映画『シン・ウルトラマン』を見てきました。
今までやったことないけれど、見た当日にちゃちゃっと冷蔵庫(自分の中)にあるものだけで1品つくるように書いてみます。
何も参照しないし、元々ウルトラマンに詳しくないし、書きたいところだけ書いて総論的なことは最初から放棄します。

※当社独自のネタバレ―ションテクノロジーにより、要するにネタバレしまくっています。未見の方はご注意ください。



TV版『シン・ウルトラマン』の総集編映画


総論としてまとめはしませんが、全体的な印象をいえば一種の総集編映画ではあるでしょう。
ウルトラマン登場前に「禍威獣(カイジュウ)」が何体か出現し、「禍特対(カトクタイ)」がそれを退治しています。
(この当て字をコピペするために、結局、Wikipediaページを見てしまった)
兵隊怪獣バボラーや、エーテル生命ゲゲラギロンもきっと退治されていることでしょう。
ウルトラマン登場後もいくつかの怪獣、星人が登場し、それらを撃退して映画は終わります。

開幕2秒で怪獣登場、即退治の流れに笑いましたが、まあ怪獣が出現する世界でないと、科学特捜隊は設立されないし、退治の実績もないと、対策の中心に置かれないし、で前史が必要と理解しました。

この映画を見て、『新世紀エヴァンゲリオン』を連想する人も多かったようですが、そもそもルーツのひとつですし、むべなるかな。
この、なんでいきなり「敵」が出現して、日本だけが狙われるのか、という当然の疑問を早めにうまく説明するのではなく、思わせぶりな謎にして、物語の興味として引っ張っていくメソッドってあの当時、本当に効果的だったなと思いますね。
もちろん『シン・ウルトラマン』では、もうそんなことはしていません。

ウルトラマン誕生と神永の献身


序盤、ウルトラマン登場と融合の流れ。
主人公・神永 新二(斎藤工)は、避難できていない子供を発見し、「私が保護します」的なことを言って、班長の田村(西島秀俊)も了承して、作戦本部を抜け出していく。
そして子供を保護し、ウルトラマンの地表衝突の衝撃から子供を守って命を落とす。

これがウルトラマン誕生の段取りだから流れは分かるんだけど、作戦本部には多数の自衛隊員がいるのに、5人しかいない「禍特対」のスーツ組の神永がわざわざ席をはずして、子供を保護しにいくのが不自然でもう少し何とか自然にならないのかな、と思えた。

この時の神永の献身は、ウルトラマンの心を動かすものであったと後に明かされるけれど、恐らく自衛隊員でも子供を守って命を落としただろう。同じことをしただろう。
これはただの偶然。そこに誰がいても同じことをするけれど、たまたま神永がその場にいて、命を落としたからウルトラマンになった、でもいいのかも知れない。が、その「たまたまその場にいた」がすごく不自然なんですよね。

例えば、神永が一人だけ外にいないといけない自然な理由を作るか、もしくは自衛隊員数名を連れて子供を保護にいくが、衝撃の瞬間にとっさに子供を抱えて吹き飛んだのが神永という感じで特権性を与えても良いのではないかと感じた。

ウルトラマンと彼


これは難癖ではなく、単なる素朴な疑問と前置きした上で。
『シン・ゴジラ』がそうであったように、ウルトラマンが存在しない世界に現れた銀色の巨人は「ウルトラマン」と呼称され、「彼」と呼ばれる。

これ、なんで「マン」で「彼」なんだろうな、と考えると色々と興味深い気がする。

ウルトラマンだから、マンだし、彼なのは当たり前だろう、という話なんだけど、例えばあれが本当に現実に現れたと想像するときに、マンで彼にするだろうか、いや人型ゆえに、そして人間の女性の身体的特徴が見えないゆえにやはりマンで彼になるだろうか、などと、どうでもいいことをマンで彼である私は思ったりした。

バディ関係を結ぶ者、上下関係を結ぶ者


この映画では、ウルトラマンと神永が融合してバディ(相棒)関係にあることを軸に、「禍特対」内での神永と浅見(長澤まさみ)とのバディ関係、さらにいえば、人類と外の星から来た知的生命体としてのウルトラマンとのバディ関係が強調される。



浅見と神永のバディ関係は、これがTVシリーズであればその関係性の構築をじっくり楽しめたことだろうが、総集編的映画なので、どうしてもそのつながりを支えるイベントが弱い(少ない)。
「禍特対」オフィスで、机を挟んで対面している浅見と神永だが、神永の机の周りにはテトラポッドが置かれている。
これはウルトラマンである秘密を隠している神永が、物理的にも心理的にも敷いている壁だろうが、これもTVシリーズであれば、その変化を色々と楽しめただろうと思う。(りんごが、切ったウサりんごになったり)

まあ、このテトラポッドは神永が人類に対しての消波ブロックの役割でもあることを示しているんだろう。テトラポットのぼって、てっぺん先にらんで、宇宙に敵飛ばそう。(「ボーイフレンド」の歌詞だとテトラポット)

その意味では、人間(日本政府)に従属を強いるザラブ星人はもとより、上位存在として認めろというメフィラスも当然、バディ関係は結べない。
だから単純に地球を襲うような怪獣より、そういう役割を果たせる外星人が選ばれたんだろうけれど。(でも、ウルトラ的な思い入れがあまりないので、ザラブ&ニセは省略できないかな、と思ったりもした)

そしてそれはゾフィー(ゾーフィ)にも同じことが言える。

メフィラスがウルトラマンとの戦闘中、ゾフィの監視に気付き、あれだけ地球にこだわっていたのに、やべーの来たからずらかるぜ、と身を引くのが面白かった。

確かに今作のゾフィーはやばい。
地球と人類を絶滅させるための兵器ゼットンを持ち込んでくるのがゾーフィなのだから。

発進!未完の最終兵器ゼットン


ゾフィーが発動させたゼットンが展開されていく。シルエットがロールシャッハテストのようだ。
これはまさに人類に対するロールシャッハテストなんですよ!(何か言っているようで何も言っていないコメント)

例の「1兆度の火球」で人類を滅ぼそうとするわけだが、記憶が確かなら、これに対する神永の説明が足らないのでは。
ゼットンが展開を終わり、「1兆度の火球」を放つまで、ある程度の時間がかかることを説明するセリフが無かったように思う。
これは具体的でもいいし、単に曖昧に時間がかかることだけを伝えてもいいと思う。

これが分からないので、いわゆる人類滅亡へのカウントダウンのスケールがうまく掴めなかった。
実際に、作中ではウルトラマンがゼットンに挑んで敗北。入院して、「禍特対」で滝がヒントを掴んで、国際会議も開き、対策を考えて、神永が目覚めて、再びゼットンに挑むまで、結局最後まで「1兆度の火球」は放たれない。
タイムサスペンスが無いなら無いでもいいと思うんだけど、結果から言えば「1兆度の火球」自体は特に人類の脅威では無かった。

あと映画見る前にTwitterで見かけた「ガンド・ロワ」はこれのことか、と納得もした。

決戦前。浅見に「行ってらっしゃい」と送られ、「行ってくる」と答えて変身し、ゼットンに向かうウルトマン。
作戦は成功し、帰還しようと必死で飛ぶがついには逃げ切れない。
ここはもう素直に見ながら、「ごめんキミコ、もう会えない!」だな、と思いながら見てました。

―― 1万2千年後。
ウルトラマンが太陽系に辿り着き、地球を見れば、地球には明かりが無い。
ああやはり、私がいない間に人類は外星人によって滅ぼされてしまったのか。
そうウルトラマンが思った瞬間、地上に小さな明かりがつく。
そのひとつひとつの小さな明かりが集まり、ひとつの言葉が浮かび上がっていく。
山本耕史「オカエリナサイ、私の好きな言葉です」
メ、メフィラス!<『シン・ウルトラマン』完>

境界線上の、狭間の存在ウルトラマン


色々といびつな所や思い切って割り切ったところもある映画で、『シン・ゴジラ』を同じく完璧さを目指した作品ではそもそも無いと思うので、それらがあることは前提として呑み込んだ上で、ウルトラマンなどへの思い入れなどで加点すればよく、いわゆる減点法で語っても、あまり意味がない作品ではあるでしょう。

私個人は、幼少期はウルトラマンと仮面ライダー大好きっ子でしたが、その後『機動戦士ガンダム』に出会ってから、そちらへ行ってしまった人間です。
幼少期のアルバムを見れば、すべて光線ポーズかライダー変身ポーズで写真に映っていたのに、ある時期から棒(ビームサーベル)を構えた姿に変わる。ここでガンダムを見たという境目が一目瞭然。

それからはウルトラマンを追い続けてはいませんが、それでもカイジュウとウルトラマンのバトルを十分楽しみました。迷っている方がいれば、見てみると良いと思います。おすすめします。
特撮やウルトラマンに詳しい方は、この作品をより楽しめると思いますが、私程度でも十分楽しめるのは、マーベル映画シリーズ(MCU)などと同じですね。

幼少期の私を思えば、子供視点とか民間人視点とか一切なかったなと思いますが、子供の頃、あてがわれたような子供視点キャラは好きではなかったし、作り手側的にも得意でないことはやらず、得意なことにリソースを費やすという意味では妥当(こういうのも完璧さではなく割り切りの選択)なのかな、とも思います。

そして、ウルトラマンと人間・神永が融合し、中間的な、境界線上の存在になったのを見て、やはりこれこそ主人公の王道のひとつだなと感じました。

ウルトラマン側から見れば、言ってしまえば『アバター』や『ラスト サムライ』であり、外部から来ながら現住人類に興味を持ち、そちら側に立つことにした男の物語でもある。

これは富野作品でいえば、『聖戦士ダンバイン』のショウ・ザマであったり、『∀ガンダム』のロラン・セアックだったりします。
ということで、何の話をしても最後は富野作品の話をしてしまう、というのがアドリブの書きなぐりでも証明されたところで、終わりといたしましょう。





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