というのが一連の『かんなぎ』騒動を見ていて頭をよぎりましたが、今回は『かんなぎ』ではなく、そこから派生して『めぞん一刻』の響子さんと五代くんのお話。
連想したというだけで、特に両作品を対比させようという意図はありません。
ただ『めぞん一刻』は、「未亡人(過去のある女性)とそれに恋する大学生の物語」を抵抗感なく受け入れてもらうためにさまざまな配慮がされたマンガだと思いますからね。
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常に新しい理想郷(とキャラクター)を探し求める流浪の民
http://maniaxz.blog99.fc2.com/blog-entry-2081.html
http://omomani.blog53.fc2.com/blog-entry-2478.html
『かんなぎ』については、私はアニメを見ているだけで、マンガの方は読んでいませんが、一連の騒動がらみで目にした断片的な情報を見る限り、特に物語的な問題があるようにも見えません。
主人公も知らないことが色々出てくるでしょうが、それを知った上で彼がどうしていくのか、という所が腕の見せ所ですから、腕を見せる前にここまで拒否されるのはつらいでしょうね。
せっかくここから展開されるであろう物語があるだろうに、もったいないなあ。
この騒動自体にはあまり興味がないですが、過剰なナイーブさとヒステリックさだと思いますので、ネタにせよ本気と書いてマジにせよ、それをネットで世界中に発表したら、それは色々突っ込みが入るよね。
早めに良いカウンセラーに出会うことを願ってやみません。ただそれだけです。
カウンセラー「今のあなたにこれ以上の『かんなぎ』は危険です。今すぐ摂取をやめてください」
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自分の中に理想のキャラクター像を持っていて、それに当てはまるキャラクターが出てくる作品を探し続けているような方は、ある程度いるんでしょうね。
だからキャラクターに幻滅したとき、この作品に留まっても幸福が得られないと判断すれば、作品を脱出し(捨てて)、他の作品の、他のキャラクターを求めていい日旅立ちするんじゃないかな(日本のどこかに、私を待ってるキャラがいる)。
必要なのは理想を投影できるキャラクターであって、作品自体ではないのであれば、作品の方を捨てて、他の作品に向かうほうが合理的です。何しろ我が日本は、ツンデレキャラだけでも何個艦隊か編成できるほどの超戦闘国家ですから。
こう書くと「物語とキャラクターを楽しむ、ということが分離してるの?」と思えてくるのだけど、多分そうでなくて、むしろ逆。キャラクターのために、悲しいぐらいに物語を必要としているような気がする。
ただし必要としているのは「キャラクターに奉仕する物語」。
自分が好きになったキャラクターを補強したり、関係性の補助線を引いたりしてくれる、キャラクターのための物語。
このため「物語にキャラクターが奉仕する」場合、反発が起きる場合があるのかも知れません。
なぜ「未亡人音無響子」は拒否されなかったのか
本題は、これらの話題を取り上げた記事の中で見かけた『めぞん一刻』の話。
コメント欄ですが、こちらの記事で、『めぞん一刻』のヒロイン管理人さんこと音無響子は、結婚暦のある未亡人だけど、普通に受け入れられてたよね、というような話題を見かけました。
私がめぞん一刻を最初に読んだのは小学生の頃でしたが、大人になってから改めて読み返したときに、未亡人と恋愛する大学生の物語を受け入れてもらうために、相当周到な配慮をしていると感じた覚えがあります。
めぞん一刻も、やり方次第では、反発や抵抗感を呼ぶものに十分なりえる素材だと思うのですが、なぜならなかったのでしょうか?
手元に単行本がなく、最後に読み返したのは10年以上前になるんですが、記憶とwikipediaを頼りに思い出しつつ書いてみましょう。
決められたゴールへ向かう過程に価値がある物語
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『めぞん一刻』は、はじめから勝負がついているタイプの物語です。
この作品の主人公である大学生の五代くんは、下宿するアパート一刻館の管理人さんこと未亡人の音無響子を好きになり、あれやこれやとがんばります。
でもヒロインである管理人さんは、物語の最初から最後までずっと主人公五代くんが好きです。でも象さんのことはもっと、いや象さんよりも五代くんが好きです。いつから?忘れちゃった。(『タッチ』の南ちゃんと同じですね。)
wikipediaにもこのような記述がありました。
また、高橋によればストーリー展開はあまり考えずに書いていたが、五代が惣一郎の墓の前で言う「あなたもひっくるめて響子さんをもらいます」は最初から決めていて、この台詞に向けて話を進めていたという
wikipedia「五代裕作」
惣一郎さんの墓前であのセリフが来ることは、連載前から決まっていたわけですから、あとはもう「そこ(ゴール)へどうやって向かうか」というお話なのです。
これをどう料理するかが高橋留美子の腕の見せ所であり、真骨頂といえます。
管理人さんの回復に必要な五代くんの成長
めぞん一刻は、管理人さんが愛する夫「惣一郎さん」を失った悲しみとこんにちはして、そこから回復する物語です。
何かが欠落している状態(マイナス状態)からスタート。物語中でそのマイナスを埋めることで彼女は回復し、物語は終わります。
管理人さんのマイナスを埋めるのは、もちろん主人公の五代くんの役割ですが、物語当初の彼は、四流大学の学生で恋愛経験も乏しい単なる一人の若者です。
愛する人と死別した年上の女性の大きな欠落を埋めることができるようなパーツではありません。
となれば、五代くんは物語中でさまざまな経験をしながら、マイナスを埋められるようなパーツ(男)になるよう、がんばるしかないわけです。
こうしてこのマンガは「欠落を抱える管理人さんの回復物語」と「それを埋める五代くんの成長物語」として成立できます。
五代くんがラスボス惣一郎さんと戦えるようになるには、いくつかの段階を経てレベルアップする必要がありますね。
ではここからは高橋留美子がいかに五代くんをレベルアップさせていったかを、考えてみましょうか。
五代くんに与えられた通過儀礼
高橋留美子は五代くんに以下のようなステップを用意しました。
各ステップがどのような意味をもつか、順に見ていきましょう。(1) 恋愛の練習をさせる (相手は七尾こずえ)
(2) 童貞を捨てさせる (確か風俗。つまり管理人さん以外)
(3) 若い頃の管理人さんと出会わせる (八神いぶき)
(4) 大人としての成長 (天職を見つけ、就職する)
(1) 恋愛の練習をさせる(相手は七尾こずえ)
物語の中で、五代くんが最初に付き合う女性が七尾こずえです。
管理人さんがずっと好きでありながら、管理人さんではなく、こずえと付き合います。
最初に読んだ小学生の頃は、こずえちゃんがマンガのための「トラブルメイカー」に見えてあまり好きじゃなかった気がするけど、今考えると絶対に必要ですね。
もちろんラブコメ(管理人さんの嫉妬)発生装置としても必要なんだけど、五代くんが管理人さんに挑む前の練習相手として、どうしても必要な存在です。
しかも最後はこずえの方から五代をふって、他の男性と結婚し幸せになって退場するなんて、あまりに出来すぎた練習相手といえます。
かなり(物語として)都合よく使い切ったと言えるかも知れません。
(まさか「五代をふる→結婚」をもってして彼女を批判するような男性がいるとはあまり考えたくない……いないよね?)
(2) 童貞を捨てさせる(確か風俗。つまり管理人さん以外)
これうろ覚えだったので、wikipedia見たら、こうありました。
原作者・高橋留美子は五代がいつまでも童貞でいるのは「正しくない」という考えを持っていて、五代が1人で北海道旅行に行く話でその旅行で出会った大口小夏を初体験の相手にしようとしたらしいが、編集部から五代君は純潔を貫かなければならないと猛反対され、断念した。また大学のクラス会で出会った白石衿子とラブホテルに入りそうになった所で響子に見つかり断念した話もそういった事情からか、これらの話はアニメ化されなかった。その後、五代の初体験は、坂本のおごりでソープランドに行く話であいまいに描いた。(実際に体験したのかは不明)
編集と作者の間での考え方のギャップも興味深いですが、私個人は高橋先生に賛成です。
物語構成上、単に捨てる、ということが必要だと思うので、あとの物語に全く影響しないシチュエーションで捨てることができれば、どういうものでもいいんじゃないかと思います。
「大人の男」の構成要素として、誰もが通過することとして、とにかく通過しておくことが重要だったんだと考えます。コンプレックスを1つ無くしておくわけです。
「その相手をなぜ管理人さんになぜしないのか?」という考えもあるでしょう。
実際、編集部の意見のように「五代は純潔(童貞)を貫く」という方法もありますが、高橋留美子は五代くんが管理人さんと戦うために事前に経験しておく必要なステップと判断したようです。
なぜなら、五代くんは失敗ができない(許されない)から(理由は後述)。
だから当然初めての相手は響子さんにはなりません。
最終目的が響子さんで、これはその途中で通過が必要なチェックポイントに過ぎませんから。
そして、ここまでお膳立てしても響子さんとの初めての夜のときに失敗するのがすごい。
もちろん行為の成功/失敗だけを切り出しても意味は無くて、その後2人が無事結ばれることで物語として回収されるんだけど、未亡人てごわいな、と子供ながらに思った気がする。
(3) 若い頃の管理人さんと出会わせる(八神いぶき)
五代くんは教育実習生として、管理人さんの母校へ赴任し、そこで女子高生八神いぶきに好かれます。
これはもちろん、高校生の響子さんが、男性教諭だった惣一郎さんに恋をしたシチュエーションの再来。
八神いぶきは、五代が出会うことができなかった「惣一郎さんに出会った頃の管理人さん」をやってくれているわけです。彼女の出現によって、五代くんは惣一郎さんの立場を疑似体験することができました。
そして五代くんには、惣一郎さんには無かった2つの選択肢が提示されます。
・現在の音無響子(未亡人。かつて他の誰かの妻だった人)を選ぶ
・昔の音無響子(=八神いぶき。まだ誰のものでもない人)を選ぶ
この選択は極めて重要です。
音無響子は、"一部の方"の言い方でいうところの「中古品」、八神いぶきは「新品」に当たります。
五代くんは、手つかずの「新品」を選択するチャンスも与えられたわけです。
もちろん個人として響子さんと八神はそもそも別人ですし、作中でそこまでシビアに選択を迫られたわけではないですが、お話の構造としてはこれは「今の響子さん」と「昔の響子さん」どちらを選ぶか?という選択の提示であると思います。
五代くんはどちらを選んだでしょうか?
もちろん彼は、八神ではなく「今の音無響子」を選びました。
これは実際にどちらを選ぶかというより、選択肢を提示し、意思を確認していくこと、そのものが重要であるといえるでしょう。
五代くんが今の響子さんを選んだ理由は、考えればいくつかあげてみることもできますが、最終的には全て「今の響子さん」を好きになったから、に帰結するんじゃないかと思います。
「昔の響子さん」が惣一郎さんを好きになり、結婚して、死別して、できあがったのが「今の響子さん」です。その響子さんに出会って好きになったんだから仕方ないよね、ということです。
(4) 大人としての成長(天職を見つけ、就職する)
保育園のアルバイトや、キャバレーの子供の世話などを通じて、保父を自分の仕事と見つけ、就職します。
まず重要なことは、フラフラしていた大学生やフリーターから社会人となり、家族を養える生活能力を手に入れたということ。大人をやるための最低条件を満たしたわけです。
五代自身もプロボーズする上で、試験に合格し、保父という職につくことを自分に課していました。
マンガですから「音無響子を愛している」という熱い気持ちが何より大事で、あとは愛する二人だから何とかなるでしょう、という方向ではなく、精神的なものは当然として、男性側が社会人にならないとプロポーズを許さなかった、という点は、きちんと覚えておいてもいいと思います。
職業の「保父」については、のちに五代くんと響子さんの間に子供が生まれることを考えると興味深いと思えます。
つまり五代は、元来、優しくて子供好きであり、さらに育児スキルを持ち、積極的に育児協力してくれる父親になってくれるだろうということです。
音無響子は、お金持ちの三鷹ではなく五代を選んだような女性ですので、金銭的なメリットは求めていません。しかし、だからといって五代は精神的に響子を愛してくれるだけの存在ではありません。
恐らく夫・父親として具体的に彼女を助けてくれるはずです。
以上のように、五代くんには、こうした段階を踏んだ通過儀礼(と、無数のドタバタ)が与えられましたが、彼は見事にそれをくぐり抜け、連載前に決められていた「あなたもひっくるめて響子さんをもらいます」のセリフを言える人間に成長しました。
「昔の男がいるなんて関係ない」段階をさらに越えて「昔の男もいたから今の愛する女が目の前にいる」までになった五代くんは、ラスボス惣一郎さんを倒す必要すらなくなりました。
このセリフが言える五代くんをつくりあげた高橋留美子はすばらしいと思いますが、それと同時にこのマンガは、基本設定や展開に相当の配慮をしたに違いないとも感じます。
未亡人ヒロインを受け入れてもらうための配慮
大学生の五代くんは、ターゲットになる読者層そのままとはいえ、その相手が未亡人というのは、やはりどうしても重たいし、気後れしてしまう。それこそ潔癖症的な抵抗感もあるかも知れない。
もちろん「年齢が若いこと、子供も無し、かわいらしいルックス、ヤキモチ焼きの愛らしい性格で、さらに島本須美」など、ヒロインのキャラクターは未亡人を出来る限り感じさせないようになっているので問題ありません。
また五代と同じように、管理人さんにも「ハンサムで、お金持ちで、スポーツマンで、さわやかで、さらに神谷明」という三鷹瞬をぶつけて、冴えない大学生との二択をつくりました。
「お金持ちのイケメンと結婚することもできるけど、五代くんでいいのね?」と確認させて、「それでも好きな男がいい」と言ってくれる女性にしました(未亡人だけどスレてはいない)。
ただ「未亡人」という属性だけがどうしても重くて、大学生と釣り合いが取れない。
だから、五代くんには、恋愛(の練習)をし、童貞も捨てさせ、人妻になる前の響子さん(八神)にも会わせて過去も体験させ、コンプレックスを消した。
(そこまでしないと未亡人と結ばれることが自然にならない、という意味では、めんどくさい生き物ですね男って。)
五代くんが若さゆえに情熱だけで失敗前提で突っ走るような展開でも面白いし、実際そういう方向の物語もあるけれど、『めぞん一刻』の場合はありえないかな。
『めぞん一刻』は、ゼロ状態やプラス状態から何かを失うのをドラマとして楽しむタイプの物語ではありません。先に述べたとおり、管理人さんはマイナス状態から始まっていますから、そこから回復する必要がありました。
だから管理人さんと五代くんの間で決定的なマイナスを生じさせるのは、物語が後退することにつながります。あの決めゼリフからも遠ざかってしまいます。
五代くんは、他の人とはともかく、管理人さんで「初めて」を試して失敗することができなかった(許されなかった)人といえるかも知れません。
五代くんが、管理人さんを決定的に傷つける、というのは絶対に許されません。
だからこそ、女性の心と体をきちんと扱えるような通過儀礼を受けさせましたし、家族を養い、子供を育てる甲斐性も身につけさせました。
もちろん前夫・惣一郎さんのように、管理人さんより先に死んで、深い傷をつけることも許されません。
これは、五代のプロポーズを受け入れた際の名セリフを見ても分かります。
響子「1日でいいから自分より長生きして……。一人ではもう生きていけそうにないから」
これは響子による結婚条件の提示です。恐らく、五代は響子より先には死なないでしょう。
高橋留美子の手によって、そういう男性になったはずです。
こうして見ていくと、高橋留美子が男のロマン・純情には全く付き合っていないことが分かります。
「純潔を貫きとおし、最終的に童貞を管理人さんに捧げる」というのは、恐らく高橋留美子にとって何の価値もないロマンなのだろうと思います。
そんなものより「女を幸せにできる男」にするための試練を五代くんに段階的に与えて成長させているのは、愛でもあり、厳しさでもあり、冷静さも感じさせます。
編集部が純潔を守るべきと考えたように、五代君の(管理人さん以外との)恋愛経験を好きでない人もいるかも知れません。特に女性の視点ではどうなんでしょうね。
ただ『めぞん一刻』の物語の仕組み上は必要なことだったと私は考えています。
と言いますか、手元に単行本が無いので不安で仕方ない。色々間違ってたらごめんなさい。
今度、これを踏まえて読み直してみます。
追記おまけ:男女逆転「シティコーポ 一刻館」
例えば、ちょっとした遊びとして、五代くんと管理人さんの立場を入れ替えた設定の物語を仮定してみましょう。性別逆転です。
「妻をなくして傷ついたままの大人の男性」 = 音無響一郎
「彼を好きになった女子大生(処女)」 = 五代裕子
という二人のラブコメになりますね。
この場合、五代裕子さんは五代裕作くんと同じように、他の男性と恋愛し、セックスし、就職しないといけないだろうか、と考えてみると、面白いんじゃないかと思います。あなたならどうしますか?
もちろん、そういう方向の物語もありです。ただ、五代裕子さんの場合、祐作くんが通過した試練が無くても十分に物語として成立するし、読者にも受け入れられやすい可能性もあります。
私なら、いっそ試練から遠ざけるために、女性側の年齢を下げることを考えるかも知れませんが、それこそ私が男性であるがゆえのロマンかも知れません。
これはあくまで遊びに過ぎませんが、高橋留美子が「男の子」を「男性」にするために与えた通過儀礼を考える上で面白い遊びかも知れないな、と個人的に思います。
さて『かんなぎ』は原作読んでないので何とも言えないですが、ナギの過去を、主人公仁は知った上で克服するしかないわけです。ナギの欠落を埋める人間こそが主人公なのですから。
しかし読者の方がその前に物語を拒否するのはもったいないですよね。五代くんのように、仁くんにもチャンスをあげて欲しいな。(もちろん作品が違うので、五代君のようにあれこれ女性経験すればいい、というわけではないですけどね)
それができない方には、身近な人間がカウンセラーとなり、安全な幸せ空間作品に誘導してあげてください。朝晩2回の『ひだまりスケッチ』。
関連リンク(過去記事)
神様とアイドルはカミひとえ<『かんなぎ』の偶像(アイドル)崇拝>
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原作は読んでないので、見る理由は「監督:山本寛」というだけでした。
山本寛作品では『涼宮ハルヒの憂鬱』も見てましたが、当時は同時に『ZEGAPAIN -ゼーガペイン-』も放送していたため、この時期はSFマインドを満たすことが出来て幸せいっぱい胸いっぱいだったことを覚えています。
ちなみにゼーガペインを見ようと思ったのは「原作:伊東岳彦」の名前だけなので、あそこまで面白くなったのは嬉しい誤算でした。
人は1つの理由だけでどうなるか分からんものを見ることができるものです。
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で、『かんなぎ』。
押しかけ美少女同居ものなんですが、その女の子が神すなわちゴッドだというお話です。
つまり、ゴッドねえちゃんと同居。………ゴッドねえちゃん?
えーと、正しい情報と詳しい情報は、公式サイトとwikipediaのお仕事だと思うので任せた!
TVアニメ『かんなぎ』公式サイト
http://www.nagisama-fc.com/anime/
wikipedia「かんなぎ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/かんなぎ_(漫画)
アニメは普通に楽しんでますよ。
マンガをそのままアニメに生かしているなら、原作は、ネームが面白いタイプの作品なんですかね。そんな感じがします。
面白いなあ、と思うのは、オープニングにも現れていますけど、神様をアイドルとして表現しているところです。
ここではその1点だけを話題にしましょう。
カミはアイドル(中山美穂)
ゴッドねえちゃんことナギ様は、神木としてこの土地を守る土地神(産土神)であったが、街の開発?で神木は切られてしまう。
その神木を使って主人公が作った女神像に魂を宿して、再びこの世に姿を現したナギ様だったが、この土地を守るためには神様パワーがあまりに足りない。
それも当然で、神木を切り倒してしまうような時代。誰も土地の神様を信仰していない。
神様パワーを得るには、再び人々の信心を得ることが大事だということで、ナギ様は信者獲得を目指します。
つまりアイドル(偶像)になって、人気者になるのだ。
アイドルとして売り出すために、学校へ行って人気者になったり、公式ファンクラブをつくったりして、信者数を広げる。
信心深い老人達などではなく、高校生など若者の人気を得ようとするのは、もう純粋に女性アイドルの客が若者だから。
また、妹(これも神。ゴッドいもうと)と信者のパイを取り合ったりする。これは同期のライバルアイドルですね。
こうして人々の支持を得ることにより、神様パワーが上がって、色々できるようになるようだ。
アニメでは第3話ぐらいしか、その仕組みが使われていないので良く分からないが、基本のメカニズムはこうであるらしい。
人々が信じて、愛することで神様(アイドル)は力を得る、というこの仕組みは、単なるおふざけのマンガ設定ではなく、神様という存在にとても忠実ですね。
偶像(アイドル)崇拝とは良くいったもので、神様とアイドルはとても良く似た存在だからです。
人々の信仰を糧にする偶像(アイドル)
多くの人間が支持することで力をもつという例は実際の神様に見ることができます。
例えば、三国志のおヒゲのレッドドールこと関羽。
三国志の最終的な勝利者が誰か、というのはたまに話題になります。どう定義するかによりますが現代の我々から見れば、おそらく関羽になるでしょう。
何せ単なる一武将が、世界中の中華街にある関帝廟で愛される関聖帝君(かんせいていくん)という神様になったんですから。劉備や曹操もびっくりです。
明の万暦42年(1614年)万暦帝から「三界伏魔大帝神威遠鎮天尊関聖帝君」、天啓年間に天啓帝による「三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君」という神号を追贈され、清では北京地安門(北門)外に廟を作り、順治9年(1652年)に順治帝から「忠義神武関聖大帝」、乾隆年間に乾隆帝から「忠義神武霊佑関聖大帝」、嘉慶 (清)年間に嘉慶帝から「忠義神武霊佑仁勇関聖大帝」、道光年間に道光帝から「忠義神武霊佑仁勇威顕関聖大帝」という神号が贈られた
wikipedia「関帝」
どう偉いのかすらもう分かりませんが、どんどんすごい称号が上乗せされてゆきます。褒めるための漢字を全て付けた感じ。言葉の意味はよく分からんがとにかくすごい名前だ。
単なる人間、1本の木でも、人々に愛され、畏れられ、信心を得れば神になることができるし、さらに信仰を集めれば神格が上がり、神様としてもどんどん出世できるのです。
これはアイドルと同じ。すなわち、単なる歌好きの田舎の女の子でも、人々に愛され、尊敬され、信心を得れば、超時空シンデレラとして、歌姫として、女王として、銀河の妖精として、どんどん出世できるのです(ネットの世界ではそれこそ「神」になれるでしょう)。
もちろん、その逆もあります。
信心を失い、人々に忘れられた神様がどうなるのか。
『かんなぎ』劇中でも、このまま神として忘れられたら、力を失い、最後は消えていく運命だと、語られました。
これも実際に神様の世界であることで、私が最初に思い出したのはアイルランドの妖精達。
フェアリーの起源にはさまざまなものが考えられ、被征服民族の民族的記憶、異教の神や土着の神が神格を剥奪されたもの、社会的に差別・追放された人々を説明するための表現、しつけのための脅しや芸術作品の中の創作、などが挙げられる。小さい姿に描かれたり、遠い場所に行ってしまうといった話は、意識の中で小さくなってしまった存在であるということを表している。
wikipedia「フェアリー」
昔、ケルトにはまった時に、そのきっかけとなった井村君江さんの著作を色々読んでいた時期があったのですが、妖精は昔、その土地で信仰されていた神だったが、キリスト教が入っていくにつれて、神格を失い、人々の記憶の中で大きさも力も小さくなり、あの姿になった、とのことでした。
それでもアイルランドに妖精が多く存在するのは、アイルランドにキリスト教を広めた聖パトリックが、土着信仰を否定せず、キリスト教との融和をするように努めたからと言われています(聖パトリックえらい)。
逆にいえば、キリスト教に限らず宗教の伝播、軍事的征服や、民族の融合、移動など様々な理由で土着の神様達は、信仰を失い消えていったり、力を失い小さくなったり、悪魔にされてしまったり、他の神と融合(女神転生)したりしてきたわけですね。
さて、では同じようなことがアイドルでも言えるのでしょうか。
人気を失い、ファンを失ったアイドルは、人々の中で忘れられ、(芸能界での)力を失い、そしてブラウン管やCDショップから消えていくことで、そこにいるのだけれど通常の人には「見えない」存在となってしまう。妖精と同じく、信じる人にしか「見えない」存在になってしまうわけです。
また消えていく過程で、手のひらを返すように悪者やビッチ扱いをされたり、ソロではなく何人かのグループの1人とされてしまったり、するかもしれません。
この辺りは、四天王だの八部衆だの十二神将だの七福神だのといった神様のグループ化と対比させると面白いでしょう(必ずしも神格の弱体化と直結してるわけではないが)。
その昔は、国中の人々が信じて愛する妖精(アイドル)がいた。
しかし、あらゆる層から認められる国民的歌手、国民的アイドルという存在が成立するのはもう今の時代むずかしい。多様化が進みすぎ、ネットを見ても分かるとおり神はいたる所にいらっしゃいますが、それを全ての人で共有することは残念ながらできません。
『かんなぎ』でのアイドル像がどうしても、いわゆるひと昔前のアイドルになってしまうのはやむを得ないし、山本寛監督など制作側の世代を考えても仕方ないような気がしますね。
この頃はまだギリギリ、みんなが同じ妖精を「見る」ことができたんです。
とはいえ、私はアイドルを語るほど、アイドルを知らない(テレビを通して普通に消費してきたが、特に誰にもはまってない)ので、あまり何とも言えませんが。
この辺りはどなたか詳しい方に語っていただけるのを楽しみにしたいと思います。
誰のものでもあり、誰のものでもないもの
冒頭に言った通り、原作のマンガを読んでいませんので、どういう展開になってるのか知りません。
しかしこういう仕組みがある以上は物語が進むにつれてナギ様は人気アイドルになり、「誰のものでもあり、誰のものでもない」存在になっていくしかないような気がします。
これは主人公の男の子からすると、結構たまらないものがありますね。
同居してきた、かわいい女の子が、多くの人間に愛されていく。それは女の子本人の望みであるからいいはずなんだけど。
1話で主人公は「神様でもトイレに行くんだな」とつぶやきますが、その後、トイレに行かない存在(アイドル)になっていく。
中身も、信心を得て、神格が上がっていくことで、神性が強まり、人間性が薄くなっていくのも面白いかも知れませんね。
人間臭いところが魅力的なんだけど、それが薄くなっていくし、主人公を特別視するのでなく、土地の人々を平等に扱う意識が強くなっていく。
つまり、「僕だけのナギ」が、「みんなのナギ」になっていく。
でもお話としては、その構図に葛藤を作らないといけないので、主人公(あるいはナギも)はそれに逡巡や抵抗するという形にする。
最終的には、力を取り戻した神(絶頂期のアイドル)としてどうするか、にするとか。引退か、結婚か、仕事か。キャンディーズか、山口百恵か、松田聖子か、中森明菜か。
まあ原作を知らないので、それをいいことに色々考えました。知らないと楽しくあれこれ考えられるので、原作が実際にどういうお話か、という事はどうでもよかったりします。
原作は多分、そんなに神様=アイドルの構図は強くないような気もしますね。アニメのオープニングが80年代アイドル全開なので、どうしてもそう考えてしまうだけでね。
女神転生アイドルサマナー
あと『かんなぎ』見て思い出したのは、昔からゲーム女神転生(メガテン)で、信者を取り合うメガテンがしたいと考えていたことでした。
メガテンは神様(仲魔)がいっぱい出てきますが、それらをうまく使って人々の信心を集め、土地の人々を災厄や悪魔から守り、幸せにするのをゲームの目的にする。
その中で一番人気(信仰)を得るのは誰か。人気を得た神様がパワーアップできる(神格が上がる)。
姿かたちも「神々しく」、巨大になり、畏敬を感じるものになっていく。強かっこいい。
人気を失った神様は消えてしまったり、悪い属性がついたり(貧乏神、疫病神とか)する。神様パワーも衰える。
その代わり、いたずら好きの妖精ちゃんになったりして、姿かたちが「かわいく」、小さくなっていくようにする。
これはグラフィック的にそうなるようにする。雷獣ヌエが、ピカチュウになってしまうような変化。
弱い神様にもメリットがあり、神格が低いおかげで顕現(実体化)するコストが低い(メガテンでいう所のマグネタイト消費が少ない)。
だから、いつも人間のそばにいられる。つまり、いつもサトシにだっこしてもらって、マスコットでいられる。
強い神様は、神格が高いため実体化するコストも高い。顕現できても奇蹟を起こして神様パワーを起こすと実体をたもてなくなり、また消えてしまう。
このため、1年に1回しか顕現できなかったりする。1月1日や、7月7日や、12月25日など、人間の「願い」が最大限に高まる日にしか出現できなかったり。
プレイヤーは芸能事務所の社長のようなものと思ってもいいでしょう。神様はタレントです。
人々のニーズに合わせて、恋愛の神様、商売、健康、勝利の神様などのタレントをそろえる必要があります。
人気アイドルポジションにどの女神を置くか、ラクシュミなのか、ティターニアなのか、キクリヒメなのか。何人かの神様でアイドルユニット「四天王」を結成したり、「七福神」つくったり。
ちなみに『かんなぎ』のナギ様は、神木が顕現したものなので火炎(アギ系)が弱点。
スキルは、ケガレを払うハマ系とあとはテンタラフー?ぺったん胸で物理反射させてもいいですが。
そして最終的にはマハナギダインを覚えればいいと思います(効果はみんなで考えよう)。
※追記
第7話「キューティー大ピンチ!激辛ひつまぶしの逆襲(後編)」が面白かったので追記。
引きこもりの神様
主人公とケンカして押入れに閉じこもったナギを、引っ張り出そうとみんなであれこれするというお話。
内容はこれだけですので、必然的にナギは最後にしか姿を見せません。
これはもう、完全に日本神話の天の岩戸隠れですよね。
天岩戸(あまのいわと)とは、日本神話に登場する岩で出来た洞窟である。
太陽神であるアマテラスが隠れ、世界が真っ暗になってしまった岩戸隠れの伝説の舞台である。
wikipedia「天岩戸」
"てんてるたいしん"ことアマテラスが、不良の弟の凶行に嫌気がさして引きこもりになってしまってさあ大変。みんなで、あれこれ工夫して、アマテラスを引っ張り出すのだ、という説話です。
かんなぎ第7話もまさにこんな感じで進み、キャラクター達が集まって、あれこれ策を試すが上手くいかない。ちょっとエロい事で気を引いて、扉を開けさせようとするところも神話と同じ。
もちろん天岩戸は単にモチーフというだけなので神話とは違い、アマテラスより頑固なナギ様を引っ張りだすことは誰にも出来ずに終わります。結局、扉を開けさせたのは……あれは、トイレ?水に流す。
さすがトイレにいく神様。北風とおしっこ。
そういう意味で、いや、おしっこでなく天岩戸ネタということでは、実に神様らしい回でしたね。
最初は「これは省エネ回かな?それでこのネタは上手いなあ」と思いながら見てましたけど、最後の魔女っ子アニメネタがすごい動いていたので、あれはリソースをあそこに回したということなんでしょうかね。
別に必要以上に神話のメタファーを見ていく必要は無くて、単に普通に楽しめばいいと思う。
実際、今「かんなぎ」で盛り上がってるのは違う部分だし、第7話もクラナドネタが入ってたことの方がキャッチーだ(そっちは言われるまで気づいてませんでした)。
ただ偶像崇拝も含めて、基本構造レベルで意外にちゃんと神様してるので、楽しむための方向の1つとして持っていてもいいかも知れない。
関連リンク
過去のある女性を受け止めるために、用意された通過儀礼<『かんなぎ』と『めぞん一刻』>