"The world around you is not what it seems."
(あなたの周りの世界は、見えたままとは限らない)



Googleが提供する位置情報ゲーム「Ingress(イングレス)」。

現実世界をゲームフィールドにした、世界規模で行う陣取りゲームです。
私はプレイしてないのですが、話題になっていますね。

ある神秘的なエネルギーがヨーロッパの科学者チームにより発見されました。その力の起源や目的は未知ですが、研究者の中には、この力が我々の思考に影響を及ぼしていると考えている者もいます。我々はそれをコントロールしなければなりません。さもなければ、それは我々をコントロールするでしょう。

「エンライテンド(覚醒者)」はエネルギーが我々に与えるものを受け入れようとしています。
「レジスタンス(抵抗勢力)」は人類に残されたものを守り、保護するために戦っています。


このような設定の元、現実世界にゲーム世界のレイヤーが重ねられ、スマホ片手に歩きながら、拠点(=ポータル)を巡って勢力争いが繰り広げられているそうです。

「Ingress」やってないので分かりませんが、プレイしている人のことは「イングレッサー」と呼ぶのでしょうか?……イングレッサ?

ということは、北米ではイングレッサ・ミリシャとディアナ・カウンターが、肥沃なサンベルトの取り合いをしてるんでしょうか。してない。いや、してて欲しいのでしてることにする。
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朴ろ美、高橋理恵子 他

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そう考えていくと猛烈にプレイしたくなるのは、富野アニメ位置情報ゲーム。
我々が現実世界に仮想世界のレイヤーを重ねるなら、それは南米にジャブロー基地が存在する富野アニメ世界であるはずだ。
ノックスを崩壊させたいし、セントアンジェを探したいし、ウーイッグがどちらか訊きたい。

ポータルを探しながら色々歩いていたら、いつのまにか見たこともないマップが表示され、それがバイストンウェルだったりしてもいいんじゃないかな。
世界で限られた人間がオーラーロードを通って召喚されるような感じで。

世界中でプレイするためには、アニメに登場したスポットだけではとても足らないので、世界中をマウンテンサイクルにして、そこでモビルスーツなど黒歴史の遺物を発掘することにするのがよいかな。

良いマウンテンサイクルの採掘権を守りつつ、発掘していたらブラッドテンプルの頭部や謎の青い石、川村万梨阿のチャム・ファウ写真が発掘されたりするでしょう。
ゲーム的に設定された拠点ポイント(ドーム)に行くと、ポイントに換金されたり、最新ウォーカーマシンがもらえたらいいんじゃないかな。
そしてもちろん、「核」も掘り出されてしまう。

核を掘り出してしまったプレイヤーは、月まで捨てに行かねばならない。
というのは冗談ですが、何か取り合いが発生して、一歩間違えば夜中の夜明けになってもいいのかも知れないし、ジャブローで起爆することが選べてもいいのかも知れない。
その過程を『指輪物語』みたいなプロセスにしてもいいかも知れない。

アムロのように鉱山基地を破壊したけど無数にある鉱山のひとつに過ぎなかったように、世界中にマウンテンサイクルがあり、それを巡って争いが起これば、大変なことになるでしょう。
そのとき、ディアナ・カウンターのリーダーと、それに敵対するイングレッサ・ミリシャ側の少女が、持ち前の茶目っけで、こっそりGoogleアカウントを交換していたことを、そしてそれがこの争いを終結に導くことを、誰も、当の本人たちさえも知る由もなかった。

ちなみに私は行儀よく真面目なんて出来やしないので、世界中のドームを襲撃して壊してまわりたいと思います。




そのシビリアン、凶暴につき


「襲撃」といえば、『戦闘メカ ザブングル』を北野武監督で実写化する妄想。
出演者として、主人公ジロン・アモス役に、ねじめ 正一。ではなくビートたけし。(あの格好します)
アイアンギアの面々に、たけし軍団。
彼らは、フライデー……金曜日にイノセントのドームに殴りこみをかける。
盗まれるウォーカー・ギャリア。破壊されるレンジローバー。
「だ、誰か、あいつを止めなさーい」と叫びながら彼らを追う、イノセント役の明石家さんま。
にやりと笑いつつ、一足先に逃げ出すティンプ・シャローン役の大杉漣。

とりあえずダンカンは、サンドラットの一員が似合いすぎると思う。(ダイク的な意味で)
エルチは岸本加世子でいいんだろうか。ホーラは誰がやればいいんでしょうかね。最初、三田村邦彦と思ったんですが、いっそ福山雅治とかがやればいいんじゃないかという気もしてきました。

メガネキャラのコトセットはどうしようか。主演ビートたけしを踏まえて、松方弘樹にする方向もあるけれど、そうなると自動的にブルメが高田純次になって、トロン・ミランが「ゆきねえ」こと兵藤ゆきになるけどいい? 悩みの相談、兵藤ゆき。(西日本番長地図)

ちなみに私の実写版『ボトムズ』脳内キャストは、ル・シャッコを大杉漣にしたことで、キリコが小野寺昭。フィアナが夏目雅……瀬戸内寂……前田美波里。ロッチナに大和田伸也となっています。
そして、イプシロンに近藤正臣。
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俺の『エルガイム』に確かなものが何にもないわけがない。(電撃文庫)


さて前置きはこれぐらいにして。前置きが長い?知らない。わたしは私の道(マイ・ロード)をゆく。


Twitterで見かけた、あでのいさんと、おりたさんの『重戦機エルガイム』話。
私も『エルガイム』好きではあるんですが、これを見てふと、どういう可能性があったのだろうかと色々考えてしまいました。
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その昔、土曜17時半の時間帯はロボットアニメ枠でしたが、その中で特に『戦闘メカ ザブングル』から『機動戦士ガンダムZZ』までは、富野監督作品が5年間連続で放送されるという状況でした。
まさに「富野、富野、雨、富野」という感じで大連投され、「富野由悠季ランド」が毎年開園されておりました。すると制作状況はどうなるのか。


Twitterで教えて頂きましたが、やはりかなり大変な状況だったようですね。

こうした当時の『エルガイム』の制作状況など外部状況はひとまず置いて、話をしますが、これは現在から過去へ向けた「この方が面白い」「こうするべきだった」という話ではありません。いつもこのブログで行っている、可能性を検討する「感想戦」みたいなものです。

ジャコバの水晶球に映る「ゆるい」世界


監督ご本人も話していたと思いますが、主人公ダバ・マイロード君に問題があることはありますね。
ただ、私はダバをいじるよりは、彼が置かれることになる物語状況の方を検討した方がいいんじゃないかという気がします。

例えば、立身出世を目指して出てくる有望な若者が主人公ダバとそのライバル、ギャブレット・ギャブレー以外にもっとたくさん出てくるのも面白いかも知れない。

それこそ五つの惑星を擁するペンタゴナワールドなので、ダバクラスの若者がそれぞれの惑星から、それぞれの目的と手段で出てくるとか。

ある者は経済的に立身出世を目指し(打倒アマン商会)、ある者はポセイダル圧政下でのジャーナリズムに命をかける。そして、ある者は宇宙海賊として乱世を望むがゆえに反体制で暴れまわる。
そして、その中のひとりとして、滅ぼされたヤーマン王家の血を引き、復讐に燃える若者(ダバ)もいる。

幕末みたいに色々なタイプの立身出世の若者がいた方が楽しいし、主役リソースを準主役級に分散しての主人公ダバ・マイロードなら、あの都会ぶったシチューのような薄さがちょうどよくなるかも知れないね。
ダバの魅力を無理に付け足そうとするのではなく、英雄の魅力を複数人で分散して受け持つなら、ダバはむしろあのままでもいいかも、ということです。隋唐演義みたいにならんかな。

ステラ・コバンとジェネラル・クロソを合わせたような感じで、王家の末裔と偽って人心を集めて反乱軍をまとめあげる若者と、実際に王家の血を引くけどそれを隠したまま反乱軍に参加するダバみたいな感じにして、対比させながら進めていくのも楽しいかも知れない。
生まれながらの背景を持つもの、持たざるもの、どちらがリーダーにふさわしいのかも含めて。

宇宙に立場の違う主人公格がたくさんいるパターンだと『ディーヴァ』(T&E SOFT)になるかも知れない。その場合、最終的に目指す惑星はガストガルではなく、ナーサティア双惑星になりますね。
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こうした群雄割拠型の方が、登場人物がみなダバの方を向いている(でもダバ自体にそんなに魅力はない)という状態が解消される気がします。

ダバの親友ミラウー・キャオなんかも初期は、ポセイダル軍入って出世する!みたいに考えていたので、ギャブレーと組んだり、他にやりたいことが見つかって独立したり、ダバ依存を解消した方がより魅力的になるかも知れない。

一部の世代にしか通用しない例えかも知れないが、マンガ『F』における、主人公・軍馬に対するメカニック・タモツにするというか。
ダバの欠点や限界も分かった上でサポートしたり、自分の目的のために離れたりできるようなキャオ。
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また『エルガイム』はどうしても『スターウォーズ』変奏曲という面も強いのですが、ひとつのパターンとして「貴種流離譚の復讐劇」を強調する方向があると思います。
多分、それを突き詰めると『コードギアス』的なものにつながっていく。ていうか、さっき実際に脳内でつながりました。
敵方には、十三人衆(ナイトオブラウンズ)もいるよ。
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確かに『エルガイム』から見て、『コードギアス』は貴種流離譚の復讐劇パターンとしてのひとつの答えだと思います。しかし、これは方向性のひとつでしかありません。

『エルガイム』は、田舎の若者が都会で就職しようと上京するけれど、就職先の企業やそこにいる大人がろくでもないので会社を転々としたあげく、仕方なくベンチャーの社長になるような話でもあります。
僕らはどこに就職したらいいの?どの大人についていけばいいの?大人の支配から逃れる術はないの?という話ではあるとは思うので、その方向で膨らましても面白いかなとも思います。
ダバはやりたくて代表取締役になるわけではないうえに、結局、悪い大人(アマン商会)の融資を受けないと会社を維持できなかったりするのですが。

中島敦『悟浄出世』ではないですが、ダバがポセイダル軍を始め、ゲリラや反乱軍、平和運動組織など、とりあえず経験してみようと、いろんな団体・組織に入ってみるけれど、そこにいる大人を見て、なるほどみんな大人がどんなものか分からないけど、分からないなりに大人の顔して大人をやるのが暗黙のルールなんだと気づいていく一話完結性が強いものとか。

あとは『エルガイム』の先にあるものとして、『∀ガンダム』を見ても面白いのかも知れない。
永遠の女王が退位する物語として。ディアナ・ソレルは、ポセイダル(ミアン)、女王マリア(Vガンダム)と違って、もともと男性の傀儡ではないけれども。
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『ザブングル』『ダンバイン』そして『エルガイム』と、土曜17時半の大連投が生んだオリジナルロボットアニメ群は、その制作状況からも充分満足のいくものが出来たとは言い切れないのですが、その成果は『機動戦士Zガンダム』へつながっていきます。

特に『Z』直前の『エルガイム』と永野護の存在は大きい。
ペンタゴナ・ワールドは神様が3人いて混乱するし、何かと「ゆるい」。それは確かです。
けれども私は、永野護にビジュアル面を全て任せるのが許されるような「ゆるい」世界が、あのタイミングに生まれて本当に良かったと、こころから思っています。
それがビッグプロジェクト『機動戦士Zガンダム』制作のための捨て駒としての産物だとしても。
その後を見て分かるように、やはり『機動戦士ガンダム』の世界ではそれが許されなかったから。




Google検索のサジェストに「ベルトーチカ うざい」と表示されてしまう件


さて、『エルガイム』の後番組『Zガンダム』で登場した、ベルトーチカ。(埼玉県入間市出身)
声は『エルガイム』のガウ・ハ・レッシィ役であり、永野護夫人でもある川村万梨阿さん。

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ベルトーチカは場合によって「宇宙世紀三大悪女」に数えられることがあるほど、世間的には何かと嫌われたり、うざがられたりしているようですね。

私はわりと好きだったりします。
嫌う気持ちも分からないではないですが、物語中の役割もあって、あのキャラクター、あのデザインだと考えています。

そんな彼女の最大の仕事は、カミーユに対して「アムロにガンダムMk2を譲れ」と言ったことでしょう。

ベルトーチカ「もう慣れた? ガンダムMk2」
カミーユ「ええ」
ベルトーチカ「どれだけ実戦を経験したかが物を言うのよね、モビルスーツ戦は」
カミーユ「何が言いたいんです?」
ベルトーチカ「率直に言うわ。アムロさんにMk2を譲らない?」
カミーユ「ええっ?!」
ベルトーチカ「あの人の方が有効にMk2を扱えるわ」
カミーユ「アムロさんがそう言えって?」
ベルトーチカ「まさか! でもガンダムに乗らないアムロ・レイなんて、おかしいと思わない?」
カミーユ「どいてください!」
ベルトーチカ「アムロさんは一年戦争の英雄なのよ? 英雄には、英雄に相応しいマシンがあるはずよ」
カミーユ「僕には相応しくありませんか! Mk2は?」
ベルトーチカ「あなたのことを問題にしてるんじゃないの。あなた、アムロが嫌い?」
カミーユ「まだ好きにはなれませんね」
ベルトーチカ「これはアムロの為になることなのよ。もっと自信を付けてもらう為には。カミーユ!?」
カミーユ「それはあなたの同情ですね! そんな哀れみは、いつかアムロさんを殺すんじゃないんですか?」

第17話 「ホンコン・シティ」より (台詞はこちらから引用させて頂きました)


「ガンダムに乗らないアムロ・レイなんて、おかしいと思わない?」

これは単なる兵器としての「ロボットの乗り換え提案」ではありません。
『ガンダム』続編として、物語として、主人公の座をよりふさわしい者に禅譲したら?という提案です。

富野アニメでは視聴者が考えるようなことを先回りして作中で処理しておくことが良くありますが、このシーンもそうしたひとつで、彼女が言わなければ、この台詞はいずれ視聴者が言うことになったはずです。

前作主人公アムロ・レイが続編である『Zガンダム』に再登場した以上、作中で誰かが言わないといけない台詞なのですが、外部から来た空気を読まないキャラクターとしてベルトーチカが言うことになりました。
このシーンは恐らく、彼女が嫌われる理由のひとつになっているでしょうが、必要なプロセスであると私は思っています。

ただベルトーチカが言うように「英雄には、英雄に相応しいマシンがあるはず」というのは、子供だった私も思っていました。
なにしろ『機動戦士ガンダム』の主人公アムロ・レイが復活して、再び戦うわけです。
「僕がいちばん上手くガンダムを使えるんだ」と自負し、実際、最高に上手く使い切ったアムロがです。
しかし、ガンダムはMk2の一機しかありません。さて、誰がガンダムに乗るべきなのか。

ちなみに第17話 「ホンコン・シティ」の前には、カツ・コバヤシがガンダムMk2で無断出撃してピンチになる回(第15話「カツの出撃」)もあり、伝説のホワイトベースで、アムロと一緒に一年戦争を生き抜いた子供でもダメという前振りがされています。
下手するとベルトーチカよりよほど嫌われているカツですが、その経歴からいえば、普通のアニメなら主人公としてガンダムに乗っても不思議ではありません。でもカツはガンダムに乗るために生まれたキャラクターではないのです。
カツがダメなんだ……というのは、リアルタイムにカツより年下の子供だった私にはそれなりに衝撃だったと思います。

カミーユを主人公と認めた日


個人的な記憶では、子供時代にリアルタイムで『Zガンダム』を見ていたとき、ここまでのカミーユ・ビダンはどうしても難しい子というか、ナイーブでとっつきづらい子ではあったので、主人公(つまりガンダムのシートに座るもの)として、そこまで受け入れていなかったと思います。

子供の私から見ても、アムロの方が気難しくないし、ガンダムの操縦が上手くて経験も豊富だし、何より前作『機動戦士ガンダム』でアムロをずっと応援してきたわけで、思い入れもあります。
アムロの方が主人公として、ふさわしいかどうかは別として、心理的な抵抗がなかったと思います。

そうした個人的な前提があった上で展開された、「ガンダムを譲れ」のシーンです。
そう!ガンダムと言えばやっぱりアムロだよ!

アムロへガンダムを譲れ、と迫るベルトーチカ。

不快感を露わにして拒むカミーユ。

そしてなぜか、それを見て「カミーユ、Mk2を譲らなくていいよ!」と思う子供の私。……あれ?

ガンダム主人公による「俺がガンダムだ」の正しさ


大人になった今の私がまず思い出すのは、このブログで多用する、相田みつを先生のお言葉です。

「Zガンダムはねぇ カミーユのために この世に生まれてきたのでないんだよ Zガンダムがさき カミーユはあと」

玩具メーカーのコマーシャルフィルムだった時代のロボットアニメは、その性質上、ロボットの登場は大前提として運命づけられています。(ロボットがさき)
キャラクターや物語・世界観は、ロボットを魅力的な存在にするために産み出されたものです。(キャラクターがあと)

カミーユ、もちろんアムロもですが、モビルスーツ・ガンダムに乗ることを前提としてつくられたキャラクターです。
その逆、カミーユというキャラクターをかっこよく描くために検討された結果、巨大ロボットが選ばれたわけではありません。

ガンダムは主人公キャラクターを必要とし、主人公キャラクターはガンダムを必要とする、と書くと、共依存みたいですが、実際にカミーユがガンダムから降りてしまうと、キャラクターとしてのそもそもの存在の拠り所を失います。
アムロの方がガンダムの操縦が上手いとか、そういう問題ではなく、カミーユ・ビダンはガンダムに乗り、戦い続けなければカミーユ・ビダンとして存在できません。(そして最終的にああなりました)

ガンダムに乗れない子供であることを証明したカツ。
乗れるのにガンダムに乗ろうとしないアムロ。
そのアムロをガンダムに乗せようとするベルトーチカ。
それを拒むカミーユ。

それぞれが正しいスタンスによる、必要なアクションをとっていると思います。

その中でも特にベルトーチカはなかなか損な役回りをしているのですが、前主人公アムロをガンダムに乗せようとして現主人公が断る、というプロセス自体は絶対に作中でやっておくべきだったと私は思っています。

そのためには、本当に番組を見てる子供ぐらいの空気の読まなさで、「Mk2はアムロが乗ればいいのに」と口に出してしまうような人が必要なんですよね。

これらを踏まえて改めてベルトーチカを見ると、最初にアムロに会った際に「ニュータイプといっても普通ね」と思ったことそのまま言ったり、クワトロに「平和なインテリジェンスを感じない」と、全く正しいけど、その場のメンバーには絶対口に出せないことを言ったり。
率直にものが言えるキャラクターとして最初からデザインされています。

その一方で、若いベルトーチカを批判させるに最もふさわしいであろうミライさんを登場させて、たしなめさせてもいます。

ミライ「ベルトーチカ、急いではダメよ。人と人の関係なんて、おんなじよ。時間を掛けてゆっくりとわかっていくものよ」


さすが! ミライさんの言うとおり! と、思ってくれれば、この台詞の価値はさらに増します。
まだ若く率直すぎるベルトーチカをきちんと批判できるアンチキャラクターを配置することで、作中でのバランスはある程度、とられているのではと思います。

とはいえ、ベルトーチカが嫌われてしまうにはそれ相応の理由があるのでしょうから、そう思うことを悪いとは全く思いません。
ただ、彼女はきっちりと役割果たしているので、良いキャラクターだなと私は思います。
アムロのお尻を叩き、奮い立たせる金髪キャラとして登場するところも含めてね。

以上。
今回は、誰かが口にすべき「ガンダムに乗らないアムロ・レイなんて、おかしいと思わない?」を作中で言ってくれた女性。かしこい、かわいい、ベルトーチカさんのお話でした。

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ベルトーチカ余談。
当時、子供の私が読んでいた雑誌(ボンボンなど)で事前にアムロが乗るモビルスーツが「ディジェ」だったと知っていた可能性はあると思います。さすがにこのシーンの前にそれを知っていたかどうかの記憶はありません。
ただ事前に知っていればなおさら、「えー、アムロってガンダム乗らないの?」と子供は単純に思うはずなので、「ガンダムを譲れシーン」はそれでもやる意味はあったんじゃないかな。

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お久しぶりでございます。
気力、体力、時の運すべてが欠けており、間が空いてしまいました。
特に誰かに更新を期待されているわけでもないのですが、FC2ブログでは未投稿一ヶ月で邪魔な広告が出てしまいますし、それにも関わらず訪問してくださる方もいらっしゃるので、申し訳ないとそれなりの罪悪感は感じております。

はるか過去の前回記事は『戦闘メカ ザブングル』の世界構築に関する記事でしたね。
『ザブングル』ネタの割には想定よりは多くの方に見ていただけたようです。
似たような記事書いても『ガンダム』とそれ以外の作品では反応が全然違うわけですが、ブックマークも2ケタ頂きましたし健闘といってよいでしょう。

ブルーストーン経済によるシビリアンコントロール<『戦闘メカ ザブングル』惑星ゾラ開発史>

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今回は、その補足記事という補遺拾遺というか、おまけのような関連記事です。
記事にする際に漏れたことや後で思いついたことなどあれこれをまとめてみました。
だったら前回記事と間隔空けるべきじゃないよね!それは分かってる。25時の電話のベル、土曜日の仕事。
とにかく溜息で塗り替えられた久しぶりの記事をご覧ください。



『戦闘メカ ザブングル』と『∀ガンダム』に見える共通構図


前回記事を書くきっかけとなった、kaito2198さん(TOMINOSUKI / 富野愛好病)の『ザブングル』記事のコメント欄で興味深いやりとりがありました。
『ザブングル』と『∀ガンダム』に共通する構造についてのものです。

『戦闘メカ ザブングル』誕生秘話(上)(のコメント)
http://kaito2198.blog43.fc2.com/blog-entry-1099.html

確かに『ザブングル』と『∀ガンダム』は少し似ているところがあって、私も『ザブングル』記事を書いたときに、『∀ガンダム』を連想して、あれこれ想いを巡らせたのを覚えています。

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私が注目する2つの作品に共通するものは「ディアナ・カウンター(『∀ガンダム』)もイノセント(『ザブングル』)も月から地球へ降りてきた」といった形式上のことではなく「2つの異なる人類が、ひとつの世界の中で接触する」という構図です。

この「違う人間同士が、同じ世界の中で接触したときにどうなるか?」という構図は、富野アニメの基本のひとつと言ってもよいですが、『∀ガンダム』と『ザブングル』もそのバリエーションといえるでしょう。

富野作品に多く見られるこの構図は、いくつかのパターンがあるので、キャラクター配置も含めて、分析するのが面白いと思います。
私もきっちりやったことないので、機会(という名のやる気)があれば記事書きたいと思います。

『∀ガンダム』と『ザブングル』の場合は、その中でも
「テクノロジーレベルが大きく違う二つの人類が、ひとつの世界(地球)で同居した時に発生するドタバタ」というパターン。
ですから、似たような文明レベル同士の異星での接触である『イデオン』は、少し違うパターンになりますね。

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例えば『∀ガンダム』の世界では、ディアナ・カウンターの地球帰還作戦のタイミングや、降りる地域、指導者の設定などを調整すれば、一方的に地球人を支配して、『ザブングル』のイノセントのような上位存在として君臨することもできます。それぐらいには月と地球の2つの人類には、テクノロジーレベルの差がありました。

もちろん『∀ガンダム』は、月から来た人類が地球を侵略し支配する物語ではありません。
そうならないように一機で戦力均衡がとれるようなモビルスーツである∀ガンダムを地球側に用意しましたし、それを「命を大事にしない人とは誰とでも戦う」、月から来て地球っ子になったロランという中間存在に扱わせました。
月の指導者がディアナ・ソレルで、ロラン・セアックが∀ガンダムに乗る限りは双方全滅戦争には絶対ならないわけです。

一方『ザブングル』の場合は、すでに支配体制が確立された状態から物語は始まり、それを主人公ジロン達が破壊して終わります。

私たちと遠いシビリアン、近いイノセントとジロン・アモス


支配階級イノセントの立場・考え方は、私たち現代人に近いものがあります。
地球のどこかには環境からかシビリアンのメンタリティに近い人々も存在すると思うけれど、日本人の私たちが近いのは、やはりイノセントになるでしょうね。
イノセントは、地球を崩壊させてしまった未来の私たちと言ってもいいかも知れない。
そのイノセントが次代の人類として、実験を進めるシビリアンは、三日経つと全て忘れて刹那的に人生を楽しむような生き方で、我々の感覚とはかなり違いますね。
でも、荒廃した世界で生きる惑星ゾラ人としては自然なことです。

そんな中「三日過ぎても両親の復讐に燃え、仇を追い続ける」という主人公、ジロン・アモスが現れます。

ただ『ザブングル』序盤において、この主人公ジロンは、ラグ達に非常識だと笑われます。
私たちの感覚では、肉親が殺されたのに三日過ぎたら仕方ないものとして諦めるということが理解できないので、常識的な反応を見せるジロンに共感し、彼を笑うラグたちが非常識だと感じます。
異世界での常識的ふるまいを見せるキャラクター(ラグ達)と、視聴者の感情移入先にして特異主人公ジロン・アモスの対比シーンです。

三日を過ぎても両親が殺されたことを過去のものとしないジロンは、私達に近く、とても理解しやすい。
でも私たちの感覚(精神性)に近いジロンの方が、本当に人間として好ましいものなのでしょうか?幸せなのでしょうか?

イノセントとシビリアン、どちらがよりよい人類なのか?


両親が殺された復讐を動機に戦い続けることは、物語の型として大変理解しやすいわけですが、それは本当に幸せなのでしょうか?
憎しみを3日で忘れて連鎖させず、自分自身の幸せや楽しさを追求する方がよい人生なのでは?
文明・文化を持ちながら戦争で地球を一回滅ぼすぐらいなら、三日で全てを忘れて享楽的に生きる方が好ましい人類なのでは?
果たして、イノセント(私達)のメンタリティはシビリアンと比べて、そんなに上等なものなのでしょうか?

そういうことを昔から思ったりしています。
皆さんはどう思われますか?

でも、どちらが良いのかという問題とは別に、ラグ達の考え方は否定されなければならないものです。

それは三日限りの掟が、彼女たちが自然に、または自発的に選択したものでなく、他人から与えられたものだから。
正確にいえば支配者イノセントがそうなるように人為的にコントロールしたものだから。

与えられたシステムとルールの中で盲目的に生きる仮の生には、良し悪し以前に意味がない。

だから、ジロンは盗んだ(ウォーカー)マシンで走りだす。行き先も分からぬまま。
そして、行儀よく真面目なんて出来やしなかったので、イノセントのドーム壊して回った。
逆らい続け、あがき続けた、早く自由になりたかった。
そしてXポイントでこの支配からの卒業です。
仕組まれた自由に、誰も気づかずにあがいた日々も最終回で終わります。

ジロン・アモスのダブルスタンダード


ジロンはこうして「イノセント・ワールド」を終わらせたわけですが、この時ポイントになると思っているのが「ジロン・アモスのダブルスタンダード」です。

彼は物語序盤、復讐のために新型ウォーカーマシン「ザブングル」を盗むわけですが、三日逃げ切って自分のものにしようと考えていました。
でもそのザブングルで何をするかといえば、三日以上経過した親のカタキを討つことです。
ひとつの目的のために、一方では三日限りを無視し、一方では三日限りを利用しようとする……完全にダブルスタンダードですね。

このジロンのダブルスタンダードは、劇中でもラグ達に批判されています。
ずるく都合のいい考え方なのだから、その批判自体は正しい。

ただ、このダブルスタンダード批判は、あらゆる事象を「三日限りの掟」で裁くことを前提にしている。
パンを1つ盗んでも三日だろうし、親や恋人が殺されても同じく三日。全てが三日の掟。

ジロンは「両親の死」という情愛の部分では完全にこのルールを無視し、復讐という行動の部分では逆にルールを利用しようとしている。
基準はあくまでジロン本人の感情だから、他人から見るとダブスタの身勝手ではある。だが、なぜ「両親の死」を受け止めるのに、上位存在に決められたルールの枠内で収めなければならないのか。
そこには「掟だから」以外の理由はない。実際、ラグ達のジロン批判もその範囲に留まっている。
なぜルールを守らなければならないのか、に対して「それがルールだから」しか理由がないのであれば、それは実装されたルールの方が間違っている。
(もちろんイノセントの思惑としての理由はあるのだが、シビリアン自身には三日の理由は無い)

イノセントの支配体制を破壊するという主人公であれば、ルール全否定でもいいのでは?と思わないでもないですが、復讐という目的の達成のために既存のルールをちゃっかり利用するのが面白いところです。
ジロンはルールの逸脱者ですから気にしませんが、「掟」を守る側は被害者になっても守る必要があります。
ザブングルを盗まれて三日経過すれば、ジロンを正当な持ち主として認めねばなりません。それが掟です。
この世界に生きる人々が掟に縛られている以上、ジロンにとっては積極的に利用して損はありません。
掟破りのジロンを追いかけるには、掟を破るしかないわけですから。
そして実際にジロンに巻き込まれる形で、掟から逸脱するキャラクターが続出していく。

だからジロンは単に全ての破壊者でもなく、かといってイノセントに成り代わるわけでもない。
『∀ガンダム』での境界線上のキャラクター、ロラン・セアックのように、イノセントでもなく、シビリアンでもない、ハイブリッドな存在であるべきだったんだろう、というようなことを長年思っています。
『ザブングル』をもう10何年見直してないので、これ以上掘り下げることはできないけれど。

『ザブングル』での分野別キャラクター配置


『ザブングル』では、主人公ジロン以外にも、今の状況を変えようと潜在的に考えているキャラクター達が分野ごとに配置されています。
例えば文化かぶれのエルチとその影響下にあるプロポピエフ一座。
イノセントから与えられたマシンから設計図をおこして、将来的には自作を考えていたメカマンのコトセット。

「軍事・戦闘」分野でイノセントに対抗するのが、ジロンとラグ達サンドラットの連中とすれば、
「文化・芸術」分野では、エルチ。「科学・技術」でコトセット。
こうして分野別に考えていくと、「政治・経済」キャラがアイアンギアに存在しない。

だから物語の途中から「政治」キャラクターとしてのカタカム・ズシムが登場する。

『ザブングル』を見た人からは評判の悪いカタカムだが、私はキャラクター配置上、「政治」キャラクター自体は必要だと思っている。
ただし、初期からアイアンギア・クルーにして行動を共にしておく必要があったはず。
問題解決として、親イノセント(穏健派)のエルチ、反イノセント(強硬派)のジロンやサンドラットとは別の、第三の政治的解決を目指すキャラクターとして。
カタカムが物語のあのタイミングで、あのキャラとして登場するしかなかったというのは、当時の『ザブングル』制作状況がストレートに影響していると思うけどね。

ちなみに、その後の作品である『∀ガンダム』では御曹司ことグエン・サードがこのポジションに当たる。
政治的解決を試みるが、あれこれあって、うまくいかない人物として描かれる。
(恐らく『ザブングル』でも、テーマ的に「政治家」のキャラクターはこれに近くなるでしょうね)
『∀ガンダム』の初期キャラクター配置は、すばらしい。
そこからのキャラクター展開はまた別の話だけど、キャラ配置については『ザブングル』などと比べると、より良くなっていると思っています。

さて、この分野別のキャラクター配置を使って、ひとつ遊んでみましょうか。

死と破壊と混乱をもたらすと言う、演劇集団「劇団死期」


もし『ザブングル』をリメイクというか、スピンオフのような作品を作るとするなら、という設定で、ネタをひとつ考えてみましょう。

各地を回りながら演劇興行するランドシップ劇団の話というのはどうでしょうか。
世界を旅しながら、「文化・芸術」キャラが失われた文明の物語を集めて復刻し、それを演劇の形で再現します。
失われた物語は要するに私達にはなじみの深い物語だ。時折、ストーリー復元の過程において、勘違いや混同などから、元ネタを知っている私達には奇妙なストーリーになったりもするだろう。

そして、演劇活動を隠れ蓑に「政治家」はレジスタンス活動を進めているが、ブレーカーやサンドラッドのような「軍事・戦闘」キャラ達は、山賊みたいに敵を倒して宝を奪う活動だと思っている。で、皆が自分のやりたいことを好き勝手にやる裏で、「経済」キャラクターが演劇とドンパチの収支に常に頭を悩ませている……。
かくして、演劇で人々を楽しませるものの、戦闘や強奪で結局しっちゃかめっちゃかになり、逃げるように別の土地へ去っていく、というのが物語のパターンになるだろう。

とまあ、分野別のキャラ配置を利用して、再配置したひとつの例として考えてみました。

でも、可能性としての新しい「イノセント・ワールド」を想像するぐらいはいいだろう?Mr.myself的に。
今さら新しい『ザブングル』を考えても仕方ないかも知れませんが、また何処かで会えるといいな、とは思っていますので、その時は笑って、二次の彼方へ放とうと思います。妄想によるイノセント・ワールドを。
最近パスタも巻いてないし、ゲームもしてない私ですが、ゲーム自体は好きなので、Twitterで書いた雑多なゲーム系の話題をひとつにまとめました。
ゲームが好きだと耳元で言った、そんなヒロシにだまされたと思って、ご覧ください。
(読んでから、ほとんどが妄想で実体のあるゲームの話がないことに、だまされたと思うことでしょう)

例によって長文なのですが、ネタやゲームアイデアが主なので全て読むことはあまり想定していません。
面白そうなブロックだけ読んでいただければ結構です。
面白い部分が見つからないという方には「こんな長いのに読むとこ無いってある意味爆笑エントリだな」と笑うことで、笑顔でページを去ることができるというライフハックをお教えしておきます。

それではまず、実体のあるゲームの話題から。



『スカイリム』のスカイ無理な話


『スカイリム (The Elder Scrolls V: Skyrim)』って知ってるかい?
少し前に発売されて、ゲーム好きの間でイキに暴れまわってたって言うぜ。

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そんな噂の『スカイリム』は、海外の人気ゲームシリーズ最新作で、オープンワールド・アクションRPG。
私は『スカイリム』の前作『オブリビオン』の話を聞いてこのシリーズに興味を持ちましたが、どちらもプレイしたことも見たこともありません。
どっち(スカイリム)もどっち(オブリビオン)も。どっちもどっちも!

そんな中、とある情報筋から友人が『スカイリム』をプレイしていると聞き、たまらないぜハニハニな我々取材班は、どんなゲームか見せてもらうことにしました。
……うーむ、確かに体中にビートが駆け巡るほどすごいゲームだ。
友人が発売日にゲット・イン・ストレートしたのもうなずける。
(もう言いたいだけの意味ゼロで進行しているテキスト)

友人がプレイしながら、あんなこともできるこんなこともできると説明してくれた。
海外のゲームらしくさまざまな自由がユーザーに任されている。
ただこのとき、友人がひとつの例として見せてくれたのが、シェフのきまぐれ村人大虐殺などのグランド・セフト・オート的社会的逸脱だった。

構築したひとつの世界の中で遊ぶオープンワールド型ゲームでは、箱庭の中でやりたい放題して遊ぶことになるわけだが、自由を保証するということは社会ルールからの逸脱の自由も保証することになる。
となると、ゲームの主人公は社会のモラルやルールを無視できる存在であることが望ましい。
それはつまり犯罪者やチンピラだったり、軍人だったり、文明レベルが低い(例えば古代・中世の)人間だったりするだろう。
私が初めてこういうタイプのゲームのひとつである『グランド・セフト・オート3』を遊んだときに感動したのは、街の中で自動車泥棒も暴力も殺人も自由であることではなく、主人公がどうしようもなく犯罪者でチンピラであることだった。マフィアの命令で簡単に人殺しもするような人間。
だがそれこそが必要で、プレーヤーキャラが社会ルールを守らないチンピラであることで、初めて私は自由にプレイができた気がする。

もちろん、ひとつの世界を構築した箱庭世界だからこそ、現実と同じく法の逸脱に対するペナルティもある。
『スカイリム』でも警備兵(警察)が止めに来ていたが、友人はそれすらも惨殺して馬を盗み最後はゲハハと尸良さんのように笑いながら逃亡していった。
それを見ていたらだんだん気分が荒んできて、心のバランスを取ろうとしているのか、発作のような衝動が湧きおこってきた。

友人「……こんな感じで冒険や成長や犯罪とか、いろいろ自由なんだよ」
私「確かにすごい。すごいよ。けど、今はとにかく、いいことがしてえ。とにかくいいことがしてえ。そして極楽浄土さ行きてえ」
友人「は?」
私「だから、ぎゃあてえ、ぎゃあてえ、はらぎゃあてえ的なことがしたいんだよね」
友人「例えば?」
私「こんなに自由ということは、陣痛の妊婦を病院に運んだり、老婆をおんぶして歩道橋渡ったりできるよね?子供たちにも夢を与えられるよね?学校を建設したり、靴磨きの黒人の少年にトランペット買ってあげたり。で、その少年が成長して世界的なジャズミュージシャンになるよね?」
友人「いや、さすがにそういうのは……。あ、ほら、ドラゴンが飛んできた」
私「ドラゴンなんかどうでもいいよ。ネコは?どしゃ降りの雨の中で捨てネコが拾いてえ。しこたま拾いてえ。両脇にかかえてえ」
友人「(私を無視し、ドラゴンと戦闘を始める)」


私は特別善人というわけでもありませんから、純粋に地獄を見たので、心が渇き、戦いに飽きたというだけのことなんでしょう

PC版『スカイリム』だと、MOD(改造データ)を用いて、世界そのものを改造する自由度がありますから、そんな「やさしい世界」も実現できるのかも知れません。こういうゲームでの本当の自由度とは、こういうレベルにも介入できることを言うんでしょうしね。

そういえば「やさしい世界」で思い出したゲームがひとつあります。ゲームといっても別の友人が昔考えたゲームアイデア(ネタ)です。
10年以上前のネタですが、私はすごく気に入り、今でも憶えています。これを紹介しましょう。

おいでよ!やさしさの森


『スカイリム』見ながら「やさしい世界」を連想して思い出したのは、こんなゲームです。

・あなた(プレイヤー)は森に迷い込みました。
・すると森の動物たちが現れ、あなたを「やさしさ」で攻撃してきます。
・あなたが「やさしさ」を受け入れると、HP(生命力)が減ってしまいます。
・HPがゼロになってしまったら、ゲームオーバーです。
・さあ、はたして無事に森を脱出できるでしょうか?


メルヘンチックで分かりやすい設定ですね。
しかし敵……というか動物たちがしてくる「やさしさ」攻撃って、どういうものなんでしょうか?

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森の動物たちは、あなたに、笑顔であいさつし、イスにお座りよといい、くだものをすすめたり……つまり「やさしさ」で攻撃してきます。
これを受け入れると、HPが減っていきますので、あいさつは無視し、イスは蹴飛ばし、くだものは足で踏み潰す必要があります。

プレイヤーが「やさしさ」を拒絶しても、恐ろしいことに森の動物達は無限の愛で「やさしさ」攻撃してきます。
夜の森で動くのは危ないからと、木の葉をいっぱい集めてつくったふかふかのベットを用意してくれます。
間違った方向へ進んでいるあなたの前に出て、「こっちは危ない。森の出口はあっちだよ」と指さします。
何もあげられるものがないウサギさんは、自ら焚き火に飛び込みます。

これらの「やさしさ」を振り払い、森から脱出できたらクリアーです。
面が進むと、「やさしさ」は増していきますが、屈してはいけません。踏みにじりましょう。
すごく簡単なゲームですよね。

この「やさしさの森脱出ゲーム」を、『スカイリム』や『グランド・セフト・オート』のようなオープンワールド型のゲームでやってみたいですね。
箱庭世界でやりたい放題なゲームが好きな人にはぴったりです。
世界はあなたに無限にやさしいが、それを拒絶できる人はゲームオーバーにならないはずですから。

うっかり屋さんの私は、恐らく「何か」を撃つために持ってきた銃をどこかに落としてしまい、それを対象いや住人に親切に拾って届けてもらうでしょう。
会釈しながら銃を受け取って「あー、どうもどうも。すいません……あ!」で、ゲームオーバーです。

『火の鳥<鳳凰編>』を今、ゲーム化するとこんな感じになるかも知れない。主題歌は渡辺典子の愛したら火の鳥のままで。シルバーウィーン。
もしくは「やさしさ」攻撃を、ストレートに主題にすえれば、母性社会のやさしさを振り払って脱出するゲームに仕立てられるかも知れない。

それにしても『スカイリム』。噂通りのすごいゲームだったが、子供たちに夢を見させる自由さえないゲームとはなんて不自由なゲームなんだ、と思いつつ、村人の虐殺遊びをやらせてもらった。うわ。なにこれ。楽しい。

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古川登志夫、大塚周夫 他

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宇宙船のエネルギーコントロール問題


昔、ニンテンドーDSの『無限航路』という宇宙戦艦RPGを遊んだのだけど、途中でリタイアしてしまいました。

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Nintendo DS

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宇宙船の内装エディットなど新しい要素が目立ちましたが、ゲームの基幹部分はかなりクラシック。
個人的には戦闘の魅力が乏しかったのが大きかったです。3すくみというか後出しじゃんけんみたいな感じでしたが、コンピューター相手に延々それするなら、友達と普通にじゃんけんした方が楽しいんじゃないかな、と私は思っているので。
ゲーム全体に対して思いますが、3すくみ入れると確かに簡単に駆け引きっぽくはなります。ですがそれは、じゃんけんのすばらしさであって、そのゲームのすばらしさではない。安易な3すくみや属性は好きになれません。

もちろん途中でやめてしまったので、このゲームの魅力の全てを体験できたわけではないでしょう。
ただ要素がいくつか加わるとしても根本的にあまり好みではありませんでした。
ストーリーがよいというお話も聞きますが、私はゲームシステムにお金を払う意識が強い人間なので、ストーリーのために我慢してゲームを続けるということをあまりしません。

個人的な好みではなかったとはいえ『無限航路』も移動を前後だけにしたり、回復と資金稼ぎを省略していたり、かなり割り切った工夫をいろいろしていました。そうした方向性は正しいと思います。
宇宙戦闘は思い切って単純化したり、ある要素だけクローズアップ(強調)する方がポイントが絞れて良いと思います。
個人的には昔から「エネルギーコントロール」だけに駆け引きを集約する宇宙船ゲームはどうかな、と考えていましたので、いつものように妄想を書き散らしてみましょう。

【ゲームの概要】

あなたは宇宙船(宇宙戦艦)の船長(艦長)です。
宇宙船に乗って、宇宙を旅したり、戦闘したりします。
でも、あなたの宇宙船の動力炉(エンジン)でつくられるエネルギー量は決まっています。
移動にも、ワープにも、ビーム砲にもバリアーにも、船内の空調や生命維持装置にも、何でもエネルギーは必要です。
あなたは艦長としてその場の状況に応じて、適切にエネルギーを使えるでしょうか?


このゲームは「限られたエネルギー量をどう使えばいいか?」という駆け引きやジレンマに悩むゲームです
ですから戦闘のメインシステムのほとんどを、この「エネルギーコントロール」の問題として単純化して処理するというゲームになるでしょう。

【エネルギーについて】

宇宙船のエネルギーは、移動、攻撃(ビーム)、防御(バリアー)はもちろん、艦内の生活・生命維持にも使われます。
ですから、戦闘していなくても、停止していても、エネルギーは一定量使われていることにします。
ちょうど、私たちの体が夜寝ているときでもエネルギーを消費しているようにね。

エネルギーは使えば無くなりますが、動力炉(エンジン)を動かしている限りは、また生み出されていきますので、時間が経過することで回復はしていきます。

このエネルギーを、状況に応じて上手く割り振っていくのが、プレイヤーの主な仕事です。
エネルギーの使い道について、ここでは大雑把に4つに分けて紹介しましょう。

【エネルギーの使い道】


移動

・宇宙船で移動するにもエネルギーが使われます。
・移動スピードのギアを一段階上げるたびに、エネルギーの消費量が段階ごとに上がって行きます。
・SFの定番「ワープ」もあってもいいかも知れませんが、エネルギーのほとんどを一気に使い切るという感じでしょうね。


攻撃

・戦闘時に撃つビームにも、当然エネルギーを消費します。
・ビームの本数や出力(威力)を上げれば、それだけエネルギーを多く消費します。
・波動砲やハイメガ砲的な主砲のエネルギーチャージにも、エネルギー出力の一部を回す形で消費します。チャージは時間をかけて、貯金のように少しずつ100%めざして貯めていきます。出力何%で撃つかどうかは艦長の判断次第といったところです。
・ミサイルなどの実体弾兵器は、エネルギーを使わないという意味で貴重なものという扱いになるでしょう。
・艦載機も同じく、エネルギーを使わず攻撃できるファンネルみたいな兵器になるでしょう。


防御

・敵からの攻撃は、防御スクリーン(バリアー)を張って防ぎますが、もちろんこれにもエネルギーを使います。
・これも防御スクリーンのレベルを上げることで、より多くのエネルギーが必要になります。
・敵の艦載機やミサイルに対して、迎撃のための弾幕を張るにもエネルギーが必要ですし、防御スクリーンのレベルも上げなければいけないでしょう。ミサイル・艦載機攻撃の主目的は、こちらのエネルギーを使わず、相手のエネルギー消費を増やすことです。


生活・生命維持

・宇宙船の中を人間が生きられる環境にするために、一定量のエネルギーが必要です。これは自動的に消費されます。
・また人間が食事したり、洗濯したり、お風呂入ったりなど、生活のためにも同じく一定量のエネルギーが必要です。
・エネルギー消費量は、宇宙船の規模や乗組員の人数などによって変化します。
・エネルギー不足で生命維持系に回すエネルギーすら無くなると、宇宙では生命の危機に直結してしまいます。


プレイヤーは状況に合わせて、これらの要素にどれくらいエネルギーを使うか、という「エネルギーコントロール」に集中しながら、冒険を進め、戦闘では勝利をめざすという感じになるでしょう。
作られるエネルギー量自体は決まっているので、それをどう配分するかという、割合調整という感じですね。

【移動中でのエネルギーコントロール例】

・エネルギーは基本的に「移動」「生活・生命維持」にしか使われません。消費量と回復量とのバランスが取れている状態です。
・未使用のエネルギー割合が多いでしょうから、急なトラブルや戦闘にも対応できます。
・目的地まで急ぎたければ移動スピードを上げましょう。エネルギー出力は上がってしまいますけどね。


【戦闘中でのエネルギーコントロール例】

・戦闘になれば、ビーム攻撃や防御スクリーンにもエネルギーを使うので、エンジンに無理させて目一杯ギリギリまで使うことになるでしょう。
・攻勢に出る場合は、ビームの出力を上げて畳み掛けましょう。その分、防御に回すエネルギーを削ることになるとは思いますが、攻撃は最大の防御ですしね。
・移動スピードと防御レベルを最大に上げて、一気に敵艦に近接し白兵戦を挑むというのも面白いかも知れません。
・主砲のチャージに多くのエネルギーを回して、決着をつけるのもいいでしょう。
・守勢時は、弾幕や防御レベルを上げつつ逃げて、小惑星の陰に隠れたりしてエネルギーバランスを回復する機会をつくりましょう。艦載機やミサイルなどエネルギーを消費しない兵器に頼るのもいいかも知れません。


エネルギーの利用選択という意味では『サイキックフォース』がイメージに近いですが、格闘ゲームの速い展開の中で、あんな忙しくて難しいことは私にはとてもできません。
宇宙船、艦隊戦ぐらいのテンポで、さらにエネルギーコントロールに注力する形なら何とかなるかも知れません。
個人的には、このような形で『ふしぎの海のナディア』のレッドノアvsNノーチラス号に近いことができないかな、と思ったりしています。縮退炉に勝てるのは縮退炉だけです。

このゲームが何に似ているかというと、家庭での電力消費なんですよね。
エアコンつけながらTVつけてゲームしたいけど、お母さんは電子レンジ使いたくて、お姉ちゃんはドライヤー使おうとしている。
ブレーカーを落とさずに、電力消費をできる限り抑えて、どう電力(エネルギー)のやりくりをするか、というイメージで考えてもらうのがいちばん近いと思います。
家庭でいう戦闘といえば、夕飯の準備でしょうか。炊飯器、電子レンジ、ホットプレート……などの大型兵器を上手く使う必要があります。すべてを同時に使うとエネルギーが足りなくなってしまうかも知れませんからね。

震災後の夏、空前の節電ブームの頃、昔考えたこのエネルギーコントロールだけに要素を絞った宇宙船ゲームを思い出したのでした。
生活する宇宙船をひとつの家だとすると、家の中に原子力発電所があって、外から攻撃を受けたり、無茶なエネルギー運用をすると爆発するようなものなので、これはもう緊張感ただよいますよね。

逆襲のシャア×ソーシャルゲーム


ガンダムを題材にしたソーシャルゲームはいくつかありますが、『逆襲のシャア』だけをテーマにしたゲームを新たにつくりましょう。

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古谷徹、池田秀一 他

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ジオンとロンド・ベルに分かれて戦いますが、現実時間で1週間など一定期間ごとにシャアさんが小惑星(アクシズなど)を落としてきます。
小惑星の落下を食い止めるには、多くのプレイヤーが取り付いて支えなければならない
アクシズの阻止限界点までに、どれだけ人を集められるか。
「阻止限界点まであと7日と14時間。軌道変更まで、あと483人必要」と表示されますので、友人をだましてでもゲームに招待し、アクシズ落下を食い止めてください。


というようなことを、Twitterで書いたら、

「それなら俺は課金してロンド・ベル隊に核ミサイル提供しますわ」
「じゃあワシは課金でサイド6の監察官やってブライトさんに情報を流す(ロンド・ベルが少し早くアクションできる)役やるわw」


といったリアクションをいただいた。面白い。みんなやりたい役があるんだな。

人数調整のために、阻止限界点の瀬戸際で、敵方であるネオ・ジオンのプレイヤーを買収することができるようにしようか。
もちろん見返りに何を与えるのかは交渉次第。買収相場はゲームの進行と展開によって上下するだろう。
ひと儲けしたいネオ・ジオンのプレーヤーが自分を高く売るにはギリギリまで待った方がいいのだが、それまでにアクシズが落下してしまっては元も子もない。かといって、小惑星を支える人数が過剰になれば相場は崩壊する。
アクシズを支えるジェガンが増えるにつれ、ロンド・ベルの戦力が落ちていくが、ネオ・ジオンも「どうしうようかなー」と様子見するプレイヤーが増え、双方の戦力はそれなりに拮抗する。とまでは、簡単にはいかないが、そういう駆け引きがあってもいいかも知れない。

いっそのことゲームのフェイズを「アクシズの譲渡」からはじめて、譲渡金額交渉をする。
アクシズを譲渡して得たお金で、ロンドベルは戦力を整えることができる。
アクシズ以前に落とす5thルナなど他の小惑星落下の可否によって、交渉金額(どちらが優勢か)に影響してもいいかもしれない。

昔、3層レイヤーのガンダムオンラインゲームネタを考えたけど、これを1層のガンダムソーシャルゲームにするなら、ロンド・ベル側は地球のエリアに家族が住む家(マイページ)を持つことにする。これが各プレイヤーにとってのベルトーチカとその子供。
小惑星の落下エリアによっては、地球は壊滅的な打撃を受け、大事なものは消滅する。だから、がんばって課金しよう。人の心の光、みんなで見せよな!(アンジェラ・アキで)

ダメだ。どう考えても、人の心の闇しか見せられないよ。

∀ガンダム×ソーシャルゲーム


そういえば『∀ガンダム』放送当時、友人と「マウンテンサイクル発掘ゲーム」の話をしていたことがある。
地層に埋もれたモビルスーツや戦艦など、ガンダム世界の遺産を地中から掘り起こす山師ゲーム。
今だとこれはソーシャルゲームのシステムで出来てしまう。マウンテンサイクルという巨大なガチャを舞台に。

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朴ろ美、高橋理恵子 他

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『∀ガンダム』マウンテンサイクル発掘ゲーム体験レポート


とりあえず軽い気持ち、スナック感覚で【発掘】してみようかな。

ロラン「発掘ポイントを選んでください。……このポイントを掘りますか?」


掘る。掘ります。

ロラン「……おや?地中からゼータの鼓動が聴こえてきましたよ!さらに掘りますか?」


ゼータの鼓動?掘る!掘るよロラン!掘りまくるよ!

ロラン「ゼータの鼓動はどんどん大きくなってきました!さらに掘りますか?」


もちろん掘るよローラ!

シドじいさん「うーむ。硬い岩盤に突き当たってしまった。この地層を掘るには資金400が必要じゃ」


……仕方ないな。それぐらいなら出しましょう。

シドじいさん「発掘にはあと8時間30分かかるが、人出を集めることで時間が短縮できるぞ。もちろん費用はかかるが」


……。(恨みがましい目でサイフを出す)
うーん。これはシドに渡す発掘資金で、御曹司のノックスが崩壊するかも知れないですね。キースの札束など紙切れ同然ですよ。

ロラン「ちなみに先ほどの発掘が終わりましたよ。モビルスーツを発掘できました!」


おお!ラッキー!月光蝶中畑清です!で、そのモビルスーツというの

ロラン「メタスです!(屈託のない笑顔で)」


は……?

ロラン「メタスです!おめでとうございます!」
シドじいさん「もっと深くの地層まで掘ればあるいは……。資金800が必要なんじゃが……」


……。

シドじいさん「仕方ないの。ボルジャーノ公にスポンサーになってもらうとするか」
ロラン「いいんですか本当に?リリ様にまたバカにされますよ?」


わ、わかったよ。わかりましたよ。(泣きながら、サイフを出す)

……ダメだ。悪魔のゲームにしか思えない。小生のノックスも崩壊寸前ですよ。

家計簿アプリ「マイナスをプラスに」


ソーシャルゲームもいいけれど、家計の範囲内で計画的にご利用する必要がありますね。
一年ほど前スマートフォンに変えたとき、これを契機に家計簿をつけたいなと思って、いくつか家計簿アプリを試してみました。
ただ長続きしなかった。アプリに問題があるわけではなく、私自身に問題があるのは私との付き合いが長い私がいちばんよく分かっているので、ダメ人間でも続けられるような家計簿アプリが欲しいと考えました。

当時考えたのは、出費を入力すると、その内容に応じてアプリ内の世界に影響を与えるというもの。
いくつかパターンを考えたが、最も親和性が高く、分かりやすい例は、アプリ内に「街(カケーボシティ)」があって、ユーザーの出費入力によって、この街が成長し変化していく。
要するに「家計簿シムシティ」
現実世界での出費は、この架空の街での開発予算に変換される

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例えば食費としての出費を入力すれば、ゲーム内の「街(カケーボシティ)」の市場やスーパーマーケットの数や規模が発展していく。
他のカテゴリの出費も同様に、街の要素に変換される。

・家賃 → 住宅・マンション
・交際費 → 飲食店(レストラン)
・教育費 → 学校
・医療費 → 病院
・遊興費 → 遊園地・ゲームセンター
・交通費 → 街のインフラ(電車や道路)
・貯蓄 → 銀行


出費を入力すると、それに対応する街の施設が発展するので、どんな特徴のある街に育つかはユーザーの家計次第。
例えば、映画をたくさん見に行く人の街には巨大なシネコンが建っているかも知れないし、おしゃれな人の街には、ファッションビルがたくさん建っているかも知れない。

ゲーム的には、街のバランスはあくまで予算に対する割合で変化するべきかな?
収入(出費)が多い人は大都会島になって、少ない人は小都市になるのでは、私の街はペンギン村にしかならない。
あらかじめ街の予算(月収)を設定した上で、その予算をどう街に配分したかで、開発状況が変わるべき。
予算の割合と毎月の継続(積み上げ)を、街の成長という形で評価することになるでしょう。

月間収支が赤字になれば、市の財政を悪化させたわけですから、市長としては失敗。
支持率が下がったり、トラブルが起きたり、何かゲーム的なペナルティを与えるべきですね。
逆に予算内で街を運営すれば、なにかゲーム的なボーナス(ごほうび)はあげてもいいでしょう。

Twitterで書いたときには、リアクションをいただきました。

家計簿の目的としては1)家計の見える化(無駄を発見、抑止)2)家計の健全化(浪費の防止、貯蓄の増加)3)資産の見える化などで、ゲームとするなら収支バランスの他に交遊費などの割合や無駄がある場合に警告を出すとか、貯金が一定割合を超えたらボーナスを出すとかがいいかもしれない。― fukasawa takuyaさん (@fukasawa_takuya) 2月 5, 2012


@fukasawa_takuyaさんには加えて「あらかじめ決めておいた購入目的の商品や貯金額の目標を達成したらやはりボーナスを出す」や「名目が家計簿である以上、浪費よりも貯蓄や健全化をしやすくした方が喜ばれるのではないか」などのアドバイスもいただきました。
ゲームのために浪費するのは本末転倒ですから「健全な家計簿をつくる」という方向性であるべきだと私も思います。

家計簿データは単なるデータに過ぎませんが、それを「街」のビジュアルに置き換えることで、消費傾向を視覚的にとらえることができます。
育った街を眺めるのは楽しいですが、消費の特徴(またはいびつさ)は、街の状態として視覚化されてしまう。
街のデータやスクリーンショットをソーシャルサイトなどで共有してもいい。
前述のように消費金額でなく予算の割り振り(割合)方式ならば、具体的な金額は完全に伏せたまま、街のバランスだけ公開されるので、他人に見せてもいいし、相手のも見てもいいはずです。
お互いの街を見ながらアドバイスしあったり、人の振り見て我が振り直せ的なことをするのも健全な家計簿化に貢献できるかも知れません。

さて、あなたは市長として、街の予算を使って、どんな街をつくるでしょうか?

「マイナスの行動」を「プラスの行動」に


要するに家計簿をゲームにしましょう、ということです。そうでもしないとできない私のために。
ただ、なぜ家計簿をゲーム形式にするのかというのは、私がダメ人間であること以外に、家計簿自体にも問題はあると思います。

家計簿におけるプラスは、基本的には毎月の月収。
これは金額もタイミングもほぼ一定で、このプラス以外は、日々のマイナス=出費を入力していく作業になります。

お金が手に入ってから、その範囲内で日々お金を使う……。
当たり前のことなんだけど、そのひたすらマイナスを続けていく作業が非常にやるせない。
だからマイナス作業を、せめて家計簿上ではプラスの行動に変換したいと考えました。
その方法のひとつとして考えたのがこの家計簿シムシティ。

この家計簿アプリ上では、出費こそが街を動かす原動力。
出費が無ければ街が成長することはなく、この世界では出費(街への投資)はプラス行動として肯定される。

いわばソーシャルゲームの「課金」みたいなもの。
ゲーム内の映画館を大きくするには、映画を見に行く、つまり現実の映画館に「課金」すればいい。
とにかく出費というマイナスの事実を、ゲーム内でプラスとして利用し、入力のモチベーションを保ったり、罪悪感を軽減したいと考えました。

大事なことは、この家計簿アプリを利用してまで得たいものは「成長した街」でなくあくまで「家計簿データ」だということです。

例えば、街の特定の施設を成長させるために、実際には使っていない出費を入力することはできます。
ウソ出費入力ですね。あくまで家計簿なので、システム上そういうことはできてしまいます。

ゲームとして見れば「ずるっこ」ができるのは確かなので、個人的にはもしズルがしたければいくらでもやればいいと思っています。
なぜなら、ここまでの仮定ですと、予算に対する割合が問題なので、架空出費をどんどん入力しても投入金額の大きさは街の発展とは関係ありません。
そして何より、街の裏側にある本当の目的「家計簿」が手に入らない。
ダメ人間ゆえにゲームっぽくしてまで入力を続けて、手に入れようと思った家計簿が、正しいデータでなくなり、価値を失ってしまう。

ですからシステム側で架空出費を防止するというより、各市長の政治倫理に任せるという形でいいのではないかな、と思っています。
これに関してはもうひとつよいアイデアがあればさらにスマートになるかも知れません。
(ただしダメ人間想定なので、入力の手間が増えたり、システムの複雑化は避けたい)

「ゲームスキン」のバリエーション


というわけで、家計簿との親和性が高いシムシティパターンをご紹介しました。
冒頭で「いくつかパターンを考えた」と書きましたが、この「現実でマイナスである出費を、ゲーム内でプラスに変換する」というコンセプトで、他のゲームスキンも家計簿にかぶせることができます。
シムシティ以外にも、例えばこんなのが考えられます。

・コーエー的な、国づくり戦争もの(出費で国づくりをして、毎月、月末に一度戦争をする)
・シヴィライゼーション的な、文明発展もの(原始時代から始まり、出費で文明技術を発展させ、世界を広げていく)
・かわいい女の子と共同生活もの(出費は、同居する女の子との生活費に変換される)
・足長おじさんもの(出費は仕送りに変換され、仕送りで女の子が成長し「おじさま、ありがとう」の手紙を送ってきてくれる)


他にも「アイドル育成もの(THE K@KEIBO MASTER)」「ホストに貢ぐゲーム」なんかもリアクションでいただきました。
あなたがプロデュースするアイドルが太ってしまったのは、現実のあなたが暴飲暴食するからだ。というわけなので、来月は一緒に節制(ダイエット)しようね、とがんばればいいわけですね。
ホストものは浪費イメージで怖いですが、こまめにお店に通って出費(を入力)しないと、お気に入りホストが機嫌を損ねたり距離が離れると考えれば(家計簿的には)健全に使えるかも知れません。

とはいえ、ゲームはやっぱりどこかで飽きるもの。しかし家計簿(収入と消費)は生きる限り続いていくもの。
ひとつのゲームに飽きるのを最初から前提にして、家計簿データはそのままに途中で別のゲームに変更できる形にしておくのが良いと考えています。
ブログのデザインテンプレートを変えるように、家計簿のゲームスキンを付け替える。
だから本当は、アカウントを作成して利用する登録制家計簿サービスみたいなところが、これまでのデータと、これからの入力はそのままに、家計簿データでゲームが楽しめますという導入をするのが理想的だと思っています。

もともとは私みたいなダメ人間がどうやれば家計簿を長続きさせることができるのか、ということで考えたものですが、ゲームはこういう問題をクリアできる力があると思います。
ゲームを現実と接続させて、ダメ人間が生きやすいようになるといいですね。
『∀ガンダム』最終話「黄金の秋」についての記事には、ありがたいことに多くの反響をいただきました。

惑星の午後、僕らはキスをして、月は僕らを見なかった。<『∀ガンダム』最終話「黄金の秋」より>

嬉しいことに旧友も記事を見て感想をくれましたが、彼によると、私の記事は根本的な論点がずれているという。子供の頃から、一緒に富野アニメを見て育ち、語りあってきた友と、意見の相違が生じてしまっていたというのか?で、その論点のずれとは?

友人「"別れのキス”…あの場面の問題は…キスのとき、舌が入っていたか、いないか。それだけだよ」


黄金の秋

……女王の目の前でどんなプレイなんだよ…。

彼は私が見えないロランとソシエの口内(奥)が見えるということか…。すばらしい能力だ。
さあ、みんなも行こうぜ。セルの向こう側へ!



今回は、『∀ガンダム』記事の補遺拾遺として、その後のいくつかのこぼれ話や連想などを拾ってみたいと思います(ひとつはつい先ほど、終わりました)。まあ雑談あれこれ、ですね。

「ディアナ妊娠説」と必要とされる結末


先の『∀ガンダム』の記事では、解釈論にしかならない要素は、意図的にできるかぎり排除して書きました。
しかし、記事の反応をいろいろ見ていくと、「私とは解釈が違う」という方もいらっしゃいました。
どういうところなのかな?と思って、あれこれ調べるうちに、「ディアナ妊娠論」というのがあるのを知りました。
「解釈が違う」が、これを指しているかどうかはわからないですが、違う考え方の一例として興味深いので、紹介しながらお話してみましょう。

「ディアナ妊娠説」とは
最終回エピローグでの、着膨れしているディアナ・ソレルは妊娠しているのではないか、という説。
この説では、ディアナのエピローグは死の暗示ではなく、子を産み、次なる生をつないでいくことになるようです。


私としては『∀ガンダム』は神話やおとぎ話でもいい、と考えています。
神話やおとぎ話が、長い時間の中で、多くの人々によって変化したり、バリエーションが生まれたりするように、『∀ガンダム』も、見た人によって、さまざまな受けとめ方(解釈)が存在していいと思っています。
けれど、冒頭に紹介した友人の発想と同じく、「ディアナ妊娠」というのは考えもしなかったし、私の周囲にも「ディアナ妊娠」説の人は全くいなかったから、その存在に気がつくこともなかった。しかし、ここまで180度違うのも面白いですね。

神話や民話には、「悲劇的な結末」と「ハッピーエンド」といったように、同じ話なのに全く逆の結末が存在してるものもあります。
それと同じように、神話的女王ディアナ・ソレルの物語の結末にも、生と死、陰陽2つのエピソード(解釈)が生まれて…いや、人々が望んで、必要として、それを生んだ、というべきかな。

それは歴史上の事実と関係なく、人々に信じられていくものがあるのと同じで、製作者の意図や本意とはまた別のものだ。

私個人としては、『∀ガンダム』にいたるまでの富野由悠季の道のりと制作時の年齢などメタ的な背景を前提に、映画ではカットされたけれど「アデスカ編(王殺し)」なども含めた本編の構造を考えると、「ディアナ妊娠」という落とし方は選ばれないかな、と思っています。

妊娠論者の方の中には、細かく考察している方もいるようですが、ディティールをどれだけ重ねても、それはディティールでしかなく、物語の大枠を決めるものにはならないと思う。
しかしそれでも、ありえたかも知れない「ディアナ・ソレルの幸福な生」を考える、ということそのものが面白い。
そこでは、「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」という、いわゆる昔話の「めでたしめでたし」が、必要とされる物語になっている。
おそらく、それが真実がどうかとは関係なく、ね。

『∀ガンダム』を「ガンダム神話」として見たときに、こうした解釈が生まれていること自体がとても興味深い。

ただ、あの記事を書いた人間として私見(私の解釈)を述べるのであれば、「ディアナがロランに看取られて地球で命を終える」というのは、悲劇どころか、幸せな「めでたしめでたし」だと思います。
「幸福な死」を迎えられた人生は、十分に「幸福な生」だと思うので。

そもそも、ディアナの余生があとどれほどか、というのは何も語られていませんしね。
だから、「また明日」がどれだけ続くかは、それぞれに任される。
どう死ぬかが問題の物語であった以上、いつ死ぬかはもう問題じゃない。
だから、もちろん、「いつ死ぬのか?」で論争する意味もない。

創作者が物語を生むときにその人の生き方や考え方が反映されるのと同じように、受け手が物語を通して見た「物語の景色」は、その人の生き方や考え方が反映される。つまりは世界の見え方ですね。
物語の景色は誰にも縛られない自由なものである代わりに、自分に見えてしまった景色にはきちんと向きあう必要があるのではないかと思っています。

たまに同じものを見ているにも関わらず、すごくいい景色を見ている人がいて、うらやましいと思うのだけど、それを説明してもらっても全く同じ景色が見えるというわけではないからね。



ディアナ=キエル 入れ替わり完全犯罪


『Vガンダム』第19話「シャクティを探せ」にて、宇宙漂流していたシャクティ達は、ザンスカール兵士に拾われ、そこでシャクティが女王マリアの子であると確認される。
その際に確認されたのは、当然のことながら、声紋・指紋・網膜紋・血液鑑定という科学的チェック。

それでは、『∀ガンダム』において、女王ディアナ・ソレルの本人確認はどのようにされたのか?
女王ディアナ・ソレルと市井の一般人キエル・ハイムの外見がいかにそっくりだとて、指紋や網膜が全く同じというわけではない。きちんと科学的なチェックをすれば、必ず違いが分かり、判別がつくはずです。

しかし、作品を見た人であればご存知のとおり、ディアナとキエルが入れ替わったことには、誰も気づかない。
これがいわゆる「ディアナ=キエル入れ替わり完全犯罪」です。

なぜ、ディアナとキエルが入れ替わったことがばれないのか。
本人認証システムも何もないのはもちろん、そもそも医学的・科学的に本人かどうか、ということを調べようともしないんですよね。
誰も何もチェックをしないのだから、完全犯罪が成立するのは当然です。

ではなぜ、映画『ガタカ』とは言わないけれど、「ディアナ=キエル」の入れ替わりを、医学・科学で判別するというプロセス自体を物語に組み込まないのか。
ムーンレイスほどの医学・科学知識がないとはいえ、キエルもあまり気にしていないし、それ以上にディアナ・カウンターがそういったことを気にしていない。
本人認証のシステムを無いことにするとしても、本人確認をしようとするが、「女王の玉体には恐れ多くて触れられない」といった言い訳を入れることもできるし、ハリー・オードにフォローさせてもいいかも知れない。
それでも、抜けた髪の毛1本でもいいだろう。進んだ月の科学力をベースに、本人を見分けるためのプロセスを組み込んだ上で、言い訳もいろいろできるはずなのに。

ディアナとキエルを見分けるために必要なもの


月の女王ディアナと地球人キエルの「とりかへばや」は、この物語の軸ですが、その入れ替わりに誰が、どう、いつ、気づくのか(判別がつくのか)、ということについて、『∀ガンダム』は完全に「ドラマの仕事」にしています。

「ディアナ、キエルの入れ替わりの判別にテクノロジーは一切関与しない」というのが、この物語のルールで、リアリティコントロールでもあると思います。
科学的に判定できるテクノロジーレベルのはずなのにできないし、しないという大嘘ですよね。
ディアナ、キエルに科学は無力。彼女らを見抜くには別の条件や力が必要になるわけです。

私個人はこういうところに、『∀ガンダム』にプリミティブな「神話」や「おとぎ話」を感じるので、問題には全くならないです。
「ドラマのお仕事(役割)」と割り切ったこの大嘘は、この物語の神話性をより高めると思いますし。(むしろ、この点においてはロランに対して物足りなく感じたりします)

「月の科学力なら、ディアナとキエルの入れ替わりなんて検査したら絶対分かるでしょ。リアリティがない」という人もいるかも知れない。
それは正しい。正しいけれど、それを指摘しても何にもならないかな、と思います。最初からそこにリアリティを置いていないので。

だからあとは本編中での「ディアナ・キエルの入れ替わりバレ」イベント表を作成して、いつ、誰が、どのように、テクノロジーではない方法で誰が入れ替わりを知ったかを語ればいいんですけど、記憶があやふやすぎるのでやめときます。『∀ガンダム』のDVD-BOXでもあればやるんですが手元に何もないので。
それに後半、ディアナ、キエルの判別はだんだんと無意味になっていきますしね。

「ディアナ=キエル入れ替わり完全犯罪」は、「ディアナ、キエルの入れ替わりの判別にテクノロジーは一切関与しない(別の方法で判別する)」という物語のルールやリアリティレベルを基にしており、その大嘘は『∀ガンダム』をよりすばらしいものにしたと私は考えます。
ただ、それで考えたときに昔から恐ろしいと思っていることがひとつあります。

何がおそろしいって…ハイム家ですよ。

第10話「墓参り」のときに、母は。


医学と科学が、ディアナ=キエルの「とりかへばや」判定の役に立たないとしても、いや、役に立たないからなおのこと、キエルの両親―もっといえば母親、つまりハイム夫人だけは我が子キエルに気づく資格があるように思えます。
キエルを生んだ実母であるハイム夫人が、ディアナとキエルの判別についての物語要件を満たしてしまっているのだとすると、入れ替わり犯罪は早々に露見してしまうのでは?

以上を前提に、第10話「墓参り」を思い出してみましょう。
そもそも誰の「墓参り」なのか。キエルの父親ディラン・ハイム氏の墓参りです。生みの親の片方はすでに亡くなってしまいました。
そして、もうひとり、ハイム夫人は、この夫の死をきっかけに精神を病んでしまいました。
「墓参り」のときに、ディアナ(中身はキエル)に会ったのですが、彼女はもう自分の娘に気づかない。

最も入れ替わりに気づく危険性の高いハイム夫人を心が病んだ状態にして、入れ替わりに気づかせないというのはなかなかにすさまじい。

キエルは妹ソシエより先に成人式を終え、社会参加したがっていた。
それに反対していた父が死に、入れ替わりを見破るはずの母が狂い、成人式が中断された上に父の仇を討たんとする妹がいる。
スムーズな入れ替わりの物語進行上、キエル・ハイムにはメリットしか発生していない。

逆算して考えると、「墓参り」のためには、キエルの肉親が不要である、という前提が生じています。何らかの処理が必要です。
父親のディラン・ハイムは、ここまで語った「物語ルール(リアリティ)」では、娘の入れ替わりに気付けない可能性が高い気もしますが、仮にも実父。今後のソシエの行動原理のためにも、ここで死んでいただきましょう。
しかしハイム夫人はなぜ死なないのか?

ひとつの考え方としては、psb1981さんのすばらしいエントリがあります。

母は全てを奪う(∀ガンダム/富野由悠季)
http://d.hatena.ne.jp/psb1981/20070210/1171111723

さて、この物語のラストでは母親となって満たされたキエルと、ロランを得て一人の女として満たされたディアナの姿が描かれる一方で、故郷において全てを奪われ泣き叫ぶソシエの姿を見ることが出来るが、この時に彼女の背後に「ハイム夫人」が居ることに注意して欲しい。つまりソシエもまた人類同様、母親の呪縛から逃れられなかったのだ。

そう、ハイム夫人はソシエの成人式の、まさにその当日に「狂ってみせる」ことでわが子を手放すことを拒否したのである。


単に物語の進行だけなら、ハイム夫人は死んでも成立する。でも彼女は生き残り、気を病んで、子を離さない。
逃れるすべは、自分の存在を消す(キエル=消える)か、男と別の家庭をつくって自ら母になるか。ソシエは姉のようにも、結婚して子を産んだフランのようにもならなかった。
キエルが成人式を終えていて、ソシエの成人式の夜に母が狂うという、のは仰る通りだよね。

ただ、『重戦機エルガイム』のクワサン・オリビーもそうだったけど、物語の幕を引いてからの方が彼らの人生長いから、これからの方がいろいろあるし、これから何とでもなるよ。というようなことを、今よりだいぶ若かった富野監督も言っています。
確かにそうで、ソシエはロランの金魚を流したときに少女期を終わらせたと思うから、これからロランが後悔するぐらいのいい女になれればいいね。時間はたっぷりあるよ。
少女が大人の女性に生まれ変わる瞬間を、彼女のとなりで観察できなかったことを、あとで後悔するがいい。

地球から宇宙へ乗り出していく物語でなく、月と地球、「2つを1つに」の物語をやるときに、もう1回お母さんのお腹に入るのは構造上やむをえない感じもしますね。
(ムーンレイスにとっては、お母さんに朝あたたかい布団をはがして起こされて、学校へ行きなさいと家の外に追い出される話でもあるけれど。)
『∀ガンダム』自体が、他のあらゆるガンダムがどれだけやんちゃして暴れまくっても、全てを包み込み、全肯定と同時に存在を全否定する母なるガンダムということでもあります。

psb1981さんの記事は、これでひとつのすばらしい考え方だと思いますが、私は何か自分なりの別のアプローチで考えてみたいと思っています。
ハイム夫人の生き残りも含めて、『∀ガンダム』を見直す機会があったときの宿題にしておきましょうか。
twitterではさまざまな話題が流れてくるので、きっかけをもらえるのは腰の重い私にはとてもありがたい。この記事は、すばらしい『∀ガンダム』語りに触発されて、twitter上でつぶやいたものを仕立てなおしたものです。

『∀ガンダム』最終話エピローグの、さらに限られたわずかな場面についてだけのお話。

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『∀ガンダム』最終話「黄金の秋」


『∀ガンダム』のラストは、『月の繭』が流れる中で展開される奇跡的なエピローグ。
その中で、月の女王ディアナ・ソレルと静かな生活を送ることになるロラン・セアックと、彼が仕えるハイム家のお嬢さんソシエ・ハイムとの別れが描かれる。

ちょっと参照として、YouTubeで動画を探してみた。


※あくまですでに見た方への確認用として。未見の方はここだけ見ても無意味なので本編を見ましょう。

冬の雪夜の別れのシーン。
ハイム家の門前に停まっている車と2人の人影。
ひとりは、別れを告げにきたロラン。
もうひとりは、泣きじゃくるソシエ。
ロランは、ソシエにキスをする。
ソシエは涙を流しながらそれを受ける。
やがてキスが終わり、涙が止まらないソシエを残して、ロランは車に乗り、ディアナと共に去っていく。

この場面について、制作者ご本人である富野監督の著書『∀の癒し』にはこんな記述がある。

ロランは、キエルさんに憧れを感じていたし、ディアナ様を尊敬もしていた。
そして、ソシエを愛おしくおもっていた。
そして、ソシエにはそれがわかったから、ロランをディアナ様にあげたのだ。

そのディアナ様は、ロランとソシエを十分に知っていても、最後の自分を見取ることをロランに頼んだ。許したのではない。頼んだのだ。

なぜなんだろう?それは、永遠の疑問ではない。簡単な理由だ。

ディアナの本当の初恋の相手が、きっとロランに似ていた少年だったからだろう。
人間などというものは、そんなものなのだろうとおもう。
それは、つまらないことなのだろうか?
そうではないと伝えたいのが、『∀』という物語なのだ。

(この引用は、記事を書くきっかけを与えてくれた@225_nifnifさんの提供でお送りしております。)


私も『∀の癒し』を読んだのでこの箇所も読んだけれど、「そうだったのか!」という新たな発見ではなく、「そうだよね。そうしかないよね」という確認だったことを覚えている。
それは私に物語を鋭く読み取る力があったわけではなく、富野監督がつくった『∀ガンダム』のフィルムが、伝えたいことをごく当たり前のように私たちに伝えてくれていた、ということだ。

『∀ガンダム』のDVDなど映像が手元にないので、なかなか見返すことができていないのだけれど、ここでは逆にそれを幸いとして、できるかぎり初見時の記憶や印象を思い出しながら「別れのキス」の話をしてみましょう。

ソシエ、涙とキスには終わりがないと知る。


「別れのキス」と書いているように、この場面でロランが何をしたかといえば、キスをしたのだ。
これから別れるソシエとキスをした。ただし、これから共に暮らすディアナの目の前でね。

私自身、エピローグ中でもっとも感動したのがここ。

黄金の秋

キスとするロランとソシエ、そして車中のディアナが同フレームにおさめられているカット。

「ちょっとまって!ソシエと別れてディアナを選んだのに、なんで、そのディアナの目の前で他の女(ソシエ)とキスするわけ?」


と、『∀ガンダム』を見ていない人はもしかすると思うかも知れない。
しかし、この場面へたどりついた多くの人にその疑問はないはずだ。

私もディアナ・ソレルの目の前で、ソシエに別れのキスをするロランを見た瞬間に、

「もうこのロラン・セアックにすべてを任せていい」

と心の底から思った。

それはもちろんディアナ様のことであるし、ソシエお嬢さんに対してでもある。
私がディアナ親衛隊であろうと、ハイム家下男であろうとそう思ったんじゃないかな。
この心の動きはとても印象的だったので、よく覚えている。

フィルム上の処理か、ロランの意思か


もちろん限られた時間しかないエピローグの処理として、できるかぎりカットを整理するような実利的な側面もあったとは思う。しかし実利的な問題だけでなく、物語を豊かにするためにはあの処理しかないように私には思える。

そもそもこの一連のシーンでは、車中のディアナの存在が伏せられたまま、ロランとソシエのキスがはじまっている。
その後、2人がキスしたままカメラが右にパンして(振られて)、はじめてディアナが画面に登場するという処理がなされている。

「ディアナの目の前でされたキス」をサプライズとして強調したような形で、初見の視聴者に対しては、キスの後にディアナの存在を知るように画面はつくられている。

だが当の本人であるロランはもちろん自分が車に乗せてきたディアナの存在は知らないわけがない。
つまりロランは全て承知の上で、あの別れのキスをしたことになる。

だからフィルム上の処理の問題だけでなく、ロランの意思と考えてあげないと、別カットにせず、キスから右にパンして、ディアナを同じフレームに入れたことの意味が弱くなると思うんですよね。
つまりはそこが物語が豊かになるかどうか、というところなんですが。

代償として、受けるべきカット


ロランが、異性として、もっとも愛しく大事な女の子はソシエ・ハイム。
地球で隠遁するディアナ・ソレルは、それも恐らく知っての上で、ロランに自分を看取ることを頼む。
それは、責任を果たして肩の荷から下ろした彼女が人生の最期でする「わがまま」だが、無論そのことも承知の上だろう。

ロランはディアナの願いを聞き入れる。そうなると、ソシエとはお別れをしないといけない。

そして別れのとき。
誠実なロランくんはちゃんとディアナの目の前で、泣いているソシエにキスをするんですよね。

このとき、目の前でそれがされることの意味をちゃんと分かっているディアナは車中でそっと視線をはずしている。なぜなら、目の前でされるそのキスを受けた上で視線をはずすのが、彼女にできる最大の礼儀だから。

三人模様の絶体絶命で、はっきりカタをつけたときに起こる、三者三様の立場と心と行動の織りなすグラデーション。

これしかありえないと私には思えますが、ディアナの目の前でのキスを考える上で、たとえば、ソシエとの別れのキスと、視線をはずすディアナのカットを分けてしまうとどうなるでしょうか。
これを実際のシーンとは別パターンのパターン(B)としてみましょう。

パターン(B)

ロランとソシエのキスのカット

車中での、ディアナが横を向いているカット


こうするとニュアンスが変わりますね。
「画面手前でキスをする2人と奥の車中で視線をはずすディアナ」という1カットとは意味が変わってしまうと思います。

もっと極端にしてみましょうか。
車中にディアナを待たせてるのはそのままにして、ディアナに見えないところで、ソシエとキスをするロランを想像してみてください。

パターン(C)

(例えばハイム家邸内で)ロランとソシエのキスのカット

車中での、ディアナが横を向いているカット


こうすると、もっと意味が変わってきますよね。
本編含めて3パターン。どのロランくんがいいですか?

パターン(B)もパターン(C)も「ロランとソシエがキスをし、ディアナが待つ」ということは変わりませんが、意味は変わってきてしまいますね。

私はこの場面を「ディアナがわがままの代償として受けるべきカット」だったと考えていますので、パターン(B)も(C)も私にはありえません。どうしても1カット内におさめる必然がありました。

富野監督は、ロランをディアナの目の前でキスをする人間としたし、そのキスシーンからディアナが逃れることを映像的に許さなかった。そしてディアナにそれをきちんと受け止めさせた上で視線をはずさせた。

シーンを演じる演者(キャラクター)も、それを構成する監督も見事としかいいようがない。

私はこのシーンをこう考えているので、

「ソシエとディアナがいて、ロランがディアナを選んだ。捨てられたソシエかわいそう!」


と言っている人をたまに見かけると、そんな単純なことじゃないし、男性主人公が2人いる女性(ヒロイン)のうち、1人を選ぶというような、男性主体の選択の話でもないよ、と、いつも思います。

そもそも、男性主人公が複数いるヒロインから「第一ヒロイン」を選ぶ話、というのは『ザブングル』の時点でとっくに否定されていますけどね。否定というかそういう構図自体がぶっとばされている。
そのことは以前、記事にも書いたことがあります。

惑星ゾラで生きるための、たったひとつのルール。<"異世界もの"としての戦闘メカ ザブングル>

「黄金の秋」から「白銀の冬」へ


別れのキスでソシエから借り受けたロランと、隠遁するディアナ様の「黄金の秋」生活というか、正確にいえば秋のあとの最後の最後の「白銀の冬」パートもあんなに短いのに本当にすばらしい。

いくつかのカットと、いくつかのセリフだけで、完全に老婆を表現しているのもすばらしいし、なにより最後のセリフが「ディアナ様、また明日」であることがすごい。

ロランとディアナは、あとどれだけあるかわからないけど、「また明日」の価値を誰よりも知っているんだよね。
覚悟を決めているともいえる。だから、あれは「おやすみなさい」ではなく、絶対に「また明日」でなければならない。
散歩にいき、お茶を飲み、釣りをし、ロラン特製のおいしいスープを飲む、いつもどおりの明日。

しかもそのあとに、TV版だと最終回ED曲「限りなき旅路」が流れます。
ディアナのおやすみカットで終わって、限りなき旅路です。限りなき、旅は、つづく、です。

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(このジャケットの2人の笑顔が全てだと、いつも思う。)

だから、私は『∀ガンダム』の最終回が終わった「その後」については、1秒だって必要ありません。
あれは、いつか絶対に終わることが保証されている「時間限定の永遠」でいい。

それは「終わらない幸せな日常」世界への逃避ではなく、フィクションから一切の未練なく帰還するための手続きのように個人的には思います。
この世界は私が干渉(妄想をたくましく)する必要がなさすぎる。
私にとって『∀ガンダム』は、世界に一切の未練なく現実に帰還できる稀有な作品なのです。

そのあたり良し悪しの問題ではなく、あくまでフィクションの対比としてですが、なかなか物語から帰還できない構造にしている『エヴァ』と並べて考えると面白いと思っています(『エヴァ』は1回は作品世界から帰ってこれない方が体験としては面白い)。が、これはまた別の話ですね。

というわけで、語ってきましたが、『∀ガンダム』最終話エピローグのわずかな部分に過ぎません。
セリフがほとんどなくても、歌と映像が雄弁すぎるほど語ってくれていますので、意図的に幅を持たせるためにぼかしているところ以外は、妄想解釈をあまり入れる必要はないエピローグではないでしょうか。

だからここに書いたことは、皆さんも同じように感じたはずのごく普通の感想なんじゃないかな、そうであるといいな、と思っています。

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『∀ガンダム』から見える「物語の景色」<「黄金の秋」補遺拾遺>

この記事の補遺拾遺として、いくつかのこぼれ話や連想などを集めたものです。宜しければどうぞ。
主なトピックは、「ディアナ妊娠説」「ディアナ=キエル 入れ替わり完全犯罪」「恐怖のハイム家」などです。

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