今回は昨年2017年度のご報告となります。まっこと遅くなり申した。
単なる怠惰の産物であり、どきゃんもこぎゃんもあらしまへん。
2017年中に書いた記事数は、6本。
そのうち富野アニメ関係の記事は4本(実質5本)と、最低限の義務は果たしたというか、上出来じゃん!という思いでいっぱいでございます。
どの記事も面白い自信はあるのですが、世間の評価とアクセス解析の結果を見る限り、ほとんど誰にも読まれてないし、誰にも評価されていないという有様。
それが本当に妥当かどうかチェックするチャンスが今、幸運なあなたに与えられました。
(「妥当でした」というリアクション不要です)
2017年度 珠玉のブログ記事(もう何も言うな)
「永遠のフォウ」は耐えられるが、「ロザミアの中で」は耐えられない
フォウ・ムラサメが三度死んだとき、ロザミアはようやく兄を見つける。<『機動戦士Zガンダム』「ロザミアの中で」でのカミーユの絶望>
『機動戦士Zガンダム』第48話「ロザミアの中で」を見ていく中で、フォウ・ムラサメの「三度の死」を検証します。
「ロザミアの中で」は劇場版ではカットされた要素なのですが、尺の問題以前に、劇場版のラストに向かうためにはカットする以外の選択肢が無い、という事が重要です。
劇場版『Zガンダム』は、ラストの変更が話題になることが多いですが、『ブレンパワード』、『∀ガンダム』、『キングゲイナー』と当時の作品を追っていれば、何一つ驚きはなく、実際に予定調和的なものでした。
ですから劇場版に関しては、ラストに注目するよりも、ラストを変更するためにどのような再構成がされたか。さらにいえば「何が取り除かれたか?」を考える方が面白いかも知れません。
その視点の一助になる記事ではないかと思っています。
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沈まなかったアーガマに帰らなかった魂
「帰れる船」としてのホワイトベースとアーガマの対比 <『機動戦士ガンダム』での優しい嘘の共同体>
TV版『機動戦士ガンダム』にだけ存在する「光る宇宙」でララァに取り返しをつかないことをしてしまった直後、ホワイトベースに帰還したシーンについての話。
劇場版は素晴らしいのですが、やはり私の心のベースはTV版なのです。
長い旅路の末、ホワイトベース内部には疑似家族的なコミュニティが成立します。
アムロはニュータイプであるがゆえに、この疑似家族的なコミュニティへの最後の参加者になりました。
そしてこの終盤のホワイトベースとアーガマを比較します。
「ロザミアの中で」で同じように傷ついて母艦に戻ったカミーユに待っていたものは果たして何か。
ということで、先の「ロザミアの中で」解説記事に接続します。
ぜひ2つの記事をセットでお楽しみ下さい。
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パンダ目暗殺おじさん、一世一代の晴れ舞台
わがままはディアナの罪、それを許さないのはみんなの罪 <『∀ガンダム』第44話 「敵、新たなり」のミドガルド、女王に救いを求めて走ること>
『∀ガンダム』第44話 「敵、新たなり」の解説記事なんですが、主役は完全にパンダ目暗殺おじさんことミーム・ミドガルドになっております。
ここまでミドガルドおじさんに寄り添った記事はないのではないか、と思っていたのですが、今改めて読み返すと、寄り添ってはいるけど全然ミドガルドに優しくないですね。
殺し殺されたらカーニバル(中森明菜)の回だから仕方ないかな。キスは命の火です。
記事後半には、おまけとして『∀ガンダム』でよく言われる「ギンガナムへの責任の押しつけ問題」について書いています。
ある種、こちらの方が本編のような気もします。
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誰が悪いんじゃない。みんな貧乏が悪いんだ。
異世界にアメリカ人が5人。天才がふたり、軍人がふたり、さて残るひとりは? <『聖戦士ダンバイン』での地上人 from USA>
『聖戦士ダンバイン』では、現世から異世界バイストン・ウェルへ召喚されてしまった人間(地上人)が何人も登場します。
その中で、アメリカ国籍を持つ地上人5人にスポットを当てた企画です。
いちばん書きたかったのは、マーベル・フローズンについて。
そして彼女との関係を考えることで明らかになる主人公であり日本人ショウ・ザマの立ち位置についてです。
ショウはダメな主人公と言われることがありますが、そこには日本や日本人ゆえのという部分が見え隠れします。
良くも悪くもアメリカという国との付き合いが、日本には強い影響を及ぼしていますが、バイストン・ウェルでもショウの前にはさまざまなパターンのアメリカ人が登場いたします。
さて、どのアメリカ人を友人として付き合いましょうか?
そんな視点でお読み頂けたら楽しいかと思います。
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海南大附属の王者・牧紳一は本当にすごいのか問題
基準(物差し)となるキャラクターから考える物語<『スラムダンク』『キャプテン翼』『機動戦士ガンダム』のパワーバランスとキャラクターの格>
バトル(スポーツ)物の作品における、キャラクターの「格」についての記事。
こういった作品でキャラクターが強くあるために必要なのは、身体能力とか必殺技とかではなく、「格」なのです。
『スラムダンク』、『キャプテン翼』などの名作マンガを例に記事は進みますが、後半『機動戦士ガンダム』の戦闘バランスの話になって、そこから結局いつものガンダム漫談が始まります。
本当は『スラムダンク』、『キャプテン翼』のパートだけでも、ちゃんとひとつの記事として成立してると思うんですけどね。
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どうしていっちゃうんだよロベルトォ!
四人兄弟を養う日向家 VS 居候ロベルトを養う大空家 <『キャプテン翼』小学生編でのキャラクター経済格差>
純粋にサッカーマンガ『キャプテン翼』の記事。ガンダム漫談に脱線したりもしない貴重な記事。
『キャプテン翼』小学生編における富裕層と貧困層の戦い。
それがいかに現実に存在するワールドサッカーの構図そのものか、ということを解説します。
そういえば、大空家に居候していた時のアル中天パおじさんこと、ロベルト本郷の金回りってどうだったんでしょうか。
元プロ選手とはいえ、アル中寸前の浮浪者のようにまで身を崩したロベルトはお金持ってたんですかね。
渡航費用や日本での検査費用、日常の大空家でのご飯など、大空キャプテンのご好意というイメージがあるんですが、どうなんでしょうね。
名目(ロベルトに負担をかけないための建前)は翼の個人コーチとしての居候とか何とかで。
つまり何が言いたいかというと、小学生編ラストでブラジルに帰国する渡航費用は誰の金だったんだろう、という。
そもそも大空キャプテンは、自分が長期航海でほとんど家を空けるのに、まだ若い自分の妻と、たくましい元スポーツマンしかもラテン系サッカー選手だったロベルトを平気で同居させるという、大変懐の大きな人物です。
翼ママ「バスタオル用意しておくの忘れちゃったわ。入るわよロベ(脱衣場に入ってくる)……」
ロベルト「(ちょうど浴室から出てきた全裸ロベルト)……ママさん」
翼ママ「ご、ごめんなさい!(あわてて扉を閉める)」
だから昔から良くネタとして妄想してたのは、ロベルトのブラジル帰国の真の理由です。
ロベルトの手紙「翼、おまえはこの日本にいてもきっと素晴らしい選手になれる。おれがいなくともおまえはきっとそうなれる。翼、サヨナラだ。……P.S. ママさん、愛しています」
翼「どうしていっちゃうんだよロベルトォ!」
飛び立つ飛行機を見上げながら、思わず自分のお腹を抑えてしまう翼ママ。
翼。ロベルトはいっちゃったからブラジルへいっちゃうのよ。
そして翌年、翼とは全く似ていない浅黒い肌とチリチリの天パをもった次男が大空家に生まれるのだった。
《 『キャプテン翼』小学生編・完 》
……みたいな。
ただひとつ言えることは、私の中で大空キャプテンは大海原のようにとてつもなく大きく、懐の深いド変態だということです。(あくまで私の中で)
2018年の抱負など(もう一ヶ月分終わってますが)
以上、選びに選びぬいた、珠玉の2017年ブログ記事でございました。
2018年もどうせ大して記事の数は書けないと思いますので、せめて中身は充実野菜であって欲しい。せめて充実であれ。
『機動警察パトレイバー』のシリーズ記事がストップしているので、何とか再開したいです。
もう一度、胸のエンジンに火を入れるのはなかなか大変なのですが、2018再起動が今年の抱負です。
あと言いたいことは、ファブリーズのTVCMですね。
パパ役に千鳥ノブをキャスティングしているのは喜ばしいことですが、標準語しかしゃべらせないことに何の意味があるんじゃ!ノブが死ぬ!
「シンプルに靴がくさい!」「さすがママじゃ!」など合わせやすいセリフにも出来るのに、せっかくの「神の『じゃ』を持つ男」に標準語のセリフ与えて何がしたいんじゃ!
このCMを企画した無能な広告代理店やCMディレクター、そしてOKを出したメーカーは、猛省のため智弁和歌山高校のノックを受けて頂きたい。
ということで、2月に言うことではないですが、今年もよろしくお願い致します。
次の記事でまたお会いしましょう。
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主人公がめぐみんだった。(声:高橋李依)
第1話は、恐らく原作小説(未読)をむちゃくちゃ端折ってると思うけど、アニメだとそれぐらいでちょうどいい。これは小説が冗長というわけではなく、メディアごとの特性と、そこで求められるものの違いということだろう。
あと主人公がめぐみんだった。
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作品内容は、ロボットアニメオタクが、巨大ロボットが実在する異世界に転生して、好き邦題しながら活躍する、といったもの。
「『聖戦士ダンバイン』のショット・ウェポンが主人公」と説明している人もいましたが、『ナイツ&マジック』はすでにロボットが存在している世界であり、むしろ主人公のメタさと見目麗しさと合わせて、転生レディオス・ソープという方が実状に近いかな。(あくまでもMHマイスターとしてのソープね)
舞台となる異世界に「ロボット」というものがすでに存在しているかどうか、というのはかなり大きな違いといえます。
『ナイツ&マジック』は「ロボットのある世界に転生する」という事こそがロボットオタクの夢であるので、これで構わないというか、そうでなければならないでしょう。ロボットを生み出したことがすごい、と言われるのではなく、すでにロボットが存在する世界において「主人公が考えたロボットがすごい」と言われるべき物語なので。
『聖戦士ダンバイン』では、召喚された地上人(ちじょうびと)によってロボットの概念と技術そのものが持ち込まれ、異世界のしくみ(オーラ)や素材と組み合わさって、独自のロボット――オーラバトラーとして結実する。
身も蓋もないこといえば、ロボットアニメである『ダンバイン』という作品には当然ロボットが必要なわけで、そのためにロボット工学の権威であるショット・ウェポンが、主人公ショウ・ザマに先んじてファンタジー異世界に召喚され、オーラバトラーを開発する役割を果たしただけの話といえます。前乗りして準備してくれたわけですね。
だからこそ主人公が召喚され、物語がスタートした第1話では『ナイツ&マジック』同様、バイストン・ウェルはすでにロボットは存在している世界となっているわけです。
それにしても、いくら若きロボット工学の権威とはいえ、生体エネルギー「オーラ力(ちから)」で動くマシンというのは、地上のロボット工学の範疇を大きく越えてる気がしないでもない。天才の2文字で片付くことかもしれないが。
そう考えると、ロボットの欠片もない異世界バイストン・ウェルに呼ばれて、ゼロからロボット(オーラバトラー)を生み出したショット・ウェポンの変態ぶりはなかなか興味深い。
No.1 ショット・ウェポン
Wikipediaで「ショット・ウェポン」の人物紹介を引用してみましょうか。
アメリカ合衆国・カリフォルニア州出身の地上人。28歳。地上ではロボット工学の権威だった。バイストン・ウェル固有のオーラ力を利用して強力なオーラマシンを作り上げドレイクに協力する。詳しい理由は不明だが、一時は幼なじみのジャバと共にオーストラリアで強制労働を強いられていた。漁夫の利を狙う策士で、ゆくゆくはドレイクをも排除し自らが支配者になろうとする野心家である。
Wikipedia:『聖戦士ダンバイン』より
ショット・ウェポンはカリフォルニア出身のアメリカ人です。
その彼が、オーストラリアで奴隷みたいな強制労働に従事していたのはあれ何なんでしょうね。

一応、本人の口からは「アメリカから逃げ出した両親に連れられてオーストラリアに行ったが、学校にも行けず、時代錯誤な労働をさせられた」と語られているので、アメリカで貧困の中、オーストラリア移民にでもなったけどさらにみじめで苦労した、みたいな感じだと思うのですが、若くしてロボット工学の権威になるような人生に、あんな無駄なことしている隙間あるのかな。
(逆にいえば、こんなことしてたのにロボット工学の権威になれているぐらいの天才)
このオーストラリアでの惨めな生活にも、そしてアメリカという国にも心底腹を立てていると語っているので、これがショットの地上での鬱屈であり、オーラマシンの開発者として地上に戻ってきたことが彼にとっての凱旋帰国ということになるのでしょう。
これらは第41話「ヨーロッパ戦線」で、ショットの過去を知る友人ジャバが登場することで、これが明らかになるわけですが、サイコパス的なモンスターの背景や動機を語ることでモンスターがただの人になってしまうように、天才ショットの動機を昔、奴隷のようなひどい目にあった過去があったから、といった前時代的なエピソードにしてしまった感はあります。
召喚される地上人はいずれも、現実世界に対する強い鬱屈を抱えており、異世界バイストン・ウェルでそれを解消しようとするので、ショットにもそうしたものがあるのは当然なんですが、例えば頭が良すぎて独自の超理論が、学会で理解されず受け入れられなかった的な天才エピソードではなく、オーストラリアの強制労働というのがどうしても前時代的な印象を受けます。
(なぜか)強制労働していた屈辱の時期があって、ミュージィと普通に相思相愛で、ドレイクを出し抜いて自らが支配者になろうという野心を持つというショット・ウェポン。
以前少し書いたことがありますが、はっきりいって、ある種まともで、普通の人間すぎるんですよね。黒幕的なことをやるには、あまりにも人間が分かりやすすぎる。
普通人ショットのパーソナリティを強化した延長線上に、アマンダラ・カマンダラやパプティマス・シロッコがいるような気がしますね。
唐突妄想劇場「オーストラリア百億の昼と千億の夜」
過酷な強制労働の1日が終わったオーストラリアの夜。
宿舎の簡素な二段ベッドに、疲労でボロボロの体を横たえるショットとジャバ。
下段ベッドに寝転ぶショットは目をまっすぐ上段ベッドに向けたまま、そこにいるはずのジャバの背中に話しかける。
ショット「まだ起きているか?」
ジャバ「……明日も早いぞ」
ショット「聞いてくれジャバ」
あきらめたように目を閉じるジャバ。
ショット「天才の私が考えるロボットをこの現場で使えば、10分の1の人間で、10倍以上の仕事ができるだろう。その理論はこうだ……(ずっと喋り続ける)」
ジャバ「(ああ、こいつ、体弱いのに炎天下で働きすぎたな……)」
ショット「……ジャバ?」
ジャバ「そうか。そいつは楽になるな。最高だ。そのロボットとやらが出来たらぜひ俺に操縦させてくれ」
ショット「もちろんだ。で、肝心なのは動力機関だが……(喋り続ける)」
ジャバ「……。(すでに寝ている)」
かくしてオーストラリアの夜は更けていく。
< つづく >
妄想はともかく。
前述のとおりロボット戦争アニメなので、ロボット作らないとどうしようもない前提はあるとはいえ、コンピューターも動力機関も、そもそもそれらを作る文明レベルも機械も道具も何にもない状態でも絶望することなく、自分の専門分野であるロボットをとにかく作ろうとしたショットはとにかくブレない。
実際、作品みると、本当にオーラマシン関係しか作ってないっぽい。工房などもオーラマシンの為に用意したものだし。
作品上の役割としてはそれで十分すぎるんだけど、とりあえずティファールみたいな湯沸かしポット作ってみるとか、そういう試行錯誤をしながら、文明レベルをひとつずつ上げていこうか的な過程が見えないので、天才としか言いようがない。
バイストン・ウェルCivilization(シヴィライゼーション)の技術ツリーの中で、「オーラマシン」に関係するものだけを最短ルートで取ったような感じ。銀行制度?知るか!みたいな。
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No.2 ゼット・ライト
現在の視点だと、オーラマシンのコンピュータ・セクションの開発をやったというゼット・ライトの方が開発者としての価値が高いように見えるんじゃないだろうか?

ゼット・ライトはショットと同じくアメリカ人。はい引用(指を鳴らす)。
ショット・ウェポンとともにオーラマシンを開発したアメリカ国籍の地上人。オーラマシンのコンピュータ・セクションの開発は彼の手によるものだが、ショットに手柄を取られ、世渡り上手なショットが自分より厚遇されていることに不満を抱いている。自身の口先では否定していたが、ガラリアに惚れている。オーラ・ロードを通って召喚されたことから、聖戦士として登用された他の地上人達には及ばないにしても、それなりのオーラ力は持っており、地上浮上後には自らオーラマシンを駆って戦うこともあった。乗機はビランビー、バストール、ブブリィ。己と黒騎士とが同様に世渡り下手で武骨な職人気質だったことに気付き、お互いの技術屋魂と騎士道精神とを認め合うが、直後の出撃にて戦死する。
Wikipedia:『聖戦士ダンバイン』より
アメリカのどこの出身なのかは情報が無いようで、少し調べたところでは分からなかった。
詳しい所は良く分からないが、システム系の開発はすべてゼットの功績らしいし、そもそもコンピュータが無いとマシンの制御の前に開発すらおぼつかなかったのでは、と思われる。
ショットにしてみればゼットさまさまなはずだが、世渡りの上手いショットはオーラマシン開発者として厚遇されており、ゼットは不満を抱いている。
オーラバトラー開発の前段階としてゼットのコンピュータが存在するのだとすれば、つまり先ほどのバイストン・ウェルCivilizationで言えば、オーラバトラーの前提テクノロジーとしてコンピュータ(残り9ターン)が必要という状況。
どうやって、あの世界の、あの状況でコンピュータが開発できたんだ。天才だなゼット・ライト。
実際のところ、戦争ロボットアニメとしてはロボット開発が重要なのですが、テクノロジーとしてはオーラの世界で使えるコンピュータ開発の方が、汎用性と世界全体に与える影響は大きいのではないかと現在の視点からも思うので、ゆえにゼット・ライト型コンピュータ物語の妄想を語ろう。
唐突妄想劇場「プロジェクトZ オーラネットワークの夢」
そもそもゼットはコンピュータをハード、ソフト両面でゼロから作れる上に、オーラエネルギーで動くとか、オーラを制御するとか、バイストン・ウェルのよく分からない法則にも対応した天才という事になるので、天才ついでにネットワークについても、ゼロから始める異世界開発してもらうことにしよう。
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その結果『ダンバイン』当時(83~84年)の電話回線を用いたネットワークより格段に早い、オーラテクノロジーを応用した(適当)オーラネットワークの開発に成功。
中世レベルのバイストン・ウェルになぜかWAW(World Aura Web=ワールドオーラウェブ)が導入される事となった。異世界ブロードバンド時代突入である。
「魔法の道具などで事実上のネット通信」ではなく、そのまま現代テクノロジーとしてのコンピューターやネットワークを開発して「中世ファンタジーの世界でインターネットが存在する」という作品は、小説界のアカシックレコードであるWeb小説の世界ではすでにあると思うので、識者の皆さんはゼット・ライトに教えて上げてほしい。
World Aura Web導入後の世界では、SNSが発展するのも時間の問題だと思うので、どこぞの領主が過激な発言をして一触即発になったり、ルーザがビショットのアカウントをフォローしてこっそりDMを送ったりしていることだろう。
あとは多分、アイドル的人気のあるセレブなどはネットでは苦労してそう。
シーラ・ラパーナ「シーラ女王を、性的な目で、見ないで、下さ、い..........と」
< つづく >
妄想はともかく。
ドレイク・ルフトが地上人召喚ガチャでSSR(最上レア)を同時に2枚ひいた豪運の持ち主であることには間違いない。
ショット・ウェポン言うまでもないが、ゼット・ライトも間違いなくSSR人材である。
(聖戦士ガチャの運はそれほどでもない)
汎用的で広く役に立つコンピュータを開発できるゼット・ライトは、野望にあふれるショットがいなければ、ここまで一方的な兵器開発だけでなく、もう少し異世界の生活に直結するような面白そうなことをやっていた可能性はあると思う。
もちろん召喚される地上人は、何らかの形で戦いを受け入れることができるような人材なので、ゼットも例外ではなく、現実世界で何らかのフラストレーションを抱えていたのだろうし、平和的なインテリジェンスはあまり望めないだろうとは思いますが。
ただゼット本人も語っていたとおり、政治家であるショットと違って、ゼットは職人気質の技術屋にすぎないのであって、腕をふるう方向を上手くコントロールしてやれば、多分、妄想したようなこともできるかな、とは思う。
実際には野望をもつドレイクに加えて、野心家ショットがいたことで、単に兵器開発に技術を利用される関係だったのが運命というか、少し可哀想というか。
これもバイストン・ウェルの意思なんでしょうか。
ちなみに地上人はオーラマシン関係の開発しかしてないんだろうか?という疑問については、Twitterにてこんな情報を頂きました。
リーンの翼の小説では、家電を作って輸出などして得た利益で、ホウジョウの国はオーラシップを建造している云々の描写はございました。
— Motoi_Wakamatsu (@Motoi_Wakamatsu) 2017年9月27日
水力発電みたいな描写があった気がします。他国にもそういうインフラの技術を含めて輸出しているイメージですかね。
— Motoi_Wakamatsu (@Motoi_Wakamatsu) 2017年9月27日
なるほど。水力発電ですか。
小説『リーンの翼』においては、地上の技術は、軍事のみに突出せず、バランス良く導入されているようですね。
さすが地上人が国を造って何十年の世界。 多分、営業や広報の地上人も召喚されてる。
No.3&No.4 トッド・ギネス&アレン・ブレディ
今回の記事において、この2人は主眼ではないが、地上人 from USA として少し触っておく。
まずは空軍の先輩であったアレン・ブレディ。

これまたルーツやアメリカの詳しい出身地についての情報はなし。
ジェリル・クチビやフェイ・チェンカと共に召喚された地上人。トッドの空軍時代の先輩であり、彼の召喚は、そのことを知り功を焦ったトッドがショウとの戦いに敗れ消息不明となる間接的な原因ともなる。軍では優秀なパイロットだったようで、オーラバトラーの操縦にも自信を見せていた。
Wikipedia:『聖戦士ダンバイン』より
そしてレッドソックスのお膝元ボストン出身で「東部の落ちこぼれ」を自認するトッド・ギネス。

アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンの出身で、アメリカ空軍のパイロット候補生であった。23歳。ショウや後述するトカマク・ロブスキーと同時期にシルキー・マウによってバイストン・ウェルに召喚された地上人。ドレイクの聖戦士としてネイビーブルーのダンバインを与えられた。そのままドレイクに掌握された「アの国」陣営の一員として、ショウ、マーベルらギブン家陣営と幾度となく戦闘を繰り広げる。
Wikipedia:『聖戦士ダンバイン』より
この2人はアメリカ人であり、空軍のパイロット出身。当然「聖戦士」として、オーラバトラーに搭乗して戦う役目を負う。
ドレイク・ルフトの野望のもとに、ショット、ゼットというアメリカ人天才技術者が新兵器を開発し軍拡を進め、トッド、アレンといったアメリカ人が実働部隊として、周辺諸国を、そして地上をも侵攻していく、という構図がひとつあります。
例えば新大陸では、異世界の戦争技術の導入に近いことが実際の歴史上であったわけです。
ショットもトッドもアレンも「異世界の兵器」で土地を奪い建国したアメリカ合衆国の人間です。
他の聖戦士は、トカマク(ソビエト)は早々に戦死。ショウ・ザマ(日本)は早々に離反。
あとは、フェイ・チェンカ(中国)と、ジェリル・クチビ(アイルランド)。この2人は出身国よりは個人的背景が核のキャラクターだと思いますが、現在から見るとむしろ出身国が興味深いかも知れない。
今、聖戦士3連ガチャをひいたとした時、3人のキャラクターの出身国をそれぞれにどこに設定するのが面白いだろうか。
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No.5 マーベル・フローズン
ここまで異世界バイストン・ウェルに召喚された4人のアメリカ人を紹介してきました。
では、残るひとりは?
そう。テキサス州はダラスの芋ねえちゃんこと、セクシー眉毛のマーベル・フローズン。

アメリカ合衆国テキサス州ダラス出身の大学生。18歳。実家は牧場を経営。正義感・使命感の強い女性で座禅を組む程度だが禅を嗜む。ショウがドレイク・ルフトの下から離れるきっかけを作り、戦闘でもパートナーとなる。早いうちからナックル・ビーにより聖戦士としてバイストン・ウェルへ召喚されており、ショウ達が召喚された頃には既にギブン家の一員となっている。
Wikipedia:『聖戦士ダンバイン』より
召喚される地上人の鬱屈と、異世界での自己実現については、昔ブログに書きましたが、その地上人の中でもひときわ歪みが少ないと思われるのが、このマーベル・フローズン。
アニメ本編を見る限り、両親との関係、家庭環境も特に歪みは無さそうだし、何よりマーベル自身、ショウと違って対ドレイクのスタンスを自分で決断できるような女性でもある。
もちろんマーベルは主人公の導き手としての役割が大きいので、構造的に歪みを内包しづらいキャラクターなのだが。
しかし現実世界への何らかの鬱屈が、召喚される必要条件のひとつであるとするなら、マーベルも例外ではなくその条件を満たしているのかも知れない。もしそうならマーベルが持つ現実への鬱屈は何か?
これについて以前、記事を書いたのだが、アニメ本編を見る限り、確たる証拠といえるものはなく邪推の域になる、と結論づけた。
今回は妄想劇場を開演している記事という事もあり、あえてその個人的な邪推を話そうと思う。
前述したように明確な根拠はなにもなく、作品を勝手に膨らませて楽しむ与太話に過ぎないが、たまにはそういうのもいいだろう。
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なぜマーベルだけが、ドレイクに手を貸さないアメリカ人なのか
5人の召喚されたアメリカ人の中で、なぜマーベルだけが反ドレイクなのか(そういうキャラクターとして成立するのか)という事を考えたとき、個人的に連想するのは、ヒッピームーブメントとの親和性だったりする。
「正義無きベトナム戦争」への反対運動を発端とし、愛と平和を訴え、徴兵制度や派兵に反発した若者達がヒッピーの中心である。戦争に反対し、徴兵を拒否し、自然と平和と歌を愛し人間として自由に生きるというスタイルで、戦時下にあった全米で一大ムーブメントが起こった。初期は薬物による高揚や覚醒や悟りから出発し、各地にコミューンと呼ばれるヒッピー共同体が発生する。若者を中心に爆発的な人気を誇ったロックバンド「ビートルズ」によるインド巡礼やマリファナやLSDを使用した精神解放等により全米・そして世界へとそのムーブメントは広まっていくことになる。
Wikipedia:『ヒッピー』より
私は世代的にもヒッピー文化は身近ではなく、詳しく学んだわけでもなく、一部の表面的な知識しか持ち合わせていない。
が、まさしく、私のようなレベルの人間がイメージする、「反戦運動」「ラブ&ピース」「東洋思想」「ニューエイジ」あたりのキーワードで示されるヒッピームーブメント。
これはマーベルが「禅」を嗜んでいるから、というだけでもなく、なぜ彼女が明確な反ドレイクのスタンスを取れたのか、という事に対するアンサーとして、あるいは文化的背景としての邪推になるだろう。
もちろんその理由として、そもそもナックル・ビーに召喚され、ドレイクに聖戦士として召喚されたわけではないことが最初に挙げられると思う。ドレイクに迎えられたわけでなく、先に反ドレイクのニー達に会っているなら……というのは流れとしては自然だが、このことはイコール反ドレイクの立場を意味するわけではない。
ドレイクが第一話で地上人3連ガチャを引いたように、なぜショットとゼットと共にドレイクに召喚される立場ではなく、ナックル・ビーが禁忌を破る形でマーベルが召喚されたのか、という理由は本編では語られないし、私が知る限りでは周辺情報としても語られていないと思う。
想像するに、マーベルをドレイクに召喚させると、のちに召喚される主人公ショウ・ザマがあまりにマーベルをトレースした行動を取ることになってしまうので、地上人の出どころのバリエーションの為にも分けたのではないか、という気がする。
ナックル・ビーがなぜオーラロードを開いたのかについても、特に理由は語られないが、キャラクターの配置や主人公の独自性の為であるなら、動機は持ち前の茶目っ気でも何でもいいだろう。
ただ、反ドレイクの聖戦士として戦い、ショウ・ザマを離反させたマーベルがいなければ、バイストン・ウェルはどうなっていたか分からないので、この召喚は結果的に世界を救う超ファインプレーだった。
またこれを、ドレイクの野望の元に集まる地上人とは違う性質の人間を呼び込みバランスを取った、バイストン・ウェルの意思であると考えれば、ナックル・ビーの罪の軽減は妥当な判決だといえるだろう。
話が少し脱線してしまった(いつものこと)ので戻す。
マーベルが反ドレイクのキャラクターとして立てた理由を、精神的には単に「正義感が強い女性」で済ませても良い(実際に本編にそれ以上の情報はない)。
問題は、何も分からない、誰を信じていいいのか分からない異世界で、正義感の強い彼女が何を信じてスタンスを明確化したのか、その背景にあるものは何か、ということだ。
例えば日本人の少年ショウが、なぜドレイクの庇護下に入って何も疑問を感じなかったのか、安心して眠ってしまったのか、という事実は、マーベルと対比できるのかも知れない。
ショウと同じ日本人である我々が安心して眠ってしまう背景にあるものは何か。
はっきりいえばマーベルがヒッピーかどうか、というのは本質ではない。
カリフォルニア生まれはショット・ウェポンの方だし、時代的にもマーベルの人生とヒッピームーブメントがシンクロしていたわけでもないし、マーベル自身、聖戦士として戦場で戦っているわけだしね。
ただ、強力な兵器を開発し軍拡を続け周辺に圧力をかけ、そして飲み込んでいこうというドレイクに対して、あの時点で明確に反対を唱えられるアメリカ人はどういうタイプの人だろうか、という話なので、別に本人がヒッピーである必要はない。ないが、アメリカ人としての文化的背景や文脈として考えてみるのは面白いのでは、と思っています。
他に召喚されたアメリカ人聖戦士であるトッドとアレンは、米軍所属であり、ドレイク側で戦うことに疑問を持たなかった。
日本人であるショウも、マーベルに言われるまでそうだった。
(ソビエト人のトカマクはそういう以前の段階で死んだ)
「正しいキャラクター」ではなく、ひとつの思想的スタンス
マーベルは他の分かりやすい地上人と比べて謎が多い。
ショウの導き手として、彼に自分の立場への疑念を抱かせることで半分以上は役割が終わっているようにも見える。
彼女はショウと比べて、一貫してスタンスが明確であるが、反ドレイクという事を考えたときに、なぜアメリカ人である必要があるのだろうか、というのはポイントになると思う。
バイストンウェルが現実世界と全くの別の世界ではなく、人々の精神がテキストの戦争を演じてさせているのだとするなら、日本人に考え無しにドレイクに与する事の愚かさを指摘するのが、例えばソビエト人であるよりはアメリカ人である方がいいのではないか。その時に、同じアメリカ人がドレイクに与していればなおいい。
ヘイ、ジャップ。ドレイクの所で共に戦おうぜ、というアメリカ人がいて、そのもう一方に、善悪の見境もなしにドレイクに手を貸す馬鹿な男、というアメリカ人がいる。
日本人はそこで自分の立ち位置を考える。ショウは反ドレイクを決断したが、選択の結果が問題ではなく、日本人が立ち止まってどうすべきか考えてみる、という事こそに本質があるはずだ。
そういうバランス感覚は絶対にあると思う。
その上でマーベルをヒッピームーブメントの文脈上のキャラクターと邪推するのは、マーベルが物語中で絶対正義であり、必ず正しい物の見方をしているというわけではなく、あくまでも彼女の思想的なスタンスに過ぎない、という所に置いておくべきではないか、と私が感じるからでもある。それもまたバランス感覚のひとつとして。
空っぽな日本人ショウだからこその公器としての聖戦士
マーベルは、ショウの立ち位置を変化させたら、究極的には(役割上は)いつ死んでもいいキャラクターといえないことも無い。
ただゼラーナ側に他に地上人、それも女性の聖戦士がいないこともあり、最終回まで生き延びたけれど。
ただその最終回で、マーベルは同郷であり元凶のショットを討つものの、ショウはマーベルがこの時に受けたのが致命傷であると、今生の別れであると気付いてくれない。

お互いに手を伸ばして求め合って死んでいくショット&ミュージィとの対比として、ショウ&マーベルの別れがある。
戦いの元凶であるショットにハイパー化せずに勝ったのはショウ&マーベルだが、ショウはマーベルに気づかず、彼女はダンバインと共に一人で海に散っていく。

黒騎士 「確実だな……ダンバイン!」
主役ロボットとしてのダンバインの死、そしてそれに搭乗しているマーベルの死を見届けたのは、主人公ショウではなくダンバインにこだわり続けた黒騎士ただ一人。
第一話でマーベルに「善悪の見境もなしにドレイクに手を貸す馬鹿な男」と言われて、対ドレイクに回り、最終話で「貴方は聖戦士でしょ?まずドレイクを落としなさい!」と言われて、今生の別れと気づかずに素直に戦線に戻る。
マーベルの言葉は、最後まで導き手として主人公ショウに対して機能しているが、皮肉なことにそれがゆえに、人間として、ひとりの女性としてのマーベルの声はショウには届かない。
これが主人公ショウ・ザマなのである。
でもこれについては、80年代、冷戦下の日本人の少年が、異世界へ聖戦士として召喚されたケースとしてはリアリティあると思う。
戦争についての思想的な背景や特別なイデオロギーが何もない。
考えたこともないし、疑問に思ったこともない。
ただ、何もないのは必ずしも悪いことではなく、皆の願いを叶える器としての聖戦士にはその方が向いているのかも知れない。
この「皆の願いを叶える器」としての主人公と、最終回に主人公がなすべき事を示す「導き手」の関係は、のちの『機動戦士Zガンダム』でのカミーユ・ビダンとエマ・シーンを連想させる。
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それにしても、最近の異世界転移、異世界転生ものの主人公は、ショウ・ザマと比べれば本当に意識が高いと思う。
異世界でやりたい事も、やるべき事も持っている(または自分で見つけている)。
でも私はこのダメな主人公ショウ・ザマが好きなのです。
『ダンバイン』でいちばん好きな女性キャラはマーベルなので、最終話のあのシーン見るたび、わー!となりますが。
おまけ ビヨン・ザ・シンゴ
15年程見てなかった『ダンバイン』第45話「ビヨン・ザ・トッド」でのトッド・ギネスの死に際を思い出したら、「いい夢見させてもらったよ……あばよ!」と、ライネックのコクピットの中で柳沢慎吾がウインクしながら親指立てており、以後そのイメージが消えない。
もう柳沢ウィルスによる電脳ハックに近い。トッドの向こうで慎吾がチョメチョメ。
私以外にも、柳沢ウィルスによる感染者が増えることを願い、Google:「柳沢慎吾」のイメージ検索結果をご覧ください。
君はハイパー・シンゴの力に抗えるか。

多分、早口で『ひとりダンバイン』やってくれる(BGM付き)。
黒騎士のくぐもったエフェクト声をやってくれそう。あと、リムルがルーザに返り討ちにあって、眉間撃たれて人形のように倒れるシーンを迫真の演技でやってくれることでしょう。(慎吾の完璧なリムル死に顔コピーをイメージ完了)
え? 柳沢ウィルスに感染した? どうしてくれるって? ……あばよ!(ウインク)
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召喚された夜、ドレイクの城でぐっすり眠ってしまった主人公ショウ・ザマのおはなし。
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富野アニメをはじめ各種サンライズ作品は、入れ替えこそあれ、常に豊富な作品が用意されていますので、お好きであれば損はしないと思います。
草薙素子「ネットは広大だわ……」
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実際のところネットは確かに広大で、子供時代の私が手に入れたかったものがそこにはあります。
今回は、人類史がGoogle検索「できる時代」と「できなかった時代」の2つに分かれるとするなら、検索できなかった時代のお話。
記憶にしかないものを、記憶しておく方法
例えば、アニメソング。
歌謡曲やヒットソングであれば、その後もテレビでしばしば登場したり、後からでも聴いたり、手に入れることは当時でも比較的容易だったと思います。
しかしアニメソングは番組が終了すれば、再放送の機会に恵まれない限りはまず聴くことはできませんし、後から音楽メディアを手に入れるのも当時は容易ではありませんでした。
もちろんネットはありませんので、動画や音楽どころか歌詞すら確認できません。
さあ、どうやって、曲を忘れないようにすればいいでしょうか?
または、どうしても思い出したい曲があった場合にはどうすればいいでしょうか?
私の当時の環境だとこんな感じでした。
インテグラ「ビデオデッキ」
ウォルター「NON ビデオが初めて自宅に来たのは中学なかばのこと。それ以前の作品の保護は不可能。また全てが録画できたわけでも、テープを残しておけたわけでもありません」
ウォルター「カラオケ」
インテグラ「NON 田舎で身近な存在ではなかった。そもそもカラオケ行ってアニソン歌うような友達もいなかった」
インテグラ「音楽CD」
ウォルター「NON CD再生機器を手に入れたのは高校のころ。この年代以前の作品こそが大事なのに遅すぎます。加えて貧乏でCDもろくに買えていません」
ウォルター「裕福かつオタクな友人」
インテグラ「NON そんな便利な存在がいれば苦労はせん。そもそも友達の絶対数が少ない」
田舎、家が貧乏、友達がいないというヘレン・ケラー(三重苦)。
まさしく無理難題だな。
ウォルター「いえ、あります。恐らくこの世でただひとつ。その無謀をかなえる方法が」
その方法とは、忘れないように唄い続けることです。
アニメソング民俗学
私は友人たちと、アニメソングのレパートリーを定期的(日常的)に唄うことで記憶を保っていました。
脳内――記憶にしか曲が存在していない以上、取り出す方法は唄うしかありません。
これはもうほとんど、民謡や民話の口伝の世界です。
こうした「忘れないため」の方法を取りつつ、すでに忘れてしまった曲を「思い出す」努力もしていました。
その方法とは、曲を覚えている人に目の前で唄ってもらうことです。
友人「あのアニメのOP曲を覚えている人が、うちのクラスにいたよ!」
そう聞きつけると、休み時間にそのクラスへ出かけ、目の前で唄ってもらいました。
友達でも何でもないのに!(今から考えると、よくみんな唄ってくれましたね)
それを聴いて記憶の糸をたぐり寄せながら思い出していくのです。
もうほとんど老婆を訪ねて昔話を集める、民俗学のフィールドワークみたいな感じです。
私は『聖戦士ダンバイン』のED曲「みえるだろうバイストン・ウェル」を忘れていた時期がありました。
そこでED曲を知るという集落の長老を(同級生の中から)見つけてきて、目の前で唄ってもらいました。
このとき「…あー!妖精が走ってるやつか!」と唐突に思い出して、途中から一緒に唄った覚えがあります。
まさに、思い出せない。そんなことない。少しとびらをひらくだけで記憶をのぞけたのです。
映像とセットで記憶がつながる感覚……あれは快感だったな。
アニメソングは映像とセットになって記憶されているので一緒に思い出しやすいんですよね。
曲の途中が思い出せないときに、映像を先にイメージして、それに乗る曲を思い出そうとするときもあります。
逆に「あのアニメ、昔好きでよく見てたんだけど、歌が思い出せなくて…」というご依頼にお答えして、友人相手に唄ったりもしていました。目の前で記憶がよみがえって笑顔になるのを見るのはなかなか楽しいものです。
そうはいっても上には上がいます。私も呆れるほどよく曲を知っているというレベルではありませんでしたので、私の知らないアニメの場合、一緒にアニソン民俗学をやっていた友人を当たってみたり、それでも分からなければ捜索対象リスト入りとなり、捜索の結果「知ってる人が見つかったぞ!」となるわけです。
こうして曲(昔話)を求めて老婆を訪ねるようなことをするのは、今の時代からすると意味が分からないでしょうが、欲しい情報が誰かの記憶の中にしか無い、という状態はかつてあったのです。
記憶だけを集めてつくる、歪んだWikipedia
もっとも、私たちよりひとつ上の世代のオタクだと、もう大人になっていたりして早くから自分のビデオデッキを手に入れたり、資料やデータを揃えたりもできたと思います。
ただ、あのとき田舎の子供だった私にはかなりどうしようもないことでしたし、そもそも、この一連のフィールドワークも、オタク的な活動という意識が全くありませんでしたけどね。
TV番組の曲とかアニメ以外でもやっていましたし、純粋に面白いものが記憶の中でただ失われていくのを何とかしたいというだけ……いや、それがオタク気質なのかも知れないけれど。
今は情報の質や権利的な問題もありますが、YouTubeなどで貴重な動画もいつでも見ることができますし、Wikipediaでひと通りの情報は手に入ります。
私はこれについて「昔はよかった…」「最近の若いものは…」とは全く思いません。
今の状態はうらやますごい。
当時、Googleがあれば私も真っ先に検索していたでしょう。それができないから自分たちなりに方法を探しただけの話。だから、私たちの苦労は基本的に単なる笑い話です。
ただ、アニメソングを口伝で伝え合ったり、複数人の記憶を統合して失われた一曲を復元したり(正しい歌詞を巡って議論が起こる)という状態自体が、今から考えると面白いなと思います。
当時はネット社会はもちろん、マイナー作品までひと通りBOXセットが発売される未来は想像していなかったので、もう死ぬまでに二度と見ることができないかも知れない、と漠然と感じていました。
だから記憶としてしか存在しないアニメを忘れないようにみんなで歌を唄ったり、キャラクターを落書きしたり、覚えているエピソードを言い合ったりした。
それはみんなの記憶だけを集めてつくる歪んだWikipediaであり、もっといえばひとつの神話・伝承の構築といえるかも知れません。
異世界でつくる『機動戦士ガンダム』Wiki
今現在、そのおもしろ不自由な状況を再現するには、現世界から断絶するのがいちばんてっとりばやいかも知れません。
無人島に漂着でもいいですし、いっそ異世界に召喚されてしまうのもよいでしょう。
異世界に召喚された私は、『機動戦士ガンダム』を忘れないようにするために、全43話のリストをつくり、キャラクターとMSを思い出せるだけメモし、忘れないように主題歌なども唄うでしょう。
つまり記憶Wikipediaと記憶YouTubeのデータベース整備を進めるわけです。
しかし私ひとりで、どこまで精度の高いデータベースを構築できるのか…もともとデータに強くないので自信がない。皆さんはどうですか?
ですから月日が流れ、もし新たに日本人が異世界に召喚された場合、「今、日本はどうなっている?首相は?国際情勢は?」の前に「マチルダさんにミデアの修理急かされたの誰だっけ?」と尋ねるに違いない。
(「え?なに?マチルダ?ミデア?」と返事が返ってきたら、舌打ちしながら、次の召喚者を待つ)
そして異世界人は、私たちが整備したデータベースを、ひとつの神話体系として、口伝で伝えていく。
神そのもの(本編映像)はどこにもなく、ただそれを説明・表現しようとした神話だけが残っていく。
……というような話がでっち上げられるかも知れない。
『∀ガンダム』のホワイトドール神話もそのようなものだけど、あれは神話として残ったあとの世界。
これはそれ以前、データベースを集めるために記憶だけを頼りにあれこれあがく話。
まあ、ガンダムは例えなので、音楽でも、野球でも、お笑いでも、何か体系と歴史があるものなら題材として面白そうですけどね。
初めて誰かのブログをのぞいたとき、自分も良く知ってる作品についての記事を見て、どのような考えを持っているのか推し量ることってありますよね。その意味では、ここに並べた記事は私のよい自己紹介になるかと思います。
初めての方は好きな(知っている)作品の記事、または、記事タイトルの後ろに表示されている、はてなブックマーク数の多いものなどから読んでみてはいかがでしょうか。
『機動戦士ガンダム』
ニュータイプほどステキな戦争の道具はない <機動戦士ガンダムでのお約束と言い訳>
ガンダムにとって「ニュータイプ」とは何でしょう?私の答えは「戦争の道具」です。
という、ガンダム、富野アニメへの基本スタンスが分かる自己紹介代わりの記事。
これを読んでいただけると、このブログの富野アニメ記事が大変分かりやすくなると思うのですが、ただひとつの問題は、自己紹介が長いこと。
ちなみに、囚人021さんの記事でご指名をいただいて、twitterで話したニュータイプ話のベースはこの記事になっています。( Togetter - 「富野アニメの不思議力は、いつも思うに任せない」
母から旅立つためのG戦場シェルタードア <『機動戦士ガンダム』にみるロボットアニメ第一話の始め方>
ロボットアニメという虚構性の高いフィクションでは、ただロボットが存在しているだけでは、ロボットアニメとして成立しません。
『機動戦士ガンダム』第一話を改めて見直しながら、難しいロボットアニメ第一話の三要素を考えていこう、という記事。
「ロボットチャンバラ」としてのガンダム<ビームサーベル戦闘論>
「ビームサーベル」という武器から導き出されるガンダムの戦闘スタイルとは。
「ライトセイバー」の『スターウォーズ』との違いは?
ガンダム0083とガンダム0079の比較
ララァの死を境に入れ替わるアムロとシャア。そして2人の間に入るセイラ。
0083でのコウとガトー。そして2人の間に入るニナ。
アムロはシャアを、いつニュータイプだと認識したのか?<TV版『機動戦士ガンダム』での相互不理解と「貧しい愛」>
最終話「脱出」において、アムロはシャアに向かって「貴様だってニュータイプだろうに!」と叫ぶ。
はたして、アムロによるシャアのニュータイプ判定の根拠となる場面は一体どこか?調べます。調べた上で考えます。
「帰れる船」としてのホワイトベースとアーガマの対比 <『機動戦士ガンダム』での優しい嘘の共同体>
主人公たちが乗り込み、最終回まで「帰る場所」として存在する母艦。『機動戦士ガンダム』のホワイトベースは最終的に沈んでしまい、『機動戦士Zガンダム』のアーガマは無事生き残ります。
しかし「帰れる船」として考えた場合、この2つの船は興味深い対比を見ることができるのです。
モビルスーツ・ガンダムは宇宙に命を流して、宇宙に流れた命を見つける <アムロの父テム・レイと彼がつくった兵器“ガンダム”による救済と鎮魂>
アムロの父テム・レイはガンダムの開発者であり、第一話でコロニーに空いた穴に吸い込まれ、宇宙に投げ出されます。彼が作ったガンダムと、息子アムロによって。
TVシリーズ『機動戦士ガンダム』でのテムを追いながら、彼がつくった兵器“ガンダム”による救済と鎮魂を考えます。
顔のない無人ロボットが演じるシンボリックなアクション<『レディ・プレイヤー1』でのガンダム登場と『機動戦士ガンダム』のラストシューティング考>
映画『レディ・プレイヤー1』でのガンダム登場とその登場ポーズをきっかけに、『機動戦士ガンダム』においてもっとも象徴的なアクション「ラストシューティング」について考えます。
基準(物差し)となるキャラクターから考える物語<『スラムダンク』『キャプテン翼』『機動戦士ガンダム』のパワーバランスとキャラクターの格>
マンガやアニメにおいて、「強さ」とは相対的なもので絶対的なものではありません。キャラクター間のバランスや関係性こそが重要になってきます。この記事では『スラムダンク』『キャプテン翼』『機動戦士ガンダム』での基準やバランスについてあれこれ考えています。特に『機動戦士ガンダム』という意味では、初期と終盤での強さの意味合いが変化していることに注目します。
『機動戦士Ζガンダム』
サイコな彼女とガンダムな僕。出会いは拡散メガ粒子砲<キャラクターとしてのモビルスーツ>
ガンダムMk2はなぜ初代ガンダムのように強くないの?
主役ロボット「ガンダム」の意味は?たびたび登場する巨大モビルアーマーは一体何なの?
架空のロボット兵器である「モビルスーツ」は、フィクション上のキャラクターです。そのキャラクターとしての表現や魅力について考えてみる記事です。
カミーユにMk2を譲れと迫る、ベルトーチカの必然 <『Zガンダム』と『エルガイム』の主人公たち>
一般的に嫌われたり、うざがられたりすることが多いキャラクター、ベルトーチカ・イルマ。
彼女の最大の仕事は、カミーユに対して「アムロにガンダムMk2を譲れ」と迫ったことだと、私は思っています。
好き嫌いは別として、彼女が果たした役割と「機動戦士ガンダムの主人公」について考えてみる記事です。エルガイムネタもあるよ。
シンデレラ・カミーユは、地球で過去と対峙する<『機動戦士Zガンダム』挿入歌「銀色ドレス」とフォウ・ムラサメとの出会い>
挿入歌「銀色ドレス」の歌詞の意味とは? 曲名の意味とは?
またそこから、フォウとカミーユの対比。そして、なぜカミーユとフォウは別れるしかなかったのか。
曲の紹介、歌詞の考察にとどまらず、カミーユとフォウを掘り下げた記事で、個人的には気に入っています。おすすめします。
フォウ・ムラサメが三度死んだとき、ロザミアはようやく兄を見つける。<『機動戦士Zガンダム』「ロザミアの中で」でのカミーユの絶望>
「永遠のフォウ」は耐えられるが、「ロザミアの中で」は耐えられない。
それはなぜなのか。フォウ・ムラサメが三度死ぬとはどういうことなのか?
「ロザミアの中で」におけるカミーユの絶望とは何なのか?
この記事も個人的にはうまく書けたと気に入っています。みんなも絶望しよう。
「帰れる船」としてのホワイトベースとアーガマの対比 <『機動戦士ガンダム』での優しい嘘の共同体>
「ロザミアの中で」を通過したカミーユは最終決戦に挑み、そしてその魂はアーガマに帰ってこない。ホワイトベースとアーガマは何が決定的に違うのか?
カイ・シデンは人が神様になれることを信じるか <ガンダムUC『獅子の帰還』と、人が世界を変えるための正攻法の話>
ガンダムUC『獅子の帰還』という小説を話のきっかけにしていますが、この作品自体には興味がなく、私の興味はカイ・シデンとシャア・アズナブルにありますので、結局『機動戦士Zガンダム』でのカイ・シデンとシャア(クワトロ)の話をしています。
『機動戦士ガンダムΖΖ』
だから少女は、毎度コントロールされる。<富野アニメ 洗脳少女の系譜>
富野アニメで頻出するモチーフである「洗脳少女」まとめ記事ですが、これはエルピー・プルとプルツーの箇所を書くために書いたようなものです。第28話「リィナの血(後)」ラストは『ZZ』で最も好きで、この回のプルのことが書けて本当によかった。
【2011年記事まとめ】好きあう真似事や傷を舐めあう道化芝居でもいいじゃない。だってにんげんだもの。
年間まとめ記事ですが『ZZ』について色々と。映画『逆襲のシャア』制作決定に伴い『ZZ』のシリーズ構成が変更になり、後半出演するはずだったシャアは『ZZ』に出ないまま作品を去ります。では、あとに残った『ZZ』とはいったいなんなのか。
僕達は分かり合えないから、それを分かり合う。<『機動戦士ガンダム』シャアとハマーンのニュータイプ因果論>
ニュータイプの因果の中心に関わったシャア・アズナブルと、ハマーン・カーンを中心にした話。
基本的にSFガジェットであり、また人によってはニューエイジの影響といわれる「ニュータイプ」だが、結局のところその方面で強化されることはなく、人間ドラマ上の道具でしかなっていない(それが私の好きなところ)。そしてそれはシャア・アズナブルという男のささいな嫉妬から始まり、それがハマーンがカミーユを拒絶する瞬間に結実する。映像の世紀、バタフライエフェクト。
空虚なハマーン・カーンを救うことは可能か<『機動戦士ガンダムZZ』感想戦>
Twitterでの『ZZ』語りを受けて、ツイートしたものを追加・修正した記事。
ハマーン・カーンのキャラクターについてと、彼女を救済する可能性について検討しています。「救済」というものがどういう意味を指すかは、ぜひ記事をご覧ください。
大筋はツイート時と変わっていませんが、かなり加筆・修正(脱線ともいう)して、ブログ記事として仕立て直しています。関連してぜひ読んでほしい、ツイートまとめ、ブログ記事へのリンク付き。
『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』
『逆襲のシャア』記事はどれも評判も良かったものが多いので、自信をもっておすすめできます。
サザビーのサーベルはνガンダムを切り裂いたか <『逆襲のシャア』 νガンダムvsサザビー戦のルール>
「νガンダムとサザビーはどっちが強いの?」という質問はよく提示されますね。みなさんは、どちらが強いと思いますか?
この問いと「アムロの完全勝利」という実際のフィルム上の結果との関係から、νガンダムvsサザビー戦を考えます。
アムロ・レイが、宇宙世紀の最後にしてくれたこと。<『逆襲のシャア』で起きた【奇跡】>
「ララァ以後」のアムロとシャアの女性観を軸に、『逆襲のシャア』で起こった【奇跡】とはいったい何だったのか?を考えます。
また、この記事を「前編」としたときに、「後編」の気持ちで書いた記事があります。
10年前、世界を救ってくれた子供たちと、日常を守ってくれた大人たちへ<『ぼくらのウォーゲーム!』と『サマーウォーズ』>
直接的な続きではなく、メインの話題は『ぼくらのウォーゲーム!』と『サマーウォーズ』ですが、『逆襲のシャア』のことも言及していますのでよろしければどうぞ。
落ちるアクシズ、右から見るか?左から見るか?<『逆襲のシャア』にみる『映像の原則』>
『映像の原則 改訂版』発売記念の応援記事。2つの小惑星およびサザビーとνガンダムの戦いを「上手・下手」の原則で解説します。
「画面構成がこうだから、ここはこういう場面なんです」という画面ありきの読み解きではなく、「こういう物語構成だから、映像を流れにしたときにこの画面構成が選ばれた」という記事になるようにこころがけました。
キャプチャや構成図など最も労力がかかりましたが、富野アニメ記事で最も多くのブックマーク数をいただいたのでその甲斐はありましたし、応援記事としての目的も達せられたと思います。
サイコな彼女とガンダムな僕。出会いは拡散メガ粒子砲<キャラクターとしてのモビルスーツ>
『Zガンダム』の話が中心ですが最後に「アムロとシャアの子供」としてのνガンダムという機体の話。
『機動戦士ガンダムF91』
光る風の中、聞こえてくる「ETERNAL WIND」(のイントロ)<VR元年と機動戦士ガンダムF91「宇宙でセシリー探しゲーム」>
VR(仮想現実)で宇宙漂流してるセシリー見つけるゲームやりたいね、という話。
これ自体はしょうもない妄想なんだけど、亜手さん(@ate507)による、F91劇場公開版と完全版の差異の引用がこの記事の価値。
モビルスーツ・ガンダムは宇宙に命を流して、宇宙に流れた命を見つける <アムロの父テム・レイと彼がつくった兵器“ガンダム”による救済と鎮魂>
アムロの父テム・レイが話の中心なのですが、後半に『F91』の話も入ってきます。
『機動戦士Vガンダム』
【ガンダム三大悪女】 カテジナ・ルース裁判
「宇宙世紀三大悪女」と呼ばれるガンダムの女性キャラクターたち。カテジナやニナについて。
本放送でVを見ていたとき、最終回「天使たちの昇天」で、カテジナを死なせてしまうのかどうかを、ドキドキしながら見守っていたことを恐らく私は一生忘れない。
かなり初期に書いたものなので、かなり拙いですね。またカテジナに対する視線も現在ではかなり変わっているので、本放送当時から抱えてきたものを吐き出さざるを得なかった当時の雰囲気を察して読んで頂けるとありがたいです。
『∀ガンダム』
なぜ『タイタニック』は世界中の海を渡れたのか<富野由悠季と映画『タイタニック』にみる「大きな物語」>
富野監督が公開当時、何度も言及していた映画『タイタニック』について。
記事タイトルに『∀ガンダム』と入っていませんが、『∀ガンダム』を語る上でははずすことができない、エピソード0に相当する話題になっています。
惑星の午後、僕らはキスをして、月は僕らを見なかった。<『∀ガンダム』最終話「黄金の秋」より>
『∀ガンダム』最終話エピローグ、その中のさらに、ロランとソシエの「別れのキス」に関するエントリ。
記事中でこんなに、キス、キス、書くのはもう二度と無いと思う。
いただいた反応などを見て面白かったのは「ガンダム素人には『∀ガンダム』は面白くない」「序盤がタルい」あたりでしょうか。両方共、私の印象とは真逆。
あとは「自分の解釈と違う」というご意見もあったのだけど、解釈論にしかならないパートの言及は意図的に排除してるつもりです。
『∀ガンダム』から見える「物語の景色」<「黄金の秋」補遺拾遺>
上の『∀ガンダム』記事の補遺拾遺として、いくつかのこぼれ話や連想などを集めたもの。
主なトピックは、「ディアナ妊娠説」、「ディアナ=キエル 入れ替わり完全犯罪」、「ハイム家の恐ろしさ」などです。
「MOON」から「月の繭」へ 菅野よう子から井荻麟へ <『∀ガンダム』が第1話から最終回までに獲得したもの>
『∀ガンダム』ラストシーンを彩る名曲「月の繭」をテーマに、同じモチーフの名曲「MOON」との関係や、タイトルの「月の繭」とは何を指すのか、など、スリルとショックとサイエンスに満ちたエントリです。いやサイエンスには満ちてないな。
わがままはディアナの罪、それを許さないのはみんなの罪 <『∀ガンダム』第44話 「敵、新たなり」のミドガルド、女王に救いを求めて走ること>
『∀ガンダム』に登場するパンダ目暗殺おじさんことミーム・ミドガルドを掘り下げたという世にも珍しい記事。実際のところ、本編は第44話のレビューが終わったあとの余談にあります。
『∀ガンダム』の後半または結末について、「ギム・ギンガナムにすべての責任を押し付けて物語を収束させた」とか「ディアナの御威光ですべてが上手くいく都合の良い展開」といったような見方もしくは批判がありますが、考えるべきはそこでは無いというのが私の意見です。
『伝説巨神イデオン』
※単独記事なし。
『戦闘メカ ザブングル』
惑星ゾラで生きるための、たったひとつのルール。<"異世界もの"としての戦闘メカ ザブングル>
『ザブングル』の舞台、惑星ゾラには「三日限りの掟」という、ひとつのルールがあります。
「三日の掟、泥棒、殺人、あらゆる犯罪は三日逃げ切れば全て免罪」という単純なルールですが、これが提示されたことで、惑星ゾラはすばらしい異世界となりました。
『ザブングル』を知らなくても、作品舞台としての「異世界」づくり、という意味でいろいろと考えてみるのも面白いと思います。
ブルーストーン経済によるシビリアンコントロール<『戦闘メカ ザブングル』惑星ゾラ開発史>
『ザブングル』の舞台である「惑星ゾラ」が、ロボットアニメの物語世界として出来上がるまでを、富野監督の手記を元に追いかけます。分かりやすくするために図を入れてあります。
『ザブングル』に興味がなくても、物語創作や、それに関連する世界構築に興味がある方なら、楽しんでいただける内容ではないかと思います。
ジロン・アモスの持論に基づくダブルスタンダード<『戦闘メカ ザブングル』のイノセント・ワールド>
上のブルーストーン経済記事の続編というか、補遺拾遺のような記事。
主人公ジロンは三日限りの掟を破るのと同時に、都合よく掟を利用している。つまりダブルスタンダード。
そこに単にルールの破壊者ではないジロン・アモスの特異性を見る……いや、これ内容を大分盛ってるな。
実際は、3つぐらいの話に分かれています。
ウォーカーマシンとリアリティのハンドリング <『戦闘メカ ザブングル』が生んだ「フィクションチャイルド」>
『ザブングル』に登場するウォーカーマシンは「ガソリンで動くロボット」で、主役機のザブングルはそれを「ハンドル操作」で動かします。ロボットをガソリンとハンドルで動かすという冗談のような設定は、冗談以上の意味があるのか?
また、この作品に登場する2つの人類「イノセント」と「シビリアン」の関係について、『風の谷のナウシカ』的な視点とは違う視点を考えます(こじつけます)。
いいか?「いつかつぐなう」で済んだらオキテもイノセントもいらねぇんだよ!<『戦闘メカ ザブングル』ED曲「乾いた大地」の矛盾>
「作詞家・井荻麟の世界」として、富野アニメの曲から歌詞を考察するシリーズ。
『戦闘メカ ザブングル』ED曲「乾いた大地」の歌詞に存在する矛盾から、ジロン達の掟破りの生き方を見出します。
『聖戦士ダンバイン』
なぜショウ・ザマはバイストン・ウェルで眠ってしまったのか <『聖戦士ダンバイン』に見る物語の始め方>
『ダンバイン』第一話の途中で、主人公ショウ・ザマは異世界バイストン・ウェルでぐっすり眠ってしまいました。それだけのことが1年間のTVシリーズに与えた影響とは?
同時に「物語のはじめ方」の難しさをいろいろ考えてみませんか。
【聖戦士急募】バイストン・ウェルで君の夢をかなえよう! <ダンバイン第18話「閃光のガラリア」より>
異世界バイストン・ウェルに召喚されて「聖戦士」に選ばれるには、どうすればいいの?
『ダンバイン』の召喚システムを、召喚とは全く関係のない、非地上人の女騎士ガラリア・ニャムヒーから考えていきます。
ガラリアさんはなぜ、バイストン・ウェルに帰れなかったのか。
【前編】 再びバイストン・ウェルへ 『聖戦士ダンバイン』リビルド(再構築) 【問題提起編】
物語の成立上、いくつかの問題をかかえていた『ダンバイン』。本来あるべきであった幻の『ダンバイン』を想像しつつ、自分なりに再構成(リビルド)してみようという企画。
こちらは前編。『ダンバイン』全体の構成の復習と、考えるべき問題点の確認。
【後編】 因果地平から遠く離れて 『聖戦士ダンバイン』リビルド(再構築) 【再構築編】
こちらは後編。前編での準備を踏まえて、リビルド版『ダンバイン』の構成を考えていきます。
はたして、TV版『ダンバイン』と、どこが同じで、どこが変わっていくのか。
そして最終的に自分でも予想外のところへたどりつく。自分としてはとても楽しい体験でした。
さあ、行こうぜ!「丘の向こう側」へ<『まおゆう魔王勇者』と『聖戦士ダンバイン』の世界干渉>
バイストン・ウェルで遊ぼう。という感じのたまにやる妄想ネタ。
異世界にアメリカ人が5人。天才がふたり、軍人がふたり、さて残るひとりは? <『聖戦士ダンバイン』での地上人 from USA>
タイトルどおり、『聖戦士ダンバイン』に登場する5人のアメリカ人にスポットを当てた記事ですが、それによって日本人ショウ・ザマがどういう存在なのかを考えることになっています。主眼はこちらですね。
そういえば、トカマク・ロブスキーは現ウクライナのハリコフ出身なんですよね……。
『重戦機エルガイム』
カミーユにMk2を譲れと迫る、ベルトーチカの必然 <『Zガンダム』と『エルガイム』の主人公たち>
『エルガイム』という作品は、当時の制作状況などからくる問題を抱える一方で、イロイロと面白い要素を内包しています。あれこれと妄想をめぐらしながら、可能性を検討します。それと同時に「ゆるい世界」であるペンタゴナ・ワールドの価値について。
『ブレンパワード』
※単独記事なし。
『オーバーマン キングゲイナー』
※単独記事なし。
『Gのレコンギスタ』
今よ!レコンギスタドール。再征服の狼煙を上げろ<『ガンダム Gのレコンギスタ』放送枠発表などあれこれ> 
Gレコ放送前の記事。放送前なので事前情報をもとにあれこれ。
『Gレコ』で描かれる新世界と描かれない旧世界 <『ガンダム Gのレコンギスタ』ショート感想集> 
Gレコ放送中の記事。途中までですが、各話のショート感想などなど。
ベルリの前に広がる日本海に『キングゲイナー2』を幻視する <グレートメカニックG「富野由悠季 G-レコを語る」1万字インタビューより> 
Gレコ放送後の記事。放送後の富野インタビューをもとに、あれこれ語るうちに存在しない『キングゲイナー2』を幻視してしまうという、末期患者のような記事。
富野アニメ全般
ファーストガンダムによるアルバム革命<「私の履歴書」富野アニメ体験プロフィール【前編】>
「富野アニメで産湯をつかう」ように、幼少期から順番に富野アニメを見ながら成長した私の、富野アニメ体験プロフィール。この記事も、私の自己紹介代わりですね。
前編は、『機動戦士ガンダムΖΖ』まで。
アムロとシャアの子供たち。<「私の履歴書」富野アニメ体験プロフィール【後編】>
後編は、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』以降。
良かったら、皆さんの富野アニメ体験プロフィールも知りたいと思います。
初めて見た富野アニメは?富野作品と自覚して見るようになったのはいつ?見た順番とそのときの年齢は?など。
多分、ここが分かれば、ガンダム議論を戦わせるより、よっぽど早くその人が分かると思う。
宇宙(そら)で"めぐりあい"を作る方法 <ロボットアニメ戦闘コミュニケーション(メモ)>
富野アニメは、ロボットアニメをしつつ、最大限のコミュニケーション機会をつくって、ドラマを展開させようとするところに大きな特徴があります。私がすばらしいと思っている部分です。
この問題に、ここまで自覚的に取り組んでいる人は、富野由悠季以外にいないと思います。
私にとって富野作品はリアルロボットアニメなどではなく、ドラマロボットアニメです。ドラマティックロマンティックRPGです。
この記事では、富野アニメが戦闘中のコミュニケーションをどう工夫してきたかを作品別にメモしています。
メモ以上に高めたいとは思っているので、そのための準備メモなのですが、いつになるやら。
実はTOMINOSUKI / 富野愛好病のkaito2198さんが、この切り口で語ってくれる予定があるので、そちらを私も楽しみにしています。(と、自分の問題を棚上げしておきます)
だから少女は、毎度コントロールされる。<富野アニメ 洗脳少女の系譜>
富野アニメには、洗脳された女性キャラクターが敵として登場するという、「洗脳少女」のモチーフが繰り返し現れます。こうした「洗脳ヒロイン」たちを作品別に俯瞰してみようという企画。
なぜ戦場へ出る少女は、洗脳されねばならないのか?
富野アニメのゲーム化アイデアメモ
別にゲームをつくるわけではないのですが、物語と世界を考えるのにゲームを使うのは面白いので、アイデアレベルだけいろいろ考えます。そのうちの富野作品やガンダムに関係するゲームネタです。
メビウス(双方全滅)の輪から抜け出せなくて<「富野由悠季シミュレーションゲーム」>
「ガンダムゲーム」ではなく「富野由悠季ゲーム」が考えられないか、というコンセプトで考えたゲーム。
双方全滅と運命づけられた2つの勢力の戦いの中で、何度もリプレイを繰り返しながら全滅の輪廻から逃れるのがゲーム目的。
桜坂洋の小説『All You Need Is Kill』を想像してもらってもいいと思うが、戦闘の勝利も自己の生存も目的ではない。
因果は応報し、運命は輪廻する<愛と幻想の『南極大陸』と『富野由悠季ゲーム』>
「富野由悠季ゲーム」の追加アイデア。運命とエゴに振り回される富野アニメを「因縁」システムで考えてみました。
【政治家】ほど楽しいゲームはない<ガンダムオンラインゲームのアイデアメモ>
ゲームとの関わり方の深さによって、立場を変えて「ガンダム世界」にアプローチできるオンラインゲームのアイデア。同じゲーム世界で、ディープな方はどっぷりと、ライトな方は携帯でそれなりにプレイできる。ポイントは「民主主義」にもとづいた「政治」。
番外・その他
何か特定の富野アニメの話が主体ではないけど、話題としては取り上げているような記事。
飛び降りる宮崎駿vs飛び降りない押井守 <リアリティコントロールの話>
最後のオチに富野監督つかったら、皆さんにいろいろ突っ込まれた。楽しかったけどね。
はてしなく、どうでもいい日々【twitterまとめ】
雑多な記事だが、最後に「宇宙世紀ワイン」ネタと、バイストン・ウェルと『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』(マーク・トウェイン)のネタ。
アバターと龍馬伝、ほか3本<はてしなく、どうでもいい日々【twitterまとめ】>
こちらも雑多な記事。映画『アバター』話で少し富野監督の話題。もうひとつは最後に『聖戦士ダンバイン』から、「バイストンウェル・ベースボール・クラシック」ネタ。
オーラもいいけど、野球しようぜ! 線審がショウを呼ぶ! 線審「君、ちょっとこっちに来なさい」
以上が、このブログの富野アニメ関連記事です。
各記事にいただいた、はてなブックマーク数を表示させてありますが、最後にこれを元にした(当ブログの)富野アニメ記事の人気ベスト5を作ってみました。
ブックマーク数が多めの記事は、私もある程度自信を持っておすすめできます。よろしければどうぞご覧ください。
第1位
落ちるアクシズ、右から見るか?左から見るか?<『逆襲のシャア』にみる『映像の原則』>
第2位
惑星の午後、僕らはキスをして、月は僕らを見なかった。<『∀ガンダム』最終話「黄金の秋」より>
第3位
サイコな彼女とガンダムな僕。出会いは拡散メガ粒子砲<キャラクターとしてのモビルスーツ>
第4位
カイ・シデンは人が神様になれることを信じるか <ガンダムUC『獅子の帰還』と、人が世界を変えるための正攻法の話>
第5位
アムロ・レイが、宇宙世紀の最後にしてくれたこと。<『逆襲のシャア』で起きた【奇跡】>
これからも富野アニメの記事は書き続け、ここに追加していくつもりです。
またよしなに。
前回は、 『聖戦士ダンバイン』リビルド(再構築)【問題提起編】として、ダンバイン全体を「行きて帰りし」物語でとらえてみたり、問題点を考えたりしました。
今回は、いよいよ再構成案を考えてみることにしましょう。
その前に、おさらいも兼ねて、簡単にポイントを整理してみましょう。
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再構築のポイント
ダンバインの基本ストーリーライン
(1)ショウの召還→異世界で戦う
(2)東京上空(東京三部作)→バイストン・ウェルへ帰還
(3)ジャコバの「浮上」→地上編へ
(4)シーラの「浄化」→地上編決着
前回、ここから考えたポイントはこんな感じ。
ポイント(課題)
・一見、オーソドックスな「行きて帰りし物語」に見えるが全然そうではない。(それで良い)
・主人公ショウが、物語の重要な転換点で、意思決定していない(関与していない)。
・主人公ショウと、異世界バイストン・ウェルのつながりが希薄である。
・オーラマシンの「浮上」と「浄化」があまりにご都合主義的で唐突。
ストーリーの各ブロック、重要イベントはそのまま同じにしながら、これらのポイントを踏まえて意味合いを変えたいと思う。
大きな変更要素は、3点。
変更要素
(A)「主人公ショウ」(目的と行動)
(B)「浮上」(バイストン・ウェルからのオーラマシンの排除)
(C)「浄化」(地上からのオーラマシンの排除)
散漫にならないため、できる限り上記3点の変更の話に集約する。
※ご注意
・小説『オーラバトラー戦記』、小説・OVA『リーンの翼』は未読未見。あえて読まないし、見ない。
・構成上、どうしても『聖戦士ダンバイン』のネタばれが発生します。ご注意を。
・あくまで今現在の私が考えた私なりの『ダンバイン』です。富野監督の考えや意図とは関係ありませんので誤解なきよう。
また根本的な前提として「問題点を解消した物語=より面白い物語」というわけではありません。矛盾や問題を抱えようが面白いものは面白いし、構造上問題がなくてもつまらないものはつまらない。
だからこれは、思考実験のようなものです。ひたすら、ひたすら長くて申し訳ないのですけど。
ブロック(1) ショウの召還→異世界で戦う
<変更点>
大きな変更点は特になし。
このブロックは、基本的にはTV版どおりで、大きな変更点はなし。
ただし、変更点(A)「主人公ショウ」(目的と行動)に関係するところについては検討の価値はあります。「物語がよくなるか、どうかなんだ。検討する価値はありますぜ!」
主人公ショウを「すぐに寝ない子」にする必要はあるでしょう。
そのために、「やる気」「元気」「根気」の「3本の木」を植えるのもいいですが、バイストン・ウェルへの召還に工夫をしてもいいかも知れません。
分かりやすいのは、ショウ1人が召還されるのではなく、同時にショウの関係者が(巻き込まれか何かで)召還されるパターン。
召還されるのは、近しい人であれば、兄弟(姉、妹、弟)、親友、恋人あたりの守るべき人。
彼ら彼女らがいれば、ショウは守るべき人のために眠るヒマも無く必死にならざるを得ないでしょう。敵方に姉を人質にとられたり、親友とはぐれたり、弟・妹が襲われたり。
はぐれた親友や恋人を探すという理由で、バイストン・ウェル世界中を回ることもできるし、人質にとられたりや養ったりするためということで、戦うことにとりあえずの理由をつけたりもできる。(要は、「ZZガンダム」のジュドーなので、これはジュドーパターンということですね。)
これらは、あくまで物語導入のための理由付けなので、途中で本当の「戦う理由」「戦う目的」への移行が必要になります。(いわゆる「契約」と「再契約」の関係ですね)
逆にショウをTV版どおりの「すぐに寝る子」のままにしておくのであれば、兄的存在を追加すると良いかも知れません。聖戦士として兄(兄的存在)が召還され、ショウが巻き込まれて召還された、というパターンですね。
この場合、ショウは始めは兄に庇護されますが、味方にせよ、敵対するにせよ、最終的には兄を乗り越えるような展開になるでしょう。
(要するにこちらは、最近のアニメでいえば「グランガラン」…いや「グレンラガン」パターン。)
私は以前、他の記事で「1クラス全員バイストン・ウェル召還」とか言ってたぐらいなので、地上人のバリエーションをつくるという意味では、「ショウ以外も召還」には基本的に賛成です。ただし、できれば肉親や恋人など、関係が深すぎる人間じゃない方がいいのでは、とは思っています。
とりあえず検討としては、これぐらい。
「召還人数」を可能性のひとつとして保留しつつ、ひとまずはTV版と同じくショウが1人で召還されたということで先を進めることにします。
この後の検討の中で、物語上の役割として必要性がでてきたら、他の人を召還することにしましょう。
ブロック(2) 東京上空(東京三部作)→バイストン・ウェルへ帰還
このブロックも展開はTV版どおり。
ただし、このブロックでシーラ・ラパーナ女王が初登場することもあって、のちのちのために、シーラの設定を少しいじっておきたい。
<変更案>
シーラ・ラパーナを、バイストン・ウェルでの人間界の盟主とする。
強い実権はないが、権威と伝統を持ち、人間界の象徴として君臨する。
覇者を承認する役割をもち、彼女が認めた王がバイストン・ウェルを実質的に治めることになる。
これは日本で言えば天皇家にあたり、中国では春秋時代の周王朝にあたり、ヨーロッパではローマ法王のような感じかも知れない。
変更の意図は2つある。
1つは、『ダンバイン』における戦争の構図に変更を加えるため。
もう1つは、ラストの浄化に説得力を与えるための設定の補強。
■ダンバインでの戦争の構図
味方側:シーラ・エレ連合軍 vs 敵側:ドレイク・ビショット連合軍
物語後半は完全に、上記のような二カ国vs二カ国の戦争になっています。
国家同士がお互いオーラマシンを抱えて全面戦争しているわけで、この状況でどちらに非が、どちらに大義が、というのは物語上の理屈でしかないと思う。
つまり女王であるエレとシーラが可憐な美少女で、一方のドレイクとビショットがおっさんであり、聖戦士としては乙女は助け、おっさんは殺すしかないということだ。
これは半分は冗談だが、半分はまじめにそう思う。おっさん4カ国大戦だったら、誰が味方に見える?誰を殺せばいい?
先にオーラマシン軍拡をしたのがドレイクだとしても、その対抗としてオーラマシンを装備して戦うシーラ、エレもその意味では大差ない。核保有国に対抗するために、核を保有するやり方と同じですからね。
存在としては同じだからこそ、ジャコバによってシーラもエレも、全てのオーラマシンが放逐されたし、シーラの「浄化」の光も敵味方、分け隔てなく包みこんだ。
「良きオーラ」だとか「悪しきオーラ」だとかは関係ない。オーラマシンで殺しあう輩はある意味、全て悪い。
もちろん物語の構成上、ドレイクに対抗できるオーラマシンを持った国は必要だが、ドレイクをオーラマシンで滅ぼすという行動には意味はない。できれば全く違うレイヤーでドレイクに対抗する指導者が欲しい。
その人は敵側、味方側の区別無く、バイストン・ウェルの人間界全てを代表して、責任を取る立場の人がいい。
そう考えて、シーラを、聖王家、聖王女的な、ひとつ上の別ポジションに置いてみました。
彼女はバイストン・ウェル統一王朝時代の最も古く高貴な血筋(例えば。何でもいい)とでもいうことにする。
ドレイクもそもそもの最終目標はシーラから征夷大将軍の(ような)位をもらうこと。
しかしオーラマシンは人の欲望を肥大化させる。ドレイクはオーラマシンを手に入れたことで、そうした古き風習に頼ることなく世界を手に入れる野心をもつ。
シーラはドレイクの野心に気づき、バイストン・ウェル人間界代表として、ドレイクを止めることを決意する。
しかしそれは結局、ドレイクに引っ張られてオーラマシン軍拡をすすめている、全ての人間たちを止めることを意味する。
そういう意味で、シーラの戦う相手は、ドレイクだけでなく、エレなど味方側も含めた全てのオーラマシンと、その力を利用するもの、ということになる。
だからこそシーラは、彼女と同じ考えをもつショウを支援し、彼にビルバインを与えることになる。
ブロック(3) ジャコバの「浮上」→地上編へ
「浮上」がありますので、予定どおり変更します。まず私の案は以下のような形。
<変更案>
妖精の長ジャコバ・アオンは、歪んだ存在であるオーラマシンによって、バイストン・ウェルが戦乱に荒れるのを憂う。
それを知ったショウは、コモンとして、地上人として、妖精の長に提案します。
「それならば、地上に全てのオーラマシンを追い出すというのはどうでしょう?」
ジャコバは、ショウの提案をグッドアイデアと認め、儀式を行い、地上へ全てのオーラマシンを「浮上」させるのだった。
つまり私の提案は、『「浮上」はショウ自身の選択であり、ショウの責任ということにしてはどうか』というものです。
実行者は、ジャコバ・アオンのままで構いません。その代わり「浮上」自体のアイデアはショウのものとして、彼がジャコバに提案するということにします。
「浮上」は、バイストン・ウェルからオーラマシンを全て消し去るという、物語のキーポイントの一つです。ですが、『ダンバイン』ではジャコバから唐突になされ、ショウは関与していません。
実際のところ、オーラマシンは全て排除されたので、バイストン・ウェルは元の秩序を取り戻したでしょう。(平和を取り戻したということではない。)ショウは何もしてないですけど、結果的にね。
それをショウ自身の選んだ道ということにしましょう。
ショウはこの時点で一度里帰り済みですので、地上でのオーラバトラーの強力さ、凶悪さを理解しています。理解しているにも関わらず、地上人のショット・ウェポンが作った兵器の責任をとるには地上で、と決意し、「浮上」を提案するのです。
それは「地上」と「バイストン・ウェル」を天秤にかけて、後者をとったということでもあります。
地上人として、バイストン・ウェルに対してけじめをつけた、ということでもあります。
ショウのこの決断はベストが無い中で彼なりのベターとして選んだものですが、彼によって地上の人々が少なからず犠牲になるでしょう。視聴者全ての賛同は得られない類の大変罪深い行動です。
ですから、作品中で彼の選択に対する「アンチキャラ」を配置しましょう。
この場合、「ショウ!なぜ地上がめちゃくちゃになると分かっていながら、オーラマシンを浮上させた!」と、ショウを批判するキャラになりますね。
地上を大事にしているキャラクターが必要ですね。新キャラクターを追加して役割を背負わせてもいいが、現状で存在するキャラクターを使うならば、トッド・ギネスだろうか。
トッド「俺のママとアメリカがめちゃくちゃになるところだったんだぞショウ!」
トッドには悪いが、実際にママがケガする、死亡するなどの実被害を出して、強調する方法もある。
トッドは視聴者の代わりにショウを責めなくてはいけないし、ショウはこの批判を受けなければならない。
ブロック(4) シーラの「浄化」→地上編決着
TV版と同じく地上編です。
今回の流れでは「ショウのせいで」地上にオーラマシンがあふれて、地上は大混乱。という状況です。
もちろん、ショウは地上をめちゃめちゃにしたいというわけではありません。今度は地上からオーラマシンを根絶するために戦います。
<変更案>
地上で合流したショウやシーラ、エレ達は。ドレイクやショット、ビショットは地上に圧力をかけていく。
もはや一刻の猶予も無い。ショウはシーラに、地上のオーラマシン根絶のために相談。
シーラは「浄化」という方法があることを明かす。シーラの王家に伝わる秘儀。ショウはシーラに「浄化」によるオーラマシン根絶作戦を提案。
しかし全てを「浄化」するためには、敵味方も含めた全てのオーラマシンが一堂に会さなくてはならない。
そこで、「浄化」を前提にした最終決戦のために作戦が進められた。そしてドレイク、ビショット、ショットを全て集めることに成功。
太平洋上の決戦により双方壊滅。準備が全て整ったシーラの「浄化」が発動する。
全てのオーラマシンが地上から消え、ショウ達もまた、地上から消え去った。
ポイントはこの2点
・「浮上」と同じく、「浄化」もショウが意思決定をした結果、選ばれた作戦ということにする。
・「浄化」の存在を早い段階で明かし、全ては「浄化」作戦に向けた舞台づくりのため戦いを進めるという構成にする
TV版と結果は何も変わらないのですが、中身の意味合いはこれでかなり違ってくると思います。
まず「浄化」作戦を、「浮上」と同じくショウが意思決定したものにします。
これで、ショウは「バイストン・ウェル」「地上」双方の世界でのオーラマシン根絶の中心にいたことになります。
これと同時に、シーラの浄化に必然性をもたせましょう。
ラスト直前で現れるデウス・エキス・マキナでなく、あくまでショウとシーラの決意で準備された最終作戦と言う形にします。
ジャコバは地上にいない(いても無理だが)。シーラに「浄化」を任せるほかは無いが、いかに霊力が高いとはいえ、人の身でそんなことをすればどうなるか分からない。残酷だがショウはそれでもシーラに捨て身の「浄化」作戦を提案する。
つまり「目的のために死んでくれ」とお願いするわけです。シーラはそれに同意する。
(なんか「ナースエンジェル しいらSOS」みたいになってきた)
あとの軍事行動は、全て「浄化」作戦のためという展開にする。
太平洋に全てのオーラマシンを終結させて一大決戦するのも、その後全てを浄化するのも全て予定通り。
しかし、作戦の真の目的はショウとシーラの秘密、ということにした方がいいかな。
ショウとシーラの目的は勝利でも平和でもない。敵味方関係なく、オーラマシンを排除して、狂った戦いを止めること。
「浄化」は敵味方わけへだてなく全てのオーラマシンが対象となりますからね。
TV版「ダンバイン」のストーリーは一応ここまで。
再構築ストーリーおさらい
(1)シーラ登場
バイストン・ウェルの盟主、聖女王シーラとショウが出会う。
シーラとショウは、オーラマシンの根絶ということで意見が一致する。
(2)ショウによる「浮上」
ショウは、地上とバイストンウェルを天秤にかけて、地上をオーラマシン戦争の舞台に選び、ジャコバ・アオンの力で「浮上」を行う。(トッドはこの選択を許さない)
オーラマシンは全て地上へ。バイストン・ウェルはオーラマシン以前の状態に戻る
(3)地上からのオーラマシン根絶
ショウは今度は地上のオーラマシンの根絶を目指す。最終目標はオーラマシンの開発者ショット・ウェポン。シーラもバイストン・ウェル軍が地上に戦火を及ぼすことが無いよう手を尽くす。これはバイストン・ウェル盟主としてのけじめ。
(4)ショウとシーラによる「浄化」
ショウとシーラは「浄化」作戦を立案。この作戦のための準備を整える。
決戦において、シーラの「浄化」が発動。地上からオーラマシンは全て消滅する。
TV版のダンバインのストーリーはここまでですが、個人的にはあと少し付け加えたい。
ここから先は、個人の趣味の範疇だと先におことわりしておきます。
最後はバイストン・ウェルで
ショウは、2つの世界のために働き、両方の世界からオーラマシンを消滅させることに成功した。
ここまでの展開で来た場合、地上での「浄化」で終わるのは不十分だと思われる。
異世界→地上→異世界という構図を持っているショウは、最終的にはバイストンウェルに帰るべきだと思うからだ。
その場合「浄化」がオーラマシンともども、オーラマシンに引っ張られた全ての人々を罰し、救済するというものだと、いわゆる「全滅」にしかならないので、できればオーラマシンを全て失いつつ、生き残った者たちは肉体を持ったままバイストン・ウェルに帰還することにしたい。
地上、バイストン・ウェルあわせて、この世に残った最後の二機のオーラバトラーは、バーンのズワースと、ショウのビルバイン(ダンバイン)。
最後にズワースとビルバイン(ダンバインに乗り換え?)で戦うのはサービスの意味合いと、OVAでのサーバイン、ズワース2機と重ねるイメージ。
ズワースとダンバインは当然のように相討ちになる必要があり、これでオーラバトラーはこの世から消える。
エンディング
完全に好みの問題だが、こんな感じで話が進んだ場合に一番ステキだな、と思うラストシーンは、「浄化」で霊力を使い果たし、しわしわのおばあちゃん(でも心は乙女のまま)になってしまったシーラ様を、ショウが面倒みながら、ひっそりと暮らすというラスト。
これはけして当人同士にとって悲劇ではなくて、ショウは「死んでくれ」と命をもらう代わりに、自分の命を当然シーラに賭けただろうし、シーラも霊力を全て失くし死を覚悟しても、ショウに応えた。
その2人が全てをやり終え、責任を果たしたとき、余生をこんな風に過ごしてもいいでしょう?
何より、あのままいっても聖女王と聖戦士という立場の2人はあれ以上には望んでもなれなかっただろう。でも今は一緒に暮らしてる。傍目には、おばあちゃんと介護する孫にしか見えなくてもね。私にはとてもロマンチックで幸せな構図だと感じます。
以上でおしまいです。
さて、ここまで来ると、誰でも分かると思うのですが、完全に『ターンAガンダム』ですよね。これ。
自分でもびっくりすることにこれ意図的でも何でもないんですよね。だから本当に驚いた。
途中で違和感を感じながらも、それが何か分からず、そのまま考えを進めて、ラストのイメージが出たときにやっと気がついた。
「これターンAだ!」
ショウ=ロラン→命を大事にしない人とは誰とでも戦います。
シーラ=ディアナ→バイストン・ウェル(月)の女王として責任を取ります。
最後のズワースとダンバインの相討ちは、ターンXとターンAのそれだし、ラストはいわずもがな。
『ターンAガンダム』の構造に似てしまったのはそれなりにショックでしたが、これは無意識の結果ですので別にいいのです。何がショックって、無意識ではなく、意識的にしたことがあるんですよね。それの結果が『ターンA』だったことの方が驚きが大きかった。
意識的したこと。それは「絶対に『イデオン』にはしないでおこう」ということでした。
因果地平に飛ぶのは、ひとつだけでいい
『ダンバイン』のラストで浄化されたショウ達がバイストン・ウェルに転生する姿までを描く予定があったのを、「『イデオン』に似すぎてしまうから」と取りやめにしたのは有名です。
最終話のシナリオ段階(そのシナリオは「マイアニメ」85年3月号に掲載)では、命を落とした登場人物達がミ・フェラリオとして生まれ変わることになっていたが、「それでは『伝説巨神イデオン』と同じ結末になってしまう」という富野の演出意図により、完成したフィルムからは削除されている。
Wikipedia - 聖戦士ダンバイン
これからも分かるとおり、確かに『イデオン』と『ダンバイン』には重なる部分が多く、『ダンバイン』の問題点を修正していくと、『イデオン』になってしまう可能性がある。
ただ、それは『ダンバイン』が「これは全滅するしかないな!」というストーリーとして、完成度が高まるという意味でだ。
ホントはもっと色々可能性があるんだろうけど、私には無理だった。
富野作品に強い影響を受けた上に、貧困な想像力の私では、一番最初にイメージできたのは矛盾無くスムーズに「全滅」する『ダンバイン』だった。
それは危ない。それはやめようと思った。
もうすでに『イデオン』が因果地平まで飛んでいることですし、そもそも『イデオン』『ダンバイン』通過後の人間が考えることが『ダンバイン』を「出来のいい全滅もの」にすることでは無いと、私は信じる。因果地平に飛ぶのはひとつだけでいい。
だから、『イデオン』から離れることを意識して、『ダンバイン』の再構築を考えた。
そうなると全滅を避けるための動き方を、ショウにしてもらう必要がある。
だから、どちらかの勢力ではなく、真ん中に立ってもらい、もめごとの中心であるオーラマシンそのものを相手にしてもらおうとした。つまり「誰とでも戦い、誰とも戦わない」という戦い方。
で、それは要するに『もののけ姫』のアシタカであり、『ターンAガンダム』のロランですよね。
こうして考えると、やはり『ターンAガンダム』は、ガンダム文脈でなく、『イデオン』『ダンバイン』と並べることで、分かりやすくなるし、また違った面白さを感じることができるかも知れない。
「ガンダム全然見てないんだけど、『ターンAガンダム』を見るには、これまでのガンダムを見ないとダメ?」
と、聞く人がいたら、
「『ターンAガンダム』だけで全然いいよ」
と、最初に答えるけど、それでも他に何か見ておきたいと言われたら
「じゃあガンダムじゃなくて、『イデオン』を見ましょう。劇場版でいいですよ。ただし先に『イデオン』見てね」
と答えたい。(ダンバインは?…ちょっと長いよねえ)
「まとめ」と「課題」
富野由悠季がニュータイプを描くことで逆説的に明らかにしたように、人と人とは分かり合えない。
それはひとつの絶望だけど、「分かり合えない」ということを分かり合っていくことはできる。
それですらとても困難なことだけど、全ての人間が憎しみ殺し合い全滅する前に、それに気づくことができればそれで上出来だ。
シャアはそれは無理だと言っていたが、アムロはそこまで絶望はしていないと返した。
どちらが正しかったかは、『ターンAガンダム』を見れば分かる。(みんな見ようね)
ただ、それには、アシタカやロランのような、境界線上の人間が必要だった。
こちら側でも、あちら側でもないところに立つ人間が。
(私はそういう意味では、ターンAはやっぱり「おとぎ話」とか「神話」のイメージが強い。)
ロランはムーンレイス(月の民)でありながら、地球に2年住み、すっかり地球が好きになり、月と地球の両方を愛する人間になった。その後のポジショニングも月と地球を行ったりきたり。男性と女性の2つの性も行ったりきたりすれ違いあなたと私の恋。
再構成案で書いたとおり、私はショウの「立ち位置」と「しなければならないこと」というのは、すぐ決められた。
ショウを二つの世界の狭間に置いて、「どちらかの勢力」ではなく「オーラマシン」を相手として戦い、全滅を回避させる役割をさせようとしたんですよね。
ただ、ショウ・ザマという人を、それができるような人間にするために、何をどう変えればいいのか、ということに、自分なりの結論が出せていない。(だからこれまで書いた再構成案にもその部分は一切含まれていない)
バイストン・ウェルとの結びつきが弱すぎると言ったのも、地上とバイストン・ウェルとのバランスを取るためだったし、ショウの相手をリムルにするのもひとつの手と言ったのもそう。
例えばだが、よくある話として、ショウの両親の片方が実はバイストン・ウェル人で、地上とバイストン・ウェルのハーフ、などの設定にすれば一応条件はクリアーできる。クリアーだけなら。何か大きな軸がいるはず。他の要素と有機的に結びつくような何かが。
色々考えたが結局、これだというアイデアは思いつかなかった。すみません。これは宿題にさせてください。
あとがき
想定外なことに『ダンバイン』から始めて、『イデオン』から離れようとして、結局『ターンAガンダム』に行き着いてしまった。
私があれこれ考えたことは、とっくの昔に富野監督が到達してたわけです。
でも結論は一緒でいいんです。仮に私にいくばくかのオリジナリティがあるのだとすれば、そこへ到る思考の筋道そのものだけ。悩んだり、先ほどのようにいいアイデアが浮かばなかったりしたのも含めてね。だからカットせずに全て書きました。長くなった上に、こんな結論で申し訳ありません。(最後まで読んでいただいた方、ありがとうございます)
バイストン・ウェル小説を読まずにここにたどりついたのは、「あえて読まない」意義があったと私個人は感じます。面白い実験でした。
ラストも、体はおばあちゃん、心は乙女のシーラ女王というのも私個人は好きなんだけど……。
「バーロー!見た目は乙女、頭脳は老婆。その名はディアナ・ソレル」
あー、ですよね。心はおばあちゃん、体は乙女のディアナ・ソレルの方がいろんな意味で良いに決まってるよね。『ターンAガンダム』はすごいなあ。
私はもちろん、どっちもOKです。(節操がない)