というのも、そろそろ通用しませんが、毎年恒例の当ブログまとめ記事です。
通常年末ですが、今年は大晦日に『Gレコ』記事を投稿したため、やむなく年明けとなりました。
2014年に書いた記事数は、7本。今年もセレクトするような数ではないので、全て紹介します。
記事数は少ないですが全て長文なので、キルタイムな意味でそれなりに読み応えがあると自負しています。
当ブログの記事でキルタイムして、感想をコミュニケーションしてみませんか。(ツッコミ禁止の女王)
2014年 『Gレコ』が始まり、2015年『Gレコ』が終わる
2014年のビッグニュースはなんといっても、富野由悠季監督によるTVアニメーション作品『ガンダム Gのレコンギスタ』がスタートしたことでしょう。
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今よ!レコンギスタドール。再征服の狼煙を上げろ<『ガンダム Gのレコンギスタ』放送枠発表などあれこれ>
『Gレコ』放送開始前に書いた記事。出オチと言われても否定できない。
今見直してみると、放送枠が深夜になったことにショックを受けつつも、何とかそれを受け入れるようになった時期のようですね。今でも「事故可能性」の面から、口惜しい気持ちはありますが、作品自体は面白いわけですから、あとはこれからの私たち次第かな。
『Gレコ』で描かれる新世界と描かれない旧世界 <『ガンダム Gのレコンギスタ』ショート感想集>
こちらは 『Gレコ』放送開始後の記事。
Twitterでの感想ツイートをまとめたものですが、豪華ゲストを(勝手に)お招きしたことで、にぎやかになりました。
ツイートベースなので、話は短くて雑多ですが、いつもめんどくさい長文なので、こういう方が読みやすくてたまにはいいかも知れません。
ファンを名乗りながら2記事しか書いてないのは、精力的にすばらしい記事を書いている方々がいる以上、怠慢以外の何物でもありませんが、他の作品同様、これから先の人生ある限り、私はこの作品を愛していくと思いますので、長い目で見て、お許し下さい。
ロボットと世界とキャラクターと
それでは続いて 『Gレコ』以外の富野アニメ記事。
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サイコな彼女とガンダムな僕。出会いは拡散メガ粒子砲<キャラクターとしてのモビルスーツ>
ガンダムシリーズに登場するロボット兵器といえば、「モビルスーツ」。
私は、ミリタリー的な知識もないし、ガンプラも酒もタバコもやらないつまらない男なんです。
そんな私にとって、モビルスーツはまず第一に物語内に登場する「キャラクター」だったりします。
記事では、ガンダムMk2とZガンダム、サイコガンダムを始めとした巨大モビルアーマーたち、そしてアムロとシャアの愛の結晶としてのνガンダムあたりを扱います。
カミーユにMk2を譲れと迫る、ベルトーチカの必然 <『Zガンダム』と『エルガイム』の主人公たち>
ベルトーチカさんは、カミーユに対して、ガンダムMk2のシートをアムロに譲れ、とストレートに言った人物です。
こうした、はっきりとした言動から、嫌われることも多い彼女。
私は、ベルトーチカが損な役回りを引き受けて、大事な仕事をしてくれたと思っているので、わりと好きだったりします。
ベルトーチカ以上に嫌われているカツ・コバヤシも、私は大事な仕事をここでしていると思っています。
私は、ファースト放送当時、カツと共にアムロの戦いを見守り、応援していた子供だった。
そんな私に、7年後の現実として、カツがカミーユのMk2に乗り込み、そして失敗する姿を見せたことには意味があったと私は思う。
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ウォーカーマシンとリアリティのハンドリング <『戦闘メカ ザブングル』が生んだ「フィクションチャイルド」>
『ザブングル』はよく「ハンドルで操作するロボット」というコメディな面をいじられがちなのですが、「ハンドルロボット」であることに意味はあるよ、そして、主役ロボット「ザブングル」と、主人公「ジロン・アモス」の共通点とは?という話。
この記事を書くにあたっては、あでのいさん(@adenoi_today)のツイートまとめが、きっかけになっています。非常に面白いまとめなので、一読をおすすめします。
「新セーラームーンはリアリティが無い」という暴論。あるいはSEEDとザブングルどっちがリアルか問題
http://togetter.com/li/695141
あでのいさんはその後、ブログを開設し、精力的に 『Gレコ』の記事を書いていらっしゃいます。
銀河孤児亭
http://d.hatena.ne.jp/adenoi_today/
ブログは、バズったTogetterに比べれば、単純なPVという意味では取りづらいと思いますが、現在の人々だけでなく、後年に『Gレコ』のことをもっと知りたいと思った未来の視聴者に対して、有益なものになるでしょう。
これは『Gレコ』の情報や魅力がたっぷり詰まった「未来の子供たちへの遺産」です。
だから私が、あでのいさんや他の富野作品のブログを書いている方に望むことは、インターネットからその遺産を消さないでということです。
例え更新が停止してもそのままで。仮にブログサービスが停止することがあってもエクスポートしてでも存続させて欲しい。
皆さんそれぞれ事情があることですから、もちろんこれは私個人の単なるわがままでしかありません。
未来のためとか言ってますが、私自身がいつまでも読んでいただけなんだろうな。いや建前は大事だな。
今後もこの建前で、私は富野作品ブログの存続を願い続けます。
戦車道のテレビ中継に実況とアナウンサーは必要か
富野アニメ以外の記事。主に『ガールズ&パンツァー』と『ウィッチクラフトワークス』の水島努監督まつりです。
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『ガールズ&パンツァー』の情報コントロールと『ウィッチクラフトワークス』のボンクラ☆アクティビティ<他2本>
『ガールズ&パンツァー』については、戦車道というスポーツの伝え方、主にその抑制について。そして、多数登場する戦車を受け入れてもらうための情報コントロールについて。
『ウィッチクラフトワークス』については「ボンクラ」をキーワードに、憎しみの連鎖から脱却するための方法のひとつ「忘却」について。非常識とか当たり前だぞ、ブログを書くなら好き勝手。
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高橋留美子が与えた、物語の結末
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通過儀礼を終えたあとの一刻館で、2人は生きていく<『めぞん一刻』感想戦>
マンガ『めぞん一刻』の主人公五代と夏子。……否、響子。あと正確には、夏子はんの苗字は伍代。
五代夫妻は、物語が終わっても、その舞台であった一刻館で暮らし続けます。
しかし果たしてそれで良かったのか? 2人は最後に一刻館を出て行くべきだったのではないか?
物語をどう終えるべきなのか。そして、物語に対してどういうスタンスをとるべきなのか。ということを考えた記事です。
「物語の正しさ」を語る記事にならないように注意を払いました。
2014年で最も苦労して書いた記事です。もちろん楽しんでも書きましたけどね。
こうした配慮をしつつ丁寧に記事を書くのは、めんどうな割には地味なので、内容や質にもよりますが、かけるコストの割には注目を集めないかも知れません。もっと雑な感じで断言していく方がPVを集めるという意味ではきっと良いでしょうね。
でも「その道を選ばないのが知性」だと、私も思っているので、今後も選ばないでしょう。
2014年の記事は以上です。
普段あまり、自分の記事やブログ自体のことに言及しないのですが、1年に1回この記事のときぐらいはいいかな、と思って少し意識的に書いています。
もちろん別にいつどこで自分のブログについて書いてもいいし、神様は何も禁止なんかしてない。
いや単に恥ずかしいんですよね。ろくに活動もしてないのに、色々語るのが。
それを踏まえた上で。量は少ないながらもある程度長い時間、ブログを続けてきて思うこと。
それは、自分が書く記事は誰もが読むような記事ではないけれど、読んでくださる方がある程度は確実にいるということ。
個人的な感覚では、はてなブックマークで、20ブックマーク前後。
これが私がきちんと書いた記事で頂くことができるブックマーク数の最大値だと思う。
これ以上のブックマーク数になった場合は、タイミングや影響力のある宣伝などすべて外部の力で、内部の力では多分ない。
これはけして謙遜でも悲観でもなくて、私自身が面白いと思うようなことを思うままに書いて、それぐらいが最大値というのは十分です。十分ありがたいし、読んで頂くべきひとに十分行き渡った証拠と思います。
2015年も自分の興味のあることを幾つか書く、多分それだけでしょう。
それがどなたかに楽しんで頂ければ、それに越したことはありません。
というかですね。『Gレコ』が終わった2015年をまだ想像できないので、どうなるか分からないですね。
どうにもこうにも。にっちもさっちも。ミックもジャックも。
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といっても、単に考える題材がマンガだというだけなので、「物語」というものに興味があれば楽しんで頂けるかも知れません。いつものように、めんどくさい長文だけども。
題材の連載時期などを考えると、結局いつもどおり、昭和の紳士淑女諸君にだけアプローチしている気もしますが、それがどうしたアッテンボローの精神で進めていきたいと思います。(結局、全ての表現が昭和)
マンガ原作者として『魍魎戦記MADARA』シリーズや『多重人格探偵サイコ』などを手がけた大塚英志。
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私は彼の作ったフィクションにはあまり興味が無いのだけれど、批評家・評論家としての物語論は好きで、昔からあれこれ読んで、大きな影響を受けたりもしました。
その大塚英志がマンガ『めぞん一刻』について昔から何度もくり返し書いていることがあり、そのテキストに出会う度に私は、ページをめくる手を止めて考えてしまう。
出るべきか、留まるべきか、それが問題だ
『めぞん一刻』は、夫と死別して悲しみとこんにちはした未亡人にしてアパート「一刻館」の管理人・音無響子と、彼女を慕う大学生・五代裕作の陽だまりラブコメディ。
(この作品の紹介は全く不要に見えて、もしかすると今や意外と必要なのかもという気もする)
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この作品を、主人公五代がモラトリアムな大学生から大人へ移行していく期間を描いた成長物語、として見た場合、以下のように考えることができます。
(1)舞台となる下宿先「一刻館」は五代が通過儀礼を受けるための仮の住まいである。
(2)そこで大人となり配偶者(響子)も得た五代は最終的に一刻館を出ることで、物語は完成するはずである。
というのが、かなり単純化しましたが大塚英志の主旨。
通過儀礼作品のサンプルとして何度も書かれており、時期や媒体によって異なる部分もあるでしょうが、大意は変わっていないはずです。
しかし実際の作品ではどうだったのでしょうか。
一刻館を出なかった五代と響子
『めぞん一刻』は物語の最後に、五代と響子は結婚し、子供が出来てからも一刻館に住み続けることがエンディングで示唆されています。
彼らは「一刻館」から出ることなく、物語は終了を迎えたわけです。
これはモラトリアムの継続であり、読者もそれを望み、高橋留美子もそれを許したのだろう、と大塚英志は言います。一刻館は永遠の終わらない青春として続いていく。
少年の「成長物語」として、一刻館(仮住まい)の位置づけはその通りだろうと私も思います。
ですから「通過儀礼」という物語構造の上でなら、最後に一刻館を出ていく、という終わらせ方は妥当性があると思いますし、読者も一刻館を出て行くエンディングだからといって猛反発したとも思えません。
「一刻館を出るラスト」でも恐らく大きな支障は無かった。
それでも「一刻館に残るラスト」が選ばれたのは、やはりモラトリアムの継続なのか。
大塚英志の言うように、2人で新居でも構えるべきだったのか。
さて、ここがひとつの考えどころです。
ここまで読んだあなたはどう思いますか?
もし良ければ、少し立ち止まって考えてみてください。
「物語」として正しいか、正しくないか
さて、この問題。
これを「高橋留美子と大塚英志、どちらが正しいのか」という視点で考えてしまうと、貧しいものになってしまうと私は考えます。
それよりは、自分が物語に対してどういうスタンスを取るのか、という問題としてとらえた方が面白くなるはずです。
検討した上で選ばれる、という過程にこそ意味があると思うので「一刻館を出る/出ない」というお題は、考えるサンプルとしての価値があります。
ですから以下に書くことは、私個人として考えたことで、私の物語に対するスタンスの表明にすぎないことをあらかじめお断りしておきますね。つまり「物語の正しさ」の話ではない、ということです。
正しいか、正しくないか、という問題にあらず
私は、一刻館を出て新居を構えるというラストが物語構造的にも読者感情的にも特に問題はないものと踏まえた上で、原作と同じように一刻館を出ずに暮らすラストを選んでもいいのでは、と思っています。
つまり「出る/出ない」でいえば、「一刻館を出ない」という終わり方。
その理由のひとつに、五代は与えられたいくつかのステップを踏むことで、大人になるプロセスをきっちり通過していることがあります。
(1) 女性とのお付き合いの練習をする (七尾こずえ)
(2) 童貞を捨てる (管理人さん以外で)
(3) 惣一郎と同じ体験をした上で乗り越える (八神いぶき)
(4) 天職を見つけ家族を養う甲斐性を身につける(保父の仕事)
このような形で、ドタバタコメディの果てとはいえ、一応ちゃんと大人への通過儀礼は果たしています。
ちなみにヒロイン音無響子は物語のかなり初期から五代に好感を持っていました。
五代はヒロインからの好意を最初から得ているわけですね。
「五代と響子が最終的にくっつく」という落としどころが決まっていても長編マンガとして続いたのは、高橋留美子が生み出す超絶ドタバタラブコメ時空が理由のひとつ。
もうひとつは高橋留美子が、傷を負った未亡人を支えることができる大人の男性になるまで、五代の恋を成就させなかったからです。
作者が与えた通過儀礼を突破した五代くんは、最終的に惣一郎の墓前で「あなたもひっくるめて響子さんをもらいます」と言えるほどの男になりました。
だからこそ大塚英志にとっては、ラストが画竜点睛を欠くという感じなのかも知れません。
でも一刻館に留まるというラストによって、この物語を「モラトリアムの継続だ」と言ってよいのかな、と昔から思っています。
もちろん、あくまで物語構造上のサンプルとしての指摘であり、それに一定の妥当性があることはここまで書いてきたとおり理解していますけどね。
一刻館ビフォーアフター
私は「一刻館は出なくてよい」と考えていますが、それは「五代と響子はやっぱり一刻館にいないとね」というファン心理ではありません。
『めぞん一刻』の場合は、一刻館を出ることなくモラトリアムの終わりは表現できるのでは、と思うからです。
ただ、それにはやはり、結婚する前と後では「一刻館に住む」という意味が変化したことを提示する必要はあるはずです。
個人的にそれを強調するのに一番いい補強は、響子が死別した前夫・惣一郎さんと一刻館とのつながりを作っておくことじゃないかな、と思っています。
例えば、惣一郎さんが若いころ手頃な一人暮らし先として少し住んでいたとか。オーナーである音無のお父さんがボロい建物なので取り壊そうとしてたけど反対したとか。そのために少し管理人のマネゴトをしたことがあるとか。
※実際、作品の中では、惣一郎さん(犬でなく故人の方)と一刻館の関係は特に何もないはずです。
惣一郎と一刻館のつながりを作っておくことで、五代による惣一郎の墓前でのプロポーズ「あなたもひっくるめて響子さんをもらいます」の目録の中に以下の3つを含めることができます。
・音無響子(故人・惣一郎との結婚歴を含む)
・惣一郎さん(前夫の名前がついた犬)
・アパート一刻館(惣一郎さんの思い出の場所)
人と犬と場所。この3つは音無惣一郎に誓って、五代裕作が責任を取りますよ、という意味で。
そうなると、愛する女性とその愛犬だけでなく、ボロアパートの面倒を見て守っていくのも五代の役割になります。
これまで五代にとって一刻館は大人になるための仮の住まい(非日常空間)でしたが、結婚によって、これからは妻子を養って生きていくための生活空間(日常)に変わったはずです。
一刻館はボロアパートのまま変わっていませんが、物語上の意味と役割は変化している。
それを明示するために、必ずしも惣一郎を使わなくてもよいですが、何らかの補強は必要な気がします。
例えば、大きく変化した五代に比べれば、むしろ変わらず一刻館に居続ける住人の一の瀬さんや四谷さんがおかしいので、朱美さんみたいにそれぞれの理由で一刻館を出ていくのもいい。
一の瀬さんの場合は、息子も大きくなって手狭になり、自然とそれなりの住居へ引っ越したり。
四谷さんは、気づいたらメモ1枚残していなくなっていたりしてもいいかな。(もちろん家賃滞納分未納)
この方向でいく場合ならね。
もしくは一の瀬さんや四谷さんをそのままにしておくならば、五代は保父を続ける一方、食べていくために響子と共に一刻館の管理人業も続けていくことにする。(これは原作のままでも恐らくそう)
そして、物語のラストでは新しい入居者を迎える描写を入れる。
しかも、最後の最後に、苗字に数字が入っていない入居者がやってくる。
一の瀬、二階堂、四谷、五代、六本木。
住民すべての苗字に数字が入っていた『めぞん一刻』という物語は終わり、住民は移り変わっていく。
とある昼下がりの一刻館。
五代が入居者のために部屋の掃除を始め、一ノ瀬さんと四谷さんが酒を片手に冷やかしにくる。
新しい入居者がどういう人なのか訊かれてうっとうしくなった五代は、契約書を見ながらそれに答える。
五代「どんな人って、ごく普通のサラリーマンの男性ですよ」
四谷「なんだ男ですか」
五代「名前は、ええと、不破雷蔵さん、ですね」
ま、まさかの『りびんぐゲーム』オチ!
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男性の成長物語として見たときの欠落
「長い前フリしやがって」「このネタが書きたかっただけだろ」とお思いの諸兄、お怒りはごもっともですが、しばし……しばし、待ちんしゃい!
『りびんぐゲーム』はもちろん冗談ですが、保父をやりながら、一刻館で響子と共に、夫と父親と管理人と宴会部長でもしながら、たくましく生きていけばいいんじゃないかな、と思っているのは確かです。
それをモラトリアムと言うのは、『めぞん一刻』を男性視点の成長物語や消費物語としてとらえ過ぎていると感じるんですよね。
確かに『めぞん一刻』は掲載が青年誌でしたし、『うる星やつら』の高橋留美子作品だし、まさしく男性のための作品のように見えます。ですが、本質的には女性のための物語になっていると私は考えています。
それは言うなれば、音無響子が幸せになるための物語。
もし物語の中で五代が成長して大人になっていくのが通過儀礼だとするなら、それは女性(響子)に捧げられる儀式だと思うのです。
数々のステップをクリアして響子を幸せにできる条件を満たさない限り、お母さん(高橋留美子)はプロポーズもセックスもさせない。
しかし響子とセックスはさせない一方で、前述のとおり、童貞喪失は通過儀礼の1ステップとして赤の他人(風俗)で済ませている。
一見すると「男性主人公の成長物語にしては童貞喪失を簡単に描きすぎ」という印象を受けます。
ですがこれも「女性のための物語」と見れば当然といえます。
男なら初めての相手は憧れの響子さんに……といった男子のロマンに高橋留美子は全く興味はありません。
だから未亡人の音無響子に、女性の扱い方を知らないような男をあてがうようなことはしません。
(しかも、ここまで準備させておいた上で、五代に一度失敗をさせるという周到さ)
「一刻館に住み続ける」というラストについても、女性視点ならこうも考えられる。
一刻館の管理人業は、若い夫婦が親類のツテで続けられる低家賃&副収入と思えば悪くないかも知れない。
生まれたばかりの子供を抱えて環境を変えるより、住み慣れた一刻館の方が響子が落ち着けるかも知れない。
一刻館は住人コミュニティが強固で、特に経産婦であり先輩ママである一の瀬おばさんのサポートが得られる環境の方が、響子にとって助かるかも知れない。
男性の成長物語として見た場合、物語構造上、一刻館を出たほうが確かにキレイに収まるかも知れない。
しかしその成長が、傷ついた女性の欠損を埋めるために捧げられたものだとしたら、通過儀礼用の仮住まいだろうが何だろうが、より幸せな日常のために図太く住み続けてもいいんじゃないか。
『めぞん一刻』は「母性支配の物語」か
こういう『めぞん一刻』を、男性が一刻館からついに出ることができなかった「母性支配の物語」と、評論することはできると思います。実際そういうことを仰っている方も色々いらっしゃいますね。
ただ、やはりそれは「少年の成長物語」や「ビルドゥングスロマン」的な視点が強すぎると思います。
(ありていにいえば男性的視点。実際、一刻館を出ないことを批判している多くの方が男性だと感じます)
それに「母性支配の物語」になっているのは、恐らく高橋留美子の設計どおりのはずです。
だから、そこを指摘したとしても特に意味がない。
それよりは、そういうマンガを、男性から絶大な支持を受ける「主人公・五代裕作の成長物語(ドタバタラブコメ)」として、成立させたことの方が興味深い。
高橋留美子が青年マンガ誌で男性読者の大人気を得るようなラブコメを書くことで、一見『うる星やつら』のように男性向けの消費財を与えているように見えますが、その物語構造では男性のロマンを否定していることはここまで語ってきたとおり。
君たちの童貞ロマンなど不要だから、女性のことを考えるなら、無駄なコンプレックスが無く、女性の心と身体を扱えて、仕事と家族を養える経済力を持った男性になってね、というマンガです。
『うる星やつら』と違い「時が流れる世界」で、男女が結ばれる物語を描くに当たって、高橋留美子が成立条件としたものが何だったのかを考えると面白く、またその冷徹さやシビアなところに戦慄も覚えますね。
最後に残ったもの
「物語上の正しさ」の話ではない、という前置きをして始めたとおり、私は「一刻館を出る」というのが選択として間違いであるとは別に思いません。そういうお話もありえると思います。
ただこの物語は、男性の成長物語であると同時に、女性の回復物語です。
それを女性作家の高橋留美子が、若い男性を主なターゲットとした青年マンガ誌に連載し、大きな人気と支持を得ました。
その、どちらか一方的ではない両面性が大きな魅力となっているのは間違いありません。
ですから「一刻館を出ない」からといって、この作品に傷がつくようなことは無いと思います。
個人的には、物語が完全に終わっても、ぬけぬけとその舞台に住んで生活を続けていくところに、女性作家である高橋留美子の図太さとしたたかさを感じて、好ましいと思います。
そう、好ましさ。
「物語の正しさ」ではなく、単なる個人的な「物語の好ましさ」としてね。
あとがき
以上、長々と書きましたが、構成上はどちらもありえることを検討した上で、最後は結局「好み」の問題になりました。
ですが、私は物語に対する最終的なスタンスとしてこれでいいと思っています。

「物語のさまざまな可能性を検討するのは定石だ。
そうして隙間を埋めていって、最後に好みだけが残ったとき、最高の物語になるのさ」
ま、これも冗談ですが、可能性の検討と好みは別の問題として切り離しているのは本当ですね。
物語なんて面白ければ何でもいいわけなんですが、何かの構造で物語が組まれていたら、何らかの処理は必要になります。
ただし基本構造を否定したり、変えたり、壊したり、放棄するというのもひとつの方法で、選ばれた答えだろうと思います。
私は元々の性質に加えて、思春期の頃に出会った大塚英志の影響も大きかったと思いますが、物語の構造とか基本設定をすごく気にしてしまうタイプです。
ですが、それゆえに物語に対して「構造としてこうなるべきだ」というスタンスにならないように注意しています。
例えば、キャラクターは成長すべき、とかもそうですね。
「構造としてこうなるべきだろう」と考えること自体は問題ないのですが、この記事で書いた『めぞん一刻』での例のように、そこは出発点に過ぎません。
他の可能性や考え方はあるか、それで何が表現されるのか、そもそも面白さ自体は増えるのか、そのための条件は何か、などを考えないと意味がないと思います。
何より、そこがいちばん楽しいところですしね。
「物語としてはこうあるべきなのに、こうなってない(=だからダメ)」で止めると、構造のチェックだけで終わってしまうので大変もったいないと思います。
面白ければ何でもいいんだよ、で止めてしまうのも、もったいないので私はしないけどね。
(すると、こういうめんどくさい長文を書く人間ができあがります)
関連記事とSpecial Thanks
本稿は以前書いた記事の続編的な内容を、Twitterでつぶやいたものがベースです。
その記事と、Twitterでご協力頂いた方をご紹介しておきます。
過去のある女性を受け止めるために、用意された通過儀礼<『かんなぎ』と『めぞん一刻』>
未亡人を幸せにできる男になるために、高橋留美子が五代くんに課した通過儀礼についての記事。
本稿はこの記事を前提にしているところがあるので、読んで頂いた方が分かりやすくなるかも。
記事の最後に、追記おまけ:男女逆転「シティコーポ 一刻館」というネタがあります。
これは「妻をなくして傷ついたままの大人の男性=音無響一郎」と「彼を好きになった女子大生(処女)=五代裕子」の場合どうなるか?どうするか?という性別逆転のシミュレーション遊びです。
これも「一刻館を出る/出ない」と同じように、考えるサンプルとして面白いのではと思っています。
Twitterでは、@yon2hiyoko13さんと、このネタについてあれこれお話をしました。
男女逆転するとどうなるか、を始めとして、オマージュとして男女逆転の一刻館をやっているライトノベル『紅』や、トラウマ男子を回復させる女子という意味での『彼氏彼女の事情』などの話も出ました。
結論としては、教育実習生に迫る男子高校生、八神伊吹くんは人気出そうだね、ということに。
また、ここまで書いておいて何ですが『めぞん一刻』のコミックスを手元に持っていないので、あやふやな記憶については、富野とかBLOGサイト2の坂井哲也 さんに色々と教えて頂きました。
「高橋留美子の図太さ」という表現についても、坂井さんのお言葉をそのままお借りしました。
(含まれる意味については、私なりの解釈が入ってしまっていますが)
『めぞん一刻』連載当時、高橋留美子が「五代は童貞喪失しなければ」と考えているときに、編集者が反対をしたという逸話があります。
私はこのエピソードの内容だけで、勝手にこの編集者が男性だと信じていたのですが、坂井さんにやはり男性であったと教えてもらいました。
編集者が反対したのは、男は1度だけでも性交をすると女性に対する態度が変わるためで、響子さんとの接し方にも変化がでてしまうだろう、との理由だそうです
それに加えてアシスタントの女性陣は、五代が童貞を失うことにみんな賛成だったらしいとの話も教えてもらい、思わず笑ってしまいました。面白いですね。
さて最後に。もし『めぞん一刻』を読んだことがない方がおられたら、ぜひ読んでみてください。
この記事では性質上、物語の結末などについてネタバレしまくっていますが、それで輝きを失うような作品ではありません。
優れた連載マンガは、誰でも察しのつくような話の落としどころを提示してくれます。
ただ、その最終地点へどうたどり着くのかについては検討がつかず、過程が気になって仕方がないのです。
(面白くないマンガではしばしば逆の状況が発生します)
だから書きます。
結末は、五代と響子が幸せになります。
過程を存分にお楽しみください。
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というのが一連の『かんなぎ』騒動を見ていて頭をよぎりましたが、今回は『かんなぎ』ではなく、そこから派生して『めぞん一刻』の響子さんと五代くんのお話。
連想したというだけで、特に両作品を対比させようという意図はありません。
ただ『めぞん一刻』は、「未亡人(過去のある女性)とそれに恋する大学生の物語」を抵抗感なく受け入れてもらうためにさまざまな配慮がされたマンガだと思いますからね。
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常に新しい理想郷(とキャラクター)を探し求める流浪の民
http://maniaxz.blog99.fc2.com/blog-entry-2081.html
http://omomani.blog53.fc2.com/blog-entry-2478.html
『かんなぎ』については、私はアニメを見ているだけで、マンガの方は読んでいませんが、一連の騒動がらみで目にした断片的な情報を見る限り、特に物語的な問題があるようにも見えません。
主人公も知らないことが色々出てくるでしょうが、それを知った上で彼がどうしていくのか、という所が腕の見せ所ですから、腕を見せる前にここまで拒否されるのはつらいでしょうね。
せっかくここから展開されるであろう物語があるだろうに、もったいないなあ。
この騒動自体にはあまり興味がないですが、過剰なナイーブさとヒステリックさだと思いますので、ネタにせよ本気と書いてマジにせよ、それをネットで世界中に発表したら、それは色々突っ込みが入るよね。
早めに良いカウンセラーに出会うことを願ってやみません。ただそれだけです。
カウンセラー「今のあなたにこれ以上の『かんなぎ』は危険です。今すぐ摂取をやめてください」
カウンセラー「検査の結果、あなたの望むキャラクターはそう特殊なものでもありません。私なら朝晩2回の『ひだまりスケッチ』をおすすめします」
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自分の中に理想のキャラクター像を持っていて、それに当てはまるキャラクターが出てくる作品を探し続けているような方は、ある程度いるんでしょうね。
だからキャラクターに幻滅したとき、この作品に留まっても幸福が得られないと判断すれば、作品を脱出し(捨てて)、他の作品の、他のキャラクターを求めていい日旅立ちするんじゃないかな(日本のどこかに、私を待ってるキャラがいる)。
必要なのは理想を投影できるキャラクターであって、作品自体ではないのであれば、作品の方を捨てて、他の作品に向かうほうが合理的です。何しろ我が日本は、ツンデレキャラだけでも何個艦隊か編成できるほどの超戦闘国家ですから。
こう書くと「物語とキャラクターを楽しむ、ということが分離してるの?」と思えてくるのだけど、多分そうでなくて、むしろ逆。キャラクターのために、悲しいぐらいに物語を必要としているような気がする。
ただし必要としているのは「キャラクターに奉仕する物語」。
自分が好きになったキャラクターを補強したり、関係性の補助線を引いたりしてくれる、キャラクターのための物語。
このため「物語にキャラクターが奉仕する」場合、反発が起きる場合があるのかも知れません。
なぜ「未亡人音無響子」は拒否されなかったのか
本題は、これらの話題を取り上げた記事の中で見かけた『めぞん一刻』の話。
コメント欄ですが、こちらの記事で、『めぞん一刻』のヒロイン管理人さんこと音無響子は、結婚暦のある未亡人だけど、普通に受け入れられてたよね、というような話題を見かけました。
私がめぞん一刻を最初に読んだのは小学生の頃でしたが、大人になってから改めて読み返したときに、未亡人と恋愛する大学生の物語を受け入れてもらうために、相当周到な配慮をしていると感じた覚えがあります。
めぞん一刻も、やり方次第では、反発や抵抗感を呼ぶものに十分なりえる素材だと思うのですが、なぜならなかったのでしょうか?
手元に単行本がなく、最後に読み返したのは10年以上前になるんですが、記憶とwikipediaを頼りに思い出しつつ書いてみましょう。
決められたゴールへ向かう過程に価値がある物語
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『めぞん一刻』は、はじめから勝負がついているタイプの物語です。
この作品の主人公である大学生の五代くんは、下宿するアパート一刻館の管理人さんこと未亡人の音無響子を好きになり、あれやこれやとがんばります。
でもヒロインである管理人さんは、物語の最初から最後までずっと主人公五代くんが好きです。でも象さんのことはもっと、いや象さんよりも五代くんが好きです。いつから?忘れちゃった。(『タッチ』の南ちゃんと同じですね。)
wikipediaにもこのような記述がありました。
また、高橋によればストーリー展開はあまり考えずに書いていたが、五代が惣一郎の墓の前で言う「あなたもひっくるめて響子さんをもらいます」は最初から決めていて、この台詞に向けて話を進めていたという
wikipedia「五代裕作」
惣一郎さんの墓前であのセリフが来ることは、連載前から決まっていたわけですから、あとはもう「そこ(ゴール)へどうやって向かうか」というお話なのです。
これをどう料理するかが高橋留美子の腕の見せ所であり、真骨頂といえます。
管理人さんの回復に必要な五代くんの成長
めぞん一刻は、管理人さんが愛する夫「惣一郎さん」を失った悲しみとこんにちはして、そこから回復する物語です。
何かが欠落している状態(マイナス状態)からスタート。物語中でそのマイナスを埋めることで彼女は回復し、物語は終わります。
管理人さんのマイナスを埋めるのは、もちろん主人公の五代くんの役割ですが、物語当初の彼は、四流大学の学生で恋愛経験も乏しい単なる一人の若者です。
愛する人と死別した年上の女性の大きな欠落を埋めることができるようなパーツではありません。
となれば、五代くんは物語中でさまざまな経験をしながら、マイナスを埋められるようなパーツ(男)になるよう、がんばるしかないわけです。
こうしてこのマンガは「欠落を抱える管理人さんの回復物語」と「それを埋める五代くんの成長物語」として成立できます。
五代くんがラスボス惣一郎さんと戦えるようになるには、いくつかの段階を経てレベルアップする必要がありますね。
ではここからは高橋留美子がいかに五代くんをレベルアップさせていったかを、考えてみましょうか。
五代くんに与えられた通過儀礼
高橋留美子は五代くんに以下のようなステップを用意しました。
各ステップがどのような意味をもつか、順に見ていきましょう。(1) 恋愛の練習をさせる (相手は七尾こずえ)
(2) 童貞を捨てさせる (確か風俗。つまり管理人さん以外)
(3) 若い頃の管理人さんと出会わせる (八神いぶき)
(4) 大人としての成長 (天職を見つけ、就職する)
(1) 恋愛の練習をさせる(相手は七尾こずえ)
物語の中で、五代くんが最初に付き合う女性が七尾こずえです。
管理人さんがずっと好きでありながら、管理人さんではなく、こずえと付き合います。
最初に読んだ小学生の頃は、こずえちゃんがマンガのための「トラブルメイカー」に見えてあまり好きじゃなかった気がするけど、今考えると絶対に必要ですね。
もちろんラブコメ(管理人さんの嫉妬)発生装置としても必要なんだけど、五代くんが管理人さんに挑む前の練習相手として、どうしても必要な存在です。
しかも最後はこずえの方から五代をふって、他の男性と結婚し幸せになって退場するなんて、あまりに出来すぎた練習相手といえます。
かなり(物語として)都合よく使い切ったと言えるかも知れません。
(まさか「五代をふる→結婚」をもってして彼女を批判するような男性がいるとはあまり考えたくない……いないよね?)
(2) 童貞を捨てさせる(確か風俗。つまり管理人さん以外)
これうろ覚えだったので、wikipedia見たら、こうありました。
原作者・高橋留美子は五代がいつまでも童貞でいるのは「正しくない」という考えを持っていて、五代が1人で北海道旅行に行く話でその旅行で出会った大口小夏を初体験の相手にしようとしたらしいが、編集部から五代君は純潔を貫かなければならないと猛反対され、断念した。また大学のクラス会で出会った白石衿子とラブホテルに入りそうになった所で響子に見つかり断念した話もそういった事情からか、これらの話はアニメ化されなかった。その後、五代の初体験は、坂本のおごりでソープランドに行く話であいまいに描いた。(実際に体験したのかは不明)
編集と作者の間での考え方のギャップも興味深いですが、私個人は高橋先生に賛成です。
物語構成上、単に捨てる、ということが必要だと思うので、あとの物語に全く影響しないシチュエーションで捨てることができれば、どういうものでもいいんじゃないかと思います。
「大人の男」の構成要素として、誰もが通過することとして、とにかく通過しておくことが重要だったんだと考えます。コンプレックスを1つ無くしておくわけです。
「その相手をなぜ管理人さんになぜしないのか?」という考えもあるでしょう。
実際、編集部の意見のように「五代は純潔(童貞)を貫く」という方法もありますが、高橋留美子は五代くんが管理人さんと戦うために事前に経験しておく必要なステップと判断したようです。
なぜなら、五代くんは失敗ができない(許されない)から(理由は後述)。
だから当然初めての相手は響子さんにはなりません。
最終目的が響子さんで、これはその途中で通過が必要なチェックポイントに過ぎませんから。
そして、ここまでお膳立てしても響子さんとの初めての夜のときに失敗するのがすごい。
もちろん行為の成功/失敗だけを切り出しても意味は無くて、その後2人が無事結ばれることで物語として回収されるんだけど、未亡人てごわいな、と子供ながらに思った気がする。
(3) 若い頃の管理人さんと出会わせる(八神いぶき)
五代くんは教育実習生として、管理人さんの母校へ赴任し、そこで女子高生八神いぶきに好かれます。
これはもちろん、高校生の響子さんが、男性教諭だった惣一郎さんに恋をしたシチュエーションの再来。
八神いぶきは、五代が出会うことができなかった「惣一郎さんに出会った頃の管理人さん」をやってくれているわけです。彼女の出現によって、五代くんは惣一郎さんの立場を疑似体験することができました。
そして五代くんには、惣一郎さんには無かった2つの選択肢が提示されます。
・現在の音無響子(未亡人。かつて他の誰かの妻だった人)を選ぶ
・昔の音無響子(=八神いぶき。まだ誰のものでもない人)を選ぶ
この選択は極めて重要です。
音無響子は、"一部の方"の言い方でいうところの「中古品」、八神いぶきは「新品」に当たります。
五代くんは、手つかずの「新品」を選択するチャンスも与えられたわけです。
もちろん個人として響子さんと八神はそもそも別人ですし、作中でそこまでシビアに選択を迫られたわけではないですが、お話の構造としてはこれは「今の響子さん」と「昔の響子さん」どちらを選ぶか?という選択の提示であると思います。
五代くんはどちらを選んだでしょうか?
もちろん彼は、八神ではなく「今の音無響子」を選びました。
これは実際にどちらを選ぶかというより、選択肢を提示し、意思を確認していくこと、そのものが重要であるといえるでしょう。
五代くんが今の響子さんを選んだ理由は、考えればいくつかあげてみることもできますが、最終的には全て「今の響子さん」を好きになったから、に帰結するんじゃないかと思います。
「昔の響子さん」が惣一郎さんを好きになり、結婚して、死別して、できあがったのが「今の響子さん」です。その響子さんに出会って好きになったんだから仕方ないよね、ということです。
(4) 大人としての成長(天職を見つけ、就職する)
保育園のアルバイトや、キャバレーの子供の世話などを通じて、保父を自分の仕事と見つけ、就職します。
まず重要なことは、フラフラしていた大学生やフリーターから社会人となり、家族を養える生活能力を手に入れたということ。大人をやるための最低条件を満たしたわけです。
五代自身もプロボーズする上で、試験に合格し、保父という職につくことを自分に課していました。
マンガですから「音無響子を愛している」という熱い気持ちが何より大事で、あとは愛する二人だから何とかなるでしょう、という方向ではなく、精神的なものは当然として、男性側が社会人にならないとプロポーズを許さなかった、という点は、きちんと覚えておいてもいいと思います。
職業の「保父」については、のちに五代くんと響子さんの間に子供が生まれることを考えると興味深いと思えます。
つまり五代は、元来、優しくて子供好きであり、さらに育児スキルを持ち、積極的に育児協力してくれる父親になってくれるだろうということです。
音無響子は、お金持ちの三鷹ではなく五代を選んだような女性ですので、金銭的なメリットは求めていません。しかし、だからといって五代は精神的に響子を愛してくれるだけの存在ではありません。
恐らく夫・父親として具体的に彼女を助けてくれるはずです。
以上のように、五代くんには、こうした段階を踏んだ通過儀礼(と、無数のドタバタ)が与えられましたが、彼は見事にそれをくぐり抜け、連載前に決められていた「あなたもひっくるめて響子さんをもらいます」のセリフを言える人間に成長しました。
「昔の男がいるなんて関係ない」段階をさらに越えて「昔の男もいたから今の愛する女が目の前にいる」までになった五代くんは、ラスボス惣一郎さんを倒す必要すらなくなりました。
このセリフが言える五代くんをつくりあげた高橋留美子はすばらしいと思いますが、それと同時にこのマンガは、基本設定や展開に相当の配慮をしたに違いないとも感じます。
未亡人ヒロインを受け入れてもらうための配慮
大学生の五代くんは、ターゲットになる読者層そのままとはいえ、その相手が未亡人というのは、やはりどうしても重たいし、気後れしてしまう。それこそ潔癖症的な抵抗感もあるかも知れない。
もちろん「年齢が若いこと、子供も無し、かわいらしいルックス、ヤキモチ焼きの愛らしい性格で、さらに島本須美」など、ヒロインのキャラクターは未亡人を出来る限り感じさせないようになっているので問題ありません。
また五代と同じように、管理人さんにも「ハンサムで、お金持ちで、スポーツマンで、さわやかで、さらに神谷明」という三鷹瞬をぶつけて、冴えない大学生との二択をつくりました。
「お金持ちのイケメンと結婚することもできるけど、五代くんでいいのね?」と確認させて、「それでも好きな男がいい」と言ってくれる女性にしました(未亡人だけどスレてはいない)。
ただ「未亡人」という属性だけがどうしても重くて、大学生と釣り合いが取れない。
だから、五代くんには、恋愛(の練習)をし、童貞も捨てさせ、人妻になる前の響子さん(八神)にも会わせて過去も体験させ、コンプレックスを消した。
(そこまでしないと未亡人と結ばれることが自然にならない、という意味では、めんどくさい生き物ですね男って。)
五代くんが若さゆえに情熱だけで失敗前提で突っ走るような展開でも面白いし、実際そういう方向の物語もあるけれど、『めぞん一刻』の場合はありえないかな。
『めぞん一刻』は、ゼロ状態やプラス状態から何かを失うのをドラマとして楽しむタイプの物語ではありません。先に述べたとおり、管理人さんはマイナス状態から始まっていますから、そこから回復する必要がありました。
だから管理人さんと五代くんの間で決定的なマイナスを生じさせるのは、物語が後退することにつながります。あの決めゼリフからも遠ざかってしまいます。
五代くんは、他の人とはともかく、管理人さんで「初めて」を試して失敗することができなかった(許されなかった)人といえるかも知れません。
五代くんが、管理人さんを決定的に傷つける、というのは絶対に許されません。
だからこそ、女性の心と体をきちんと扱えるような通過儀礼を受けさせましたし、家族を養い、子供を育てる甲斐性も身につけさせました。
もちろん前夫・惣一郎さんのように、管理人さんより先に死んで、深い傷をつけることも許されません。
これは、五代のプロポーズを受け入れた際の名セリフを見ても分かります。
響子「1日でいいから自分より長生きして……。一人ではもう生きていけそうにないから」
これは響子による結婚条件の提示です。恐らく、五代は響子より先には死なないでしょう。
高橋留美子の手によって、そういう男性になったはずです。
こうして見ていくと、高橋留美子が男のロマン・純情には全く付き合っていないことが分かります。
「純潔を貫きとおし、最終的に童貞を管理人さんに捧げる」というのは、恐らく高橋留美子にとって何の価値もないロマンなのだろうと思います。
そんなものより「女を幸せにできる男」にするための試練を五代くんに段階的に与えて成長させているのは、愛でもあり、厳しさでもあり、冷静さも感じさせます。
編集部が純潔を守るべきと考えたように、五代君の(管理人さん以外との)恋愛経験を好きでない人もいるかも知れません。特に女性の視点ではどうなんでしょうね。
ただ『めぞん一刻』の物語の仕組み上は必要なことだったと私は考えています。
と言いますか、手元に単行本が無いので不安で仕方ない。色々間違ってたらごめんなさい。
今度、これを踏まえて読み直してみます。
追記おまけ:男女逆転「シティコーポ 一刻館」
例えば、ちょっとした遊びとして、五代くんと管理人さんの立場を入れ替えた設定の物語を仮定してみましょう。性別逆転です。
「妻をなくして傷ついたままの大人の男性」 = 音無響一郎
「彼を好きになった女子大生(処女)」 = 五代裕子
という二人のラブコメになりますね。
この場合、五代裕子さんは五代裕作くんと同じように、他の男性と恋愛し、セックスし、就職しないといけないだろうか、と考えてみると、面白いんじゃないかと思います。あなたならどうしますか?
もちろん、そういう方向の物語もありです。ただ、五代裕子さんの場合、祐作くんが通過した試練が無くても十分に物語として成立するし、読者にも受け入れられやすい可能性もあります。
私なら、いっそ試練から遠ざけるために、女性側の年齢を下げることを考えるかも知れませんが、それこそ私が男性であるがゆえのロマンかも知れません。
これはあくまで遊びに過ぎませんが、高橋留美子が「男の子」を「男性」にするために与えた通過儀礼を考える上で面白い遊びかも知れないな、と個人的に思います。
さて『かんなぎ』は原作読んでないので何とも言えないですが、ナギの過去を、主人公仁は知った上で克服するしかないわけです。ナギの欠落を埋める人間こそが主人公なのですから。
しかし読者の方がその前に物語を拒否するのはもったいないですよね。五代くんのように、仁くんにもチャンスをあげて欲しいな。(もちろん作品が違うので、五代君のようにあれこれ女性経験すればいい、というわけではないですけどね)
それができない方には、身近な人間がカウンセラーとなり、安全な幸せ空間作品に誘導してあげてください。朝晩2回の『ひだまりスケッチ』。
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