているんだぞ」
アムロ「νガンダムは伊達じゃない」
シャア「結局、遅かれ早かれこんな悲しみだけが広がって地球を押しつぶすのだ。ならば人類は、自分の手で自分を裁いて自然に対し、地球に対して贖罪しなければならん。アムロ、なんでこれがわからん」
元々『逆襲のシャア』は、人類に対する絶望と希望が、シャアとアムロの2人のキャラクターに別れて、争い合うような作品(永井豪ちゃん的作品理解)です。
そう考えると、この2人の最終状態が、アムロ&シャア in ガンダム(from L.A.)というのは興味深いですね。(from L.A.=ロンドベルとアクシズから来た2人の意)
作劇上、人格を分離して配役した2人のキャラクターが、最終的に2人が生んだガンダムの中でまたひとつに統合されたかのようです。この状態は、富野監督個人が強く持っている二律背反状態に形の上でもより近づいたとも言えるかも知れない。
すぐに全ては光の中に消えていくのだけれど。
個人的にはこのようなことを感じているので、νガンダムは単なる主役モビルスーツというより、おはようからおやすみまで、いや、誕生から消滅まで、アムロとシャアの因縁を象徴するキャラクターとして大変優れていると思っています。
今回は「キャラクターとしてのモビルスーツ」をテーマにお送りしたように見えましたが、実際のところ、Twitterでのツイートリサイクルまとめです。
観念的な部分が多くて、自分で書きながら自分であまり好みじゃなかったりしますが、Twitterだと、思いついた順に適当にツイートするんでそうなりがちなんですよね。
ですから今回の話は、全部本気で書いているというよりは、半分くらいは「まあ、こじつけるのも一種の芸か」と思いながらやっているところもあります。
ただ「キャラクターとして演出されたモビルスーツ」にこそ魅力を感じているのは本当のことですし、「ロボットによる感情の発露」は、ガンダムに限らない富野作品の特徴のひとつなので、いつかちゃんとやってみたいですね。
ともあれ、もう少し具体的な話が好みなので、そうなるように生きていきたいと思います。
僕は僕に。君は君に。拝み倒して泣けばいい、いや笑えりゃいい。
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ゲームが好きだと耳元で言った、そんなヒロシにだまされたと思って、ご覧ください。
(読んでから、ほとんどが妄想で実体のあるゲームの話がないことに、だまされたと思うことでしょう)
例によって長文なのですが、ネタやゲームアイデアが主なので全て読むことはあまり想定していません。
面白そうなブロックだけ読んでいただければ結構です。
面白い部分が見つからないという方には「こんな長いのに読むとこ無いってある意味爆笑エントリだな」と笑うことで、笑顔でページを去ることができるというライフハックをお教えしておきます。
それではまず、実体のあるゲームの話題から。
『スカイリム』のスカイ無理な話
『スカイリム (The Elder Scrolls V: Skyrim)』って知ってるかい?
少し前に発売されて、ゲーム好きの間でイキに暴れまわってたって言うぜ。
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そんな噂の『スカイリム』は、海外の人気ゲームシリーズ最新作で、オープンワールド・アクションRPG。
私は『スカイリム』の前作『オブリビオン』の話を聞いてこのシリーズに興味を持ちましたが、どちらもプレイしたことも見たこともありません。
どっち(スカイリム)もどっち(オブリビオン)も。どっちもどっちも!
そんな中、とある情報筋から友人が『スカイリム』をプレイしていると聞き、たまらないぜハニハニな我々取材班は、どんなゲームか見せてもらうことにしました。
……うーむ、確かに体中にビートが駆け巡るほどすごいゲームだ。
友人が発売日にゲット・イン・ストレートしたのもうなずける。
(もう言いたいだけの意味ゼロで進行しているテキスト)
友人がプレイしながら、あんなこともできるこんなこともできると説明してくれた。
海外のゲームらしくさまざまな自由がユーザーに任されている。
ただこのとき、友人がひとつの例として見せてくれたのが、シェフのきまぐれ村人大虐殺などのグランド・セフト・オート的社会的逸脱だった。
構築したひとつの世界の中で遊ぶオープンワールド型ゲームでは、箱庭の中でやりたい放題して遊ぶことになるわけだが、自由を保証するということは社会ルールからの逸脱の自由も保証することになる。
となると、ゲームの主人公は社会のモラルやルールを無視できる存在であることが望ましい。
それはつまり犯罪者やチンピラだったり、軍人だったり、文明レベルが低い(例えば古代・中世の)人間だったりするだろう。
私が初めてこういうタイプのゲームのひとつである『グランド・セフト・オート3』を遊んだときに感動したのは、街の中で自動車泥棒も暴力も殺人も自由であることではなく、主人公がどうしようもなく犯罪者でチンピラであることだった。マフィアの命令で簡単に人殺しもするような人間。
だがそれこそが必要で、プレーヤーキャラが社会ルールを守らないチンピラであることで、初めて私は自由にプレイができた気がする。
もちろん、ひとつの世界を構築した箱庭世界だからこそ、現実と同じく法の逸脱に対するペナルティもある。
『スカイリム』でも警備兵(警察)が止めに来ていたが、友人はそれすらも惨殺して馬を盗み最後はゲハハと尸良さんのように笑いながら逃亡していった。
それを見ていたらだんだん気分が荒んできて、心のバランスを取ろうとしているのか、発作のような衝動が湧きおこってきた。
友人「……こんな感じで冒険や成長や犯罪とか、いろいろ自由なんだよ」
私「確かにすごい。すごいよ。けど、今はとにかく、いいことがしてえ。とにかくいいことがしてえ。そして極楽浄土さ行きてえ」
友人「は?」
私「だから、ぎゃあてえ、ぎゃあてえ、はらぎゃあてえ的なことがしたいんだよね」
友人「例えば?」
私「こんなに自由ということは、陣痛の妊婦を病院に運んだり、老婆をおんぶして歩道橋渡ったりできるよね?子供たちにも夢を与えられるよね?学校を建設したり、靴磨きの黒人の少年にトランペット買ってあげたり。で、その少年が成長して世界的なジャズミュージシャンになるよね?」
友人「いや、さすがにそういうのは……。あ、ほら、ドラゴンが飛んできた」
私「ドラゴンなんかどうでもいいよ。ネコは?どしゃ降りの雨の中で捨てネコが拾いてえ。しこたま拾いてえ。両脇にかかえてえ」
友人「(私を無視し、ドラゴンと戦闘を始める)」
私は特別善人というわけでもありませんから、純粋に地獄を見たので、心が渇き、戦いに飽きたというだけのことなんでしょう
PC版『スカイリム』だと、MOD(改造データ)を用いて、世界そのものを改造する自由度がありますから、そんな「やさしい世界」も実現できるのかも知れません。こういうゲームでの本当の自由度とは、こういうレベルにも介入できることを言うんでしょうしね。
そういえば「やさしい世界」で思い出したゲームがひとつあります。ゲームといっても別の友人が昔考えたゲームアイデア(ネタ)です。
10年以上前のネタですが、私はすごく気に入り、今でも憶えています。これを紹介しましょう。
おいでよ!やさしさの森
『スカイリム』見ながら「やさしい世界」を連想して思い出したのは、こんなゲームです。
・あなた(プレイヤー)は森に迷い込みました。
・すると森の動物たちが現れ、あなたを「やさしさ」で攻撃してきます。
・あなたが「やさしさ」を受け入れると、HP(生命力)が減ってしまいます。
・HPがゼロになってしまったら、ゲームオーバーです。
・さあ、はたして無事に森を脱出できるでしょうか?
メルヘンチックで分かりやすい設定ですね。
しかし敵……というか動物たちがしてくる「やさしさ」攻撃って、どういうものなんでしょうか?
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森の動物たちは、あなたに、笑顔であいさつし、イスにお座りよといい、くだものをすすめたり……つまり「やさしさ」で攻撃してきます。
これを受け入れると、HPが減っていきますので、あいさつは無視し、イスは蹴飛ばし、くだものは足で踏み潰す必要があります。
プレイヤーが「やさしさ」を拒絶しても、恐ろしいことに森の動物達は無限の愛で「やさしさ」攻撃してきます。
夜の森で動くのは危ないからと、木の葉をいっぱい集めてつくったふかふかのベットを用意してくれます。
間違った方向へ進んでいるあなたの前に出て、「こっちは危ない。森の出口はあっちだよ」と指さします。
何もあげられるものがないウサギさんは、自ら焚き火に飛び込みます。
これらの「やさしさ」を振り払い、森から脱出できたらクリアーです。
面が進むと、「やさしさ」は増していきますが、屈してはいけません。踏みにじりましょう。
すごく簡単なゲームですよね。
この「やさしさの森脱出ゲーム」を、『スカイリム』や『グランド・セフト・オート』のようなオープンワールド型のゲームでやってみたいですね。
箱庭世界でやりたい放題なゲームが好きな人にはぴったりです。
世界はあなたに無限にやさしいが、それを拒絶できる人はゲームオーバーにならないはずですから。
うっかり屋さんの私は、恐らく「何か」を撃つために持ってきた銃をどこかに落としてしまい、それを対象いや住人に親切に拾って届けてもらうでしょう。
会釈しながら銃を受け取って「あー、どうもどうも。すいません……あ!」で、ゲームオーバーです。
『火の鳥<鳳凰編>』を今、ゲーム化するとこんな感じになるかも知れない。主題歌は渡辺典子の愛したら火の鳥のままで。シルバーウィーン。
もしくは「やさしさ」攻撃を、ストレートに主題にすえれば、母性社会のやさしさを振り払って脱出するゲームに仕立てられるかも知れない。
それにしても『スカイリム』。噂通りのすごいゲームだったが、子供たちに夢を見させる自由さえないゲームとはなんて不自由なゲームなんだ、と思いつつ、村人の虐殺遊びをやらせてもらった。うわ。なにこれ。楽しい。
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宇宙船のエネルギーコントロール問題
昔、ニンテンドーDSの『無限航路』という宇宙戦艦RPGを遊んだのだけど、途中でリタイアしてしまいました。
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宇宙船の内装エディットなど新しい要素が目立ちましたが、ゲームの基幹部分はかなりクラシック。
個人的には戦闘の魅力が乏しかったのが大きかったです。3すくみというか後出しじゃんけんみたいな感じでしたが、コンピューター相手に延々それするなら、友達と普通にじゃんけんした方が楽しいんじゃないかな、と私は思っているので。
ゲーム全体に対して思いますが、3すくみ入れると確かに簡単に駆け引きっぽくはなります。ですがそれは、じゃんけんのすばらしさであって、そのゲームのすばらしさではない。安易な3すくみや属性は好きになれません。
もちろん途中でやめてしまったので、このゲームの魅力の全てを体験できたわけではないでしょう。
ただ要素がいくつか加わるとしても根本的にあまり好みではありませんでした。
ストーリーがよいというお話も聞きますが、私はゲームシステムにお金を払う意識が強い人間なので、ストーリーのために我慢してゲームを続けるということをあまりしません。
個人的な好みではなかったとはいえ『無限航路』も移動を前後だけにしたり、回復と資金稼ぎを省略していたり、かなり割り切った工夫をいろいろしていました。そうした方向性は正しいと思います。
宇宙戦闘は思い切って単純化したり、ある要素だけクローズアップ(強調)する方がポイントが絞れて良いと思います。
個人的には昔から「エネルギーコントロール」だけに駆け引きを集約する宇宙船ゲームはどうかな、と考えていましたので、いつものように妄想を書き散らしてみましょう。
【ゲームの概要】
あなたは宇宙船(宇宙戦艦)の船長(艦長)です。
宇宙船に乗って、宇宙を旅したり、戦闘したりします。
でも、あなたの宇宙船の動力炉(エンジン)でつくられるエネルギー量は決まっています。
移動にも、ワープにも、ビーム砲にもバリアーにも、船内の空調や生命維持装置にも、何でもエネルギーは必要です。
あなたは艦長としてその場の状況に応じて、適切にエネルギーを使えるでしょうか?
このゲームは「限られたエネルギー量をどう使えばいいか?」という駆け引きやジレンマに悩むゲームです
ですから戦闘のメインシステムのほとんどを、この「エネルギーコントロール」の問題として単純化して処理するというゲームになるでしょう。
【エネルギーについて】
宇宙船のエネルギーは、移動、攻撃(ビーム)、防御(バリアー)はもちろん、艦内の生活・生命維持にも使われます。ですから、戦闘していなくても、停止していても、エネルギーは一定量使われていることにします。
ちょうど、私たちの体が夜寝ているときでもエネルギーを消費しているようにね。
エネルギーは使えば無くなりますが、動力炉(エンジン)を動かしている限りは、また生み出されていきますので、時間が経過することで回復はしていきます。
このエネルギーを、状況に応じて上手く割り振っていくのが、プレイヤーの主な仕事です。
エネルギーの使い道について、ここでは大雑把に4つに分けて紹介しましょう。
【エネルギーの使い道】
移動
・宇宙船で移動するにもエネルギーが使われます。
・移動スピードのギアを一段階上げるたびに、エネルギーの消費量が段階ごとに上がって行きます。
・SFの定番「ワープ」もあってもいいかも知れませんが、エネルギーのほとんどを一気に使い切るという感じでしょうね。
攻撃
・戦闘時に撃つビームにも、当然エネルギーを消費します。
・ビームの本数や出力(威力)を上げれば、それだけエネルギーを多く消費します。
・波動砲やハイメガ砲的な主砲のエネルギーチャージにも、エネルギー出力の一部を回す形で消費します。チャージは時間をかけて、貯金のように少しずつ100%めざして貯めていきます。出力何%で撃つかどうかは艦長の判断次第といったところです。
・ミサイルなどの実体弾兵器は、エネルギーを使わないという意味で貴重なものという扱いになるでしょう。
・艦載機も同じく、エネルギーを使わず攻撃できるファンネルみたいな兵器になるでしょう。
防御
・敵からの攻撃は、防御スクリーン(バリアー)を張って防ぎますが、もちろんこれにもエネルギーを使います。
・これも防御スクリーンのレベルを上げることで、より多くのエネルギーが必要になります。
・敵の艦載機やミサイルに対して、迎撃のための弾幕を張るにもエネルギーが必要ですし、防御スクリーンのレベルも上げなければいけないでしょう。ミサイル・艦載機攻撃の主目的は、こちらのエネルギーを使わず、相手のエネルギー消費を増やすことです。
生活・生命維持
・宇宙船の中を人間が生きられる環境にするために、一定量のエネルギーが必要です。これは自動的に消費されます。
・また人間が食事したり、洗濯したり、お風呂入ったりなど、生活のためにも同じく一定量のエネルギーが必要です。
・エネルギー消費量は、宇宙船の規模や乗組員の人数などによって変化します。
・エネルギー不足で生命維持系に回すエネルギーすら無くなると、宇宙では生命の危機に直結してしまいます。
プレイヤーは状況に合わせて、これらの要素にどれくらいエネルギーを使うか、という「エネルギーコントロール」に集中しながら、冒険を進め、戦闘では勝利をめざすという感じになるでしょう。
作られるエネルギー量自体は決まっているので、それをどう配分するかという、割合調整という感じですね。
【移動中でのエネルギーコントロール例】
・エネルギーは基本的に「移動」「生活・生命維持」にしか使われません。消費量と回復量とのバランスが取れている状態です。
・未使用のエネルギー割合が多いでしょうから、急なトラブルや戦闘にも対応できます。
・目的地まで急ぎたければ移動スピードを上げましょう。エネルギー出力は上がってしまいますけどね。
【戦闘中でのエネルギーコントロール例】
・戦闘になれば、ビーム攻撃や防御スクリーンにもエネルギーを使うので、エンジンに無理させて目一杯ギリギリまで使うことになるでしょう。
・攻勢に出る場合は、ビームの出力を上げて畳み掛けましょう。その分、防御に回すエネルギーを削ることになるとは思いますが、攻撃は最大の防御ですしね。
・移動スピードと防御レベルを最大に上げて、一気に敵艦に近接し白兵戦を挑むというのも面白いかも知れません。
・主砲のチャージに多くのエネルギーを回して、決着をつけるのもいいでしょう。
・守勢時は、弾幕や防御レベルを上げつつ逃げて、小惑星の陰に隠れたりしてエネルギーバランスを回復する機会をつくりましょう。艦載機やミサイルなどエネルギーを消費しない兵器に頼るのもいいかも知れません。
エネルギーの利用選択という意味では『サイキックフォース』がイメージに近いですが、格闘ゲームの速い展開の中で、あんな忙しくて難しいことは私にはとてもできません。
宇宙船、艦隊戦ぐらいのテンポで、さらにエネルギーコントロールに注力する形なら何とかなるかも知れません。
個人的には、このような形で『ふしぎの海のナディア』のレッドノアvsNノーチラス号に近いことができないかな、と思ったりしています。縮退炉に勝てるのは縮退炉だけです。
このゲームが何に似ているかというと、家庭での電力消費なんですよね。
エアコンつけながらTVつけてゲームしたいけど、お母さんは電子レンジ使いたくて、お姉ちゃんはドライヤー使おうとしている。
ブレーカーを落とさずに、電力消費をできる限り抑えて、どう電力(エネルギー)のやりくりをするか、というイメージで考えてもらうのがいちばん近いと思います。
家庭でいう戦闘といえば、夕飯の準備でしょうか。炊飯器、電子レンジ、ホットプレート……などの大型兵器を上手く使う必要があります。すべてを同時に使うとエネルギーが足りなくなってしまうかも知れませんからね。
震災後の夏、空前の節電ブームの頃、昔考えたこのエネルギーコントロールだけに要素を絞った宇宙船ゲームを思い出したのでした。
生活する宇宙船をひとつの家だとすると、家の中に原子力発電所があって、外から攻撃を受けたり、無茶なエネルギー運用をすると爆発するようなものなので、これはもう緊張感ただよいますよね。
逆襲のシャア×ソーシャルゲーム
ガンダムを題材にしたソーシャルゲームはいくつかありますが、『逆襲のシャア』だけをテーマにしたゲームを新たにつくりましょう。
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ジオンとロンド・ベルに分かれて戦いますが、現実時間で1週間など一定期間ごとにシャアさんが小惑星(アクシズなど)を落としてきます。
小惑星の落下を食い止めるには、多くのプレイヤーが取り付いて支えなければならない。
アクシズの阻止限界点までに、どれだけ人を集められるか。
「阻止限界点まであと7日と14時間。軌道変更まで、あと483人必要」と表示されますので、友人をだましてでもゲームに招待し、アクシズ落下を食い止めてください。
というようなことを、Twitterで書いたら、
「それなら俺は課金してロンド・ベル隊に核ミサイル提供しますわ」
「じゃあワシは課金でサイド6の監察官やってブライトさんに情報を流す(ロンド・ベルが少し早くアクションできる)役やるわw」
といったリアクションをいただいた。面白い。みんなやりたい役があるんだな。
人数調整のために、阻止限界点の瀬戸際で、敵方であるネオ・ジオンのプレイヤーを買収することができるようにしようか。
もちろん見返りに何を与えるのかは交渉次第。買収相場はゲームの進行と展開によって上下するだろう。
ひと儲けしたいネオ・ジオンのプレーヤーが自分を高く売るにはギリギリまで待った方がいいのだが、それまでにアクシズが落下してしまっては元も子もない。かといって、小惑星を支える人数が過剰になれば相場は崩壊する。
アクシズを支えるジェガンが増えるにつれ、ロンド・ベルの戦力が落ちていくが、ネオ・ジオンも「どうしうようかなー」と様子見するプレイヤーが増え、双方の戦力はそれなりに拮抗する。とまでは、簡単にはいかないが、そういう駆け引きがあってもいいかも知れない。
いっそのことゲームのフェイズを「アクシズの譲渡」からはじめて、譲渡金額交渉をする。
アクシズを譲渡して得たお金で、ロンドベルは戦力を整えることができる。
アクシズ以前に落とす5thルナなど他の小惑星落下の可否によって、交渉金額(どちらが優勢か)に影響してもいいかもしれない。
昔、3層レイヤーのガンダムオンラインゲームネタを考えたけど、これを1層のガンダムソーシャルゲームにするなら、ロンド・ベル側は地球のエリアに家族が住む家(マイページ)を持つことにする。これが各プレイヤーにとってのベルトーチカとその子供。
小惑星の落下エリアによっては、地球は壊滅的な打撃を受け、大事なものは消滅する。だから、がんばって課金しよう。人の心の光、みんなで見せよな!(アンジェラ・アキで)
ダメだ。どう考えても、人の心の闇しか見せられないよ。
∀ガンダム×ソーシャルゲーム
そういえば『∀ガンダム』放送当時、友人と「マウンテンサイクル発掘ゲーム」の話をしていたことがある。
地層に埋もれたモビルスーツや戦艦など、ガンダム世界の遺産を地中から掘り起こす山師ゲーム。
今だとこれはソーシャルゲームのシステムで出来てしまう。マウンテンサイクルという巨大なガチャを舞台に。
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『∀ガンダム』マウンテンサイクル発掘ゲーム体験レポート
とりあえず軽い気持ち、スナック感覚で【発掘】してみようかな。
ロラン「発掘ポイントを選んでください。……このポイントを掘りますか?」
掘る。掘ります。
ロラン「……おや?地中からゼータの鼓動が聴こえてきましたよ!さらに掘りますか?」
ゼータの鼓動?掘る!掘るよロラン!掘りまくるよ!
ロラン「ゼータの鼓動はどんどん大きくなってきました!さらに掘りますか?」
もちろん掘るよローラ!
シドじいさん「うーむ。硬い岩盤に突き当たってしまった。この地層を掘るには資金400が必要じゃ」
……仕方ないな。それぐらいなら出しましょう。
シドじいさん「発掘にはあと8時間30分かかるが、人出を集めることで時間が短縮できるぞ。もちろん費用はかかるが」
……。(恨みがましい目でサイフを出す)
うーん。これはシドに渡す発掘資金で、御曹司のノックスが崩壊するかも知れないですね。キースの札束など紙切れ同然ですよ。
ロラン「ちなみに先ほどの発掘が終わりましたよ。モビルスーツを発掘できました!」
おお!ラッキー!月光蝶中畑清です!で、そのモビルスーツというの
ロラン「メタスです!(屈託のない笑顔で)」
は……?
ロラン「メタスです!おめでとうございます!」
シドじいさん「もっと深くの地層まで掘ればあるいは……。資金800が必要なんじゃが……」
……。
シドじいさん「仕方ないの。ボルジャーノ公にスポンサーになってもらうとするか」
ロラン「いいんですか本当に?リリ様にまたバカにされますよ?」
わ、わかったよ。わかりましたよ。(泣きながら、サイフを出す)
……ダメだ。悪魔のゲームにしか思えない。小生のノックスも崩壊寸前ですよ。
家計簿アプリ「マイナスをプラスに」
ソーシャルゲームもいいけれど、家計の範囲内で計画的にご利用する必要がありますね。
一年ほど前スマートフォンに変えたとき、これを契機に家計簿をつけたいなと思って、いくつか家計簿アプリを試してみました。
ただ長続きしなかった。アプリに問題があるわけではなく、私自身に問題があるのは私との付き合いが長い私がいちばんよく分かっているので、ダメ人間でも続けられるような家計簿アプリが欲しいと考えました。
当時考えたのは、出費を入力すると、その内容に応じてアプリ内の世界に影響を与えるというもの。
いくつかパターンを考えたが、最も親和性が高く、分かりやすい例は、アプリ内に「街(カケーボシティ)」があって、ユーザーの出費入力によって、この街が成長し変化していく。
要するに「家計簿シムシティ」。
現実世界での出費は、この架空の街での開発予算に変換される。
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例えば食費としての出費を入力すれば、ゲーム内の「街(カケーボシティ)」の市場やスーパーマーケットの数や規模が発展していく。
他のカテゴリの出費も同様に、街の要素に変換される。
・家賃 → 住宅・マンション
・交際費 → 飲食店(レストラン)
・教育費 → 学校
・医療費 → 病院
・遊興費 → 遊園地・ゲームセンター
・交通費 → 街のインフラ(電車や道路)
・貯蓄 → 銀行
出費を入力すると、それに対応する街の施設が発展するので、どんな特徴のある街に育つかはユーザーの家計次第。
例えば、映画をたくさん見に行く人の街には巨大なシネコンが建っているかも知れないし、おしゃれな人の街には、ファッションビルがたくさん建っているかも知れない。
ゲーム的には、街のバランスはあくまで予算に対する割合で変化するべきかな?
収入(出費)が多い人は大都会島になって、少ない人は小都市になるのでは、私の街はペンギン村にしかならない。
あらかじめ街の予算(月収)を設定した上で、その予算をどう街に配分したかで、開発状況が変わるべき。
予算の割合と毎月の継続(積み上げ)を、街の成長という形で評価することになるでしょう。
月間収支が赤字になれば、市の財政を悪化させたわけですから、市長としては失敗。
支持率が下がったり、トラブルが起きたり、何かゲーム的なペナルティを与えるべきですね。
逆に予算内で街を運営すれば、なにかゲーム的なボーナス(ごほうび)はあげてもいいでしょう。
Twitterで書いたときには、リアクションをいただきました。
家計簿の目的としては1)家計の見える化(無駄を発見、抑止)2)家計の健全化(浪費の防止、貯蓄の増加)3)資産の見える化などで、ゲームとするなら収支バランスの他に交遊費などの割合や無駄がある場合に警告を出すとか、貯金が一定割合を超えたらボーナスを出すとかがいいかもしれない。― fukasawa takuyaさん (@fukasawa_takuya) 2月 5, 2012
@fukasawa_takuyaさんには加えて「あらかじめ決めておいた購入目的の商品や貯金額の目標を達成したらやはりボーナスを出す」や「名目が家計簿である以上、浪費よりも貯蓄や健全化をしやすくした方が喜ばれるのではないか」などのアドバイスもいただきました。
ゲームのために浪費するのは本末転倒ですから「健全な家計簿をつくる」という方向性であるべきだと私も思います。
家計簿データは単なるデータに過ぎませんが、それを「街」のビジュアルに置き換えることで、消費傾向を視覚的にとらえることができます。
育った街を眺めるのは楽しいですが、消費の特徴(またはいびつさ)は、街の状態として視覚化されてしまう。
街のデータやスクリーンショットをソーシャルサイトなどで共有してもいい。
前述のように消費金額でなく予算の割り振り(割合)方式ならば、具体的な金額は完全に伏せたまま、街のバランスだけ公開されるので、他人に見せてもいいし、相手のも見てもいいはずです。
お互いの街を見ながらアドバイスしあったり、人の振り見て我が振り直せ的なことをするのも健全な家計簿化に貢献できるかも知れません。
さて、あなたは市長として、街の予算を使って、どんな街をつくるでしょうか?
「マイナスの行動」を「プラスの行動」に
要するに家計簿をゲームにしましょう、ということです。そうでもしないとできない私のために。
ただ、なぜ家計簿をゲーム形式にするのかというのは、私がダメ人間であること以外に、家計簿自体にも問題はあると思います。
家計簿におけるプラスは、基本的には毎月の月収。
これは金額もタイミングもほぼ一定で、このプラス以外は、日々のマイナス=出費を入力していく作業になります。
お金が手に入ってから、その範囲内で日々お金を使う……。
当たり前のことなんだけど、そのひたすらマイナスを続けていく作業が非常にやるせない。
だからマイナス作業を、せめて家計簿上ではプラスの行動に変換したいと考えました。
その方法のひとつとして考えたのがこの家計簿シムシティ。
この家計簿アプリ上では、出費こそが街を動かす原動力。
出費が無ければ街が成長することはなく、この世界では出費(街への投資)はプラス行動として肯定される。
いわばソーシャルゲームの「課金」みたいなもの。
ゲーム内の映画館を大きくするには、映画を見に行く、つまり現実の映画館に「課金」すればいい。
とにかく出費というマイナスの事実を、ゲーム内でプラスとして利用し、入力のモチベーションを保ったり、罪悪感を軽減したいと考えました。
大事なことは、この家計簿アプリを利用してまで得たいものは「成長した街」でなくあくまで「家計簿データ」だということです。
例えば、街の特定の施設を成長させるために、実際には使っていない出費を入力することはできます。
ウソ出費入力ですね。あくまで家計簿なので、システム上そういうことはできてしまいます。
ゲームとして見れば「ずるっこ」ができるのは確かなので、個人的にはもしズルがしたければいくらでもやればいいと思っています。
なぜなら、ここまでの仮定ですと、予算に対する割合が問題なので、架空出費をどんどん入力しても投入金額の大きさは街の発展とは関係ありません。
そして何より、街の裏側にある本当の目的「家計簿」が手に入らない。
ダメ人間ゆえにゲームっぽくしてまで入力を続けて、手に入れようと思った家計簿が、正しいデータでなくなり、価値を失ってしまう。
ですからシステム側で架空出費を防止するというより、各市長の政治倫理に任せるという形でいいのではないかな、と思っています。
これに関してはもうひとつよいアイデアがあればさらにスマートになるかも知れません。
(ただしダメ人間想定なので、入力の手間が増えたり、システムの複雑化は避けたい)
「ゲームスキン」のバリエーション
というわけで、家計簿との親和性が高いシムシティパターンをご紹介しました。
冒頭で「いくつかパターンを考えた」と書きましたが、この「現実でマイナスである出費を、ゲーム内でプラスに変換する」というコンセプトで、他のゲームスキンも家計簿にかぶせることができます。
シムシティ以外にも、例えばこんなのが考えられます。
・コーエー的な、国づくり戦争もの(出費で国づくりをして、毎月、月末に一度戦争をする)
・シヴィライゼーション的な、文明発展もの(原始時代から始まり、出費で文明技術を発展させ、世界を広げていく)
・かわいい女の子と共同生活もの(出費は、同居する女の子との生活費に変換される)
・足長おじさんもの(出費は仕送りに変換され、仕送りで女の子が成長し「おじさま、ありがとう」の手紙を送ってきてくれる)
他にも「アイドル育成もの(THE K@KEIBO MASTER)」「ホストに貢ぐゲーム」なんかもリアクションでいただきました。
あなたがプロデュースするアイドルが太ってしまったのは、現実のあなたが暴飲暴食するからだ。というわけなので、来月は一緒に節制(ダイエット)しようね、とがんばればいいわけですね。
ホストものは浪費イメージで怖いですが、こまめにお店に通って出費(を入力)しないと、お気に入りホストが機嫌を損ねたり距離が離れると考えれば(家計簿的には)健全に使えるかも知れません。
とはいえ、ゲームはやっぱりどこかで飽きるもの。しかし家計簿(収入と消費)は生きる限り続いていくもの。
ひとつのゲームに飽きるのを最初から前提にして、家計簿データはそのままに途中で別のゲームに変更できる形にしておくのが良いと考えています。
ブログのデザインテンプレートを変えるように、家計簿のゲームスキンを付け替える。
だから本当は、アカウントを作成して利用する登録制家計簿サービスみたいなところが、これまでのデータと、これからの入力はそのままに、家計簿データでゲームが楽しめますという導入をするのが理想的だと思っています。
もともとは私みたいなダメ人間がどうやれば家計簿を長続きさせることができるのか、ということで考えたものですが、ゲームはこういう問題をクリアできる力があると思います。
ゲームを現実と接続させて、ダメ人間が生きやすいようになるといいですね。
ただいま地球方面へ向かって進んでおります。地球に激突するかどうかはまだわかりません。
このとき、小惑星は画面の右・左どちらの方向へ向かって進んでいるでしょうか?
また、If もしも、地球にこの小惑星が落下してしまうとしたら、小惑星は画面の右下・左下どの方向へ落ちていくでしょうか?
何かの心理テストのようですが、この先の話がより楽しくなると思いますので、ここで少しイメージしてみてください。
……脳内の宇宙に、小惑星が横切りました?
では、いきましょう。
富野由悠季監督の映像技術書『映像の原則』が、『映像の原則 改訂版』として発売されることになりました。『映像の原則』は2002年出版だそうなので、10年後での改訂ということになるようです。
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内容は本当に「原則」の話なので、読んでから実際に映像を扱ったりしないと、本当の体感として自分のものにならない類のものだと思います。
発売当初にとりあえず頭に入れただけの私は内容が身につかず、すっかり色々と忘れてしまいました。
改訂版は、追加もあれば、読みやすくもなっているそうなので、いい機会ととらえて、読みなおそうかなと思っています。
今回は、この改訂版の発売を記念して、ささやかながら応援企画『逆襲のシャア』で見る映像の方向性(上手・下手)をお送りいたします。
これは非常に重要で面白い「原則」の話です。
私自身、前述の有様ですので、もう一度勉強し直すつもりで書こうと思います。
はじめに:映像の方向性(上手・下手)って?
画面内の配置や向き、動きの方向性が意味を含むという視覚印象の力学に基づいた考え方です。
観客(視聴者)に対して、右側が上手(かみて)。左側が下手(しもて)になります。
上手は、上位(ポジティブ)の傾向。下手は、下位(ネガティブ)の傾向をもちます。
画面の右にいるか、左にいるかというのは偶然ではなく、「原則」に基づいた意味がちゃんとあるよ、ということです。
上手と下手の関係(イメージ)を、分かりやすくなるようにまとめてみました。

※単純化するために、左右の要素だけに絞っています。
※これらはあくまで原則のイメージであって、状況や流れによって使い分けられますし、例外もあります。
ピンと来ない方には、マンガを想像してもらうのがいいんじゃないかと思います。
日本のマンガは、右から左(←)へコマとページが進んでいきます。
ページが左へ進むということは、物語のゴールは左方向にあることになりますね。
現在見ているページやコマを基準にすれば、右側が過去、左側が未来、とも言えるでしょう。
主人公は、物語のゴール目指して行動しますから、右側から左(未来)を向いて、進みます。
それに対抗する敵役は、左側から右を向いて、主人公と激突するのが自然であり、基本になります。
マンガは方向性が決まっているメディアですので、映像より分かりやすいですね。
上手・下手(右と左のちがい)については、メディア(映像・演劇・マンガ・ゲームなど)、歴史、文化によっても色々とややこしかったりしますが、視覚的に物語を進行する際に、方向性に一定のルールを設定することで、スムーズで気持ちよく、理にかなったものになるということは確かです。
恐らくそれこそが重要で、右・左のそれぞれの意味がどうというより、映像を何らかのルールでまとめあげることが有効であり、また必要であるということなのだと思います。
マンガのように進行方向が決まっているメディアと違い、映像の場合は、作り手がより自覚的に上手と下手を設定して、方向性や、移動の変化などを考える必要があります。それを富野監督がまとめたものが上記の「原則」ということになるでしょう。
今回のサンプル『逆襲のシャア』について
では、この原則を基に実際の作品を見ていきますが、私は映像に関しては素人ですので、映像の技術や演出論を語ることもできないし、そのつもりもありません。
あくまで『映像の原則』を読みながら、『逆襲のシャア』を見てみると楽しいよ!というお話です。
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『逆襲のシャア』は、原則に基づいたダイナミックな映像のベクトルが楽しめる、とてもすばらしい作品です。今回の紹介サンプルとしてはちょうどよいと思います。映画なので短くて見やすいのも選んだ理由です。
上手・下手の話をベースにしていますが、ひとつの画面内の配置というよりは、どちらかというと全体構図と移動方向の話の方がメインになっているかも知れません。
それは私の興味がそこにあるからですが『逆襲のシャア』では全体の流れを踏まえた上で、個々のカットを考えた方が分かりやすいからでもあります。
では早速、『逆襲のシャア』のオープニング。「5thルナ落とし」を見てみましょう。
オープニング:5thルナ落とし
『逆襲のシャア』は、「5thルナ」という小惑星が地球へ落ちるかどうかの瀬戸際の状態で始まります。
オープニングでの映像の上手・下手、方向性はどうなっているでしょうか。
それを確認するために、5thルナ落としの構図をまとめてみました。

※これは宇宙空間のマップではなく、映像の上手・下手、方向性、全体の流れを図にしたものです。
これを見て分かるように、オープニングでのアムロは、上手(右)側で、左を向いて戦っています。

アムロはファーストガンダムの頃から、ランバ・ラルのグフとの斬り合いも、ジェットストリームアタックも、上手側で戦っています。オープニングでのこの戦いは、主人公アムロの紹介として、基本通りの構図ともいえますね。
対するギュネイは、そのアムロを迎え撃つ敵役として、下手(左)側で戦います。

これは、2人のパイロット技倆(強弱)の差でもありますし、主役であるアムロと、敵役のひとりに過ぎないギュネイというキャラクターの格の違いでもあるでしょう。
ここではむしろ、5thルナと地球の位置関係の方が重要です。
5thルナは下手(左)側。地球へ落ちようと、左から右(→)へ進んでいます。
極めて自然なもの、強いもの、大きいものは上手という原則がありますので、地球は上手(右)側に配置されています。

左上から右下へ向かう5thルナと、ギュネイの援護に向かうサザビー(画面奥は5thルナ)。
アムロは5thルナ落下を阻止しようと、いわばヒーローの位置で戦っていたわけですが、核エンジンによる加速も始まり、シャアも赤いサザビーでギュネイの援護に現れ、健闘むなしく5thルナは地球へ落ちることが確定してしまいました。
するとどうなるか。続いての5thルナ落下シーンにおいて、地球と5thルナの位置関係が変わります。

右上から左下へ落ちる5thルナ。左下から右上へ上昇するシャトル。
「落ちる」ものは右上から左下がいちばん自然なので、5thルナは、上手(強いもの)の位置に移動し、右上から左下へ落下します。その先にある下手(弱いもの)側が地球です。
上手から落ちてくる小惑星を止めるすべなどありません。
落ちることが確定した小惑星は右からくるし、右からくる小惑星は確実に落ちるわけです。
「右からくるぞ!気をつけろ!」「せっかくだから俺はこの赤いMSを選ぶぜ」としか言いようがありません。
このとき、すれ違いでクェスとハサウェイの乗るシャトルが地球から宇宙へ上がります。
下手のシャトルめがけて、上手から小惑星とその破片が落ちてきて不安を煽りますが、シャトルは左から右(→)の上向きの力で、何とか無事に重力圏を突破します。
5thルナはそのまま地表に激突し、大きな被害が生まれてしまいました。
5thルナの地球への落下が確定したことで、位置関係が入れ替わるのが面白いところですね。
この位置関係の力学は、アクシズと地球の関係として再度くり返されますので、5thルナ落としを「落下確定(ロンド・ベルの敗北)」パターンとして覚えておいてください。
もしアムロたちロンド・ベルがアクシズの落下を食い止めることが出来なかったとしたら、そのときアクシズは5thルナと同じように右上から左下に落ちていくことでしょう。この構図になったら負けです。
その後も、レズン隊に押されて劣勢の中で駆けつけるνガンダムの初登場や、ネオ・ジオンが条約違反をしてアデナウアー・パラヤのいる艦隊を一方的に蹂躙するシーンなど、あらゆる場面で位置関係と方向性を気にすると面白いのですが、キリがないので、ここでは5thルナとアクシズ、2つの小惑星に話を絞ります。
では5thルナ落としを踏まえた上で、後半のアクシズ落としを見てみましょう。
アクシズ落としの基本構図
『逆襲のシャア』の後半、ネオ・ジオンによる小惑星アクシズ落としが開始されます。
対するロンド・ベルはこれを阻止するべく、みんなの命をくれでおなじみ、決死のアクシズ落下阻止作戦を決行します。
「アクシズ落とし」での基本構図は以下のような形になります。

※これは宇宙空間のマップではなく、映像の上手・下手、方向性、全体の流れを図にしたものです。
見ての通り、上手側のいちばん右には母なる地球が鎮座しております。これは5thルナ落としと同じ。
小惑星アクシズは、下手である左から右(→)に向かっています。最も右に位置する地球へめがけて。
この左から右(→)への大きな流れが、このパートでの基本の方向性になります。

アムロ達ロンド・ベルは、アクシズのさらに下手(左)からアクシズを追いかけるように、左から右(→)に進みます。
地球とアクシズの関係で見ると、地球が右にいて上手側。アクシズが左で下手側。
ただアムロとアクシズの関係で見たときには、アクシズはアムロの右にいる上手側の存在になります。
地球とアクシズの間には何も存在しないので、逃げるアクシズに早く追いついて何とかしなければ、地球に落ちてしまいます!

もちろん、ネオ・ジオンも黙ってみていません。
クェスとギュネイを中心とした第一波が、右から左(←)へ出撃しますので、当然ロンド・ベル(→)と接触し、戦闘が発生します。

アムロの目的は、アクシズに取り付き、破壊することです。戦闘の勝利ではありません。
となればクェスやギュネイの撃破は目的ではないので、「子供に付き合っていられるか」とあしらって、とにかく前(→)へ進みます。
突破されたクェスとギュネイは、νガンダムを追って方向転換(→)、アムロを追いますが、ギュネイは撃破されてしまいます。
ひたすら前進したアムロが、ついにアクシズに到達する頃、真打ちとばかりにシャアのサザビーが登場。
ここから宇宙世紀の大一番、νガンダムvsサザビーの決戦がはじまります。
オールナイトアクシズ「Disりあい宇宙」
劇中空間での位置はもちろん、「強いもの」は上手から登場する原則がありますから、この戦争の仕掛け人、ネオジオン総帥のサザビーは堂々と上手からの登場です。
そのまま上手で攻撃を開始し、νガンダムは下手で応戦します。
このあたりは攻守、上手下手もめまぐるしく入れ替わり、2人の戦いはほぼ互角といったところか。

ところが戦闘途中、腹部のメガ粒子砲を放ったあたりで、サザビーがパワーダウンします。
シャア「ララァが死んだ時のあの苦しみ、存分に思い出せ」
アムロ「情けない奴」
シャア「何が」
シャア「貴様こそ、その力を無駄に消耗していると、なんで気がつかん?」
アムロ「貴様こそ」
シャア「パワーダウンだと?」

シャア「パワーダウンだと?」
アムロの目的はシャアの撃破ではありませんので、スキを見てガンダムを降り、アクシズ内部に潜入します。
無人となったνガンダムを見つける、いまだ上手側のサザビー。
絶好の機会ですが、無人のガンダムを破壊できるシャアであれば、ここまで来る前にとっくに勝利しています。当然のようにシャアもサザビーを降りて、アムロを追います。
(ここがシャアが勝利する最後の機会でした。画面構成上もそれが後に分かります。)

シャア「何?」「ガンダムを捨ててでもアクシズを内部から爆破しようっていうのか。させるか」
両者モビルスーツを降りてから、アクシズ坑道の中でDJアムロによるラジオ番組「Disりあい宇宙」がはじまります。
アムロ「世直しのこと、知らないんだな。革命はいつもインテリが始めるが、夢みたいな目標を持ってやるからいつも過激な事しかやらない」
シャア「…四方から電波が来る」
アムロ「しかし革命のあとでは、気高い革命の心だって官僚主義と大衆に飲み込まれていくから、インテリはそれを嫌って世間からも政治からも身を退いて世捨て人になる。だったら」
シャア「私は世直しなど考えていない!」
アムロ「…」
シャア「愚民どもにその才能を利用されている者が言う事か!」

この場面では、ここまでの左右の動きとは対照的に、タテ方向の動きが強くなっています。
アクシズ内部に潜るのですから、タテの動きになるのは当然ですし、これまでずっと左右のベクトルだった映像に、タテの流れという変化が生まれます。
物語としては前に進んでいないかも知れませんが、2人が直接、生身で接触し、会話する機会をつくることで、アムロとシャアの関係性をタテに掘り下げています。

坑道進入時。下へ(↓)。

坑道脱出時。上へ(↑)。
アムロに手痛い批判を浴びせられたシャアですが、アムロのDisにリアクションをとるだけで受け身。
感情的な反論はしますが、本質的な反論はできないまま、坑道から脱出します。
そして再びサザビーに乗り込んで戦闘が再開されたとき。
ここが転機、大逆転のポイントです。
逆転こそ我が命:サザビーの撃破
さあ!宿命の戦いもいよいよ大詰め。

外へ出てみると…あら?レウルーラも、ギラドーガもいつのまにか下手側の右向きに。
サザビーはその中の人であるシャア共々パワーダウンし、ついにはっきりとアムロに上手を譲ることになってしまいました。シャアは確実に敗者に近づいていきます。

シャア「サーベルのパワーが負けている?ええーい」「……なんと!」

タックルからの、なぐりあい宇宙。「君がッ!脱出するまで!殴るのをやめないッ!」
サーベルのパワーで負け(パワーダウンの証明)、腕をビームサーベルで斬られ(なんと!)、さらにパンチラッシュを浴びて(モニターが死ぬ?)、撃破されます。
戦いながらアムロとシャアはひたすら口論を続けますが、サザビーの2つの「パワーダウン」直前のやり取りは興味深いですね。その意味で、両者がモビルスーツを降りる場面は1年戦争ラストの再演というだけでなく、アムロ大逆転の「転機」としても非常に重要なものとして機能していると思います。
『逆襲のシャア』の最終構図
シャアを撃破した今、アムロの上手側にいるのはアクシズだけです。
アムロは、アクシズのさらに右側にまわって地球とアクシズの間に入り、アクシズを受け止め、押し返そうとします。

アムロ「アクシズほどーのー、石ころひとーつー…」

みんなでアクシズを押す。押してダメでも退いちゃダメ。
これが『逆襲のシャア』の最終構図です。
νガンダムは、左のはしっこからスタートして、ついに右のはしっこまでたどりつきました。
アクシズのはるか下手側にいたアムロが、最終的にアクシズの上手にまわって、下手から来るアクシズを止めるわけです。地球を背負いながらね。
ここまでの一連の流れは、この最終構図からの逆算になっています。
『逆襲のシャア』の最終決戦は、アムロがこの構図までたどりつけるかどうかの戦いともいえるでしょう。
そして、ずっと下手側だったアムロが、上手側にまわる転機となったのが、サザビーの撃破。
作戦失敗における大佐の罪はかなり重いかも知れませんね。
スーパーアムロブラザーズ
というわけで、『映像の原則』どおりに展開する『逆襲のシャア』後半戦を見てきました。
下手からスタートして最終的に上手にたどりつくアムロは、横スクロールゲームの主人公みたいなものと考えてもいいかも知れません。
わかりやすく、誰でも知っているようなファミコンの横スクロールゲームに例えてみましょうか。
ファミコンゲーム『六三四の剣』でいえば、六三四がアムロのνガンダム。逃げる十一(犬)がアクシズです。
六三四(アムロ)は、どんどん右へ進んで、十一(アクシズ)より先にゴール、すなわち地球へたどりついて、十一の上手にまわる必要があるわけで……もしかして『六三四の剣』は誰でも分かるゲームではないのでしょうか?
すみません。ぺっこ(ちょっと)分かりづらかったかも知れません。
例を変えましょう。
では正真正銘、誰でも知ってるゲーム『スーパーマリオブラザーズ』に例えてみましょう。
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どんどん右に進みます。急いでいるのでBダッシュも使いましょう。
ギュネイやクェスは、ハンマーブロスのようなものかも知れませんが、先を急ぐので倒すのにこだわらず、先へ急ぐとよいでしょう。(走りながら一匹は倒してましたが)
アクシズの坑道は、ステージの途中で入る土管の中にある地下世界のようなものでしょうか。
ここは、左から右(→)の地上ステージに対して、上下(↓↑)の関係にある世界です。再び地上にあがって進みます。
そうなると右奥で待ち構えているクッパ大王は、シャアのサザビーということになりますね。
なかなかの強敵ですが、倒すにはどうすればいいのか。
それはマリオをやったことがある人なら誰でもお分かりのとおり、クッパの右側へ行けばいいのです。
クッパの上手にまわり、斧を手にいれれば、クッパは溶岩へ落ちて行くしかありません。

『スーパーマリオ』は、『逆襲のシャア』のアムロのように、マリオが最終的にクッパの上手にまわることで勝利するゲームと考えても、なかなか面白いかも知れません。下手から冒険をはじめて、移動のダイナミズムを楽しみ、最終的に上手に回る(大逆転)というシステム。
アムロの下手スタートと、正面衝突パターンの可能性
それにしても、なぜアムロはマリオのように、こんな下手からスタートするのでしょう。
例えば、アクシズ落としを狙うネオ・ジオン→ ←地球を背後に阻止を狙うロンド・ベル
という構図も考えられます。
正面衝突のような形ですが、地球を攻撃する下手のネオジオンと、地球を守る上手のロンドベルというある種、分かりやすい構図です。
映像の原則に特別反しているわけではありませんし、この構図になったとしても、アムロの戦いは、クェス&ギュネイ→サザビー→アクシズ という順になるので、流れ自体も変わりません。
しかし映画では正面衝突はなし。アムロはアクシズのさらに下手側からスタートしていますね。
これには、いくつか要素があり、その全てが相互に作用すると思いますが、大きくは3つあると思われます。
ひとつめは、『スーパーマリオ』の例えで書いたように、移動のダイナミズムと、大逆転のカタルシス。
正面でぶつかりあう構図では、段取りは同じにできても、決定的にこれがありません。
アクシズは、地球に対して下手、アムロに対して上手と、別の面を見せながら、上手側に移動する(地球にとっては近づく、アムロにとっては逃げる)という存在です。これは正面衝突では表現できません。
ふたつめには、この映画がアクシズが地球へ落ちるのを阻止できるかどうかというある種のタイムサスペンス性をもつこと。
初期構図では、アクシズと地球の間には落下を阻止できるようなものは何も存在しない。
はたして、アムロ達ロンド・ベルはアクシズに追いついて、止めることができるのか?
タイムサスペンスを強調するには、アムロはアクシズを「待ち構える者」ではなく「追う者」である方がより効果的でしょう。
この映画において、シャアはアコギなことや条約違反もしつつ、戦略的には優位に立ち続けます。
ロンド・ベルのブライトやアムロ達は、ネオ・ジオンだけでなく、コロニーや、無能な連邦政府にも足をひっぱられ、常に不利な状態です。
5thルナもそれで落ちましたし、アクシズもアデナウアー・パラヤが譲渡してしまい、ネオ・ジオンの艦隊は、アクシズに駐留・護衛しながら、落下の工作を進めています。
『パトレイバー』ではないですが、ロンド・ベルがしていることは常に後手後手でしかありません。
すでに、ことが起こったあとの手遅れの対応なのです。
ですから、アムロ達が下手から、上手のアクシズ、ネオ・ジオンを追うという状況は、単なる画面上の配置や、映像の進行方向の問題だけではなく、映画での状況そのものの体現ともいえます。これがみっつめです。
この物語が展開した最後にあのラストシーンが来るとするならば、ロンド・ベルに正面からの艦隊激突をさせるというのは、「原則」に反していなかったとしても、構成上ありえないものだと思います。
やはりアムロのνガンダムは、下手側から上手のアクシズに向かわなければいけなかったでしょう。
まとめに変えて:ブリーフィングでの作戦画面より
今回は『逆襲のシャア』をサンプルに上手・下手や方向性についてみてきました。
画面が「原則」どおりの上手・下手になっている、というのは「原則」なのですから当たり前のこと。
問題は、その「原則」をどう利用して、わかりやすくて魅力的な構成を組み、映像を進行できるかだと思います。
それには画面内の上手・下手を見るだけでなく、その前後の構成まで含めて考えてみると面白いよね、と、あれこれ整理してみようとしたのがこの記事です。
『逆襲のシャア』が、『映像の原則』をもとに、極めて効果的で理にかなった構成と方向性でつくられている映画だということが、私自身改めて確認できました。
そもそも、ここまでキレイな直線的な構図でまとめられていること自体が、私には非常に面白くて。
実は、作戦前のブリーフィングのシーンでアクシズ破壊作戦のイメージがスクリーンに表示されています。

地球への落下軌道に侵入するアクシズを、ここのポイントで攻撃し、アクシズまたはノズルを破壊する。ダメならラー・カイラムをアクシズに接舷して内部から爆破する…と、当たり前ですが、アクシズの真後ろから直線的に追いかけるような単純な作戦でも構図でもありません。
でも宇宙空間で行われる、本来分かりづらいこの作戦を映像で表現する際に、あえて直線的に方向性を整理し、単純化しているんですよね。それこそ『スーパーマリオ』にでも例えられることが可能なほどに。
『逆襲のシャア』は、ガンダムの続編映画で、ガンダムをまったく知らない方には不親切なところも多い映画です。キャラクターや世界観、専門用語、モビルスーツなど、分からないことも多いでしょう。
ただ映画後半、アクシズ破壊作戦の流れや、敵味方、位置関係が理解できない人は非常に少ないのではないでしょうか。全体構図の画像を今回つくりましたが、あれを頭に思い浮かべるのは、見た人ならそれほど難しいことではないはずです。
それはこの映画が『映像の原則』をもとにして、わかりやすく、それでいてタイムサスペンスと、映像の方向性がつくる気持よさと、大逆転のカタルシスが充分に発揮されるように、構成を組んでいるからだと私は思います。
その見事さを体験するために、『映像の原則 改訂版』を片手に、『逆襲のシャア』を見直してみるのはいかがでしょうか。
■巻末付録:『逆襲のシャア』アクシズ落とし 詳細全体図
アクシズ落としの方向性と映像の流れをまとめた図の詳細版をつくってみました。
長い記事をここまで読んで下さった方への、ささやかなお礼というか、オマケです。
構造上、ヨコに長くなってしまっていますので、クリックして別ウィンドウでご覧ください。
『映像の原則 改訂版』と『逆襲のシャア』のお供にでもしていただければ幸いです。

※これは宇宙空間のマップではなく、映像の上手・下手、方向性、全体の流れを図にしたものです。
※完全に厳密ではなく画像作成の都合上、多少デフォルメしています。
『逆襲のシャア』関連記事
このブログの『逆襲のシャア』記事です。切り口がそれぞれ違いますので、よければご覧ください。
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サザビーのサーベルはνガンダムを切り裂いたか <『逆襲のシャア』 νガンダムvsサザビー戦のルール>
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