なぜハマーンはファンネルで決着をつけなかったのか <『機動戦士ガンダム』から『逆襲のシャア』までのサイコミュ兵器四方山話>
アニメ富野由悠季ガンダム物語ZガンダムガンダムZZ逆襲のシャアファンネルニュータイプハマーン・カーン
2022-10-11

『機動戦士ガンダム 水星の魔女』公式サイト
私はプロローグを含め、まだ全く見ていない(録画はしている)が、主人公機にファンネルが搭載されているそうで。恐らくそれを契機に、Twitterでファンネルの話が色々出ており、それに刺激を受けて、自分でもツイートしたし、こうして記事に仕立てることにもしました。
前述のように水曜日の魔女たち(金妻みたいにいうな)こと『水星の魔女』は見ていないので、同作品でのファンネルについての話はできないのでしません。
私にできる話ということで、『機動戦士ガンダム』から『Zガンダム』『ガンダムZZ』、そして映画『逆襲のシャア』までの限定的な話に留めておきます。
さらにいえば「ファンネル」話の総論的なものは、あでのいさん(@adenoi_today)が、すでに記事をまとめておられます。ファンネルの基本と網羅的な理解はこちらで。
機動戦士ガンダム水星の魔女1話感想??〜主人公機1話からファンネルってどうなん?問題の話〜
↑この記事自体に、私がしたツイートの内容も一部盛り込まれてはいるのですが、同じ話をしても仕方ないので限定的がゆえの話に努めることにしましょう。
「ファンネル」「ビット」とは何か?
冒頭から説明なしに、さらっと出てきた「ファンネル」というワード。
これは、東証一部上場の無添加化粧品/サプリメントの企業ではなく、『機動戦士ガンダム』シリーズに登場する架空兵器の名前です。
「ファンネル(ビット)」は、モビルスーツ(ロボット)などに搭載されて、四方八方肘鉄砲の「オールレンジ攻撃」と呼ばれる攻撃をしかけます。
最大の特徴は、この兵器は脳波でコントロールされていることです。
ニュータイプと呼ばれる人たちが脳波で操るため、総じて「サイコミュ兵器」とも言われます。
『ガンダム』を見たことない方は、超能力バトルで無数の石を浮かせて、それをコントロールして、相手にぶつけるようなよくあるシーンを想像してもらえると近いでしょうか。
超能力バトルを見たこともないお嬢様方は、現実世界の「自爆型無人ドローン」でも想像してください。あれを脳波でコントロールして目標にぶつけるようなものです。
実際のところ、自爆型ドローンが現実に存在し、脳波コントロールも研究されていることも考えると、この2つが結びつけば近いものにはなる気はする(ファンネルミサイル方面だが)。
『ガンダム』という物語世界としては必然的にモビルスーツが先で、それに搭載するビットやファンネルなどサイコミュ兵器はあとで実用化されたが、本来のテクノロジーツリー(Civilization)でいけば、「モビルスーツ」と「サイコミュ兵器」は当然別系統で、現実での実現度が高いのは「サイコミュ兵器」(的なもの)になるだろう。
ただ現実で考えると、自律型(AI)でいいだろとはなっても、なぜ兵器のコントロールにわざわざ人の脳波を使わなければいけないのか?という話には当然なりますね。
その当然の疑問について、『機動戦士ガンダム』では前提として、電波障害(ミノフスキー粒子)という存在があります。
ガンダム宇宙は、ミノフスキー宇宙
「ミノフスキー粒子」とは、『機動戦士ガンダム』に出てくる架空の物質。
役割だけいうと、ガンダム世界(宇宙世紀)というフィクションを支える、言い訳用の架空物質でエクスキューズ粒子といってもいい。
SF的な荒唐無稽の言い訳をほとんどをこの粒子でまかなうので、説明しようとすると膨大かつ多岐に渡ります。よって今回の記事に関係するものだけに絞って、簡単に説明します。
「ミノフスキー粒子」とは?
「ミノフスキー粒子」は電波障害を引き起こすよ
▼
だから戦場に散布されると電波障害が起きて、無線やレーダーが使用不能になるよ。
誘導ミサイルなんかも使えないんだ。
▼
じゃあ機動兵器(ロボット)で近づいて、目視で斬り合うしかないね。
というもの。もちろん因果は逆で、ロボットアニメだから同一フレーム内でチャンバラして欲しい、が先。欲しい結果が先で、理由はそのためにあとで作られたもの。
ここで「ファンネル(ビット)」の話に戻ろう。
ニュータイプが脳波でコントロールするサイコミュ兵器は、このミノフスキー粒子散布の戦場を大前提にして戦ってきた『機動戦士ガンダム』終盤で登場させた、びっくり兵器。
脳波でコントロールするサイコミュ兵器は、電波障害を受けない。
誘導兵器が使えない戦場で登場した、ひとつだけ誘導ができる兵器。それがビット(ファンネル)です。誘導力が落ちない、ただひとつの掃除機。
※識者諸兄へ。サイコミュの設定自体にミノフスキー物理学が絡んできますが、本筋の理解に関係ないので省略します。
ただし、この兵器が使えるのは強い脳波をもつ、作中で「ニュータイプ」と呼ばれる特別な能力を持つ人達だけです。
ミノフスキー粒子散布下が前提の戦場において、ニュータイプ能力の軍利用という意味で大きな価値を持つのは「通信」でしょう。
ですからニュータイプ&サイコミュ兵器の組み合わせによって、電波障害の中、通信して誘導兵器をコントロールできる、というのが本来のビット(ファンネル)の第一の価値だと思います。
ニュータイプ・ララァと、モビルアーマー・エルメス
『機動戦士ガンダム』において、完全な無線でのサイコミュ兵器は、ニュータイプであるララァ・スン専用モビルアーマー・エルメスが持つ「ビット」だけです。
このララァ&エルメスが連邦軍に占領されたソロモン要塞でやっていたように、「本体は見えないのに、どこからか謎の攻撃を受けている」というのが、サイコミュ兵器の利用としては、最も理にかなっていると思います。
エルメスは指令を出す送信機の役割で、レシーバー(受信機)であるビットが攻撃を担います。
技術的に小型化が困難なせいもあって、エルメスを始めとしたサイコミュ搭載機はどれも大きく、いわゆるドッグファイト、近距離での格闘戦(作品として望まれたバトル)ができるような機体ではないし、そもそもそれを想定していません。
戦場に接近する必要はあるでしょうが、最大の役割はサイコミュの送信機。
攻撃兵器としてはビットが本体で、機体はおまけのようなものです。
ジオングに脚が必要かどうか、というのは本編内でもいじられたぐらいだが、サイコミュ送信機という観点から見れば、確かに脚は不要であって、あの技術士官の言っていることは正しい。
このあたり『機動戦士ガンダム』でのバトルの元ネタのひとつである、チャンバラや忍者物の文脈で言えば
・姿は見えないが、手裏剣や小石が自分めがけて飛んでくる
・術者は見えないが、催眠で操った人間たちをけしかけて攻撃してくる
といった敵役とのバトルになるでしょう。
今でもネットの世界では、自分で動かず他人をコントロール(扇動)して攻撃させることを指して「ファンネル」と言われることがありますが、まさしくそのような兵器です。
この種のバトル、基本的には操っている本体を探し出す駆け引きになることが多く、本体自体にそこまで戦闘力はない(あればこの手法を使う必要が無い)というのがパターン。
『機動戦士ガンダム』だと、マ・クベがまさしくそのようなタイプなのですが、ニュータイプ能力は無いので古典的な小細工のみで、むしろニュータイプという新しい存在に蹂躙される役割になっています。
第39話「早すぎる修正パッチ」
さて、これまでの話から分かる通り、エルメスやブラウ・ブロには必然的に護衛のモビルスーツが必要になることが分かりますね。
しかし、ここからが『機動戦士ガンダム』の本当に巧妙かつ周到なところ。
第39話「ニュータイプ、シャリア・ブル」において、初のサイコミュ搭載機であるブラウ・ブロは単騎で出撃して、ニュータイプとしてガンダムの性能をも上回りつつあるアムロに敗れます。
アムロが目を閉じ心眼殺法みたいなことするのが、いかにもチャンバラ、忍法文脈。
もちろん相手がアムロでなければ単騎でもやすやすと撃破されてはいないでしょう。
オールレンジ攻撃を避け、本体を察知し、そこまで近づけてしまうガンダムは、まさしく天敵といえる。あまりに相性が悪すぎる。
先ほどの忍者物の例えだと、目を閉じ心眼で「そこだ!」と隠れている本体に対して、手裏剣を投げて当てれるタイプ。
それにしても、なぜシャアは、ブラウ・ブロに護衛をつけなかったのでしょうか。
劇中のセリフを引用してみましょう。
ララァ「なぜ(シャリア・ブル)大尉だけおやりになるんです?」
シャア「律儀すぎるのだな。ブラウ・ブロのテストをしたいといってきかなかった」
ララァ「そうでしょうか?」
シャア「不服か?私はエルメスを完全にララァに合うように調整してもらわぬ限り、ララァは出撃はさせん」
シャリア・ブル、止めるの聞かず、発ったんだわ。
そして、ブラウ・ブロが撃破され、シャリア・ブルが敗死したあとのやりとり。
シャア「シャリア・ブルまで倒されたか」
ララァ「今すぐエルメスで出ればガンダムを倒せます」
シャア「あなどるな、ララァ。連邦がニュータイプを実戦に投入しているとなると、ガンダム以外にも」
ララァ「そうでしょうか?」
シャア「戦いは危険を冒してはならぬ。少なくともソロモンにいるガンダムは危険だ。それに、シャリア・ブルのことも考えてやるんだ。彼はギレン様とキシリア様の間で器用に立ち回れぬ自分を知っていた不幸な男だ。潔く死なせてやれただけでも彼にとって」
ララァ「大佐、大佐はそこまで」
シャア「ララァ、ニュータイプは万能ではない。戦争の生み出した人類の悲しい変種かもしれんのだ」
とまあ、本来ならしないであろう一騎打ちの理由を、パイロット側(シャリア)の個人的なところに落ち着けている。
さらにこの回には、ララァに関する以下のやりとりがある。
シャア「わかったのか?ララァが疲れすぎる原因が」
フラナガン「脳波を受信する電圧が多少逆流して、ララァを刺激するようです」
シャア「直せるか?」
フラナガン「今日のような長距離からのビットのコントロールが不可能になりますが?」
シャア「やむを得ん、というよりその方がよかろう。遠すぎるとかえって敵の確認がしづらい」
フラナガン「そう言っていただけると助かります。なにしろ、サイコミュが人の洞察力を増やすといっても……」
先にソロモン要塞での長距離ビット攻撃が、もっともサイコミュ兵器の有効な使い方である、と延べたが、それについて修正パッチを当ててきた。なぜなら、次の回は第40話「エルメスのララァ」。アムロのガンダムと、シャアゲルググ&エルメスが交戦する回。
見えない場所からのオールレンジ攻撃は、ブラウ・ブロ戦を見てもアムロには通用しないし、そもそもそれではミノフスキー粒子をまいてまで接近戦をやれる戦場を設定した意味がない。
アムロとシャリア・ブルとの間に、特に何もドラマが発生しなかったのは……直接的には話数短縮の影響大だろうが、逆に言えば、特にドラマ無しで終わらせるなら、あの戦いでいいわけです。
だがララァというキャラクターが背負うドラマは、それこそ話数短縮の影響もあって、より大きい。
ミノフスキー宇宙の戦場に対する、ただひとつの誘導兵器として登場させていながら、結局のところ、こうしてドラマの発生する近距離で戦闘するために外堀が、早々に埋められていく。
矛盾のように思えるかも知れないが、これで分かるのは、SFガジェット的な世界設定中の特異点兵器を描くことよりは、近距離に敵味方をおさめる分かりやすい絵面にしつつ、コクピット同士でしかない宇宙戦闘で何とかドラマを発生させることを優先している、という事実だ。
私は「ニュータイプは戦争(ロボットアニメ演出)のための道具でしかない」と度々、このブログでは書いている。
ニュータイプの使うサイコミュ兵器も、当然その例外ではない。
その最初期から、つまりブラウ・ブロ、エルメスの時から、SFガジェットとしての設定より、TVアニメとしての「劇」が描きやすい距離が優先されたことに注目してほしい。
SF的想像力は存在するが、SF的な描写は良くも悪くも最優先されない。
ベテランパイロットたちのサボタージュ
第40話「エルメスのララァ」では、さらに周到な外堀埋めが行われる。
シャアの部隊は、ホワイトベース隊の前に、連邦の戦艦マゼランやサラミスと接敵し、ララァは出撃する。シャアは護衛に2機のリックドムをつける。
シャア「ララァ、恐くはないか?」
ララァ「は、はい」
シャア「初めての実戦だ、リック・ドム2機のうしろについて援護をすればいい」
ララァ「はい」
しかし結果的に言えば、この護衛のドム2機は役割を果たさない(サボタージュする)。
ドムパイロット(バタシャム)のセリフは興味深いので引用してみましょう。
バタシャム「……エルメスのビットが?ま、まるでベテランパイロットじゃないか。あれが初めて戦いをする女のやることなのか?」
ララァ「よーし、もう1隻ぐらい、あっ!」
「あっ! ドムが援護を?」
「あっ! ドムがうしろに下がる」
「なぜあたしのうしろにつこうとするの?初めて戦いに出るあたしを前に出して」
「あたしがやるしかないの?」
「ああっ、援護がなければ集中しきれない」
シャアがゲルググで出撃し、ララァのあとを追う。

シャア「ん?どういうことだ?」
「バタシャムめ、貴様が前に出るのだろうが」
バタシャム「馬鹿言え、エルメスがいたら俺達が前に出ることはないだろ」
シャアのサポートもあり、ララァは無事に帰還する。
当然、ドムのパイロットたちは、シャアから呼び出しを受け、説明を求められる。
バタシャム「ひょっとしたらエルメスはシャア大佐のゲルググ以上でありましょう」
シャア「歴戦の勇士のお前達がそう言うとはな……」
バタシャム:「我々はニュータイプの能力というものを初めて見せられたのです。あれほどの力ならばララァ少尉はお一人でも戦闘小隊のひとつぐらいあっという間に沈められます。その事実を知った時、我々は馬鹿馬鹿しくなったのであります。ララァ少尉ほどのパイロットが現れたなら、我々凡俗などは……」
シャア「ララァに嫉妬しているのではないのか?」
バタシャム「心外であります。……いや、皆無とはいえませんが、なによりもニュータイプの実力に驚きました」
シャア「うん」
バタシャム「軍法会議も覚悟しております。が、エルメスの出る時、後衛にまわることだけは認めてください!」
シャア「できるか?少尉」
ララァ「中尉のおっしゃることはわかります」
シャア「そうしてくれ」
「中尉、いいな?」
バタシャム「は、大佐」
面白いよねこの会話。
ベテランパイロットがこう答えたのにはいくつか感情があったと思うが、大事なことは、彼らはここまで説明してきたようなサイコミュ兵器の本質を全く理解していない、ということ。
もちろん戦争末期にいきなり登場したびっくり兵器なので仕方ない部分もあるのだろうが、そもそもどういう運用がされるべき兵器なのか全く分かっていない。
シャアは理解してるはずなので、部下がここまで全く分かっていない責任は上官のシャアにある。
ただ物語として必要なのはシャアの責任どうこうではなく、ドムがエルメスの後衛に回ってもOKになったこと、そしてシャアがララァのサポートをするしかない、ということだ。
これで次回、第41話「光る宇宙」という城の外堀は完全に埋まった。
ここまで読んできた人であれば、せっかく姿を見せずに長距離誘導攻撃ができるはずのエルメスが、この回「シャアがくる」をバックに颯爽と片腕落とされたシャアゲルググを護衛に、アムロのガンダムと近距離戦をやらされることの恐ろしさが分かるだろう。
まさしく翼をもがれた状態いや、翼の折れたファンネル。
“もし私がニュータイプだったなら、ガンダムを近づけやしないのに……”
そんな大佐のつぶやきにさえ うなづけない 心がさみしいだけ
(これがやりたいだけだろ、とか言ってはいけない)
シャアはこの時点で最もニュータイプの実用性を信じ、サイコミュ兵器の意味も理解している男のひとりだが、最大の問題は、連邦に白いやつがいること。
ミノフスキー粒子が散布された戦場で、全兵器に対するアンチユニットになれるはずのエルメスに対する、ただ唯一のアンチユニット。それがアムロとガンダムの組み合わせ。
ドムパイロットの「ビット強すぎじゃん、お前一人で戦争やればいいだろ」に対する最悪の答え。
だからエルメスで近距離戦などもちろんするべきではないが、ビットの攻撃をさばきながら接近できてしまうのだから仕方がない。
シャアが護衛の役割を果たすべきだが、アムロの戦闘力はシャアをも上回り、むしろシャア守るためにビット使わされて「邪魔です」と言われる始末。
このあたりの来たるべきポイントへの周到な用意とパワーバランスの妙。
でもフラナガン機関とジオン開発者の目論見は全く間違ってないはず。
ミノフスキー粒子散布下での「通信」の保持とコントロールにこそ、ニュータイプ能力を使うというのは妥当のはず。
ただ実際は、ブラウ・ブロもエルメスもジオングも全部、アムロ(ガンダム)が叩き潰している。
研究と開発の責任者には心から同情する。
あと、ここまで外堀を丹念に埋められて、翼を折られたララァ・スンにも。
ゆるふわインド少女最強伝説
ニュータイプ能力に目覚めたものの存在と、サイコミュ兵器。
『機動戦士ガンダム』では諸事情もあって、ララァ・スンがその身に背負うことになる。
ララァはそもそも軍人ではないし、軍人として戦おうとも思っていない。
ただ出会い拾ってくれたシャアへの恩義と情愛で訓練を受け、戦場に出る。
結果として、エルメスは短時間に絶大な戦果を上げ、ベテランパイロットどころか、赤い彗星以上の存在となった。
ニュータイプ能力とサイコミュ搭載ニュータイプ専用機のおかげで、屈強なジオンのおっさん軍人より、ふわふわインド少女の方が戦場で活躍できるようになったわけで、『ガンダム』世界では最強パイロット表現に、性差と年齢は関係ないことになった。
「あたしは絶対にイングラムを否定しないんだ。あたしの筋肉だからね!」と言い切ったのは、『機動警察パトレイバー』の泉野明だが、たしかにロボットであれば女性でも戦うことができるだろう。本人の筋肉量と関係なく。いわんやサイコミュをや。
それは現在のフラットな視線から見れば「当たり前」としてしかるべきで、特に理由なくパイロットに男性も女性もいる、ということになるだろう。
実際に『機動戦士ガンダム』以降のシリーズでは、職業軍人として普通に数多くの女性パイロットが登場する。
ただその一方で、サイコミュ兵器を操るニュータイプのパイロットにはファースト以後も少女が多く、『Zガンダム』からは「強化人間」という人工ニュータイプにも少女が多く登場する。
正直に言えば、これはフラットということではなく、少女であることと、強い戦闘力(ニュータイプ能力)をもつことが、同時に求められたのだろうと思う。作品の中で、というより作品の外で。
ララァ・スンが結果としてアムロとシャアの間のファム・ファタール的な悲劇のヒロインになったとすれば、強化人間はそうなるように、まさしく人工的に作られた存在といえるだろう。
ニュータイプ能力が必要なファンネルやビットは、性差や年齢を超越した兵器ではあるけれど、それを操るニュータイプ(強化人間)に関しては、ドラマの道具立てとしてはどうしても性差や年齢は超越していないと思える。
もちろんこれはあくまで、本記事が取り扱う範囲である、何十年も前の少年主人公アニメでのお話。Twitterの反応やインタビュー記事などを読むと、今回の『水星の魔女』はいろいろと違っているようなので、楽しみにしておきたい。
ニュータイプ・ハマーンと、モビルスーツ・キュベレイ
『機動戦士ガンダム』から7年後の世界『機動戦士Zガンダム』での、ビット(ファンネル)搭載機は、キュベレイ。
いわずとしれた、ハマーン・カーンの乗機にして、アクシズ(ジオン)の象徴のような機体だ。
もともと「ファンネル」とは、キュベレイの装備する小型版ビットで、東証一部上場の無添加化粧品/サプリメントの企業とは関係なく、形が漏斗(ろうと、じょうご)に似ているから、そう名付けられた。
しかしこれ以降、同タイプの兵器は形状関係なく「ファンネル」と呼ばれることになる。
元々は形状を示していたのに、その意味が抜け落ちて呼び名だけが残った、というのは例えるなら、あれだ。あれ。我々で言うところのあれ。まさにあれみたいなものだ(この部分、このまま公開時に残っていたら何も思いつかなかったと思ってください)。
今回の話の流れとして、このキュベレイの何がすごいかといえば、キュベレイ単体でちゃんと戦えて強い、ことでしょう。
小型化にも成功してモビルスーツサイズとなり、ビームサーベルもあり近接戦闘も出来る。
パイロットであるハマーンの能力も相まって、ファンネル攻撃はもちろん、本体のモビルスーツとしても普通以上に戦える。
いわばララァとアムロの良いとこ取りのファンネル搭載機で、ジオン系開発者のガンダムへのトラウマが見えるようで面白い。
エルメスのビットには、熱核反応炉が内蔵されており、稼働時間も長く、ビームの出力も高いが、その代わりサイズが大きい。
キュベレイのファンネルは、バッテリー式でビットに比べれば、稼働時間や出力は低いが、小型化に成功した。
バッテリーがなくなったら本体に戻し充電が可能なので、現在の目で見れば、ルンバ(ロボット掃除機)の充電のようなイメージだろうか。
ファーストの頃から近距離戦を余儀なくされたサイコミュ兵器だが、ファンネルではこの仕様の変化もあり、戦闘の形式自体も最初から違っている。
忍者物の例えで言うなら、もう本体は隠れていない。
本体は見せたまま、でも見えない角度から攻撃が飛んでくる敵、みたいな感じになる。
または、攻撃方向が多数方向すぎて、対処しきれないタイプの敵。
こうなると戦闘の駆け引きは本体探しではなくなるし、分かりやすい攻略法はない。普通に強い。
さらに重要なことは、キュベレイのパイロットがハマーン・カーンであることだ。
そもそも、ファンネル搭載機をモビルスーツサイズに出来たからといって、ファンネルとモビルスーツのコントロールを両方高いレベルですること自体が困難なのであって、その意味でまさしくハマーンはモビルスーツで15勝、ファンネルで34HR、大谷翔平クラスの二刀流ユニコーンといってもいいだろう。
それだけではない。
ララァが敵であるアムロと戦場で精神的に強くつながり、それをシャアに嫉妬された上に彼をかばって命を落としたことを思い出してもらいたい。
ハマーンはララァと違い、敵対するニュータイプと接触し、互いの心が深くつながってもそれを拒絶するニュータイプだ。
ハード(モビルスーツ)、ソフト(パイロット)の両面でスキはない。
※全然褒めてない。そんなハマーンに誰がした。なあノースリーブよ。
ちなみに『Zガンダム』では、ファンネル搭載機がキュベレイ一機しか登場しないが、その持ち主がハマーンであることは興味深い。
本体(キュベレイ)とファンネルは支配・被支配の関係にある。
ハマーンの人間関係の基本がそこにあり、彼女が使うモビルスーツがファンネル搭載機なのは象徴的だ。ハマーンの象徴。(これが言いたいだけだろ、とか言ってはいけない)
また別の視点として、ファンネルがエネルギー充填のために本体にお乳を吸いに戻ることを考えれば、キュベレイとファンネルはある種の親子関係とも言うことができよう。
ハマーンはキュベレイのファンネルで四肢をぶった切って、百式をダルマ状態にしてでも、シャア(クワトロ)に自分の元に戻るように迫る。

支配・被支配の関係、さらに私が昔から提唱している「ハマーン=アクシズのシングルマザー」文脈での逃げた元亭主の首根っこを掴む視点から見ても興味深い。
まあそれでもシャアは逃げるんですが。
なぜハマーンはファンネルで勝負をつけなかったのか
『機動戦士ガンダムZZ』最終回「戦士、再び……」での、主人公ジュドーとハマーンの一騎打ちは、最終的にビームサーベルの斬り合いでジュドーが勝利する。
決着後ジュドーが、なぜもっとファンネルを使わなかったのか、と尋ねると、ハマーンは「一騎討ちと言ったろ」と答える。
実際、この戦いの勝敗自体に特に意味はないので、彼女の精神的な決着の為だけにあるはず。
だから、ハマーンがファンネルを使わず、剣での決着を望んだ、ということになるだろう。
ファンネルは被支配の兵器であくまで主体からコントロールされたものでしかないので、精神的決着にハマーン(つまり主体)の気持ちが乗らなくてどうする、つまりキュベレイが握るサーベルに意思を乗せるしか無いだろう、ということだ。
他にも、もうキュベレイのファンネル戦闘で面白い絵面も無さそうだし、ハマーンの自殺願望とか、あのオカルト空間でどうせファンネルなんかどうせ効果ないし、とか色々言えてはしまうのかも知れないが。
結局のところ、サイコミュ兵器やファンネルとしての利点を、SFガジェットや軍事的な思考で突き詰めるよりは、TVアニメーションとして同一フレーム内で接触すること(それはキャラクターの意思を直接表現すること)がここでも優先されているといえる。
ただその上で、ハマーン・カーンというキャラクターに寄り添った解釈をしてあげるなら、前作『Zガンダム』の時に、ファンネルで百式をダルマにしてもシャアに拒まれたという経験がすでに存在している、というのがひとつ。
ファンネルでモビルスーツ戦に勝利したとしても、シャアに言うことを聞かせることはできず、彼女が欲しかったものは得られなかった。
もうひとつは、アクシズの指導者として『Zガンダム』から『ガンダムZZ』まで、ミネバと彼女の信奉者をファンネルのごとく上手く操ってここまで来たが、グレミー離反と、ジュドーの抵抗もあって全ては水泡に帰した。
この期に及んで、何かを操るような方法(=ファンネル)をようやく意識的にやめたのかも知れない。まあ操るものはこの時点でファンネル以外に何も残っていないのだけど。
ハマーンはファンネルがごとく、人と人との関係も上手くコントロールし、支配する。
だからこそ彼女は「ハマーン様!ハマーン様!」と叫ぶ崇拝者に囲まれていながら、常に孤独にならざるを得なかった。
そして大事なことは、彼女の孤独を救ってくれるはずのシャアもジュドーも、けして自分の思い通りにはならない存在であることだ。
それを味わった百式ダルマ戦を踏まえた上での、ジュドーとの最終決戦で「ファンネルで決着をつけることを選ばなかったハマーン」という視点を加えると、物語の豊かさがより増すのではないだろうか。
手に入れたいものは、手に入らないもの
もうすでにファンネルの話というか、完全に単なるハマーンの話にスライドしているが、このあたりがいちばん書きたいところなので、このまま脱線を続ける。
「戦士、再び……」では最終回なので珍しくハマーンが色々と気持ちを吐露するけれど、個人的にはそこに意味があるようにはあまり思えない。
ジュドーは言う。
「そんなに人を信じられないのか!?」
「憎しみは憎しみを呼ぶだけだって、分かれ!」
「憎しみを生むもの! 憎しみを育てる血を全て吐き出せ!」
これに対して
ハマーン「吐き出すものなど……ない!」
こう突っ張るけれど、無いわけがない。
どう考えても山程ある。吐き出す相手がいないだけで。吐き出す素直さが無いだけで。ついでにいえば吐き出してどうにかなる余地もないだけで(最終回だからね)。
これを見て、この矜恃、さすがハマーン様!みたいな事は全く思えない。
決着後もジュドーが本当に欲しい答えをはぐらかすように話していて、ここのハマーンの台詞にも特に意味がある感じはしない。
むしろ、最後までやせ我慢して、この期に及んでこの人は……と思ってしまう。
要は、ここで必要なのはただひとつ。コクピットハッチを開いてジュドーの方へ飛び込んでいくことなんだけど、もちろんハマーンにはそれが出来ない。
実際に前話「バイブレーション」でクインマンサのプルツーがそれをやっている。
ハマーンのシャドウたる子供のプルとプルツーは出来た。
だけどハマーン本人にはそれが出来ない。年齢も立場もプライドも己が今までやってきた事も全てひっくるめて出来ない。
結果的にジュドーとは逆方向に彼女は飛んで、そして自ら命を絶つことになる。
敗北したキュベレイと同じくダルマ状態にされた百式で、クワトロが池シャアシャア(池田秀一とシャアにしか使えない特殊表現)と生き残った事に比べれば、大変潔い。あまりに潔すぎる。
色々都合よく始末をつけすぎるのは、ジュドーが木星にいくのと同じで、制作も決まった映画『逆襲のシャア』の下準備という側面もあるけれど。

有名なシャアと少女時代のハマーンとの写真。
どれだけ意図されたものかは分からないが、意図のあるなしとは無関係に私はよくできた写真だと思ってるんですよ。
シャアより7歳下でこの時まだ少女であるハマーンだが、年上の男性であるシャアの胸に自分を預けるのではなく、背伸びしてでもシャアと同じ高さ、目線で映ろうとしている。
シャアをパートナーと考えていたハマーンにとって「対等」である事は重要だったのではないか。
だからこそシャアと対立し、ハマーンを政治と戦争に担ぎ出した張本人であるシャアは逃げ出す。
(ララァは戦いをする人ではなかったのに、誰かが戦場へ連れ出したことを思い出して欲しい)
シャアは子供の、いや女性(といった方がよいか?)に合わせて頭(目線)は下げてくれない。
だからこそジュドーとの関係で必要だったのは、ハマーンがジュドーの目線に合わせることなんだけど、最後の最後まで出来ない。
ジュドーは14歳の子供。それでも10歳のプルとプルツーなら飛び込める彼の元へ、ハマーンは最後まで行けない。
シャアの時と同じく私の所へ来いとは言うのだが、もちろん失敗する。
(勘違いするような人などいないと思いますがこれ、行けないのが悪いという話ではないですよ)
少女時代を捧げたのに逃げられた年上のシャア(追いかけて包丁突きつけても拒否される)。
そのシャアと似ている男をやっと見つけたと思ったら、年下の14歳。まっすぐな魂をもっていて、ハマーンの心に土足で踏み込まずにストレートに言葉で気持ちをぶつけてくる。好ましく強い子だ。だけど悩ましい。
最後の「強い子に会えて……」の気持ちに嘘は無いと思うが、自分がシャアと同世代だったらと思ったように、ジュドーが自分と同世代だったら……と思わずにはいられなかったのでは。
年下のジュドーに対して素直になれない自分である以上は。
サーカスの子供がたった一人、ガラスのロープを目隠しで渡るんじゃない。
結局どれだけ多くのものを支配下においても、本当に手に入れたいものは、自分ごときに支配などされないもので、恐らくそれだけが彼女と対等の関係を結び、孤独から解放する存在。
だけど彼女はその相手と関係を結び、維持する方法を知らない。最後まで。
それがハマーン・カーンというキャラクターです。
個人的には、無理やりでも目線を対等に持っていこうとするハマーンを好ましく思っています。
改良型ハマーンであるナナイの方が、シャアから見てかわいげがあるのだろうけど、個人的にはハマーンの方がいいですね。(これも勘違いのないように書けば、劇場用に用意されたキャラクターとしてはナナイで問題ない)
『逆襲のシャア』でのファンネルvsファンネル
さて。シャアが絡む話になるといつも脱線するが、本筋の「ファンネル」の話に戻す。
ともかくキュベレイとハマーンの組み合わせは、エルメス路線での本来の意味でのサイコミュ兵器運用とは別で、キュベレイがその後のファンネル搭載兵器のひとつのスタンダードになる。
もちろんエルメス路線も、ここまで説明した通り、護衛ドムのサボタージュや役に立たない護衛(シャア)など丁寧に下ごしらえした上で、エルメスとガンダムのドッグファイト状態にしたわけで、結局は「あんた達、同じフレーム内で戦闘しなさいよ!めんどくさいのよ!」という話ではあるんだろうけど。
そして映画『逆襲のシャア』では、シャアとアムロがモビルスーツ本体で戦闘しながら、ファンネル戦闘するにまで至る。
ザザビーとνガンダムのファンネルが飛び回りながら、絡み合いながら、くんずほぐれつ、くんずほぐれつ。
まあいやらしいったらない。
作画、演出的にもまさしく劇場版の豪華さで、νガンダムvsサザビーこそ達人同士の忍術合戦。戦闘の全プロセスに白土三平調のナレーションを入れて解説できるはず。
チャンバラと忍術がベースになっているのは、はっきりいえば制作者の世代によるところが大きいとは思う。静と動のメリハリがあってアニメ向きというのもあるのかも知れないけど。
富野由悠季作品としてのファンネル演出は、この作品がひとつの到達点で、以降は別の工夫が必要になるフェイズに入ったんだろうと思います。
その工夫は、他の監督たちが模索していくことになり、恐らくその先に『水星の魔女』でのいきなり主人公機がファンネル、にもつながっていくのでしょう。
挑戦者たちの勇気がファンネルの未来を開くと信じて……!
ご愛読ありがとうございました。
まとめ、もしくはあとがき
先行している総論的な記事(あでのいさん)がある以上、そうではない記事を書くことを意識したというのはあります。
が、結局いつもの、シャアとハマーン大好きっ子(ラジオネーム)さんからのお便りになってしまった……。だが私は後悔していないし、謝らない。
ちなみにハマーンのところは、昔のハマーン&シャアツイートなども加えて、さらにボリュームを増やそうと思っていましたが、ファンネル部分だけでも想定より分量が増えてしまったのでカロリミットして、また別記事で書くことにしました。
シャアとハマーン大好きっ子(ラジオネーム)さんからのお便りをまたお待ち下さい。
ファンネル(ビット)に関していえば、結局のところ『ガンダム』最初期から、兵器の特性よりはTVアニメでドラマを組むことを優先されているわけです。そこが富野由悠季らしく、個人的にはドラマ重視で好みではあるのですが、それは当時の制作者としてのひとつの選択であって、単純にそれが正しいわけでもなければ、悪いわけでもありません。
ただ、制作者が変われば、時代が変われば、表現技術が変われば、他にもさまざまな表現ができるロボットアニメバトルのすばらしい道具であることは間違いなく、実際他のいろいろなガンダム作品で工夫と活用がされてきました。
ファンネルの面白い表現や演出にこれからも期待したいと思います。
とりあえず私は、この記事をまとめるまでは、思考がとっちらかってファンネル制御の思念波に乱れが生じる恐れがあるため視聴を控えた、水星狸合戦ぽんぽこ、こと『機動戦士ガンダム 水星の魔女』を楽しみに見てみようかと思います。
それではまたお会いしましょう。
関連記事紹介コーナー
では最後に、このブログで過去に書いた記事から、関連あるものを紹介して終わりにします。
僕達は分かり合えないから、それを分かり合う。<『機動戦士ガンダム』シャアとハマーンのニュータイプ因果論>
ニュータイプの因果の中心に関わったシャア・アズナブルと、ハマーン・カーンを中心にした話。
基本的にSFガジェットであり、また人によってはニューエイジの影響といわれる「ニュータイプ」だが、結局のところその方面で強化されることはなく、人間ドラマ上の道具でしかなっていない(それが私の好きなところ)。そしてそれはシャア・アズナブルという男のささいな嫉妬から始まり、それがハマーンがカミーユを拒絶する瞬間に結実する。映像の世紀、バタフライエフェクト。
空虚なハマーン・カーンを救うことは可能か<『機動戦士ガンダムZZ』感想戦>
ハマーン・カーンのキャラクターについてと、彼女を救済する可能性について検討しています。「救済」というものがどういう意味を指すかは、ぜひ記事をご覧ください。
お、おま、ファンネルじゃなくて、ハマーン関連記事ばっかりじゃねーかとお嘆きの諸兄。
そのとおりです。
サザビーのサーベルはνガンダムを切り裂いたか <『逆襲のシャア』 νガンダムvsサザビー戦のルール>
ファンネルにだけ注目したわけでないですが、本記事でも触れた、マスターニンジャであるサザビーとνガンダムの戦闘についての記事です。どのようにこの戦いの目的が設定されているか、が主題でしょうか。