TVアニメ『かんなぎ』を見ています。
原作は読んでないので、見る理由は「監督:山本寛」というだけでした。
山本寛作品では『涼宮ハルヒの憂鬱』も見てましたが、当時は同時に『ZEGAPAIN -ゼーガペイン-』も放送していたため、この時期はSFマインドを満たすことが出来て幸せいっぱい胸いっぱいだったことを覚えています。
ちなみにゼーガペインを見ようと思ったのは「原作:伊東岳彦」の名前だけなので、あそこまで面白くなったのは嬉しい誤算でした。
人は1つの理由だけでどうなるか分からんものを見ることができるものです。

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戸松遥、下野紘 他

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で、『かんなぎ』。
押しかけ美少女同居ものなんですが、その女の子が神すなわちゴッドだというお話です。
つまり、ゴッドねえちゃんと同居。………ゴッドねえちゃん?

えーと、正しい情報と詳しい情報は、公式サイトとwikipediaのお仕事だと思うので任せた!

TVアニメ『かんなぎ』公式サイト
http://www.nagisama-fc.com/anime/

wikipedia「かんなぎ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/かんなぎ_(漫画)

アニメは普通に楽しんでますよ。
マンガをそのままアニメに生かしているなら、原作は、ネームが面白いタイプの作品なんですかね。そんな感じがします。

面白いなあ、と思うのは、オープニングにも現れていますけど、神様をアイドルとして表現しているところです。
ここではその1点だけを話題にしましょう。




カミはアイドル(中山美穂)


ゴッドねえちゃんことナギ様は、神木としてこの土地を守る土地神(産土神)であったが、街の開発?で神木は切られてしまう。
その神木を使って主人公が作った女神像に魂を宿して、再びこの世に姿を現したナギ様だったが、この土地を守るためには神様パワーがあまりに足りない。
それも当然で、神木を切り倒してしまうような時代。誰も土地の神様を信仰していない。
神様パワーを得るには、再び人々の信心を得ることが大事だということで、ナギ様は信者獲得を目指します。
つまりアイドル(偶像)になって、人気者になるのだ。

アイドルとして売り出すために、学校へ行って人気者になったり、公式ファンクラブをつくったりして、信者数を広げる。
信心深い老人達などではなく、高校生など若者の人気を得ようとするのは、もう純粋に女性アイドルの客が若者だから。
また、妹(これも神。ゴッドいもうと)と信者のパイを取り合ったりする。これは同期のライバルアイドルですね。

こうして人々の支持を得ることにより、神様パワーが上がって、色々できるようになるようだ。
アニメでは第3話ぐらいしか、その仕組みが使われていないので良く分からないが、基本のメカニズムはこうであるらしい。

人々が信じて、愛することで神様(アイドル)は力を得る、というこの仕組みは、単なるおふざけのマンガ設定ではなく、神様という存在にとても忠実ですね。

偶像(アイドル)崇拝とは良くいったもので、神様とアイドルはとても良く似た存在だからです。

人々の信仰を糧にする偶像(アイドル)


多くの人間が支持することで力をもつという例は実際の神様に見ることができます。
例えば、三国志のおヒゲのレッドドールこと関羽。
三国志の最終的な勝利者が誰か、というのはたまに話題になります。どう定義するかによりますが現代の我々から見れば、おそらく関羽になるでしょう。
何せ単なる一武将が、世界中の中華街にある関帝廟で愛される関聖帝君(かんせいていくん)という神様になったんですから。劉備や曹操もびっくりです。

明の万暦42年(1614年)万暦帝から「三界伏魔大帝神威遠鎮天尊関聖帝君」、天啓年間に天啓帝による「三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君」という神号を追贈され、清では北京地安門(北門)外に廟を作り、順治9年(1652年)に順治帝から「忠義神武関聖大帝」、乾隆年間に乾隆帝から「忠義神武霊佑関聖大帝」、嘉慶 (清)年間に嘉慶帝から「忠義神武霊佑仁勇関聖大帝」、道光年間に道光帝から「忠義神武霊佑仁勇威顕関聖大帝」という神号が贈られた
wikipedia「関帝」


どう偉いのかすらもう分かりませんが、どんどんすごい称号が上乗せされてゆきます。褒めるための漢字を全て付けた感じ。言葉の意味はよく分からんがとにかくすごい名前だ。

単なる人間、1本の木でも、人々に愛され、畏れられ、信心を得れば神になることができるし、さらに信仰を集めれば神格が上がり、神様としてもどんどん出世できるのです。

これはアイドルと同じ。すなわち、単なる歌好きの田舎の女の子でも、人々に愛され、尊敬され、信心を得れば、超時空シンデレラとして、歌姫として、女王として、銀河の妖精として、どんどん出世できるのです(ネットの世界ではそれこそ「神」になれるでしょう)。

もちろん、その逆もあります。

信心を失い、人々に忘れられた神様がどうなるのか。
『かんなぎ』劇中でも、このまま神として忘れられたら、力を失い、最後は消えていく運命だと、語られました。
これも実際に神様の世界であることで、私が最初に思い出したのはアイルランドの妖精達。

フェアリーの起源にはさまざまなものが考えられ、被征服民族の民族的記憶、異教の神や土着の神が神格を剥奪されたもの、社会的に差別・追放された人々を説明するための表現、しつけのための脅しや芸術作品の中の創作、などが挙げられる。小さい姿に描かれたり、遠い場所に行ってしまうといった話は、意識の中で小さくなってしまった存在であるということを表している。
wikipedia「フェアリー」


昔、ケルトにはまった時に、そのきっかけとなった井村君江さんの著作を色々読んでいた時期があったのですが、妖精は昔、その土地で信仰されていた神だったが、キリスト教が入っていくにつれて、神格を失い、人々の記憶の中で大きさも力も小さくなり、あの姿になった、とのことでした。
それでもアイルランドに妖精が多く存在するのは、アイルランドにキリスト教を広めた聖パトリックが、土着信仰を否定せず、キリスト教との融和をするように努めたからと言われています(聖パトリックえらい)。
逆にいえば、キリスト教に限らず宗教の伝播、軍事的征服や、民族の融合、移動など様々な理由で土着の神様達は、信仰を失い消えていったり、力を失い小さくなったり、悪魔にされてしまったり、他の神と融合(女神転生)したりしてきたわけですね。

さて、では同じようなことがアイドルでも言えるのでしょうか。

人気を失い、ファンを失ったアイドルは、人々の中で忘れられ、(芸能界での)力を失い、そしてブラウン管やCDショップから消えていくことで、そこにいるのだけれど通常の人には「見えない」存在となってしまう。妖精と同じく、信じる人にしか「見えない」存在になってしまうわけです。
また消えていく過程で、手のひらを返すように悪者やビッチ扱いをされたり、ソロではなく何人かのグループの1人とされてしまったり、するかもしれません。
この辺りは、四天王だの八部衆だの十二神将だの七福神だのといった神様のグループ化と対比させると面白いでしょう(必ずしも神格の弱体化と直結してるわけではないが)。

その昔は、国中の人々が信じて愛する妖精(アイドル)がいた。
しかし、あらゆる層から認められる国民的歌手、国民的アイドルという存在が成立するのはもう今の時代むずかしい。多様化が進みすぎ、ネットを見ても分かるとおり神はいたる所にいらっしゃいますが、それを全ての人で共有することは残念ながらできません。
『かんなぎ』でのアイドル像がどうしても、いわゆるひと昔前のアイドルになってしまうのはやむを得ないし、山本寛監督など制作側の世代を考えても仕方ないような気がしますね。
この頃はまだギリギリ、みんなが同じ妖精を「見る」ことができたんです。
とはいえ、私はアイドルを語るほど、アイドルを知らない(テレビを通して普通に消費してきたが、特に誰にもはまってない)ので、あまり何とも言えませんが。
この辺りはどなたか詳しい方に語っていただけるのを楽しみにしたいと思います。

誰のものでもあり、誰のものでもないもの


冒頭に言った通り、原作のマンガを読んでいませんので、どういう展開になってるのか知りません。
しかしこういう仕組みがある以上は物語が進むにつれてナギ様は人気アイドルになり、「誰のものでもあり、誰のものでもない」存在になっていくしかないような気がします。
これは主人公の男の子からすると、結構たまらないものがありますね。
同居してきた、かわいい女の子が、多くの人間に愛されていく。それは女の子本人の望みであるからいいはずなんだけど。
1話で主人公は「神様でもトイレに行くんだな」とつぶやきますが、その後、トイレに行かない存在(アイドル)になっていく。

中身も、信心を得て、神格が上がっていくことで、神性が強まり、人間性が薄くなっていくのも面白いかも知れませんね。
人間臭いところが魅力的なんだけど、それが薄くなっていくし、主人公を特別視するのでなく、土地の人々を平等に扱う意識が強くなっていく。
つまり、「僕だけのナギ」が、「みんなのナギ」になっていく。
でもお話としては、その構図に葛藤を作らないといけないので、主人公(あるいはナギも)はそれに逡巡や抵抗するという形にする。
最終的には、力を取り戻した神(絶頂期のアイドル)としてどうするか、にするとか。引退か、結婚か、仕事か。キャンディーズか、山口百恵か、松田聖子か、中森明菜か。

まあ原作を知らないので、それをいいことに色々考えました。知らないと楽しくあれこれ考えられるので、原作が実際にどういうお話か、という事はどうでもよかったりします。
原作は多分、そんなに神様=アイドルの構図は強くないような気もしますね。アニメのオープニングが80年代アイドル全開なので、どうしてもそう考えてしまうだけでね。

女神転生アイドルサマナー


あと『かんなぎ』見て思い出したのは、昔からゲーム女神転生(メガテン)で、信者を取り合うメガテンがしたいと考えていたことでした。

メガテンは神様(仲魔)がいっぱい出てきますが、それらをうまく使って人々の信心を集め、土地の人々を災厄や悪魔から守り、幸せにするのをゲームの目的にする。

その中で一番人気(信仰)を得るのは誰か。人気を得た神様がパワーアップできる(神格が上がる)。
姿かたちも「神々しく」、巨大になり、畏敬を感じるものになっていく。強かっこいい。

人気を失った神様は消えてしまったり、悪い属性がついたり(貧乏神、疫病神とか)する。神様パワーも衰える。
その代わり、いたずら好きの妖精ちゃんになったりして、姿かたちが「かわいく」、小さくなっていくようにする。
これはグラフィック的にそうなるようにする。雷獣ヌエが、ピカチュウになってしまうような変化。

弱い神様にもメリットがあり、神格が低いおかげで顕現(実体化)するコストが低い(メガテンでいう所のマグネタイト消費が少ない)。
だから、いつも人間のそばにいられる。つまり、いつもサトシにだっこしてもらって、マスコットでいられる。

強い神様は、神格が高いため実体化するコストも高い。顕現できても奇蹟を起こして神様パワーを起こすと実体をたもてなくなり、また消えてしまう。
このため、1年に1回しか顕現できなかったりする。1月1日や、7月7日や、12月25日など、人間の「願い」が最大限に高まる日にしか出現できなかったり。

プレイヤーは芸能事務所の社長のようなものと思ってもいいでしょう。神様はタレントです。
人々のニーズに合わせて、恋愛の神様、商売、健康、勝利の神様などのタレントをそろえる必要があります。
人気アイドルポジションにどの女神を置くか、ラクシュミなのか、ティターニアなのか、キクリヒメなのか。何人かの神様でアイドルユニット「四天王」を結成したり、「七福神」つくったり。

ちなみに『かんなぎ』のナギ様は、神木が顕現したものなので火炎(アギ系)が弱点。
スキルは、ケガレを払うハマ系とあとはテンタラフー?ぺったん胸で物理反射させてもいいですが。
そして最終的にはマハナギダインを覚えればいいと思います(効果はみんなで考えよう)。



※追記
第7話「キューティー大ピンチ!激辛ひつまぶしの逆襲(後編)」が面白かったので追記。

引きこもりの神様


主人公とケンカして押入れに閉じこもったナギを、引っ張り出そうとみんなであれこれするというお話。
内容はこれだけですので、必然的にナギは最後にしか姿を見せません。

これはもう、完全に日本神話の天の岩戸隠れですよね。

天岩戸(あまのいわと)とは、日本神話に登場する岩で出来た洞窟である。
太陽神であるアマテラスが隠れ、世界が真っ暗になってしまった岩戸隠れの伝説の舞台である。
wikipedia「天岩戸」


"てんてるたいしん"ことアマテラスが、不良の弟の凶行に嫌気がさして引きこもりになってしまってさあ大変。みんなで、あれこれ工夫して、アマテラスを引っ張り出すのだ、という説話です。

かんなぎ第7話もまさにこんな感じで進み、キャラクター達が集まって、あれこれ策を試すが上手くいかない。ちょっとエロい事で気を引いて、扉を開けさせようとするところも神話と同じ。

もちろん天岩戸は単にモチーフというだけなので神話とは違い、アマテラスより頑固なナギ様を引っ張りだすことは誰にも出来ずに終わります。結局、扉を開けさせたのは……あれは、トイレ?水に流す。
さすがトイレにいく神様。北風とおしっこ。

そういう意味で、いや、おしっこでなく天岩戸ネタということでは、実に神様らしい回でしたね。
最初は「これは省エネ回かな?それでこのネタは上手いなあ」と思いながら見てましたけど、最後の魔女っ子アニメネタがすごい動いていたので、あれはリソースをあそこに回したということなんでしょうかね。

別に必要以上に神話のメタファーを見ていく必要は無くて、単に普通に楽しめばいいと思う。
実際、今「かんなぎ」で盛り上がってるのは違う部分だし、第7話もクラナドネタが入ってたことの方がキャッチーだ(そっちは言われるまで気づいてませんでした)。
ただ偶像崇拝も含めて、基本構造レベルで意外にちゃんと神様してるので、楽しむための方向の1つとして持っていてもいいかも知れない。



関連リンク
過去のある女性を受け止めるために、用意された通過儀礼<『かんなぎ』と『めぞん一刻』>


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