先日、友人に
「浦沢直樹で一番好きなマンガってなに?」
と聞かれたので、
「一番面白いって意味なら…PLUTOかな」
と答えた。

「PLUTO」が浦沢の最高傑作かといえば、さにあらず。
この答えは、僕の中のあるルールに基づいています。それは、
「浦沢直樹で一番面白いマンガは?」
「浦沢直樹で一番おすすめのマンガは?」
と聞かれたときに、必ず「その時点での最新作」を答えるというルールです。

よって先ほどの会話は、結局こういう意味になります。
「浦沢直樹で一番好きなマンガってなに?」
「それは最新作だから、今でいうとPLUTOだね」



「MONSTER」がはじまった時は「MONSTER」を。
「MONSTER」終盤で、「20世紀少年」がはじまったときは「20世紀少年」を。「20世紀少年」終盤で、「PLUTO」がはじまったときは「PLUTO」を。
それぞれ、その時点の最新作を答えます。僕は今までそう答えてきました。

なぜ、こんな答え方をするのか?

この答え方は、僕の浦沢直樹に対する評価、つまり
・連載開始時=物語の広げ方、は圧倒的にうまい。
・連載終了時=物語のたたみ方、は全くうまくない。
という評価を、前提にしているからです。

実際「MONSTER」のラストなんて誰か覚えていますか?
では「YAWARA!」はどうです?「HAPPY」は?
仮に覚えていたとして、連載当初とエンディングと、どちらが面白かったですか?印象深いですか?

覚えてなくてく当たり前。
さすが浦沢直樹先生。大秀才です。

並みのマンガ家なら大ヒットした大作「MONSTER」を完結させてから、新連載「20世紀少年」をスタートさせるでしょう。
しかし実際のところ「MONSTER」の連載終盤に「20世紀少年」は連載開始し、2つの連載は二年ほど重なっていました。そして「20世紀少年」が爆発的な人気と共に受け入れられたその影で、ひっそりと「MONSTER」が終了したのです。

確かに当時、リアルタイムの連載時には「MONSTER」の最終回ではなく、盛り上がってきた「20世紀少年」の方にすでに話題が移っていたのを覚えています。
(この辺りが、マンガ誌をリアルタイムでチェックする醍醐味といえますが)

僕自身も、浦沢直樹の面白いマンガが好きなわけで、「MONSTER」を好きなわけではないので、「20世紀少年おもしれーなー。うまいなー」と思っていました。

そう、読者としてはそれで良し。
「MONSTER」がグダグダになってきたら、新連載である「20世紀少年」を楽しめばよいのです。



そしてそれは浦沢直樹本人の希望でもあるでしょう。
賢い彼自身が「MONSTER」終盤と「20世紀少年」序盤のどちらが面白いか分かっていなかったはずはありません。むしろ分かっているからこそ、「MONSTER」終盤(クライマックス)に、あえて新連載をスタートさせたはずです。
もし「20世紀少年」が軌道に乗らなければ、また違う連載を「MONSTER」がやっている間に始めれば良いわけです。しかし結果的に「20世紀少年」が軌道にのって最高の力を発揮したおかげで、「MONSTER」終盤のグダグダ加減は誰も気にしなくなりました。(コミックスだけで読んでる人は知りませんけどね)

さらっと簡単に言ってしまいましたが、
大ヒット作「MONSTER」のしかもクライマックスに、次のヒット作を準備してスタートさせて軌道に乗せないといけないわけで、これを達成してしまった浦沢直樹は本当に尋常ではありません。

そしてこの構造は今もくりかえされています。
今まさにクライマックスを迎えようとする「20世紀少年」よりも、手塚治虫のアトムをリメイクした最新作「PLUTO」の方が断然興味深いと思っているのは僕だけではないはずです。

そして「PLUTO」がグダグダになったら…。
そろそろ次の新連載が始まるはずだから、それに期待すればいい。

それにしても
「一番面白いマンガは、最新作」
ってすごいブランドですね。

で、そのブランドづくりが天才性でなく、圧倒的な秀才性によってつくられているのが、僕の好きなところなんですよね。

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