インタビューの内容は確かに刺激的で面白いものでしたので、今回は『パトレイバー』シリーズ記事を1回お休みし、緊急特別企画「富野由悠季 1万字インタビュー紹介 そして『G-レコ』ラストの先に見た幻影」をお送り致します。
今回参照するテキストはこちら。
私は今までグレートなメカニックには縁が無かったので、初めて購入しました。
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何もない宇宙空間に、フィールド(舞台)をつくる
では早速インタビューを見ていきましょう。まずは『Gのレコンギスタ』の舞台づくりのお話から。
――さて、今回の『G・レコ』の世界は、キャピタル・タワー、トワサンガ、ビーナス・グロゥブなど、特に多様なフィールドでシーンを作られている印象があります。
富野 実際に画を作ってみると宇宙戦闘は見ているとわけがわからなくなるということは痛感するんです。そこに海が見えた瞬間、位置関係がすぐわかるじゃないですか。お話をつくるというのは、舞台がなければ作っちゃいけないということなんです。
お話は舞台がなければ、という発言は重要です。
『ガンダム』シリーズではよく宇宙が出てきますが、単に何もない宇宙空間というのはお話の舞台にはならない(なりづらい)ということですね。
宇宙は、作り手がちゃんと考えないと本当にただの広大な空間にしかなりません。
(さらに言えば、ちゃんと考えないと、ただの広大な空間にすらならないと思う)
特に宇宙空間の戦闘については、厳密にやると制作が大変な上に、監督が話すように位置関係など、わけがわからないものになるでしょう。
地上の場合、まず天と地があり、空と君との間には今日も冷たい雨が降る、すなわち自然物や人工物など多くの要素が絡むので、戦闘ステージのレベルデザインがしやすいんですけどね。
ただ、だからといって宇宙空間の戦闘がつまらないわけではありません。
むしろ何も無い宇宙だからこそ、物語に沿った舞台設計や演出などの重要性が高まって、色々と興味深いと思っています。
その中で富野監督はリアルな宇宙空間をデフォルメしてでも、視聴者にとって分かりやすい戦闘ステージを用意してくれるというのが私の印象です。
富野監督の映像づくりは左右の意識が強すぎる、とは言う方もおられますが、子供向けTVアニメシリーズで宇宙戦争をやるにあたり、ある程度、平面的な宇宙になるのは仕方がないかなとは思います。
限定された空間で戦争して、その中で立体的な戦闘するのが現実的な落としどころのような気がします。
『逆襲のシャア』などでも分かる通り、設定段階でのリアルな空間把握があった上で、映像に落とし込むにあたり、「分かりやすさ」「映像の働き」を優先しているのではないでしょうか。
宇宙戦闘ステージのつくり方
では具体的に宇宙空間に戦闘ステージをつくるにはどうすればよいのか?
まず宇宙空間を(あくまで映像的に)平面的な空間にしましょう。
さらに宇宙空間を絞るのがよいので、こちらに味方の母艦(味方ゴール)という宇宙の目印を置いて、あちらに敵の要塞や母艦(敵ゴール)という目印を置いて戦場を区切りましょう。
これで、宇宙空間にサッカーコートのような戦場が設定されます。
その上で、その戦場空間が、宇宙のどの位置(地球や太陽はどこか?位置関係は?)にあるのかも決めてしまいましょう。
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サッカーコートがきっちり作られて、それに沿った適切な画面演出がされていれば、画面のどちらへ行けば、敵陣に進むことになり、どちらへ行けば後退することになるのか、今、どちらが優勢なのかということが自然と把握できるようになります。
これができるのは視聴者の脳内に、宇宙空間の戦場マップがクリアに浮かび上がっているからですね。
しかし、宇宙空間でのレベルデザインが巧みな富野監督でさえ、「宇宙戦闘は見ているとわけがわからなくなるということは痛感する」わけで、いかに分かりやすく、変化に富んだ舞台づくりが大切か、ということなのでしょう。
『Gのレコンギスタ』今後の展開
続いて、TVシリーズの放送は終了した『G・レコ』の今後について。
――これだけで終わらせては、もったいない気がしますね。
富野 ヒット作とはいえませんが、今の時代に作っておいてよかったと自画自賛しています。2回戦という機運は部分的にサンライズの中にもあって、もし実現できればもう少し広く見てもらえるように創りなおしたいと考えています。ただ、1つ大問題があって、今までのような総集編論はありえない。10年~15年前の総編集編映画が成立する時代でもありませんし、構造的にも不可能でしょう。映画での公開は理想ですが、配信論や分割上映ということも意識しています。
2回戦の機運が、サンライズの中で「部分的」という表現が気にならないでもないですが、監督御本人が言ってることですから、これは事実なのでしょう。
ただ状況はどうあれ、再編集版が実現するのであれば、こちらとしても望むところです。
単なる総集編映画みたいなものにはしないとのことですが、これに私が期待するのは河森正治的な大胆な翻案ではなく、1つの物語としてキャラクターの心の動きを中心に組み直されていればいいな、ということですね。(kaito2198さんが言うところの、「情」のつながりを大切にした形)
『G・レコ』よくわからない問題の原因について
監督ご自身は、手を入れるポイントについて、こう答えています。
――もしもう一度手をいれるとすれば、どのような要素がポイントになるでしょうか?
富野 特にアイーダとベルリの問題が大きく浮上してきます。
(中略)
富野 『G・レコ』全般でよくわからないっていうところを突き詰めていくと、結局はアイーダとベルリということなんです。
アイーダ&ベルリ問題!
これは視聴者としても、うなづけるところです。
特にアイーダ。ポンコツ姫として広く親しまれはしましたが、放送前に「女王誕生の物語」というキーワードからイメージしたものとは、かなり遠かったのも事実。
ではアイーダの何が悪かったのでしょうか?
もし彼がイケメンでなかったなら……
富野 『G・レコ』はバイプレイヤーがキャラクターとして粒立ちをしたのに、アイーダとベルリだけは沈んでいるんです。「なぜここまで……」と、自分の中でよくわからない部分があるのは半分は嘘で、半分は原因があります。それはアイーダのことが好きにならなかったからです(笑)。
――アイーダは監督がお好きなタイプのキャラクターに見えますが(笑)。
富野 最初はそうでした。ですが途中で「え……」と思えることがあって。それは決定的に相いれない部分で、アイーダが好きになるカーヒルという男のキャラクターシートが上がってきたとき、「イケメン!」と思ってしまったんです。その瞬間、「うわアイーダはこいつと寝たんだ……」と。この話はスタッフのみんなも同意していました。「きっといやらしいですよ、あのイケメン」って。そこで完全にブレーキがかかってしまった。この歳になっても、僕はそうなんだって気付かされました。絵空事の女に対しても、そう思った瞬間にスパッと嫌いになってしまう(笑)。
――このお話、書いてしまっても大丈夫ですか(笑)。
富野 いいですよ。でも劇を組むということは、そういうことです。体感まで持っていかないと成立しないんですよ。
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……監督の想定以上のイケメンに仕上げてしまった吉田健一さんが戦犯ということでよろしいか。
冗談はさておき、これは色々な意味で面白い話です。(実際、読んだとき爆笑してしまった)
アイーダがカーヒルとチョメチョメ(山城新伍的表現)してたの、そんなにショックだったんだなあ。
そう考えると、カーヒルのキャラクターの重みというのは、あくまで2話でベルリに殺されて、アイーダとの間に因縁を作るためという程度のもので、だからこそショックが大きかったのでは、という気がする。
親が娘を寝取られるみたいなものなんでしょうが……でもカーヒルがいやらしいというのは私もそんな感じする。
『G・レコ』の世界の生みの親は富野監督で、その世界で生きるアイーダもカーヒルも元々は監督がつくりだしたキャラクターです。
「アイーダが好きになる男」というカーヒルの設定も富野監督が与えたもの。
全ては、富野監督の脳内から生まれたものに過ぎません。
しかし、カーヒルのキャラクターシートを見た瞬間、監督は「うわアイーダはこいつと寝たんだ……」と感じて、それがアイーダというキャラクターへのブレーキになってしまう。
まだ作品が世に出ていないのですから、生みの親ならば設定を変えたり、デザインを変更するなど、やろうと思えばできるはずです。
でも、一度この世に生まれてしまったキャラクターについては、生みの親でもどうしようもできないところがあるのでしょう。
「アイーダとカーヒルが寝た」という強烈なイメージは恐らく何をしても消えない。
極端な話、原作者権限でカーヒルというキャラクターの存在を抹消しても消えない。
そして富野監督にこう思わせた、キャラクターデザイン吉田健一さんの画の力ですね。
監督は、アイーダが好きになれなくて体感をつかめなかったわけではない。完全にその逆。
アイーダとカーヒルのキャラシート1枚で、2人の肉体を感じ、そして情交をイメージした。
絵空事のキャラクターの体感をつかもうとする富野監督だからこそ起こった「事故」だし、吉田さんのデザインがそうさせたわけです。
このことで2クールあるTVシリーズの主人公のひとりに多大な影響が出たわけですから、「キャラクター」を生む、ということは本当に面白くもあり、難しくもあり、恐ろしくもあります。
そりゃあ北爪宏幸さんも、クェスのデザインのことで監督に責められるわ。
この北爪さんのエピソード、登場する単語のせいで、富野監督の奇行や笑い話みたいにとらえている人もいますが、このアイーダとカーヒルのエピソードと合わせて考えれば、決してそういうものではないという事が分かるでしょう。
アニメは全て絵空事で、キャラクターもぺらぺらのセル(今はデータか)に過ぎません。そんなことは富野監督も分かっています。だからこそ「肉体」が必要なんです。
ちなみに個人的には、公共の場で、ああいう単語を大声で言うというのは、一般常識でいえば奇行の一種であると思います。
いやしかしですね、世の中には理由のない奇行と、理由のある奇行があって……いやこの話はやめよう。
そこ抜け明るくて、そこ抜けにお人よし、だけど……
――一方でベルリの問題はいかがですか?
ベルリの要因は、そこ抜けに明るいキャラクターでいけるだろうと思ってしまったことです。あとはノレドのことをちゃんと見なかった。ベルリがアイーダに気を取られているということに対して、ノレドとの関係をもう少し肉付けしないといけないですね。
「そこ抜けに明るいキャラクター」でいけるだろう、と思ってしまったけれど、実際はそれではいけなかった、ということかな。
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ノレドはちょっとかわいそうでしたね。
ベルリとノレドの関係を深めるという意味では、一緒にいるより、むしろ離れさせた方が関係性を再認識できるので、敵方に捕らわれる、といった展開も面白いかも知れない。
(富野アニメでよくあるシチュエーションでもあります)
さらに捕まった要因が、ベルリがアイーダの事にかまっていたから、とすれば、尚よいかも。
ノレドの性格的には、例えば法王が捕まるので、一人で行かすわけにはいかないと自主的についていったりするような、気丈で利他的な行動である方がらしいかも知れないな。
ノレドが誰についていくかは、ラライヤやマニィ、ベルリのお母さんだったり、色々と面白い組み合わせが考えられそう。
自由で不自由なジャンル
――弊誌的にはメカの事もお聞きしなければいけません。今回は実に多彩なMSが登場しました。
富野 MSの整合性が何一つなく、バラバラなものが出ているのが珍しいと言われました。ただSFとか巨大ロボットものって変な、難しい媒体だからこそ色々なことができるのに、「なんでやらないんだ!」と思うのが僕なんです。「ここまでできるんだよ」というのは見せる必要があるし、そういった刷り込み作業はもっと徹底していく必要性があるのではないでしょうか?
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これは本当にそう思います。
このブログでも何度か書いていますが、巨大ロボットアニメはもともと、玩具メーカーのコマーシャルフィルムであったジャンルです。
放送枠と売るべき玩具はあるが、30分を埋める世界や物語は無い。
この状況を利用して、数々の世界やドラマを作ってきたのが富野監督です。
登場するロボットに関しても、兵器であるモビルスーツや、第6文明人の遺跡はもちろん、オーラで動いたり、板バネの生体ロボットだったり、色々なものを試してきました。
主にスポンサーがらみで多くの制約があり、不自由なフォーマットであることは事実なのですが、それを「色々なことができる」ものとして受け止めてきたからこそ、これまで多くのロボットアニメを制作することができたのでしょうね。
「キャラクター」としてのモビルスーツ
――昨今は異形のメカが少ないので、ロボットアニメの原点的な面白さを感じられました。
富野 なにやらわからないヤツがいますから。ジーラッハも最初は出す予定ではなかったんです。でもジーラッハはマニィが載ったときに、キャラクターとして立つのではないかと感じて、実際に印象に残る活躍をしました。MSとキャラクターの対比ができたとき、自分の概念やMS論だけで考えてしまうと、マニィというキャラクターがあそこまで引き立つ絵は絶対できません。そこは刑部君のデザインを受け入れてよかったなと思う点です。でもやっぱり問題だったのは、アイーダとG-アルケインなんです。
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ここでもアイーダがらみでG-アルケイン問題。
――たしかにマニィに比べると、無難な組み合わせという印象を受けますね。変形するギミックもあり、途中から出てくるという噂もありましたが。
富野 G-アルケインの変形に関しては、本能的に避けました。その理由はよく分かりませんが、やはりアイーダに肉付けできていなかったからでしょう。マスクとマニィの体感がわかってきたときに、「マニィをジーラッハに乗せる」という感覚は面白い。ですが、G-アルケインとアイーダって当たり前なんです。だから燃えなかった。ですが最後に、安田君やメカ関係者たちが「フルドレスは眩しいんだから」はよかったって言ってくれて、ようやく見えた気がしました。
私にとってモビルスーツは人型兵器である前に「キャラクター」です。
これは毎度「富野アニメで産湯をつかい」と書いているように、幼いころから富野ロボットアニメを見て育ったことによる影響が大きいと思います。
その私から見て、ジーラッハとマニィの組み合わせは、キャラクターとしてのモビルスーツの良さが十二分に表現されていると思います。
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そもそも富野アニメでは、不安定な少女が戦闘力の高いモンスターマシンに乗るケースが多く、その意味で、この組み合わせはオーソドックスと言ってもよいぐらいです。
ジーラッハのフォルムを見ると、ボリュームのある上半身を支える脚部が1本の細い足のみとなっており、これが「不安定感」と「不足感(何か足りてない)」をイメージさせて、大変良いです。
一方のアイーダ&G-アルケイン。
姫様キャラが姫ロボットに乗るという、パイロットとモビルスーツのイメージの一致は、割と珍しい。というか、姫キャラ&姫ロボというレベルのベタな組み合わせは、初めてじゃないのか。
(ビギナ・ギナにはコスモ貴族的なところはあっても、姫感が今一つ欠けていると思う)
個人的に、姫ロボットとしてのアルケインが印象深いのは、荒木哲郎さん絵コンテ・演出の第10話「テリトリィ脱出」。
この回に関しては以前、感想を少し書いていますので、興味があればご覧ください。
『Gレコ』で描かれる新世界と描かれない旧世界 <『ガンダム Gのレコンギスタ』ショート感想集>
http://highlandview.blog17.fc2.com/blog-entry-227.html
ちなみに引用はしてませんが、このインタビュー中でも、富野監督は荒木さんを大変高く評価していらっしゃいました。
確かに第10話のアルケインは、普段より輝いていましたね。
ギミックは必然性が無ければ見せられない
――フルドレスはキャラクターとメカがリンクしたように見えました。
富野 たとえばアイーダがある瞬間、ずっとうっ屈していて、「女王になるんだからフルドレスを着て見せるのよ」というドラマでもない限り、変形のようなことはできません。「デザイン的に変形できるんだから、変形すればいいじゃないか」ということではないんです。
履き違えてはいけないのは、G-アルケインを描くことではなく、アイーダを立たせるということです。そういう扱い方をもう少し工夫する必要があったのです。
この発言も実に富野監督らしくすばらしい。
ロボットに変形ギミックがあるから変形すればいいということではない。
キャラクターに理由があり、ドラマ的な必然がなければいけない。
なぜならモビルスーツは、パイロットの代わりに表現する「キャラクター」だからです。
だから、G-アルケインを変形させたり、どんどん敵を撃墜して活躍させたりすれば良い、と単純にはなりません。そういうことをするには、アイーダに理由が、つまりドラマが必要です。
しかし富野監督がアイーダを好きになり切れなかったというのは、前述のとおり。
因果関係としては、G-アルケインでちっとも活躍しないからアイーダはダメだなあ、ではなく、アイーダに原因があるからG-アルケインは活躍できないよね、というのが正しい。
そのあたりを踏まえると、以下の発言もうなづけることでしょう。
――『G・レコ』全体に言えることですが、メカの機能を使うということに関して徹底されているという印象を受けます。
富野 キャラクターとメカが密接な関係にある以上、メカの性能を紹介していかないといけないのは劇だからです。ただ、MSでとても重要なことは、人型で擬人化をしているから、すべてメカ論で終わってしまうと分かりにくくなってしまいます。
G-セルフでいえば、キャラクターの「僕は疲れた」という表現と、MSのエネルギー切れがリンクしているということですね。『G・レコ』でのMS描写に関して言えば、『G・レコ』以後の足場を作るという意味がありますし、細かいところでかなりのアイデアを入れています。
アイデアを投入するということは、怠けてはいられないんです。1つのアイデアのために、本当は2、3日と言わず、1週間七転八倒しないと出てこないものです。
ラストシーンのローカライズ
――最終回についてお聞きしたいと思います。ああいった流れの結末で、ベルリの旅に日本を出されたということは、ある種の宣言をされているのかと思ったんです。
富野 先ほどお話したように、今回は敵味方の話ではありません。ベルリみたいなフワフワした子が「一人前になるために旅に出させてください」という雰囲気の中にあるエンディングなんです。いまさら『ガンダム』のようなヒーローを描くつもりもないですし、焼き直しをしても意味はありません。
なぜ日本なのかはハッキリとしていて、これは日本でオンエアするアニメだからです。もし海外で放送することが決まったら、北米や欧州、東南アジア、南米といった地域に合わせて、ラストシーンを切り替える予定でいます。
放送地域に合わせて、ラストシーンの舞台をローカライズさせるという話が面白い。
ラストシーンが日本であることは、富野由悠季の足跡を知っている(主に日本の)視聴者からすると、さまざまな意味を読み取ることが可能です。
もちろんそれに意味がないわけではありませんが、ローカライズという視点から見れば、地域に合わせて変化するため、日本という土地に過剰に意味を見出す必要はないわけです。
特定の土地ではなく、ベルリが降り立つ大地が、作品を見ている視聴者が住んでいる場所と同じ大地であることが重要なわけですね。
遥か未来の我らが大地は、2クールをかけた旅の終着点(ゴール)であり、同時にスタート地点でもあります。
未来のFUJIYAMAの姿
――TVシリーズのラストシーンには、どのような問題があったのでしょうか。
富野 いわゆる富士山なんて、一度も指定していません。あの世界の富士山は、おそらく3回か4回は大噴火したあとですから、山景が崩れているはずなんです。だからセリフも「三つ富士」ですし、コンテにも崩れた富士山の絵が描いてあります。それは『猿の惑星』を考えればわかるじゃないですか。
画としては、かつてのニューヨークで自由の女神が埋まっているというケースなのに、富士山と書かれていただけで、そのまま出てきてしまうんです。
――確かにリギルド・センチュリーの富士山を想像することはとても重要なポイントと思えますね。
富野 SFで一番大事なのは、あのシーンで起こったことではなくて、富士山が3回大噴火を起こした画を作ることがセンス・オブ・ワンダーなんです。その画があれば、今と1000年や2000年単位で時代が違うことがわかる。
「日本版」ラストに登場した富士山が、何度か大噴火して崩れているはず、という話。
活火山ですし、いつかは噴火するんだろうな、と思いながら日本人は生きてる気がします。
そのうち大地震が起こるんだろうな、大津波が起こるんだろうな、と覚悟しながら日本に生きているのと似たようなもので。
『猿の惑星』の例えも出ていますが、崩れた富士山、その画を見せるだけで、ああ遥か未来の日本だな、何度も噴火するほど先のことなんだな、日本は多方面で大きな影響を受けただろうな、と思わせてくれるでしょう。
そこに言葉は不要です。SFはビジュアル。
TV版エンディングのその先
富野 たとえば映画版にした時、TV版のクレジット部分をエンディングロールまで落とすと、ベルリが歩いている可能性は十分あり得ます。
でもベルリが歩いていると、ベルリだけじゃ済まなくなるのはわかってますか?
――誰かがやって来ると……?
富野 ノレドが追いつくんですよ。きっと新潟港で待っているんです(笑)。ベルリがもう歩けないってばっているときに、ノレドはバイクで駆けつける。そして日本海を渡るんです。オーシャン・リングで海を出しているわけですが、本当はラストシーンを海にしたかったというのが本音です。
――なるほど(笑)。
TV版と同じエンディングと思わせておいて、その先があり、先回りしたノレドが待っているというのは最高ですね。ぜひ実現してほしい。
ユーラシア大陸横断、そして再びアメリア大陸へ
富野 ベルリとノレドと二人で海に乗り出していくんだけど、「あれ、今日は台風が来るみたいなんだけど……」「そんなの知るかー!」って突き進んで終わるのもいいかも知れません(笑)。
でもそこまでいくとベルリとノレドだけではダメですね。二人にしてしまうと、ラストシーンがお決まりになってしまう。ちゃちなハッピーエンドよりも、家族にたどり着くための不協和音と、それを中和する時間を考えたとき、ラライヤがいてもいいでしょうし、アイーダもプレジャーボートの船長として登場するのもいいでしょうね。
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ノレドだけでなく、ラライヤやアイーダまで!
つまり、久しぶりの地球に降りたベルリも最初は元気だったものの、Gがきつくてもう歩けない。Gで歩けない。G歩けいん……。
となったところで、アイーダもラライヤと共に登場するわけですね。
そして、みなで新潟港から日本海を渡り、ユーラシア大陸へ。降り立つ地は……ロシア?
あ!これは!
はるか昔に、私が夢想していた『キングゲイナー2(シーズン2)』構想では?
そうに違いない。こいつはビッグニュースだ。デスク!明日の朝刊一面の差し替え、間に合いますよね?
(言うことがいちいちオーバーマン)
『キングゲイナー2(シーズン2)』構想いや妄想
『キングゲイナー』は2クールでしたが、富野監督はいつものように放送延長の想定だけはしていたようです。それを聞いて私がこんなの見たいなあ、と思っていたのは、以下のような『キングゲイナー シーズン2』でした。
- ゲイナー達のエクソダスの続きより、同じ世界でエクソダスしている他のグループを追うのがいいのではないか?
- だとすれば、ゲイナー達の真逆。ヤーパンを脱出するエクソダスを描くのはどうか?
- ゲイナー達が目指す場所ヤーパンはもちろんユートピアじゃない。ヤーパンに住んでる人々でここからエクソダスしたい人もいるだろう。
- それらをゲインとは別のエクソダス請負人が率いて、ヤーパンを脱出する戦いを描く。
- ヤーパンを舞台にしつつも、大陸へ渡る必要があるので、海のエクソダスというビジュアルイメージ。
- そしてクライマックスでは、この2つのエクソダスがすれ違い、交差する。
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といった「もうひとつのエクソダス」というイメージでした。
当時、『キングゲイナー』が終わってしまった哀しみが生み出した幻影といえましょう。
ですが、ベルリとノレドたちの再会は、この哀しい妄想を別の形で実現してくれるかも知れない。
日本を歩き、新潟港からユーラシア大陸へ渡り、そのまま大陸を横断。
めざすはロンドンIMAじゃないやゴンドワン(ヨーロッパ)。
宇宙とはまた別の意味ではてしない旅の道のり。
風に吹かれて消えてゆくのさ、僕らの足跡。白い雲のように。
当然、同じように旅をしているルイン&マニィや、バカンス中のクリム&ミックなどにも遭遇。
ラライヤを追いかけて旅立ったケルべス&リンゴ組は、数々のハプニングにより常にニアミス。
結局、本人たちは不本意だが、男二人旅を楽しむこととなる。
アメリアにとっての敵地ゴンドワンで見聞を広げたあと、今度は大西洋を渡って、アメリア大陸へ。
世界一周の旅ですね。ダイジェストでいいから普通に見たい!
ベルリとノレドのおさまりの良すぎる二人っきりにせずに、ラライヤがついてくるのも、シンシア・レーンみたいで良いです。
姫様も、弟の心配という名目で地球1周して、敵地ゴンドワンを見たりすれば、かなり視界や見識も広がるでしょう。そしてゴンドワンの貴族にでも一目ぼれされて、ややこしいことになって欲しい。
世界一周してもその後の人生何も変わらないという話もありますが、それは変わらない人間は何をしても変わらないというだけのことでしょう。
宇宙を一通り見てきたあとの彼らが、改めて地球を旅して何も変わらないと思えません。
だって彼らの人生はアニメで放送されたあとの方が、ずっと長くて、ずっと大切で、多分これからもっとすごい事が起きるだろうから。
やはりこのあたりが、エンディングの後、1秒たりともその先の時間を必要としない『∀ガンダム』と全く違う。
せっかくの新しい世界リギルド・センチュリーなのですから、もっとリギッってリギッってリギりたおして欲しいと思いますね。(雰囲気で何とか伝わって欲しい)
とにかく、これが実現したら、私の『キングゲイナー2』構想も供養できるし、何よりエンディングはスタート地点でしかありませんでしたからね。この先を期待してもいいんじゃないでしょうか。
インタビューは、グレートメカニックG 2015SUMMER掲載
ということで、富野由悠季1万字インタビューをご紹介いたしました。
この記事で紹介しましたのは、あくまで一部ですので全貌を知りたい方は、ぜひグレートメカニックG 2015SUMMERをご覧ください。
井荻麟インタビューもあります。井荻翼インタビューはありません。
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関連リンク
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サイコな彼女とガンダムな僕。出会いは拡散メガ粒子砲<キャラクターとしてのモビルスーツ>
http://highlandview.blog17.fc2.com/blog-entry-220.html
当ブログの過去記事。本文中にもあった「キャラクター」としてのモビルスーツの事を書いたもの。
Zガンダム、巨大モビルアーマー、νガンダムあたりが登場。
目を離さないでくれ! 『ガンダム Gのレコンギスタ』の世界はまだまだ盛り上がるぞ (TOMINOSUKI / 富野愛好病)
http://kaito2198.blog43.fc2.com/blog-entry-1636.html
おなじみkaito2198さんによる今後の『Gレコ』の展開について。これから発売される書籍情報も。
ちなみに記事冒頭の「さる情報筋」とはkaitoさんの事ですが、当の御本人はまだこの書籍を手にしていないはず。日本人は恵まれすぎなのです。それを噛みしめながらインタビューを読みましょう。
G-レコの放送後の展開、そして富野次回作について (シャア専用ブログ@アクシズ)
http://d.hatena.ne.jp/char_blog/20150702/
こちらも富野アニメファンにはおなじみシャア専用ブログさんによる現時点での時系列情報。
さすがの情報量、そして気になる情報が盛りだくさん。
ビーナス・グロゥヴは本当に金星圏ではないのか調べてみました (ひびのたわごと)
http://dargol.blog3.fc2.com/blog-entry-4584.html
そして、もちろん富野ファンにおなじみ、さとまる兄さん。本記事でも紹介しているグレートメカニックG 2015SUMMERのインタビューでの発言から、ビーナス・グロゥブの位置を検証しています。余談ですが、同じFC2ブログ利用者としては、URLの記事No.の積み重ねにくらくら来ます。