コードギアスの時に言いましたが、快楽原則に忠実なコードギアスを見ているとガンダムWの事を考えずにはいられない。
ガンダムWは本当にもったいない作品なんですよ。
■ガンダムWの面白さともったいなさ
ガンダムW放送当時、雑誌に掲載されていた読者投稿欄で「話は難しくて分からないけど、デュオが出てるのでがんばって見てます」という、中学生ぐらいの女の子の投稿が非常に印象的でいまだに覚えています。
この女の子は何も悪くない。話が分からないのは女の子だからでも、年齢が低いからでもなく、作っている方がおかしいから。
当時、これを見て、ガンダムWは本当に誰も幸せにしていないんだな、と思ったのを覚えています。
でもガンダムWは、1話・2話は素晴らしく面白かったんですよ。
特に、リリーナから渡された誕生日パーティの招待状をヒイロが本人の目の前で破り「…お前を殺す」のセリフで終わる第1話のつかみっぷりは尋常ではない。
「それが後にあんなことになるとは、その時の俺達には知るよしもなく…」
(高嶋政伸 THE HOTEL第1話「ただいま、ガンダムパイロット様ご宿泊中!」より)
■G5を結成せよ!
じゃあどうすれば良かったのか。
キャラクターとガンダムは魅力的だから、最大限にそれを生かす物語にするべきでしょう。
すばらしい導入である1話、2話を生かすなら、いっそ堂々と学園ガンダムをやって欲しかった。
しかも少女主人公の、少女マンガ学園ガンダムをです。
そもそも1話は、少女(リリーナ)が謎の転校生と出会うボーイ・ミーツ・ガールで、ヒイロをミステリアスにする関係上、視点は常にリリーナ側という少女マンガフォーマットなんですよね。
・少女は少年と運命(ショッキング)の出会いをする。
・「私はリリーナ・ドーリアン。あなたは?」彼はすでに去り、名前を聞きそびれる。
・ところが、その少年が学園に転校してくる。「アイツはあのときの…」
・少年はスポーツ万能、クールでミステリアス。たちまち女の子の話題に。
・少女は、気になるアイツに自分の誕生日パーティの招待状を渡す。
・少年は招待状を目の前で破り捨てる。「え?なに?」理解できない少女。
・次回へひっぱる、キメのひと言「お前を殺す」
つづく。
完璧。すばらしい。
クールでミステリアスな美少年で、かつヒロインにだけなぜか冷たく、ヒロインには理解不能の行動を取る。少女マンガの王子役のパターンの1つとしては完璧じゃないないですか。
これをこのまま生かしましょう。
主人公は女の子側にしてしまい、ガンダムパイロット達5人全員が、普通の学生のフリをして学園に通いつつ、指令があればガンダムを駆り、テロ活動を行うという話にしましょう。
さらにガンダムパイロットの美少年5人は学園で「G5」と呼ばれるようにする。
要するに「花より男子」。「花よりガンダム」いや「ガンダムより男子」か?
F4をG5にするってわけです。Eんじゃないでしょうか。Fの次はGなんだから。
主人公の女の子は、G5のメンバーがガンダムパイロットであるという秘密をひょんなことから知ってしまい「お前を殺す」と言われるが、結局、唯一の協力者となり、学園での生活をサポートしたり、正体隠しに奔走したりする、とかでしょうか。
主人公の兄で、ガンダムパイロットを探すために教師として学園に潜入した敵にゼクス。主人公は兄からもG5の正体を隠すことになる。
さらに敵か味方か、謎の、というか謎しかない変態理事長トレーズが謎の発言で謎をふりまく。
で、主人公の女の子のあたたかさが、テロリストだったG5の少年達の心を次第に溶かしていき、彼らは人間性を取り戻していく、というのが主軸。
あとは学園祭だの運動会だの期末テストだの修学旅行などの学園行事をこなしつつ、それにからめながら、ガンダムバトルをやっていけばいいんじゃないでしょうか。
正体を隠したり、学園で動くのに権力があると便利などの理由で、生徒会を手に入れるのも定番でいいですね。
主人公の女の子はガンダムとそのパイロットを知っているが、彼女自身は戦わないし、学生であることもやめないようにする。
あくまでG5にとって、学園(日常)の帰ってくる場所として存在し続ける。最後まで。
そんな学園ガンダムにすれば良かったんだよね。みんな、とは言わないが多分大勢が幸せになれる。
それなのにガンダムWは、こういった可能性を全て捨て、ヒイロは数話で学園を去り、ヒロインも続いて去る。
「完全平和主義」とか訳の分からないキーワードが出てきて、キチガイ同士の戦争が延々と続く。
Wikipedia見たら「シリーズ構成はアニメおたくや雑誌編集者などが絶対についてこれないホン(脚本)が目指されている」と書いてあって呆れた。
→参考:新機動戦記ガンダムW 作品解説(Wikipedia)
それで誰が幸せになったんでしょうか。監督は途中で事実上降板したそうですが、こんなキチガイ戦争アニメを延々と作っていたらそりゃおかしくなるよ。
■学園ロボットものの可能性
こういう学園ガンダムを考えるとね、コードギアスはこれを実現してることに気づくわけですよ。
以前書いたように、学園(日常)とバトル(非日常)をいかに一つの作品に盛り込むか、というのが面白要素を足し算する際の最大のポイントと思うのですが「コードギアス」は、学園とロボットバトルの二面。学生と戦士の二面。しかもそれをバレないように隠さなくてはいけないサスペンス。
学園(日常)とバトル(非日常)を両立させようと、どちらも捨てず、貪欲に詰め込んでいる。
コードギアスは快楽原則に忠実に、学園(日常)とバトル(非日常)を両立しようとがんばった。
ガンダムWは、学園(日常)とバトル(非日常)を両方できる可能性がありながら、それを捨てた。ガンダムWはそんなもったいない作品。というのが私の評価です。
私は友人に面白いもの薦める時に面白いとこしか紹介しません。全部見ることは美徳でも何でもないです。面白いとこだけ見たり、読んだりすればいいんです。
だからガンダムWを見ていない人には1、2話をぜひ見るようおすすめします。3話以降は見なくていいです。
その証拠に第2話「死神と呼ばれたガンダム」で、死神デュオが親切にこう言っています。
「死ぬぜ死ぬぜ。俺を見た奴はみーんな死んじまうぜ!」
彼の忠告にしたがって、3話以降を見なければ、皆さん死ななくて済むというわけです。
図書館戦争という小説を原作にしたアニメがやってたのでこないだ見ました。小説の方は未読です。
メディア良化法の名の下に国家権力の検閲によって禁止図書の取締がある架空の日本で、書物を守る図書館側と取り締まる政府側?とで戦争する話です。
■図書館戦争の面白さともったいなさ
これ、設定だけ聞くと面白そうなんですよ。「本のために銃撃ち合って殺し合う」という設定がもう出オチというか、これこそ「世にも奇妙な物語」の一遍にちょうどいい話の気がします。
ちなみに「ハチクロ」「のだめ」枠(ノイタミナ枠)でやるほど、原作からしてラブコメ成分が高いそうです。白泉社でマンガ化するほどに。
その部分はいいのですが、肝心の図書館戦争部分が全然よく分からない。アニメ化でごっそり説明を省いたりもしてるんでしょうけども。
結局「もしも」ファンタジーだと思うのですが、大ウソの部分とリアリティの部分がうまく融合してないように私には感じてとても違和感があります。
「世にも奇妙な物語」の1エピソードなら短編なので、全然気にならないと思うのですが。アニメ版は、プロダクションI.Gが真面目に戦争シーンとか作ってるのが余計に気になる。
原作既読者的にはどうなんでしょうね。というか本以外の表現メディアはどうなってるの?いや、多分そういうことはあんまり突っ込むん話じゃない気もする。
こういう舞台装置での愛と友情を楽しめばいいんだと思うんですけど、でも普通に武力衝突があって人が死ぬんですよね?
原作は面白いそうなので、アニメ化の際の料理法の問題という気もする。
I.Gが作ってるなら、全ての図書をデータ化して電脳の海に潜るのもいいのですが(で、9課に追われる)、これはやっぱり押井守がやればいいんですよね。
押井守といっても「ケルベロス」や「人狼」みたいなうっとうしいのでなく「うる星やつら」の買い食いウォーズとか「パトレイバー」の炎の7日間みたいな感じで悪ノリ全開のやつ。
千葉繁が何で本(8割方エロ本)に命をかけるのか、長ゼリフでまくしたてまくって、図書館に篭城したらいいんですよ。
で、神谷明が面堂家私設軍隊を率いてそれを武力鎮圧したらいいんですよ。
原作むちゃくちゃになりますけど、絶対面白いですよ。本当にもったいないなあ。
まあ押井守にラブコメはできないので、本編ではなく第0話として図書館隊の戦いの歴史を前史として作ってもらったらいいんじゃないでしょうか。
主人公が講義で習うテキストとか教材ビデオの設定で、DVDのおまけにつけましょう。
で、ここから意図的に脱線します。
■ちびくろさんぼは黒人差別か
出版に対する言論弾圧というと絵本「ちびくろさんぼ」を思い出します。
「ちびくろさんぼ」は一時期、黒人差別との抗議で絶版になってましたね。
私は「ちびくろさんぼ」は真っ赤な装丁の絵本を持っていて、小さい頃から何度も読んでいた大好きな絵本です。
挿絵がとても魅力的で、これを見て「ホットケーキ食べたい」と母にねだったことを覚えています。
そんな私は「ちびくろさんぼ」が黒人差別が理由で絶版になった理由が理解できませんでした。
なぜならば。
「さんぼ」に虎が出てくることからも分かる通り、元々はインドを舞台にしたお話です。それが海賊版を含めてさまざまなバリエーションが出るうちにアフリカを舞台にして、さんぼを黒人にしたものも出てきたそうです。
元はインドの話なんだから、黒人差別というのは的外れだ。という問題でもなく、舞台がインドでもアフリカでも通じる、差別とはむしろ逆のメッセージが物語に含まれていると思うんですよね。
「ちびくろさんぼ」では、さんぼがカサやレインコートやブーツなどフル装備していると、虎が次々にやってきて、それを奪っていきます。
これはインドやアフリカが西欧の国々に植民地にされたり、搾取されたり、国境を引かれたりしたことをイメージさせます。インドもアフリカも西欧にさまざまなものを奪われ、苦しめられましたから。
つまり、全てを奪われたさんぼはインドやアフリカの象徴。全てを奪った虎は西欧植民地主義の象徴というわけです。
ここまでだけ見ると、いじめられてかわいそうなさんぼだけど、皆さん知っての通り絵本の中では、さんぼの機転によって、虎達はお互い争ったあげく全員バターになってしまい共倒れしてしまいます。残ったさんぼはそのバターをホットケーキとして食べてしまう。
おしまいまで読むと、さんぼ(=植民地)のかしこさや、虎のバターも体内に飲み込んでしまうたくましさやしたたかさ、おおらかさが感じられませんか?
話の内容については差別的な要素どころか、深読みすれば西欧植民地主義に対する批判とも考えられて、むしろ欧米でもっと読ませるべき話じゃないかとすら思います。
いや、そんないやらしい政治的な深読みしなくても純粋に、差別表現は感じられないおもしろ絵本だと思います。つまり世界に通じるオモロー!絵本です。ホットケーキの枚数が3の倍数の時にバターになるほどに。
もちろんタイトルの「ちびくろさんぼ」という表現や、挿絵の黒人表現については配慮は必要だと思います。
今、復刊されている「ちびくろさんぼ」はそこのところを検討や修正をしたりしたものなんでしょうね。
だから子供たちは思いきり「ちびくろさんぼ」を読んで、ホットケーキによだれをたらしなさい。
お父さん、お母さんは子供たちのために何百枚でもホットケーキを焼きなさい。
そして親子で、さんぼの話をしながらホットケーキを食べなさい。もちろんバターをたっぷり塗って。
世にも奇妙な物語からSMAP主演のエピソードだけを集めたものです。その中の「BLACK ROOM」だけはもう1度と思い、見ましたよ。
「BLACK ROOM」は、木村拓哉主演、石井克人監督。
キムタクが久しぶりに実家に帰ると真っ暗な部屋だけがあった。父と母が迎えてくれたがどうも様子がおかしい…というお話。
有名なエピソードなので、見たことある人も多いと思うんですが、ネットなどを見ても賛否両論まっぷたつに割れる作品です。
結論から言うと、ラストのオチは、私から言うと「なし」です。
(見てない人もいると思うし、説明する気もおきないオチなので、ネタバレはしません)
あれが面白く「あり」という人もいるのは理解できるのですが、その人とは何か決定的に趣味が違う気がして多分良いお友達にはなれない気がします。
ただBLACK ROOMのネタ自体はすばらしい。大変うまく、かつ魅力的だ。
だから「もったいない」というのが私の評価になる。
世の中には面白くないものの方が当然多いわけだが、中には素材はいいのに料理としてまずくなってしまったような作品も多い。
私は作品がトータルで面白くなくても、良い部分があれば、それだけで十分興味深く、存在意義のある作品だと考えます。
ただ、あまりにもったいない作品が多いので、それを惜しんで、何回かに分けて書き残しておくことにします。
ということで「もったいない作品」シリーズ第1弾は「BLACK ROOM」です。
■BLACK ROOMの面白さともったいなさ
BLACK ROOMの面白いところは何と言っても、タイトルどおり実家のリビングだけに灯りがともり、その周りは謎の暗黒空間に包まれていることにある。
シーンとしては、このリビングのシーンしかないと言って良い。
ここでキムタクがこの真っ暗な我が家について、両親に説明を求めるが、まるで要領を得ない、という会話劇の面白さだけで進む物語。
真っ暗なため、部屋の全体像がつかめない。
母親は、お茶を取りにいくために暗黒空間に走って入っていき、足音が消え、しばらくたってからぜえぜえと息を切らして戻ってくる。
父親は、原付と思われるものに乗って(暗くて見えない)、エンジン音が消えるところまで走って戻ってくる。
「どんだけ広いねん」「どんだけ走っとんねん」という場面。
一番すばらしいのがここだが、何がすばらしいのか。
(1)リビングのシーンしかいらない。しかも周りは真っ暗で何もうつらない(うつさなくていい)。
→大変安く制作できる。
(2)真っ暗なので、音のしかけしかいらない。
→大変安く制作できる。見てる人の想像にまかせることができる。
何がすばらしいって、ここまでエネルギーとお金がかからず、面白い舞台装置を考えたのが何よりえらい。
テーブルとイスしかいらない。コント並の労力で、こんな魅力的な舞台を考えたのはすばらしい。
(ただし、ここで節約した労力を全てオチに使っているかと思うと、やるせない)
いわゆる「CUBE」「SAW」「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」なんかの低予算ゆえに舞台設定に知恵を絞った作品と同じ流れですよね。
ただし、この魅力的な設定を生かしきったとは私は思っていない。
暗黒空間も上記の2つのネタでしかいじらない。ここはもっといじり倒す方が私は好みです。
・電車や車や自転車が通過する。(光と音)
・黒電話が鳴るが、電話が見つからない。
・キムタクが実家の記憶を頼りに何か探すが暗闇に迷う。
・暗闇に消えた両親が、消えた場所とは全然違うところから戻ってきてびっくり。
・キムタクが激高して、モノを投げつけるがはずれ、後ろの暗闇空間に吸い込まれていくが、何かにぶつかった音がしない。
・暗闇の中で何かをイヤなものを踏んづけるが、何を踏んだのか見る気がしない。
・動物ネタ。イヌとかネコとか、あとは鳴き声が特徴的な動物など。
など、ちょっと適当にいくつか考えてみました。
会話劇で進むのは設定上仕方ないけど、BLACK ROOMであることをからめまくった方が好みです。
実際、BLACK ROOMでの会話劇は、暗闇空間である必然があまり無い。多分少し変えれば、別の設定で通用するように思う。これも、もったいないと思っているポイント。
私が石井克人の会話のノリを全然面白く思わない、という趣味の問題もありますが、この設定を上手く生かした会話劇というだけなら、それこそ三谷幸喜やクドカンとかの方が多分面白いものができるんじゃないだろうか。
いっそ同じ「BLACK ROOM」の設定で、5人くらいに短編作らせたら面白いんじゃないだろうか、と思います。
これやれば、ネットでの賛否両論もある程度、決着がつくのではないかと。
なぜなら「BLACK ROOM」は世界観からスタートした物語であって、けして結末(オチ)から逆算したものではないわけですよね。どう考えても。
予算と労力をかけずに面白くする設定が先に生まれて、あとはこの世界観で、どう展開するか、どうオチつけるかを考えていく流れ。
だから、展開とオチは無数に考えられる。石井克人もさまざまなパターンを検討してあのオチを選択したはず(それがやるせない)。
だから複数人に考えてもらって、それぞれ競ったら、色んなBLACK ROOMができて楽しいし、優劣が如実に分かるというわけです。
こうしたさまざまな可能性を秘めた舞台設定を持っているから「BLACK ROOM」はすばらしい。
だから、あのオチだけで全否定する人はもったいないことをしていると思うし、あのオチで全否定をさせてしまった石井克人は罪深いなあ、とも感じます。
私は「BLACK ROOM」がこういう構造である以上、設定とお話は切り離して評価していいと思ってますので、設定は手放しで賞賛します。
お話は…えーと、私の趣味じゃないので…なんというか…その…ち、ちょっとお茶取ってきます…タッタッタ…(闇の中へ消えていく)。